60.カダス
「わ…っ」
不意に風が吹いて髪を乱す。
毛先が目に入ってしまって軽く痛みを発する。
「ぅぅ…、少しだけ、少しだけ…」
かゆみを我慢できず目をこする。
レギオンを打倒したとはいえ、まだナイギは残っている。いけないとは分かっているが、私自身が戦っていたわけではないにせよ緊張が解けてしまった。
「やったのですね、ヨナギ様…」
レギオンであった青年が光となって霧散する光景を目にして、私はようやく息をつくことができた。
ナイギの青年がアヤネを護るように戦ってくれたが、あれもレギオンを前にしての一時的な共闘に過ぎない。気を抜いた瞬間に攻撃を受けても当たり前だというのに。
「いけません、まだ戦いは終わっていない。少なくともヨナギ様がお戻りになるまでは気を抜いてはいけなかった。それに先ほどの光は……」
言葉にすることで自覚を強める。
例えどのような攻撃を受けようともアヤネの元に届かせることはしない。絶対死守の最終防衛領域として、私は全身全霊を掛けなければ!
それに一瞬、私の胸に埋め込まれた聖槍が反応したような気がしましたが、気のせいだったでしょうか。
「……ふんっ、ハイっ!」
気合を入れ直すと、周囲に気を巡らせる。
「さぁ、来るなら来なさい。シエ・ジンリィ、ラゥルトナーの従者として『巫女』を護り切って見せます!!」
これより先、誰一人として通したりは……!
ぴーんぽーん——、ぴーんぽーん——。
「ふぇ?」
こわれてしまったのか、気の抜けたインターホンの音が家の中から聞こえてくる。
四方界によって展開した結界、『神籬』の内側に人の気配は自分とアヤネのみ。なら、一体だれが——。
「———ッ!!」
即座に集中、目視とともに気配を全力で探り当てる。
(いた——!)
犯人はすぐ見つかった。
その人影は何一つ動揺することもなく、姿形は朧気で、気配さえ集中していなければ見逃してしまうほど薄く儚い。
だが、その状態でありながらも余裕を醸し出している。
ましてや、こちらに……楽しそうに両手を振る余裕がある…男…だ……。
「…………、ハァアア!!!!!!」
全身全霊を込め、掬い上げるように槍を振るう。結界内に発生した衝撃波はインターホンの付いた門柱ごと吹き飛ばし、侵入者と庭の一部ごと破壊した。
「ヨシ!!」
後のことなど気にしてはいられません。とりあえず、全力で、まずは息の根を止めてしまいましょう。あれは何より不愉快な気分にさせてくる存在。なんとなく姿は見ましたが、まだ顔も声もちゃんと認識はしていません。まだセーフ、まだセーフです。近づかれていたのは失態ですがこれ以上は認められません、却下です不認可です。
これ以上近づかれたら寒気がしてしまうでしょう。私は使命を果たしているだけであり私怨は含んでおりません。つまり要約すると、あの男はここで倒してしまうのが世界のためなのです!!
