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恋と法廷のカプリッチオ  作者: 望月麻衣
4/4

やっぱりどうしても気になる彼


「それじゃあ、どこに行こうか」

 ビルを出て夜のオフィス街を歩きながら、少し楽しげにそう尋ねる柿崎さんに、

「あの、ちょうど行ってみたかった店があったんですが、そこでもいいですか?」

 バッグの中からスマホを出して、割引チケット画面を見せる。

 クーポンには『BAR カプリッチオ』の文字。

「バー?」

 画面を覗き込み意外そうな声を上げる彼に、「はい」と強く頷いた。

「私、お洒落なバーに強い憧れを持ってまして。よく友達と『素敵なバー巡り』をしていたんですけど、その友達も結婚しちゃって、なかなか行けなくなって」

 憧れの人も仕事帰りにバーで一杯がストレス解消と言っていたように、カッコイイ女弁護士には、やっぱりお洒落なバーだ。

 仕事を終えた後、『ハーッ、疲れた』って様子でカウンター席に座って、まとめていた髪をバサッとほどきながら、バーテンダーにマティーニを頼もうとすると、

『どうぞ、いつものですよ』

 笑みを浮かべながらマティーニを差し出すマスターに、『ありがと』と笑みを返す。

これをやりたいが為に、自分が常連になれそうなバーをあちこちで探しているんだけど、なかなか見付からない。

 このチケットのバーは写真の雰囲気ではすごく良さそうだから期待できそうと思いつつ、初めての店に一人では入れなかったり。

 こんなヘタレではカッコイイ女とは程遠いんだろうけど。

 一人でバーに入ったのは、例の夢が叶ってフラれたというあの日だけだ。

「それじゃあ、そのバーで乾杯しようか。穂波ちゃんはお腹すいてないの?」

「デスクでパンとか食べてたんで、あまりすいてなくて。あっ、柿崎さん、お腹すいてました? バーなら食べられないですよね」

「いや、俺もコンビニのおにぎり食べたりしてたから平気だよ。それじゃあ今夜はカクテルで乾杯しようか」

「はい」


チケットを確認しながら、BAR『カプリッチオ』に向かった。



「へぇ、それで『カプリッチオ』か、なるほどなぁ」

 カプリッチオの店内に入り、カウンター席に座りながらそう告げた柿崎さんに、

「えっ?何が『なるほど』なんですか?」

 と私はキョロキョロと店内を見回した。

 ドラマに出てきそうなムーディな雰囲気で、私的に合格な店だけど、『カプリッチオ』という言葉を連想させるオブジェは何もない。

「BGMだよ」

「BGM?」

 バーに流れるのはジャズ。

「……クラッシックをジャズにアレンジしたBGMですね」

「クライスラーのウィーン奇想曲のジャズバージョン。奇想曲……つまりはカプリッチオが流れてたから、なるほどなって」

「あー、ああ、なるほど」

 全然分からなかった。

 こういうことをサラッと答えられる柿崎さんって、ちょっとカッコイイ。

 確か柿崎さんって、お父さんも弁護士で、つまりはお金持ちのお坊ちゃん。

 家でもクラッシックとか聴いたりしてるのかな?

 休日は家でクラッシックを聴いてる若手弁護士……。うん、いいじゃない。

 私も今度の休みはクラッシックを聴くことにしよう。

 トルコ行進曲でいいよね?

