45.学びと習性②
後悔と言うものは思ったよりも早くやってくるもので。
勉強会を始めた日の週末、休みということもあって落ち着いた雰囲気で勉強会は進んで行く。
シエも皆方も何とかペースを掴めてきたらしく、始めたばかりの頃よりかは笑顔で会話しながら進められているようだ。
俺はというと基本放任主義である。聞けば答えはしてくれるが、皆方もシエを優先しているため少し遅れ気味になるのは致し方ないことか。
手が足りない以上どうしようもない。まあ俺は俺で何とかしてやるさ。勉強のコツらしきものも掴みはじめては来てるしな。
雑談も適度に入り込みながら、良い空気で時間が流れている。時折皆方のうめき声が聞こえてくるが言い出したのはアイツなのだからそこは頑張ってもらおう。
「——なんだ…?」
その時だ、インターホンのチャイムが鳴ったのは。
リアではない。アイツは今リビングでゴロゴロしているだろうから。
…ならば誰だ?
この家のチャイムを鳴らすという行為。それはこの世界において俺たちと皆方といった少数しか行わない。ナイギは言わずもがなであり、街の住人がこの家に尋ねてくるなどありえない。
俺たちはこの世界からすれば異分子なのだから、あちらからしても認知しにくいのだ。あってないようなもので、いわば道の脇に設置されたオブジェのようなものか。
存在は把握しているし姿も分かる、接触も可能。しかし、わざわざ触れ合うに足る存在ではない。他者に言われてようやくアレのことかと思い出すことができるほどの物。
だから『巫女』である皆方くらいとしかまともに触れ合うことも無かった。
(チャイムを鳴らすだと? 俺たちを認識できるような奴がここに来てるってのか)
シエに目をやると皆方には見えない位置から合図を返してくるが、あちらも心当たりはないらしい。…なら、今玄関に居る存在は一体——。
「あ、来た来たっ」
「なに? 皆方お前、誰かを呼んだのか?」
どことなく嬉しそうに立ち上がると玄関の方へ向かってパタパタと駆け足気味に去っていく。
「ちょっと待っててね、すぐ戻るから。あ、びっくりさせたいから付いてきちゃダメだよっ」
「お、おい皆方…っ。行っちまった…」
「アヤネが呼んだということですが、大丈夫なのでしょうか。『界燐』の気配は感じませんが…」
「隠すのが上手い奴ってだけかもしれん。…とりあえず行ってくる。ナイギの能力で認識を捻じ曲げてる可能性も——」
「ならば私もご一緒に——」
だが、此方が話している間に皆方が階段を上ってくる音が聞こえる。
足音は二つに増えていて、歩き方からして小柄な人間だと思われた。
「…来るぞ」
「はい——、準備は問題ありません」
緊張が走る。
閉じたドアの向こう、皆方と何者かがいるのは分かっているが相手によっては開いた瞬間に斬らねばならない。
(隠し通すつもりだったが、皆方に知られるかもしれないな…っ)
予定など脆くも崩れ去るものだ。
可能な限りそうならないようにするつもりではあるが、どうなるかはこの後にかかっている。一体、何者だ?
「お待たせお待たせ、じゃあ開けるよー」
「ああ………」
「——」
ガチャリと、いつも通りに開かれるドアがやけにゆっくりに感じる。映る世界はドアの向こうの景色を数舜でも速く捕えようと稼働し、その先に居る存在の姿を——。
「……な、に?」
「あな、たは…」
「し、しつれい…しましゅっ! っっっぅ~~~」
一言目で舌を盛大に噛んだらしいその“女”はしゃがみ込んで口元を抑えていたが、何者なのかは分かった。そして俺のやる気は失せた。
「金谷先生…でしょうか?」
「そうっ、助っ人を頼みました。いえい」
「いひゃい……」
そこにしゃがみ込んでいたのは金谷加奈。
俺たちのクラスの担任教師であり、男性恐怖症。非常にビビりというなんのある性格をしていながらも、生徒からの信頼もある人気者。…人気者ね。
その女教師はなぜか休みだというのにスーツを着て生徒の部屋の前に立っていた。
「おまえ……なぁ…」
人手が足りないとは口にしていたが、そんなことを考えるとは思っていなかったのだ。というか思いついても実行に移すとは思わない。まさか教師を呼び出すとは…、それにソイツは——。
「なんだって、…“先生”が生徒の部屋に上がり込んでる?」
「あ、あわわわ…っ、そうよねそうだよね!? 天名くんからしたら嫌いな先生が急に来ても嫌なだけよね…っ!?」
「別に、そういうわけじゃない…」
