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四方総界縁起  作者: くろよ よのすけ
77/100

77.総界の巫女と少年①


『俺は、ホロウが作った器だ。ホロウを殺してこの戦いが終われば、生きていられるかは分からない』

 あの言葉と、その時の彼の悲しんでいたものとは違う、達観や諦観の入り混じった顔が何度も頭をよぎる。


「…………ふぅ」

 カチャカチャと音を立てながら夕食の食器を片付けている時も、頭の中がグルグルと回ってしまっている。今日聞いた、これまで隠されていた事実は確かに驚くものであり、ヨナギ様がこれまで戦い続けてこられたことへの答えでもあった。


「……」

「シエさん、わたしに何か手伝えることはある?」

「え、あああや…、いえもうすぐに終わりますので問題ありませんよ。お足が悪いのですからお休みになってくれていた方が——」

「よな君も安心する?」

「え、えぇと…」

「ふふ、ごめんなさい。少し意地の悪い言い方だったわね。それなら、この後は時間あるかしら」

「はい、でしたらすぐに終わらせますので少々お待ちください。お茶もご用意いたしますのでソファでおくつろぎくだされば」

「そう…? 全部用意してもらうとなんだか悪いわ」

「それ…でしたら、茶菓子だけ出しておいていただいてもよろしいでしょうか。私は今の貯えにどのようなものがあるかまでは把握しておりませんので」

「ありがとう、それじゃあ準備させてもらうわね。とてもお茶を淹れるのが上手だと聞いていたから、一度いただいてみたくて」

「ど、努力します…っ」

「ふふ…っ、よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げると棚の中からいくつかお菓子を取り出してくれる。

「? どうかした?」

「い、いえっ、なんでもありません」

 ついその姿を目で追ってしまっていると気づかれてしまい、あわてて視線を元に戻す。


(いけません、不信感を持っているわけでもないのですから…。まずは洗い物を終わらせてしまいましょう)

 ペタパタと、不規則なスリッパの音が遠ざかるのを聞きつつも水音に集中する。彼女の性格からして、リア様のように先に食べ始めることもしないと思うので、待たせないうちに終わらせてしまおう。


「お待たせしました、…やはり待ってくれていたのですね。…リア様とヨナギ様はお呼びしなくても?」

「うん、というよりも二人してどこか出かけちゃったみたいなの。行先も言わないでね」

「そうでしたか、すみません気づいていませんでした」

「シエさんが謝る必要はないと思うわ。よな君の行先は見当がつくけれど、リアはどこに行ったのかしら」

「もう外も暗いですし、心配です」

「それは大丈夫じゃないかしら。リアもシエさんみたいな頼れる人がいると任せちゃうけど、やらなきゃいけないことはちゃんと一人で済ませるし」

「そ、そうですか? ……とはいえずっと離れていた私に心配する権利はないのかもしれませんが…うぅ……」

「自分を責めないで。シエさんがここを離れていたのも、もとはといえばわたしやよな君が悪いのだし。今日はね先に言ってしまうと、そのことを謝りたかったの。だから私と話したくないというなら、無理して話さない方がいいと思う」


 私から逸らされることなく見つめる瞳は、優しくも芯のある力強いもの。それだけで人としての器の大きさのようなものを感じ取れるほどに。

 『総界の巫女』として永すぎる時を生きてきた彼女にとって、精神的な面ではかなうはずもない。彼女からすればホロウ以外の存在はかわいい子供のようなものなのかもしれない


「いえ、そのようなことは思ってなどおりません。このままでは用意したお茶が冷めてしまいます。お口に合うとよいのですが」

 手に持った薄く湯気が立ち上るティーポットを小さく揺らし、彼女へと見せる。

「そうね、そうさせてもらおうかしら。それじゃあほら座って、さっきも言ったけれどシエさんとは一度ちゃんと話してみたかったの。世界のことではなく、あなた自身のことについて。なんてこんなことを言ったらまた怖がらせてしまうかしらね、ふふ…っ」