「わぁおなんて熱烈な歓迎だ、嬉しくって涙が出ちまいそうだ」
「このッ!!」
声は背後から、次第に鮮明になる声と存在感は例の『楔』をこの場に打ち込んだらしい。振り払う槍とともに衝撃波を飛ばし、振り返った先には…想像通りの男———。
「や、また会えてうれしいなシエちゃん。今吹き飛んでった心臓が高鳴っちまうぜ」
自信に満ち満ちた笑みをたたえた、ユーリ・ナイギが立っていた。
「いやぁ。全部落ち着いてからそっと来ようかなとか思ってたんだけどさ。レギオンもやられちまって暇になったのと、シエちゃん前にして隠れるとか無理だから正面から来ちゃった。あっはっは、ドジっ子ドジっ子」
「やはり、生きていたのですね。…アヤネを渡しはしません」
切っ先を足元へ向けた最速で突きに移行するための構えをとる。この場はすでに私が掌握している。不審な動きを見せる前に弾き飛ばし、ヨナギ様が戻るまでの防衛戦を行うことこそ私に課せられた役目。
(前回の戦いで氷の発生する予兆は感じ取れる。問題はそれよりも早く攻撃に移れるか)
圧倒的な実力差の前では、戦いの経験を得たとしても軽々に凌駕していく。私一人ではユーリに勝つことはできない。
「んー……、しかしどうしたもんか……。話は通じないよなぁ」
「な…なにを言っているのです。言葉が通じないのは貴方の方でしょう」
しかし、対するユーリはというとこちらには目もくれずに頭をぼりぼりと掻いている。
「ああゴメンねシエちゃん。別に戦いに来たわけじゃないんだ。いやさ、お使いしてこいなんて無理難題があるから巫女ちゃんには会っときたいんだけどね」
「ならばここで立ち去りなさい。ナイギにアヤネを渡しはしません」
「残念ながらそういうわけにもいかない。ここで何もなしに帰ったらオレが唯一恐ろしい女に殺されかねないからな。ただ、そういうわけにもいかなくなりそうなのが今現在ってね」
「…状況が変わったと?」
「そゆこと、しかもソイツときたら人の話を聞かない頑固者でさ。自分の足でやって来た以上はオレに任せて帰ってもくれないだろうな」
呆れたように腰に手を当てながら、ため息を一つ。どうやら本当に敵意はないらしい。ならば、なぜわざわざ姿を見せた?
「貴方は……隠れていればよかったはずです」
「さっき言ったろう? シエちゃんの魅力の前では隠れているなんて不可能なのさ…。たとえこれが原因で失敗して折檻をくらおうとも、シエちゃんには嘘をつきたくないんだ」
「ならば答えなさい。なぜ、わざわざ出てきたのです。それも私に絶対に気づかれるように、面倒なことになる前に拘束すれば済むでしょう」
「だってシエちゃんにケガさせたくないし。前はほら…戦うしかなかったからな、ヨナギも聖槍なんてもの引っ張り出してくるし。できればその話をゆっくりしてみたいところだが…うちの屋敷でお茶でもどうか——イテ」
「こ、この…っ、この期に及んでお茶の誘いなど…っ! この軟派者! 不潔です!」
で、でぇと…の誘いに思わず槍を振るう。
拳大の空気で頭を殴るような弱弱しいものだったが、大きいたんこぶくらいはできてるかもしれない。とはいえすぐに治ってしまうのでしょうが。
「アテテ…へへっ、この程度で済ましてくれるなんて間違いなく優しさだな…。惚れ直しそう! いやオレ毎秒惚れ直してたわ!!」
(………………どうすればいいのでしょう…この男)
これまでにない絶望が胸を覆う。
話が通じない相手が来るなどと言ってはいたものの、やはりこの男こそ一番話が通じない。タスケテヨナギ様、この男と二人きりのこの状況こそ最大の危険です……。
「ごほん、さてとだシエちゃん。今から気合を入れ直した方がいい。護りたい者か場所があるのなら、特にな」
「はっきりと口にしたらどうです。戦うというのなら私はどこまででも——、っ!」
無視することのできない殺意が現出する。
否、無視したくてもできるもものではない。そうしたならばすでに死んでいる。
「来たか」
剣呑としたユーリの声だけでただならぬ相手がやって来たということが分かってしまう。ならば一体何者か。
——その答えはすぐに。その男は一切隠れることなく、真正面から近づいてきていた。
「あれは…」
その男は…老人だった。急ぐこともせず一定の歩幅で歩みを進めてくる姿からは、何物の干渉さえ受け付けず、不用意に近づけば切り捨てられる刃そのもののような男。
あれは一つの完成形に違いない。人が武器としてあろうとして、そう在ることを可能とした武の極致。
その老人は『神籬』の結界のことなど一切気づいていないかのように足を踏み入れようとしている。
(侵入を許してはならない——!)
