72.六等星の導き②
もしも、わたしがあの時別の選択をしていたら。
たとえばよな君と一緒に、なんて考えがが自然に脳裏を走ってしまう。
「ふぅ…、ダメね、疲れてる……」
嫌なもしもを思い描いてすぐ捨てた。
最近、考えごとをするたびにこんな考えばかりがうずいてしまう。
「誰もが、終わったことは変わらないことを知っているはずなのにね」
「………」
背もたれに身体を預け、小さく寝息を立てる少年の姿。
その姿を確認した少女は間違っても起こしてしまわぬように小さく息をつくと、湯気を立たせるカップを手にして、たどたどしい足取りで自室へ向かう。
もともとは物置部屋として使われていたが、荷物を運び出して寝室として使えるようにしてくれた。
ホロウの封印、永い時をかけて傷ついた肉体はゆっくりと回復してきてはいるものの、足はまだ悪いままだ。走ることは出来ず、気を付けていなければこけてしまいそうになる時もある。
だから、自室といっても彼との二人部屋のようなもの。
どうしても怪我が心配だという彼が、満足に階段を上がれないわたしのために物置部屋を改装したのだ。そしてできるだけ傍にいられるようにと、ベッドは別にせよ同じ部屋で寝食を共にしている。
「ごめんね、よな君。こうでもしないとちゃんと寝てくれないと思うから」
だけど、彼はいつも悪夢にさいなまれている。そのうえで私への襲撃の危険を考慮してくれていた。
彼はわたしに気を使うから、聞いても否定するだろう。けどそんな生活をして気が休まる暇なんてありはしない。
自室に戻ると窓を開ける。それは換気のためだけではなくて。
「ちゃんと寝てたのか、アイツ」
「うん、ありがとうユーリ。サインに気づいてくれて」
「ま、女の子の頼みじゃ断れねえさ」
先ほど帰ったはずのユーリと会話するためだった。
「寒いでしょう? これどうぞ」
ユーリは腕を組み、外壁に身を預けていた。風はそう強くないものの、それなりに寒いことは外から入ってくる冷たい空気で伝わってくる。
「というよりも入ってくれた方がいいと思う。お互いに風邪を引いたらよな君がまた気を使っちゃうだろうから」
「んじゃお言葉に甘えて」
窓からひらりと部屋に入ると差し出したカップを受け取る。
「いやぁ助かるね、思ってたよりも寒くってね。こういう心遣いが身に染みるぜ」
「それならよかった。ただおかわりはできないの、キッチン行ったときによな君が起きちゃうかもしれないから」
「愛だねぇ、ああ構わねえよ。アイツもいい加減限界だったみたいだしな。だってアイツがオレに弱音吐いたんだぜ? こりゃあマズイと思うだろ。にしてもまさか『巫女』ともあろうキミが睡眠薬とは思わなかったが」
「ふふ、ただあなたのいうようにもう限界みたいだったから、手は選んでいられなくて…。口でお願いしてもきっと大丈夫だ問題ない、としかいってくれないから…」
「ダメなところばっかり旦那に似ちまったな。自分のためか相手のためかって違いはあるが、なんにせよこっちからしたら迷惑な話だ」
「ふふ…っ、たしかにそうなのかもしれない。でもあまり悪く言ってあげないで、彼は…これまで…そう、がんばりすぎてきたから」
自分以外の誰かのために、わたしのような女のために肉体も精神も擦り減らし、砕けたとしても無理矢理につなぎ合わせて戦ってきた。
「わたしが、もう少しホロウを抑えられていたなら、彼をこれほどまで傷つけることはなかったかもしれない。ううん、よな君だけじゃない。皆方彩音、彼女もそう。…わたしは、ひどいことをしてしまった」
思い起こせば後悔ばかりが浮かぶ。
彼の傷つく姿を見続けてきた。
これ以上ないほど苦しんでいながら足を止めようとしない、傷だらけの背中を。
「もしも、わたしがもっと上手くできていたなら、みんなを傷つけることはなかったかもしれない。そう、思ってしまう」
何をどうしようと返らない時間を想ってしまう。どう足掻こうとも一秒さえ戻りはしない、あり得ない仮定が後悔の波となって心を沈めていく。
