70.救済へ至る
空と大地の色が薄れていく。
霞が晴れていくように、果てのない世界であるはずの向こう側が段々と色づいていき、元居た、戦いによって何もかもが残骸となった世界に立っていた。
「………」
目の前には血溜まりに沈んだレイガン、この手でとどめを刺し、感触も色濃く残っているというのに、いまだ信じられない自分がいた。
これまで何度も敗北を重ねてきた相手への勝利、その実感を得るにはまだかかりそうだ。
「それじゃあ改めておつかれ、ヨナ。…頑張ったね」
「それはお前もだろ、リア。それに——」
「夜凪くーんっ、大丈夫!? け、怪我…はしてるけどっ、大丈夫?!」
あっちから大声を上げ、手をブンブンと大きく振って走ってくる少女の姿に安堵する。
いまにもこけそうになりながら走る姿は心配になるが、ここにいる中で唯一の無傷なのだから、本来心配するような状態じゃないのは間違いない。
「よーなーぎーくー…わぶっ!?」
「……こけやがった」
「ふふ…っ、元気いっぱいだね。ほら、いってあげよう。ずっと心配してたんだから」
「…ああ」
「あ、そうだ、アヤネ前回からの記憶戻ってるからそのつもりで」
「………どこまで」
「最期以外」
「そう、か…じゃあとりあえずはいい。自分から、話さなきゃいけないことだから。…なら先行っててくれ、すぐ追いつく」
「そっか分かった。じゃあっと、アヤネー、そっちがだいじょうぶー?」
「………」
皆方の元へ向かったリアを見送ると、膝を血に濡らしてかがみこむと、二度と動くことのなくなったレイガンの左腕に触れる。
そこから現れるのは光の帯、羂索。所有者の死によって持ち主は誰でもなくなっている神器の一つだった。
「んだそれ、持ってくのか? できりゃあおいてってほしいんだが」
俺の戦いの間に傷を治したのだろう、いつの間にかユーリが近づいてきていて、いつもと変わらず飄々とした態度で話しかけてくる。
「馬鹿言うな、どんな糞野郎でも、中身全部を入れ替えたくなるくらいの繋がりでも。血は継いでる。相続してもおかしくないだろ」
「それいったらオメーの剣も旦那の縄も、元々我が家の家宝だぞ。ドロボーだドロボー」
「なら仕方ないな、実力行使だ。どうせこの後戦うことにはなるわけだし今からでも変わらねえだろ」
「っとと、さすがの今日は勘弁してくれ。『楔』も尽きた。ほれ見ろオレの体、薄くなってきてんだろうが」
目をやると確かに、そこにいたユーリの体はゆっくりと薄くなり、向こう側が透けて見えるようになってきていた。このままいけば初めて会った時と同様に透明人間となるだろう。
「それいっていいのか? どう考えても追い打ち掛けられるぞ」
「まあヨナギがそんなことするような奴じゃねえってのは分かってるからな。…まぁなんだ、シエちゃんを行かせたのはオレだ。殺されても文句は言えねえが」
「……そうか、アイツは…どうだった」
具体性のない問いかけ、レイガンとの戦いの中で受け入れられた気もしていたが、やはりまだまだかかりそうだった。
「そんなに好きだったなら抱くくらいしてやれよ。別に主従関係ったって大層なもんじゃないだろ? 第一ラゥルトナー自体…」
「俺にとって、シエは護る対象だったんだよ。アイツがこっちに来るまで、ただの小さな子供だったから。…他人の成長っていうのは、分からないもんだった。それに、小説ほど都合よくはいかない」
「あっそ、ならしゃーねぇ。オレが口出す問題でもないしな。ほら『巫女ちゃん』のとこいってやりな」
「いいのか? 皆方狙ってきてたはずだろ」
「んー、まぁそうなんだが……。旦那の行動が気になる」
