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太郎坊の帰還

2022.5.30 誤字修正

 鷲比古に抱えられて夜の空を飛びながら、真朱の頭の中はたった一つの考えで占められていた。

(……わかった。誰が父さまを殺したのか……)

 叔父も、郡司も、決して明かさない名前。父親が対立していた人物。

(……国司)

 本人が直接手を下したわけではないかもしれない。だが、おそらく命じたのは国司だ。

 尾栗郷の屋形を訪れた、酷薄そうな顔を思い浮かべる。

 胸の奥が熱い。様々な感情が身の内でたぎり、口から飛び出しそうだ。郷の小道に、剣を落としたまま置いてきてしまったことに気づいたが、もはや些細なことだった。

(国司に会わなくちゃ……)

 会って、どうしたいのか。自分でもわからない。申し開きが聞きたいのか、謝罪させたいのか、それとも──仇を討ちたいのか。だが、とにかく会って、真朱が探し当てたことを突きつけなければ、身体の内で燃えるこの昏い炎に飲みこまれてしまう気がする。

 真朱は、鷲比古の衣をつかんだ。

「もうひとつ、頼んでもいい?」

 西の空を見すえて言う。

「このまま、国府へ──」

 連れて行ってほしい、そう言いかけたとき、ふいに高度が下がりはじめた。羽ばたきの音が激しくなる。

 真朱は慌てて、鷲比古にしがみついた。

「ど、どうしたの?」

 答えは返ってこなかった。見ると、鷲比古は必死の形相で歯を食いしばっている。羽ばたきはますます激しく、溺れているひとががむしゃらに水をかいているみたいだ。

 つい先日、葦原の炎の中から彼に助け出された後に、木立の中に墜落したことを思い出す。あのとき負った火傷のような傷が治りきっていないことは知っている。連日、真朱を抱えて山と郷を往復してくれたが、その無理があらわれたのだろうか。

 そのまま高度は上がらず、鷲比古は真朱を抱えたまま、急速に眼下の黒い樹冠に近づいた。すべるように山の中腹に着地する。

 鷲比古の腕から飛び下りた真朱は、体を折って荒い息をする青年をのぞきこんだ。

「だ、大丈夫……?」

 そのとき、バサッ、と音がした。

 星明りの下、鷲比古の足もとに何かが散らばる。

(──え?)

 落ちたのは羽根だった。彼の背中の翼から、ひとつかみほどの風切羽が抜け落ちて、散らばっている。

(え、……と……)

 目の前で起きたことを、どう理解したらよいのか判断がつかないまま、ひとまず真朱はひざをついた。落ちた羽根に手をのばす。

「触るなっ!」

 真朱はびくりと手を引いた。

 片手で顔をおおい、鷲比古が長く息をつく。

「……拾わなくていい」

「で、でも……」

「いいから」

 汗まみれの顔をひとなでして、真朱を見下ろす。

「ここからなら、崖まで歩いて一人で戻れるだろ。今日は、もう終わりでいいな?」

 大儀そうに言って、鷲比古がのっそりきびすを返す。

「待って! あの……」

 真朱は慌てて呼びかけた。言葉を探し、結局問うべき言葉を見つけられないまま、尋ねる。

「その……大丈夫、なの……?」

「おまえには、かかわりねぇよ」

 鷲比古が翼を引きずって、木立の中に消えていく。

 しばらくその場を動くことができず、真朱は天狗の青年が去った暗がりを見つめた。

 今のは、いったい何だったのだろう。

 腰をかがめて、足もとに散らばっている羽根を拾う。どの羽根も艶がなく、ささくれているのが、薄明かりの下でも見てとれた。翼をもっていれば、羽根が抜け落ちることくらいあるだろう。だが、先ほどの抜け方は、なんというか──とても不健康な感じがした。

 もう一度、鷲比古が消えた暗がりに目をむける。

 鷲比古がケガを負って以来、験力を彼に戻す試みは休止していた。また、あれ以来、ほかの天狗たちは崖に姿をあらわさなくなった。だが、真朱の手足にあらわれたつる草のような赤い斑紋は今も消えておらず、鷲比古は験力を失ったままだ。彼が抱える問題は何一つ解決していない。