「加奈ちゃん、大丈夫だってば。夜凪くんは無愛想ですけど加奈ちゃんに怒ったり嫌ったりしてないからっ」
「そ、そうですね…。ヨナギ様は金谷先生に対して特別負の感情を持ってはいないかと思われます。ですのでそれほど恐れる必要は皆無、かと…おもうの、ですが…。ですが…?」
真面目に俺への風評被害を正しつつも怪訝そうに眉をひそめるシエ。
…当然だ、なんだって一介の教師である金谷加奈が呼ばれたなどと、理由を考え付くはずもない。
俺たちの様な外の世界から来た人間は異分子だ。道端にひっそりと立てられたオブジェに過ぎない。
だから街の住人からの認識は弱く、此方から話しかけることはあっても彼方から話しかけてくることはまずない。そういった状況になる理由があるとするならば——。
「ほらほら、加奈ちゃん座って。私飲み物持ってくるから、ちょっと待っててね。あ、夜凪くんは加奈ちゃんに優しくしなきゃダメだからねっ」
「ああ、分かってるから。さっさと行ってこいよ」
「うん、ちょっと待ってて。上ってくるときに持って来ればよかったね、忘れちゃってたよ」
さっき上がってきた階段を逆に進む皆方の背中。
——つまり、理由はこれだ。
『巫女』との関わりが深い人物、であるならばある程度の自由行動は可能。異分子への認知も普通の連中と比べればよりはっきりとわかるだろう。
なんといっても世界の楔である『巫女』が認識しているのだ。その『巫女』と接触し、影響を受ける以上は異分子に対しても多少は敏感になるということか。
いうなれば道端のオブジェが存在することだけでなく、描かれた模様まで把握することのできる状態。
この状態を、彼女にそのまま当てはめていいのかは疑問が残る所だが、そう大きくは外れていないと思う。
(とはいえ、アイツが誰かを呼ぶ、なんてこと自体初めてのことだから確定でもないか)
皆方はクラスにおいても他の生徒と話したりはするが、基本は俺たちと行動している。クラスメイトはいても気の置けない友人とまではいかないらしい。
つまり、この女教師はそれほどまでに皆方からの信頼を得ているということだが…。
「なんでだ…」
「ひ、ひい…っ」
一挙手一投足に対して小さな悲鳴を漏らす金谷先生は既にシエの背後に隠れている。肩をがっしりと掴まれたシエはどうすることもできず困っているが、それ以上に困っているのはある意味俺の方だ。
(どうしたもんかな…、というか断らなかったのか? …いや、断ること自体——)
「あの———」
「はーい、おまたっせー。それじゃ改めて…、助っ人の加奈ちゃんですっ。平日だと学校が忙しいだろうから、休みに教えてほしいな。って言ったら頼まれてくれちゃいました。あ、もちろん学校には内緒ね? 加奈ちゃん怒られちゃうから」
「よ、よろしく…ね、ジンリィさん、天名くん…」
恐る恐る挙げられた手は挨拶か。
手だけでなく体全体が震えているせいか、肩を掴まれたシエもどことなく震えている。いい加減離れてやれよ。それに休みだからと言って暇と言い切っていいのか?
当人は当人で男と同じ空間にいるだけでコレ程とは、改めて何とも…困ったものだ。
「は、はいっ。よろしく、お願いいたします…」
「…どうも」
「そこっ、せっかく来てくれた加奈ちゃんにはちゃんとお願いしないとっ」
「わかった、分かったから指を差すな…。ったく、あー…金谷…、先生? よろしくお願いします…」
「よよろしくね…っ天名くん…!」
音が鳴りそうなくらい震え続ける女教師が役に立つのだろうか。そして、もう一つ聞きたいことはあったのだが…、今は聞けそうになさそうだった。
後悔と言うものはすぐにやってくるものだ。
まさか、コイツが来るなどと誰が思おうか。
□ □ □
「ジンリィさんはね…、手と頭は動かせてはいるから焦らずに数をこなせば大丈夫、…だと思うわ」
「で、でしたらこの問題はどうすれば…?」
「その問題はね——?」
そのまま、先生が加わった勉強会は続けられていく。
皆方と比べると教師歴の差が表れているのかシエも落ち着いて進めてはいるらしい。
「……」
なら俺から口を出す理由は一切ないし、下手に声を上げれば先生は悲鳴を上げるのは想像に難くない。
「………」
ゆえにただ黙々と問題と教科書、参考書をめくってはペンを途切れ途切れに走らせる。
『数学・夜凪くん用』と表紙に大きく書かれた、紙の束。俺のレベルに合わせた問題を選んだものを纏めて印刷してくれたものだ。
とはいえ初めは今の半分くらいの薄さだった。
