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四方総界縁起  作者: くろよ よのすけ
64/100

64.恢復①


 ——なぜ、どうしてこうなっているのでしょう。

 アヤネを護るため、守護者としてこの場所で槍を振るった。間違いではないはずで、事実アヤネを護ることは出来ている。

 だけど、あの老人が現れてから私の世界は急変した。


『ヨナギに頼まれた』

『その娘を連れて行くようにと』

『われらにとっては敵であろうが、敬意を払うに値する人物だ』


 ヨナギ様たちの戦闘が始まってすぐ、三人の女性が現れた。それぞれが鬼の面をかぶった彼女たちは満身創痍であり、リーダー格と思しき背の高い人以外は立つのもやっとだった。

『リア…さま…?』

 どうしてヨナギ様ではなく彼女たちがリア様を背負っているのか、疑問はすぐに溶けた。

 おろされた彼女の体には力が一切抜けていて、眠っているときと同じ顔のはずなのに見たことのない、虚ろな印象が満たしていたから。

『うそ…』


 自分の何より大事な主である二人が、………し、んだの、だと…みとめ——。

「う…っ、ぉえ——」

 吐きそうになったけれど何とか踏みとどまる。

「けほ…ふぅ…っ…ふっ……」

 呼吸もままならず歯がぶつかってガチガチと音を鳴らす。


「ヨナギ様、リア様…。私は…どうすれば——」

 静かに目を閉じた彼女の傍で膝をつく。

 美しいと思った。今まででも見たことのないほどに静かな寝顔、軽く乱れた髪は光を受けてキラキラ輝いている。いつもの柔らかな寝顔とは違う見たことのない彼女の、彫像のように固まったその顔を見ていると吐き気がこみあげてくるのに目が離せない。


「ど、う…すればいいのですか…。いつものように笑ってください…、冗談だと、からかっただけなのだと…っ、怒ってなどいませんから、リア様のためならいくらでも無様をさらしても構いませんからっ! だから! だから…どうか……目を、さまして……おねがぃ…」

 後に行くにつれて小さくなっていく声と混じりゆく嗚咽。

 ヨナギ様は地に伏している。助けたいのに、助けに行かないといけないのに体がいうことを聞いてくれない。一人残された私はどうすればいいのか思考が至らない。


「おいっ、シエとか言ったな! 甘ったれて膝をついていないで手を貸せ! このままではこちらにまで来るのだぞッ。おい三人組っ、ジンは起きないか!?」

「まだ無理だ」

「四方界の使用による過負荷を起こしている。慣れない術式使用を連発したか」

「ヌイ、いましばらく一人で耐えろ」

「貴様らも手伝ったらどう…だッ」

「我らに胎蔵領域は至れない。手は…貸せない」

「くそ!」


「———はぁ、はぁ…」

 呼吸は浅く早く、限られた酸素はあまりに薄い。

 一字一句聞こえているはずの声は理解を拒み、右から左へと流れていく。

「分かっているのか! ここで『巫女』を殺されればすべて終わるのだぞ!」 

「『崩界』へ連れ帰ったところであの男ならば戻って殺す。第一、この世界が失われるのは貴女の望むところではないはずだ」

「………」

『どうするんだ? 辛いのなら言えばいい。俺はいつでもそばにいるぞ? ハハ——』

「っ…!?」

 どこからか聞こえた声に振り返ってもそこには何もいない。それともただの幻聴だったのか。夢のように虚ろな存在感は心をさらに不安で締め付ける。


 何もかもが分からない。

 ここで膝をついている私に何をしろというのか。

 護るべき主を失い、敵討ちに燃えるわけでもなく、指示を与える人がいなくなっただけでこの体たらく。何の役にも立たないのは一目でわかるはずなのに。

「わ…たしは……もう——」

「……っ! 夜凪くん!!」

「…ぁ、やね…?」

 甲高い、悲鳴のような声が彼を呼ぶ。

 彼女の部屋からだ。なら、目覚めたのでしょうか。

 そうだ、レギオンはお二人が倒したのだ。それなら彼女が目覚めていたとしても不思議じゃなかった。それともユーリが何か細工をしたのかもしれない。


「わっ!? なにこれ、街が…どうなって…、ああじゃなくって!! シエー! リアさーん!? どこにいるの!?」

「…ぁ、ぇっ…と、アヤネ、私はここ——」

「『巫女』だな、屋上に来い! 目に見える場所にいた方がましだ!」

「え、今のだれの声…っ? じゃなくて、わかりましたすぐ行きます!」

 ドタドタと家の中から音が響き、ベランダに掛けた梯子を上ってくる。ヨナギ様の姿を見ているはずなのに、私の前に見せた姿はいつも通りの…私の知る彼女のようにも見えた。


「うう…、よい、しょ。…シエっ、よかった無事だったんだ! 起きたら家の周りが何もなくなっちゃってたからまたナイギの人たちが…、それに夜凪くんもあのままじゃ! …シエ?」

