93.彼女たちの戦い②
——やるべきこと、やれることは把握した。
あと一つ足りない欠片の存在もまた、ハッキリと手に取る様に分かる。
(あとは、実現させるだけ)
『時間だが、一人でいいのか? 今からでも待ってやってもいいと言えばいいが。それにしても驚いた。まさかシエが新たな四方界を編み出すとはな。お前たちの中でいえばヨナギであろうと思っていたのだが——』
「私一人で十分です。来なさい」
くどくどと話し始めたホロウの言葉を断ち切り、構えを取る。
仄かに光を放つ聖槍から心臓に似た脈動が伝わる。いいえ、これはまさに私の鼓動そのもの。長くも短い、十年と幾ばくか。その間私を救い続けてきた慈愛の槍ならば。
「アナタを許すことはできません」
それは、私と聖槍の存在、双方が重なった想いに他ならない。
『そうか、そういうことならば——、こうだ』
「———っ」
取り払われた影法師、これまでその身を隠していた影を作っていた残骸を己が界燐の発露によって吹き飛ばす。
収束し、発散するエネルギーは純粋な暴力と化し、辺り一帯否応なく粉砕し吹き飛ばす。
積み上げられた瓦礫はホロウを中心に塵と化し、大理石の地面は放射状に罅割れ、亀裂が足元にまで届いた。
『終局も胎蔵のどちらかが個人の到達点とでも思っているようだが、そのようなことはない。誰しもが片方しか扱えないというわけはない。ただ、時間が足りぬだけだ。鍛錬の法が、研鑽の時が、人の時間では足りぬだけ』
既にホロウが構えた矢には黒白の焔が灯り、世界を焼却するのを今か今かと待っている。
『そのようなことで諦めてほしくはない。己が限界を踏破し、更なる高みへと四肢を振るいながら駆け上がることができる。シエが新たな技を編み出したように、誰もが天へ至るための力を持っているッ!』
「………っ」
次いで、立ち上る焔から相反する性質である透明な水が滴り落ちる。
地面に触れた瞬間、そのまま吸い込まれるように地面へ溶け、水面のように波紋が生じた。
『ならば俺も、その先へ行こう。勇者である皆が強く、優しく、苦難を超えた先の悪がッ、拍子抜けするような雑魚であってはならんからなァ!!』
波紋は次第に大きく、波打つように世界への侵食を開始する。
□ □ □
「あれは……自分の周りだけ世界を崩している、のか…?」
「胎蔵領域と終極は両立不可能のはずだろうが。あの野郎、ふざけてやがる…っ」
胎蔵領域は己が裡の地獄を表出させる。そして終極は地獄そのものを使い捨ての弾丸として撃ち出すようなもの。
両立をしようものなら、肉体か精神のどちらかが耐えられなくなるのは必定。
それを、こともなげにやってのけるのは一体どういう了見なのか。
「くそ…っ。流石にここで待ってるわけにも——」
「………、いえ。待ちましょう」
「んなこと言ってられる状況じゃなくなったぜヌイちゃん、このまま何もしないなんて——」
「信じるのであれば、最後まで貫いてあげたらどうだ。一人の男として送り出したのなら、戦う背中を見てやれ。何かしてやりたいというなら、帰ってきたときにしてやればいい」
「……、ヌイちゃんってスパルタ?」
「紹介された教育係が常識の通じない相手だったもので、な。どうにも一般的な感性からはズレたかもしれん」
「——ハハ、やっぱ怒ってた?」
「許してほしいですか?」
「んー、まあね」
「なら、待ちましょう。終生の敵であった、ラゥルトナーの娘を」
「ああ——。そうだね…、足手まとい二人はそうしようか」
「ふっ」
絶体絶命、瞬きの間に骨ごと灼かれる黒白の焔と、ひび割れた地面から噴き上がる炎熱。逃げ場をなくすように拡大を続ける領域は、この場を逃れても彼等を仕留めるまで氾がり続けるのだろう。
だが、改めて見た少女の背は、眼前の地獄を誰より近くで見ているというのに恐れの一つも感じ取れなかった。
□ □ □
『皆滅し破滅せよ、極熱の渦中に在りて悪逆を滅する光となれ…!