だが『神籬』の能力は結界内において攻撃範囲を広げることだ。いまから攻撃範囲そのものを広げる行為は隙を生む。
(入った瞬間、一撃で決めるしかない…っ)
時間はない、答えを決めなければならず、選んだのは最速最短のカウンター。
私自身を中心とした半径五十メートル。この範囲に入った瞬間に攻撃を放ち、外縁部における攻防を演じるしかない。
「———っ」
背後に立つユーリを止めている余裕はない。
このままではアヤネを連れ去られてしまうという状況が差し迫っている。
「じゃ、オレがここにいたら集中が切れるだろうから、お使いに行かせてもらう。行っちまえば諦めもつくだろうからな。気合も入るってもんだ」
「っ、まちなさい!
私の声に手を振って返すとアヤネの部屋へ向かっていく。
(いけない——っ、このままではどちらにせよ…!)
ユーリか、老人か。二択を選ばねばならず、どちらをとっても対処できるとは言い切れない。ならば仕方がない、選ぶことのできる選択肢はいま一つとなったのだから。
「非常に不本意、ですが……っ」
老人の侵入を許すわけにはいかない。
『神籬』外縁、内と外の境界に意識を集中させる。指の一本、いいえ髪の一本が入った刹那に攻撃を開始する。
「スゥゥーー、……来なさい」
呼吸により空気を溜め、一瞬の攻防へ意識を向ける。
老人からすれば初撃の精度によりその後の行動を変化せざるを得ない。私の実力を本来よりも過大に見せるほどでなければ戦いと呼べるものにさえなりえない。
アヤネのことも心配だが、目の前の脅威はともすればレギオンに匹敵、ないしそれ以上だと心が訴えている。ここで二兎を追うような真似は死に直結する。
「…………」
あと三歩、それだけの距離が永遠に感じられるほどに時間が引き延ばされる。
「———っ」
あと二歩、槍を握りしめた手に汗が伝う。
「ふ……っ!!」
あと一歩、侵入されてからでは遅い。
変わりない歩調に合わせて槍を振り始め、その一振りは衝撃となり結界内を奔る。
「ハッ!!」
境界の内側を護るための槍撃は、彼女の思惑通りに老人の侵入と同時に直撃する。
本能が警鐘を鳴らす相手、様子見という名の手抜きさえできるはずもない。ゆえに全身全霊を込めた全力。
何とか時間を稼ぐことができるようにしておければこの後の選択肢、可能性を生み出すためにこそ!
「………くだらん」
「——な」
風に乗って届いた声はあまりに冷め切っていて、振るった槍からは空気を切ったような手ごたえしか返ってこなかった。
(今のは一体——、いえ、一度でダメなら何度でも…!)
すでに侵入は許してしまった。だがまだだ、まだ到達は許していない。五十メートルの攻防、その道中において押し戻しさえすればまだ戦える。
「これは——っ」
攻撃が届くことはない。数多の連撃、結界内における全方位からの攻撃はそよ風さえ起こすことなく霧散する。
老人は、その腰に差した刀を抜くこともせず、変わらず歩みを進めているだけだというのに。
——その歩みが、止められない。
ならば結果は明白だ。一分とかかることなく、人影でしかなかった老人の姿は明確に見得る距離まで近づく。
視界に映るすべてに興味をなくしたような瞳は昏く伏せられ、宿した表情は数百年にわたり自然に鍛え上げられた岩のように巌しい。重心が決してぶれることなく進む歩調は誇張抜きに瓦礫の上を変わらぬ速度で進み続ける。
それを実現する肉体は老人とは思えぬほど、服の上からでも分かるほどに鍛え上げられている。覘いた手からは、戦に不必要な分は削ぎ落し、必要なだけ引き締められている。枯れ木のような印象を受けるが、おそらく見た目よりもずっと重たいはずだ。
「く——っ」
全力などとうに放っている。
むしろ初撃こそがソレなのだ。二撃目以降はそれ以上の威力と速度を、肉体の損耗と引き換えに一撃ごとに上乗せし続けているというのに、何もかもが霧散する。
嵐を伴う薙ぎ払いも、雷の如き鋭き刺突もなにもかも。初めから何もなかったかのように老人の周囲へ近づくと同時に無為と化していく。
振るうたびに身体の何処かが壊れていくのを感じ取る。痛みはまだ到達することはなく、この身を突き動かす衝動のままに走り抜けるが如き全身全霊。
後の戦いのことを考えもせず舞う姿は愚策も愚策、だが思考を止めるわけにはいかない。
あの男は何をしている? 四方界だというのならば領域条件は? 歩みを止める手段は?
