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国司を追って ※旧「ひとか天狗か」を修正

2022.5.21 旧「ひとか天狗か」を修正。

 山城国の国府は、松焔山から西へ歩いて半日ほどのところにあった。まっすぐ伸びた広い通りの奥に、築地塀をめぐらせた政庁がある。

 真朱がへとへとになって政庁の丹塗りの正門にたどり着いたときには、まもなく昼になろうとしていた。

 気力をかき集めて、ふらつきながら正門の石段を上った真朱は、ちょうど中から出てきた二人の役人とはちあわせした。

「なんだ、おまえは?」

「汚いなりで近づくな。ここがどこだか、わかっているのか?」

 目の前に立ちふさがられ、真朱は焦りをおさえて言った。

「申し訳ありません。急ぎ、国司さまに伺いたいことがあって──」

 口にした後で「しまった」と思ったが、遅かった。

 はあ? と役人たちの表情が険しくなる。

「おまえのような者が、長官に目通りできるわけがないだろう」

「ふざけたことを言っていると、衛士を呼ぶぞ。とっとと帰れ!」

 腕をつかまれて引きずられる。真朱は懸命に言った。

「待って──、通してください! どうしても国司さまに会わなきゃいけない用が……」

「帰れと言っているだろうが!」

 突き飛ばされて、真朱は石段を転げ落ちた。全身を打ち、一瞬息がつまる。

 めまいをこらえて身をおこした真朱の耳に、衛士を呼ぶ役人の声が聞こえた。

 真朱は拳を握りしめた。

 こんなところで、無駄にときを費やすわけにはいかない。夕刻までに、鷲比古に験力を返さなければならないのに──

 次の瞬間、風が爆発した。

 砂埃が巻き上がり、門の上の屋根瓦が吹き飛ぶ。

 風にあおられて倒れこみ、門の内まで転がった役人は、砂塵の中を小柄な人影が近づいてくるのを見た。

 先ほどの娘が門を抜けて、おぼつかない足取りでゆっくりとこちらに歩いてくる。

 娘のまわりを風が渦巻いていて、全身がうっすら光っているように見える。長い髪は激しくうねり、むきだしの腕や足には禍々しい紋様が浮かんでいる。

 ひっ、と役人が声をあげた。地面に尻をついたまま、もがくように後じさる。その前を、ふらつきながら娘が通り過ぎていく。

 そこへ、敷地の奥から、槍を持った衛士や役人たちがかけつけてきた。風をまとった異様な風体の娘に、ぎょっとしたように足を止める。

「な、なんだ、おまえは……⁉」

 娘が衛士たちに目を向ける。再び突風が吹きつけて、衛士たちをなぎ倒した。

「邪魔しないで、お願いします……!」

 真朱はかすれた声で叫んだ。頭が割れそうに痛い。ひどいめまいがして、視界がちかちかする。

「国司さまに会いたいだけなんです! お願い、通して……!」

「──ち、ちち長官はいないっ!」

 声をあげたのは、真朱がはじめに吹き飛ばした役人の一人だった。真朱がふり向くと、うずくまったまま身をすくめて、まくしたてる。

「本当だ! う、宇治のどっかの郷で、妖退治を見物されるとかで──」

 真朱は息をのんだ。もしや、それは尾栗郷ではないか? それでは、今頃、国司は尾栗郷にいるのか。

(それに、妖退治って……)

 天狗のことだろうか。

 昨晩、郷のはずれに武装した一団が集まっていたことを思い出す。あれと関係があるのだろうか。何をするつもりだろう。

 日が高くのぼった空を見上げる。今から引き返したのでは、どんなに急いでも、尾栗郷へ着くのは夕方を過ぎるだろう。それでは間に合わない。験競べがはじまってしまう。

(ここまで来たのに──)

 どうしたらいい。

 何とかしなくてはと思うのに、焦燥ばかりが頭の中をかけめぐり、まともにものを考えることができない。頭の芯が焦げるように熱くなり、耳鳴りがする。

 真朱はこめかみをおさえて、きつく目をつぶった。頭の中で、頭痛と耳鳴りが混じりあう──

 ふいに、周囲からどよめきがあがった。

 痛みをこらえて目を開けた真朱は、畏怖の表情を浮かべた役人や衛士が、彼女を見上げて後じさるのを見た。

 視線をめぐらせた真朱は、自分の両足が地面から浮き上がっていることに気がついた。肩の後ろには光の粉がまたたき、広げた翼のようにたゆたっている。

(浮いてる……。わたし、飛べるの?)

