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真朱と鷲比古

 頬を張られて、真朱の体は吹き飛んだ。地面に叩きつけられ、勢いよく転がる。

 追い討ちをかけるように、秋沙の怒鳴り声が彼女を打った。

「出ていけ! 今すぐ山を下りて、消えろ!」

 あの後──、伊那が起こしたつむじ風によって、真朱と鷲比古が武装した人々の包囲から脱出した後。すぐに、鷲比古が負傷していて、口をきくのもやっとの状態であることがわかった。鷲比古の上半身と両腕には、火傷のようなひどい火ぶくれができていて、一部は皮膚がはがれてくずれていた。

 真朱と伊那は、途中で意識を失った鷲比古を大急ぎで崖の上に担ぎこんだ。藁の寝床に寝かせて介抱しつつ、かけつけた翠と秋沙にいきさつを話したところだった。

 転がったまま、動けずにいる真朱のそばに、荒々しく秋沙が近づいてきた。真朱の後ろ衿をつかみ上げ、引きずっていこうとする。

 真朱はうめいたが、殴られた衝撃のせいか、体が動かなかった。頭がくらくらする。鼻の奥と口の中に、血の味が広がる。 

「秋沙!」

 伊那が、慌てた様子で、黒髪の天狗の前をふさぐ。

「待てよ。そいつ、どうするつもりだよ」

「捨ててくる。──どけっ!」

「待てって、秋沙」

 肩をつかんだ伊那の手を、秋沙がふり払った。

「黙れ! おまえがついていながら、このざまはなんだ! どうして鷲比古がこんなことになる?」

 忌々しげに、真朱をにらみつける。

「全部、この娘のせいだろうが! ひとなんかを近くに置くから、こういうことになるんだ。はじめから、ここにとどめるべきじゃなかった」

 真朱は頭をもたげて、力なく横たわる鷲比古を見つめた。翠に包帯を巻かれた白髪の青年は、眉間に深くしわを刻んで目を閉じている。彼のケガは、真朱の放った験力に打たれたことが原因だという。

(わたしのせい……なの?)

「秋沙、待てよ!」

 真朱を引きずっていこうとする秋沙と、止めようとする伊那が、かるくもみあいになる。

 そのとき、翠の声がぴしゃりと言った。

「あなたたち、騒ぐならよそでやりなさい。ケガ人に障るわ」

 鷲比古の体に藁をかけて、翠が仲間たちに向きなおる。

「秋沙、落ち着いて考えて。その子が、それほどまで大きな験力をふるえるようになってしまったなら、このまま放すわけにはいかないわ」

「知ったことか。これ以上、ここに置いて、鷲比古の力を取られ続けるほうが問題だ。こいつを見ろ」

 秋沙が、真朱の足を示す。括り袴の裾から伸びた彼女の両足には、腕と同様に、つる草のような赤い斑紋があらわれていた。

「鷲比古に力を戻すどころか、どんどん取られている。もっと早くに、引き離すべきだったんだ」

「そうだとしても、もう遅いわ。こうなっては、その子のことは、鷲比古だけの問題じゃない。もしかしたら、この先、群全体の脅威になるかもしれないわ。この一件、もうわたしたちの間だけにとどめてはおけない」