 彼女もまた、机に用意してくれていたお菓子を一つ摘み上げると私へと見せてくれる。

 その時に見せてくれた小さな笑みは、先ほどのような達観したものではなく、年頃の少女でしかなかった。


  □ □ □


「本当、リアの言っていた通り。とても…とても美味しいのね。………」

 そこまで言うと言葉が続かなくなり、うつむいてしまう。

「あ、あの……どうかされましたか? もし口に合わず、気を使っていただいているのならその必要はありませんので——」

「ううん違うの…。夕食もそうだったけれど、本当に美味しくて…。感動してしまって」


 顔を上げた彼女は指を目尻に当て、涙をぬぐうようなしぐさを取る。一瞬、ほんの一瞬だけ気を使ってくれているのかと思ったものの、その仕草を目の当たりにしてしまうとその気持ちは一切湧くこともない。

 裏表のない人物という表現があるが、ある意味では彼女もまたその言葉がぴったりとあてはまる。


「あやからは、嘘や冗談を言ってもそのまま受け入れてしまいそうな説得力がありますね。それでいてその言葉は本心しか話してはいません」

「そういわれると少し申し訳なくなっちゃうわ。わたしもそこまで良い子というわけではないのだけど…」

 困ったように眉を下げる姿も、思案するときの大人びた姿もまた彼女の姿。二面性というわけではなく、それが同一に存在していても一切の違和感もないのがあやらしさというものなのでしょう。


「それじゃあシエさん、お話してみたかったことなのだけどいいかしら」

「はい、私に答えられることでしたら構いません。……なんなりとお聞きください」

 半分ほどカップの中身が減ったころ、彼女が口を開いた。

「今日の夕食もとても美味しかったけれど、シエさんの得意料理はほかにもあるの?」

「え? 得意料理、ですか?」

 思わぬ質問につい聞き返してしまった。


「その…失礼を承知で申し上げると、アヤネのことや、ヨナギ様のことをお聞きしたかったのかと思っていたのですが……」

「それはそれで気になりもするけど、本人に聞けば済む話だもの。でもシエさんのことはシエさんと話さないと分からないでしょう?」

「は、はぁ…、でしたら…そうですね。得意料理ですと…、リア様のお好きな料理でしたら人並み以上になるよう努力はしたつもりです。とはいえ比較する相手は『纏界』でもこちらでも、つい最近までおりませんでしたのでマトモな味付けとなっているかは不安がありましたが」

「リアが好きな料理…、なら家庭料理ね。シチューとかの煮込み料理かしら」

「よくお分かりになりましたね。たしかにそうなのですっ。手の込んだ料理もお好きなのですが、家庭料理をお出ししたときの笑顔はまた別の笑顔をお見せしてくれるのですっ」

「きっと故郷での思い出の味なのでしょうね。本人が意識しているかどうかは分からないけれど」

「そうなのかもしれません。今日聞いた話は驚くばかりで…お二人とどうお話すればよいのか分からなくなってしまいそうでした」

「二人も、というよりよな君もシエさんのおかげで大分落ち着いたでしょうから、もう大丈夫だと思う。あなたに酷いことを言ってしまったって、ずっと気にしていたみたいだったから」

「ヨナギ様のことも…、その……」

「どうかした?」

「あや…私からもお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

 意を決して聞いてみる。あやであれば『総界』に来てからのヨナギ様のことも良く知っているはず。


「ダメよ、わたしからは教えられない」

「そう、ですか…」

「もしも彼のことを知りたいなら、本人から聞くのが一番よ。わたしからの伝聞ではどうしてもわたしの主観が入ってしまうから」

 それは先ほど彼女の言ったこと、まさに本人に聞けば済む話ではあった。しかし答えてくれるでしょうか。


「大丈夫、よな君なら応えてくれるわ。きっと彼が一番甘いのはシエさんだもの」

「そ、そのようなことは…、それで言うのならばあやも、リア様も、……アヤネだってそのはずです。そこに大きな差は無いと思います」

「彼が皆に強い感情を持ってくれているのは間違いないわ。でも、その感情の内訳まで同じというわけではないと思うの。容姿で言うのならシエさんはかわいいし、リアは美人だわ。だけど大枠で捉えるなら素敵な人、でしょう?」

