90.虚無の救済③
高らかに笑うホロウに対して加減せず剣を振り下ろす。
開幕を告げる初撃はしかし同時に抜き放たれた刀身によって防がれた。
「ジンの刀か……!」
「クク…あるものは使わんと、なぁ!」
力任せに弾き飛ばされ後退を余儀なくされる。
「なんだもっと攻めてこい、でなければ俺を倒すなど夢のまた夢だぞ」
「チィ…! 『四方展開』」
間髪入れずに迫りくるホロウへカウンター気味に『焔刃』による迎撃を試みるが、しかし正面から受け止められる。
刀身から火花を散らし合い、互いの顔を照らし出す。
「まだまだ、こんなものではまだ届かない。ヨナギ、お前の力はまだこの程度じゃあないはずだろう? 見せてくれよ、もっと、もっとだ。お前の培ってきた力も想いも、この程度のはずがない」
「——?!」
指先で弄ぶような軽さで鍔迫り合いが弾かれ、俺の胴体はがら空きとなっている。
「そら、仕切り直しだ。次はそちらから仕掛けるといい」
「——づッ、が——!」
ただの前蹴りだというのに教会の外まで吹き飛ばされ、それでも勢いが完全に失われたわけじゃない。
剣を地面に突き立てて無理矢理止まると、受けた勢いを返すようにそのまま『滅刃』を叩き込む。
教会は触れた端から切り刻まれ、ホロウごと滅ぼさんと光刃が猛り狂う。
「おおそうだ、それでいい。カハハ…それでこそ、俺も戦場に立っていると実感できる。ゆえに、ちゃんと向き合おうじゃないか。俺の力を、受け止めてくれ」
一本、柏手を打つ音が響くとともに俺の攻撃はホロウに届く寸前で消え去った。
合わさった手、その前の空間が歪む。
歪みは色濃く、内へ内へと黒い陰が混じり込み——。
「四方崩界」
黒色の混沌が弾け飛んだ。
四方八方へと炸裂した黒い線は物質に触れた端から抵抗なく消滅させていく。絵画を黒で塗りつぶしたかのように理不尽に、そこにあったモノを無かったことにしている。
黒い線は一切の躊躇なく俺にも向かってくる。視界を黒く埋め尽くすほどの量は防ぎきることを許しはしない。だがそれは剣であるがゆえのことだ。
「四方展開」
剣の一本だけでは防ぎきれぬというのなら、その範囲の解釈を更に広げればいい。
今の俺には、それを為し得るための力を持っている。
「——衆生救済之羂索」
受け継いだ力、不浄捕らえる光の帯。
その名を口にした瞬間、左腕から光で編まれた帯が波紋のように広がり、一度の斬撃によって黒の線を切り捨てた。
「ああそうだ、それでいい。レイガンの持っていたソレを継いでいることは知っていたからな。使わないと損だろう?」
「ああ出し惜しみはなしだ。これなら、お前でも防げないだろうが!」
ホロウを取り囲むよう、周囲一帯に張り巡らせた羂索による結界。倶利伽羅と縄、本来あるべき二つが一人の元へ揃った。
本来の性能を発揮する神器の異能、この範囲内であればいくらホロウといえども影響は免れない。
「ならこうだ」
再び鳴り響く柏手、合わさった手を離すと、掌の間には脈動する界燐の塊が生み出されている。
「クククっ、適当に作ったが、威力は如何程かな?」
落して壊れるかどうか確かめる程度の心持ちで放り投げる。
だが既に脈動は臨界を超え、軽い衝撃一つで炸裂するのは一目でわかった。
(爆弾——)
認識する以前から身体は動いていた。
後退ではなく、ホロウへ向かって最短最速で疾走。
一帯へ広げていた羂索を収束、落下する最中の爆弾へと一分の隙もなく巻き付かせ、落下を阻止する。
「おおや?」
「———ッ」
四足獣のごとく低い位置から鋭く剣を振るう。
四方からなる四連撃もあっけなく防がれ、攻撃偏重のため薄くなった防御の隙を的確についてくる。その度に刃が掠め、血が飛散する。
(致命傷以外は無視しろ。でなきゃ肉薄さえできない)
相手はホロウだ、忘れるな。
無傷で倒すことなどあり得ない相手を前に、これまでの戦闘経験を総動員して反応ギリギリのところで攻防を行っている。
一歩、いいや半歩間違えれば致命傷は免れないが、だからこその反応速度を実現している。死を前に、己自身でさえ知らぬ潜在能力を発揮させる。
