61.幕間の夢
誰かがわたしの夢を壊そうとしている。
いいえ、やるとするならきっと彼女に違いない。
でもそんなことをさせるわけにはいかない。
あの夜空に煌めく星々のような思い出を、他の誰かに奪わせるような真似はしたくないから。
「———ぅ…」
軋む身体で、この身を縛り付ける拘束から脱しようとする。ほんの少し、あとほんの少しだけ、夢を通ってあの子の元へ行けさえすればいい。
そうしなければ、何もかもが終わってしまう。時間稼ぎも限界でもう抑えてはいられないから。
——たとえその行為が終わりの始まりを引き起こすことになるのだとしても、彼を傷つけてしまうことになったとしても。
「……うん」
……わたしにできることは、これ以外にないのだから。
□ □ □
いつも見て、いつも忘れてしまう夢。
誰かさんと誰かさんの仲睦まじい光景だ。
大きな声で笑いあったり、はしゃぎあったりするような恋愛じゃなくって、表面上はとっても静かで本当に恋人同士なのか分からない。…けど、心の奥底では誰よりも深い絆で結ばれている。
ともに寄り添って、短い言葉を交わすだけで満ち足りる。物なんかじゃなくって相手の存在自体が何よりも大切にしている二人の男女。
誰もがうらやむような、まるで物語に出てくるくらいに綺麗な関係だと思う。私も羨ましいと思うけど…、私の場合ついついはしゃいじゃうからここまで大人な関係は難しそう。
惜しむらくは、二人の姿ははっきりと見えないことだ。
別に顔が黒塗りになってる、とかじゃないけど見えているはずの姿が認識できないというか…。
見たことのないくらい複雑な図形を三秒見た後、目を離してから模写させられる感覚というか…、難しい外国語の小説を読まされてるというか。要は目が滑っちゃっている。
「なんでいつもこの夢なんだろう。私ってまさか……欲求不満?」
起きてるときは忘れちゃってるから疑問に思うことはできないけど、こうして目の前で見せられてるとなると話は別なのです。
「むむむ…、幸せなのはいいことだと思うけど、私関係ないからなぁ。見せられてもどうしようもないというか…。えーと、すいませーん、聞こえてたりしますかー?」
『——』
『———』
「まあ、そうだよねぇ」
多分二人は昔の出来事が映画みたいに流れてるだけなんだ。…顔は見えないけど。
だから私から触ったりだとか話しかけるのはできない。ただただ眺めることしかできなくて、映される場面はきっと、女の子の方の思い出の風景だ。
映し出される光景を見てるとそう感じてしまう。
(この女の子、いい子なんだろうな…)
要所要所のシーンを切り取ったように場面は移り変わるけど、その中では男の子のほうがいつも楽しそうにしてる。きっと、女の子からすれば自分のことより相手が楽しそうにしてることが一番うれしいんだ。
多分、男の子の方もそれが分かってる。分かってるから彼女の傍に居続けてる。幸せの共有。思い出を一緒に積み上げていけるのは、羨ましいな。
…私の方は、その……自分本位なところを直さねばと思っている次第です、ハイ。
もう少し二人の様子を見ていたいけど、多分そろそろだ。いつも終わりに近づくと誰かの声で打ち切られる。何度も何度も夢を見てきたから、タイミングもなんとなくつかめるようになってきた。
「はぁ…、さぁってと、そろそろ起きないとね。なんだかだるい感じだったけど落ち着いてきたし、……寝てる私に何か起こってたりして、なんてね」
寝てるときにおなかの上に何かが乗ってたりすると夢見が悪いとか。さっきまで体が熱っぽかったから、現実の私も熱を出してるのかもしれない。
暖房付けっぱなしにして寝ちゃったのが悪かったかな。布団の中で熱がものすごくこもってるのかも。
「………」
仲睦まじい恋人同士はというと、寒空の下で一緒に星を眺めてる。冷たくなった女の子の手をつかんであっためてあげたりなんかして。
「すごい…、夜凪くんにはできない芸当をさらっとしてる……」
女の子がアピールしたわけじゃなくって、言葉も交わさずに寒がっていることを察知してなんのためらいも恥じらいもなく行動に起こしている。
少し照れたように身を寄せる女の子と、一切動じずに受け止める男の子。
(ああいうのもいーなー、夜凪くんたら私から押さないと”面倒くさい“とか”どうでもいい“とか言って相手してくれないし)
奥手というわけじゃなくって、避けられてるわけでもない。そう考えると夜凪くんという男の子が分からなくなってくるけど、…好きに、理由はいらないのではないでしょうか?