「アヤネ、その……私は——」

「リアさん……。ごめんねシエ、私を護らなきゃいけないから…、リアさんも…」

 この前の、あのおじいさんが襲ってきたとき、どうして私をベランダから落としたのか聞きたかったけど、もうそれはできないみたい。

「い、いえ…、レギオンを倒すためには、きっとこうするしか、なかった…のです。だからアヤネが、謝ることなんて…ない、ないのです…っ」

 声も体も震えているのは周りで巻き起こる戦いの余波ではない。

 アヤネを前にしてなお、私は何もできない。指一本動かすことも自分の意志ではうまくできないでいる。

「……………」

「あ、あのアヤネ…、スミマセン、私が役に立てなかったから…」

「ううん、ちがうよそんなことない。だけど、まずは夜凪くんを助けないと」

「ですが、あの傷は間違いなく心臓を——」

 言葉が詰まる。事実を理解しているけれど、認めたくないと体が拒否してしまってそれ以上言葉がでてこない。

「そっか…、でもシエ、まずはちゃんと近くで見てみないと分からないよ。うん…私も怖いけど、諦めたくないんだ…。だからちょっとだけ待っててね。すぅーー」

 身体全体で大きく息を吸い込む、それは深呼吸のためというよりも大きな声を出すための息の溜め方で——。


「衣優ちゃーん!! 助けてーーーーー!!!!!」

「………ハ?」

 気の抜いたら地獄に呑み込まれかねないナイギの戦士。

(((『巫女』というのは、気がどうにかなったのか)))

 目を丸くする三人の鬼面。


「あ、の…アヤネ、一体なにを——、そ、それにこの状況で…『前回』の、ことを、思い出したの…ですか?」

「うん…、ちょっと夢で色々あって……。あ、それでもうすぐ助っ人が——」

「まさかいきなりその名で呼ばれるとはな」

「あ、衣優ちゃんっ、よかった来てくれた…!」

 いつの間にかアヤネの傍でボウガンを構えながら答えていたのはひとりの女性。リア様と同じくらいに美しく、そして冷ややかな印象を受ける人。

「イユラさま!」

「生きておいでだったのですね…」

「やはり…ですがよかった」

「うむ、息災……とはいかぬがお主らとまた相まみえたこと嬉しく思う」

 …そしてその顔は私も知っている人物のもの。


「金谷、せんせい…?」

「その名で呼ぶでない。あれは仮初の姿だ。ヨナギから聞いておらんかったのか。であるが、お主ならば演技は出来ぬであろうから伝えていなかった、といったところかの」

 顔の部位ごとは同じだというのに、まったく違う性格と顔つきに頭の中が混乱している。

 私の知る彼女がこんなところにいるはずがない。金谷加奈という名の教師はアヤネの力で存在している一人の魂。戦う力なんて持っていないはず…。

「従者よ、こういうこともある。その深慮は美徳ではあるがあまり考えすぎるのも毒でありろう。吾は『巫女』に呼ばれたから来た、それだけである」

「は、はぁ…」

 記憶にある彼女が口にする訳のない言葉も追加される。結果、私の意志にかかわらず声は鳴りを潜めてしまった。


「お願い衣優ちゃん、夜凪くんを助けて。あのままじゃ死んじゃう…っ」

「アヤネ、お主があの男をいまだ好いていることは分かっているが断る。吾はあの男が嫌いであるし、ヨナギはもう死んでおる。あの傷は愚弟でなければ助かるまいよ」

「でも今すぐ治療すればもしかしたら——! もし、それでもだめなら私の命だって!」

 食い下がるアヤネに対して視線を向けることもせず、一切の油断なく標的の隙を窺いながら、淡々と事実を伝えていく。

「ヨナギはラゥルトナーの魔眼の力をリアから引き継いでおる。その本人は死に、リアの死を観測した以上、この世界がお主の死によって廻ろうがどうしようもあるまい。認めろアヤネ、ヨナギは死んだのだ」

