真朱と叔父②
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ドォン、と轟音が聞こえた。
真朱は足を止めて、耳ををばだてた。
何の音だろう。まるで落雷のような──
ずっと川沿いを進んできたが、そろそろ松焔山のふもとに入っているはずだった。
両岸にそびえる険しい崖の上が、無数のたいまつを灯したように明るい。
空の上から見たときは、燃えているのは山の中腹だけだったが、だいぶ火の手が広がっているようだった。
崖上で燃える炎の光は、谷底にもわずかにとどいていて、岩が転がる川端は、ほのかに明るい場所と影の濃い場所がまだらになっている。
肩の傷がうずく。しだいに痛みがひどくなっていて、今では左腕がほとんど動かない。
真朱は動くほうの手で、あごを流れる汗をぬぐった。
ここまで来る間に、やっぱり引き返したほうがよいのではないか、真朱がかけつけたところで何ができるのかという問いが、何度も頭をよぎった。そもそも、行って何をするつもりなのか、と。
けれど、そのたびに、自問の末に行きつく答えは、「それでも行きたい」という一点だった。
ひたいにはりついた髪をはらい、真朱が再び歩き出そうとしたとき。前方から話し声と足音が聞こえてきた。
川上のほうから、いくつもの人影が歩いてくる。郡の兵卒だろうか。
こんなところに村娘が一人でいるところを見つかったら、不審に思われるだろう。
真朱はあたりに視線をはしらせた。川端は狭く、身を隠せそうな場所はない。
そのうちに、むこうも真朱に気づいたらしく、ぴたりと話し声がやむ。
しばし、互いに探りあうような間があり、ふいに声がした。
「……おまえ、真朱か?」
影絵のような一団が、ゆっくり近づいてくる。
ほの明かりに浮かび上がった顔に、真朱は目をみはった。
「叔父上……!」
あらわれたのは、叔父の継貞だった。一緒にいるのは、尾栗郷の男衆だ。みな、顔はすすで黒く汚れ、衣は焼け焦げている。ケガをしているのか、仲間に支えられてやっとの様子で立っている者もいる。
かけよろうとして、真朱は彼らのかたい表情に気がついた。彼女に向けるよそよそしいまなざしに、「天狗の仲間になったのか」と尋ねてきた郷の女たちの言葉を思い出す。
「あの、わたし……」
継貞が男たちをふりかえり、「みんな、先に行っていてくれ」とうながした。
男たちが、無言で真朱のわきを通り過ぎていく。
それらを戸惑いながら見送り、真朱は叔父をふりむいた。
「叔父上、あの……」
真朱が言いかけたのを遮り、継貞が重々しく口を開く。
「真朱よ、なぜ、あんなまねをした? 国司を襲うなど……」
北の峰で、国司を問いつめたときのことか。
「あれは……!」
「国司はたいへんなお怒りだ。ひとまず藤原さまがとりなしてくださったが、このままではすむまい。おまえは、郷をつぶすつもりか?」
「違います!」
真朱は声を上げた。
「わたしは、父さまのことをききたかっただけ。なぜ、父さまを殺したのか、あのひとの口から聞きたかっただけです……!」
あらためて言葉にしたら、国司を前にしたときの憤りと悔しさが胸によみがえってきた。体の内からわきだす溶岩のような感情を、言葉にして吐き出す。
「だって、おかしいわ。どうして父さまが殺されなければならないの? どんな理由があったっていうの? ううん、理由があったとしたって、こんなの、ひどい……父さまは、郷を守っていただけなのに……。叔父上だって、本当はそう思っているでしょう?」
「真朱、兄上は死んだのだ」
継貞の声は暗かった。
「死んだ者は、戻らぬ。何をしても──たとえ、国司を襲っても、だ」
継貞が腰に帯びた剣を鞘から引き抜く。刀身がにぶく光る。
ぎょっと目をみひらいた真朱は、その剣が、昨日彼女が郷に落としていった家宝の刀剣であることに気がついた。
「昨晩、おまえは郡司どのも襲ったそうだな。真朱よ、おまえのしたことは、郷を危険にさらしているのだぞ。それがわからんのか?」
「叔父上……、わたしは……」
「おまえが郷に害をなすのなら、わたしは長として、除かねばならん。──おまえが、兄上の娘であってもな」
継貞が剣をふりかざすのを、真朱は呆然と見つめた。
(叔父上が、わたしを殺すの……?)
風をきって剣がふり下ろされる寸前、凍りついたように固まっていた真朱の体が、勝手に動いた。身をひねるように飛びすさり、すんでのところで剣をかわす。
剣の切っ先が河原の石に当たり、硬い音をたててはね返る。
「真朱!」
継貞が叱咤するように叫ぶ。
よろめきながら後じさり、真朱は首をふった。
「やめてください、叔父上……。わたし、郷を害したりなんて……」
「もう、遅い!」
継貞が剣をなぎはらう。
今度も、真朱はかろうじて避けたが、足がもつれてその場に倒れこんだ。
(──痛っ……!)
倒れたひょうしに傷を負っている左肩を打ち、激痛が全身をつらぬく。
継貞が、剣をさげて近づいてくる。
真朱は立ち上がることができないまま、右腕一本を地面について必死に後じさった。
「叔父上……、やめ……」
と、後じさる真朱の背中に、ドンッと何かがぶつかった。衝撃で一瞬呼吸がつまり、横ざまに倒れ伏す。
(何が……?)
ふりむいた真朱の顔のすぐそばを、飛んできた石がかすめた。さらに、飛んできた別の石が彼女の腰に当たる。
郷の男衆が、川端の石を拾っては、真朱にむかって投げつけている。
真朱は、愕然としてあえいだ。険しくゆがんだ彼らの顔が、真朱を見て悲鳴を上げた屋形の女たちと重なる。
郷で過ごした日々の記憶が、頭の中に次々にひらめく。
雪に閉ざされ、互いに支えあわなければ乗り切ることのできない、厳しい冬。雪溶けと芽吹きを合図に、豊穣を祈って山から田に神を招く、祭りの春。照りつける日差しの下で、日がな田畑の仕事に追われる夏。そして、郷中で収穫の喜びを分かちあう秋。
どの季節も、ずっと一緒に過ごしてきた。それなのに──彼らにとって、真朱はもう敵なのか。
全身から、力が抜ける。
ざっ、と小石を踏む音がして、真朱の上に影が落ちた。
のろのろと顔を上げた真朱は、青ざめた顔の叔父を見た。口をかたく引き結び、決意をこめて彼女を見下ろしている。その顔は、真朱の父親と少し似ていた。
継貞の腕が上がり、剣がふり上げられる。ほの白く光るその切っ先を、真朱は目を見開いて見つめた。
そのとき、遠くのほうから、ゴォォッという音が聞こえてきた。
音はしだいに大きくなり、地面が小刻みに揺れはじめる。
継貞がよろめき、たたらを踏んだ。
「何だ……?」
と、川上のほうを指さして、男衆が声を上げた。
上流から、灰色に泡立つ波がしぶきを上げて、両岸を飲みこみながら押しよせてきた。