 そう思ったとたん、真朱の体がぐんと上昇した。空へむかって引っ張られるように昇っていき、あっという間に地面が遠ざかる。

 慌てて両手をばたつかせると、上昇はゆるやかに止まったが、殿舎の屋根や木々の梢はすでにはるか下だった。塀に囲まれた政庁や、つい先ほど歩いてきた通りが足の下に小さく見えて、全身がふるえる。

 激しく鼓動する胸をおさえて、真朱は四方を見わたした。

 怖がっているときではない。飛んで帰ることができるなら、まだのぞみはある。

 尾栗郷にむけて方角を定め、光の翼をひと打ちする。

(はやく郷へ──、国司のところへ──!)

 真朱は空の上を風のように進んだ。

 行きには徒歩で延々かかった道のりが、またたく間に眼下を過ぎていき、まもなく尾栗郷が見えてきた。昨晩、郷の外に集まっていた武装した人々の姿は見えない。

 真朱は郷の上空を一周すると、郷長の屋形の中庭に飛びこんだ。

 中庭には、郷の女衆が集まっていた。むしろを広げた上に、たらいや釜を並べて、炊き出しの準備をしているようだ。

 光る翼を広げて真朱が降りると、中庭は大騒ぎになった。てんでに逃げ出した女たちに、真朱は声を張り上げた。

「国司が来ているでしょう。どこにいるの⁉」

 女の一人が、あっと声を上げた。

「あんた……ま、真朱なの……?」

「国司はどこ⁉」

 真朱の全身から、ぱっと光の粉が散る。

 女たちが首を縮める。

「き、きき北の峰よ」

(北の峰……?)

 真朱は眉をよせた。国司が、峰に何の用だ?

「いつの間にか、山道をふさいでいた岩が消えて、登れるようになってたのよ」

「男衆もみんな出かけたの。頂の杉を切り倒すんだって……」

 真朱は目をみひらいた。

(そんな……)

 北の峰の頂の杉は、天狗とひとの領分を分けるしるしだ。

「どうして、そんなこと……」

 呆然とつぶやく真朱に、女たちが言う。

「天狗を山から追い出すのよ。もう、あいつらに怯えなくてすむの」

「北の山にも入れるようになるし、田んぼも増やせるわ。新しくできる水田は、あたしたちのものにしていいって、国司さまが約束してくださったのよ」

(国司が──!)

 腹の底から、怒りが噴き出す。真朱の感情の高まりに呼応するように、激しい風が巻き起こった。

 むしろがめくれ上がり、たらいや釜がひっくり返って転がる。女たちが悲鳴をあげた。

「……真朱、あんた、いったいどうしちゃったの?」

「あんたが天狗の仲間になったって、やっぱり本当なの?」

 思いがけない問いかけに、真朱は息をのんだ。

「違っ、わたしは──!」

 風がどっと激しさを増す。母屋のひさしが一列に折れ曲がり、吹き飛んだたらいが地面に叩きつけられて割れ飛んだ。

 女たちが身をよせあい、悲鳴をあげる。

 さらに、母屋のほうからも新たな悲鳴があがった。奥から出てきた女たちが、真朱を見るなり、抱えていたかごやざるを放りだして母屋の中へ逃げ戻る。

 彼女たちのほうへ歩みよりかけて、真朱ははっとなった。逃げる女たちの中に、香与がいた。戸口で押しあいながら、身を縮めてこちらをふりむく。その、恐ろしげに引きつった顔──