「…っ、死んでない」

「心臓を潰されて死なない人間はおらぬ」

「死んでない!」

「……第一、死んでおらぬとしても、この場に治癒の力を持つ者はおらぬ。助けたとて死ぬのだ、我儘を言うでない。お主だけは何としても助け出す。だから心配せず——」

「じゃあなんで私の方見てくれないの」

「戦いの最中、敵から目を離す愚か者はいまい」

「衣優ちゃんお願い、こっちを見て。私の話を聞いてっ」

「……」

「ごめんね、ずっと守ってくれてたんだよね。加奈ちゃんって全然別の人になってからも私が無事でいられるようにしてくれてたんでしょ? なのに私はずっと忘れてて、謝ってもどうしようもないことだけど…、そんな私のために頑張ってくれてたアナタに、こんなお願いするのはおかしいと思う。けど…」

「アヤネ——」

「お願い、夜凪くんを助けてほしい。その後で、もしも衣優ちゃんが私を他の場所に連れて行くっていうなら従う。夜凪くんたちも説得する。それで他の世界が大変なことになったんだとしても。…私は夜凪くんを助けたい」


『お願い…衣優ちゃん、よなぎ…くんを、まもって——あげ——』

 それは、いつの言葉だっただろう。

「…っ、ダメだ!! いくらアヤネの言葉でも聞くことは出来ぬ、あの男のためにお主を危険にさらすことなど——」

 矢を番えた銃を握る手に力が入って震えている。葛藤してくれているんだ、私なんかのためにずっと頑張ってくれて来た衣優ちゃんからしたら、お願いされてることなんてふざけたことだと思う。

それでも、彼女は考えてくれた。その上で出来ないって、私の方が大切だって言ってくれた。

「その気持ち、すっごく嬉しい。でも、ダメなんだよね」

「許さぬ、認められるわけがなかろう。ラゥルトナーはもう終わりだ、これからはレイガン殿と、当主であるホロウが復活する。勝ち目はないに等しいのだ。ならばせめて吾が常に護らねばならぬのだぞ…っ」

「うん…、だから先に言っておくね、ゴメン」

「…なにを——」


 あっけにとられる衣優ちゃんを背に、うずくまって呆然とこちらを見ていたシエの前にしゃがみ込む。

 目の前の少女は泣きたいのに泣けない、虚ろが宿ったような眼をしていて、その姿を見たこっちが悲しくなっちゃうくらい。


「シエ、ゴメン。思い出したんだ、みんなのことや、私が『巫女』だってこと。私のせいで夜凪くんが死んじゃったんだってこと」

「ち、ちが…っ、それはちがうのです…っ」

 否定しようと伸ばした手を取る。

「すごく冷たい…、顔も真っ白だよ。…ごめん、私には何もできなかったよね。我儘ばっかり言って邪魔ばっかりしてたよね」

「あ…っ、いえ違うのですっ、アヤネはなにもわるくなんて——、私たちに力が足りなかったから——」

 ふわふわした、綺麗な髪を振り乱して否定する姿は痛々しい。リアさんも夜凪くんもいなくなってしまって一人取り残されちゃったから。

「いいの、謝ることなんてない。でもシエ、ココで諦めちゃだめだよ、夜凪くんはまだ助かるかもしれないもの」

「馬鹿を言うなアヤネ。お主でも分かっておろうに、あの傷は人が死ぬには容易い」

 衣優ちゃんの声は子供に言い聞かせるようなしっかりとした言葉遣いで、多分私のやろうとしてることが分かってるからだと思う。


「……シエ、がんばろう。もう打つ手がなくって駄目なのかもしれない。二人がいなくなって怖いんだよね。ずっと一緒にいた二人だもんね。でも、だからこそ残された私たちが頑張らないと。そうじゃなきゃ、私は二人に合わせる顔がないよ…」

「………私は」

「ほら、『巫女』って色々とすごいことができるみたいだし、近くまで行けさえすれば何かすごい奇跡が起こるかもしれないじゃない? なんて、…私に何かできることがあるなんて思ってないよ。ちょっとした喧嘩も苦手だし、アハハ…」

「なら、やはりアヤネはここで——」

「ううん、それじゃだめだよ。それじゃ夜凪くんを一人きりにしちゃうから。行こうシエ、二人で、彼を助けに」

「………っ、私に、なにができるでしょうか…」

 顔を上げたシエは涙を浮かべてる。シエはシエなりに心が前に向かってきているんだ。

「それは私なんかよりシエ自身が一番分かってるんじゃないかな。それに言い出しっぺだけど私が何できるかって言われたら分からないし…。そのままあのおじいさんに殺されちゃうかも」

「それでは——」

「それでも行く。衣優ちゃん、止めても無駄だからね。私は何が何でも夜凪くんのところに行く」 

「アヤネ、お主がなぜそれほどまで、あの男を好いているのか理解できた試しがない。吾が友として傍にあった時から何も変わらん。何時であろうと、幾度であろうとも。お主はあの男のために動こうとする」