「ふん」
一歩、また一歩と近づくにつれ思考は早く、焦燥とともに焼き付いていく。
できることは侵攻を止めるための空へ還る演武のみ、意味はなさずヨナギ様の増援の気配はない。
この場を預かった以上、私は私の全霊を果たすつもりであり、その誓いを自ら破り捨てるつもりはない。けれど、己の研鑽が、持ち得る技術が何一つ通用しない相手であるならば、誓いを果たすために私はどうすればいいのでしょう。
「く…っ、ァ、ハァ!!」
「その口を閉じろ、やかましいぞ」
「ぐゥ…っ、ッァァアアアア!!」
「——くだらんといっている」
遅々とした歩みをただの一歩も遅らせることはできず、敵に傷の一つもつけられず、自身は本来の資質以上の力を引き出したことによる自滅。
耳元を飛ぶ羽虫程度の認識であろうことは違いなく、そのような存在を前にして人がとる行動は二つ。
放置するか潰すか。
——この老人は、後者だった。
「っっ……、ふぅ——! ふぅ——っ!」
一飛びで屋根の上、眼前まで近づいてきてようやく、信じがたいほどの圧力に圧し潰される。剣呑とした空気は比重の次元が違う。呼吸がままならず、槍を振るうなどもってのほか。ただ構え続けることを耐えるだけで精一杯。
「ラゥルトナーの残影、お前たちのようなものを残す真似をするからこそくだらん存在だという」
「———ぅ、づ……っ、なに、を——」
「死に行く者が口を開くな」
さほどの興味もあるはずなく、億劫そうに抜かれる刃の鈍い輝きから目を離せない。
(ヨナギさま……)
首に添えられ、後は引き切るだけで終わる。
なんて末路でしょう、これまでの研鑽もなにもかもが次元の違う力によって塵だと断じられた。これほどの力を得るためにどれほど捨ててきたのか。
こちらをつまらないものを見る目で睥睨する老人の瞳からは、冷たく巌しい意志以外なにも感じ取れない。
なのになぜだろう、私は…この瞳を見たことがある気がする。
「あ……ああ」
その瞳を前にして、私は何かを得心した。
額縁の中、まったく別々の場所でパズルのピースが組上げられていくように、全容は理解できないままに核心だけを感じ取る。
数少ない、持ち得る知識のみが数段飛ばしで答えに到達した感覚。だがそれも一瞬、光が奔るようなひらめきはすぐに見失う。
首に添えられただけの切っ先から放たれる、抗うことの許されない剣圧によって意識は急激に摩耗し、呑込まれていく。
(ヨナギさま…りあ、さま………、———アヤ…ネ)
目を開けていることさえできず、私の意識は闇へと送り込まれた——。
□ □ □
ならば、この体を抱きとめる温もりは一体——?