声色がそれまでのものより重く、暗くなる。
「あの爺さんは冗談を口にしねえ、利益がある場合はその限りじゃねえだろうが。その旦那がこれまでずっと息潜めて従ってきたのに、ご当主に反逆したんだ。理由を知りたくなるってのはおかしなことか?」
「いや、でもどうするつもりだ。ホロウの封印はもう解けかけてる。シエにもちょっかいをかけてたみたいだからな」
「なら、復活直後が唯一の好機と踏んでたわけか。したらさっさと『崩界』戻ってみるかな、ご当主がそこまでヤベエ奴ならオレも他人事じゃねえし」
「…お前、自分のところのトップだろ。そんな簡単に反旗翻していいのかよ」
「いいのいいの、オレにとって大事なのは女の子とその他大勢。トップにこだわっちゃいないし、ホントダメそうならオレがやるさ。それに、オレはご当主と話したことはあってもそれだけだ。ナイギの始祖とは聞くがどれほどのもんなのかは知らん」
何より重い罪人、『崩界』へ落され、封印された男。それがホロウ・ナイギ。
その男が甦ろうとしているこの状況で血族の末端がこれだ。
「なんにせよ、人望のない男なのは間違いないな」
「おっとヨナギ、そりゃあオレのこと言ってる?」
「さあな。ほら、いくなら行けよ。ずっといるならここで斬るぞ」
「へぇへぇ、あんまりな温情に涙が出るね。じゃあなヨナギ、次来たときは敵同士だが。その時はよろしくな」
『なんだ、レイガンはやられてしまったのか。悲しいことだが、喜ぶべき勝利でもある』
「「——!?」」
「ユーリ、聞こえたな」
「ああ、聞き覚えのあるイヤァーな声だ」
声がどこから聞こえたのか特定できない、ユーリと背中合わせに全方位へと意識を巡らせるが気配の揺らぎを感じ取ることは出来ない。
『レイガンが向かってくるというから楽しみにしていたんだがなぁ。カハハ…っ、どうやらその楽しみはもうできないらしい』
「なんだよご当主、いつの間に起きてたわけ? オレの方から出向くつもりだったのによ」
『おおユーリ、姿が見えないと思っていたがそこにいたか。いやなに、レイガンが遂に挑んでくるというからあまりにも楽しみで仕方なくてな。つい此方から馳せ参じた、というところだよ』
「ああそうかい…っ、そりゃあ旦那が生きてたら大喜びしてくれてたんじゃねえのか」
すでに封印は解かれていた。レイガンはが読み間違えたか?
いいや、ともすればずっと前から、その気になりさえすればいつでも封印なんていうものは意味を持っていなかった。いつ目覚めるかなど、ホロウの気まぐれ一つで——。
「おい、アイツはどうした…っ!」
『ヨナギか、変わらんようで何よりだ。最後に姿を見たのは巫女と一緒だったか』
「そんなことはどうでもいい! お前が目覚めたなら、アイツはどうしたって聞いてるんだ!」
「アイツ…?」
困惑するユーリを横目に、しかし気にしてはいられない。
今まで俺たちが隠し通してきたことを知られようと関係はない。その答えは俺にとって何よりも優先されるべきことで——。
『ク、クハハハ…っ…、そう焦るなよヨナギ。娘は無事だ、何より価値のある宝石を傷付けるものか。それに今日来たのもそのことでな? ヨナギ、お前が会いたいだろうと思って、“連れてきた”』
「な———っ!?」
思考が停止する寸前に追いやられる。
連れてきた? ここに、アイツを?
なら、ならば——、この男がまともに再会させるつもりなどないことは違いなく、そして誰よりも会わせてはならない相手がここにいる。
「ッ!!」
「おいヨナギ、どこに——! え、なんだよ姉上いまそれどころじゃ、なに? …ジンが消えた?」
待て、まてマテ…!