「いいぞ、その調子だ。その限界踏破はあくまで過程でしかないという意識、誰もが見習うべきだと思わないか? 俺の見てきた中ではただの一度も戦うこともせずそれでいて恩恵を享受しようとする者らが多くいた。…ああ悲しいことだ」
皆がそのようなことをすれば、ほとんどが命を落とすことは明白だが、ホロウにとっては出来て当然だということか。
絶対悪たる自身を倒させるといっておきながら、その基準はあまりに人間離れしすぎている。
蟻一匹に対して龍を殺して見せろと言っている。実力差を埋められないはずがない、全員が全員限界を超え続ければいつか届くはずだろうと。
そして、その想いは眼前に立つ俺へと向けられている。
なれば当然、次の一手もまた限界を越えねば対処さえ許されない一撃。
「破ぜろ」
「ギ——ぁッ?! グ…、ォオオ……!」
巻き取った爆弾、すでに俺の領域内部に取り込んだともいえるはずだったソレはなんの前触れもなく爆発を起こした。内部で抑え込もうと力を籠めるが、余りにも爆発力が大きすぎる。この屋敷が立っている虚無空間ごと破壊しかねない威力。
俺が抑え込むことを信頼前提での行為なのだろうが、無傷でいられはしない。
右腕に取り込んでいる倶利伽羅と同様に、肉体に取り込むことで使用時の効率化や、扱ううえでの接続を強化している。だからこそ、領域を吹き飛ばす爆発も羂索を取り込んだ左腕を通って衝撃そのものが身体を駆け巡るのは道理。
気が狂いかねない痛みが左腕内で爆発し脳内を白く染め上げるが、意識定まらないまま剣を振るう。そこにはホロウがいる、痛み程度で止まる理由はない。
「ハハっ、なら次だ」
またしても鳴り響く柏手と共に、ギロチンの刃を思わせる影が俺に向かっていくつも降り注ぐ。小さなものでも首一本、大きなもので教会そのものを切断する刃群。
防がねば細切れにされ、防げばホロウに四方界を起動させる時間を与えてしまう。
なら——、動くために必要な部分以外は限界まで捨てるしかない。
「———ッ!!」
余計なことを考えてしまわないように歯を食いしばり、致命傷のみを防ぎながらの猛進。その先には狂った笑みを色濃くする男が立っていて、俺が再び眼前に立つ瞬間を今か今かと待っていた。
□ □ □
「なんだかんだ、相手するのはやっぱきついな」
「防御は任せて、ユーリは攻撃にのみ専念を」
「ああ」
絶対零度へ近づきつつある鳥籠内部、空間ごと凍らせて姉上を捉えようとするがとらえきれる速度ではない。
目で追うのもギリギリの速度で疾走しながら矢を射る戦闘スタイルは、姉上が『崩界』にいた時点で確立していた元々のもの。
速度と威力で適宜殲滅する戦法を主としていて、隠密からの狙撃などするような人間じゃなかったのだ。
「どうしたユーリ、吾を捉えたくば胎蔵領域でも使えばいいであろう」
「使ったら終極で吹き飛ばす気満々なのが丸見えだぜ。っつーかやけに元気になりやがって、開き直りやがったな!?」
姉上の終極領域は単純な威力に加え、概念上三つの領域を破壊する。
領域の大小は問わず三つとなる以上、ヌイちゃんと同時に胎蔵領域を展開したとしても焼き払われた挙句、オレ達もただでは済まない。
とはいえ焼き払わねば姉上も敗北必至であることは理解している。
こちらの奥の手が封じられている以上、胎蔵領域無し、もしくは決定的な場面で一気に決めるしかない。
(手足砕くくらいは許容範囲で見るしかねえ。そのためにも一度動きを完全に捕らえねえと)
武器が弩弓である以上は手足がなければ扱えない。胎蔵領域の展開と同時に捕らえていた姉上の手足を凍らせちまえばそれで勝負はつく。
「それが厳しいんだよな」
「必要なら私が——」
「いや、ヌイちゃんはまだだ。いいとこで決めてくれ」
「はっ」
ヌイちゃんの胎蔵領域、アレを使えば動きを止めることは出来るだろうが、それでも終極がネックになる。撃たれちまえば最終的には押し切られるだろうからな。
「ユーリ、諦めろ。吾はアヤネを救う。たとえそれが彼女に望まれていない方法であったとしてもだ」