「—————————っ、ぅぁ?」
「ああそりゃあいけねえなシミッタレ。それを許容できるほど、オレはテメェを認めちゃいない。シエちゃんを殺させやしない」
朦朧とする意識の中で、倒れ込んだ私に腕を回しているのはユーリだった。彼は一度も見せたことのない怒りをたぎらせ、襲撃者である老人をにらみつける。
仲間割れか? などと考える余裕はない。精神も肉体もこの短時間で疲弊しきってしまい、事態を眺めることしかできないでいる。
「……何のつもりだ」
「今言ったろう聞いとけよ、それともオレと別れてからボケたのか旦那? この娘は殺させねぇ、オレの人生で一番、心の底から惚れたんでな」
「くだらんことを垂れ流す暇があるのなら与えられた命令を果たせ。『巫女』を殺すことのできるこの状況で何をしている」
「何言ってんだよ、オレが言われたのは連れ帰れだぜ? ご当主の命令を忘れるなんて実に珍しいじゃあねえか。…ま、そっちはそっちで色々あってな。殺すわけにも連れ帰るわけにもいかねえんだ。欠片も本心じゃねえが謝っといてやる、わりぃな旦那」
「ふん、ならばいい。元より期待もしていない」
抜かれていた刀、ジンが使うものと同じ刃がオレの方へ向けられる。ああこうなるだろうってことは分かってたさ。旦那は遊びがないからな、必要なら誰であっても斬るし、そこに感慨の一つもない。
言葉を借りるわけじゃないが、面倒なことになったってやつだ。
「………ハハ、けどやっぱ、こりゃダメだ」
腕の中で朦朧とした少女を見ると進むべき道は指し示される。ただ真っ直ぐな一本道、オレがオレであることの証明。
「どんな姿でもかわいいってのは罪だぜホント。ああ最高だ、シエちゃんのためなら旦那に喧嘩売るくらい訳ないね。んじゃあせっかくだ、やろうぜ旦那。愛に生きる不死身の男が相手だ」
シエちゃんをそっと下すと旦那の前に立つ。
互いが間合いの内側、あとは合図が欲しいとこだが——。
「………」
「………」
交差する視線は鋭き殺意と愛の怒りだ。オレが言うなら間違いない。それにそろそろ、準備も済んでいる。
「だろう?」
誰にあてた言葉か、他人に興味のないアンタに分かるかな?
「———!」
旦那の死角、向かい合ったオレの背後から胸ごと打ち抜く一矢が襲い掛かり、完全な不意打ちであったにもかかわらず、襲い来る矢は鞘によって防がれた。
だが衝撃そのものを防ぎきることはできず勢いのままに吹き飛ばされる。遠くで土ぼこりを巻き上げる姿は滅多に見られたものじゃないが、あれくらいじゃ無傷なのは分かってる。
「さぁて、オレにとってはシエちゃんの。姉上にとっては巫女ちゃんのピンチだ。初めての姉弟共同戦線といこうぜ」
『ふんっ、吾が位置取りをしていたことを知っていながらその言葉を言うのか? …だがまあよかろう、ユーリにしてはマシな選択であるからな』
脳内に響く声はこのあたりのどっかに潜んだ姉上から。ずっとこっちの様子見てたんだ、そりゃあご執心の巫女ちゃんが危なくなれば動くだろうと踏んでいた。
「そりゃあどうも姉上」
『だが恐ろしい女といったことは許さぬ、あとで目にものをみておれ』
「そりゃどうも……姉上」
『通信は切る、探知される可能性がないわけではないからの。後は好きに動くがよい。吾もそうす———』
気持ち早めに切られた通信に呆れつつ、体に着いた埃を払っている旦那を見据える。
まったく、旦那を前にしてるのオレなんだから激励の一つくらいあってもいいと思うがね。
「よし、と」
寝かせたシエちゃんの周囲、気休め程度に破片から護るための氷壁を作っておく。
こんなとこで戦えば巻き込むのは確実。シエちゃんの様子を眺められないのは残念だが、こっちから旦那のところへ行ってやろう。
「さぁてさて、本気でやりあったことはなかったな、と。老兵の実力、とくと拝ませてもらうぜ、“レイガン”」