まだ早い、何も話せていないんだ。今ここでアイツらが顔を合わせてしまえばそれこそホロウの狙い通りでしかない。むしろこの瞬間のためにレイガンが死ぬ瞬間まで何もせず見ていたというのか。
「————皆方、リア!!」
「え? 夜凪く——」
皆方の姿が掻き消える。一緒にいて話しをしていたリアはさっきまで一緒にいたであろう場所で気を失い、倒れていた。
立ち止まり周囲を見渡すと、その姿はすぐ見つかった。誰か、見知らぬ気配を纏った男とともに。
「アアなんだヨナギ、手を放してはいけないだろう? 俺のような男に連れ去られてしまうぞ?」
「……ホロウ…ッ!」
いつの間に此処に来ていたのか。底のしれぬ気配はまさに虚ろの孔、視界の中央にとらえていながら黒い孔が開いてしまったかのように認識が狂わされている感覚、だが四方界によるものじゃない。俺の精神が直視してしまわないよう逃げているだけ。
目を凝らせ、倒すべき相手から逃げるな——。
「な——」
見つめた虚ろの先、皆方を捕らえた男の姿。
そこにいたのは——。
「ジン…?」
間違いない、そこに立っていたのはジンだった。意識を失い、イユラの元へ送ったはずの男がそこにいる。背格好も顔も何一つ要素が変わっているわけではないのに、ホロウという名の全くの別人のようにさえ見える。
「きゃっ、アナタ、誰…っ、離して——」
「ふむ、アレと比べてずいぶんとお転婆というべきか? カハハっ、そう暴れなくてもいい。ヨナギが返せというならすぐ開放するさ」
「なら今はなしてよ!」
「うぅむ、言葉が足りなかった。なあヨナギ、『巫女』を、返してほしいか?」
「…返すつもりはないだろう」
「そこまで信じてもらえないというのは辛いなぁ。俺は常に正直な心のままに話しているというのに。うん、じゃあ証拠でも見せておこうか?」
「やかましい、返す気があるなら今すぐ皆方を開放しろ」
「もう少し落ち着いてくれよヨナギ、俺はお前とゆっくり話したいんだ。せっかく現世に出てきたというのに、そう邪険に扱わないでくれ」
「………」
歪んだ笑みを浮かべ男は口を動かす。会話は成立しているというのに、何か決定的なものが噛み合っていない感覚に皆方は不安になり始めていた。
「じゃあご当主、オレと話さないか? ヨナギよか楽しめるかもだ」
「…おおユーリ、直に会うのは初めてだな。カハハ、いい男じゃないか。何か話したいことがあるなら話せ、俺はお前とも話したいと思っていた」
「それならお言葉に甘えて。なんでジンの体で動いてんだ?」
「ん? ああそれか、初めはお前の身体を使うつもりだったんだがな? 目覚めたばかりではさすがに上手くいきそうになくてな。ちょうどよく眠っていたから借りたのだよ」
「オレの身体をねぇ、そりゃあどういうことなのか教えてほしいもんだ」
「ユーリ、知っていることをわざわざ聞くのはどうかと思うぞ。お前ほどの男だ、気づいていないなど言うまい?」
「……そうかよ、ならやっぱりヨナギもか。ってかあっちが本命?」
「そういうことになる。第一、ヨナギはそのために産ませたのだが、結果的にレイガンはうまくやったな。ほかに聞きたいことはあるか?」
「ジンを返してもらいたいんだが?」
「ああ、悲しいがそういうわけにはいかない。これまでは俺の魂という中身を封印によって維持し続けてきたが、肉体はそうはいかない。誰かの肉体を器として使うしかないのでな。致し方のない犠牲というものだ」
「そういうことなら諦めてくれ、ソイツは今のナイギにとっても必要な男だ。アンタが使うにはいささか徳が高い」
怒りをゆっくりと滲ませていくユーリだが、『楔』の効力を失い力はじわじわと失われていく。このまま戦いが始まったところで勝負にすらなりはしない。
「はてさて、それならばどうするか。いやその話は落ち着いてからゆっくりするとしよう。その前に今日ここまで足を運んだ理由を片付けてしまおうか」
皆方に回した手とは逆の手を掲げ、鍵をひねるように手首を回す。すると、ホロウの背後、高さ数メートルの宙に黒い孔が開き、そこから人影が一人、地面に向かって落ちてきた。
年もそう離れていない少女だった。
こちらに負けず劣らずボロボロで汚れた身体は、地面に叩きつけられた衝撃でさらに弱っている。だがそれでも、その身体でなお上体を起こし、こちらへ向かって何かを伝えようとしていた。
「ほらどうするヨナギ、選択の時だ。『巫女』を、返そうじゃないか…カハ、クハハハハ——」
「————、…ッ!!」
嘲笑うように声を上げるホロウ、そしてその腕に捕らわれた皆方。
彼女は自分のことよりも俺への心配をするような表情を浮かべている。これまで護ってきた少女、何を犠牲にしてでも、手段を択ばずに戦ってきたつもりだ。
けれど、俺は——、俺が選ぶべきは——。
□ □ □
(夜凪くん…っ)
この男の人に何かされたのか、うまく声が出せない。
動揺する様子の夜凪くんに声を掛けたいのに、私は大丈夫って伝えたいのに。すると、男の人は後ろの方に何かを落したらしい。
そっちを見た夜凪くんは更に動揺を深くしていて、もっと心配になってしまう。
(いいから、私のことよりも大事なことがあるならそっちを優先してくれていいから…!)