「う、コホンコホンっ」
一人で恥ずかしくなってきたから咳ばらいと深呼吸でお茶を濁す。誰に見られてるわけでもないのに周りをきょろきょろしちゃったりなんかして。
それにしても今日の夢はなんだか長く感じる。いつもならこのあたりで中断させられているような気がするんだけど…。あれ——?
「………わっ、びっくりした。あれ……、誰、だろ?」
夢を何度も見てきてようやく、初めて気が付いた。これまでもこの光景の時にはずっといたのかな。
振り返った先に、二人の恋人を見つめる少女の姿があった。
黒く艶やかな髪、お人形さんみたいに整った顔はかわいらしいというよりも精巧な印象を受けた。獲物を射抜くように真っ直ぐな目は恋人を見守るというより、怒っているみたい。
「ん? んー…」
だけど、どこかで見たことがあるような?
『——ああなったらしばらく機嫌が悪いから、二人でお菓子食べてお話しないとね』
『もう、■■■■■ったら、そんなに夜凪くんのこと嫌いなのかな?』
「え?」
今何か、今まで見たことも聞いたこともない場所で、私が…何か……。
何か違和感を感じる。今日の夢は、何かがおかしい。
「それに、……あの女の子……、こっちを、見てる?」
夢の中では私はただ眺めることしかできない。
だってこれは昔どこかで起きたことなんだから私ができることなんてない。その時にいた人が幽霊でしかない私を見てるなんてこと、できるわけないのに。
「あ、えっと、あ、こっち来た…ど、どうしよどうしよ。私じゃないよね、気のせい…のはず、だよね?」
なんて思ってるうちにこっちに近づいてきている。しかもわき目もふらずに早歩きで向かってきてるから離れる暇もない。
「そ、そうだ、私とあの子が二人の真ん中にいるからそう見えるだけだ。そりゃそうだよね、なぁんだ焦って損しちゃった。夢だって長く見ちゃうときくらいあるよねーアハハ」
ガシっ、と腕をつかまれるこの感触は夢なんでしょーか、なぁんちゃって。
「あれー?」
「ゆくぞ、今ならあの女も干渉できまい」
「え? あ、ちょっとっアナタ一体どちら様ー?!」
やっぱり私の方を見ていたみたいで、しかも腕をつかまれて引きずられていく。どこに向かってるのかも良く分からないままに連れていかれて状況なんてちんぷんかんぷん。
「あ、あのっ、あなた一体だれなの? ここって私の夢の中だよ?!」
「違う、厳密にはそうではない。それにゆっくり説明をしている暇はなくてな。今はついてきてもらうしかない」
「えぇ…、そんなぁ」
なんだかイントネーションが古い言葉遣いな感じだけど、知り合いにはそんなしゃべり方する子はいなかったと思うんだけど…。
「ここが境界か、少し離れるがよい」
「は、はい」
彼女は何もない場所を指先でなぞり始めた。まるでパントマイムで透明な壁があるような動きだ。でもパントマイムと違う点があるとすれば、見えない壁が本当にあったことで。
「はっ!」
「ひゃっ!?」
手のひらを押し当てて気合一発。するとガラスが勢いよく割れたような音がして、何もなかった場所に割れ目ができた。
「割れた…、すごい」
割れ目の向こう側からは光が漏れていて何があるのかは見えない。だけど彼女はというとまたしても私の腕に手を回し、逃げられないようにして先に進もうとしている。
「あ、あのあの…っ、これは一体!?」
このまま流されるままでいいのでしょうか、ううんダメだと思います先生。ということで身体をのけぞらせて抵抗を試みているけど、筋力の差が歴然過ぎてまるで岩を引っ張ってるみたい。びくともしないんだもん。
「話は中でする。さっきも言ったが時間がない。来てもらうぞ」
「ぐ、ぬぬぬ…、ぅわ…その…ちょっと恥ずか——」
ダメでした、抵抗してたらひょいと持ち上げられちゃった。お姫様抱っこで。
(うぅぅ、何が何だか分からない……。ああ、よく分からないところに連れていかれちゃう、どうしよどうしよ……ぉ)
知り合いに見られてるわけじゃないのになんだか恥ずかして顔を手で覆う。ただ耳までは隠せてないから真っ赤になってるのは隠せてなかったと思う。
「ん? …あれは」
割れ目を通る寸前、一瞬目に映ったのは透明な華。月光を受けて光るその華はなんだか、氷のようにも見えた——。
それから、私を抱っこしながらためらうことなく割れ目の中に入ったかと思うと、その中は光で真っ白、というわけじゃなくって……私も良く知る場所だった。
「あれなんで、教室につながってるの?」
目の前に広がるのはいつも通ってる夕焼けの教室だった。細かいところがところどころ違うような気もするけど、大した違いはないように見える。