「あーはは…お恥ずかしい、で、でもしょうがないじゃない。その……えと、す、好き、なんだもん…」

「いつもそれだ。例え『巫女』といえど、死者を生き返らせることは出来ぬ。その力は世界の維持に特化した特別なものだ。いくら世界を創り直そうが、人の命までは回帰せぬ。傷をふさぐことさえできはせん。…ましてや潰れた心臓をどうにかするなどできるわけがあるまい!」

「……心、臓の、代わり…」

「だからって諦められないよ、そりゃあ…いう通りできることなんてないのかもしれないけど、何もしないで諦めたらそれこそ後悔しかしない。これまでずっと助けてくれてきた夜凪くんを助けたい、って思うことがそんなにもダメなことなの?!」

「ダメだと言っているであろうが! あの男は、お主を——っ、……何があろうと認められぬ。何とか時間を稼ぐ、その間に『門』を開かせるゆえそれまでお主は此処で待っておれ、よいな!」

「「「イユラさまの御心ままに」」」

 するとお面をつけた人たちは私を取り囲むように移動すると何か呪文のようなものを唱え始めた。

 『門』って言ってたからきっとここから逃げるためのワープとかをさせようとしてるんだ。


「おい、この状況で貴様らだけで逃げるつもりか!」

「致し方あるまい、ヌイといったか、お主には悪いがこの胎蔵領域は不可侵の縛りとしては有用。レイガン殿が来るまでは耐えてもらわねばならぬ」

「この…、姉弟そろって勝手なことばかり口にしおってからに…っ。ああもう勝手にしろ、どうせレイガン様を何とかせねば帰ることもままならんのだ。だからせめてここにいる間だけは手を貸せ」

「ああ、済まぬな。ヌイ」


「…衣優ちゃん」

 このままじゃ本当に何もできないままにサヨナラになっちゃう。だけど一人で行こうとしても邪魔されちゃうだろうから夜凪くんのところに行くことさえできない。

 衣優ちゃんが加奈ちゃんじゃなかった頃、多分ずっと前のことで当然リアさんもシエもいなかった時のこと。

 あの夢での出来事が影響して今では昨日のことのように思い出せる。…その時から、どうやら私は変わってないみたい。

 夜凪くんに我がまま言って呆れられて、その態度に衣優ちゃんが怒り出す。それが面倒でどこかに行こうとする夜凪くんと追い出そうとする衣優ちゃんの腕を取って、一緒に帰り道を歩く。

 夜凪くんは覚えているんだろうか。

 これまでは一度も思い出させようとしなかった。世界が創り直されるのは私が死んじゃった時だから、思い出させたくなかったんだと思う。


「アヤネ…」

「シエ…、ゴメン。やっぱり私じゃ……」

「アヤネはヨナギ様のことがお好きですか?」

「えっ? あー、ええと、ハイ…スキデス」

「そう…ですか、そうですね。…アヤネは素敵な女性ですから」

「シエ、どうしたの、急にそんなこと…」

「………」

 目を閉じて少しの間考え込むと、太陽の光を受けた花のようにゆっくりと立ち上がる。

 静かに、だけど力強い命の輝き。誰もが持っていて当然のそれを、シエは今ここでもう一度つかみ取った。


  □ □ □


 光は見えたのです。


「ヨナギ様を助ける方法があります」

「えっ、ほんとう!?」

「はい、ただヨナギ様の元まで行かねば助けることは出来ません。ですから私も行きます、必ず」

 アヤネは、あの事を知らない。

 だからよいのです、ワタシが残ることよりも、ヨナギ様が彼女を護るにふさわしい。アヤネが、彼の隣に立つにふさわしい。


「分かったそれじゃあすぐにいこ——」

「ならぬ」

 だがここに一人、道をふさぐ者がいる。

 私の知る彼女と同じ顔をしながら、そこから感じ取れる表情も気配も、何もかもが別人。感じ取れるだけの力でも私を超えていることが伝わってきます。

 そして、彼女なりにアヤネを誰よりも守ろうとしているのだということが。

「そこをお退きください金谷先生、私たちは向かわねばなりません」

「ヨナギを救うためか? やめておけ、アレは死んだ。レイガンの相手は愚弟に任せておけば時間稼ぎにはなる。その間にこの場を離れ体制を整えねば」

「それは不可能です。あの剣士を前にして感じた力からは私たちが力を合わせようとも打倒はできないでしょう。それは貴女も分かっているはずです」

「ちょ、シエ…」

「………」

 一触即発ともいえる私たちをいさめようとアヤネが声を上げてくれましたが、手を向けて制止する。もう少しだけ待ってほしいと。

 他の者も事態を静観する中、口火を切ったのは彼女の方だった。


「ついさっきまでうずくまるばかりだった小娘が生意気な口を利く。第一死者を救う術などこの世界にはない。リアは死に、ヨナギも死んだ。命の在り方は不可逆だ。どうあがこうが一度去った以上は還ることはない」

