74.迷い、光明①
こうすることが一番だったと思うし、それは私にとってだけじゃなくみんなにとっても。だけど、まだまだ足りない。
だから私にもできることがあるのなら。
「教えてほしいことが、あるんですけど」
「ん? あぁ、かまわんぞなんでも聞けばいい」
眠りについていたのか。
玉座のような装飾が施された椅子に身を預け、目を閉じていた男は私の姿を捉えると、口元をにやりと動かす。
「俺はお前にも幸せになってほしいと願っているからな。なぁ、アヤネ」
それが本心なのか、演技なのかは分からない。
感情を読み取るにはあまりに薄っぺらで、それなのにその心には一切嘘のないように見えるから。
「………ぅ」
だからただ前に立っているだけの私の方が不安になってしまう。
足元がぐらついているのか、頭がふらついているのか。それでさえ判断できなくなってしまう。
「どうした黙り込んで。直に聞きにくいことなら伝言でも構わんが? 俺はお前に苦しんでほしいわけではないんだ。ほうら笑えよ、欲しいものがあるなら用立てる、なにを苦しむ必要があるという」
しかし男はそんなことはお構いなしだった。
苦しんでほしくないと言いながらも、掛けられる言葉からは一切他者への思いやりは感じ取れない。
でも私が頑張らないと、じゃなきゃここに来た理由が無くなってしまう。
「……っ、その、なんで攻撃をしないのか、気になって」
「ふむ?」
私の問いかけに対して、心の底から思い当たる節がないとでもいう様に顎に手を当てて考え込み始めた。
(…一体何を考えてるの。このおっきなお屋敷に来てから何もしないで……、何をしようとしてるのか聞き出したいのに……っ)
「ああそういうことか、ならそう言ってくれればいい」
「え、まだ私何も——」
「カハハ、なぁに大したことじゃあない。他者の心に耳を傾けることも大事なことだ。そうだろう、でなければ人の痛みが分からなくなる。く…ハハハ…」
「———」
その姿からは、他人の心が読めるとしか思えなかった。ううん、きっと読めるのだ。そのうえであんな態度をとることしか出来ない。
人の痛みなんて、この男に分かるはずもないのに。
「やめて」
「うん?」
「私の願いをかなえてくれるっていうなら、まずは心を読むのをやめて」
「構わんさ、お前がそれを望むなら。俺はそれに従おう」
「……そう、ならそうして」
正直断られると思ったのに、あまりにあっけらかんと肯定されてしまった。私が何を考えていたとしても関係ないってことなのかもしれない。
(もう、戻ることは出来ない……。でも、私には私のできることがあるはず…)
私が何者なのか、思い出すにいたる戦いから、三ヵ月。
この、ホロウに望めば望んだモノが手に入るだけの、空っぽのお屋敷で、すでにそれだけの時間が過ぎてしまった。
封印から解き放たれた男、ホロウは私の願いを聞く、そういう条件で私を此処に連れ去った。暗がりばかりの、日の当たらないお屋敷。窓の外には何もなくて、まるで宇宙の真ん中に放り投げられてしまったかのような不安に襲われる。
たったの三ヵ月しか経っていないのに、すでに精神的に疲れてきてしまっているように感じる。
「ううん、こんなことくらい……」
そうだ、これくらいの時間は彼と彼女に比べればなんのこともない。繰り返されるたびに何もかも忘れて、辛いことは全部彼らに押し付けてきた。
「………」
全身ボロボロの、今にも泣きそうな顔で右目から血を流す少年の姿を思い出す。
あんな姿は見たくない。だけど、私がいる限りは彼が幸せになることはないことも分かっている。彼にとってのミナカタアヤネは私じゃないのだから。
そんなことも気づけなかった。知ろうともしなかった能天気な私が、少しばかりの苦しみを背負うくらいで悲鳴を上げてはいられない。
——これはきっと、私への罪なのだ。一粒の砂ほどでも償いができるなら私に拒む理由はなかった。
「そういうなよアヤネ。俺も不得意なだけに苦労しているんだ。もっと他者に理解してもらうことのできる性質をしていれば、これほど時間を掛けずに済んだだろう、とな?」
「…貴方を、理解したがる人がいるようには思えない」