この一撃を以て変生せよッ、悪心をこそ亡する叫びを上げて——!!』
まるで叫び声のような、耳を衝く甲高い音が響き渡る。私たちへ押し付けられた祈りと願いが渇望となって襲い掛かる。
その顔も姿も内に宿った男の因子以外は、何一つ変わることなく彼女のものだ。
ホロウによって歪み、本来彼女が見せることのない姿をさらしてはいるが、それでもイユラ・ナイギを元とした存在であることに変わりはない。
「———」
その彼女が、泣いている。
これ以上なく嬉しそうに笑いながら、その瞳からは涙を流している。
「諦めてしまったのですか? どうしようもなく、道を踏み外してしまったと。このようなはずではなかったと」
護るべき相手のために、何もかもを捨てようと決意しながら、その何もかもが裏返しになってしまった結果を嘆いているのですか?
「であればこそ、ここで諦めてはなりません。アヤネにとっても、ヨナギ様にとっても、アナタは大切な友人なのです。私は、お二人が苦しむことと同様に、アナタが苦しむ姿を受け入れることは出来ないのです」
『ク、ハハ、ハハハハハ——! そうかイユラ、苦しいのか、己の過ちを憂いているのか! だが心配することはない。この戦いが終われば、その先は自由だ。俺を恨み、立ち上がればいい。その先にこそ答えを見つけることも出来ようさ!!』
「黙りなさいホロウ、貴様にそれほどの価値はない。誰でもない誰かから特別な感情を向けられるほどの意味を持ってはいない」
『ハハハなるほど、さすがの主従というべきか。ヨナギも同じようなことを言っていた。
曰く、俺は皆に構ってほしいのだと…クク、だが構わん、俺は許す! その先の世界で価値を見出すことが叶うと信じているからな! ——故にこそ、この一撃を受け取ってくれ!! お前たちの方にこそ価値があるのだと、俺に証明してくれえぇッ!!』
叫びあがるは狂気の絶唱。
今完成するは四方界の全と一が崩壊し融合した、混沌の煉獄。
『四方崩界…ッ、大黒天憤怒相・大叫喚地獄——!』
眼前一切容赦なく、他者を苦しませるためだけに全と一が合わさった一撃が、虚無の魔人より撃鉄が堕とされた。
「すぅ——」
迫る滅びの焔、打寄せる激情の波濤。触れれば消し飛ぶ全と一。
焔はイユラさんの終極そのもの。防ぐこと自体が現実的ではなく、回避など許されない。
波濤はホロウが裡に秘めた胎蔵領域だろうか。
厳密には不明だが触れたものに傷を負わせるのではなく、痛みを与えるものだろうか。だがその痛みも限度を超えれば死に至る。至らずとも痛みで動きは鈍り弾丸の餌食となるだろう。
「——ふッ」
聖槍の一閃は天地を切断し、その狭間を分け隔てた。
一つの世界の内側を細かく仕切るように、ホロウの居場所だけを区切り閉じ込める。
『それでは足りんなぁ!』
見えない壁は胎蔵領域の波濤によって砕かれる。水槽に孔が空いたようにとめどなくあふれ出る地獄の湧水は、どのような領域が相手であっても上書きしていく。
『そら、本命だ。…お前の真価を見せてくれ。そしてこの一撃を乗り越えて見せてくれ!』
ユーリや、ヌイさんが万全であれば防げたのだろうか。
本来、私一人の力では終極も、胎蔵領域のどちらも防ぐことは出来なかった。第一、そのどちらも真っ向から相手取ること自体が過ちであることは重々承知している。
けれど、それができるものがいた。成し遂げた剣士を、私は知っている。
「四方、展開」
遠く、研鑽の果てにたどり着いた究極の一、何もかもを混ぜ合わせた混沌ではない。確固たる意志を持ち、死ぬ最期の瞬間まで貫き通した鋼の誠心。
どれほど憎くても、大事な人であったはずのお方。——私と同じ墜天子。
同じ出生だとしても、あのお方ができたからといって私にできるわけではない。けれど、出来るという事実を私は知っている。
悪鬼羅刹の剣を振るいながらも、彼もまた他者のために命を賭し続けていた。研ぎ澄まし続けていた。ホロウを殺すことで得られる平穏を、誰かのために残せるよう剣を振るい続けていたのだ。
振るわれる力と意志は末恐ろしいものでしたが、たしかに…僅かであったとしても愛はあったのです。
その他者への愛は確かに、血と共にヨナギ様へと受け継がれた。