「だからわたしが、彼の傍にいる今そのものが——」
「ハイハイヤメヤメ、それ以上はやめときなって。疲れるだろ、な?」
しかし言葉はユーリによってさえぎられた。呆れつつも苦笑する彼は飲み終わったカップを窓際に置くと、こちらを安心させるためか歯を見せて笑ってくれた。
「……そうね、ありがとう。あなたは優しいのね、とても」
「そういうキミはヨナギとそっくりだ。お似合いだと思うぜ」
「ありがとうユーリ、でもそれは……」
——彼女の心を、更に傷つけてしまう。
そこまで言おうとして、言葉が詰まってしまう。
ユーリはその姿をみるとやれやれとばかりに手を上げ、息をついた。
「ま、いいさ。で、オレを呼んだ本題は?」
気をとりなして、とばかりに手を合わせる。
強い人だなと思う。実力はもちろんだけど、それだけではなくて心の、芯の強さとでもいうべき場所が。
「そうね、そのために来てもらったんだもの。質問をしても?」
「もちろん」
「……あなたに、ホロウは倒すことができる?」
「…、んー…どうだろうなぁ、勝つつもりではいるけどさ。正直オレ一人じゃ厳しいかな」
「あなたの仲間を全員集めても?」
「ああ、変わらねえと思う。ヌイちゃんも頑張ってくれてるけど、ホロウはまさに次元が違うってやつだ。あっちを見なよ、なぜか『総界』にオレたちの屋敷があるんだぜ? おかしな話だろう」
窓の向こう、よな君たちの戦いの傷痕がそのまま残った残骸の荒野。しかし、荒野を超えたその向こうには、これまでこの街に存在しなかったであろう屋敷群が並んでいた。
「『崩界』と『総界』、あと一応『纏界』もか。ものの見事に生きてる連中と、そいつらが住んでた家だけが抽出されて、分かれてた世界が一つになっちまった。んなことを鼻歌交じりで出来る相手だ。『胎蔵領域』一つ生み出したところでその上から押し潰されっちまうよ」
「そう…ね」
ここからでは屋敷の外観が何とか見える程度だが、あそこには本当の人間がたくさん生きている。この世界にいた『巫女』を慰めるための仮初の人々ではなく。日々を精一杯生きる人々が、生きているのだ。
「それなら、作戦はあるのかしら。何一つ勝算もなしに勝つだなんていう人ではないと思っているけれど」
わたしは今、どんな顔をしてるんだろう。
自分でもよくわからなくなってしまっていて、ユーリの瞳を見据えれば分かるはずだけれど、そこに映る姿を直視できないでいる。
「あやちゃん、オレはこの戦いに勝たなきゃならない。だからこと戦いにおいて、嘘をつくことは出来ない」
だけど、まっすぐに彼を見つめることができたとしても、わたし自身の姿を知ることは出来なかったろう。振り返った彼は窓を背にしていて、入り込む光は彼に影を作り出していた。
「ヨナギは必要だ。どれほどキミがアイツを戦いに関わらせたくないと叫んでも、これは変わらない。そんなこと、キミも分かっているだろう?」
わたしのわがままは、言い出す前にはっきりと否定されてしまった。ホロウの力も恐ろしさも知っている、分かっていたことだけれど。
「それでも、わたしは彼の傷つく姿をこれ以上見たくない」
「だが、オレには、いいやオレたちにはアイツの力が必要だ。もう一度立ち上がれなければ、勝利は無い」
「……っ、でも、もう……。…ユーリ、もう一つ教えて」
「ああ」
「『四方界』は、使える?」
「へっ、…分かってて言ってるんだろ?」
「そう、ね。仕方ないことなのは、分かっている。分かっては、いるの」
うつむいてスカートの裾を握りしめることしか出来ない。
今のわたしには『巫女』としての力はなくなっている。もう一度ホロウを封印することは出来ない。どうしても、倒すしか決着をつける方法はないのだ。
「優しいねあやちゃんは、ヨナギが惚れた理由もわかるってもんだ」
「…それはあなたもでしょう。追い出されたなんて冗談を言って、家のことで忙しいはずなのに、よな君の様子を見に来てくれている」