「助けた上で笑わせてやれって言ってんだよ。その点で姉上は失格だな」
「何とでもいうがよい。こうでもしなければ救えないのもまた事実だ」
「ホロウ倒せば済む話だろうが、なんのためにヨナギが命張ってると思ってる。アイツの足掻きを醜いとでも抜かすつもりかぁ!?」
「あやつの苦しみを分かち合うつもりなど毛頭ない。既に袂は分かれたのだ。いいや初めから別々の道を同じ方向へ歩んでいただけ。その先の道もまた同じこと!」
「それはただの現実逃避だろうが!」
「…吾が、何もしてこなかったとでもいうつもりか!」
指摘は怒号へ変わっていく。
どちらにも己の正義があり、過去から基づく未来への展望がある。
「アヤネちゃんの前だと性格が変えられるってのはいいけどよ、出来ることはまだあったんじゃねえのか。裏からコソコソ動くだけじゃなくってよ。嫌ってたとしてもヨナギを助けてやればもっとうまく運んでたかもしれねえだろうが」
「そのような、仮定の話を——!」
「足掻くってのはそういうことだ。失敗が怖くて動けないよりかはずっといい。それを延々と続けてなお、ボロボロになっても諦めずに戦っていたからこそ、オレはヨナギを救いたいと思った! 姉上みたいな現状から逃げるためじゃねえ、よりよい未来のために戦っていからだ!!」
「知ったような口をッ!」
「知ったことかよ! 緊急事態だぞ、馬鹿やってねえでこっち手伝いやがれ!」
「その選択は初めから存在せん!」
「視野狭すぎんだろ、自分大好きか!」
「最優先はアヤネ以外にあり得んといったであろうが!」
「そういうことじゃねえんだよなあ! だぁークソ、絶対に打ちのめしてやるからな!」
「ふんっ、口で言い負かせられぬとなれば武力行使か!」
「その言葉そのまま返してやらあ!」
言い合いながらも絶え間ない攻防が繰り広げられている。
床には大量の氷の武具が突き刺さり、それらの多くが射抜かれ砕かれているのだ。それは速度を増し続け、鳥籠内部が氷で埋め尽くされるのも時間はかからなかった。
「………」
「ちっくしょうッ、マジで話聞かねえなあの人! ヌイちゃんもなんか言ってやってくれよ。アンタどうかしてるって!」
「あ、ああ…、そうですね……」
「ん、気のせいかもだけどなんか距離取られてない?」
「はぁ…、取りたくもなります。私はこんなしょうもないことをするために案内してきたわけじゃないのですから。一応言っておきますが最終決戦ですよ」
「分かってるよそれくらい。だけどありゃあ酷いぜ、拗らせに拗らせてる。ここらで一発やっとかねえと戦い終わった後も迷惑かける。んなヤツ放置してたらアヤネちゃんもアヤちゃんも悲しむだろうが」
「…ずいぶん、気にしてるんですね。『巫女』のこと。ユーリはミナカタアヤネとはほとんど面識がないはずでは?」
「ないけど、それがどうかしたの?」
「何故そこまでこだわれるかと思っただけ…、ですッ!」
直角に軌道を変化させ襲い来る矢を、影から飛び出た杭によって明後日の方向へ弾き飛ばす。大量に生えた氷の武器によっていくらか影が増えたため、ほぼ全方位からの攻撃に対処できるようになってきている。
「そりゃあ、あのヨナギを真人間にした女だぜ? 絶対いい娘だろ、男として手助けするのは当然」
「ヨナギと会ったのも比較的最近では? 過去のことなど知りもしないでしょう。…上から!」
「任せろ——ッ。確かにガキの頃のヨナギにはあったことねえけどさ。ヨナギガールから話聞いてみたら女の子相手にひどいもんだぜ。アヤネちゃんよく持ち直させたなとしか言えねえ」
影のない頭上から降り注ぐ矢の雨を巨大な剣の刀身を傘にやり過ごす。
「それがミナカタアヤネだと? 本来の『巫女』であるアヤではなく!?」
「その当人がアヤネちゃんには頭が上がらねえ、つってたんだからマジだろうよ。愛されてて羨ましい…ねッ!」
矢の雨を凌ぎきった剣は、ユーリの操作によって空中で振り回すような動きをみせ、周囲一帯を力任せに吹き飛ばす。