そのことを伝えたいのに声が出せないのがもどかしい。
「———、…ぁ」
がんばれ、がんばれ私。今までずっと頑張ってきてくれた、ずっと護り続けてきてくれた夜凪くんなら、この状況もきっとどうにかしてくれる。
だから、せめて私にできることがあるなら、背中を押すことだけだから——。
「き——だ…、め……!」
よし、いける。次こそちゃんと伝えられ———。
「来ちゃダメ!」
あれ、なんだろう。何かが何よりもおかしい。
「…ッ!」
だけど夜凪くんは一気に駆けだした。
剣を持って真っ直ぐ、こっちに向かって翔ぶように。
「よな——」
心配だけど、やっぱり助けてくれた。なのに、夜凪くんは私から目を逸らしているようで、違和感を覚える。
嬉しくてたまらないけど、きっとこの男の人は夜凪くんを狙ってる。なら、来させるわけにはいかない。…怖いけど、私が寝てる間もずっと戦ってくれてたんだから、これくらい我慢して見せる!
「すぅ——」
大きな声を出さないと夜凪くんは止まってくれない。だから精一杯息をすって——。
「こっちに来ちゃダメ…っ、よなくん!!」
悲痛な叫び声と、私の“横を通り抜ける”夜凪くんの姿に、…呼吸が止まった。
「え…?」
私ではなく、後ろの誰かへ向かって走っていく。
そしてもう一つ、さっきも感じた違和感と今ハッキリ気づいた体の不調。
なんでもっと早く気づけなかったんだろう。こんなこと、すぐ気づいて当然なくらいわかりやすい異常なのに。
「ァ———、ぃ——」
喉を震わせようとしているのに、思いとは裏腹に引き絞られてしまって音を発することができない。呼びかけたつもりの言葉は言葉になっていなくて。
さっき私が叫んだ言葉さえ、私の言葉じゃなかった。でも、間違いなく私の声だったと思う。…思うの。
だけど、聞きなれない声だった。
———まるで、録音した自分の声を再生したとき、自分の声が自分の声じゃないように思ってしまうみたいに。
「なあ『巫女』、いいやアヤネ。おまえは、自分が何者かを考えたことはあるか? なぜラゥルトナー、というよりもヨナギが護ろうとしているのか」
「——、———」
声は出ない。それが出せないからなのか、出そうとしていないのかは自分でも分からない。
「知りたいと思うだろう? ああ当然だとも、誰もが己が何者なのかを知りたがっている。それはアヤネも同じこと。だから教えてやろう、これまでヨナギが隠してきていたことだ。これまで伝えようともしなかったことだ。ク、カハハ…ッ——」
肩を抑えていた腕が、体ごと後ろへむけられる。ホロウと呼ばれてた人に隠れて見えなかった後ろが見えてしまう。
(———やだ)
見ちゃだめだ、見たくない。だって、ソコにあるのは私にとって何もかもが間違いだ。私がこれまで生きてきたことを否定するナニカがあることだけは分かる。
心と体が悲鳴を上げている。
心臓が早鐘を打っていて口が乾く、唾を呑み込もうとして喉が更に張り付いてしまう。手足は鉛と取り換えたように動かすことができない。
「…いや———」
「いいや。そういってくれるなよ」
動こうとしない身体を、何のこともないように。
ホロウは私に嘘偽らざる現実を見せつけた。
——そうして私は、“わたし”と彼を見た。
戦いのせいで血に塗れ、もう立ち上がれないようにさえ見える少年、夜凪くん。私の好きな人。
彼が誰か、ボロボロの布を纏っただけの、今にも消えてしまいそうな雰囲気を湛えた女の子を、庇う様に抱きしめていた。
触れば壊れるガラス細工を扱う様に、両膝をついて、女の子をどこにもいかせないようにしっかりと背中に両手を回している姿は、泣いているようで、懺悔しているようで…。
それだけなら、よかったのに。
それだけのことだったなら、諦められたのかもしれないのに。
ずっと、見てきた光景だっていうことはすぐ気づいてしまった。
夢の中で、何度も、何度も何度も何度も、幸せそうな彼女の姿を見てきた。でも顔も声も分からなくって。