進める内に分からない箇所や理由が分かっていく。理解するためには基礎が分からなければ意味はないと、もっと簡単な問題を後から足していくことで段々と増えて行ってしまった。
「どう? 分からない所があれば聞いてね?」
「ああ今のところは問題ないから、自分の進めててくれ」
当然、俺たちと比べて皆方は勉強ができる。それも自称だが学年上位。きっと調子に乗ってるわけでもないだろうから、日々の努力の賜物と言えるのかもしれない。
「そっか、でも一応確認ね。どれどれぇー? …わ、すごいよ夜凪くん、先週と比べれば成長してるよ。この調子この調子」
「そりゃどうも。つっても元々が空っぽなんだからな、やれば覚える」
「そういう卑屈なのはダメだと思いまーす。できる力があったんだから、そこは自信をもっていいの」
「そうかい、なら皆方の教え方が良かったんだろ。俺の相手する時はシエと格闘した後だから疲れ切ってたが」
「ぐ…っ」
ほぼ隣の位置でシエがうめき声をあげる。
素直さの塊なところはあるから、皆方に迷惑をかけたところに責任と罪悪感を感じているんだろう。まぁ、隣で見てる分には退屈しなかったし、俺の不出来に対して全力で来る体力は無くなっていたから丁度よかった。
「ああシエっ、夜凪くんの言うことなんて気にしなくっていいからね。目の前の問題に集中だよ、集中!」
「は…はい…、不肖シエ、ガンバリマス」
薄ら瞳の光を虚ろにしながら勉強に戻るシエと、その様子をみてアタフタし始める先生。
不器用ながらに自身の生徒を励ます姿からは教師として板についた姿が見えた。
「にしても、どうしていきなり勉強に火が付いたんだ? そりゃあ俺たちがふがいないのは知ってのとおりだけどさ」
「え…っと、その…ぉ?」
「なんだ、そんな言いにくいようなことか? まあ俺への呼び方変更だけは絶対に阻止するが」
「そ、そんなに嫌なんだ…。じゃなくってね? えぇとそうだなぁ…。怒らない、でね?」
「ああ」
「えぇと…、二人が勉強苦手なのは分かってるし、あんまり好きじゃないのもね。ただ、その…出来れば、同じ大学に行けたりしたらなぁ…なんて」
「……そうか」
「あっ、えとね?! 馬鹿なこと言ってるのは、分かってるよ? …二人は二人の進路があるだろうし、私が行こうとする大学に合わせたら二人とも本当に勉強漬けになっちゃうし」
「言外に…、でもないな。でも皆方のレベルに合わせた場所なら俺たちには遠すぎるくらいなのは間違いない」
今教えてもらっている範囲はそれこそ高校に受かってるのが不思議なくらい、らしいので今から追いつこうとなるとそれこそ厳しすぎるものがある。
「これは私の我儘だし、出来たらいいなぁ、くらいのおもいなんだけどね。でもやっぱり押し付けがましいかな、って思っちゃって。…実際、空回ってる、よね?」
やけに張り切ってる姿に、勉強が出来なさすぎる俺たちへの変な怒りが湧いたのかと思っていたが…。
どうにもコイツは、いつも幸せな未来の為ならどこまでも頑張れる人間なのだと、思い知らされた気分だ。
だから、返す言葉は決まっている。
「まあな、一人で何をやってるんだと思わざるを得ない」
「う…っ、分かってたけど正直言われるとやっぱりショック!」
「でも、たまにはいいさ」
「え?」
「勉強なんて、いままでやって来なかったことだし。何もこの紙の束を破り捨てたくなるくらいに嫌な訳でもない」
「うん」
「逃げ出そうと思えばいつでも出ていけるのにやってない。そりゃあお前が変な呼び方をしようとするから躍起になってるところはあるけどな」
「うん」
「だからだ、気にする必要ないさ。人に教える為だけにわざわざこんな紙束作ってくるようなやつの好意を、蹴り飛ばせるほど腐っちゃいない」
「それってつまり」
「ああ——」
「照れ隠し?」
「……そういうんじゃない」
「耳赤いよ?」
「鎌かけようたって無駄だからな」
「ちぇっ、あ、でもホントに…。って、夕焼けか。もうそんな時間なんだねー」
「ああそうだな、あとちょっとで今日のノルマ終わるからちょっと待ってろ。終わったら見せるから」
「はーい。んふふっ、いつもこれくらいには素直ならいいのにね」
「やかましい、やることないならそっちの面倒見てやれよ」
「そっちは加奈ちゃんがやってくれてるもんねー、……え?」
「…あ、あの……そこ、はね。えっと、その……」
「こ、こう……でしょうか…?」
隣で勉強してる女二人組はしかし、いつのまにやら二人して大粒の汗を浮かべている。