ついでに打ち砕かれた氷の破片が散弾のように飛び散り、疾走するイユラを巻き込もうと襲い掛かる。
「そこ——ッ!」
撃ち落とし切れない散弾の嵐によってわずかに動きが止まった瞬間を逃しはしない。
イユラの足元から、人を閉じ込める大きさの新たな鳥籠が創り上げられた。見た目からして強度が大幅に強化されている。
「この程度で——!」
だが捕らえきれない。
どれ程強固な檻であろうとも、完成しきる前に撃ち砕いて脱出される。その数舜後には氷武器と影杭による追撃を行うが、それでもなお遅いとばかりに反撃まで行ってくる。
強いの一言だ。
こと純粋な戦闘力というのならばオレやヨナギさえも超えるだろう。旦那の教えを受け継いだ数少ない生存者。個人でどのような盤面からもひっくり返す底力が備わっている。
(一手が足りない)
動きを封じさえすればこちらの勝利であることに変わりはない。姉上はいくら殲滅能力に秀でていようとも生き汚さで言うのならそれほどだ。
あと一手、終局を超えた先に到達することができれば。あの馬鹿な姉の目を覚まさせてやれるのに。
「……はぁ、しかたねぇな」
だから、やりたくないけどやるしかない。
「なあヌイちゃ——」
「お断りします」
「まだ何にも言ってねえ」
「なら…ッ、そのまま口を閉じていてください…!」
こっちを見ることもせず、影杭を掃射しながら声を荒げる。隠れる場所を潰し、地表を平へと戻す勢いで放たれる影杭はしかし、黒い雨の隙間を縫うように放たれる矢の精密さを見ればそれほどの苦難とは認識されていない。
「……やだなあヌイちゃんってば、オレがまたおかしなこと言うと思ってぇ」
「なぜ、このような場所で命を賭ける…っ。まだホロウという壁が残っているというのに、ここで捨てるほど価値のないものだとでも思っているのか!?」
「んー、ヌイちゃんみたいなかわいこちゃんと一心同体になるのはいいけど、こういう時は困っちまうね」
「この期に及んでそんな態度をとるなっ、他人のことを慮るんじゃない!」
「…ったく、ホント困っちまうな。そこまで言われたら無下にしづらい」
あと一手を埋めるために一番確実で簡単な方法はオレが命を張ることだ。なのにヌイちゃんはそれが嫌だという。あのツンケンしてたヌイちゃんがここまでオレを想ってくれるのは心底嬉しくてたまらないが、そういうわけにもいかないからな。
「っと、単なる立ち話は危険極まりないな」
せっかく大事な話をしているのに姉上ときたら空気も読まず攻撃の手を緩めることはしない。気合を入れて四方界を発動、少しくらいは時間を稼げるよう何重にも城壁を構築する。
「これでちょっとはもつだろ。でだ、これは誰かがやらなきゃならないことだ。忘れてるかもだけど、オレってばホロウのせいで大分弱くなっちまってるんだぜ? 姉上を敵にしてこの後のことなんて考える余裕もないしな」
「だから私が共に戦っているのでしょう……っ、一人で至らぬ部分があるのなら力を合わせれば済む話ではないのかっ!」
「それで済む相手ならよかったんだがなぁ…」
困ったことに相手は姉上、今のオレたちが束になってもどこうするには荷が重い。
足りない分は奥底からこじ開けて、それでも足りなければ他のとこを殺してでも絞り出すしかないのだ。
そして、それをするなら人選はオレがいい。
「オレでいいんだ。これまでも好きにやって来たからな。姉上と似た者同士のオレが何とかして、あとのことは後で考えればいい」
「その後のことそのものが…、無くなるといっている…っ」
「それでもいい」
「いいわけが…いいわけがあるものか!」
「優しいね。君は、厳しいけどとても優しい娘だ。あの日、旦那のいじめから助けたのはオレの人生における何よりの成功だな」
「ごまかさないで下さい…! この戦いで命を落とすことに意味など——」
「あるさ。少なくともホロウの復活、その選択肢を一つ潰せる。…なあヌイちゃん、約束してくれただろう?」
「———っ…、だが、しかし——!」
『オレが自殺に失敗したら殺してくれ』