「何になさいますか?」

 自分の世界に浸っているとカウンター越しからマスターにそう尋ねられて、驚いて顔を上げた。

「あっ、私はマティーニで」

「僕はソルティードッグで。穂波ちゃんはマティーニが好きなんだ?」

 そう訊ねる柿崎さんに、思わず髪をはらって流し目をし、「ええ、好きよ」と頷いて見せる。

「あれ……そんな喋り方だった?」

「あら、ごめんなさい」

 ふふふ、と笑って見せると、柿崎さんは不思議そうに顔を覗く。

「穂波ちゃん、飲む前から酔ってる?」

「やだ、柿崎さんったら。あっ、カクテルが来た。乾杯しましょ」

 そう言ってグラスを手に「乾杯」と合わせて、マティーニを口に運んだ。

 ううっ……残念なことに、正直美味しいとは思わないけど。

 居酒屋の青りんごサワーやカルピスサワーの方が好きなんだけど。

「で、今日の裁判、相手は誰だったの?」

 そう訊かれて、ゴホゴホとむせた。

 お、思い出させないでほしい。

「……久住です。久住周」

 顔をしかめてそう告げると、柿崎さんは愉快そうに笑った。

「あー、穂波ちゃんの鬼門だ。確か彼だよね? 記念すべきデビューの相手で、思い切り大敗したのは」

「はい」

「デビューの日、緊張して書類を落としたり、何もないところで躓いたり大変だったんだよね?」

「ああ、それはもう言わないでください」

 あの時の久住の冷ややかな目が忘れられない。

 正直、勝てるような裁判だったのに、私のふがいなさで、大敗してしまった。

 それから、負け癖がついたように思える。

「ごめんごめん」

 柿崎さんは笑い、「おっと、驚いた噂をすれば」と扉の方に目を向けて驚いたように呟いた。

「えっ?」

 そこに現れたのは、まさに噂の久住周と美人秘書・茜さん。

「久住くん、メガネかけてない姿初めて見た。これまたイイ男だね」

「…………」

 奴が検事としてのトレードマークのメガネをはずしているのは、プライベートな時間である証拠。

 つまり秘書である茜さんと、仕事ではなくプライベートな時間を過ごしているということ。

 茜さんをエスコートするように歩く。

「美男美女だなぁ」

 小声でそう告げた柿崎さんに、言葉が出なかった。

 本当にお似合いな二人。

 店内の客たちも、スマートな二人の姿に釘付けだった。

 そんな久住はこちらをチラリと見て、不敵な笑みを浮かべた。

 やべ、見付かった。

 って、こんな狭い店なら当然だろうけど。

 何か嫌味なことを言われるかと覚悟するも、久住は何も言わずにこちらからは反対端のカウンター席に腰を掛けた。

 ああ、良かった、嫌味なことを言われずに済んだ。

「そういえば、穂波ちゃん、新しい仕事頼まれた?」

 思い出したようにそう尋ねて来た柿崎さんに、我に返って「はい」と頷く。

「離婚裁判です」

「俺も今、離婚を抱えてる。離婚裁判って結構凹むよね」

「そうなんですよね」

 柿崎さんと他愛もない話しながら、久住が気になって仕方がない。

 だって、柿崎さんの向こう側にいるから、どうしても目に入ってしまう。

 綺麗な久住の横顔。

 向こうは、こっちに顔見知りがいるなんて様子も見せずに、茜さんと楽しげに話している。

 久住は煙草に火をつけて、煙をくゆらせていた。

 なんだか、付け入る隙がないほどにお似合いで、大人の世界って感じだ。

 どんな話をしているのだろう?

 いやいや、柿崎さんと話しながら会話が頭に入ってないなんて、私はどこまで久住を意識してるんだ。

 ああ、本当に……あいつは色んな意味で私の鬼門。

 あんな出会いをしてなければ、こんなに意識もしなかったのに。

 そんなことを思いつつ、柿崎さんと世間話を続けていると、茜さんが『それじゃあ、お先に』という様子で立ち上がり店を出て行った。

 あれ、茜さん、帰っちゃった。

 用事でも思い出したのかな?

 久住は帰らないの?

 不思議に思いながら、チラリと視線を送ってみる。

 久住は涼しい顔でタバコを手に、マスターと楽しげに話していた。

 マスターと親しげだ。

 もしかして、この店の常連なのかな?