後ろを見るとくぐってきた割れ目はもうなくなっていて、戻ることはできない。
夢の中での出来事とは言え、ここにはあの二人はいない。ならここは女の子の思い出の中じゃないってことになるんだけど、これまではただの一度もなかった事態に驚きを隠せない。
「さて、ここならばよいな。裏側にまでは手を出せまいよ」
彼女はというと、私を机の上におろしてくれた後、適当な机に腰掛ける。それだけの一連の動作で彼女が礼節を身に着けているのが分かった。お金持ちのお嬢様なのかな。
「あの…それであなたは一体? それにここって」
「そうであったな、アヤネ、吾はおぬしを救いに来た。今のままでは危険であったからな。ずいぶんと掛かってしまったが、…約束を果たしに来た」
「あー…と、その、ゴメンなさい。私、あなたのこと覚えてなくって…いつ会ったか、聞いてもいいかな?」
「もちろんだ、そのことも話すために準備をしてきた。吾がここにいるということは愚弟も仕事を果たすくらいはできたらしい」
「???」
話し方もそうだけどやっぱり内容も良く分からない。
疑問符を浮かべていると、かすかに教室が揺れた。地震?
「ふむ、気づかれたか。だが心配することはない。あの娘にこれ以上好き勝手はさせぬ」
置いてきぼりの私に向き直ると、彼女は私の顔に手を添えて顔を近づけてくる。
「わわ、わ。あの…ぅ、一体何なのでしょう!?」
息がかかるくらいの距離ですごい美人が見つめてくる。目をそらそうにも近すぎるからどこ見ても彼女の顔が入り込んでくる。またしても照れてしまうけど、そんなことよりも誰か状況説明して。
「うむ、やはりアヤネは変わっておらぬな。たとえどれほどの時が流れていても、その愛らしさだけは吾の知る通りだ」
「~~~!」
「おっとすまぬな、驚かせてしまった」
ひょいと元の位置に戻る彼女はこれまでの冷たくて鋭い表情から一変、すごく優しい空気を纏いだした。…どうしよう、確かに見たことあるような気はするけどホントに思い出せない。
「そ、それで、お話ってなんなの? これが夢じゃない、みたいなことも言ってたし、それにアナタは誰なの。どこかで会ったことは、あるん…だよね?」
「そうであったな、ついはしゃいでしまった。許せ。ではまず、吾のことから話そう。吾の名はイユラ、厳密にいうとその思念体であるが中身に違いはない。外側から思念体である吾と記憶情報をパッケージしたものをお主に打ち込んだ。本来あの記憶の光景に存在しない吾がいるのもお主と同じ、外側から来たからだ」
「は、はあ、イユラ…さん、ですか」
「そして夢についてだが、ここはお主の夢に見立てた世界。仮に…そうじゃの、“記憶界”とでも呼ぶか」
「それって、あの恋人の女の子のですよね。私はあの二人に心当たり無いですけど」
「そうであろうな。そして知る必要もないことではある。そうだアヤネ、お主があやつらの姿に縛られる理由はない。元来、夢で見ることさえ誤りのようなものだ。呪いといっていい」
「呪い…」
イユラさんなりに詳しく説明してくれているのはわかる、けどいきなり呪いだなんて非科学的なことを本気の顔で言われても心が追い付いてこない。
「ふむ、できれば余分な情報は入れたくなかったが致し方あるまいな。…先に言っておくが、恐ろしい光景を目にするかもしれん。だがあくまで夢のようなものだ、心配することはない」
「へっ?」
熱を測るように手を額に当てられる。
「記録・九百八十四万二千五百九十九番を圧縮より解凍、問題なし。続けて展開準備試行……完了、記憶齟齬発生無し。——展開」
最後の言葉とともに何かが頭に流れ込んでくる。
それは記憶、ひと夏の出来事。いつものように夜凪くんとシエとリアさんと過ごす平和な日々のはずで…。
「——————あ」
だけど、私はその光景を知らない。記憶にある場所は今住んでいる場所とも違うし、そもそも今年の夏にこんな出来事は起こっていない。
夜凪くんやシエが四方界なんていう不思議な力を使うだとか、私を護ってるだとか。そんな作り話みたいなこと、あるわけ——。
「うぁ——っ!?」
記憶の流入は止まらない。次に映るのは夏だというのに異常に寒い中、リアさんと一緒に夜凪くんたちの帰りを待っているところ。そして、戦いも夜凪くんたちが勝って終わって…、それで——、わたし、は——。
「痛…っ! ちが、う…これ……」
マンションから落とされて、死んでもおかしくないくらいの怪我をして——それから、…それから?