「そうか? そう思うか? いやしかし、確かにそうかもしれんなぁ。ヨナギにもレイガンにも『巫女』にも、ああそうだ“母親”にさえ捨てられていたか。クハは…っ、なるほど確かに、これからは改善していかねばなぁ、ハハハ」
「貴方はいったい、何なの…」
「それが一つ目の問いか? まぁ時間はある、いくらでも聞いてくれて構わんぞ。何でも聞けばいい。それがお前との契約だからな、アヤネ」
「なら、……いいから、教えてくれるっていうなら答えて」
「とはいえ、だ」
答えるといった男はしかし、気だるげに背もたれにだらしなくもたれかかると、虚空を見上げてつまらなそうに息をつく。
「言えないことがあるの? 私に教えられないような弱点でも?」
「分かっているだろうがそういうものはない。しいて言うのならここにヨナギがいないことが不満点ではあるが、まあそれほど大した問題じゃあない。後々でも何ら支障はない。が、言ってしまうと俺から伝えることが驚くほどにないと思ってな?」
「なによそれ、目的とか素性だとか、相手に伝えるくらいのことはあるでしょう」
質問内容がホロウの機嫌を損ねた時、気に入らないなら最後は力づくでなかったことにすればいい。結局私に戦う力はない以上、どうとでもできてしまうから。
だからこのまま適当にはぐらかすつもりなのかもしれない。
「ふぅむ、別に答えられないだとか答えたくないというわけでもない、のだがなぁ」
「っ、心を読まないでって——」
「ふっ、心を読むまでもないさ。顔を見ればわかる。だがそうだな…、アヤネ」
「……なに」
ほぼ横になっていた体を起こすとひじ掛けに体重を預ける。つまらなそうにしていた表情もいつも通りの妖しげな笑みを湛えていた。
「まずは部屋に戻ることだな」
「ちょっと——」
「俺のことが知りたければ“アレ”に聞けばいい。まず間違いない情報であるのは俺が保証するし、聞いたうえで他に疑問があればその時はまた、この座へ来ればいい」
「それは、逃げるつもりなんじゃないの…っ?」
「まさかまさかだ、それに俺の前にいたところで無駄に疲れるだけだろう。立っているのもやっとだというのに、ここまで食い下がってくるとは思わなかった。…まずは仮眠でも取ることだ」
「っ…」
たしかにホロウの言う通りだった。この部屋に入ってからというもの、ホロウとは距離があるはずなのに、姿を直視するだけで、一言一言が耳に届くだけで心臓に重くのしかかる。拳を血が出るくらい強く握っていないと気を失いそうになる。
「俺とお前は同じだ。どうにも親近感というものが湧いて仕方がなくてなぁ。誰も彼もが傷つくのを見たいわけではないが、アヤネは別格というやつだ」
「私とあなたが同じだなんて、そんなこと…ないっ!」
これが、みんなが戦ってきた相手なのだ。私みたいな護られていただけの存在が正面に立つこと自体、ホロウの気まぐれで消し飛んでしまう。
「では、話は一旦終いにしようじゃないか。次は元気な姿を見せてくれることを楽しみにしているぞ、アヤネ。ハハ——っ」
「あ——、まっ…——」
ホロウが手をかざすと、そこから目に見えない何かが波紋のように広がり、それがこちらへ届いた時、私の意識は闇へのまれた。
□ □ □
「まって——。……あれ」
体感で瞬きほどの時間が流れたと思った瞬間、私はさっきまでのホロウのいた空間ではなく、宛がわれた部屋のベッドで横になっていた。
「…そっか、気絶させられたんだった。はぁ……、ダメだなぁ、私」
本人を前にしておきながら、結局は何一つ聞くことも出来ずに追い返されただけ。これじゃあ私は何のために、彼を傷つけてまでホロウの元へやって来たのか。
「起きたか、今回はずいぶんと無茶をしたものだな」
「あ、うん、また…心配かけちゃったよね。ゴメンなさい」
「無事ならそれでよい。いまだ信じられはせぬが、彼奴も契約を破るつもりはないらしい。その気になればどうとでもできるであろうに。何を企んでいる…」
「ありがとう…、でもやっぱり私じゃダメみたい。話すだけで精一杯で、何も聞けなかった」
悔しくて掛けられていたシーツを握りしめる。すると——