 真朱は後じさり、身をひるがえした。刹那、香与と視線がかちあい、彼女の瞳がみひらかれたような気がしたが、もう一度ふりむいて確かめる勇気はなかった。

 地面を蹴り、光の翼を広げて空へ駆け上る。

 風にまぎれて、下方で慌てたような足音と、かすかに香与の声が聞こえたような気がした。

「ま、待って──、真朱姉……っ!」

 北の峰にむかって飛びながら、真朱はふるえるくちびるを噛みしめた。

 郷の女たちの怯えた表情が──、香与の畏怖のまなざしが──、胸に突き刺さっている。真朱のことを、何か怖ろしい化け物でも前にしているような顔で見ていた。

(大丈夫……、大丈夫だよ、きっと……)

 真朱は胸のうちで必死に繰り返した。

 国司を問いただして、鷲比古に験力を返せば、すべて終わる。そうなれば、また郷のみんなのところに戻ることができる。

 前方に、峰が見えてきた。頂にたつ杉の巨木のまわりを、天狗の群が飛び交っている。一方の地上は、よろいをまとった兵士や武器を手にした人々で埋めつくされていた。

 天狗たちはさかんに羽ばたき、地上にむけて風を浴びせている。杉の枝は激しくあおられているが、人々には届いていないようだった。まるで、見えない壁に守られているみたいだ。反対に天狗たちのほうが、人々が射かける矢に押されているようだった。

 そのとき、杉の巨木がゆらいだ。根元で斧をふるっているのは、尾栗郷の人たちだ。

 悲鳴のような音をたてて幹が傾き、濃緑の葉をなびかせて、どっと横ざまに倒れる。

 巨木の倒れる光景に、真朱は胸を裂かれるような痛みを感じた。強くまばたいて、視界が潤むのをこらえる。泣いている場合ではない。

 倒れた木から視線をもぎ離し、真朱は矢に当たらないよう、高く昇りながら峰の上空に近づいた。地上に目を凝らし、峰の上にひしめく人々の中に国司を探す。

 大仰な兜をかぶり、ひときわ立派な胴鎧をつけた郡司が兵に檄を飛ばしているのはわかったが、国司の姿は見つからない。

 もしや、ここには来ていないのか。国庁の役人は国司が妖退治に出かけたと言っていたし、郷の女たちも北の峰にむかったと言っていたけれど──

 そのとき、ぎらりと光るものが目に入った。

 浅い谷をはさんだ隣りの山の頂上付近で、何かがちかりちかりと白く光っている。

(何……?)

 目をすがめつつ、そちらへむかった真朱は、ふいに息を吸いこんだ。

(──いた!)

 光のそば、木立の下に、数人の人影が集まっている。一団の中にひとり、騎乗している人物がいた。烏帽子をつけた小柄な姿は、国司に間違いない。

 なるほど、自分は妖退治には加わらず、離れたところから見物というわけだ。

 真朱はまっすぐに急降下し、空の上から呼びかけた。

「国司さま!」

 馬上の国司がぎょっと身じろぐ。真朱を見とめると、慌てた様子で周囲の供人を呼び集めた。

 真朱を阻むように国司を囲んだ供人たちは、手に緑の葉の繁る榊の枝を持っていた。郷の神事に用いる祓具に似ている。緑の葉の間から、玉を連ねた飾りや紙垂が下がっている。さらに枝の先には、てのひらほどもある青銅の鏡が紐で結びつけられている。光って見えたのは、この鏡だったようだ。

 国司にむかって、真朱は言った。

「おしえてください。父を──、尾栗郷の前の長を殺したのは、あなたですか⁉」

 ぴゅいっと風を切って、何かが真朱をかすめた。

(──っ!)