これまでデカい面してきた報いを受けさせてやる。
「当主になった暁には顎で使ってやろうと思って我慢してたが、もう限界なんでな。……人の恋路を邪魔するやつは———オレがぶっ潰してやる。四方展開ッ」
鳥籠など必要あるものか、絶界の氷獄の領域を創り上げながら歩む先。
いつか越えねばならぬと思っていた男が、一切揺らぐことのない面持ちで見定めていた。
□ □ □
「そうか、生きていたか」
気配の一つも悟らせぬ極穿の一矢、攻撃を放ちながらもいまだ掴めぬ居場所。これほどの隠密行動ができなかったはずだが、防いだ一矢の威力は知る中でもただ一人。
「イユラめ、そう易々と死ぬと思っていなかったが」
死んでいたと思っていたが、存外しぶとかったらしい。
そして今、『巫女』ではなく此方へ狙いを定めている。理由はどうでもいいが、敵となったことだけは間違いない。
「まったく、どいつもこいつも面倒ごとばかりを増やす」
邪魔で邪魔で仕方がない。
斬って捨てれば済む話だがその行為自体が面倒なのだ。相手が誰であれ関係はない。
大気が急速に冷却される中、引き寄せられるように吹き始めた風の向こうでユーリが歯をむき出しに笑っている。
大方、これまでのうっ憤を晴らそうなどと考えているのだろうが…。
「くだらん」
若造であろうとも老兵であろうとも、貴様らの意志など知ったことではない。
鞘に左手を添え、歩くような速さで刀を引き抜く。
「斬れば死舞いだ。それは不死であろうが貴様も変わらん」
四肢を飛ばし、心臓を穿とうとも再生するのなら細切れになるまで切り刻めばいい。血の一滴、細胞の一欠けらから再生するというのなら同じこと。
「滅しきるまで、分子構造の果ての果てまで刻めば済むだけの話だ」
役に立たないのならここで死んでいけ。
どうせ貴様には、初めから与えられた席などないのだから。
「どうでもいい時間を掛けさせられるな。…くだらんことだ」
すでに抜き放たれた刃は向かってくる男を斬らんと鈍い光を湛えている。
あとは斬るだけだ、もとよりそれだけを望み歩んできた道なのだ。今更、貴様ら程度が立ちはだかろうと関係もない。
「斬るぞ、ユーリ、イユラ。貴様ら塵は此処で死んでいけ」
「ハッ! できるもんならやってみな旦那、アンタのその見下したような物言いも今日で最後にしてやらぁ!」
同じ勢力にあるはずの彼等であったが、見ていた場所は全員が全員異なっている。ならば誰が我を通し切るか。己の我儘を貫き通し、障害を打ち砕くかのみ。
外敵との戦いが終わったばかりのこの世界で、内儀の名を冠する者達の戦いが始まろうとしていた。
□ □ □
「———せめて避ける素振りでもしたらどうなんだ、どこまでも癪に障る」
「ならお前も殺意を込めるくらいはしたらいい。狙いがバレバレだ」
ユーリとレイガンの戦いが始まる少し前、ジンはリアを背負った俺を斬りはしなかった。飛ばされた斬閃は俺の背後へ飛び去り、そこにいた何者かをあぶりだす。
「で、誰なんだコイツら。十中八九ナイギだろう」
「おそらくだが、ユーリの屋敷にいたはずの墜天子たちだ。見るのは初めてだから詳しくは知らないが」
「それで、俺に何の用だ。死にかけのくせして挑みに来たわけないだろうしな」
そこにいたのは仮面をつけた三人の女、だがその姿は無残なものだ。
つけたままの仮面は砕かれていて、その顔を隠しきれてはいない。体も刃傷によって血塗れであり、手足がちぎれ飛んでいないことが不思議だった。
五体満足であることが最大の戦果といえる状態で、ここまで来れたこと自体が半ば奇跡的なほど、彼女らの姿は見る者の目を引く。
「貴方がヨナギ…だな…、っ…、頼みが……っ、ある」
言葉を満足に話せるのは一人だけらしい。
他の二人、一人は喉から滲む血を抑えており、もう一人の意識は無くなっている。ここに来るまでで体力を使い果たしたのか。