表情は真剣そのもの、気迫も十分。その方向性も勉強に真っすぐ向けられているというのに、先鋭化された想いは紙面を貫き、結果的にあらぬ方向へと突き進んでいるようだ。
これは先生の方も苦しいだろう。やる気十分、知識もついてきている。だが、何故か変な方へ進んでいるというのは怪奇現象に近しいものがある。
「夜凪くん……これは、どうすればいいのかな…?」
「ああまずい、俺もこの問題が分からなくなってきた。けど時間かければ何とかなりそうだ。というわけで集中したいからそっちは任せた」
「あっ!? ちょっと逃げないでよぉー。私達の好意を蹴り飛ばさないでー!」
「悪いな、事態が事態だ。優先順位ってのがある」
「もぉー! いいもん、私が何とかして見せますからっ! ——シエ、加奈ちゃん落ち着いて私の声を聞いてー!」
「…うん」
部屋の中でドタバタと音は響き始めたが、どうせいつものことだ。
むしろ聞きなれた賑やかさはちょうどよく雑念を振り払い、ペンを走らせる行為に集中させてくれる。さて、いつもよりかはこの時間も退屈せずに進められそうだ。
□ □ □
「で、では…っお邪魔しました…! 邪魔にしかならなかったかもしれないけど……」
「そんなことないよ加奈ちゃん、今日はほんとうにありがとう。また学校でなにかお返しするね!」
「そそそんなのいいのよっ、私もお返しが欲しくってやったわけじゃないから…っ」
「いえ、カナヤ先生の指導は非常に役に立ちました。また学校でも聞きに行ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんよ。ふがいない先生だけど…、出来る限り応えられるよう頑張るわね」
「感謝いたします」
玄関にて、リアを除く皆で金谷を見送る。
冬に近づくにつれて日が落ちるのも早い。夕焼けが差し込んでいたかと思っていたらすぐ暗くなり始める。先生は別件があるとのことで今日はお開きとなった。
「そ、それでは皆さん今日は失礼します…っ。また困ったことがあったら先生に言ってちょうだい、ね? …頼りないだろうけど」
「ああもう、もうちょっとでネガティブさがゼロだったのに。おしい」
「あ…ぅゴメンナサイ……。ダメよね、私。今だって天名くんに大分離れてもらってるし…」
「いや、べつに気にしてないですけど」
女子組は玄関前で先生を見送っているが、俺だけは家の中から見送っている。距離的には3メートルくらい。これくらいが先生と普通に会話できるギリギリの距離らしい。
「あ、もう日が消えちゃうわね…。それじゃみんなまた学校で…!」
「はーい、加奈ちゃんも気を付けてねー」
「本日は御指導ありがとうございました」
「うん、うんっ。ふぃやへへ…」
嬉しそうに変な笑い声を上げながら彼女は歩き去っていった。
残された俺たちは、流石にすぐ勉強会に戻る気分にもならず、休憩ついでに皆方と一緒に夕食をとることとなった。
『今回』は一緒に住んではいないが家は隣、両親不在は変わらない以上こうなるのはおかしいことではない。リアとシエの『記憶』も昔からこうであったと告げているし、日常ということだった。
「少し出てくる」
「え、今から? すぐご飯できるよ?」
二人が料理を作っている最中、確かめておきたいことがあり外へ向かおうとした時、皆方には呼び止められた。
「大丈夫だよ、ちょっと散歩に行ってくるだけだ。ずっと座ってたからな。気分転換だ」
「ん、そっか。じゃあ帰ってきたらちゃんと手洗いうがいね」
「子供じゃないぞ。まあいいか、じゃあ行ってくる」
「はーい」
行先を雑に伝え、玄関で靴に履き替えているとリアが通りがかる。
「…センセイと変な話してないだろうな」
「まさか。ワタシはヨナにいってらっしゃい、って言いに来ただけだよ? ああでも、お土産は欲しいかな。…例えばそう、面白い話でも仕入れてきてほしいな」
「……気が向いたらな」
「さっすがヨナ、話が分かる。そういうところ大好きっ。じゃ、よろしくー」
「はいはい」
振り返ることなく、外へ向かってドアに手を掛ける。
さて、アイツはまだそこいらにいるだろう。素直に話してくれれば楽なんだが。とはいえそれほど大した理由も考えられないけどな。
・金谷先生
初期からたまーに出てくる先生ですがちゃんと先生してるのは初めてかもしれません。とはいえ生徒の自宅にお邪魔することは人と距離を置いている彼女にとってまずありえないことですが、皆方相手であれば彼女も何とか動き出せます。




