46.学びと習性③
——散歩というほどの距離でさえない。
探していた相手はすぐに見つかった。
「で、なんで誘いに乗ったんだ? こんなこと今まで一度も無かったろう」
「ふむ、その問いこそ愚問の一言よな。無知蒙昧、恥ずべき事ぞ?」
“ソイツ”は予想通り近くにいた。
皆方の家の屋根の上、俺の家の敷地からは死角になっている位置だ。ソイツはアンテナ傍に立ちながら沈みきった夕日の方角を見つめていた。
「言ってろ。そんなこと足りない脳みそ使ってまで覚えてる必要はない」
言い返しながら隣に座り込むと、アンテナに背を預ける。
「だからこそ愚かと言っておる。何事にも疑問を持ち、探究する意識が無ければ成長はない」
「それは、お前が教師になってから学んだことか? ——イユラ」
屋根の上に立ち、天に昇る月を見つめていた女。
彼女は直近に見覚えのあるスーツを着ており、何処からか取り出した煙管を口に運んでは吐息と共に煙を燻らせていた。
「金谷加奈は煙草なんて吸ってなかったと思うんだが?」
「今の吾は吾であるからな。加奈である時と一緒くたにされても迷惑である」
そう言いながらも、その表情からして満更でもないらしい。長くやってるうちに愛着でも湧いたと言ったところか。
夜に小さな蛍火が灯り、すぐに小さくなる。
長く息を吐いた先、白煙によってぼやけた夜は風に流されて消えていった。
——これが、皆方が金谷を呼んだ理由の一つだった。
俺たちの様な異分子は、街の誰に強い関心を持たれることは少ない。
それこそ『巫女』である皆方との接触、関係性を構築しなければいつまでも弾かれ続ける。だがしかし、金谷加奈が俺たちや皆方と度々の会話にも理由はあった。
彼女、イユラが皆方と親交をもった異分子であること。
皆方自身は覚えていないが、感覚として無意識のうちに残っているのだろう。でなければ教師という設定を与えておかずに世界の再構築と共に消え去っている。
「どれくらいだった。“教師”になってからは。性格も丸々変わるから面倒だろう」
「ヨナギ、忘れたとは言わせんぞ。お主のおかげでこの役割を全うし続けているのだからな」
「ああ、悪い。ただ俺のせいってわけでもないだろう。アレはもう、どうしようもないことだった」
「いいや全てお主がわるい。この役割を与えられたこと自体はどうでもよいが、あの時のことは許しはせんぞ。何があろうともな」
「お前は皆方に対して甘すぎる」
「お主は巫女に対して非道だ」
カンッと甲高い音を響かせたかと思うと、煙管をアンテナにぶつけ火種を落とす。
「吾と汝は友ではない、仲間ではない、元来手を取り合うような間柄でさえない。それが今こうして並び立つ、その理由を忘れるほど擦り切れたわけでもあるまい」
薄ら滲んだ怒りは屋根を転がり落ちながら朽ちる火種と同様に、小さいながらも確固たる熱を持っていた。
「吾がここに立つ理由は皆方彩音の為だ。お主の掲げる理由のソレとは違ってな」
「分かってる。アイツが何かしら落ち込む度に何とかしろとせっつかれてきてるからな」
「いいや何一つ分かっておらぬ。皆方彩音を苦しめるなと言っているのではない、幸福にしろと言っているのだ。その理由もわからぬような男の屑が、何から護るというのか」
新たに煙管に煙草を詰め込むと、再び火を灯して白煙を細く吐き出す。
「…好き勝手言いやがる。俺には俺の理由がある。イユラ、お前が皆方の危険に手を貸してくれるのは助かってはいる。だがな、俺にアイツを幸せにすることはできない」
「……で、あろうな。お主ならそういうほかにない。…ふぅ———」
イユラがもう一度大きく白煙を吐くと、その煙は風に流され消えていく。
夜に消える煙を眺める彼女は、同様に落ち着きを取り戻したのか。
「なんにせよ、吾らの道が交差することはあろうとも交わることは無いということに変わりはない。並び立つ必要がなくなった時はその時よ。ヨナギよ、何があろうと忘れるな。例え僅かにでも皆方彩音に刃を向けることがあったなら、吾は主を殺す」
彼女の幸福を壊すような真似をするのであれば、自分がお前を破壊する。