 真朱は、拾い集めた羽根をなでた。

 もしかして、魔縁葛のつるが真朱にからみついているという今の状態は、単に鷲比古が験力を使えないというだけではなく、もっと深いところで彼を蝕んでいるのだろうか。

 考えながら、崖の上に続く斜面をたどった真朱は、意識のすみで、ふっと空気が動くのを感じた。

 どうして体が動いたのかわからない。

 身をひねって飛びのいた真朱のすぐわきを、ゴオッと疾風が通り抜けた。後には、巨大な爪でえぐったような跡が地面に残った。

 再び、頭の上で風が鳴る。

(何なの……⁉)

 誰か──天狗が、真朱を攻撃している。

 真朱は風の音に背をむけて、夢中で斜面をかけ上った。その背中が、強い風に突き飛ばされる。足が浮き、崖の上を横ざまに転がる。

 擦り傷だらけになりながら、必死に身を起こした真朱は、朴の樹上に翼を広げて浮かぶ影を見た。

「あなた……!」

 黒髪の天狗──秋沙が、星明りを浴びて青白く浮かんでいる。

 秋沙が片手を振り上げる。巻き起こった風に吹き飛ばされて、再び真朱は転がった。風に触れたところが、鎌で切られたように衣ごとざっくり裂けている。

「待って、……どうして⁉」

「おまえの存在は、鷲比古に害だ」

 刃のような声が言う。

「おまえに吸い取られて、あいつの力はますます弱まっている。あれでは、飛べなくなるのも時間の問題だ。おまえなど、最初の日に殺しておけばよかった……!」

 つむじ風が押しよせてきた。真朱を包んで、押し上げ、礫や木っ端とともに、彼女を崖からはじき出す。

 真朱は強く目をつぶった。

(落ちる──!)

 どんっ、と鈍い衝撃が真朱を襲う。頭の上で、声が叫んだ。

「秋沙、おまえ、何やってるんだ!」

 崖の外で真朱を受け止めた鷲比古が、仲間を見上げて声をはりあげる。

「こいつのことは、放っておけって言ったろ。どういうつもりだ⁉」

「それは、俺が言うことだ」

 秋沙が崖の上に降り立ち、鷲比古に厳しいまなざしをむける。

「おまえ、さっきまでどこに行っていた? その娘につきあって、遊んでいる場合か!」

 ぐっ、と鷲比古がつまる。翼を羽ばたいて崖の上に降りると、真朱をわきに押しやって、秋沙に向きなおった。

「こいつを殺したって、俺に力が戻るとは限らない。そう、何度も話しただろ」

「戻るかもしれない!」

 切りつけるように秋沙が言う。

「考えられるかぎりの方法は試した。それでも、おまえに力は戻らない。それどころか、そいつに奪われていくばかりだ。あとは、そいつを殺すくらいしか、方法がないだろうが!」

 秋沙が歩みより、鷲比古の衣の衿をわしづかむ。

「太郎坊さまは、もういつお帰りになっても、おかしくない。お帰りになりしだい、験競べを執り行おうと、準備も進んでる。……わかっているのか? 験競べに負けたら、おまえ、死ぬんだぞ⁉」

(え……?)

 真朱は息をのんだ。どういうことだ?