「…っ痛」
手のひらにじんわりとした痛みが走る。思いがけない痛みに手を離すと握っていたシーツの部分が赤く染まっていて、それは私の手から滲んだ血の色だった。
自分でも気づいていなかったけれど、握り込んだ拳は思いがけない以上に力が入っていたらしい。まさか血が出ていることに気付かないとは思わなかった。
「よさぬかまったく、その勇気は褒めてやりたいが…。いや、今回の行動が蛮勇であるならば咎めるべきであろうな。言ったところで聞く気は無かろうが」
「ごめんね、“衣優ちゃん”。無理矢理にここまでついてきてくれたのに…。私のことよりもみんなと一緒にいた方がよかったんじゃ——」
「それこそあり得ぬ話。吾はお主を護ると誓った。それが果たせぬまま、戦うことすらできずにこれまでの永き輪廻を傍観者として繰り返してきたが、よもやこれまでだ。世界の法が崩れた以上、吾は吾のすべきことをするだけだ」
衣優ちゃんは私の手を広げさせると、テキパキと応急処置を済ませて包帯を巻いてくれる。ここには私一人だけでよかったとは思うけど、彼女がいてくれたおかげで精神的にはすごく助けられている。
「もう、本当に大げさなんだから。初めて会った時から何も変わらないね。とはいっても、“今の私”にとっての初めてはつい最近なんだけどね」
衣優ちゃんの手によって呼び起こされた、これまでの皆方彩音という名の少女の記憶。
数えきれないほどの思い出と絶望を思い出そうとすると、まるで夢のように朧気で鮮やかだ。自ら意識しなければフラッシュバックしたりなんてこともない。
だけど、思い出そうとすればそれはどこまでも鮮明に思い出すことができる。
春も夏も秋も冬も。
いつも私は何もかも忘れた皆方彩音として夜凪くんと一緒にいる。彼を引っ張りまわして、彼も渋々ついてきてくれて。
何気ない、だけど心から楽しいといえる日々が、ずーっと続いて、繰り返されてきた。
でも、戦いが始まって。剣も持っていない夜凪くんが頑張って、そして最後には負けてしまう。血だらけなのに私を連れてできる限り逃げて。
最後には私を——。
「う——っ」
「どうした、気分が優れぬか」
「う、ううん大丈夫。ちょっとめまいがしただけだから。あはは……」
「ならば、よいが…。水を持ってくる。少し待っておれ」
部屋を出ようとする衣優ちゃんの背に声をかける。
「…そうだ、さっきホロウが言っていたの。衣優ちゃんなら自分のことを知っている、って。そうなら教えて、何も知らないままじゃこのままじっとしてることしか出来ないから」
「自分で話すようなことは何もない。か。どこまでも空っぽの男だ。……分かった、とはいえまずは横になっておれ、眩暈で倒れられても困る」
「あはは……、もう大丈夫だって」
「まったく、ではおとなしくしておけ」
「はーい」
バタンと音を立てて重厚なドアが閉まる。
足音が遠ざかるのを聞き届けてようやく、私は息をつけた。
「…はぁ、ふぅ——……」
いけない、少し思い出しすぎた。
脳内で鮮やかに繰り広げられる夢は、あまりにも覚えすぎている。何が起きたかではなく、肉体がうけた痛みさえも私の心は覚えてしまっている。
世界を奪われぬために、彼が私を手に掛けた瞬間の絶望も。彼自身の悲しみも何もかもが、今起きたかのように鮮明すぎるくらいに体と心を駆け抜ける。
それに、衣優ちゃんのこと。
衣優ちゃんは私を友達だと言ってくれる。その時の友達として、私と夜凪くんと衣優ちゃんの三人で一緒に学校に通った記憶も、嘘偽りなく思い出せる。
だけどこれまでに何度も死んで来た私と、今の私は同一人物といえるのだろうか。私は、彼女の気持ちを裏切っているんじゃないんだろうか。
彼女の優しい、友達として変わらず接してくれる姿を前にして。
……つい、そんな風に考えてしまったのだ。
□ □ □
「くそ……っ」
部屋を出て初めに出たのは悪態だ。
むしろそれ以外に何があるという。少女はこれ以上ないほどに傷ついているというのに気丈に振舞い、むしろ状況を打破できないかと抗おうとしている。
これまでに与えられ続けた嘘さえ憎むことなく受け入れて、あまつさえあの男のことを救いたいなどと——。