などと言えばヨナギ様は否定するでしょうか。それでも迷うたび、何度も彼のお墓に足を運んでいたことを知っています。そのような、情を捨てきれず、そのために今も苦しんでいるヨナギ様だからこそ。
——私は恋をした。
実力ではない、特異性でもない。未来の世界の展望でもない。
どれほどの時間を経ようとも、どれほどの苦しみを抱えようとも。
小さなことで一喜一憂し、他人である私たちに振り回されてしまうような。一人の人間として立ち上がろうとする彼であったからこそ、誰かに愛されるべきなのです。
「…どれほどの力を示そうと、余りに軽い言葉です。言葉一つ取っても、私の心には欠片の一つも届いてはいない。もう一度言いましょう。ホロウ、貴様にはそれほどの価値はない。他者を愛することの何たるかも知らず、ただ愛されたいと叫ぶだけの貴様には、誰一人として振り向くことはないのですから——っ!」
一切違わず、過大でも過少でもなく理解した。
ピタリと嵌った額縁のようにホロウの存在を認識する。
我が主が救いたいという存在と、決して許せない相手。ホロウという特異点を前にして、私自身いまだ測りかねていたパズルのピース。その最後の一欠片がピタリと嵌る。
この男は、真の意味でヨナギ様に益をもたらさぬ。私の大切な人を苦しめる存在なのだと。この会話で寸分違わず、真に理解に至った。
ならばこちらも、真価を発揮するに至る条件が完遂された。
「輝界領域、宇迦之御魂・無上霊宝神道加持」
『————ハ…』
漏れた声は愉快からか、もしかすれば驚愕だったのかもしれない。
浸食する全なる地獄、飛翔する一の地獄。
私の元へ全く同時、どれほど狙いすまそうと生まれる誤差すらなく地獄が顕現した。防御のために犠牲にするための世界もなく、反撃の一手も打たれることはなかった。
一人の墜天子、世界から否定された堕とし子が新たな四方界を編み出したものの、この窮地を脱するには足りなかったのだろう。
そう思い至るには仕方のないことで、であれば少女の死を悼み、残された者らによる新たな勇者の到来を信じることこそ男が望む世界の道理。
去ったものへの礼節を忘れず、来るものへの礼賛を軽んじることのない光に満ちた世界。
『ハハ——、ハハハハハ———!』
であればこそ、やはり男の感情は歓喜に他ならないのだろう。
なぜならば、どこまでも際限なく他者を撃ち滅ぼすだけの地獄の氾濫が、光の粒子としなってかき消されたのだから。
「ホロウ、もはや貴様に勝利は無い」
黄昏の粒子を引き連れながら聖槍を払う。
断罪するかのごとき冷たい言葉は、けれど断頭台のような冷酷さと慈悲を含んでいた。
『カハハ…、なんだそれは素晴らしいな! 俺でさえ一目で理解に至らなかった! ああだが推測は出来るぞ! あのひと振りで聖域を幾重にも創り上げたのだな!? それも胎蔵領域をも凌ぐ存在強度のものを!』
どこまでも嬉しそうに笑い、褒め称える。己が切り札ともいえる術技を払われようとも、この男にとっては我が子の成長を喜ぶことと同義。
「………」
瞼を閉じ、掌から伝わる柔らかな鼓動を感じ取る。
これが私の心臓の鼓動であるならば、ホロウの言葉にはもはや揺らぐことはないのだと胸を張ることができる。
輝界、それは彼女の編み出した四方界の極致。
三界の合わせ技であることは胎蔵領域と変わりはないが、これはあくまで神器を生成する金剛領域を元にした四方界だ。その性質は武器である聖槍に強く引っ張られている。
新たな能力としても単純なものだ。
他者への献身、慈愛を宿した聖槍であるがゆえ、自身の強化が行われないことが欠点であるものの、それ以上に他者への影響が強化されている。それは味方への治癒、防御であり、敵への拘束、攻撃となる。
そして、この輝界の最も特徴的な性質として、敵と味方の区別にある。これは発動者である彼女の意志には関係なく、判断基準に一切関与できない点にある。
ならば如何に敵味方を判断しているのか。
それはヨナギ・アマナ、彼にとって大切な人物かどうかという点、それのみである。
ゆえに、この場において敵と判断されるのはホロウのみ。
これまでに関係を深めていなければ、ユーリやヌイであっても攻撃の際には巻き込まれていただろう。そしてそれはユーリの傷が治っていたことで確信した。