理由は分からなかったけど。ああなんだ、ビックリするくらいすっごく簡単なことだった。
…だって、そこにいるのは誰より知っている顔だ。誰より聞いてきた声だ。
誰より、彼に好きでいてほしいと思っていた女の子だったから。
「………わたし、だ」
きっといままで、私の心が、見ないようにしてきたんだって。知らずにいれば幸せなことに気づいてしまった。
ああ、塵が風に流されるほど滑稽で、なんて醜く、どこまで無様なんだろう。
□ □ □
「————っ!」
ホロウの声とともに何もない空間から現れ、数メートルの高さから落ちる人影を見た。
力なく、衰弱しきったように倒れる少女はそれでも力を振り絞り、身を起こすと俺に向かって何かを伝えようとする。
「こっ—————ダ——っ、…ナ———!」
聞こえない。何を言っているのか分からない。——聞きたくない。
悲痛な叫び、苦しみに耐え続けてきた女の声。——もう二度と、聞きたくなかった。
「あやね——」
何度も、何度も何度も何度も、聞いてきた声だ。
どこにもいかないでくれと叫び、ここにいてくれればいいと手を伸ばしてきた。
わたしは大丈夫だからと、アナタが傷つく必要はないと、血を吐くほど叫ぶ声と爪の剥がれた手を振り払い、奪い返すために。
「すまない…、……許してくれ………っ、おれは——」
気づいた時には駆けだしていて、抱きしめていた。
これまで護ってきた少女に目をやることもせず、手を伸ばすこともせず。一つのものを取り返すために、取り返しようのない大切なモノを失ったのだ。
「よ…なくん、わたしはいい…からっ、ホロウを……あのこを……」
「よかったなぁヨナギ、俺はいつでも帰ってくれて構わなかったんだが、俺の封印を維持するために頑張ってくれていたんだ。いやいや、それくらいはおまえも知っていたことだったな。『巫女』の存在は感じ取っていたのだから」
「ホロウ!!」
「カハハッ、そう怒るなよ。俺は全員に幸せになってほしいだけなんだ。だから今の行動は俺も傷ついてしまった。まさかアヤネを捨てて、『本物の巫女』を優先するとは思わなかった。俺は返すつもりでここへ呼んだというのに」
「テメェ…!」
白々しい言葉に怒りが溢れる。
一瞬で噴火しそうな怒りによってふさがり始めた傷口から血がにじむ。
「それにヨナギ、感情を向ける相手は俺じゃあない。アヤネの方だろう?」
「——ッ」
抵抗もせず、ホロウの腕の内で立ちすくむ皆方はうつむいていて、表情はうかがい知れない。だが、想像は難くない。
「…皆方、レイガンを倒したら、話そうと思ってた。今までずっと——」
「黙ってたこと…? 隠してたこと…?」
うつむいたまま、口だけを動かして発した声は暗い孔の底から響く絶望。
「…っ、そうだ。これまで話せなかったこと…を、伝えたかった」
「ウソつき……」
「うそじゃな——!」
「嘘だよ……!」
「…………っ」
伝えようとしていた言葉も、伝えたかった言葉も出てこない。大粒の涙を浮かべた彼女へ言い返せるわけがない。
話すつもりはあったにせよ、これまで黙っていたことは事実だ。知らずにいられたら話すことがなかったのではないかと問われれば、否定はできない。
「夜凪くんは、なんで私をまもってたの…?」
「それは——」
「その娘を救うためだ。“本物の”『総界の巫女』をな。そうだろうヨナギ」
「黙れ!」
「カハハ……、嘘はよくないことだ。事実を伝えてやらねばアヤネが悲しむだろう。それは俺の望むところではないなぁ」
攻撃を仕掛けたいが、皆方を抱えている以上盾にされかねない。仕掛けるに仕掛けられない。
「アナタは、理由を知っているの?」
「もちろんだアヤネ。俺はヨナギの戦いをずっと見てきたからなぁ。おまえが、“生まれた時”のこともよく覚えている」
「生まれた、時…?」
「黙れと言って…、ぐ、っ…」
立ち上がろうとした時めまいに襲われ倒れ込む。
ここにきて体が限界だといっている。ふざけやがって、まだ終わっていないだろうが、何を勝手に機能停止してる…!