「あ、ありがとうございます…」

「だから他人の本心が知りたいのならまずはその本人と話してみるべきよ。わたしたちが今こうしているように。よな君のことはこれ以上わたしからは何も言えない。でもわたし自身のことなら聞いてもらって大丈夫。もちろん、答えられる範囲で」

 クスリと笑う。

「——あ」

 その姿はアヤネが見せていた仕草とよく似ていて、つい声が漏れてしまった。そして、一つ気になることも浮き上がった。


「でしたら、一つ。…よろしいですか?」

「ええ」

「あやは、アヤネのことをどう思っているのですか?」

「彼女になら、よな君を任せられる。本音を言うとわたしよりもずっと彼とお似合いだと思うもの」

「え、それは——。いえ、でしたらあや自身の想いはどうされるのですか?」

「それはそれ。わたしは彼のことが好きよ。きっとシエさんやリアと同じように。でもね、わたしは彼を引っ張っていくことも、隣に並んで戦うこともできない。しいて言うなら前を歩く彼の背を少し離れてついていくくらいかしら」

「……とてもそうには思えません。ずっと、…それこそホロウの封印が一度解けるまでは二人でいらっしゃったのですよね。それならお二人の関係性はもっと近しいものかと……」

「今の例えで大事なことがあるとするなら、それは彼自身の歩く速度はいつも変化しているの。生まれる前から辛い状況に巻き込まれ、運命に抗って必死に戦い続けてきた。わたしの知る人間の中で最も強い人」


 ヨナギ様のことを話すあやは憧れの対象を前にした子供のように、彼女の目の内にはキラキラとした輝きが瞬いていた。

 そしてその気持ちはきっと私にも分かるものだ。

 命を救われ、多くのものを与えられた。ヨナギ様自身にそのつもりはなくとも、受け取った側からすれば返し切れないほどの御恩に他ならない。

  

「信じてもらえるか分からないけど、この世界は彼が来るまでは本当に何もなかったの。雪より真っ白な空間が広がっているだけだった。それにわたし自身、力が完全なら生理現象も必要ないの。あくまで世界維持のための中枢機能を持っているだけだから、本来生命と呼ぶことさえ間違っているのかもしれない」

「でしたら、街ができたのはアヤネが生み出された後なのですか?」

「いいえ、規模としては今よりも小さかったけど街と呼べるものはあったわ。それもよな君が来てからのこと。それまでのわたしは、もっと、そう……機械のようだった。未来永劫終わりのない役目を、自らが朽ち果てるまでこなし続ける機械」

 声色に空虚な後悔が混じり込む。

 後悔すべきなのに、後悔するための原因そのものが見つけられない。


「その頃のことはほとんど覚えていないの、覚えている事柄はホロウの襲撃と、よな君が来てからのことくらいで。それ以前は何も覚えていない。何もない世界だと時間の流れさえも認識できないでいたから、無意識のうちに心が壊れてしまわないように防御していたのね」

「我々以前のラゥルトナーの戦士や当主様などは護衛のために来られなかったのですか? 『総界』での戦闘は起こっていたはずなので、広い空間だけの世界とおっしゃっていたならその場で戦っていたのではないかと思ったのですが」

「……そうね、シエさんの言う通り。永い間、多くの人たちが命を賭けて戦ってくれていた」

 すると、あやは困ったような笑みを浮かべる。

 まるで痛いところを突かれたとでも言うような笑みだ。


「そのことについてだけはわたしも、リアのことは強く言えないわね」

「と、いいますと?」

「わたしはね、本物のラゥルトナーである彼らや、彼女たちのことは誰一人覚えていないの。襲ってきたナイギの一族も同じにね」

「それは……会話することがなかったということですか?」

「いいえ、彼らは律義で同時に傲慢でもあったけど、出来うる限り高潔であろうとはしていた。そういう人はね、護る対象であるわたしへの挨拶は欠かさないものよ。顔を覚えてもらおうとしていたのかもしれないわね」