これは手を取った初めから決められていた契約であり、俺はいまだギリギリのところで遵守し続けられてはいるらしい。でなければ今頃、俺かイユラのどちらかはこの世界から消え去っていることに間違いない。
「そうだな。その時は、その時だ」
「励めよ、吾は主がどうなろうと知ったことではない」
「ああ」
しばし、静寂が流れる。
冷気を含んだ風は優しく頬を撫でるが、ユーリとの戦いを思い出してしまうせいで、あまりいい気分とは言えない。
「———」
何を言うでもなく、ただ時間の流れに任せていると、隣からは煙管を吸う呼気だけがゆっくりと耳に届く。その呼気も何度か終わるともう一度甲高い音が響く。
「それにしても、だ。さきほどまでお主の従者の勉強を見てやっていたのだ。もっと感謝するそぶりを見せたらどうか?」
「まさか、お前に勉強教わる日が来るなんて思いもしなかったよ。シエがお前の正体知ってたらもっとひどいことになってただろうな」
イユラの正体を知っているのは俺とリアだけ。シエには伝えていない。
だからシエにとって金谷加奈はただの信頼のおける担任だ。イユラは皆方が危険な時にだけ手を貸す契約である以上、学校においてはまず行動を起こさない。
「ふっ、いくら吾であろうとあの娘を一人前にするのは難解であろう。皆方彩音を見習え」
「自分で言え、俺自身は別にどっちでもいいんだ。シエには、色々出来るようになってほしいとは思うが……」
——いや、起こせないのだ。
イユラの持つ設定は俺たちに与えられたものよりも厄介だ。
第一、皆方の無意識化で世界の再構築を逃れている状態なのだから本人の性質よりも与えられた役割の方が大きな力を持っているのか。
俺たちが学生であり、かねてから皆方と親交があるといった役割。だが、これには俺たちの性格そのものを改変したりするようなものは無い。あくまで皆方の知る俺たちであることが重要なのだろう。
だがイユラは、皆方の前では“金谷加奈”としてでしか行動できない。本当のコイツが表に出てこられるのは皆方のいない場所だけだ。
だから必然的に皆方はイユラのことを知ることは無い。そして触れ合うことができるのは金谷加奈という別の人格のみ。
誰よりも皆方を想う彼女にとって、それは如何ほどの辛さなのか。
「話はそれだけか? 学業のことなら安心せよ、加奈としての吾は男に近づかれただけで心臓が張り裂けそうになるからな。お主の面倒を見ることは無い。出来得ることなら難問を与えて正解するまでは休憩なし、などとしてやりたかったが」
「そんなしょうもないことで日頃の鬱憤を晴らすな。どちらにせよ相手は皆方だ、サボりは通用しない」
「ああ、あの子に教えてもらいながらサボろうなどすれば……、夜を超えられると思うな」
「…はぁ。分かったよ、善処してやる」
「うむ、ならよい。では吾は行く、あまりここに居てもジンがぐずりだすからの」
「ちゃんと面倒見ろよ。次にかかってくるなら、お前が何を言おうと二度目はないぞ」
「そういうことは言い聞かせておる。心配せずともよい。その上で行動を起こすというのならば、結果を受けるのは小僧自身よ」
立ち去ろうとするイユラ、夜は彼女の領域だ。
このまま闇の中に融けてしまえば目の前に居ようとも姿を認識することはできなくなる。
だからその前にお使いを一つ、こなしておいてやろう。
「それと最後に一つ聞いていいか」
「ふむ、何か」
頭だけを動かして振り返る彼女からはもう、此方への怒りは感じられない。切り替えが早いというより、その事態にならなければ気に留める必要もないということか。
「リアからなんだが、土産話が欲しいそうだ」
「ああ…、リアからか」
だが、それもひと時のみ。
リアの名前が出た瞬間に、怒りとはいかないまでもあからさまに面倒くさそうな表情へと変化する。人気者だな、アイツも。
「はぁ…、で、彼奴は具体的な内容は何か言っておったか? 疾く話せ」
「なんだ、思ったよりも素直だな」
「ここで無視することは構わぬが、その場合リアはどこまでも粘着してくるのは目に見えておる。そら、疾く話せと言ったぞ。聞きたい内容がないのであれば適当に話す」
「そういうのはない。イユラ任せだろうさ」