「おいおいヨナギ、無茶はよせ。それ以上は死んでしまう」
軽薄に嗤う、奴の言葉には裏表はなくあるのはただの虚孔だけだ。
「皆かた…、聞いてくれ——。話を、した……げほっ、げほ——」
「よな、くん…っ」
背中をさする手の感触に幾分か楽にはなるが、やはり立ち上がることさえ満足にできない身体に苛立ちが募る。
できることはホロウをにらみつけることだけ。情けないにもほどがある。だが、皆方をホロウの元へ渡すわけには——。
だが、この場においてはホロウが場を掌握している。全てを知り、全てを嗤う男にとって、誰の不幸も幸福も関係はない。
「なぁアヤネ、知りたくはないか? おまえが何者で、あの娘は一体誰なのか。ヨナギが護ってきたものは一体誰なのか」
「よせ…」
「………っ」
スカートの裾を強く握りしめた皆方は口を開こうとしては閉じるを何度か繰り返し、そして意を決したように、声を上げた。
「教えて、ください…」
「フ、クハ…っ。ああ構わんぞ構わんとも。俺も急いでいるわけじゃあない、時間ならいくらでもある。しかしその前に場所を移したい。ここでは落ち着いて話も出来んからな」
「え…?」
「きゃ——」
「あや——!」
皆方の呆けた驚きとともに、視界が白く染まった——。
光の去った後にはホロウを起点とした直線状の傷が地面に残されていた。
何もかもを焼き払う神の怒り、凡愚の到達点。
「ほうら、これでは満足に話も出来まい? イユラ、ずいぶん大きくなったな。俺は嬉しいぞ、カハハ…ッ」
「アヤネを離せ、この塵が——!」
果てしない怒りによって姿を隠すことは出来ていない。むしろその意味は無いとばかりに堂々と力を溜め、第二射を放とうとしている。
「おいおいおい、アヤネにあたってしまうぞイユラ。お前の護りたがっている方が死んでしまっては元も子もあるまいよ」
「チ、ィィィ———ッ!」
レイガンに放ったものと比べれば威力は圧倒的に落ちてはいるが、アレはまぎれもなく終極だった。レイガンでさえ同様に終局を放たねば、放ってなお防ぎきれはしなかった一撃を、片手一本で防いだのだ。
「ク、ハハ…、勝気なのは『崩界』に居た頃から変わらんな。ああとてもいいことだと思う」
「ああそうかい、オレとしては老いぼれにはご隠居願いたいね」
「お?」
ホロウの足が凍りつき、一気に前進へと広がっていく。そして皆方との間に地割れが起こりクレバスが生み出された。
「オラ、とっとと薄汚い手を放しやがれ!」
「まあ確かにジンの身体は汚れてはいるが…、戦場である以上仕方あるまい。それに、そこを言うなら俺はまだ綺麗な方だ」
「旦那よりヒデぇ」
間違いなく、全身が凍り付いていたはずのホロウは蚊を払うくらいの所作で氷を打ち破ると、皆方を再び手中に収める。
「とはいえだ、まあ汚れているのは事実だからな。離れた方がいいか」
——はずだったというのに、何事もなかったように数歩離れた位置へ移動した。
皆方は完全に誰からの手も離れ、自由意思で行動できる場所へ立っている。いいや、皆方の意志が状況を左右するといっても過言ではなく、轟音は一瞬にして静まり返った。
「もしも、私がアナタと一緒についていったら、お願いを聞いてくれますか?」
「待て、皆方…!」
「ああ構わんぞアヤネ、俺は出来ることならこの場にいる皆の願いを聞き届けたいと思ってる。優先順位がある以上は難しいこともあるが」
「…分かりました。………夜凪くん。私、ね。正直言うと…ずっと、嬉しかったんだ」
「……何がだ…」
ぽつりと、呟く声。
「何度も、何度も、夜凪くんや衣優ちゃんが、私のために戦ってくれてたこと。そのたびに傷ついたり辛かっただろうけど、それでも。私のために戦ってくれてたこと、嬉しかった」
……ああ。いいんだ、そんなこと、いいから、一緒に帰ろう。そんなヤツのとこにいるな。
「ごめんね、ずっと。迷惑ばっかりかけてたね。さっきも、嘘つきだなんて言っちゃった」
何のことだ、そんなこと思ってない。
「思い…だしたんだ。いつも、どうやって世界が創り直されるのか」
「………みなかた」
「ずっと、何度も、何回も…、辛かったよね。いつもゴメンって謝ってくれてた。私の方こそ、悲しませてごめんね」
「ちがう…っおまえが、謝ることなんて…ひとつも——」