「気に食わん」
理由などそれだけだ。自信の我儘でしかないことは重々承知したうえであの男の、ヨナギのことを許すことなどできようはずも無い。
アヤネをただの一度も救うことも出来ず、最後には己の手で始末する。その光景を幾度となく見てきた。影から、ヨナギが苦しむさまを数えきれないほどに。
「ふざけるな、貴様が苦しむ理由がどこにあるという……!」
怒りに身を任せて壁を殴りつけると拳の形となって壁に穴をあけた。
「だが、そうしなければ今のアヤネはいなかったろう。何をそこまで怒る必要がある?」
「——ッ!!」
「クハハ…っ、そう睨まないでくれ。通りがかっただけだ、取って食おうなどとは思ってはいないさ」
「…ホロウ……ッ」
話しかけられるまで気配の一つもなかった。壁に背を預けた状態で話しかけてきた男はあいも変わらず薄っぺらな笑みを浮かべ、長年の友人であるかのような気安さで語りかけてくる。
ジンであれば生涯においてただの一度もしないような顔でだ。
「何をしに来た。常に玉座を温めているだけの貴様が」
「ハハ、嫌われたものだ。なにただの散歩だとも。肉体というものは素晴らしいが、不便でもある。最近身体の動きが悪いと思っていたが、どうやら凝り固まったらしくてな。やることもないとはいえ、多少動かさねばと思ってな」
「そのまま死んでしまえ」
「まあそう言ってくれるな。別に危害を加えようというわけでもないだろう。おおそうだ、ここで会ったのも何かの縁だ。世間話でも——」
「なぜジンの肉体を奪った」
「うん? そういう話か? まあいいか、誰にとっても話したくない内容はあるものだ」
「いいから答えろ。わざわざ吾の元に来たのだ、趣味の悪い話でもしに来たのであろうが」
「買い被りすぎだイユラ、俺はそこまで悪に根差した行動はとらんよ。昔からどうも発想が貧困でな、一度こうと決めると——」
「いいから答えろ」
銃を突きつけ鏃がホロウの頭蓋を捉える。命中したところで元通りになるくらいのことはする以上、あまり意味のない行動であろうがホロウ相手に気を使う理由は皆無だった。
「ふむ、そうだな。この、ジンの身体のことならば偶然のようなものだ。正直誰でもよかったが、都合がよかったというやつだな」
殺気をぶつけられながらあっけらかんと言い放つ。
「誰でもよかっただと?」
「ああ、より正確に言うならばナイギの血族か墜天子であればよりよい、程度のものだが。ハハハ、ジンはどれにも該当せんなぁ。力も不完全で困ったものだ。おかげで世界の再結合も一度ではできなかった。己の力不足を思い知らされる」
「———」
あれで、不完全だと……?
いいや、完全でないのは分かっていたことだ。もし今の状態で完全であるというのならば、レイガン殿がわざわざ『巫女』であるアヤネを狙いはしない。
アヤネを殺そうとしていたのはホロウの計画とやらを止め、抹殺することが目的。純粋に力量で勝てる相手ならばそのようなからめ手を使うような武人でないことは知っている。
「あの場においてならユーリが最も適任だった。アレは俺の力を色濃く受け継いでいる。器としては十分だからな。次点で言えばシエだが……、まぁ命を賭して戦う姿に心を打たれてしまってな、やめておいた」
「女でもいいというわけか。この変態め」
「おいおいそう言ってくれるなよ、適正の、出来る出来ないの話だぞ。好き好んで娘の姿になりたいというわけでもない」
「チッ」
その言葉に対して殺意を向けられているよりも顔をしかめる。つかみどころのない性格にいら立ちが募り続ける。
「ならばなぜユーリの身体を奪わなかった。最も適していたのであろうが。ならば最善手を取ればよかった」
「なぁに、大したことじゃあない」
それまで壁に預けていた体を起こし、真正面に立たれる。決して堅物のジンがしないような表情で、仕草で、こちらを捉える瞳からは嫌悪しか湧くことはない。
「この身体ならば、お前は撃たんだろう? イユラ」
「——————、なに?」
いま、この銃を突き付けられ、引き金を引けば人一人を殺すことのできる状況で。
(吾が、撃たないだと?)