「———!」
その先にあるはずの避けられない運命を、フラッシュバックする痛みとともに想起する。
「——いまの、いったい…っ、なんで私死んで——!」
「大丈夫だ、すまぬな、その光景が恐ろしいのは分かっている。だが落ち着け、それはかつて起きた出来事ではあるが、お主は死んでおらぬ。そうであろう?」
「……は、はい、ぅ——っ」
血の気が引いている。
頭はふらふらするし、吐いてしまいそうなくらい気持ちが悪い。一瞬だけとはいえ、思い出した体の感触は痛みとは違う怖さに包まれていた。
人体の構造からして、決して起きちゃいけない壊れかたをしていたのを疑似的にとはいえ思い出してしまったから。
「はぁ…、はぁ…ぅぇ——」
「吐きたいのなら気にせずともよい。現実ではないここならば、いくら汚しても問題はないからの」
「ぁぅ…、い、いえ、だいじょうぶ、です……っ。ふぅー…」
言葉にできない気持ち悪さに吐いてしまいそうになるのを何とかこらえて深呼吸で落ち着こうとする。
でも、いまの感覚は一体なんだったんだろう。よくわからない中で見せられた記憶を信じていいんだろうか。
「ちがう…」
——なんかじゃない、この記憶は本物だ。
「だって私、覚えてる。ううん、思い出したし…これは、本当にあったことだ…」
夏、シエが転校してきてリアさんがやってきて、四人で住むようになって。敵がやってきて夜凪くんたちが頑張って守ってくれた。
でも、最後は、リアさんにベランダから突き落とされて…。
「ぅ———っ」
また体の内と外がぐしゃぐしゃになった感覚がフラッシュバックして吐き気に襲われる。支えようとしてくれるイユラさんに手を向けて大丈夫だと伝えると、また深呼吸。
「すぅ…ふーー」
何度か深呼吸を終えると、イユラさんがタイミングを見計らって話しかけてきた。
「ずいぶんと早く納得したが、作り話だとは思わぬのか? 吾が今この場で荒唐無稽な夢を見せたのだと」
「えぇと、思い出して分かったんです…。私、これまで普通に生活してきたはずで、今までもシエたちとは子供のころからずっと一緒にいたはずなのに、何をしていたか、とか具体的なことは何も思い出せなくて…。私が『巫女』だってことと関係あるのかな、って」
「なるほど、察しがよくて助かる。まぁ、その通りだ。お主は以前死んでおる、そして消滅する前に、今の世界を作り出した」
「今の世界?」
「そう、これから先知っておかねばならぬこと、説明はしておこう」
そういって、イユラさんは『巫女』と世界の繋がりについてかいつまんで説明してくれた。
『巫女』が死ぬと世界が創り直されて、私にとってより良い世界になること。そのたびにこの世界の人じゃない、夜凪くんたちは新しい“設定”に合わせて私と付き合ってくれていたこと。
「———、今までずっと、そんなことが続いてたの?」
「『巫女』というのはそういうもの、ここはまた特別ではあるが、他の世界でもそう変わりはせん」
「ここは特別、って、それじゃあほかの世界だと『巫女』が死んだらどうなるんです」
「『巫女』の力が他のものに受け継がれる。生まれる赤子か、すぐ隣にいた他人か、その条件は知らぬが、全人類が消滅でもしない限り世界は続くという寸法だ。だが、アヤネ、お主は違う。ただ唯一、替えの利かない何より特別な存在なのだ」
「それは、なんでなんですか? それならなんでリアさんは私を落したりなんか——」
そこまで自分で口にして、自分で気づいた。
「あの男の人、すごく強そうだった。…助けられないなら次に、ってこと?」
「………、であろうな。以前のお主の自我よりも世界の維持を優先した、ラゥルトナーらしいが」
「で、でもっ、今も傍で守ってくれてるし——」
「真実は何も伝えずにな。…アヤネ、吾がなぜこのようなことをしているか分かるか?」
「…なにも、今まで見てた夢に急に表れて、よくわからないままに話してるから…。そう、アナタは一体、誰なの?」
「……そうで、あるな」