 分かっています。だからヨナギ様はこれまで戦い続けてきた。

 アヤネの死を認められなくて、次こそは護らねばならないと擦り切れた心と身体を引き摺って、その身はとうに血と泥に塗れて立ち上がることさえできないほどの傷を負っているというのに。


「お主は方法があるといったが、そのようなものなどない。よもやアヤネの『巫女』の力に期待でもしておるのかもしれぬがアヤネにはその力はない。『巫女』とは世界の生命維持の要、楔である。人一人のために使われる力など——」

「いえ、まだ取り返すことは出来ます」

「…ほう、ならば言ってみよ。何をどうしたら死んだヨナギを救えるという? 答えられぬのであればこの場で手足を撃ち抜く」

「衣優ちゃん!」

「よいのですアヤネ、殺されないだけ温情なのですから」

「………」

 彼女の放つ殺気からして、この状況でアヤネを危機にさらすことでしかない私の提案は、到底受け入れられないものでしょう。

 アヤネがこの場に居なければすでに殺されていても不思議ではなかったでしょう。


「貴方がこれまでアヤネを護り、世界の再構成を乗り越えてきたというのならば私とヨナギ様が共に戦っていた姿も見ていたはずです」

「………それがどうしたという」

「これまでヨナギ様に預かっていたものがあります。それを、返さねばなりません」

「借り物…? …っ、お主まさか」

「本当はもっと早く、それこそこの世界に足を踏み入れたあの日、返すべきだったのでしょう。そうしていればヨナギ様が今のように苦しみの淵に進むことも防げたかもしれません」

「馬鹿を言うなシエ・ジンリィ、傍から見ていてもとぼけた娘と思っておったが、そのような選択を取る価値が、あの男のどこにあるという!? お主は、もっと己の価値を知るべきであろう!」

「ありがとうございます……心配して、くださるのですね。それに私は貴女がいうほどの価値があるとは思えません。数学も、まだまだですから……、お忙しい中でのご指導ご鞭撻、心より感謝申し上げます」

「………っ、おぬしは……、本当に馬鹿ものだ…」

「ええ、ヨナギ様にもよく注意を受けているのですが、ふふ…、最後まで直りはしなさそうです。行きます…急がねば本当に手遅れとなってしまいます」

「う、うんっ、ゴメンね衣優ちゃんっ、どうしても行かないと——」

「ならぬ!!」

「ク…ッ!」

「シエっ!」


 おもむろに放たれた一矢は私の肩をかすめていった。四方界もなにも使われていない武器としての一撃だが、その気になれば殺すことは容易だったでしょう。


「今のは警告である。それ以上進もうというならば、次は容赦せぬ。足を折ろうが首を折ろうが、此処から先には進ませぬぞ…っ」

「そんな衣優ちゃんっ、お願いだよ先に進ませて。シエと違って私には何もできないだろうけど、それでも行かなきゃならないの」

「ええいっ、何度言わせれば気が済む。吾の言葉も選択も変わりはせぬ。どうしても行きたいのならその手で倒すのだな!」

「おい、貴様ら。この状況で暴れるな。胎蔵領域が…っ、崩れる!」

  制御に手間取っているヌイの姿を横目に、槍を取り出す。このままでは埒があきません。どうしても行かねばならない。


「戦っちゃだめだよシエ! ここで仲間割れしてもどうしようも——」

「下がっておれアヤネ。言って聞かぬ阿呆は制裁を加えなければ覚えん」

「……」

「………」

 槍と弩弓、間合いは完全に私の方が有利ではあるものの、彼女から伝わる力の波動の前では間合いの有利不利など意味がないことを知らせてくる。


「………シエよ、なぜあの男に忠義を誓う。あれはどうしようもない男だ、許されぬ罪を繰り返してきた男だ。お主のような純粋な者が慕うに値しない」

 その時ちらりとアヤネの方へと目線を向けた。ヨナギ様のことは認めてはいないものの、彼女なりにアヤネの気持ちを慮っているのか。

「それでも、私にとってヨナギ様は命を救ってくれたお方なのです。生きる理由を与えてくれたお方なのです。それはリア様も同じ、ならば残された私がすべきことなど決まっています」