あのお願いに欠片も嘘は混じっていない。冗談でそんなことを言えるほど愚かに育った覚えはない。だからこそ、ヌイちゃんは悩んでくれている。
そうすべき理由も利点も理解しながら、彼女の心が理不尽を認めたくないと叫んでいる。なんて優しい娘だろう。この土壇場で悩み能力の精彩を欠こうとも、オレに責めることなどできようはずもない。
「頼むよ。こんなこと頼めるの君しかいないんだ」
「…………卑怯だ」
「ハハ、シエちゃんに嫌われるのも仕方ないかもな」
「…そう思うのなら、一度真面目に話せばいい。そうすればシエもなびくかもしれんだろう。その未来を、自ら捨てるのか…!」
「そうだね、そういう夢を見られるのも生きてる奴の特権だ」
「………っ」
そこで、ヌイちゃんの言葉が詰まる。
揺らがない。未来への希望を前にしながら背を向けられるのだと、気づいてしまったから。その行為自体に意味がないことは分かっていて、それでもあきらめきれなかったのに。それ以上かける言葉が出てこなくなった。
沈黙の中、ガンガンと氷壁へ撃ち付けられる衝撃が中心のここまで伝わってくる。
壊される端から直しているから簡単には壊れず、下手に強力な一撃をたたき込めば反撃の可能性を残している。安全策を取って時間を掛けてでも着実な破壊を進めるだろう。
「それにさ、別に確実に死ぬってわけじゃないし」
「……嘘じゃ、ないのだな…」
「ああもちろんもちろん、オレは天才だからな。死ぬ寸前にでも起死回生の策くらい思いつけるだろ」
「……馬鹿め…、私はそれをとめるために……」
「ありがとうね。そこまで慕ってくれたなら十分だからさ。後のことは任せてもいいかな」
「………」
こくりと頷いてくれる。
使命を果たすと言ってくれた彼女は、彼女なりに理不尽を覆せないかと悩んでくれていた。オレにとってはそれで十分すぎるんだ。
そういう、諦めないで戦って。それでもどうしようもない時立ち上がることができるヌイちゃんならば、あとのことも任せていける。
勝手極まりないだろうが、頷いてくれたんでな。甘えるとしよう。
「いくよ。ほらヌイちゃん、涙を拭いて」
「……泣いてなどいない、…くそ、まったくもってどうしようもない当主だ。どうしようもない一族だ」
「ハハハ、それについては頭が上がらねえ。でもそれもホロウってやつのせいだからさ」
「ええ、ええ、そういうことにしておきますよ…っ。ほらっ、やるなら始めればいいでしょうっ。……必ず、あの馬鹿女の元へ辿り着かせます。——、すぅ…、ふぅ…」
「ああ、信じてる。——行くぜ」
「はっ!!」
□ □ □
ひと際大きな衝撃が氷壁から伝わり、罅割れながら砕け散る。
光の入り込んだ先には弩弓を構えた馬鹿女の姿、今なおこちらを狙い続ける狂った狩人。
自分の護りたいものすら蔑ろにして、この期に及んで妥協もせず、覚悟も定めず、中途半端に当たり散らかす愚の骨頂、その具現化。
「——穢らわしき罪人め、此れより先に進ませはせん…ッ」
狩人を気取っているのか。
いいや違う、逃げてきたのだろうが。
「原罪罰する地より天へ、穢れたその身で高みへ至ろうなど誰が許すはずもなかろう」
目の前の脅威から逃げ、目の前の優しさからも目を背けた。そのような貴様が、友のためなどとふざけたことを宣っている。
「乾くことなき血に濡れた、無間の墓標のみが貴様に許された渺たる救済」
それほどに救いが欲しいのならば私がくれてやる。これまで数えきれないほどに友の死を見てきながらも、わが身可愛さに暴れることしかしないというのならば。
「天地を廻り手を伸ばせ、永劫届かぬ高みへ墜落し続けるがために——!」
我が主と、その友の邪魔をするというのなら。
——与えられる結末など決まり切っている。
「見るがいい…、これこそ私の地獄辺。——四方展開、三界混成『胎蔵領域 死影血杭・衆合地獄!!』」
内より出でた地獄が氾濫する。
血の洪水を思わせる高密度の界燐が舞い、影となった領域から血杭が産み出されては更なる領域を求めるように外へ外へ範囲をひろげてゆく。
「いけェ! ユーリ!!」