 矢だ。榊を手にしている供人とは別に、弓をかまえた者たちが木立の下から真朱をねらっている。

 気づいた瞬間、真朱を包むように風がおこった。

 木々の幹が葦のようにしなって、供人たちを打つ。供人たちの手から、弓矢や榊がはじき飛ばされた。

 馬が怯えたようにいななき、棹立ちになる。乗っていた国司は、鞍から転がり落ちた。

「ひぃっ……!」

 乗り手を失った馬は口から泡を飛ばして跳ねまわり、近くにいた供人たちを蹴散らす。

 真朱は彼らの上を飛び越えて、四つん這いで逃げる国司の前に降り立った。

「言って! なぜ父さまを殺したの⁉」

 国司から見れば、小さな郷の長など取るに足らない存在ではないか。いくらでも従わせる方法はあったはずだ。なぜ、殺さなければならなかったのか。

「──わ、わしは知らぬ!」

 国司が落ちていた榊を拾って、地面に尻をついたまま、真朱にむかってめちゃくちゃにふりまわした。枝に下がった鏡や紙垂が激しくゆれて、国司がかぶっている烏帽子にぶつかる。烏帽子が脱げて、崩れかけた貧相な髷があらわになった。

 国司は榊を真朱に投げつけると、再び四つん這いで逃げようとした。

 足もとにぶつかった榊を拾い、真朱は国司を追った。

「知らないわけない! あなたが命じたんでしょう⁉」

「知らぬ! わしは何も知らぬ……!」

(この男が──!)

 こみ上げる怒りに、体がふるえる。

 真朱は手にしていた榊の枝から、下がっている鏡を引きちぎった。鏡をふりかざし、国司に突進する。

「ひいっ……!」

 国司が身をすくめる。

 真朱が振り下ろした青銅の鏡のふちが、国司の額に触れる、その寸前──。見えない膜にはじかれたように、少女の体が跳ね飛んだ。同時に、全身を無数の針で突き刺されたような痛みが走る。

(──ぁは……っ!)

 体が地面に叩きつけられる。いくつもの痛みが重なり、頭の中が真っ赤になる。何が起きたのかわからないまま、真朱は地面を転がった。

 はは……、と国司の笑い声がする。真朱は荒い息をしながら、薄目を開けた。

 国司は座りこんだまま、首から下げた木の札を両手で握りしめていた。郷の人たちが持っていたのと同じ、公達が取りよせたとかいう、あの呪符だ。

「い、卑しい魔物めが。この、わしに触れられると思うてかっ」

 ふと、鼻をつく臭いがした。国司の袴が濡れている。さらに、尻の下の地面に水たまりが広がる。

 視線を落とした国司の顔が、自身に起きていることに気づいて、耳まで赤黒く染まる。目鼻をゆがめて、まわりの供人たちに手をふった。

「何をしている! 早うっ、仕留めろ!」

 刀を抜いて、供人たちがせまってくる。

 真朱は渾身の力をふり絞り、幾人かを体当たりするように押しのけて、空中に飛び上がった。国司を見下ろし、右手をふり上げる。

(いかづちを──)

 どれほど力の強い呪符だろうと、巨木を割き、地面をえぐるほどの雷電からは逃れられまい。

 彼女の高ぶる心に呼応するように、体の奥から熱があふれ、全身の痛みが飲みこまれていく。疲れきった手足に力がみなぎる。

 真朱は目をみひらき、無様に座りこんでいる痩せた小男をねめつけた。

 父の無念を──、真朱の悲憤を──、思い知るがいい。

「ひい……っ」

 国司が座りこんだまま、石ころや土くれを手当たりしだいに拾っては、宙に投げつける。真朱が落とした鏡を拾って、木札と一緒にすがるように掲げた。

 鏡がぎらりと光り──、真朱は息を止めた。

 鏡面に、髪を乱し、眉を吊り上げた娘がうつっている。両の瞳は力をふるう悦びに踊り、衣から伸びたむきだしの腕や足には赤い斑紋が燃えている。背中には光の粉が火花のように噴き上がり、巨大な翼をつくっている。

(……あれは、わたし?)

 あれは、まるで──天狗だ。

 と、勢いよく飛んできた何かが、真朱の左肩にぶつかった。激しい痛みに、息がつまる。

 肩に矢が突き立っていた。白い矢羽根に、墨で文字が書かれている。

 吹き散らされたように、光の翼が消える。翼を失った真朱は、真っ逆さまに落下していった。


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