「なんで、もっと必死にならないんだ? 近頃のおまえは、力をとり戻すのを諦めているようにさえ見える」

 鷲比古が、つとあごを引く。秋沙の声がふるえた。

「もっと必死になれよ。おまえは……大天狗だろ?」

 そのとき、どっと風が吹いた。木々の枝が怖れたようにざわめく。

 秋沙がはっと顔を上げた。

 空を見上げて、鷲比古がつぶやく。

「ジジイ……」

 真朱も見た。数人の天狗を従えて、大きな翼をもつ影が、光の粉をまとって崖を見下ろしていた。

「──太郎坊さま」

 秋沙がひざまずき、頭を垂れる。

 真朱は息を吸いこみ、大きな翼の天狗に見入った。

 これが、太郎坊──天狗の群の頭領。

 太郎坊は、赤銅色の肌をした小柄な老人の姿をしていた。

 眼光はするどく、鷲のくちばしのようにとがった鼻をしている。頭は禿げ上がっているが、白い眉とあごひげはふさふさと長い。羽ばたくたびに、大きな翼から光が散った。

 太郎坊が崖の上に降りる。ほかの天狗も後について降り立ち、ひざまずいた。崖の上に立っているのは、真朱と鷲比古、そして太郎坊の三人だけだった。

 翼を一振りすると、太郎坊は猛禽の目を鷲比古にむけた。青年の頭の上から足の先まで、まなざしを一往復させる。

「群の者たちは、おまえが験力を発現したと騒いでいたが──、そうは見えぬな。少し見ぬ間に、ずいぶんみすぼらしくなったものだ。ひとに力をとられたか」

 鷲比古がごくりとのどを鳴らす。

「ジジイ、俺は……」

「太郎坊さま!」

 ひざまずいた秋沙が声を上げた。

「力はすぐに戻ります。我らが、鷲比古に力を戻す方法を探しておりますので……」

「簡単にはいかぬだろう。……妄念の強い娘だ。身の内に、業火をもっておる」

 太郎坊が、ちらりと真朱を見やって言う。

 真朱はびくりと身をふるわせた。妄念の強い──真朱のことか?

 太郎坊が鷲比古に目を戻す。

「おまえには、驚かされることばかりだ。これほど長く魔縁葛を身に宿しながら、遊びのような験力しか発現させず、あげくにそのわずかな力すらも、ひとに奪われるとは」

 ひとつ頭をふり、続ける。

「かつて、わしは、赤ん坊のおまえの内に、目のくらむほどの我欲と執念を見た。ひとのままでは、生きてはいけぬだろうと思うほどの──。だからこそ、おまえを拾い上げて、葛の種を与えたのだ。あの輝きはどこへ行った」

「だから──、見込み違いだったんだよ」

 鷲比古が静かにほほえむ。

「ジジイ。あんた、よくよく見る目がないんだよ。後継を選ぶのは、俺が三人目だったんだろ? 前の二人と同じように、今度も間違いだったんだ」

 太郎坊がかすかに目を細める。

「どうする? 群の者たちは、明日の晩、験競べをおこなうと言っているが」

「やるよ」

 鷲比古は気負いなく言った。秋沙が声を上げるのを制して、続ける。

「これまで、ずいぶん長いこと待ってもらったんだ。ここらで決着をつけていいと思う」

「今のおまえが、わしに勝てると?」

「やってみないと、わからないだろ。明日には験力が戻ってるかもしれないし、もしかしたら、ものすごい威力がふるえるようになってるかもしれない。何より俺には、ジジイにはない若さがあるからな」