「だけどもういいの、夜凪くんがそんな思いをする必要なんてない。私の終わりは…私で決めるから———」
世界が終わり、また始まる時。
それは『巫女』が死ぬときであり、その死は穢れた血族であるナイギの手であってはならない。
純粋な力である『巫女』の力は淀み、新たな世界は構成できなくなる。そのことをいつか皆方に教えたことがある。
だから、彼女は気づいたのだ。
『何百万と繰り返された世界で、常にナイギ以外の手によって死を迎えるものかと』
だから、答えは一つしかない。
「ごめん、ね。夜凪くん、私のせいで、なんども…なんども辛い目にあわせちゃったね」
殺してきたのは、目の前にいる俺自身なのだということ。
ナイギとの戦いに敗北するたびに、皆方を手にかけてリセットをしてきたことを。
「なんで、謝るんだ…」
おかしいだろ、どうしてお前は笑みを浮かべられる。どうして、俺に謝れるんだ。
「他のことも、教えてくれるんですよね」
皆方はそれ以上の言葉を交わすことなく、ホロウへと声を投げかけた。
「もちろんだともアヤネ、俺は何一つ隠し事はせんさ」
「みなか——」
震える声が届きはしない。伸ばした手は宙をさまようだけだ。
「行かせるか! ユーリ、使い捨てで構わん、もう一丁創れ!!」
「次撃ったら姉上が死ぬでしょうが!」
「構わん!!」
「馬鹿言ってんな!」
なりふり構わず突貫しようとするイユラを抑えながらも、ユーリ自身限界が近いのだろう。その表情からは疲弊が見て取れる。
「なんだユーリ、『楔』は使い切ったといっていたのに」
「ハンッ、ちょっとしたお茶目だよ!」
だが、ここにいる人間の全員が限界だ。戦う力の一つも残っていない。
「ハァ…、ぐ……ぅ、ハァ———!」
声を上げたくとも、腕を上げたくとも叶わない。ボロボロになっているあやねの支えがなければ立ち上がることさえできない。
「いいや決まりだ、アヤネが己で決めたことだからなぁ。だがその前に一つ、念を入れておこうか」
「——ぐあッ!?」
「夜凪くん!」
「よな…くん……!」
姿が消えたかと思った時、眼前に現れたホロウは俺を片手で持ち上げると、空いた方の手を伸ばし、右目に指先をあてがう。
「ラゥルトナーの魔眼。こればかりは厄介極まりないからなぁ。痛いだろうがこれきりだから我慢してほしい。なぁに、ジンも生活できていたんだ。ヨナギも問題あるまい?」
「こ、の——っ」
抵抗しようにも手足はいうことを聞かない。
「ホロウ!」
「させるかッ!」
「流石はイユラとユーリだ。俺の血を引く末代の子ら、ひと際頑丈で喜ばしいよ。だがすまんなぁ、今は相手をしてやれんのだ」
「———が」
「ぐォ……?!」
眼球に伸ばしていた方の手を軽く振るうとそれだけで二人が吹き飛ばされる。四方界も扱える状態ではなかったが、ヌイと他に三人の人影が受け止めていた。あれなら死んではいないだろう。
「さて、苦しみは手っ取り早く済ませられるのならそれ以上はあるまいよ」
言葉は挨拶をする程度に軽く、行動も同様。
ホロウは飴玉を取り出すのと同じように、俺の右眼をえぐりとった。
「が———」
「あとはこちらも…」
「やめて!!」
「うん? アヤネ、そうは言うがな。こればかりは俺の問題だ。それに、片目だけで十分、これ以上は傷つけんさ。両眼の存在によって成立する魔眼というものは、調和を失うだけで効果をなくす。よくもまあこれまで継承出来てきたものだと感心するばかりだ」
言いながら俺をつかんでいた手を放す。受け身も取れず地面に落され、声が漏れる。
形を保ったままの眼球はガラス玉のようで。
手のひらで転がし遊んでいたが、話し終えると同時に潰して地面へ投げ捨てる。
べちゃりと音を立てる肉片はもはや人体としての機能を失った。どうあがいても俺の右目から光が失われたことに違いはない。
「ホ、ロ……ゥォ!」
「カハハハ…ッ、そう怒るなヨナギ。その眼があるだけで戦いの渦中に飛び込まざるを得なくなる。その理由自体を潰したのだからお前はもう戦わなくていいんだぞ?」
「ふざ、けるな…ッ!」
この男はどこまでも己のルールでしか話していない。他者にとっての理由など初めから考慮されていない。それは考えないようしているのではなく、考えるというプロセス自体が存在しないのだ。