唯一立っていられた女も膝をつき、地面にゆっくりとだが血だまりを作り始めていた。すぐに手当をしなければいくらしぶとくても生きていられる保証はない。
そしてそこまでの傷を負っていながら俺のところへ来た理由が分からない。
「俺に何の頼みがあるっていうんだ。『崩界』がどうなってようが敵の俺に頼むようなことがあるとは——」
「レイガンが…、ここに来る……」
「——」
「父上が来る? そのことの何が問題だという。『巫女』を手に入れるための戦力としては申し分ないお方だ。なのになぜ、それがヨナギへの頼みにつながる」
「う……」
呆然と立つ俺を押しのけ、ジンが問い詰める。
全身に走った傷がレイガンとの戦いでつけられたものなら、生還できたことそのものが彼女たちの実力を物語っている。
ジンとも、本来であればいい勝負となるだろうが、傷だらけの状態では抵抗さえままならない。胸倉を掴まれた女はなすすべもなく引き寄せられ、苦しそうな呼吸を漏らしながらも何とか口を動かし始めた。
「レイ…ガンっ、は——、『巫女』を『崩界』へ連れ帰るつもりは…ない、っこ、のまま、では…何もかもが、終わる——」
「まさか、バカなことをいうな。『巫女』をこの場で殺すつもりか? それではレギオンと同じ結果になるだけだ。『総界』が無くなればナイギの悲願も達成することが永遠にかなわなくなるんだぞ!」
ナイギの悲願、日も差さぬ夜闇の世界に押し込めた『纏界』へ侵攻をかけ、世界の威信をこの手に収めること。穢らわしいと抑えつけ、押しとどめてきた者達へ自身の行いの過ちを知らしめるのだと。
そのためにラゥルトナーの守護する『巫女』を手中に収め、『纏界』への足掛かりとするのだ。殺してしまえば、何もかもが意味を失う。天に伸ばした手、その先に漏れ出す光が完全に閉じ切ってしまう。
そのようなことを、父上が? これまで長きにわたりナイギとして戦い、当主であるホロウ様に尽くしてきたあの人が、継いで来た意志を捨てたと?
「どういうことだ、もっと詳しく話せ!」
想像だにしていなかった状況に言葉が荒くなる。
他者に興味を持たず、何事にも乱されることのなかった鋼の心を持っていた男だ。その心の内を見せた者はだれ一人いない。ならば、今行おうとしている何かが、父上の真意だというのか? ならそれは一体なんだという。
「が——ッ?!」
頭を揺らす衝撃に意識が刈り取られる。
「き、さま——」
気を失う寸前、僕の首へ手刀を放ったヨナギの姿に振り返る。急速に失われる意識の中で見たヨナギの表情はいつか僕と戦った時に見たもの。
「——————」
そして、その怒りを宿した表情はどこかで見た、よく知る人のものに似ているような気がした——。
□ □ □
頭に血が上っていた。その上、本来敵であるものの共同戦線を張っていたという気の緩み。不意を打つのは簡単だった。
「死ぬならその前に話せ、アイツの目的は」
「げほ…っ、けほごふッ——ヨナ…ギ、レイガンは…、『崩界』以外の、他の世界の……げほっ、——何もかも、を犠牲にする、つもりだ…っ」
「そうか、分かった。傷は塞げるか?」
「はぁ…っ、グ……、問題、ない——。そしてヨ…ナギ頼みがある。イユラさまを、助けてあげて…ほし…い……」
息も絶え絶えながらイユラの心配をする姿からは不純物は感じられない。
(イユラが『崩界』にいた頃の従者か? それなら十年以上会ってないはず)
だが俺とアイツの関係性など同盟というにはあまりに脆い、進む方向が同じだというだけの関係。アイツの生み出す成果のために手を貸すことはあっても、イユラ本人のために命を賭けてやる理由はない。
「——たのむ…っ」
「…………」
だが、懇願する姿を無視しきれなった。
『——ヨナギさまっ』
「……たく」