「はは、大した理由じゃねえさ。ヨナギが旦那のガキってことは、オレからすれば親戚みたいなもんでな。勝手に親近感覚えてるだけだよ。ジン然りヨナギ然り、弟分が困ってるなら頼れる兄貴分が助けてやらねえとな」
「ふふっ、強いのね。でもジンという人の肉体はホロウが奪ってしまった。助けられるかはわたしに分からない」
「助からねえってわけじゃねえだろう? とりあえずやってみるしかねえさ。そのためにも、あやちゃんにはヨナギのケツ蹴り上げてもらわねえとな。…できるかい?」
「………分からない。ごめんなさい、約束は出来ない」
「あー…まあそっか。その時は、その時で考えるしかねえな。じゃ帰るよ、また時間が空いたら来るけど。ああそれと追い出されてるのはマジ、周りのガードが固くってなぁ」
「あ、あの———っ」
「うん?」
入った時とは逆方向に、窓から身を乗り出したユーリの背に向かって何を伝えるかも定まらないままに声をかける。
「ええと…、ありがとう。時間をくれて」
「いいってことよ。どうしてもムリってならオレか、あのリアって姉ちゃんが出張るさ。それまでに、アイツが覚悟を決められるか。それが最後の戦いを分ける」
「うん」
「…なんてな。そうならないようにオレが頑張るさ、じゃあまたな。それとヨナギにちゃんと謝りに来た方がいいって伝えといてくれー」
そこまで言うと瓦礫の荒野を横切るように去っていく。
「ありがとう」
小さくつぶやいた言葉は風にかき消されて届いてはいない。
「………」
いつもわたしの言葉は届かないな。
そんな思いが横切るけど、覚悟を決めねばならない時が来た。この三か月間、彼と再会し、過ごした日々は幸福なものではあった。間違いなく、疑いようもなく。
「分かってる……、この幸福は彼にとっての幸福じゃない」
離れ離れになったあの日から、望むのは彼の幸福。だけど、長く続いたこの戦いに終止符が打たれるまでは決してそうはならない。
そのためなら、わたしもまた立ち上がらなければならない。
戦ってほしくない、傷ついてほしくない。誰も苦しまないままにホロウを倒し、彼女を救えたなら、ああそれはどれほどの幸福か。
——そこに、わたしがいなかったとしても。
「…うん、大丈夫。あなたにはもう、わたしは必要ない。だから絶対に、彼女は救い出して見せる」
わたしと同じように、誰よりも彼を好きでいてくれた少女。
嘘をつかれ、大事なことを隠されていながらも、己の存在が彼を苦しめてたのだと涙を流すことのできる優しい少女だった。
「だから、きっとよな君を——」
開いたドアの向こうで眠る少年の姿が見える。
わたしにはできなかったこと。あなたにだからできたこと。
そして、わたしにしか出来ないことがあるのならそれはいまだ。
「絶対に、助けるから」
呟いた声は誰に届くことはないが、力強い覚悟を内包している。
見上げた先、瞳に映る青い、底の抜けた虚ろの空一面をにらみつけながら。
□ □ □
「———なんのようだ」
こちらの気配は当の昔に気づいていただろうけど、言葉を発したのは目の前に降り立ってから。それほどまでに他人とは話したくないってことかな。
「えへへ、お久しぶりだね。“英雄さん”」
「お前は…そうか、アレは死んだか」
「へぇ、覚えていてくれたんだ。てっきりそこから話さないといけないのかと思ってた。でもまあそういうこと、ワタシも晴れて過去のしがらみを一つ清算できたってわけ」
暗黒の海、世界と世界の狭間、それぞれが直接的に接触しないための緩衝地帯であった『境界』。そこには宙を漂う“世界の残骸”がいくつも存在する。
ほとんどは塵となり、原型をとどめていないものがほとんどだが、稀にそれなりの大きさを保った残骸が存在する。
“彼”がいるのはそこだ。
此処は半壊した教会、彼にとっての誓いを果たすことができなかったであろう約束の地。宙から差し込む暗闇とどこかの残骸が発する六等星の輝きが仄かに差し込んでいた。