口を噤んだ彼女からは伝えたくないとか、どう伝えるのかを考えているようには見えない。言葉を選ぶというよりも言い出す自信が持てないように見えた。
何度か言い出そうとしては身を引いて、髪の毛を指先でいじったりなんかして。大人びて見えていた彼女がずいぶんと子供らしく映る。
「い、いうぞ?」
「は、はいっ」
「…言うからな?」
「ど、どうぞ…っ」
さっきまでの落ち着き用はどこへやら、子供らしさが進んだイユラさんは、夕焼け以外の理由で顔を赤く染めている。なんだか急にかわいらしく見えてきた。
その状態も数分経つと、イユラさんの方が業を煮やしたのか、気合を入れて乱れた上着を正す。そしてようやく、私を真っ直ぐ見ながら、彼女は教えてくれた。
「その…吾は——、かつて、お主の友であったのだ」
「へぇ…、そうなんですね」
「……そう、なのだ」
「ふふ…っ」
「な、なぜ笑う!?」
ものすごく重大そうなことをいうのかと思ったら、想像以上にすごくかわいらしい内容だったギャップでつい笑いがこぼれてしまった。
本人にとってはすごく大事なことで、怒らせちゃったかもだけど、あたふたする姿はかわいかったし、私も緊張の糸が切れてしまって変なところにツボが入っちゃったから。
「ごめっ、ごめんね…っ、イユラさんたら思ってた以上にカワイかったから…っ、ふふふ」
「その笑うのをヤメよと言っておる。いくらお主でも許さぬぞ!? い、いいから早く笑うのをやめよっ」
「もうちょっとだけ、もうちょとだけまって…っ。くふふ…ぅ」
「…もうよいっ、好きにせい。吾はお主が笑い終わるまで何もしゃべらん」
「あっ、ごめ…ふふっ……もうちょっとだから、あと五分——。アハハハ」
「そこまで笑うようなことではなかろうが——!!」
恥ずかしさの混じった怒りの声が二人きりの教室に響き渡る。だけどそれもいとおしくて、イユラさんの言う友達だった時も、こんなことがあったのかもしれない。なんて、思い出せもしない昔の記憶のことを、考えてみた。
「よし、ハイ。もうだいじょぶです。お待たせしましたイユラさんっ、どうぞお話しください!」
「なんとまぁ、ずいぶんと調子のいい…」
「アハハ…ごめんなさい」
むすっとしたイユラさんはどこから取り出したのか、煙管をふかしている。
「ふぅ…、まあよい、お主が何も変わっていないということはわかった。それでだ、吾はお主の友であった。ずいぶんと昔のことではあるが」
「じゃあどうして今は現れなかったんですか? 夜凪くんは隣の家にいますけど」
「…その時に、色々とあってな。端的に言えば女の嫉妬というか、勘違いだが」
「はぁ…、勘違い、ですか?」
「大した話ではない。どのみち吾がお主を護るにあたっては友という距離感は近すぎた。吾の扱う四方界では隣に立つというのは十全の力は発揮できぬ」
「じゃあそれなら…、今もどこかから護ってはくれてる、んですか?」
「まぁの、外の吾が手を尽くして居ることだろう。ここにいる吾は四方界の応用で作り出された影に過ぎぬ、お主の記憶を戻すための案内人だ」
「じゃあ、外のイユラさんは何を?」
「はてな、吾の役割はあくまでお主の記憶を戻すこと。外の人格とは別の存在にすぎぬ。なんであったか、“あばたぁー”というやつであったか。であるから、外の吾はこの姿ではない。友として過ごした時期が学生であったからこの姿で作られただけよ」
「なるほど…。じゃあ本人と会おうと思えば会えはするんだ…。でも、一番基本的なことなんだけど、どうして記憶を戻そうとしてるの? ここも、夢じゃなくって記憶界、って呼んでたし」
彼女が何者であるかは一応分かった。
彼女なりに私のために行動してくれているということも。だけど、その結果がどうなるのかまでは教えてもらっていない。
(悪い人では、ないと思う。けど、簡単に信じるのも危ないよね)
初めて会った相手なのに親しみを感じるのは、彼女が言っていた通り友達だったころのことが思い出としては無くなっても、心の奥底には欠片が残っているのかもしれない。