「ならば、直近のものでいいであろう。そうであるな……」
イユラは首を傾げつつ内容の吟味をしている。
それだけで、頭を悩ますほどには色々差し迫ってきていることが分かってしまう。この状態で受験勉強なんてものを始めていていいのかと思うが…、やらないわけにもいかないだろうな。断ればイユラの一撃で背中を打ち抜かれて終いだ。
「よし、急務というのであればこれが一番であろう」
「どういうのだ? まさか俺たちの成績がどうのだなんて言うつもりじゃないだろうな」
「まさか。それは自分でなんとかせい、吾は手伝うくらいよ。ふむ――」
視線を戻したイユラは彼方を向いているせいで後ろ姿しか見えないが、顎に手を当てて言葉を吟味していることは分かる。
一言間をおいたかと思うと、何の気なしに挨拶でもするような軽やかさで口にする。
「あと一週間もすればレギオンが来るぞ。精々気を張れ。吾はまだ前線に出るつもりは無いからな」
「——、おい、ちょっと待て。そういうことならもっと詳しく——」
重大なことを口にしておきながら、「聞きたいことは答えてやったろう」と言い放つと夜に融けていく。
姿も、声も、気配さえ消え去ったイユラを捜したところで徒労に終わるだけ。
屋根の上に一人取り残された俺はさっきまでアイツがいた場所に目をやり、今後の方針を思考してみるが、ダメだな。俺だけじゃ何ともならない。
「チッ、俺が聞かなきゃ言わないつもりだったのかアイツ…っ。分かっちゃいたがどこまで行っても仲良しは無理だな」
ここに来る前よりも重くなった腰を上げると、隣家から漏れ出す灯りと笑い声の方を見下ろす。
「そろそろ、飯が出来るか…。どうしたもんかな」
リアがわざわざ土産話を欲しがった理由は何となくわかった。
しかし、あの女。どこからあんな情報持ってきてるんだよ…ったく。
「——っと」
音もなく屋根から飛び降り、家に戻るため玄関のドアに手を掛けようとした——。寸前、何者かの視線を感じた。
(ナイギ…、ジンか? いやアイツがこんなにも気配を消すなんて芸当は無理だ。ナイギの雑魚どもなら探知用の結界に引っかかる。…誰だ?)
いつでも倶利伽羅を取り出せるよう態勢を整え、周囲一帯へ圧を掛ける。
「消えた…、なんだったんだ。様子見にしては隠れるのが下手だし、挑発にしては弱すぎる」
気配は揺らいだかと思うと、そのまま消えてしまった。
元々弱い気配だったから距離を取られると見つけ出すのは難しい。だがこちらに気取られる程度の実力と考えると大したものではないと考えた方が気も楽だが……。
(レギオンが来るだなんて言われた状況でそうも言ってられないか。…今日から夜も見張りだな)
灰の魔人。常軌を逸した世界の逸脱者共。
ヤツらが来るとなった以上、対策をヤツ等にのみ向けたいのは山々だが、本来の敵を忘れてはならない。
(ナイギめ、どう動いてくるつもりだ…?)
疑問はあるが回答が与えられるときは戦いが始まる時だ。
そして今、切っ掛けになりうる存在は姿を消した。追うこともできない。ならば俺にできることは一つだけだ。
「……飯だな」
まずは飯だ。後は護衛。
なに、これくらいこれまでにも何度もあった。やれない理由はない。
「よし…」
今度こそドアに手を掛け解放。
「おかえりなさーい、ナイスタイミングっ、晩御飯すぐできるよ!」
「おかえりなさいませヨナギ様。手を洗い、うがいをお願いします。最近の気温の低下によって風邪をひかれてはなりませんから」
「ヨナー、お土産はー?」
三者三様、というよりも三人目だけズレているだけだが。
迎え入れられた暖かな光景は、これからの悪い状況を考え込み始めた俺に休息を押し付けてくるには十分すぎるものだった。
「…押し付けが強いな」
「なんかいったー?」
「何も言ってない。あー、手洗いうがいでもしてくる」
「あ、お手伝いいたしましょうか!」
「何を手伝うことがあるんだよ…。いいから、そっちは任せた」
「はい…、頑張ります」
しょんぼりとするシエの後ろから皆方が抱き着く姿を尻目に洗面台へ。やけに楽しそうだが、女ってのはやけにくっつきたがるのは何なんだ?