彼はボロボロのローブを纏い、フードを目深にかぶっていて顔を見ることは出来ない。
気だるげな様子で階段に座り込み、崩れかけた祭壇に背を預けている。どうにもワタシのことは興味なさげだけど無視する理由もないから視線だけ寄越している。
「お前の近況報告を聞いてもなあ、っと…」
嘆息すると背を預けていた身体を持ち上げ、一応聞く態勢にはなってくれた。彼は彼で話し相手が来たことに対して自分で思っている以上に気分が乗っているのかもしれない。
「ここにはもうお前たちが得るようなもんはないぞ。力ならとうの昔にくれてやったし、激励が欲しいなら他所へ行ってくれ。他人がどうなってようが知ったことじゃない」
「そうじゃなくって、借りてたものを返そうと思って」
「借りてたもの? ……ああ、剣か。別に必要ない、アレはもう俺には扱えなくなってた。不燃物みたいなもんだ、折れてた以上剣としても使えないもんだしな」
「でもずっと持ってたみたいだったから、大切なモノでしょ? 手放すには惜しいよ」
「……言っても聞かなそうだな。昔のあいつを思い出す」
なにやらワタシの心のセンサーに引っかかる口調だった。具体的に言うと色恋的なナニカ。
「へぇーーー?」
「何期待してる」
「べっつにー? でも、うんうん、ワタシみたいな美人を見れば思い出の中の乙女を想起するのも致し方ないというか——」
「お前みたいのと一緒にするな。あいつの方が百倍はいい女だった」
「ム」
「帰る気になったか?」
「それは別」
「ならとっとと置いて消えてくれ。お前と話すために漂ってるわけじゃない」
「待ってるんだ、その人のことずっと」
「……関係ないだろ」
ふいっと顔を背ける姿はヨナを思い起こさせた。平和な世界で出会うことができればいい友人になれたかもだね。とはいえ元の世界がこんなことになっている以上、心には消せない影が落ちている。他の世界へ移動する異能を持たぬ彼にとって、忘れられない女性と再会するのは奇跡を超えた運命を持ち得なければ不可能だ。
「どれくらいここに?」
「数えてない。しつこいな」
「ああゴメンゴメン、でもほらワタシもずっとレギオンとして彷徨ってたこともあったから、なんだか親近感湧いちゃって。あとキミが好きな男の子に似てる」
「なら、俺みたいにならないように見とくんだな。何もかもが終わってからじゃ手を伸ばすことさえ許されない」
「…ん、覚えておくよ」
話す彼の声は過去を振り返りながら、帰らない日々を想っているようだった。
何があったのかまで聞くつもりはないけど、この教会まるごと『境界』に存在が残っているほど。それほどまでに強い想いと、力を持っていた証左だ。
そしてその力は、彼の想い人のために振るわれていたことは想像に難くない。なら、これ以上は流石に野暮だ。
「じゃ、目的を済ませてワタシは消えるよ。ゴメンねー静かな時間をお邪魔して、うん?」
「そうしろ、……なんだその手は」
「う、うーん? いやいや何でもないんだよ? ただちょっとバッグが思ってたより軽かったなぁとか、あの剣ってば柄くらいしかないからそんなものかなーって思ってたりとか」
「結論から言えよ」
「うん、忘れてきたからまた来るね。てへ」
「………」
あ、横になった。もう完全に無視する気だ。
「あーはははー……、もう、不貞腐れないでってば。ちゃんと持ってくるから。うちの子に預けてたの忘れてただけだから」
「ちがうそうじゃない。……本来、俺が関わること自体がおかしいっていってるんだ。あの魂の集合体、部外者に巻き込まれただけだ。俺の出番はとうの昔に終わっていて、幕は引いたし舞台も降りた。なのに俺のレガリアはよく知りもしない連中の戦いに巻き込まれてるときてる」
「だからもう出番はなくっていいって?」
「ある方がおかしいんだよ」
気が抜けたのか、棘はあるけどしゃべり方が本来の彼らしさを取り戻しつつあるように思う。