時間はあまりない。
鍛錬を欠かしていたわけでもなく、一度達成した『胎蔵領域』の成功体験は更なる高みへ昇るための経験としてはこれ以上なかった。
ゆえに以前のように完全に制御が効かないということはないが、今回は領域の力関係が逆転している。
「おう!」
イユラに向かい駆けだしたユーリは『胎蔵領域』を発動していない。
それはつまり、この時点における純粋な力関係において最も優位に立っているのは私だということ。
「——ッ! ……っ、急げ、ユーリ……ィ!」
イユラに向かって真っ直ぐ、馬鹿正直に疾走するユーリを喰らわんとするように血杭の洪水が追いすがる。鳥籠内部においてユーリが支配していた領域が、地獄によって塗り替えられていく。それは支援のための攻撃によって彼の力を圧し潰していくものと同様。
追い付けばかみ殺す血杭、獣の爪牙は追うように赤黒い手足を獲物へと伸ばし続ける。そこに敵か味方かなどは存在しないのだ。
「フン…、言ってくれるものよな……っ。だが、退くつもりはないぞ…!」
そして、迫りくる地獄をそのまま受け入れるような獲物ではない。
対抗策はすでに仕込んでいる。そしてその先、貴様らごとに焼き尽くす終局の焔を見舞ってやろう。
「チッ、イユラめ…っ。ヨナギのような真似を——」
血のように広がる領域が地面ごと吹き飛んだ。それは立て続けに発生し、イユラの元へと向かわせている領域の端が進めずにいる。
さっきユーリと話している間、その以前からも戦闘を行いながら仕掛けを作り続けていたのだろう。片手間に行っていてこの威力、まさに破壊工作に関していうならば右に出る者はいないというのも納得しかない。そして、その仕掛けは私だけに作用するものではなく、生身で疾走するユーリに対しても行われていた。
□ □ □
「ヘ…ッ。どうにも、なぁ! 壊すことに関してだけは器用なもんだよアンタは!」
足元で炸裂した地雷による攻撃を、吹き飛ばされながらも爆発に合わせて氷を生成、最小の範囲で最大の防御性能を発揮させる。
「がふ……っチぃ…、いてえなあホント…」
だがそれも致命傷を避けているだけ。爆発によって散弾と化した破片は身体の表面を切り裂いていく。
決して致命傷じゃない、だがとても痛い。
今までは瞬きの間に治っていた傷があまりにも痛く感じられる。
(はっ、旦那の言ってた通りかもな)
根源的に死を持たないオレでは決死の覚悟を持つこと自体が不可能だと。
「なら今のオレはどうだ——?」
ただの人間に近づき、死というものがあまりにも身近に感じられる。姉上の罠を凌いだものの、このまま着地に失敗すれば死んでしまう。
その後襲い掛かる攻撃も、仕掛けられた罠も。一手間違えれば死んでしまう。
(怖いなぁ…)
そんなことをぼやきたくなる。口に出して、どっかの誰かに分かるよと言ってほしくなる。
こんな当たり前のことを知るまで、ずいぶんと掛かった。
天才だ不死身だといっても、それは他者と共有できない感覚から目を背けるためにそれっぽ言葉を使っていただけなのだと今更自覚する。
ダサいにもほどがあるだろう。
そりゃあヨナギにも負けるし、旦那には届かない。ホロウの前に立つことさえできるかどうか。
「だがよ…、アンタだけはどうにかする。それが弟の務めってやつだ」
予想通り、着地に合わせて強力な一射が見舞われる。
「—————!」
喉を鳴らしたような気がするが、自分が発した音よりも爆音の方が大きくてよくわからなかった。肩の感覚がちょっと無くなっているから抉れているかもしれない。
痛くなってくると嫌気がさすからそうならないうちに前を見ると、砕かれた氷の破片と土煙の隙間からこちらを狙っている姉上の姿が見えた。
見開いた瞳、焦点が合い切ってはいないが、小さな瞬きは鏃に光が反射しているからか。
鏃には白と黒が明滅を繰り返し、世界を焼き尽くす怒りの焔が放たれようとしている。
これまでの戦い様子見に近かったのも、終極たる焔を準備するために罠を仕掛け時間稼ぎを行うためのもの。オレが無策であろうとなかろうと、突っ込んでくる以上は正面から押し切るつもりだ。