ならばもはや支障なし、一度目はともかく、此度の発動は心置きなく可能となっていた。
「私たちへの試練、心からの想いであることも真実なのでしょう」
それは歪み、おぞましいものだとしても、まさしく男にとっての愛なのだろう。それがどれほど真摯で誠実な感情であろうとも——。
「そんなもの、私の知ったことではありません。貴様の為すこと自体がどうでもいいことなのですから」
どれほど壮大な野望であろうと、仮に新たな世界の方が素晴らしい世界になるのだとしても。私の預かり知るところではないのだ。
『ならばシエ、何を欲する。お前の望む世界を教えてくれよ』
「そんなもの論ずるに値しません。ですが答えるならば——」
再度振るわれる聖槍、その度に新たな領域が創り出され、障壁と化して無限の防陣が形成されていく。
その中心にて向き合う勇者と怪物だが、勇者である少女にとってこの戦いは既に大した意味を持ち得てはなかった。なぜならば、彼女にとって怪物がどれほどに素晴らしい世界を提案しようとも関係ない。
「——私の望む世界は、ヨナギ様の望む世界。それ以上でもそれ以下でもありません」
『…クク、そこにシエの意思は関係ないと? 望みさえすれば叶えてやれるかもしれぬのに?』
「ええ、ですから貴様がどう語ろうとも関係ないのです。どれほどの甘言も提案も、私にとっては考慮する以前の問題ですから」
『それが最後に至った答えとはな。単純と嗤おうか?』
微かに呆れたように笑って見せるホロウ。これまでの戦いを経て到達した答えが一番初めのものに帰ってきたのだから苦笑するのも致し方ないのかもしれない。
「ええ、そうしたいのであれば」
けれど、これは私の選んだ答えに他ならない。
文句を言われる筋合いなどなく、言いたい者には言わせておけばいいのだ。
「もう一度言います。ホロウ、貴様に勝利は無い。今すぐイユラさんの肉体を解放しなさい」
相手がホロウであろうとも、本体ではない欠片の存在では攻撃が間に合わない。私に届くよりも新たな領域の創造の方が速いから。
そして、とうに囲むよう形成された領域の前ではホロウを逃がすことはしない。籠の中の鳥でしかなかった。
『ああ確かに、俺が領域すべてを崩壊させるより、シエが創造する方が速いだろう。間に合わん、認めるよ』
「その言い分では、解放する気はないと」
『無論だ。俺は確かに、俺を超えた先の光を掴んでほしいと思っている。新たな領域に至ったシエには褒美を与えたいとも、心から思っているのだ』
「ならっ——」
『だが、まだ勝負はついていない。俺を倒せば終わりではない。所詮俺は大元の魂の欠片、再現された人格に他ならない。ならば、俺のすべきことは大元が勝利するために行動しよう』
そう言って、ホロウはイユラさんの肉体から離れることはせず、武器である弩弓を落して両手を上げる。
『俺の敗北だ。だが、“俺”はまだ負けてはない。ならば今、俺のすべきことはただ一つだ』
「私たちを、ここから逃さないこと」
『ああその通り。ゆえに俺はこれ以上戦わない、出ていくこともしない。だがシエ、お前が望むなら殺すこともできるだろう。イユラの命も共に果てることとなるがな』
「……」
この場において生殺与奪を握るのは私だ。
私が聖槍をふるいすればホロウの魂を消し去ることが可能であるものの、同時にイユラさんの命も失われてしまう。
だからこそ、ホロウは抵抗をしない。虜囚となることで戦力となる私をこの場に抑えようとしている。
「シエちゃん」
「…ハイ、なんでしょうか」
領域の向こう側からかけられた声はユーリのもの。外傷はほぼ全快したようで、こちらに向かって手を振っていた。
「もしもなんだが——、姉上を救ってほしいってのを気にしてるなら気にしないでくれ。キミがヨナギのところへ行ってくれた方が、きっといい結果になる」
「………」
隣に立つヌイさんは目を閉じ、ユーリの邪魔をしないようにたたずんでいた。
「シエちゃんは優しいし、借りがあるだろうから嫌かもしれねえけど——」
「いえ、大丈夫です。ユーリはそこで待っていてください」
「……ああ」