「でもそれ言っちゃうとワタシの仲間が全員そうだからなー、なんだか実感がないっていうか……。なんたってみーんなが偽物だからね」
世界と巫女を護るラゥルトナー、なんて言ってはいるけど、ワタシもシエもヨナも。みんながみんなラゥルトナーとは何の関わりのない部外者だ。
それぞれが与えられた役割を蹴っ飛ばして、舞台から降りたはずの場所で暴れてる。
「そうでもしないと戦えなかったからね。だから使えるものは使っていきたいと思ってるんだ」
「ならどうして剣を返そうとするんだ。お前なら使えるんじゃないか、使えばいいだろ。あの男に扱えたのならお前にも適正はあって不思議じゃない」
「アハハ、ワタシが剣振るなんて出来っこないよ。そういうのは二人に任せてあるの」
「あっそ……、なら勝手にしろ。俺はここで、いやずっと前から終わってる。今日話したのは気まぐれと偶然が重なったようなもんだ。次来たときに話すこともしない。その辺に置いてとっとと帰れ」
「そっか……、じゃあそうするようにする。ありがとう、今まで」
「さぁな」
これで話は終わりと、立ち上がると遠くない世界の果てに向かって歩き出す。
「最後に一つだけ聞いてもいい?」
「……んだよ」
「待ってる人のこと、どれくらい好き?」
「…………はぁ…」
「なーんて、じょう———」
「どんな世界よりも価値がある女だった」
「——だん、…だったんだけど」
「事実だしな、わざわざ隠す必要もねえ。お前はお前でのんびりしてていいのか? 戦いが終わってないなら行け。もう俺を巻き込むなよ」
「ふふっ、ありがとそれじゃあ――」
「何があっても手放すな」
互いに背を向けて逆方向へ歩き出す。
これがワタシ達の最後の会話になるだろうなと、少し残念に思っていると今度は向こうが声を上げた。
「俺の体験談だが、その男がウジウジしているようならひっぱたけ、甘やかそうなんて考えるな。惚れた女のために立ち上がることのできない男は塵だ」
「アハハ、参考にさせてもらうよ」
そして今度こそ、会話は消えた。
暗闇の宙を見上げると、かつてそこにあった三つの世界は一つに集まり、不可思議な形状を生み出している。まるで新世界、それまで存在した規則そのものをごちゃごちゃに混ぜ合わせた混沌に他ならない。
「ホント、どうやって倒せばいいのかなぁ」
呆れつつ、悩みつつ、だけど諦めることはない。
「さあってぇ、早く帰ってヨナを甘やかしてあげようっと」
このセリフを聞かれていた暁には今度こそ相手をしてくれなくなるだろうね。
直前に聞いたアドバイスを蹴っ飛ばしつつ帰路に就く。…ひっぱたくのはその後でも十分だからね、ふふふー。
金の長髪をなびかせて、忘れ物を取りに行く。
今日ここに来るのにやる気を使い果たしちゃったし次来るのはしばらく後になっちゃうかも。剣は、そうだな……。
「任せちゃおうかな」
今頃きっと鍛錬に励んでいるであろうあの子のことを考えつつ、家に向かって宙を漂っていく。
心の繋がりが離れかけてはいるけれど、ワタシ達ならきっと大丈夫。ホロウなんてヤツを倒して彩音を奪い返すくらい訳ないさ。
「うーん、ヨナ次第かな」
最後の鍵を生まれる前から握らされていた彼のことを思うと胸が締め付けられるけど、今は立ち上がってもらわないといけないのも事実だもの。
彼女は彼女で、ひっぱたくのは苦手そうだから誰がその役目を引き受けたものか……。
責任の押し付け合いみたいになるのは嫌だからなにとぞ、家族も一人増えたことだし、仲良くやっていきたいな。
「……みんなでひっぱたくのもアリかな…?」
一人だと退屈で、気の抜けた独り言を垂れ流す。
ワタシに出来る唯一のこと、それが彼を苦しめることになったとしても。
「……やらないとかなぁ。イタイのも嫌だけど」
遠くの景色、仄かに輝く六等星ばかりの『境界』を忘れてしまわないよう瞳に焼き付ける。
どんなことがあっても、この静かに揺蕩う世界を思い出せるように。
□ □ □
『ふざけるな……っ』
