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真朱と叔父

 夕映えの中を、先導する伊那は峰を越え、細い川に沿って飛んだ。静川の支流をさかのぼっているようだ。

 鷲比古にしがみついて空を運ばれながら、真朱は眼下を流れていく山河の眺めに、つと眉をよせた。このまま進むと、昨年、開墾が中断された川沿いの谷に出る。

 開墾が頓挫したのは、天狗による妨害が原因だと聞いていた。尾栗郷を除く周辺の郷が共同して、新たに溜池をつくり、田を開こうとしたのだが、天狗に邪魔されて作業を進められなかったらしい。もっとも、開墾しようとした場所は、もともと天狗の領分とされている一帯の内だったのだが。

(誰が入りこんだんだろう。去年、あそこの開墾にかかわった人たちが散々な目にあったことは、みんな知ってるはずなのに……)

 まもなく、はるか前方に、いくつもの翼が羽ばたいて群れているのが見えてきた。

「あそこには連れていけねえぞ。そのへんに下ろすから、待ってろ。帰りに拾ってやる」

「待って!」

 降下をはじめた鷲比古に、真朱は地上をのぞきこみながら言った。川沿いに連なる灌木の下に、木陰をぬうようにして郷のほうへ向かって歩く数人の姿が見えたのだ。

「あの近くに下ろして!」

 歩いている人たちの視界に入らないよう、木立をまわりこんで、少し離れた窪地に下ろしてもらう。鷲比古たちが飛び去ると、真朱は剣をしっかり抱えなおし、藪をかきわけて先ほど見つけた人々のもとへ走った。

 野良道具をかついで急いでいた人々は、草むらから突然飛び出してきた娘に、腰を抜かさんばかりに驚いた。だが、あらわれたのが真朱だとわかると、歓声を上げてとり囲んだ。皆、子どもの頃から彼女をよく知る、尾栗郷の男たちだった。

「本当に嬢ちゃんか? 幽霊じゃないよな?」

「天狗にさらわれたって聞いて、みんなそりゃあ心配してたんだよ。いやぁ、よかった……!」

 口々に無事を喜ぶ言葉をかけられ、真朱は胸が熱くなった。久しぶりに心がほぐれるのを感じて、思わず涙ぐむ。

 男の一人が、いたわるように言う。

「運がよかったよ。こんなところにいるとは思わなかった。みんなで嬢ちゃんを探したが、ぜんぜん方向違いのところを探していたよ」

 真朱は涙をぬぐい、笑顔で人々を見まわした。

「みんな、どうしてここに? この一帯は、天狗の領分でしょう?」

「この先の谷に、今度はうちの郷で、新しい溜池と田んぼを開くことになったんだよ」

 土で汚れた顔をこすって、男の一人が言った。目をみはった真朱に、うなずいてみせる。

「驚くだろう。去年、よその連中が失敗したばかりだもんな。だが、都から来た殿さまが、わしらに天狗除けのまじないを授けてくださってな」

 衣の下から、紐で首にかけた小さな木札を引っぱり出して見せる。

「どれほど効き目があるのかわからんが、ひとつ、試してみようということになったんだ。どうも国司さまや、宇治の長さまの意向らしくてな。郷長どのも、なかなか逆らえんのだろう」

 真朱の顔から笑みがひいた。では、叔父も承知のうえなのか。

(叔父上、どうして……?)

 前の郷長だった真朱の父親は、古くからこの地に暮らす者として、古の約定を尊び、ひとと天狗の領分の別を守ることに重きをおいてきた。そのことを、叔父が知らないはずはないのに。

 そこへ、感極まった声が飛んできた。

「ま、真朱さま……! そこにいらっしゃるのは、真朱さまですか……?」

 農具を担いだ吉丸が、顔をゆがめてかけよってきた。

「おお……、案じておりました。よかった、ご無事で……! おケガはありませんか? 天狗どもにひどい目にあわされたりはしませんでしたか?」

 吉丸が泣きながら、真朱にすがりつく。

 真朱はひざをついて、老爺の肩を抱いた。

「大丈夫だよ、じい。心配かけて、ごめんなさい」

「ほんによかった……。香与さまなど、あれから毎日泣いておられて……」

 鼻をすすって、吉丸が言う。

「旦那さまも、後からすぐに来られます。真朱さまのご無事な顔を見たら、どんなにかお喜びになるでしょう」

「叔父上がいるの?」

 真朱は、はっとして、吉丸の背後に目をむけた。

 男の一人が、頭上を気にしながら言う。

「天狗に見つからないよう、数人ずつに分かれて郷へ帰ることにしたんだよ。さあ、おまえさん方もそろそろ行こう。まじないに効き目があったとしても、天狗なんかに遭わずにすむなら、それにこしたことはないからな」