 死を前にした力ない幼子をただの気まぐれであったのだとしても、救ってくれた。失われた命を繋ぎ留め、生きる意味さえも与えてくれた。


「私は…ヨナギ様のことを好いているのです。そんな彼の死を認めるわけにはいきません。…ですから、ここはなんとしてでも押し通ります」

「…愚か者っ、馬鹿者め! ……どうしても行くというのか、その先にあることは分かっておるであろう…」

「はい。ですから…アヤネのことをよろしくお願いします」

 深く頭を下げる。

 相手から、ナイギからすればどうかしている判断に違いないでしょう。己の主と、これまで守り続けてきた相手を敵の前に差し出すといっているようなものなのですから。


「ちょっとシエっ、私も行くよ! 何もできないだろうけどそれでも——!」

「いいえいけません。私ではダメなのです、彼の心に空いた孔を、埋めるには私では。だから、だから……。ヨナギ様のことをお願いします」

「何を別れの挨拶をしておるのだ。いかせぬぞ、たとえお主一人であろうともだ」

『まあそういうなよ姉上、そういうところが魅力なんだ』

「——何をっ! ユーリ貴様!!」

 

 ユーリの声が聞こえたかと思うと、私たちと金谷先生の前に氷の壁が立ちふさがった。

「今なら——!」

 一秒でも早く、そのために一気に飛ぶ。それほど距離は離れていないものの、あの剣士の間合いに入れば死は免れない。

「だめ、シエ!!」

 呼び止める声が背中を引っ張る。

 すいませんアヤネ、ともに行くといっておきながらまた貴女を残してしまいましたね。ですが——、彼の傍で肩を並べるのは私ではない。貴女こそがふさわしいのです、アヤネ。


「いいのかい?」

「…はい、先ほどのは貴方の力ですね」

 道中、傷を治したユーリが姿を見せる。氷の壁、アレができるのは彼くらいでしょう。どうやってこちらの様子をうかがっていたのかはわかりませんが。


「ハハッ、そこまでいっても感謝の言葉をもらえな——」

「ありがとうございます、ユーリ。感謝の言葉でしかお礼をできませんが」

「———マジか」

「最初で最後です」

 見開いた眼は心の底から驚いているようで、すぐに私の言葉を反芻するように目を閉じて深呼吸をし始めた。

「ふーっ、ふーぅっ!」

「………」

「ふぅーーー、すぅ……、ふ——!! げっほっ! おへっごほ…!」

「撤回します」

「げっほおおっとゴメンゴメンって! シエちゃんの言葉があんまりうれしかったもんだから抑えきれない熱情と希望と光と決意やら覚悟やら高鳴る心音とかがさぁ!」

「…、貴方はどうして手を貸してくれるのですか?」

「ん? そりゃあシエちゃんと旦那のどっちが大事かって言ったらシエちゃんだろ」

「そんなことで?」

「そんなことさ。ただオレ的には本気なんだぜ。どうにもガキの頃から年寄り共とは方針が合わないって思ってたんだ。個人的には『巫女ちゃん』さらうのも必要だからってだけだし」

「ならばもう二度と手を出さないでいただきたいのですが」

「はっはっは、そういうわけにもいかない。オレの屋敷の女たち…以外もそうだが、『崩界』てのは希望がうっすい世界だからな。太陽の光さえ知らんヤツがほとんどだ。オレはみんなに本当の光を見せたい」

「その想いは、素晴らしいものだと思いますが…、きっとヨナギ様が止めるでしょう」

「あー、そうだよなぁ。ま、それはおいおい考えるさ。だからシエちゃん、いってきな。オレがその役目を継いでやりたいところだが、旦那止めとかねえとな」


 老剣士は荒廃した地面を歩きながら、しかし速度を緩めることなく着実にこちらへと向かってきていた。

 あの光帯の内側こそが間合いそのもの、ユーリの生み出した胎蔵領域にとらわれていながらも氷も彼岸華も存在しない浄化されつくした空間。万物を斬り捨てる刃が襲い、不意打ちもききはしない。