「ッ、フ——ッ!」
この瞬間だけは忘れてしまえるように武器を振るう。
『もう二度と——』
「…シィ!」
そこにはいない敵を想定し、相手に向かい槍を振るい、薙ぎ、貫く。
無心で、力強く、極限まで意識を没入させて——。
『二度とこんな真似を——!』
「っ…、……あ」
普段使っているモノとは違う槍の重さに体のバランスを崩してしまった。穂先が地面を捕らえ、引っかかったままに手から離れて行ってしまった。
「…………」
カラカラと音を立てながら地面を滑っていく槍をすぐに拾い上げる気にはなれず、切らした息も整えられぬままに、ただ立ち尽くすだけの時間が経っていってしまう。
ずっとたった一人、夕暮れの誰もいない広場で毎日のように槍を振るっている。
それは鍛錬と銘打ってはいるものの実際は気を紛らわすだけの行為でしかないのかもしれない。
「……ふぅ、ふぅ…」
集中が途切れたからか木々が風に揺れる音や鳥の鳴き声、周囲の音が入りだすなかでゆっくりと息を整える。その中で小さな人の声が混じりこむ。
「シ———ん」
「……?」
いまのは、私を呼ぶこ声がしたような。
「シエさん、今大丈夫かしら」
「え、あ……はい。大丈夫です」
「調子が悪いみたいね」
「……っ、あ、い、いいえ問題…ありません。少し考え事をしてしまっていて」
「そうだったの。なんだか私には心ここにあらずのように見えたから。ごめんなさいね」
掛けられた声の主に気付くことができなかった。
気配を隠していたわけでも、遠くからだったわけでもなく、朝の挨拶をするような気軽さのごくごく普通の声掛け。
「なら少し休憩した方がいいわ。私に武器を扱うことは出来ないけど、その調子で続けたら怪我をするのは分かるもの」
彼女の声色はとても穏やかで安心感を与えるものだった。
よくみると手にはティーポットと軽食が乗せられたトレイが用意されていた。私の様子を見に来てくれたのでしょう。
「簡単なものだけど用意したの。お口に合うといいのだけど」
「ありがとう…ございます……」
切れ切れの息はまだ整いきらず、ガーデンテーブルでティーセットを用意する彼女、マダムの元へ向かって歩いていく。
「大事なものを忘れているようね。急ぐ必要はないのよ」
「え…? あ」
手の軽さを自覚して、さっき見つめていたはずの槍を手放していたことに気が付いた。
「……すみません…少々お待ちください」
「ええ」
槍の元へ近づき、拾い上げるためにひざを折る。
ただそこにあるだけで存在感を放っていなければならないはずのソレは微か“黄金の輝き”を放つこともなく、鉄の塊と同様にしか見えなかった。
「これを、ワタシが持っているなんて……」
けれど、それでも許されるのだろうか。
『聖槍』、かつてワタシの命を繋ぎ留め、心臓の代わりを務めていた聖なるもの。
拾い上げると光の粒子となって体に刻まれた紋章へ姿を変える。これまでは心臓の代わりだったために取り出すことは出来なかったが、あの日から私の心臓は“元通り”、何事もなかったかのように。聖槍の加護もなく、人としての生命活動を全うしている。
(ですが聖槍は力を発揮しない。やはり……私自身の意志が弱いことによるものなのでしょうか…)
聖槍は彼が扱っていた時とは違い何の光も宿してはいない。担い手として認めてもらっていないのでしょう。理由はまだ……分からないでいる。
「すみません、お待たせしました」
「いいのよ、ちょうど注いだところだから飲んでみて頂戴。お口に合うといいのだけど」
「はい」
促されるままにティーカップを口に運ぶと、華やかな花の香りが鼻腔へと届く。
「これは……」
「? なにか気にかかることでもあったかしら。お気に召さなかったなら無理に飲まなくてもてもいいのよ」
「い、いえ違うのです、そのようなことは断じてありません。…いただきます」
今度こそ、ゆっくりと口に運び一口。
それだけで言葉は意味を失い、瞳は琥珀色の湖面を見つめることしか出来なかった。
