郷長の家に伝わる剣
岩のてっぺんが、夕日を浴びて黄金色に輝いている。高く積み重なった巨岩は、急峻な細い山道を壁のようにふさいでそびえていた。
「──ここか?」
岩の上に立った鷲比古が、周囲をぐるりと見まわす。
道端からそれを見上げて、真朱はうなずいた。
壊したいものはないかと問われて、頭に浮かんだのが、尾栗郷から北の峰へ登るこの山道をふさぐ岩だった。
この落石が、真朱の父親の命を奪った。同時に、山道を埋めた岩は、長の家に伝わる宝剣を飲みこんでいた。父親の遺体はこの岩のそばで発見されたが、彼が携えていたはずの剣は、その後、郷の人々が周囲をどれだけ探しても見つからなかったのだ。おそらく、岩の下敷きになって埋まってしまったのだろうと言われていた。
鷲比古がつまらなそうに言う。
「どうせなら、うんと派手に壊れそうなものにすりゃいいのに。こんなでかい岩、ちょっと雷を落としたくらいじゃ、びくともしないぜ」
それでいいのだ。真朱だって、まさか本当にこんな巨岩を壊すことができると思ったわけではない。そもそも、真朱に落雷などおこせるわけがないのだし。
ただ、松の木が真っ二つになったように、もし、この巨岩を砕くことができたら、岩の下のどこかに埋まっている剣を探すことができるかもしれない。壊したいものを問われて、ふと、そんな考えが浮かんだのだ。
だが、鷲比古は翼を羽ばたいて道に下りてくると、腰に手をあてて言った。
「それじゃ、やってみろよ」
「え?」
戸惑う真朱に、岩にむかってあごをしゃくる。
「え、じゃないだろ。早いとこ、雷を落とすところを見せてみろよ。そのために来たんだから」
真朱は困惑して首をかしげた。
「あの、何度も言うようだけど、わたし、雷なんて──」
「うるせぇなあ。ごちゃごちゃ言ってないで、さっさとやれよ」
鷲比古が、真朱の背中を岩のほうへ押しやる。
はずみで二、三歩よろめき、真朱はため息をついた。ちっともひとの言うことを聞いてくれない。うっかり同情心をおこして、「できることはないか」なんて、言うのではなかった。
真朱はしぶしぶ岩に近づいた。ちょっと迷い、手をのばして岩に触れてみる。氷のように冷たい。
発見されたとき、父親はこの大岩のそばに倒れていたという。
胸の奥がざわめくのを感じて、真朱は平静をたもとうとした。岩に触れていた手を握りしめる。
父親とともに失われた剣は、かつて尾栗郷が開かれたときに、先祖が天狗から手に入れたものだと伝わっていた。この言い伝えは郡内によく知られていて、郷の人々のささやかな自慢だった。それだけに、剣が失われたことを嘆く声は、いまだに郷の中で大きい。
(本当にこの岩を砕く力が、わたしにあったらいいのに……)
父親は戻らないが、せめてあの剣をとり戻すことができれば──
次の瞬間、胸の奥で熱がふくれ上がり、頭の中で痛みがはじけた。
とどろきが空気をふるわせ、大地がゆれる。土ぼこりが吹き上がり、あたりが茶色に染まる。
立ちすくんだ真朱は、後ろから肩をつかまれて引き倒された。体の上に何かがおおいかぶさる。鷲比古の翼だと気づいた直後に、礫や土ぼこりが猛烈な勢いで吹きつけてきた。
風と砂礫が、この世の終わりかと思うような音をたてて通り過ぎていく。
翼の外で吹き荒れる恐ろしい音を、真朱は羽根につつまれた暗がりの中で呆然と聞いた。
しばらくして、ようやくあたりが静かになる。鷲比古が翼を持ち上げると、羽根の間からさらさらと砂が落ちた。
翼のかげから頭を出して、真朱は目を疑った。
(え……?)
視界がくもるほどの土ぼこりが舞っている。そのむこうに、山道をふさいでいた巨岩が消えて、ぽっかりと空間がひらけているのが見えた。夕日が射して、空中を舞う土ぼこりが黄金色にきらめいている。
真朱は引かれるように立ち上がり、つい先ほどまで岩が積み上がっていたところに踏み入った。一歩進むごとに、厚く積もった砂礫に足首まで埋まる。
頭の中がしびれたようにぼんやりしている。目にしているものがとても現実とは思えず、真朱はあたりを見まわした。ひと抱えほどの大きさの岩がいくつも転がっている。あの巨岩が砕けたのだろうか。
ほこりを吸いこんで、真朱はむせた。のどを刺す痛みに、目が覚めたようになる。
(これ……夢、じゃない……!)