 秋沙の瞳に、鋭い光がひらめく。

「……長老に話すつもりか?」

 そのとき、かすれた声が言った。

「うるせーな……」

 横たわった鷲比古がうなり、薄く目を開けて、天狗たちを見る。

「鷲比古!」

 伊那が飛びつくようにかけよる。

「具合、どうだ?」

「痛てぇ」

 ぶぜんと言って、鷲比古は秋沙に目をむけた。

「はなしてやれよ。前にも言ったろ。そいつをよそにやったからって、俺の験力が戻ってくるかどうかは、わからない」

「鷲比古!」

「それに、俺のコレはそいつのせいじゃねえよ。俺がへましたんだ。……悪かった」

 秋沙が顔をゆがめて、奥歯をかむ。しばらく沈黙して、真朱を突き飛ばすように放りだした。

 翠が、藁をかぶった鷲比古の胸をぽんと叩く。

「しばらく、おとなしくしておくのね。……それと、このこと、もう上に黙ってはおけないわよ」

 ひとつ息をつき、鷲比古は「わかった」とうなずいた。

「ただ、太郎坊のジジイが帰ってくるまで、待ってくれ。それまでに、俺がそいつから験力を取り返して、験競べできるようになってれば、問題ないだろ?」

「まだ、そんなことを言うの?」

「験競べまでに解決しなかったら、俺がジジイに全部話す」

 翠はしばし渋い顔をしたが、ため息をついた。

「……わかったわ」

 鷲比古は小さく笑うと、仲間たちを見まわした。

「それじゃ、もういいよ。おまえら、帰れ。……俺も、ちょっと休む」

「ここで? ねぐらに帰らないつもりか?」

 尋ねる伊那に、鷲比古はおっくうそうに手をふった。

「さすがに、今日は飛べそうにない。それに、こんな状態をほかの奴らに見られるわけにいかないだろ。……ほら、もう行けよ。おまえらがいると、うるさくて休まらねぇ」

 行け、ともう一度手をふって、目を閉じる。

 天狗たちは、鷲比古を残していくことがいくぶん気がかりな様子だったが、しぶしぶ飛び去っていった。

 一人、忘れられたように崖の上に残った真朱は、ゆっくり立ち上がった。

 殴られた頬がしびれている。指先で触れると、口の端がぴりりと痛んだ。

 藁の寝床に近づき、そばに置きっぱなしになっていた剣を手にとる。剣を抱えこみ、ちょっとぼんやりした。立て続けにあまりにもいろいろなことが起こって、頭の中が飽和したようになっている。

「ひでぇ顔」

 ふいに声をかけられて、真朱は驚いて寝床の鷲比古を見下ろした。眠ったのではなかったのか。

「冷やしたほうがいいんじゃねえの」

 つまらなそうに言われて、包帯の余りを濡らして頬に当てる。

 しばらくの間、二人とも黙ってそれぞれの考えにふけっていたが、ふいに鷲比古がぽつりと言った。

「……あいつらには、気の毒なことをしてると思ってるんだ」

 真朱は黙って、鷲比古を見た。あいつら──伊那たちのことか。

「おまえみたいに、でっかい験力をさらっとふるえる奴が大天狗だったら、よかったのにな。……いっそ、おまえが験競べに出るか。あれだけ験力がふるえれば、太郎坊のジジイにも勝てそうだ」

 返答のしようがなく、真朱は黙って鷲比古を見つめた。淡々とした横顔が、どこか痛々しく見えた。

「……おまえ、帰ってもいいぞ」

 はっとなった真朱に、鷲比古が物憂げに言う。

「今日、川辺で、郷の奴らに会えたんだろ? そのまま逃げればよかったのに」

 真朱は瞳を揺らした。昨日までの彼女だったら、そうしていたかもしれない。吉丸や叔父とのやりとりを思い返す。ややあって、低く言う。

「……今はまだ、帰れないわ」

 不思議そうに首を上げた鷲比古に、ちょっとためらってから話す。死んだ父親のこと。岩の下から掘り出した剣のこと。叔父のこと。

 鷲比古は黙って聞いていたが、真朱が話し終わると、剣を取りあげてしげしげと眺めた。

「こいつを、天狗がやったって? へえ……」

「あなた、天狗なのに、知らないの?」

 真朱はちょっと裏切られたような気持ちになったが、鷲比古はあっさり言った。

「はじめて聞いたな。あの峰の杉が互いの領分の境界だってのは、知ってるが」

 剣を真朱に返し、鷲比古が頬杖をつく。

「しっかし、父親はもう死んじまってるんだろ? そんなにこだわることなのか?」

「だって……! 父さまは殺されたんだよ? どうして殺されたのかも、誰に殺されたのかもわからないのに、なかったことになんて、できないよ!」

 父親のことを考えると、胸の奥を熱く重苦しいものがうごめく。真朱はきつくくちびるをかんだ。

 ふうん、と鷲比古があやふやに相づちをうつ。

「父親か……。そういや、ひとは産みの親が一緒に暮らして子どもを育てるんだよな」

「……たいていは。そうじゃないことも、あるけど。天狗は違うの?」

「群全体で面倒をみる。いちおう、どれが誰の子どもかはわかってるけど、あんまり気にしないな。……ああ、そうか。ひとは一年中、いつでも子どもが生まれるんだよな」

 天狗は春に卵で生まれ、いっせいにかえるという。

 真朱は目をまるくした。まるで鳥だ。

「あなたも、そうなの?」

「俺の場合は、太郎坊のジジイが親みたいなもんだな」

 しっかし、と鷲比古が危ぶむように見る。

「真相を確かめるって、どうするつもりだ? 郷に帰ったほうが、調べやすいんじゃねえの?」

 真朱は口を結び、目を伏せた。今のところ、手立ては何も思いついていない。けれど、真朱の問いを、叔父が表情ひとつ変えずに退けたことを思い返せば、郷に帰って事実を調べることは、郷の外から探るより、もっと難しく思えた。

「ま、いいか。おまえがここに残るなら、手伝ってやってもいいぜ」

「え……?」

 思いがけない言葉に、真朱は驚いて目を上げた。

「どうして……?」

 そんなことをしても、鷲比古が得るものなど何もない。それに、黒髪の天狗の秋沙などは、真朱がここにい続けること自体、反対しているようだった。

 だが、鷲比古は腕白な子どものように瞳をきらめかせた。

「面白そうじゃねえか。それに、またおまえに癇癪おこされて、雷電ぶっ放したり、火事をおこされたりしたら、迷惑だからな」

 真朱は口を開き、何も言えずに再び閉じた。何か言ったら、感情がこぼれてしまいそうだった。目のふちが潤むのを感じて、真朱はひざの上に顔を伏せた。


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