「……おいしい、です。とてもおいしいです」
口にできるのはそれだけで、二口目を味わう前に美しくも透き通った琥珀色、茶葉が内包していた香り、手から伝わる温もりも含めたすべての要素が最大まで引き出されている。
淹れたての今が一番美味しいことは分かっているのに、五感を最大まで刺激するそれぞれの要素のせいで、もっと眺めていたくなってしまう。
「ふふっ、そんなにもまじまじと見られると照れてしまうわね。それほど大したものじゃないのよ、好きなだけお代わりしてくれて構わないから飲んでちょうだい」
「は、ハイっ。いただきますっ」
照れたように笑う彼女のしぐさはどこを取っても上品で、そちらにもつい見惚れてしまう。味を確かめるようちびちびと口に運びながらも視線はマダムの方へと向いてしまう。
「自分の心にまっすぐなのね、あの子が夢中になるのも分かる気がするわ」
「……っわわ、すみません、つい……。ですが本当においしいです、自分以外の人のものを飲む機会が少なかったこともありますが…それでもこれほどのものは今まで味わったことがありませんっ。あの子…?」
つい勢いのままに立ち上がってしまい、手に持ったままのカップの中で琥珀色の湖面が波打つ。
こちらの様子を嬉しそうに見つめる彼女からは穏やかでまるで幼子を見つめるような慈愛が表れていた。
「ならこちらも一緒にどうかしら。有り物をパンで挟んだだけだからお茶ほどのものじゃないけれど」
差し出されたのはサンドイッチだ。中身は彼女の言う通りなのか、カットされた野菜や卵が挟み込まれている。
「ではこちらもいただきます」
改めて座り直し差し出された順に口へと運んでいく。
確かに彼女のいう通りお茶ほどの練度はないものの、パンに塗られた調味料と具材の配分には一切の誤りなく、簡単といいながらも与えられた材料で作り出すというには十二分の味わいだった。
「お、おいしいでふ…っ」
「あらまぁ、そんなに口いっぱいに頬張らなくってもいいのよ。みんなにもかわいがられている理由が分かるわね」
「んく…っ、ごくん——。は、はい…、皆さまには部外者…更に言えば敵であるはずの私を受け入れてくださっていることには感謝しかありません。ですが…その……」
「受け入れられすぎている、かしら? ふふふ、それがあの娘たちのいいところね。私もここにきて長くなるから多くの娘たちの面倒を見てきたけど、この夜しかない世界でみんながいい子に育ってくれたのは私の自慢ね」
心から嬉しそうに微笑むマダムの目尻に皺が寄る。『崩界』という世界でも多くの苦難があったであろう。けれど、その皺の刻まれ方は笑い皺のように思えるほどに、懐かしむべき過去が辛くも穏やかなものであったということが伝わってきた。
『本編について』
・騎士の青年、コール
一応これまで気持ちだけはぐらかしていましたが本編に出してしまいました。
特に謎の人物でもなく"灰の王権"のコール本人です。
なんでこうなってるかはいつか続編を書くかもしれないので明言はしませんが、「世界と女どちらを取るか」という問いに対して即座に「女」を取ったためこうなってます。
(※灰の王権:投稿済みの作品、短いので良ければ読んでみてください)
・シエ復活
生きてました。というよりも完全に死んでいたところホロウ君が復活させました。理由は単に「かわいそうだったから」程度のものです。
現在はユーリの屋敷で過ごしていますが、ヨナギと心の距離が離れてしまったために彼女自身も精神的に揺らいでしまっています。
『定期連絡』
・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。
・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。
・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。