真朱はその場にひざをついた。両手で砂をかき、猛然とあたりを探る。
「……何やってんだ?」
不審そうに声をかけてきた鷲比古に、真朱は飛びつくように言った。
「剣があるはずなの……!」
両手を肩幅くらいに広げてみせる。
「このくらいの長さの剣が、どこかに埋まってるはずなの。お願い、探して……!」
はあ? と鷲比古が不可解そうに言うのが聞こえたが、かまわず、あたりの砂をはらってまわる。
口の中が、土ぼこりでざらざらする。目にも砂が入って、涙が出てきた。目の前が歪むのが涙のせいなのか、それともほこりで呼吸が苦しいせいなのか、わからなくなってくる。
砂の中を探った手が、固いものに触れた。夢中で砂を掘り、引っ張り出す。あらわれたのは、見覚えのある古びた革の鞘だった。
(あった……!)
父親が携えていった剣の鞘だ。だが、一瞬輝いた真朱の顔は、すぐに困惑にくもった。
飾り紐のついた褐色の革の鞘は、空だった。鞘の中におさまっているはずの剣がない。
(どうして……?)
そのとき、背後で鷲比古が言った。
「おい、剣って、これか?」
ふりむくと、割れた岩のそばにしゃがみこんだ鷲比古が、長い柄のついた剣をぶら下げていた。
まろぶようにかけより、剣をひったくる。おい、と不満そうに鷲比古が言うのを無視して、衣の袖で土ぼこりをぬぐった。白銀色の冷たい光があらわれる。剣の背には、波のような紋様が刻まれている。間違いない。郷長の家が伝えてきた剣だ。
歓声を上げかけて、真朱はぎくりとした。
剣の切っ先から中ほどまでが、赤黒く汚れている。
(これって……)
「血だな」
わきからのぞきこんで、鷲比古が言う。
たしかに、こびりついた赤黒い汚れは血のあとのように見える。まるで、生き物の体に深く突き刺した後、血糊を拭きとらずに放置したみたいだ。
「どうして……?」
真朱は混乱してつぶやいた。
この剣は、屋形でもっとも神聖なものとして、畏敬をもって扱われる品のひとつだった。あらゆる穢れから遠ざけて保管し、持ち出す際には決して損なわれることのないよう、最大限の注意をはらう。血で汚し、しかもそのまま放置するなんて、あり得ない。
混乱したまま鞘に目を移した真朱は、その革の真ん中あたりにも黒いしみがついていることに気がついた。くっきりしていて、古い汚れではなさそうだ。左手の五本の指で鞘を強く握ったあとのように見える。
しみをなぞり、ふいに真朱は息をのんだ。
(……これ、父さまの手のあとじゃない)
真朱の父親は、若い頃にケガをして、左手の薬指と小指がなかった。父親には、五本の指のあとをつけることはできない。それに、この黒い汚れは血ではないだろうか。
(どういうこと……?)
不穏な予感に、鼓動が速くなる。
この剣と鞘は、つい先ほどまで、ずっと岩の下に埋まっていたのだ。だとすれば、この汚れがついたのは、落石で埋まる前ということになる。
剣と鞘が、離れたところに埋まっていたのも不可解だった。鞘には飾り紐がついていて、剣をおさめたときに柄に結びつけるようになっている。剣がきちんと鞘におさまっていたなら、たとえ落石や先ほどの巨岩が吹き飛ぶような衝撃があったとしても、こんなふうにばらばらになったりするはずがない。
だとすると、落石があったとき、剣は鞘から抜かれた状態で、しかも血で汚れていたのだ。そして鞘は、父親ではない誰かが、血に汚れた手で触れていた。
(父さまが落石にあったとき、ほかに誰かがいた……?)
父親が亡くなったあの日。帰りが遅いのを心配して山へ様子を見に行き、父親の亡骸を見つけたのは、叔父と下男の吉丸だった。彼らは何か知らないだろうか。確かめなければ。
剣を鞘におさめて、真朱は立ち上がった。鷲比古をふりむく。
「ねえ、わたし──」
そこへ、慌ただしい羽ばたきの音が降ってきた。
「鷲比古、探したよ!」
声とともに、突っこむように伊那が下りてきた。よほど慌てているのか、たちこめる土ぼこりや、割れた岩が散乱する不自然さにも、気づかないようだ。
「ちょっと来てくれないか。郷の連中がまた大勢入りこんでいるのを、若い連中が見つけたんだ」
真朱は、息をのんだ。数日前、天狗に襲われていた叔父や郷の人々の姿が浮かぶ。
「追い散らそうとしたんだけど、どうもいつもと様子が違うみたいでさ。鷲比古に来てほしいって言って、あいつらきかないんだ」
「……しょうがねえな」
息をついて、鷲比古が翼を広げる。
「わたしも行く!」
怪訝そうにふりむいた鷲比古に、剣を強く握りしめて真朱は言った。
「お願い、わたしも一緒に連れていって!」
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