「なら、覚えていないというのは……」

「そう。わたしが彼らに、というよりも世界の維持以外に何も興味を持たなかったから。そもそも、何もない世界に生まれて役割を果たすだけの歯車でしかなかったわたしにとって、その他の命というものには興味を持つことさえできなかった。だから、彼らのことは誰一人として覚えていない。……あまりいい気分ではないけれど、他人というものを認識したのはホロウが最初なの」


 耳を指先でいじる姿は気恥ずかしいのか、気まずいのかそのどちらもが伝わってくる。そして同時に、ホロウに対する怒りや憎悪というものも薄らと滲み出ていた。

「——」

 前に座っているだけの私が気圧されてしまうほどの黒い感情。堆積し、掘り返すことも拭い取ることもできないほどの汚濁が、彼女の心の一部を占めている。

 きっとそれは、これからどれ程の時間を掛けようとも取り除くことは出来ないものだ。だからこそ、あやもヨナギ様も、リア様もこれまでの長き戦いを降りることなく歩み続けてこられた。

 ——そのことを思うたび、私には何があるのだろうと思ってしまう。

 最後までついていく決意に変わりはなく、揺らぎもしない。だけれど、未来の行き先ではなく今現在における自身の居場所を、ふと見失ってしまいそうになるのです。


「…………」

「あ、ごめんなさい。変な空気にしちゃったね。あの男のことになるとどうしてもいやなことばかり思い出してしまって…」

「いえ、私もまた考え込んでしまいました。決してアナタのせいではありません、気を落さないでください」

 そんな私の姿を見て、自分のせいだと思ったらしい。優しい人なのだと感じながら決してそのようなことは無いと訂正する。

「ありがとう。ならお詫びに、というわけではないけれどちゃんと続きを話さないと」

 私の言葉を素直に受け取り、耳を触っていた手を膝の上に戻す。寸前まで触れていた耳はほんのりと朱く染まり、それが照れによるものなのか怒りによるものなのかは判断ができなかった。


「そうね、その後のことを話すというのなら……、ここからがシエさんにとっても気になる部分だと思う。あくまで主観として話すから、詳しいことは彼本人に聞いてみてね」

「それは——」

 つまりそれは、私が主の背を見送った日。

 いつも怒っているような、つまらないような、寂しいような。複雑な感情が絡まって、いつも不愛想にしていた少年が旅立った時のこと。


「わたしが生まれて初めて、最初に認識した邪悪がホロウだというのなら。生きてきた中で初めて、心に熱をともしてくれたのが……彼なの」

 これから先は、いうなれば彼と彼女の傷だらけの追憶。

 最後は離れ離れになり、互いに永遠とも思える時の中で傷つき続けた少年と少女が再開するまでの。

 ……一人でしかなかった二人が傷つき合い、三人目が立ち去るまでの長そうでとても短い物語だった。


  □ □ □


 彼がわたしの前に現れた時の第一声は他のラゥルトナーの人たちとは違った。


「お前が『巫女』だな。…はぁ、どうでもいいうえにくだらない、……アレを殺すために護りにきた」

「………?」


 他の人たちはね、なんとなく覚えてる台詞だと『貴女様のためにこの命を』とか、『汚らわしいナイギから御身を救いに』みたいにわたしを護ることそのものが目的の人たちばかりだったの。

 それがおかしいことだなんて少しも思ってないわ。だって彼らからすれば生まれた時から、そのずっと前から脈々と受け継がれてきた役目で使命、そうすることが当然のことだもの。

 それにもう一つ他の人と違うことがあったとするなら、そうね。文句を言いながらもずっと近くにはいてくれたことかしら。

 それまでの人たちはわたしのことを清らかなモノ、だなんて思ってたみたいで自分たちが必要以上に接触するのは禁止だったみたい。不思議でしょう? いまシエさんの目の前にいるわたしは綺麗というよりも薄汚いという方が正しいんじゃないかしら。