しょうもない疑問は汚れと共に水に流し、食卓へ向かう。
そこには、この後戦いが起きるとは想像できないような、ありふれているはずの幸福がそこにあった。
□ □ □
月は雲に隠れていて、辺りは真っ暗。星明りだけでは見通すには足りない。その中で誰もいない、外灯の壊れた公園の噴水の縁に誰かが腰かけている。
だが、その姿を認識することはできない。その場にいることは間違いないが、まるで幽霊のように薄らとぼやけ、向こうの景色が透過しているのだ。
その人影は存在の不安定さとは真逆に、存外余裕そうな 声色からは軽薄そうな性格が滲んでいる。
「あー、気付かれたかぁ。何もしなくってもまずバレないと思ってたんだがなぁ。…アレがヨナギ・アマナ、か。声も形も見覚えはあるが、欠片も記憶にない。おかしな感じだ」
姿が見えない、というよりも限りなく薄くぼやけた存在が一人。
声からして男、その名はユーリ・ナイギ。
己が求める真実を捜すために『総界』にやってきたが、どうにも始まった瞬間につまずいたと自己嫌悪に片足を突っ込んでいるらしかった。
「はぁ、しくったよなぁ…。様子見しに行っただけだったのになぁ」
オレは『楔』を使わなければ世界からの拒否反応のせいですでに死にかけ。いや、流石に攻撃されたりとか何もなければ常に意識が遠いだけなんだけどさ。
「こんだけ死にかけてりゃ嫌でも気配薄いからって近づきすぎた。おかげで警戒されっちまうし…、はぁ……」
だが、一度戦ったというのが間違いなさそうなのは分かった。
あの距離で感づかれたということは、あの状態のオレを知っていないとまず無理だ。オレの放つ界燐と、世界から消えそうになっているナイギの双方を感覚として知っていなければ気づくのは難しい。
「………」
正直すさまじく気が重い。
今の顔を鏡に映して…もほぼほぼ映らないような状態だが、まさかまさかだ。
「なんでいるんだよなぁ……。アッチにゃバレてねえよな? …はぁ……」
ヨナギではない。
あっちはあっちで困ったものだが、宣戦布告とでも考えなおせばいつも通りのオレだ。後は為るようになるってな。けど違う、そっちじゃねえ。
「…あの女、生きてたのかよぉ…」
煙をくゆらせながらヨナギと話していた女。
本心の半分くらいの割合くらい。できれば二度と会いたくなかった女性であり、会うことも無いと確信していたんだが。
「あぁ…、クッソぉ…。手ぇ組んでるとか…ぜってぇ戦うことになるじゃねえかよぉ…」
両手で頭を抱え込むように自分の行動を後悔する。
今の今まで、これほどのやっちまった感は無かったかもしれない。いやだって仕方ないじゃん、十年前には死んでると思ってた相手が生きてたうえに敵側の主力と仲良くお話してんだぜ?