「だから教えて、アナタの目的は、一体何なの?」
それがもしも夜凪くんを傷つけることなら、私のためであったとしてもきっと認められない。
「ここは夢ではない。あの娘の記憶を具現化した異空間だ」
「あの、娘? ってことはさっきの恋人の女の子の方ですか? じゃ、じゃああの子は一体だれ?」
「先代の『巫女』、皆方彩音以前のな。古い戦いにおいてナイギによって敗北を喫した次に、お主が選ばれた。そして、同じ『巫女』であるゆえ、あの娘の記憶が夢という形で接続されてしまったというところだ」
なるほど、あれは私の前の『巫女さん』なんだ。
「でも、私はその…死んじゃっても誰かと交代しない、ってさっき」
「お主からだからな、先代は一つ呪いを残していった。誰かが受け持って苦しみ続けるのなら、一人に押し付けることが最善とでも思ったのか知らぬが。酷い女だ」
「そう…なんだ」
恋人とともに過ごす『巫女さん』の姿からはとっても優しい女の子に見えた。そんな風に、人の不幸を望むようには見えなかったんだけどな…。
(男の子に何か悪いことが起きた、とかなのかな)
いつも見てた記憶も、男の子が楽しそうにしてる時ばかりだ。なら、自分のことよりも男の子のほうに何か起きたのかもしれない。
それで苦しんだ結果、イユラさんの言うところの呪いを残した、とか。分かんないけどね。
「この夢はお主の記憶を戻さないための役割を果たしている。…そして、それはいつか精神をのっとるための準備でもある」
「えっ!!? 乗っ取られるんですか?!」
いきなりのSF展開に立ち上がって驚いてしまう。え、乗っ取り? 脳みそにレーザー当てられたりして書き換えられちゃうの? …やだこわい。
「おそらくだが、お主のが今考えているような方法ではないぞ? 夢を見せることで意識を同調し、いつか主導権を奪おうとしているといったところか。いつしか記憶が混じり込み、己が己でなくなっていく」
「えぇっと、じゃあどうすればいいんです? 夢な以上、寝たら見ちゃうんですけど……」
「寝るな」
「え」
「嘘だ」
「さっき笑ったの根に持ってますよね」
「はてな、勘繰りすぎであろうよ」
「むぅ」
あからさまにすっとぼけている。でもここで深く突っ込んでも返り討ちにあいそうなのが目に見えてるからこれ以上はおとなしくしとこ。
「だから吾が来たのだ。この教室は吾とお主の記憶から作られている。つまり、先代が干渉できない記憶である。そして、さっき見せたように皆方彩音自身の記憶が吾としてここに存在する」
「つまり?」
「はぁ、まったく察しが悪い」
「…スミマセン」
「構わんさ、そういったところもお主らしさではある」
褒められてるのかどうか怪しいけど、まぁ、そういうことにしておこう。
「夢を見せられた時に抗う術を持っておけばよいということだ。過去の皆方彩音として歩んできた記憶を内に宿しておくことで、干渉された記憶の修復が可能となる。とでもいえばいいか。違和感を違和感として処理できるようにし、他人の記憶の影響を防ぐ」
「ウイルスに感染する前のスマホのバックアップ、みたいな?」
「機械には疎いが…たぶんそれであっておる。なんにせよお主の自我を奪わせないようにするということ。それこそが最大の防御手段よ」
「うーん…」
「何が分からんという」
不本意気味に煙管を揺らす。というか未成年なのでは、ああいやアバターとか言ってたから年齢は関係ないのか。じゃなくって——。
「イユラさんがなんでそこまでしてくれるのかな、って思って。昔は友達だったからってことを信じてないわけじゃないんですけど、今の私にとっては知らない相手なので…」
「ふっ、そういうことか。ならば気にせずともよいことだな。そのうちに、思い出せるであろうよ。現実の方の吾がそうそう素直な言動をするとも思えぬが、お主から話しかけてやればすぐだ」
「そう、ですか…」