 そんなことはない? ありがとう、あなたの優しさは誰にも誇れるものだわ。


 ああそうだ、それでラゥルトナーの人たちは可能な限りわたしとの会話も無かったし、そのころのわたしも他人に返事なんてすることはしなかったから、よりそういう目で見られていたのね。…カミサマとでも思われていたのかしら。

 だけど、よな君はずっとついてくるの。何もない白の世界で、わたしが当てもなく歩いているとつかず離れず、ずっとね。


 よな君が『総界』に来た時点でラゥルトナーもなくなってしまっていたようなものだから神聖なモノ、としての認識がなかったのもあるでしょうけど……、どちらにしてもあのころのよな君なら興味は無かったでしょうね。

 それがしばらく続いたのだけど、…ふふ…っ、ああゴメンなさい、思い出しちゃってつい。あのね、このことをしゃべったのは二人には内緒よ?


 ある時変な音が聞こえたの。

 初めて聞く音だった。ぐるるーって、変な音。わたしも少し驚いてしまって、つい振り返っちゃった。そうしたらね、彼が不機嫌そうにわたしをにらんでいたの。

 不思議だったわ、わたしはいつも通り意味もなくふらふらと歩いていただけで、他人にどう思われるのも興味は無かったのだけど、その時に見せた不機嫌な顔は皆目見当がつかなかったから。

 だから、つい——ね?


「どうかしたの?」

「チ……、口が利けたのか。なんでもない、放っとけ」

「………なら、一つ教えて」

「……なんだ」

「いま、変な音がしたの。今まで聞いたことのないおかしな音。あなたの方向からきこえたのだけど、何か知っている?」

「…………」

「……???」


 そうしたらますます機嫌悪そうになってしまって。理由は分からないからそこで二人して立ち止まっちゃって。

 わたしはもう一度聞けば分かるかもしれないと思ったし、彼は距離を取ったまま離れることはしないけど、時間が経つとともに苛立ちは増していく。

 そのまま耳を澄ませて少しすると、また聞こえたの。それは間違いなく彼から聞こえてきた音だった。


「やっぱりあなたから聞こえた。今の音は何?」

「……、なんでそんなことが気になるんだ。『巫女』っていうのは世界を維持する力を持っているんだろう。これくらい分からないのか?」

「知らない。ここで聞こえるのは足音と、短い戦いの音だけだから」

「…ナイギの連中ならしばらく来てないみたいだけどな」

「ええ、そういえばそうね。それで音のことを聞きたいのだけれど」

「お前には関係な——、…………」


 また聞こえた。

 わたしったらよせばいいのに、どうしても気になってね。彼へと自分から近づいて行ったの。そうしたら彼は離れるものだからまた追いかけて。それをずっと続けることになったのよ? おかしな話でしょう、今までとは立場が逆になっちゃったの。

 それもずっと、とはいえ三日くらいかしら。それくらい経ったとき、ようやく彼が腰を下ろした。

 教えてくれる気になったのかと思って近づいて、何をしたと思う?

 ふふ、少し惜しいわね。わたしはね、動かなくなった彼のお腹に耳を当てて、音の発生源を突き止めることにしたの。

 やっぱりここから聞こえていたんだって。なぜ彼はそのことを教えてくれなかったんだろうと思って声を掛けたら、返事はなくってね。どうしてだろうと思って顔を見たら、何故だかすごく辛そうで、顔もやつれてるみたいだった。