 男たちが、真朱と吉丸をうながす。

 だが、真朱はちょっとためらってから、きっぱりと首をふった。剣を抱える腕に力をこめる。

「みんなは先に帰って。わたし、叔父上のところに行ってくる。急いで会って、きかなきゃいけないことがあるの」

 男たちが心配そうにしながらも行ってしまうと、真朱は残った吉丸にむきなおった。

「じいにも教えてほしいことがあるの。じいと叔父上が、父さまを見つけたときのことよ」

 真朱は、抱えていた剣を吉丸に見せた。老爺ははじめきょとんとしたが、すぐに顔を強張らせた。みるみる青ざめる。

「こ、これは……」

「あの日、父さまが持っていった剣だよ。わたし、あの岩の下から掘り出すことができたの。これを見て」

 真朱は、鞘から剣を抜き出した。白銀色の刃にこびりついた赤黒い汚れを示す。

「この汚れ、血だよね? 誰かが、この剣を血で穢したんだわ。父さまじゃない。父さまが、そんなことするわけないわ。……それから、こっちも見てほしいの」

 鞘の中ほどについた黒いしみを見せる。

「これ、鞘を握った手のあとだと思うの。でも、父さまの手じゃないわ。あの日、ほかの誰かが、血のついた手でこの鞘を握ったのよ。もしかしたら、そのひと、父さまが死んだとき、その場にいたのかも。ねえ、じい。じいと叔父上がかけつけたとき、誰か見なかった? もしも誰かがいたなら、父さまがどんなふうに亡くなったのか、聞かせてもらえるかもしれない」

 吉丸は、今やがたがたとふるえていた。顔色は蒼白で、大粒の脂汗をかいている。

 真朱は眉をひそめた。

「じい……?」

「もっ、申し訳ありません……!」

 がばっ、と吉丸がその場にひれ伏す。

「じい? いったい……」

「よくないことであるのは、わかっておりました。……ですが、お止めする間もなかったんでございます。後になっては、とりかえしようもなく……。わざわざお話しして、心痛をおかけすることも心苦しく……」

「……どういうこと?」

 真朱は低い声で尋ねた。ただごとではない吉丸の様子に、不安が足もとからじわじわとはいのぼってくる。

「……刺し傷が、あったのでございます」

 吉丸は、地面に額をこすりつけたまま言った。

「わしと旦那さまがかけつけたとき、父上さまはすでに亡くなられていました。それは本当です。……ただ、その体には刺し傷があったのです」

 真朱は息を止めた。あたりの音が遠のく。その中で、吉丸の声だけが聞こえてくる。

「腹から背中まで貫く、深い傷でございました。血が……たいへんな量の血が流れていて、あの傷が父上さまの命を奪ったのは、間違いありません」

「父さまは、誰かにこの剣で刺されたの……?」

 真朱は懸命に冷静になろうとした。父親が亡くなった日のことを、必死に思い出す。

「でも……、でも、父さまの体に、そんな刺し傷はなかったよ。わたし、父さまの体を清めたときに、見たもの。落石に当たってできた傷はあったけど、刺し傷なんてなかったわ」

「旦那さまが、傷を隠したのです。その……刺し傷を、上から岩でえぐって……」

 真朱は呼吸をふるわせた。

「……叔父上は、どうしてそんなことを……?」

「わ、わかりません。どうしても、そうしなければならないと……。郷を守るためだとおっしゃって……」

 真朱は呆然として、ふるえる吉丸を見つめた。

「このことは、決して誰にも話してはいけないと言われました。郷のためであり、父上さまのためでもあると……。申し訳ありません……!」

 真朱は剣を鞘におさめると、きつく抱えた。ふらりと立ち上がる。

「真朱さま……?」

「……叔父上にききます。どうして、そんなことをしたのか」

 なぜ、実の兄の亡骸を傷つけるようなまねをしたのか。その死が殺人だったことを、なぜ隠そうとしたのか。

「ま、真朱さま、お待ちください……! 真朱さま……!」

「はなして!」

 袖にすがりついてくる吉丸を、真朱はふり払った。

 どうして、という問いかけが、頭の中でぐるぐると渦巻く。

 ──どうして父親は殺された? どうして叔父はそれを隠した? どうして真朱に何も話してくれなかった? 