きっと、俺にも同じ存在がいたからであり、その想いを無下にすることはシエとの約束を破ってしまうような気がしたからだった。
「なら、とっとと応急手当をしろ。その間にジンは縛り付けておく」
「———すまない、ヨナギ…。ここ…に最大級の感謝を……っ」
そのあたりに落ちていたケーブルを手に取ると、ジンの手足を縛り付けておく。コイツからしても重要な局面ではあるが、敵対勢力であることに変わりはない、邪魔をされたら面倒だ。
「コイツの四方界は刀を媒介にする。手に取らせなければ今のアンタたちでも対処できる」
「分かった」
「ジンを頼む。起きたら騒ぐだろうけど、頭に血が上りやすいだけだ、ちゃんと話せばさっきみたいなことはしない」
こちらに来てから心境の変化があったのか、ずいぶんと落ち着いたみたいだが、それでも心が入れ替わったわけじゃない。話は通じる以上時間を掛けるしかないだろう。
「それに……リアを、ソイツは…寝かせておいてやってくれ——」
「了、解…した」
「ご武運を」
「……ああ」
最低でも体を引き吊る怪我の中でリアを預かってくれる。
「行ってくる」
「…………」
向ける相手が居なくなってしまっているのに口にしたところで、誰にあてた言葉かさえ定かじゃない。そのことを分かっている鬼面の女は口を噤み、一礼で返した。
なぁイユラ、俺もお前も従者にだけは恵まれてるらしい。
お互い、どれだけ否定しようとしても、過去からの繋がりっていうのは断ち切れないみたいだ。
「戦ってるのはレイガン、…とユーリか? 生きてたんだな、それにしても仲間割れか。まあ…ちょうどいい」
敵の敵は利用次第で味方足りえることは知っている。だが——。
「レイガンの始末は譲らない。ソイツは、俺が決着をつける相手だ」
先ほどまでの戦いで負った傷は欠片も治ってはいない。それでも因縁を断ち切らねばならない相手がいるのだ。この手で、この剣で、死をくれてやらねばならない。
「なぁリア、思っていたより早かったけど…言ってた通りになったぞ。カイルみたいな部外者じゃない、ここが分水嶺だ。これ以上、情けない姿は見せられない」
氷の領域が形成される中、その中心へと向かう。
心は暗き夜へと帰ろうとし、幼いころの記憶が呼び起こされる。
「くだらないな……」
振り払い、前へ。
俺を構成する原初の過去、囚われてきたコレまでをいい加減断ち切ろう。
呼応するように薄く輝く倶利伽羅は俺の想いに応えるだけでなく、何かに反応するように明滅する。その答えは考えるまでもなく知っている。
故にこその因縁、因果であるからこそ、断ち切る術はこの手の中にずっと握り続けてきた。やることは変わらない。
「そのためにお前を斬るぞ、レイガン。何も為せずに此処で死んでいけ」
過去を斬り、未来への道を進むために、俺はここで死ぬわけにはいかない。何があろうとも勝利をつかみ取って見せる。
……そう、決めたのだ。
『本編について』
・レイガンvsその他大勢
レギオンとの決着がつくのを待ってから姿を現わしたレイガンですが、彼の場合本編にある通り、とある理由から『巫女』である皆方を殺害するのが目的のため、そのまま死ぬのなら放置するつもりでした。
相対する面子は、敵対勢力でありながらもこれまでの交流や個人的事情によって力を貸してくれる形です。ユーリは煩悩といえるかもしれませんが、イユラも大概のような気がします。
・鬼娘たちについて
ジンの言う通り彼女たちはシエと同じ墜天子です。そのため、ユーリが初見でシエをそうと見破ったのも彼女らを知っていたためです。そのため食事も量をよく食べていました。
『定期連絡』
・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。
・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。




