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四方総界縁起  作者: くろよ よのすけ
44/100

44.学びと習性①




 天候、晴れ。

 風、やや冷たいものの穏やか。

 時間、午後四時二十分。

 アマナ宅、ヨナギの部屋にて。

「………っ」

「…………」

 二人の少女が緊迫した空気を醸し出していた。


「くぁ…」

…退屈からか既に少年は横になっているが。


 互いに数分間、一切の動きを見せなかったが灰色の髪をもった少女が先に動く。

 もう一人の黒髪の少女へ向かって、何かを示すかのように両手の指を胸元で交差させる。その姿を見た黒髪の少女は一度瞳を閉じ、眼前の少女をハッキリと見据えた。

 そうして次に目を開いた時、意を決したかのように言葉を紡ぎ出したのだ——。


「シエ…っ、指を使うのはいいけど。xを指で作っても答えは出てこないと思う……っ」

「違いますよアヤネ、私もそこまで愚かではありません」

 しかし灰の少女はたじろぐことも無く、正面から見つめ返す。

「これはそう、降参の手振りなのです。…ごめんなさいアヤネもう一度最初から教えてくださいっ!!」

「ふ、ふふふ…っ。ええもちろん…、もちろんだよシエ…っ、教える側の私も頑張らないとね。大丈夫だよ。諦めたりしないし、見捨てたりなんてもってのほかだからね! 

…じゃ、あと三歩手前くらいからやり直そっか。具体的にはxの意味から」

「…はい、ヨロシクオネガイイタシマス」


 片や心は燃え上がり、片や沈みきった二人の様子からは極限まで傾けた天秤を思い起こさせる。問題は重りに値する外的要因一切なしでこの惨状ということだが。

 とはいえ二人して頭を抱えている点に関しては同じなのだから心的重圧は同じようなものか。

(ぐぬぬ、まさかシエがここまでとは…っ、何がとは…何がとは言わないけど…!)

 煖房を付けているとはいえ、それでも暑すぎるということは無い。窓から入り込む冷気によって適温を保っているなのに、それでなお額に汗を滲ませるのは戦いに対して肉体が反応しているのか。


「…ふぅ…っ、よぉし、諦めないわよ。あんなに嫌がってたシエが頑張ってるんだもん。私が先に折れちゃダメだよねっ」

「ああそうだな、その調子で頑張ってくれ。俺は後でいい」

「夜凪くんは夜凪くんでちゃんと問題解いててね。分かるやつからでいいし、出来なかったらとりあえず空白にしておいてくれればいいから。二人とも理数系がここまでとは……」


 俺もシエも理科、数学科目については特にひどい。

 日常生活においては足し算引き算、あとは掛け算なんていうような基本が出来れば買い物にも支障がなかった以上、これまで覚える必要が無かったのだから仕方ないだろう。とは流石に言えない。

(皆方にこれ以上やる気を出されても困る)

 それに『今回』は隠すと決めているが、何をきっかけに自身が『巫女』であることに到達するか分からない。

 終わりが近づく中で隠すと決めた以上、下手な手を打つわけにはいかないのだ。


「アヤネアヤネ、これでどうでしょうっ。今回は中々に自信があります!」

「お、どれどれー? すごいっ、計算方法は完璧だけど代入する数字の位置が全部間違ってるっ」

「うぐ…っ! ど、どれがどこでしょうか…?」

「あわわっ、ゴメンシエ。ついビックリしちゃって! でも計算自体は間違ってないからねっ!? あとちょっとやれば覚えられると思うから自信をもってぇー!」

 シエもシエで汗を滲ませながら胸に手を当てて苦しんでいる。

 俺も後でああなるのかと思うとやる気がどんどん減っていく。その上、皆方に渡された問題が解けない。どの式を使えばいいんだ…?