『そうか、当然と言えば当然だが。イユラよりもヨナギを優先するか。その選択を俺は否定しない。さぁ俺とイユラを殺し、ヨナギの元へ行くがいいさ』
穂先を突き付けられたホロウはこの期に及んで抵抗はしない。
障害である己を乗り越えた者に対して、これ以上自分が成長のために出来ることはないということか。その切り替えの良さは潔くもあり、邪悪でもある。
だが、もう貴様の好きにさせるつもりもない。
「勘違いしないでください。私が手を下すのはただ一人のみ、その魂は誰も救いはしない」
『——っ、ほ、ぉ……。容赦が、ないの…だな……』
突き出された穂先はあっけなくホロウの、イユラさんの胸を貫いた。背まで突き抜けた聖槍だが、不可思議な点もある。
「この槍は邪悪をこそ打ち払う聖なるもの。そしてこの場において該当するのは貴様のみ。この結果は当然なものでしょう」
『はぁ…ヨナギも、存外……、旧友……を捨てはできな——かった、というわけか…』
肉体を貫いた聖槍だが一滴たりとも流血はなかった。
だというのにホロウは苦しみ、引き抜かれると膝をつく。
「分かっていたのですね。この領域の作用する対象の条件が」
『カハハ…、多くの争いを見てきた……。その度に異能の誕生もまた、な。個人の性質による…部分が大きい以上……、シエのことを思えば、条件の想像も…つくというものだ…』
「であるならば、これで終わってもらいます」
『くくくっ…、そうで、あるならば……俺にもまだやれることはある——』
「——ッ!」
「っ——、待てシエちゃん——!!」
手を伸ばしたイユラさんの肉体へ槍を振るい、胴を切り裂いた。実際に怪我を負わせることはなく、この一撃でホロウの魂のみを消滅させることは可能。
『ああ——、惜しいな……。クク…逆だシエ、俺を……消滅させるべきじゃあなかったな』
「なにを——っ」
『虚無領域と、呼んでいたか…。その出入り口と、俺の魂は直結している。つまり——』
「テメェが消えれば出入り口もまた消える」
『そのとおりだ、ユーリ……。どちらにせよ、俺との戦闘になった時点で…ヨナギの元へは行けん。ぁぁ……、欠片でしかなかったが、いいものを見れた…。なんともまぁ、穏やかな気分だよ、俺は——』
満足そうに笑う。その姿は全てをやり切ったようで、許すことのできない敵でありながらも怒りを覚えることは出来なかった。
『——これぞ、俺の…のぞん……だ——』
天を仰ぎ両手を伸ばした姿は、この場にいない誰かに向けたもの。
総てを救済すると言っていた男だったのに、その姿はまるで彼自身が救いを求めているかのような、懇願しているような真剣さを孕んでいた。
そして、その手の力も遂に消え去り——。
「—————」
「———あ、っと……ふぅ…、命に別状は、なさそうです。…よかった」
ホロウが消えて倒れ込むイユラさんをキャッチする。気を失ったままですが、肉体には傷一つなく。
「すみませんユーリ、止めていたというのに…」
「いや、仕方ねえさ。どっちにしてもオレたちはここで足止めをくらってただろうし。そんなことよりもみんな無事だったことの方が嬉しいね。オレは」
そして、ホロウの魂は消え去ると同時に扉も消滅したのだろう。私たちはこの場に取り残されてしまった。
□ □ □
「そうだ、私たちでは出来ないことをやってのけたのだ。どこに謝る必要がある。…まったく、あれほどの力だとはな、送り出しはしたが予想以上だ」
「あ、ありがとうございます。しかし、どうしましょう…、ヨナギ様の元に助太刀に参りたいというのに」
四方界を解くと、先ほどまでの落ち着きはどこかへ立ち去り、いつも通りの彼女がそこにいた。何ともはや、愛らしさは天井知らずだ。
「にやけてますよ。気持ち悪い」
「……もうちょっと優しく注意してほしいなヌイちゃん」
「なら自分でも気を付けてください」
「そうする。さて、シエちゃんは姉上の面倒見つつ休憩しててくれ。扉の方はオレとヌイちゃんで調べてみるよ」
「ですがまだ完全回復とはいっていないでしょう? 傷はともかく、私の輝界でも心の部分までは修復できていないはずです」
シエちゃんのいうとおり傷は治っているが、ホロウによって欠けた心、胎蔵領域については治りきってはいない。おかげで不調からは脱せていない状態だ。