どちらにせよ、姉上がヌイちゃんの『胎蔵領域』を何とかする術は他にない。時間稼ぎは時間稼ぎでしかなく、何もしなければ最終的に血杭に呑み込まれる。
「…ッ、ふぅ——」
——行かないとな、身内の恥をぬぐってやるのもオレの仕事だ。
踏み出した足は衰えを知らない。
前へ。
またしても防ぎきれない一撃を見舞われる。
ああいいさ、この程度の窮地は恐れるにも足らない。
…前へ。
体中が痛い。今までこれ以上の怪我なんてしてきたはずなのにおかしな話だ。
まだ、前へ。
おっと、ついに右肩から先の感覚がなくなった。ヤダね、どうにも。
あと少しだけ、前へ。
藻掻くように手足を動かして、視界を赤く染めながら。
前に進み続けた足はようやく停止するに至った——。
「………」
沈黙はあってはならぬもの。
この状況で動きを完全に止めてしまうなど、殺してくれと言っているようなものだ。
——鏃が宿す白黒の焔は青年の胸に突き付けられていた。
だが、死んではいない。
肉体は間違いなく死へと向かい、彼女がトドメをさす必要もない断崖へ立っているというのに。
「カ、ハハハ……ッ」
青年は、心底楽しそうに笑っていた。
「なぜ、だ」
「どうしたよ姉上、ずいぶんと変な顔でオレを見やがって。ハハ、こりゃ可笑しなこともあるもんだなあ!」
いつも不愛想というか、お堅い顔してた姉上が真の抜けたような顔を見せていやがる。
なんだこりゃ、ずいぶんと面白いな。
「そんなにアヤネちゃんを助けたいっていうならよお、その矢をホロウに撃って来いよ! オレ一人仕留められねえ以上、ノーコンなのは分かり切ってるけどな」
「この———ッ! 現世より皆滅せよ、吾がもたらすは破滅の救済!」
呆けた顔が急激に引き絞られ、引き金に掛けられた指に力が込められた。
終極を用いれば辺り一帯を吹き飛ばすだけではなく、この虚無領域そのものを焼き尽くしかねない威力と概念を秘めた一矢。ほぼ零距離に立つオレを殺すには過剰な一撃。
防御は間に合わず、間に合ったとしても盾ごと吹き飛ばされる。
けどな、こうなることは分かってた。
信じるっていうことはこういうことで、オレは姉上のことも信じていた。アンタはオレ一人を殺すのにも、きっと躊躇するだろう。
「敵を殺すのに迷うなよ」
「——ッ!」
予想通り過ぎるどっちつかずさについ顔がほころんでしまう。
けれど最後には行動に移す強さを持っている。引き金に掛けられた指は震えを止め、必要以上の力を込めて引き金を絞った。
「四方展開、“終極”破界領域……『大黒天憤怒相』」
姉上の持つ最奥、究極の一撃。護るべきもののために編み出した四方の極致。
数え切れぬ時間、耐えがたい鍛錬を経て到達したであろう終極の一撃だというのに、放つ本人はまたもや戸惑ったような、取り返しのつかないことをしてしまったかのような、悲しい顔をのぞかせていた。
(そんなことだから——)
白黒の二色に染まる世界。何もかもが白く、その中心において黒点が光の速さを以て迫る。射出と着弾は刹那違わず、距離関係なく世界そのものを滅ぼさんとする黒き太陽が現出した。
「——ユーリィ!!」
叫ぶ声はとても遠くから聞こえたような気がする。
それほど走った覚えはないんだが、薄れゆく意識の中では距離さえも遠く引き延ばされていくようだった。
『本編について』
・ヨナギの武装
レイガンから羂索を取得しているので、相手の捕縛や攻撃範囲の拡大などに活用しています。彼にとっての最強はレイガンなので、何をどうしても参考となる人物は老剣士の技となります。
『定期連絡』
・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。
・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。
・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。