 彼の剣士を打倒するためには神をも殺す力業か卓越した技量か、その両方が必要となる。

 さらにその奥、光帯の範囲から外れた場所に彼岸華が咲き乱れる場所があった。


「ヨナギ様、すぐ参ります」

 あそこに彼がいる。剣士の間合いから外れたために再度凍り付き、熱を求めた彼岸華は彼の元へと勢力を広げていた。

「…あー、悪ぃね、ありゃあオレでも制御できないからさ。どうにも強すぎる力ってのも困りもんだ」

 やれやれとおどけてはいるものの、彼の付いたため息からは心からの疲れが見て取れた。以前の戦いでも、敵である私たちを救いたいと口にしていた。


「本心、だったのですね」

「まあねー、見直してくれた?」

「ほんの少しだけですが。敵に変わりはありません」

「そっか。でもいいさ、シエちゃんの見る目が変わったならこれから先の努力次第でいくらでも好きになってもらえるチャンスはあるってことだからね」

「これから先なんて——」

「あるさ。ヨナギを信じてやれ、無理ならオレが何とかしてやるさ」

「相変わらず、無茶苦茶なことを言っているのですね」

「ハッハハ、シエちゃんには及ばねえさ。さて、旦那が来るからシエちゃんは行きな。あれだ、ここはオレに任せて先に行け。ってな」

「小説だとそのセリフは死ぬ前のキャラクターが口にするとリア様が昔言っておられました」

「え、マジ? 言ってみたかっただけなんだけどな。ってほらほら早く行きな、体の方は冷凍済みだけど助かるかはオレにもわかんねえんだから」

「はい、……ユーリ・ナイギ」

「うん、なんだい?」


 見守るように、優しく微笑む彼が本当に敵だったのかどうか分からなくなってしまう。ただ生まれた場所の違いで敵対しているものの、同じ世界で出会うことができたなら何か変わっていたのかもしれません。

 だから、この言葉を伝えるくらいはしておかなければ。


「助けてくれて…ありがとう」

「……ああ、いいってことよ。じゃあね、シエちゃん」

「さようなら、ユーリ」


 遠回りで剣士の光帯を避けつつヨナギ様の元へ向かう。老人は私に毛ほどの興味もないらしく歩みを止めることも、攻撃を仕掛けてくることもなかった。

 老人が興味を持つ者があるのなら、しいて言えば前に立ちふさがった次期当主だろうか。

 私を送り出してくれた微笑みとは真逆の荒々しい、獣のような笑みを浮かべながら剣士を待ち受ける。

 あの二人の戦いに私は手を出すことは出来ない。その領域に到達していない。だからこそ、私はここで命を掛けましょう。


(ヨナギ様、貴方は怒ってくれるでしょうか。疲れ、呆れたような顔で私の頭を撫でてくれるでしょうか。もしも、そうであったなら——)

 叶わぬ願いを胸に秘め駆け抜けて、ようやく辿り着いた。

「はぁ…っ、はぁ——」

 それほど遠くもない距離だったはずだったのに息が切れている。心臓が張り裂けそうなほどに高鳴って今にも破裂してしまいそう。

「ヨナギ、さま…」

 完全に凍り付いた姿、脈動こそが生の象徴ならば、完全に静止した彼の姿はまさしく死なを体現したものでしょう。

「お許しください。また同じことを繰り返してしまいます」

 貴方を救うためならと、命を捨てる真似をしてしまう。もっと己を大事にしろと言ってくれるその優しい声が、今度こそ聞けなくなる。

 ですが、これは必要な行いでしょう。戦いにおいても、残される彼女にとっても。

 …目が覚めた時、ヨナギ様が私を視たら、世界が創り直されるときにも私は死んでいる。やり直しはきかない。


「これまでありがとうございましたヨナギ様。少しばかりのお暇を、いただきたく思います」

 槍を取り出す。

 それはいつも使っている武器としての槍ではない。光り輝く、聖なる力が槍という形を持った高位の聖魂。

 それを胸の中心から抜き取る。

「…っ、ぁ、くぁ…」

 光の槍が抜けるにつれて、身体から何か、無くなってはいけない大切なモノが失われていくのが分かる。

 それは意識であり思考であり、心臓の鼓動だ。

 元々動いていなかったものを動かすために埋め込まれていたものだ。それを取り除けばどうなるか、分からないわけがない。


「ぐ…——、ぅぅぅぅ…っ」

 誰が否定しようとも私は信じている。

 この世に奇跡はある、希望もある。何に変えることもできない光がある。ここまで生きてこられたこと、それこそが奇跡だ。

 名も知らぬ、道端で死にかけていた、いいえ間違いなく死んでいた私にどうして彼がこの槍を明け渡したのか、それは今でも分からない。

 気まぐれか、必要ないと思っていたのか。ついぞ聞く勇気は出なかった。

 ですがそれでよかったと思う。聞いていたら、この選択は出来なかったかもしれないのですから。

私の命をつなぎ留め、護るべきものをあたえてくれた。


「たって、もう…一度、……ヨナ、ぐぁ……ぁっ」

『総界』に旅立った貴方の背を、今でも覚えている。

 あの時の私は今よりもずっと小さな、十にも満たない子供でしたから戦うこともできなかった。だから『纏界』で十年以上を過ごし、再開するときは怖かったのですよ。

 此方と彼方では時の流れが違う、リア様からそう聞いていましたから。私は背も伸びて自分なりに成長をしたと思っていたから。

 旅立ちを見送った時と同じ夕日の中、貴方の姿は何も変わっていなかった。

 すぐに私のことを気づいてくれた時だけは、この髪の色をありがたく思った。これは私が『纏界』と『崩界』での異端である印だったから。リア様は気にすることないと言ってくれていましたが、それでも気にしていたのです。