お人形さんみたいに綺麗な顔した子が優しく微笑むとそれだけで絵になる。見惚れちゃって返事も呆けたような感じになっちゃう。だけどイユラさんは自分が笑ったことにも気づいてないのか、これまでと同じように話の続きを始めだした。
「なら続きといこう。ここに逃れたとはいえ干渉を完全に防げるわけではない」
「え、そうなんで——きゃ」
また地震だ、それもさっきのなんか比じゃないくらい大きい。
「近いな、居場所も勘づかれたらしい。強制中断させられる前に目的だけは済まさせてもらうぞ」
「えっと、その目的ってなんですっ?」
机の下に隠れつつ、動じずに机に座ったままのイユラさんを見上げる。あれ?
「…イユラさん、なんだか消えかけてませんか?」
最初は夕日の光がそう見えてるだけかと思ったけどやっぱり違う。イユラさんの体を光が透けてきている。光だけじゃなくって窓枠がみえるもの。
「そのようだな。なぁに、吾の役目は此処に連れてこられたことで大部分は達成しておる。会話ができたから思った以上の収穫、とでもいうべきか」
消え始めているというのに一切動じることもせず、まるで女帝のように落ち着き払っている。のんびりと煙管を口に運んで吐き出す動作に焦りはない。
「あ、あのっ、じゃあ私これからどうすれば——、わわわっ今度はなに!?」
地震なんかじゃ説明できない揺れが教室を襲う。なんだか圧し潰されるようなミシミシいうような音も聞こえてくるし、このままじゃ潰されちゃうんじゃ。
「そう心配することはない。ほら立ちあがれ」
「ひゃ——っ、あの…イユラさん? これはどういう?」
手を取って立ち上がらされると、真正面から抱きしめられた。背中に回された腕は力強く、ぴったりとくっついた体からは寂しさが感じ取れる。
「死んだりなんかしない、この空間が取り壊されるだけ。お主はまた記憶界に戻されるだろうが、吾の渡した記憶がある。多少時間はかかるかもしれんが、もうあの場所を夢見ることもなくなるだろう」
「う、うん…」
お香みたいないい匂いがする。
(なんだか、懐かしい…安心する匂い)
急に抱き着かれたからどうしていいかわからなかった両手を恐る恐る彼女の背に回す。
「ふふ——っ、無理せずともよいのだぞ? 吾が危害を加える存在でないとは言い切れないのだから」
「ん、んー……っ。まあそうなんだけど、なんだかこうしないといけない気がしちゃったもので…」
「なんだそれは、まったく。お人よしとでもいえばいいのか」
「はぁ、なんだかゴメンなさい」
「よい。情報でしかない吾にとっては何よりも報酬だ。…ふむ、そろそろ限界か」
そういうと腕の力を抜いて離れる。
もう向こうが透けて見えるほどに消えそうな彼女はすごくうれしそうにしていた。
「もういいの?」
「かまわん、十分だ」
壁や窓にひびが入っていく。歪んでしまって壊れるまで秒読みだった。
「安心するがよい、アヤ。お主は……吾が護る。もう覚えていないだろう約束であろうとも、約束は約束だ、守らねばならないだろう? ヨナギなぞに任せてしまっていること自体が気に食わぬが、今は致し方ないと割り切っておいてやろう」
「あ——」
気が抜けたのか、これまで見せていた表情が崩れてようやく、彼女の顔に見覚えがある理由が分かった。
「ではな。この吾とはもう会えぬが、現実の吾と話してやってくれ。どうせ、お主の前では真面な人格はしておらぬであろうが…、傍にはいるはずだ」
「私、アナタのこと知ってる。だって、あ——待って! 加奈ちゃ…、衣優ちゃん——!」
そうだ、雰囲気が違ったから気付けなかったけど間違いない、彼女は加奈ちゃんだ。ずっと近くで守ってくれていたんだ。
「そうか…、名前で呼ばれるだけのことだが…、なんとも嬉しいものだな、アヤネ」
「待っ———」
崩壊する。
壁も床も机も、教室に差し込む夕焼けでさえ、空ごとに砕き割れて、あとに残されたのは私だけ。地面があるのかさえ見ることもできない真っ黒な場所に一人で立っていた。