「いっちゃダメ…っ、よなくんのこと、お願いしたでしょう…?」
「やっぱり、夢の中での女の子はあなただったんだね。でも、ごめんなさい…、夜凪くんには私じゃなくて、あなたの方が大事だと思うから——。私はここにはいられない」
「………」
「私でもできることがあるかもしれないから。夜凪くんのこと、お願いします」
「あなたは——」
同じ顔をした二人の少女は鏡合わせに見つめ合う。
なのにその感情を写し合うことは出来ず、泣きそうな顔で微笑んでいた少女は背を向けてしまった。対話すること自体を、彼女は拒否したのだ。それは現実からの逃避ではなく、彼女の大切な人たちを護るために。
「さぁて目覚めてから初の大仕事だ。気合を入れるとしようか」
空気を引き裂く柏手が鳴り響く。
「何もかもが不幸を運んでくるというなら、そんな現実は創り変えてしまえばいい。流転し、回帰し、幸も不幸も平等に得られることこそ至上の平穏だ」
手を合わせると界燐が渦を巻く。
荒れ狂う力の流れに反する力は残されておらず、傍にいた少女とともに嵐が過ぎ去るのを待つことしかできない。
「四方に広がる総界よ。皆で清浄たる大地へ足を下ろし、手を取り合い共に進もう。戦争、飢餓、病のない浄土をこそ我らが降り立つ大地に他ならん。絶対至上の幸福を目指し飛翔する意志こそ、何にも代えられぬ人の輝きなれば」
とてつもない力が集まってくるのが感じられる。
抗いようのない力に引き寄せられているのは純粋な力だけではない。世界の外、塵となってただよう世界の残骸。いいやそれだけではなく、形ある世界そのものが、『纏界』と『崩界』が引き寄せられているということが感覚的に分かってしまう。
「全部、ぶつけて壊すつもりか…!」
「ち、がう…、ホロウは……一つに、しようとしている——」
「一つに、だと…!?」
三界、境界と戦争を挟むことでしか決して交わることのなかった世界そのものが、一つになるだと。そうなれば、一体何が起こるというのか。
「悟りを得よ、浄土へ至れ。我等にはすべからくその資格があるのだから。導きは不要、衆生の至る地はここに、ククっ…カ、ハハハハハハハハハハハ———ッ!!」
嗤う、嗤う、嗤う。
聞くもの全ての心を混沌へ堕としめる虚構の存在証明。
もうすでにこの男を止められるものは誰一人として、いないのだ。
「“四方崩界”——、『おんりえど うてな』」
残された左目でホロウを捕らえる。そして、奴の言葉が耳に届いた刹那。
世界は砕け、何もかもが崩れ落ち——。
「———ぁ」
黄金の槍を持った少女が俺達の前に立ちふさがった姿を最後に、気休め程度に残されていた薄っぺらな意識は、張りぼての覚悟とともに虚ろな闇へと呑み込まれた。
『本編について』
・二章終わり
ここまでで二章の範囲になります。
次回から最終章に入るので、最後までお付き合いいただければ幸いです。
・皆方彩音の死について
皆方は各世界において、一度たりともナイギに殺害されたことはありません。そうなっていれば『総界』は彼等の手に落ちていたことでしょう。
そのため、これまでは最悪の事態となる前にヨナギが自らの手で幕を引いていました。
・皆方彩音(?)
章ごとにちょくちょく出てきていた少女ですが、これからが本格的に出番です。始めから出す予定ではあったのですが、展開の関係上最終章にしか出せませんでした。
・ホロウくん降誕
ようやくラスボスがちゃんと登場しました。
彼は書いていて非常におかしなヤツだったので、この作品内でも比較的面白い男なんじゃないかと思っています。
・四方崩界
ホロウの用いる四方界。通常の四方界と異なり次元の違う力を持ちます。
扱えるのは各世界の頂点に座する血筋の者等ですが、ホロウは純粋な力のみで使用しています。
『おんりえど うてな』の表記がひらがななのは手を抜いてるからです。
『定期連絡』
・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。
・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。
・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。