意味が分からない。別に撃たれたところで痛くもかゆくもない存在でありながら、死を考慮しているというのか?
「どうしたそんな驚いた顔をして……。ああなるほどな、もしやこう思っているのではないか? “俺を殺したところで死ぬはずがない”などと」
「そうであろうが、すくなくとも魂を滅することは出来ん」
だがホロウは嗤う。
簡単な問いを、童でもしないような凡ミスでしていることに気付いた時のように至極当然、納得したように。
「そうかそうかっ、そういうことか。いやぁすまんな説明することもなかったのだから知らなくて当然だ」
「……っ、何を言っている…」
「引き金を引けば分かることだが、今の俺は撃たれれば死ぬ。それも完全に」
「———なにを、まさか」
「ああ、魂というものは肉体に引きずられる。ならば不死ですらないジンの肉体である以上、俺は殺されれば死ぬ。ユーリの肉体が適しているというのはそういうことだ」
殺せば、死ぬだと?
信じられない。ならば、なぜジンの肉体を選んだのか理由が更にわからなくなる。ホロウにとっては不利益しか生まないというのに。それに、誰でもいいというのなら——
「ヨナギの身体は少々特別でなぁ…、レイガンのおかげで奪うこともままならん」
「……心を読んだのか」
「アヤネには読むなと言われてしまったがな? クハハ…、イユラとは願いを聞く契約はしていないからなぁ」
「……であれば、やはりあの話に間違いは無そうだな」
「アヤネにもいったが、イユラの持つ情報にはそれほど間違いはないだろうさ。それでも分からないことがあればまた聞きくればいい。隠すこともそうないしな」
「待て」
立ち去ろうとして、横を通り過ぎるホロウへ銃を突きつける。今度は外しようのない零距離、鏃がホロウの後頭部へ接触する距離。
「そちらへ向かうことは許さん。貴様をアヤネの元へ行かせるわけにはいかぬ。それに、貴様の言ったことだ。一度殺せばよいのであろう。ならここで死にさらせ」
引き金に掛けた指に力を籠め、ホロウが何か答えるよりも早く打ち抜こうとして。しかしそうはならなかった。
「どうしたイユラ、まだ撃たないのか?」
(……なぜ、だ)
指がこれ以上動かない。
防ぐ気配もない、なにかしらの四方界の発動の予兆もない。ホロウが奥の手を持っていない確証は何もないが、少なくとも撃てば一度殺すことは可能だ。
だというのに、引き金を引くことができない。
「——クソ……ッ、ホロウ!」
「俺のせいか? イユラ、お前はもう少し自分自身の善性というものを認識しても——」
「やかましい! 貴様が何かしていなければ撃てぬはずが……!」
「そう照れるなよ。理解しているとおり、俺を撃てばジンも死ぬ。ユーリ、ヨナギであれば迷わず斬るだろうが、イユラは優しいからなぁ。なにせ当の昔に失った友のために影ながら見守り続けてきたのだから」
「貴様——!」
「カハハ、照れるな照れるな。人として実に素晴らしいことだろう。忘れられた相手に思い出してもらうために手間と時間を掛け、達成したのだ。なにより尊い行為だ、友情という奴だろう? 俺はお前のことが誇らしい」
自身の行動への動揺か、銃に伝わる震えのせいで狙いは定まらず、振り返ったホロウは挨拶するような手の動きで銃の向きをずらした。
「ではなイユラ、俺もこれ以上嫌われたいわけでもない。散歩はこっちに向かうことにする。何かあれば呼べばいい。たまにはしゃべらねば喉もつぶれる。ハハ」
そうして、ホロウは暗闇の向こうへ消えていった。
「…………、吾は、何を。…これでは、ヨナギと——。いやちがう、あの男とは違うっ。……クソ、どうして、撃てなかった……」
何もできなかった自分だけを、一人残して。
□ □ □
「さて改めて、おかえりシエ。帰ってきてくれて本当にうれしいよ」
挨拶もそこそこに招かれた家は掃除が行き届いておらずゴミがたまっているように見えるが、以前のリア様とヨナギ様のことを思うと大分抑えられているように見えた。