真っ暗なはずなのに自分の姿だけは見えていて、だからこそここが普通の場所じゃないってことが分かる。
(これも、誰かの四方界なのかな…。私の、前の『巫女さん』の…)
□ □ □
『遅かったね』
「——っ」
暗闇の向こう、はっきり見ることのできないその場所に誰か女の子が一人座っていた。ううん、座り込んでるんじゃなくって縛られている。
距離感をはっきりつかむことはできなくて姿も朧気だけど、鎖のようなものに全身を縛られていて身動きが取れないでいる。
遠目からでもその姿からは生気が薄く、ぼろぼろなのが分かった。きっと長い間、あの状態でこの場所にいるんだと思う。
全身は乾いた血に濡れ、元々白かったであろう服は赤黒く染まっていた。
「アナタは、私の前の『巫女』?」
『……ちがう、わたしはあなた。それを間違えてはだめ』
それは、さっき衣優ちゃんが言っていた。記憶を一緒にして乗っ取ろうとしているからなんだろうか。
「アナタに何があったのか、私には分からない。だけど…っ」
なんでだろう。やっぱり聞いていたような悪い人には感じられない。
彼女の声からは私を思いやるような柔らかさがある。哀れみなんかじゃない、慈しむような本当の優しさが。
『いいの、もうわたしからあなたにできることは無くなってしまったから。今さら何か言うつもりもないの。だけど、一つだけお願いがある』
「おねがい…、って?」
夢が閉じ始める。
黒々とした影が更に色濃く、彼女と私の間を覆いつくし始める。次第にお互いの姿は見えなくなっていって、声も小さく遠くなっていった。
『彼のことを信じてあげて』
「彼?」
『おねがい』
「彼って——、ぅぁ…っ」
そして、これまで真っ黒だった場所が急に真っ白な光に包まれた。
急すぎる変化に目を閉じるしかなくて、それでも白い光は私の目を襲う。手で覆うしかない状態では何がどうなっているのかもわからない。
——どこまでも落ちていく感覚。
いつ地面にぶつかるのかを考える前に落下は浮遊に変わり、ハンモックに揺られるような居心地の良さになった。
「ん……」
何かできないかって祈るように手を合わせて、四方界が使えないかと試してみるけどダメみたい。
真っ白な光が目を襲ってきて、もう目を閉じているのか開いているのかもわからない。そんな中でも襲い掛かる睡魔に身をゆだねるしかなくなって、私は静かに落ち続けていった。
「ん……、むにゅ——」
そして、ゆっくりと柔らかな地面に着地したかと思った時、体が自由に動かせるようになって——。
「っ…、ぅあ……、あ…れぇ? わたし……夢で…衣優ちゃんと…。…………あ!? そうだ寝てる場合じゃないっ、早く起きてみんなのとこ、ろ…に——」
目が覚めてカーテンを開いて最初に目に映ったもの。
それは瓦礫と化した街と——。
「がふっ…!」
「……っ! 夜凪くん!!」
私の好きな男の子、その心臓に一振りの刀が突き立てられている光景だった。
『本編について』
・皆方の夢
とある少女と少年が仲睦まじく過ごしているだけの夢。
顔は見えていないことと目が覚めると内容を忘れてしまうため、起きている時の皆方は認識していません。度々出てくる独白の答え合わせみたいな部分もあります。
・イユラの目的
世界の創造に合わせ消えてしまう皆方の記憶を取り戻し、自分自身を認識してもらうことと、その状態の彼女を護りきることです。理由としては本編通り大切な友人だから、くらいのものです。
数話前に任せていた阿呆の弟が不甲斐ないので結局自分でやっています。
・ヨナギ死す
心臓潰れている状況ですが、主人公なので多分大丈夫じゃないでしょうか。
『定期連絡』
・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。
・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。