「ありゃヤってるな、ああ間違いねえ。そういう関係性でも持ってなけりゃあの女が誰かと手を組むなんて考えらんないね。いやぁヨナギ・アマナ。お前はすげえよ、あの人と普通に話せるなんてオレからすれば勲章もんだね! …はぁぁあ……ああもーー!」
ため息が止まらねえ。
軽口叩いてんだからちょっと待ってろや。百年後くらいに死んでたらいくらでも死体の状態でやってやるわ。
「第一あれだ、暗いのが良くねえ。それなりに広い公園だってのに、何だって明かりが全部ぶっ壊れてるんだよ」
行く当てのない怒りは八つ当たりとなって、沈黙した外灯へと向けられた。
電気そのものが止められているのか、一つの例外もなく灯りを発することのない外灯からは無機物ながらに生気と言うものが感じられない。人の営みとか温もり的なやつか。
「暗闇に乗じて女の子を襲う屑野郎が出たらどうするつもりだ? 今ならオレが助けてやれるが、常にこれなら許されないぜ。どれ、見て分かるもんでもないが……」
立ち上がり、手近な外灯の様子を見にいく。専門家でもないオレが調べたところで分かるはずもないが、ちょっとした気分転換にはなるかもしれねえしな。
現状、やることと言ったらジンを捜すことくらいだが、やる気が失せた。少なくとも今日はもう動きたくない。いいよ、どうせアイツ生きてるよ。氷漬けにしても次の日には無駄に元気だもん。
「どれどれ…っと、えーっとぉ? 点いてねえなあ」
自分でも間の抜けたこと言ってるのは分かってるが、仕方ない。月でも出てりゃよく見えるんだろうが、雲に隠れてるせいでよく見えないし、『四方界』使おうものならヨナギが飛んでくるだろうしな。
やり合うにしても今は違う。さっきは諦めたがジンほっとくのもあれだしな。
「お、ちょろっとだけど月明かりー」
雲の隙間から月光が漏れ出した。
十分な灯りとは言えないが、それでもさっきまでよりはずっとマシだ。つってもオレの知識が増えたわけじゃねえから見ても変わらねえんだけどな。
「こういうの詳しい子だと、確か一人いたようなのは間違いないんだが——。ん?」
沈黙した外灯。
明かりはつかず、生み出された役割の一切を機能しなくなったソレは一つの例外もなく暗闇に同化している。
「んーーー……」
だからオレは大元の電気が止まってるんだと思ったし、でなきゃ誰も来ないもんだから管理自体してないもんだと思った。
…思って、たんだが……。
「ん、んんん……!?」
日が落ちて寒さを感じるくらいには空気は冷たい。だのに何故オレの額からは汗がにじむのでしょうね。
「ユーリくんとしては外灯の電灯が全部ぶっ壊されてることに気づいたからだと思いまーす……」
電灯の部分のみ、最小限の被害で破壊されている。その破壊痕はまるで矢のようなもので撃ち抜かれたかのようで、そんな器用なことができる技巧を持つ人間はオレの知る限り一人のみ。
何でもっと早く気づかなかったのかと、小一時間オレ自身を説教したくてたまらないがそんなことしてる時間はないし、そんな姿を見せたらぶっ殺されっちまう。
誰にだと?
……彼女にだ。
「久しいな、あの泣き虫小僧が随分と大きくなったものよ。なぁ?」
「ひ——ッ!?」
何かの間違いであればいいと思う迄もなく、今一番聞きたくなかった声が飛んできた。ずっと見てたんだったらこっちの気持ちの整理がつくまで待ってくれててもいいんじゃないでしょーか!!
「ふむ、どうした? 久しぶりに再会する相手に対して挨拶も出来ぬのか? ほほう、随分とえらくなったものよ。餓鬼の時分の方が礼儀作法は満足にできておったがな」
「いえ?! いえいえ!? オ…ワタクシといたしましては思いがけない再会に対して気持ちの整理がついておらぬところであります故に言葉を選ぶお時間をいただければなぁ!? と思う次第でございますがいかがでしょう!?」
オレはいったい、何を口走っているのだろう。
オレの中に閉じ込められた冷静なオレが『その言い方では失敗でしかない』と忠告しているが、表に出てきたオレとしてはそんなこと考えてられない。
だって怖いんだもの。すっごい怖いんだもの!
「まぁよい、期待した吾に責があろう。で、あの娘らは壮健か? 『崩界』に置いてきたことは間違いではなかったが、心配の種であることに違いなはい」
「はいっ! 今日も今日とて元気に鍛錬に打ち込んでいるかと存じます!!」
「そうか、ならよい。吾に似て真面目に過ぎるきらいがあるからな。身体を壊してないか心配しておった」
(いえ…、多分うちの子を壊しかねない勢いだと思います…)
そう言いたかったが下手なこと言って話の流れを変えたくない。話すのがあまりにも久しぶり過ぎて、会話のコントロールなぞ夢のまた夢。
しかもまだ声だけで姿を現していない。
やめてくれよ、どっから狙われてるか分からなさ過ぎて怖いんだよ。
(……っ、しかたねぇ…! 一世一代の勇気を振り絞るんだ。頑張れ、負けるな、おまえならやれるぞユーリ!)