問いかけの一つひとつが、真朱の胸を、腹を焦がす。身体の内で、炎のかたまりが暴れまわっているみたいだ。

「真朱……?」

 目をむけると、叔父の継貞を先頭に、木叢の下を数人の郷の人々が歩いてくるところだった。

 継貞が顔いっぱいに笑みを広げる。

「真朱……、真朱か⁉ おまえ、無事だったか……!」

 だが、真朱は、叔父の姿に喜びを感じることはできなかった。燃える瞳で歩みより、剣をつきつける。

「おしえてください。どうして父さまの体を傷つけたの? 父さまを殺したのは、誰なんですか? 叔父上は、どうしてそれを隠したの⁉」

「真朱……? 何を言っている」

 継貞の後ろに続いていた郷の人々が、怪訝そうにざわめく。眉をよせた継貞が、真朱が持つ剣に目をとめた。

「これは……、もしや、あの剣か⁉」

 真朱はうなずき、鞘から剣を抜いた。

「岩の下から、掘り出したんです。この剣、血で汚れているの。それに、鞘には誰かの手のあとがあります。父さまのじゃないわ。あの日、血のついた手で、この鞘を握ったひとがいたのよ……!」

 真朱は声をふるわせた。

「おしえてください。父さまは、この剣で殺されたの? 父さまを殺したのは、誰⁉」

「やめないか」

 継貞が、まなざしを険しくする。

「兄上は──おまえの父親は、殺されたりなどしていない」

「嘘! それなら、なぜ叔父上は、父さまの体を傷つけたりしたの? 吉丸から聞きました。 傷の上に傷を重ねて、刺されたあとを隠したって……!」

 継貞が一瞬、吉丸にするどい視線をむける。

「……何のはなしだ。わたしは、そんなことはしていない」

「叔父上……!」

 真朱は、失望に目の前が暗くなるのを感じた。なぜ、話してくれないのだ。

 継貞が、声の調子をやわらげて言う。

「たいへんな目にあったな。おまえが無事に戻ってよかった」

 大きな手で、真朱の肩を叩いて続ける。

「安心しろ。もう二度と、天狗にあんなことはさせんぞ。藤原さまが、徳の高い寺から魔性のものを調伏するための呪符を取りよせてくださったのだ」

「呪符……?」

 先ほどの男たちが、まじないと呼んでいたことを思い出す。彼らが首から下げていた、あの木札のことだろうか。

「藤原さまのお力添えを得て、国司さまは、本気でこの地から天狗を追い払うおつもりだ。もう、天狗どもの勝手にはさせん」

 それで、再び谷を開墾しようとしているのか。

 たしかに、真朱たちはずっと天狗を畏れてきた。けれど、もし父親が生きていたら、そんなやり方をよしとしただろうか。そして、その父親はおそらく殺され、真相について何かしら知っているらしい叔父は、真朱の問いに答えようとしない。

 継貞が真朱に手を伸べる。

「早く郷へ帰ろう。香与たちも、おまえの顔を見たら喜ぶぞ。ずっと心配していたからな」

 真朱はきつく目をとじ、後じさった。

「真朱?」

「……帰れません」

 剣を抱きしめて、真朱は首をふった。

 継貞がいぶかしそうに眉をよせる。

「真朱、何を言っている?」

「だめよ。だって……」

 一瞬、言葉をつまらせ、叔父を見つめて一息に叫ぶ。

「父さまが、なぜ殺されたのかを知るまでは、わたし、帰れない……!」

 数十もの稲妻を束ねたような光がひらめき、とどろきがあたりを飲みこんだ。



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