「なぁに、これが終わればしっかり休むさ。地獄だって心から生まれたものなら、ゆっくり休めさえできればその内治りもする。時間はかかるだろうけどさ」
「心配するな。四方界は満足に使えんが何もできないというわけでもないし、無闇に戦うなどというつもりもない。今できることをするだけだ」
「ハイ…、どうかよろしくおねがいします」
「ああ、ただ何ともできなくっても怒らないでほしいな。ヨナギの戦闘が終わるまでにここを出られるかは怪しい」
「そこは嘘でも絶対に出来るといった方がいいと思うが?」
「……絶対に間に合わせてみせるぜ!」
ガッツポーズとともに放たれた言葉は、なんといえばいいのか。自分でもわかりやすく空元気だった。
これはちょっと厳しいかなーなーんて。
「……」
「………」
「…………ゴメンナサイ」
「ア、ハイ…」
「では行ってくる」
「……姉上よろしくねー」
ヌイちゃんに引きずられるようにして元々扉があったはずの位置へ向かう。閉じられているなら開く方法を。無くなってるなら創る方法を見つけないといけない。
最後まであきらめるつもりはないし、ここで戦いが終わるのを待つつもりはない。
「あ、そうだ。ヌイちゃんやちょいと離してくれ」
「はいはい」
ヌイちゃんはというと、死ぬつもりだった男が生きてるのに感動してるのか目を合わせようとしてくれないし、態度がちょっと冷たい。
こっちはおいおい落ち着いてもらうとして、まずはこっちの用事を済ませないと。
「シエちゃーん」
「…?」
「ありがとうな、助けてくれて」
「——ハイっ」
嬉しそうに、そして照れくさそうにはにかんだシエちゃんはかわいかった。
覚悟を決めていなければ心臓が止まっていたかもしれない。てかマジでやばいかもしれん。変な汗かいてきたし心臓もバクバクいっている。
ああまるで景色さえも流れていくような——。
「アホ言ってないで速く行きますよ。時間がもったいない」
と思っていたらまたしてもヌイちゃんに引きずられていた。でもさっきの笑顔だけでしばらくは生きていけそうだ。
「っし、がんばっちゃうぜオレ。なんとかヨナギ助けに行かねえとな!」
「我々が行っても足手まといですけどね」
「そういうなよヌイちゃん。こういうのは気分だぜ?」
「ふぅ、まあそれもそうですが?」
「そうそう、だから頑張らねえとな!」
「まったく…、本当に困った人だ。——私の主は…」
「なんか言ったー?」
「いいえなにも。それにしても、それほど元気なら心配する必要はなさそうですね——」
「病み上がりには優しくしてくれても罰はあたらねえぜ、オレも優しくすっからさ——」
ヌイちゃんが何か言っていたような気がしたけど気のせいだったかな。
さぁて、助けられてばかりなのも良くないし、ここでいいとこ見せないとな。
□ □ □
「……もう、お二人とも行かれましたよ」
「———、気づいていたのか…」
膝の上で口だけを小さく動かすイユラさんは気まずそうに眉根をゆがめる。
「すみません、話すべきではないかとも思ったのですが」
「よいのだ…。此度の件、吾の心が弱かったことで引き起こしてしまった……。あのまま殺されても誰も文句を言わなかったろう」
「ずっと苦しんでいらっしゃったのはイユラさんも同じです。その想いをホロウに付け込まれたにすぎません。アヤネだって叱りはしても怒ることはしないと思います」
「……アヤネは、これまでの記憶を取り戻している。もしかすれば別人になっているかもしれぬとは考えぬのか?」
「アヤネはアヤネです。そうであるからこそお二人が護り続けてきたのでしょう? いつも明るくて、よく笑って、たまに暴走したりするものの……、あ、最後のは私も人のことを言えませんね」
「……ふ、まったくだ……。いくら何でも掛け算くらいはまともにできてもらわねば困る…。高校生だぞ、お主らは。面倒見切れぬわ」
「ス、スミマセン……」
痛いところを突かれてしまったけれど、ほんの少し彼女に笑顔が戻った。
「吾は、どうすべきだったのだろうな」
「…私には、お三方の関係を正確に把握してはおりません。ですが、お互いに大切なご友人であったのでしょう?」
「…どうであったのだろうな。もはや思い出せぬよ、余りに時間が経ちすぎた…。ヨナギとて、厄介な邪魔ものと思っているだろうさ」