「……なんだ」

「なにかあったの?」

「おまえにはどうしようもないだろ。知らなかったとはいえ、見立てが甘かったバカが馬鹿を見てるだけだ」

「教えて?」

「なにを」

「そうなっている原因」

「……まさか本当に分からないから追いかけてきてたのか?」

「ええ、教えて」

「はぁ…、なるほどな。確かに俺達と『巫女』とでは体の作りが違うらしいな……。お前、飯を食ったことはあるのか?」

「…めし、って?」

「食い物だよ。ここに来てから、一度もお前が飲み食いしてるところを見たことがない。界燐でも吸収してるのかと思ったが、どうにもそういうわけでもなさそうだしな」

「……知っては、いる、けど…。確かに食事というものはしたことがないわ。その、物を食べたいと感じたことがないから」

「……ずいぶん便利な身体だな。生き物なら何かしらを定期的に食わないと飢餓状態になって死ぬんだよ」

「あなたも、そうなの? それにあの音はなんなの?」

「…はぁ、くだらねえ……。腹が減ると…、食事が必要になるとああいう音が腹からなるんだよ。それが聞こえただけだ」

「なら食事をとればいいでしょう」

「持ってきてた分は尽きた、ここまで何もない場所だとは思ってなかったし、アイツは何も教えなかったしな。最悪ナイギの連中から奪えばいいと思ってたんだが…、一人も来やしない。ふざけやがって」


 心底面倒くさそうに話す彼の姿は、思い返すとレイガンそっくりね。やっぱり親子なんだと思う。よな君はいやがるだろうけど。

 うん、そう。わたしったらおなかの虫が鳴いた音をずっと追いかけてたの。その頃のわたしはお腹がすくことは無かったしもしかしたら呼吸もしてなかったのかも。それに声を発したことも。


「わたしは、その感覚を知らない。必要としたことがないから、この身体に適用していない」

「……必要なものを必要なだけ創り出すのか? ならこの世界に何もないのも、お前が興味を持ってるものが何一つないからか。はぁ…くそ、こんなにもどうでもいいようなことで、一度も戦わずに死にかけるなんてな。まったくもってくだらねえ」


 苛立ちながら大きなため息をついて、だけどそれはわたしにというよりも自分に向けてたと思う。その頃から根が優しかったのは、シエさんも知っているでしょう?

 ええそう、呆れたように無関心を気取ってね。だけどちゃんと相手をしてくれるの。優しいけど、その時は変な人だと思った。今まであったことのない人だったから。

 ホロウは…そうね、人間としてみていなかったんだとおもう。そういう天災のようなものが近づいてきたから封印した。という感覚だった。


「じゃあ、これ」

「なんだ…? 相手をする気も別に——。どこに隠し持ってた」

「あなたの記憶にこれがあったから、創ってみたのだけど……おかしかった?」

「…創っただと? この何もない場所で、食い物を?」


 パンを渡したらすごく驚いてた。

 当然よね、それまで何もなかったところから急にご飯が出てきたんだもの。それも、焦げちゃった、彼にとっては見覚えのあるパン。シエさんなら身に覚えがあるんじゃないかしら。なんてね。


「記憶を呼んだだと?」

「ええ、食事のことを考えていたみたいだったから、その部分だけ。そしたらこれが見えたから、同じものを創ってみたのだけれど」

「……本当に食えるものなのか?」

「?」

「……いい、はぁ…、どちらにせよ食わないとこのまま馬鹿みたいにのたれ死ぬだけだ。それと、水は出せるか?」

「ええと…、これ?」


 つぎはコップに入った水と、水差し。

 彼は隠しきれない程度には驚いて、ゆっくり口に運んでくれた。なんだか変な顔をしながら、渡した分を全部食べ終わると何とも言えない顔を私に見せないようにしながら「助かった」ってとっても小さな声でね。

 個人的な目的があって、護りに来た相手なのにその相手から助けられたから彼からすれば恥ずかしかったんだと思う。今よりも素直じゃなかったから。

 だけどね、そんな態度でも嬉しかったの。うまく言えないけど、嬉しかったんだと思う。

 誰かに護られたり、大仰な物言いで讃えられたりしたことくらいはあったけど、感謝されることはただの一度もなかったから。その言葉の意味もはっきり理解していたわけではなかったし、今思い返しても本当にそうだったのかは分からない。