 だけど貴方は優しくて、思い出にあるころと比べれば見違えるくらいに年相応の明るさを持っていた。


 目に映る何もかもに興味の欠片も持てなかったような瞳、だけど今は違います。貴方が本来持ち得ていた優しさを感じられたこと。

 彼の傍にいてくれたアヤネには感謝しかできません。

 …だから、これが私にできるたった一つの恩返し。


「ヨナギ…さ、ま。ずいぶん、と、永いあいだ、お借りしてしまい、ました……。これは…あなたのもの、で———す、から……」

 握られた光からは確かな鼓動を感じられる。

 痛みはない、ただ静かに命から遠ざかっていく感覚だけが私の内側を占めていく。

 今まで私の心臓の代わりを務めてくれた確かな輝き、幸せを与えてくれた大切な——。

「—、……ぁぁ」

 この手を離せば、私は死ぬ。

 心臓は止まっている。

 意識はあまりに遠く、声を出そうとしても漏れるのは吐息だけ。それさえすぐにできなくなる。


『その光を元に戻せば助かるぞ? あのレイガンは強敵だが、残された皆で力を合わせれば倒せるはずだ。諦めるな、お前たちの輝きを見せてくれ——』

 それは私が無意識に願う生への執着か。誰かの声が私の手を誘導する。ここで他者のために死ぬべきではないと、己のために生きるべきだと至極真っ当な言葉で警鐘を鳴らす。

 そう、そうするべきなのだ。

 死んだ者は戻らない。彼女がいった言葉であり、覆してはならない、歪めてはならない世界の理。だからここで彼を生き返らせることは何よりの間違いだ。

 だから、今は私自身、冷静になるために生きなくては——。


「———————ちがう」

 できない、出来るわけがない。

 覆したのは誰だ? 歪めたのは誰だ? 世界の理を否定しながら、生きていたのはどこの誰だというのだ?

「は………ぁ…、これは…、ただ、しいこと、です——」

 間違っていたものを正すだけだ。だから恐れることはない。

 そして、これから先のことは貴方が正していってくれると信じている。

「よ———ぎ、さ…ま……いま、まで…おせ———ぅ…っ」

 ああやはりダメでした、申し訳ありません。

 ごめんなさい、申し訳ありません、決意が鈍いから時間が足りませんでした。自己満足でしかありませんでしたが、別れの挨拶も満足にできないなんて。本当に、自分が情けなくて仕方がないのです。


 怒らずに許してくださるでしょうか。

 笑って送ってくださるでしょうか。

 涙を、流してくれるでしょうか。

 

「———」

 手に伝わる光も熱も脈動も、私が持っていてはいけないもの。一番最初に失っていた場所に光をともしてくれた貴方へ返し切れないほどの感謝を。

 だから、遅くなったけど、返すのが怖いけど、今日こそお返しします。

 ありがとう、ずっとあなたのことをお慕いしておりました——。


 そうして灰色の少女は、倒れ込むように手を振り下ろす。

 光の切っ先は寸分違わず、吸い込まれるように少年の胸に突き立てられ、在るべき場所へ還るがごとく吸い込まれていく。

 その光景を最後にほぅと息を吐いて、少女は少年にもたれかかるように満足げに倒れ込んだ。

 次の朝はないのだと知りながら、———頬に凍り付いた一筋の涙を流して。


『本編について』

・シエの命の譲渡について

 リアに引き続き、眠りについたシエです。

 彼女の内に宿っていた聖槍は、元々ヨナギが死にかけていたシエへと渡すことで命を繋いでいました。今回はその逆にヨナギに返すことで救おうとしています。

 この辺りを書いている時はここまでする予定ではなかったので、ほんの少し個人的反省点であるのですが、書き終わった時にはこうなっていたので、彼女にとってはその価値があったのだと思います。


・全体の設定などについて(今後定期連絡に追加)

 いつもあとがきにメモを書いていますが、抜けている部分もありますので細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っています。

 もし作品内外含めて質問をいただければまとめて回答したいと思っていますので、よければどうぞお願いします。


『定期連絡』

・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。

・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。


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