とはいえ完全ではなく、座る場所を確保するため、ソファと机の上に置かれていた夕食の残骸を適当にどけている。どうやら固めておいて気が向いたときに纏めて捨てているらしい。
「………。は、はいっ。ご心配をおかけしてしまい大変申し訳ありませんでした」
「いいのいいのそれくらい。シエにだって考えたいこともあったんだから、それを止める権利はワタシ達にはないよ」
「はい…、それで、あの……」
「ん? ああ二人だね。ちょっと待ってて、すぐに来ると思うから」
「い、いえ、それもそうなのですが……」
「んー? おっとっと…」
ゴミをどけようとした時、グラスの中に残っていた飲み残しが少し零れる。
ついでに机の端っこに放置されていた紙袋がいくつか流れ落ちる。
「あちゃあ、アハハゴメンネ、まだ慣れてなくって。まぁ軽く拭いてしまえば話をするのに問題もない——」
「いけませんっ!」
「わ!?」
飛び上がるように驚いて、更にグラスの中身がこぼれる。ところを傍に落ちていた皿で受け止める。
「この状態はいけませんリア様。お話をしたいのはやまやまなのですが、その前に掃除をいたします」
「えー、でもそれくらいなら後でもできるし、そもそもゴミ収集車とかももういないしー」
「ダメです、そういった油断が更なる汚れを招くのです。リビングから片づけてしまいますので、部屋のゴミや洗濯物等あれば出しておいてくださいっ」
そうして、大掃除は突然に始まった。
元々は自分が進んで掃除をしていたから綺麗な状態を保っていた家。お二人なりの掃除では完璧とは言えず、叩けば叩くほど埃が出てくるというもの。
とはいえ今回は簡単に済ませてしまわねば時間もない。早々にリビングを終わらせ、その次に念のため物置部屋を確認しようとしてドアを開いた。
「あ——」
「あら」
「あーそうだシエー。そっちの部屋は今あやねが使ってるから別に汚れてないからねー」
ときすでに遅く、ドアを開いた先にいたのは私のよく知る、皆方彩音と同じ姿をした一人の少女だった。
そこはすでに物置部屋ではなく、彼女の部屋として使われていることにどうして気付けなかったのだろう。久しぶりに帰ってきて浮かれていたといえばそれまでかもしれないけれど、それでも自分自身の思慮の浅さを突き付けられた気分になる。
「ゴメンね、来ていたのは分かっていたのだけど。なんだか出るタイミングを逃してしまって」
「いえ……、私も考えが及ばず、申し訳ありません」
私の言葉以上に申し訳なさそうな笑みを浮かべる彼女はアヤネと寸分たがわず同じ顔だというのに、彼女が見せることのないであろう表情を浮かべる。
性格の違いか、性質の違いか。
違いの理由がどちらにせよ、見つめ合ったまま黙り込んでしまい、私は気まずさで言葉が出てこない。
しどろもどろなその姿に、先ほどとは違う柔らかな笑みに変わった彼女が話し始める。
「掃除をしているのよね。少し待っていて、この部屋のゴミも出してしまうから」
「え、はい。では、よろしく…お願いします……」
「じゃあ手伝えることがあったら言ってね。とはいえこの足じゃあまり役には立てないかもしれないけど。あ、でも食器洗いくらいならできるから」
「それでしたら、その、お願いしてもよろしいでしょうか……?」
「もちろん。わたしもあなたとはちゃんとお話をしたいと思っていたの。よな君はシエさんが来る少し前に出て行ってしまったけど、すぐ戻ると思うから。帰ってくる前に済ませてしまいましょう」
「………」
「どうかした? ……いえ、そうね。こういった言い方は意地が悪いかもしれないけれど、…わたしのせいで気分が優れないのなら、手は出さないようにするわ。シエさんにとってわたしはそう簡単に認められない存在でしょうから」
「そうでは…ありません。ただ、慣れないだけで……驚いてしまって。貴女についての話もあとでお聞かせいただいてもよろしいのですか?」
問われた彼女は少しほっとしたように息をつく。
彼女は世界の状況を理解していて、広い視野と大きな使命を背負い続けてきた『巫女』だ。これまでの永い間、ホロウ・ナイギを抑え込んでいたのも彼女だという。