「そのようなことはありません。もしもそうであれば、今ごろ本当に死んでしまっていたでしょうから。…イユラさん、私の先ほどの四方界、あれは私の意思によって攻撃する対象を選べません」
ヨナギ様の大切にする相手には危害を加えることは出来ない。
かつての友であったイユラさん相手もそれは同様。もしも彼女がホロウに操られることなく戦っていたのなら、私の力では倒すことは出来なかっただろう。
「ヨナギ様はイユラさんを恨んでなどいません。ただどう接していいのか見失っているだけなのです。…この戦いが終わった後、どうかもう一度二人だけで、ゆっくり話してみてくださいませんか? きっと昔のように、とまではいかないかもしれませんがそれでも——」
「もうよい——」
「イユラさん……」
「もうよいのだ…。そんなこと、言われずとも分かっておる。……ただ、吾もヨナギもただ恐ろしかった。どうあがいても届かない勝利を目指すことが、恐ろしくてたまらなかった。だが、な、それでもアヤネは笑うのだ。…あの笑顔にどれだけ救われたか、数える気にもならぬ」
眩しそうに、薄ら開けた瞳からは一筋の涙が伝い落ちた。
「どうやってでも護らねばならぬと誓った。……アヤネを通して『総界の巫女』を見てしまうヤツの苦しみは吾には理解できぬと突き放し、一人で強くなろうとした。…その結果がこれだ。どちらにも付けず、ただ場を乱しただけ」
「それでも、誰一人貴女を恨むものはいません。自分を責めるのは簡単なことです。そして苦しむことしか出来ない。……お願いですイユラさん、たった一度だけでよいのです。ご自身を…許してあげてはもらえませんか?」
頬に添えた手で涙を拭い、語り掛ける。
どうか歩み寄ってはくれないか。それが何よりも辛いことなのだとしても、もう一度二人と並んで歩くことのできる日々へ繋がってほしいと思うから。
「………お主は…まったく、教師に意見するなど、……どうしようもない生徒だ」
「ハイ…」
「だが、……ああ分かっておるよ。分かって、いたはずなのにな……」
「次は、迷わずに進めそうですか?」
「……ああ、…ああ……っ、見ておれ、お主の教師は…、ちゃんとした大人だと——」
「ハイ、疑ってなどおりません。イユラ先生は、とても強いお方ですから」
「…やかましい……っ、せっきょうなど……ぐす…っ、ぅぅう……っ」
とめどなく溢れる涙を流す彼女は顔を見られまいとうつ伏せになる。
その姿は幼子のそれであり、これまで感じ続けながらも置き去りにしていた孤独や不安がようやく彼女へ追い付いたのだろう。
彼女は一人でも強かったから、ヨナギ様と同じで折れるはずのところで耐えきってしまったから。
だから今だけは、いいえ彼女が望むのであればこれからも。その苦しみを受け止めることができるのならば私はいつでも力になりたいと願う。
この、強くて弱い先生が涙なんて流さなくても胸を張り続けられるように
『本編について』
・イユラ(ホロウ)の奥義『大黒天憤怒相・大叫喚地獄』
本来共存しえない胎蔵領域と終極を四方崩界の性質でむりやりくっつけたもの。
イユラの用いていたような純粋な威力ではなく、対象者にとって肉体と精神を三度滅してなお足りない痛みを与えるものです。当たれば死にます。
・シエの輝界『宇迦之御魂・無上霊宝神道加持』
味方には加護、敵には罰を与える攻防兼ね備えた能力です。
非常に強力であり、相手が欠片とはいえホロウであっても滅ぼすことのできる能力です。しかし敵味方の基準は完全にヨナギの精神性に委ねているので、そこはシエらしい弱点といえます。
そのため、もしもユーリ相手に攻撃目的で発動したとしても、現在の関係では髪の毛一本切り捨てることはできないでしょう。
『定期連絡』
・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。
・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。
・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。