 うん、それでもね、嬉しかったんだと思う。そうでなきゃ、追いかけっこを止めていたでしょうし。

 え? うふふ、その後も続いたの。彼はわたしの近くに居続けるのは嫌がっていたから食事を受け取るとまた距離を取ろうとして、わたしは追いかけた。

 それが多分…一週間くらいかしら、それだけ続くととまたお腹をすかしてしまうから何かしらのご飯を創って、それを食べ終わるとまた歩き始める。


 それがどれくらい続いたのかな、しばらくたったころにわたしの方が興味を持ってね。渡した食事の内から一つまみを口に入れてみたの。

 ……味覚というものを初めて感じ取った激動を伝えることはできないと思う。形容できない、っていう言葉でしか表現ができないもの。

 いま、どんなに美味しいものを食べても、あの感情の揺さぶりを超えるものはないと思う。

 そしてそのうち、一緒に並んで食べるようになった。

 彼もいい加減歩きながら食べるのに辟易してたみたい。あんな場所じゃあ進んだところで何もないし観念した、というところかしら。

 

 それからは会話することも増えた。

 主にわたしが聞いて、彼が答える形でね。お互い、自分自身のことを話すのは苦手だったから、大したことは話さなかった。第一わたしの方が質問をしない限り彼が口を開くことは無かったし、わたしもものを知らないから質問の仕方がよくわからなかった。

 だって何も知らなかったもの。

 さっき言ったみたいに他人の記憶を覗き見ることができたから、ぼやけたテレビを見るようなものかしら。相手のことをよく知れば知るほど詳しく見ることができたけど、彼は見られるのを嫌っていたから、なんとなくあまり見ないようにしてた。


 でもね、一つ気になっていたことがあったの。

 それは彼の記憶じゃなくて、彼の瞳を通してわたしたちのことを見ているどこかの誰かさんが、世界を渡り歩いていた時に見た景色の一つ。

 たくさんの家やビルが並んでいて、仕事に向かう大人や、若い子たちが制服を着て学校に通っていて、たくさんの人々がそれぞれバラバラに人生を生きているだけの、とても当たり前のはずで、幸福に満ちた日常の世界。

 それを見ちゃってね、わたしはつい聞いてみたの。


「あなたは、この世界のままじゃいや?」

「…なんだ急に、別にどうでもいいことだろう」

「そう……」

「……はぁ、そうかもな。確かに何もない、つまらない世界だな」

「っ、そ、そう? それじゃあ創ってみようと思うの」

「創る…、まさか世界ごとか?」


 彼なりに気を使ってくれた返答だったんだけど、まさか世界まるまる創るだなんて思わなかったのね。とても驚いてた。

 これまで食事を創ったりはしていたけど、それでも大規模なモノだったから仕方ないかとおもうけど。

 うん、そうよ。この街、というよりその原型は、わたしが創ったの。


「これが…『巫女』の力か」

「おかしくない? 人がたくさんいる街ってこういうものなのでしょう?」

「大方アイツの記憶をのぞいたんだろうが、…俺はこんな場所は知らない。他人とはあまり関わってこなかった。……お前が創ったのなら、お前の好きにすればいいだろ。俺は護ることさえできればどうでもいい」

「うん、ならそうする」

「ああ」

「あ——」

「…なんだ、もういいだろ。人間まで創れるっていうなら話し相手には困らない」

 わたしは、気が付いた時にはもう彼の服の裾に手を伸ばしていた。離れようとしていたところを止められたのに少しむっとしていてたけど、力づくでどけたりはしなかったな。


「もう少し、一緒にいてはだめ?」

「いる意味がないと言ってるんだ。これまでそれなりに長い間ここにいるが、ナイギの連中は一度も攻めてこない。それに何かあれば駆け付けられる距離にはいる。わざわざ常に行動を共にする理由がないだろう」