そして、ヨナギ様が数えきれないほどの命を賭して戦い続けてきた理由。
「貴女は——」
その彼女が安堵の息を漏らす。その姿は誰とも変わらない、ただ一人の同世代の女の子にしか見えない。
私の想像していたような、物語に出てくるような大きな力を扱う存在の像とは大きくかけ離れていた。
「貴女は、お強い人なのですね」
その言葉に、今度は驚いたように目を見開く。次いで何かを思い返すように目を伏せた。そこには後悔が見て取れる。
「…ううん、そんなことはないよ。ずっと、ずっと、たった一人止めることすらできなかった。傷つくばかりの彼に手を伸ばすことさえできなくて、叫ぶばかりのわたしは、間違っても強いだなんてことはないの」
「ですが今こうして、貴女はヨナギ様の傍にいてくれている。私は、どうしていいかわからず逃げてしまいましたが…」
「でも帰ってきてくれた。それも、自分の意志で。わたしにはその行動そのものが尊敬できるものだと思う。それにわたしが支えているわけじゃ——」
「あ、お話し中だったんだね。喧嘩でもしていないかと思ってひやひやしちゃった」
「リア、そういいながらわざとシエさんに伝えていなかったでしょう。とりあえず本番で試してみるというのはあなたの悪い癖よ」
「だってシエがそんなことするわけないもん。あやねもシエのことは好きでしょう?」
「もう、すぐそうやってごまかそうとするんだから」
「だって——」
「だから———」
「………」
リア様たちの会話に割り込めず、言葉の応酬を横から目で追っている。あのリア様が真正面から注意されているというのは何やら新鮮で、ついつい眺めてしまっている。
「んもぅ、わかりましたー。これからは気を付けるからさ、今日のところは許してよ」
「何に気を付けるのかちゃんと言ってちょうだい」
「しえーたすけてー」
「え、ええっ、私ですか?!」
「シエさんを巻き込まないの。これはあなたの問題でしょう」
「うぅう…」
はぐらかすことの出来ない相手ではリア様も弱ってしまっている。とはいえ私にできることが何かあるかと言われると……。
「で、でしたらっ」
「「ん?」」
「掃除をしましょう、皆様で。そうすればお部屋と共に心の疲れもきれいになります、おそらく…ですが……」
私のことながら何を言っているのでしょう。これでは何の解決にもなっていないというのに。
「リア、ちゃんと手伝ってあげる?」
「もちろん、ワタシなりに精いっぱい努力するとも」
「なら今回の件は水に流しましょう。わたしもできることは手伝うから。みんなで頑張って終わらせてしまいましょう」
「は、はぁ」
なにやら収まりはしたようで、結局のところ行動方針としては振出しに戻った。
やはり私達には堅苦しい関係よりも普段通りに接することの方が何よりも私達らしいのだと思わせてくれる。
では、ひとまず戦いのことは忘れて掃除へ全身全霊を向けて頑張ります。
『本編について』
・皆方視点
ホロウのところにいる皆方ですが、それなりに待遇はいいです。彼女なりに何かしようと頑張っていますが、いつものごとく相手が悪い感じになってます。
あとイユラが持ち前の面倒臭さを発揮しているので、解決は難しいでしょう。
・大掃除組
シエにとってはとにもかくにも家事が染みついているので、汚れているとこうなります。書いていて思い出しましたが、初登場の時も皿洗いしてた気がします。
また、あやねは皆方と違い、リアに対して精神的強者なので彼女の暴走を真正面から止められる数少ない人物です。
『定期連絡』
・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。
・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。
・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。