「よいのか? 後継候補のおまえが負ければ──」

 鷲比古がほほえみを深くする。

「わかってるよ。それで、いいんだ」

 太郎坊は少しの間、何かを測るように鷲比古を見つめたが、やがてうなずいた。

「よかろう。では、明日の夕刻、験競べだ」

 太郎坊が翼をひるがえす。

 供の天狗を引き連れて太郎坊が飛び去ると、崖の上には真朱と鷲比古、そしてひざまずいたままの秋沙が残った。

「……なんでだ、鷲比古」

 うめくように言って、秋沙がのろのろと立ち上がる。

「おまえ、なんで、あんなことを言った⁉ 験競べをやるなんて……!」

 鷲比古をにらむ目のふちは赤く、声には傷ついた響きがあった。

「……はじめから、こうするつもりだったんだな。だから、長老たちの準備を止めなかったんだな」

「そうじゃねえよ」

 鷲比古は、ちょっと困ったように秋沙を見た。

「これ以上、引き延ばすことに意味はないと思っただけだ。それに、やるからには、勝つつもりだぜ。伊那や翠にも、伝えておいてくれ」

 秋沙は首をふった。よろめくように後じさり、崖から飛び立つ。

 その姿が夜の中に消えるまで見つめて、鷲比古は肩を落として息を吐いた。

 真朱は呆然と立ちすくんでいた。

 頭の中では、今まで天狗たちから聞いた言葉がぐるぐると回っていた。

 大天狗。天狗とは異なる、群の長となる存在。太郎坊がひとから拾い上げて、葛の種を与えた。彼は、まさか──

「あなたは……、ひとなの?」

 鷲比古がふりむき、頭をふる。

「いや──、ひとじゃねぇだろうな。ひとには、こんな翼はないだろ」

 だけど、とひとつため息をついて続ける。

「大天狗ともいえねえかもな。魔縁葛の力を引き出すことができないんだから。……大天狗は、ひとが魔縁葛の種を得て、身の内で芽吹かせることによって転じて生まれるんだ」

 目をみひらく真朱に、肩をすくめる。

「俺は赤ん坊の頃に、太郎坊のジジイに拾われたんだ。死にかけていたところを、魔縁葛の種を与えられて、こうなった。魔縁葛ってのは、ひとの我欲とか執念を糧に育つんだとさ。魔縁葛の種を芽吹かせるほど我欲の強い生き物は、ひとだけなんだそうだ。だから天狗は、我欲の強そうなひとを選んで魔縁葛を与えて、生まれた大天狗を群の長に迎えるんだ」

 真朱は、からからにかわいたくちびるで言った。

「験競べに負けたら、あなたは死ぬって……」

「頭領の座をかけた勝負は、どちらかが死ぬことでしか決着しない。挑んだ候補者が頭領を倒せば代替わりが成るし、敗れればそれで終わりだ」

「験競べを延期にはできないの? 今からでも、頼んだらいいじゃない」

 験力が使えず、傷を負い、飛ぶことさえままならなくなっている状態で、そんな勝負に挑むなんて、無茶だ。

 だが、鷲比古は小さく笑って首をふった。

「いいんだ。いいかげんに、結論を出したほうがいい」

 そう言って、秋沙が飛び去った空を見上げる。

「俺が満足に験力を発現できないせいで、もうずいぶん長いこと験競べを先送りしてきたんだ。魔縁葛は、ひとつの種が生きている間は、新たな種をつけない。俺が生きている間は、この群は、別の後継者候補を探すこともできねえんだ」

 言葉を失う真朱をふりむき、鷲比古はどこか清々しささえただよう笑みを浮かべた。

「俺が消えれば、俺の身の内の魔縁葛も消える。そうなれば、おまえに宿ったつるもいずれ消えるだろ。おまえも、この状態から解放されるよ」

 鷲比古が崖から立ち去った後も、しばらくの間、真朱は呆然と立ちすくんでいた。

 ──験競べに敗れれば、鷲比古は死ぬ。

 どうして言ってくれなかったのか、となじりたい思いと、知ったところで何もできなかった、という無力感がないまぜになって胸に押しよせる。

 秋沙たちが、あれほど必死に鷲比古に験競べを思いとどまらせようとしていたわけがわかった。彼の生死がかかっていたのだ。

 手足に浮かんだ赤い斑紋を眺める。これが真朱の体にあらわれたのが、すべてのはじまりだった。鷲比古に宿る魔縁葛のつるが、真朱にからみつき、彼の験力を奪ってしまった。

(どうして、わたしにこんなものが宿ってしまったんだろう……)

 太郎坊の声が耳によみがえる。

 ──妄念の強い娘だ。身の内に、業火を持っておる。

(私の中の妄念……、業火……)

 思い当たるものはある。国司をはじめとする、父親の死の真相にかかわり、それを隠したひとたちへの、身を内から焼くような憤怒。

 いや、それだけではない。父親の死がただの事故ではなかったと知る以前。半年前に、父親が冷たい亡骸となって帰ってきたあのときから、真朱はずっと怒っていたのだ。突然に、唯一の家族を失った理不尽。父親の不在を埋めて、しだいに変わっていく屋形、郷、そういったもののすべてに。

 真朱の強すぎる悲憤が、鷲比古の身に宿る魔縁葛を引きつけ、彼から験力を奪っているのだとしたら──

(わたしが、この妄執を手放さないかぎり、鷲比古に験力が戻ることはない……)

 験力が戻らなければ、明日、験競べで鷲比古は確実に死ぬだろう。

 父親の死にまつわる真相追及を「手伝ってやるよ」と、瞳をきらめかせた顔。真朱を連れて、何度も崖と郷を往復してくれたことを思い出す。

 験競べまでに、せめて真朱が奪った験力だけでも返すことができれば、鷲比古に生きる道が開けるだろうか。

(だけど、今のままではだめだ。今のわたしには、この妄執を手放すことなんてできない……)

 真朱は両手を握りしめた。

 国司に会わなければいけない。

 国府へ行って、国司に会い、自分の妄執の一部にけりをつけるのだ。


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