「……だめ?」

「そういってるつもりだ。…だからもういいだろう、俺みたいなどうでもいい奴のことなんて——」

「だめ」

「………」

「一緒にいてほしい」

「人も、創れるんだろう? そいつらは厳密には偽物だろうが、意志や自我がないと決まったわけじゃない。家族が、友人が欲しいなら今みたいに話せば変化もあるんじゃないのか」


 伏し目がちな彼の目は、憂いを帯びていながら、どこか羨望のまなざしでもあったんじゃないかと思った。彼には、彼の口にした二つともがうらやむ価値のあるものなのではないのかと。そう思ったの。

 だから、というわけじゃないのよ。

 ただなんといえばいいのかしら、初めて興味を持った他人で見た目や態度とは逆に優しくて、ずっと一緒にいた相手だったから、かな。好きになってしまったのね。ふふ…っ、鳥さんみたいに単純な頭でしょう?


 わぁ、シエさんっ、こぼしてるこぼしてる…っ。火傷してない? えぇと布巾は…、え、気にしなくても大丈夫? 本当に? 温くなっていたといっても足にかかっていたし……。

そう…? なら話を続けるわね。


 わたしが絶対に退かないものだから彼も諦めてね。適当な家を選んで一緒に暮らすことになったの。街には人が生活をはじめて、わたしが何もしなくても人々の営みが生み出されていった。

 その間も誰も攻め込んではこなくて、平和、平穏な日々が続いていた。ナイギについてもラゥルトナーへの襲撃で相打ちになってしまったようなものだからうかつに手を出すのを恐れたのだと思う。

 だからその間は本当に二人で静かに暮らしていただけだった。

 街で買い物をしたり、並んで本を読んだり、ご飯を一緒に食べたり。よな君がどうしても嫌がったから学校に通うことは出来なかったけど…、それでも幸せだったの。


 人の一生分を共に暮らしたような気もするし、数日でしかなかったような気もする。

 時間を重ねるにつれて、よな君とわたしの距離も少しずつ縮まっていった。あ、そういう肉体関係的な話じゃないのよ? わたしはそういう知識はすっからかんだったし、心が満たされていた以上特別必要だとも思わなかったから。

 本当に、並んで立った時の肩同士の物理的な距離の話。


 その頃にはよな君も今ほどじゃないにしても話してくれるようになってた。わたしも隣にいられることで満足していたけど、他愛のない話を求めてしまうの。わがままよね、これ以上なく幸せだと言っておきながらもっと上を欲しがっているんだもの。


「ねぇよな君」

「どうした」

「手を、握ってもいい?」

「……勝手にしろ」

 くだらない、というか小さなことでしょう?

 でもこの程度のことが、わたしにとってはこれ以上ない奇跡だった。


 そうそう、二人で毎日のように通っていた場所があってね。

 今の街は土地の形状そのものが変わってしまっているからうまく説明は出来ないけど、住んでいた家は街から少し離れているところにポツンと建っていて、少し歩くと丘の上に小さな公園があったの。

 そこから見える星はとてもきれいで、雲のない夜は彼が星を見に出かけていた。

 とても静かに瞬く星々を見つめる彼は何を考えているか、あの時は分からなかった。ううん、今もはっきりとわかっているわけじゃあないの。その頃にはもう記憶を読むこと自体しなくなっていたし、今は今でそんな力を持ってはいないから。

 

 ……でもね、わたしは星なんて見ていなかった。ずっと、彼を見ていたの。これから先も、傍にいられるんだって、根拠もない未来への希望を抱いていた。



『本編について』

・あやねとヨナギの過去

 ヨナギが総界へとやってきた頃の話です。この二人だけだと老夫婦的な落ち着きが全面に出てくるので、元の波長が合う感じです。

 また、皆方が夢で見ていた光景はこの頃の記憶になります。


・ラゥルトナーと総界の巫女

 彼らの関係性としては纏界への侵攻を防ぐためでもありますが、もう一つ大きな理由がありました。具体的に言うと食糧問題ですが、本編通りあやねは食料を創り出せるので、その恩恵を受けていた形です。


『定期連絡』


・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。

・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。

・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。

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