叱咤激励、自己暗示。ここでやれねば誰がやる。誰か助けてホントマジで。
「あ、あのぉ…ですね? お互い口にしてる通り、久しぶりの再会ですし…。元気なお姿をみたいなぁ、なぁんて。思ったり…、思わなかったり…? アハハ…」
あ、ダッセえ。素面のオレが見たら笑い飛ばすくらいダッセえ。というかダサすぎて冷静になっちまうくらいヒドイ。
「……ふむ」
だが、オレの思いは伝わったのか。
息をついたような声を漏らすと、少し離れた所から一人分の足音が聞こえてくる。
「ほう、並び立つとよく分かる、いつのまにやら吾の背を超えておるな。男子の成長とはいつの間にか起こるもの。…刮目するほどではないが」
「…き、恐縮でーす……」
「そうかしこまるな。姿を見たいと言ったのはお主であろう」
夜闇の中、微かに届く月光で煌めく艶やかな黒髪。怜悧な瞳に射抜かれれば心臓が高鳴り死に向かってまっしぐら。
オレの知る中でも三本の指に入る美人だが、ガキの頃の思い出がオレの精神を揺さぶってきやがる。具体的に言うと視界に入ってるだけで指が震えて声が足されると心臓が潰れそう。不死身なのに死んじゃうかも。
「さて、わざわざ姿を現したのだ。まともな挨拶くらいは期待してよいのだろうな?」
興味なさげな素振りではあるが、礼儀には厳しめな人なのでここで下手打ったらマジで撃たれると思う。だっていつの間にか厳ついクロスボウ握ってんだもん。
(マジヤベえよこの人。オレが不死身じゃなかったらどうするつもりだっ——、不死身だからやられてんのか…)
一人納得、内心絶望。
ここで見つかった以上、逃がしてもらえはしないだろう。
オレの予定は既に壊滅したわけだが、もう為るように為ると諦めるしかない。様子を見にいくとかしなきゃこうはならなかったんじゃないか、と思いはするが後の祭り。
「…ふっ」
…オレも、男だからさ。
ダセェ姿を、見せ続けるわけには…いかねえよな…。
「ご無沙汰しております。長らく離れ離れとなっておりましたが、貴女様につきましてはご健勝のご様子何よりでありましてのことで……えーと…つきましては、この場から離れたいと思っておるのですが…ダメ、ですよね?」
なぜ、最後まで言葉が続かないのか。
分かっているさ、そんな学はない。じゃなくって、怖すぎて頭真っ白なんだよ!
「ダメに決まっておろう」
「あ、ですよねー」
「こっちだ」
「え?」
此方に背を向けると振り返ることなく歩き始める。
数歩進んだところで、あっけにとられるオレの方へ目をやると、呆れたような視線と声を向けた。
「何をしておる。思ってもみない再会なのだ。ここで話すのはいささか寂しいものがあろう。茶くらいは出してやる。ゆくぞ、ユーリ」
そこまで言うともう振り向くことは無くさっさと進んで行ってしまう。
オレが逃げ出すとかは一切考えてないし、もし逃げたら撃てばいいやとか思ってるに違いない。オレも今の状態で逃げられるとか思ってないし、失敗した時のことを考えただけで恐怖でしかない。
だから、オレに許された選択肢はただ一つのみで——。
「…はいはい、おとなしくついてきますよ。……“姉上”」
「ふむ、そちらの話し方であればまだマシであるな」
オレの知る限り一番美人で、一番怖い女性。
『イユラ・ナイギ』の背にとぼとぼと付いて行くしかないのだった。
・金谷とイユラ
本編の通り同一人物です。
夜凪と同様に世界創造に巻き込まれておりますが、彼とはまた異なり皆方から厳密に認識されていません。その上皆方の前では金谷加奈としてでしか会話ができないので、これまでは影の中から接触してきていました。
・ユーリとイユラ
イユラはナイギ家の長女であり、ユーリと血の繋がった姉です。10年前の侵攻時に死亡したと思われていましたが、『総界』で生存していました。
その時の気分で生きているユーリとは真逆に厳しい女性であり、子供の頃から拳で躾られていたことからユーリにとっては唯一無二、恐怖によって逆らうことのできない女性です。