 私もこのお店気に入ったから、これから足繁く通って常連になろうと思ってたのに。

 注文する前に「いつものですね」ってマティーニ出してもらえるまでになりたいと思ってたのに。

 ……思えば、久住もバーが好きなのかもしれない。

 あの夜、初めて出会ったのもバーだった。

 そこまで思い、嫌なことを思い出した、とかぶりを振った。

「どうしたの、穂波ちゃん、酔った?」

「あっ、少し」

 そう答えたとき柿崎さんのスマホが鳴動し、

「ごめん、ちょっと失礼」

 と電話を手に店を出て行った。

 カウンター席の端と端に残されたのは、私と久住の二人。

 ……まぁ、少し気まずいけど、この距離なら平気。

 そう思っていると、

「これは申し訳ないですね。負け試合のうっぷんを晴らしているところに顔を見せたりして」

 まるで機会を待いたといわんばかりに嫌味な言葉が届いた。

「いえ、もうすっかりいい気分になったので、大丈夫ですから。お気遣いなく」

 久住の方を見ないようにしながらそう答える。

 ……やっぱり久住は苦手だ。

 あの目に見られると、自分が自分じゃなくなるみたいに動揺する。

 これ以上話しかけないでというオーラを全開にカクテルを口に運んでいると、柿崎さんがカウンターに戻るなり、

「ごめん、穂波ちゃん。俺、ちょっと仕事に戻らなきゃなんなくなったよ。ゆっくり飲んでて」

 そう言ってスッとカウンターに万札を置いて、こちらの返事を聞くことなくバタバタと店を出て行った。

「えっ、柿崎さん」

 手を伸ばしたときには、彼の姿はもうなくなっていた。

 どうしよう。

 連れに先に帰られて、カウンターに一人。

 残されたのは私と久住って、これじゃあ、あの夜の再現みたいじゃないか。

 私も帰らなきゃ。

 どうしよう、とアタフタしていると、久住がゆっくりと立ち上がり、身体がビクッとした。

 こっちに歩み寄ってくる。

 ドキドキと鼓動がうるさい。

 久住は隣に来て、

「今の……同じ事務所の柿崎弁護士ですよね? 付き合ってるんだ?」

 と少し楽しげに尋ねた。

 付き合ってないし、ありえないけど。

「あ、あなたには関係ないです」

「ふぅん、そんな態度取るんだ?」

 まっすぐに見据えられて、妙な汗が出る。

「柿崎弁護士は若手のエースだしイイ男ですよね。ヒヨコちゃんもボーッとしてるようで、しっかり有望株を捕まえるわけだ」

「変な言い方しないでください。そんなんじゃないし、彼に失礼ですよ」

「彼に失礼?」

「か、柿崎さんは私のこと、ただのダメな後輩としか思ってませんし」

 彼はいつも『見てられないなぁ』って感じでフォローしてくれる。

 私自身も、そんなお兄さん気質な彼に頼ってしまうダメな部分があったり。

 そんなこんなでお互い恋愛感情なんてない上、私みたいなダメ後輩とデキてるなんて、そんな風に見られるのは、きっとエース柿崎さんとしては不本意極まりないだろうし。

「ふうん、切ない片想いってやつですか?」

 マティーニを口から吹きそうになった。

 違うって。

「そんなんじゃありません。私は今、恋愛どころじゃないんで」

 そう、一人前とはいわないけど、半人前くらいにはなりたい。

 今の私は3分の1人前だ。

「それじゃあ、あの夜……」

 そう言いかけられて、遮るように顔を上げた。

「あ、あの夜のことを言うのは、やめてください! 忘れたいんです!」

 弾かれたように顔を上げて言い放つと、彼はムッとしたようにこちらの手首をつかんでグッと引き寄せた。

「へえ、言ってくれますね」

 すぐ目の前にある久住の整った顔に、尋常じゃないほどに鼓動が打ち鳴らす。

「ちょっ、やめてください」

 ドキドキと心臓の音がうるさい。

 高級そうなフレグランスの香りと、タバコの匂い。

 ――大人の男の匂い。

「そ、そういえば久住さん、タバコ吸うんですね。知らなかったです」

 やや強引に話題をすり替えると、

「ああ、とっくにやめたんだけど、たまに吸うんです。イライラした時だけ」

 と素っ気なく答えた。

 イライラした時……?

 茜さんが先に帰ったところを見ると、もしかして喧嘩でもしてたんだろうか?

 もしかして、それで今、私は八つ当たりされてるわけ?

 そんなのごめんだし、障らぬ神に祟りなしだ。

「私、帰ります。すみません、お会計を……」

 マスターに手を上げて、そそくさと会計を済ませ、

「では、お先に失礼します」

 会釈もせずに逃げるように店を出た。


 ビルを出て駅に向かって歩いていると、

「待って」

 久住に背後から手をつかまれた。

「な、なに?」

 心臓が口から出そうなほどに驚いて振り返ると、久住は真剣な瞳でこちらを見詰めている。

 しっかりとつかまれた手首が熱い。

「やめて、なんなの?」

 鼓動の強さに眩暈すら感じながら、そう尋ねるとペラッと目の前に一万円札を出された。

「柿崎がカウンターに置いていった万札、忘れて行きましたけど?」

 不敵に微笑んでそう告げた久住の意地の悪い顔に、カーッと頬が熱くなる。

「そ、それはご親切にどうも」

 素早く受け取ると、

「僕が追いかけて手をつかんで抱き締めるとでも思った?」

 顔を覗き込まれ、今度は目をそらしたりせず、ムキになって視線を合わせた。

「そんなこと思うわけないです」

 鼻息荒くそう答えると、久住は「ふぅん」と目を細めた。

「……で、あの夜のことを忘れたいって?」

 いきなり核心に迫られてギョッと目を開くと、

「別にどーぞお好きに忘れて下さい。僕を前にいちいちムキになったり、挙動不審になるのは、あの夜のことが原因なんですよね? 君にとって、そんなに足枷になる記憶なら消去してください。僕もそうしますから」

 冷たく言い放たれて、どうしてなのかズキンと胸が痛んだ。

「だから少しはマシな弁護士になって下さい」

 そう言い放たれて、何も言うことが出来なかった。

「それじゃあ、おやすみなさい、ヒヨコちゃん」

 そのまま背を見せた久住に、チクチクと胸が痛い。

 鼓動が苦しく打ち鳴らしていた。



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