「うぬぬぬ…っ」

「頑張れ、シエ、もうちょっとで峠を越えるよ…!」

「……ん? あー…。あ?」

 三者三様に苦しむ様は煖房込みで部屋の温度を上げていく。

「ぐぬんうぬ……!」

「いける…っ、そうそう、そこまであってるよ!」

「ち…ッ、なんで一つの答え求めるために何個も式がいるんだ…?」

 熱気は風船を膨らませるようにゆっくりと膨張し、誰もが気づかない内にあわや破裂するかと思われた次の瞬間。


「やっほー、勉強は順調かな? リアお姉さんから、なんとお菓子の差し入れだ」

「あ、リアさん…。ああ、そっか、思ったより時間たっちゃってたんだ……」

「リア様、少々、もう少々お待ちください…! あとここだけ、この山を越えれば——!」

「分からん、やってられねえ。…ん? なんだリア、いたのか。寝てるのかと思ったぞ」

「……キミたち、もうちょっと年長を敬ってくれてもいいんだよ? それに、初日の時点でダメージを受けすぎじゃないかい?」

 ドアを開けた瞬間、すさんだ空気の暴風を当てられたリアは苦笑しつつもその手に持った箱を上げる。

「それじゃあ、そのシエの問題が片付いたらいったん休憩にしよう。言ったとおりお菓子を買っておいたんだ。もう結構な時間やってるみたいだし、一度気分転換しないとね」

「ありがとうございますリアさん、あはは…私も集中しちゃってたのか時間のことがすっかり抜けちゃってました」

「ハイッ! 出来ました! お茶を淹れてきます!」

 皆方が平常心を取り戻したと同時、限界ギリギリまで粘っていたシエが立ち上がり台所へ一目散に向かっていった。

 いい加減、家事に手を付けないと心の平穏を保てなかったらしい。俺も俺で空白の方が多い問題集を閉じると凝り固まった身体を伸ばす。これだから本はイヤなんだ。


 机の上には色とりどりのケーキが詰められていた。合わせれば1ホール分くらいはありそうだ。

「じゃ、お茶にしよう。適当に見繕ってきたから好きなのを取ってね」

 ようやくの休憩時間、燃え尽きたようにシエは静かにお茶を注ぎ、その姿を見た皆方が心配そうにアタフタしている内に準備は整った。

 最初は黙々と食べていたが、菓子を口に運ぶうちに段々と元に戻っていき、二つ目を口に運び終わったころにはようやく息を吹き返していた。


「はぁ……すみませんアヤネ、教えていただいているというのにどうしても体が拒否反応を示してしまい…」

「ううん最初だし、仕方ないよ。それに苦手なのに逃げようとしないでちゃんと取り組んでるのはスゴイと思うよ? だから自信をもって、さっきの問題だってほとんどできてたんだし」

「そ、そうなのですか? 最後の方は記憶が曖昧なのですが…」

「ほんのちょびっと間違ってたけどね。でも落ち着いてやれば間違えない所だったし、もう一度やれば大丈夫。保証します」

「そうでしたか、…あまり解けたという実感がないのですが、アヤネがそういうのでしたらきっとそうなのでしょうね。もう少し、頑張って見ます」

「その意気だよシエっ、夜凪くんも見習うこと」

 

 シエの話だったが、一緒にやってた以上は俺にも当然のように話が飛んでくる。つっ突かれないように黙って食ってたが、やはり逃げられそうにない。

 皆方が言わなければリアが話を振っていただろうからどちらにせよ回避は無理か。


「…分かっては、いるんだが。どうにも脳が理解を拒んでる」

「夜凪くんはアレだよね、なんで数字の式に英語が出てくるんだー、っていうタイプ」

「そこで頭が止まっちゃうから式が求めているモノにまで思考が進んで行かないんだね。ヨナは基本的に力任せで何とかしちゃうとこあるからなぁ」

「うっせ、だっておかしいだろ。数学ってのは数字を求めるはずだろう。なのに数字が一個も出てこないってのはどうかしてる」

「あははは、夜凪くんそれは中学生くらいの子の発言だよっ」

「やかましいっ、分からんものは分からん」

「はいはい、ゴメンってば。拗ねないでよー」

「拗ねてない」

「そっぽを向きながら言っても信憑性がないかと思われます…」

「やーい照れ屋ー」

 フォークの先を揺らしながら笑う皆方はずいぶん楽しそうだ。こっちとしては厄介ごとが増えてかなわないが。

「言ってろ。とはいえ別にあきらめたわけじゃない、なんとしても赤点はとらん」

「えぇもう、そんなにヨナくんって呼ばれるの嫌? 可愛いと思うんだけど、リアさんだって呼んでるわけだし」

「…ふむ」

「嫌だね、ただでさえリアが呼んでるんだ。これ以上増やしてたまるか」

「そういう問題なの? でも、それは夜凪くんが赤点を取らなければいいだけだからねー」

「…まぁ、そうなんだが」

 程よく甘い筈のケーキがくどく感じだすくらいには、俺の味覚も嫌がっているらしい。


「ふっふっふっふっふ…」

 そしてわざとらしく、意味深に笑いだしたのはリアだ。

 なにやら機嫌がいいようだが、どうせ大したことじゃない。なにやら皆方に対して腕組みながら胸を張っているが…、見せつけてるのか?

「ふっふっふ、そういう事さ彩音。ヨナって呼んでいいのはワタシだけ。それを照れているから回りくどい言い方をして——」

「ねえよ」

「ないらしい。でもそうだね、事実上ワタシしか呼ぶことが認められていない以上、これはワタシの特権と言えるんじゃないかな? つまりどういうことかというと」

「言うと?」

「ワタシはヨナの成績を上げる方につく、ということさ」

「あっ、裏切り者!」

「ですがアヤネ、その、ヨナギ様を別の…そのヨナくん、様とお呼びになる場合、ヨナギ様の成績が上がらないということになってしまいますが…」

「あ、そうだった…っ。く…っ、やりますねリアさん」

「そうだろうそうだろう? もっと褒めてくれていいんだよ? そうしたらご褒美を上げてもいいかもだ」

「ご褒美って言っても、リアさんのことだから一緒のベッドで寝る権利とかじゃないですか。もうその手には乗りません、慣れっこですからね」

「おや、バレたか。彩音も大きくなったからね。今はその成長を喜ぶとしよう」

「なんで勝ち誇ってるんだお前、っていうか、俺の成績がどうであろうと別にいいだろ。なんにせよ俺とシエの問題だ」

「そ、そうですね。ワタシも頑張らねばなりません…」

 そういいながらもシエの元気は言葉尻に近づくにつれて覇気がなくなっていく。これはまた筋金入りだ。ユーリとどちらが嫌いなのか聞いてみたくもなる。


「じゃあ、これ食べ終わったら続きしよっか。あ、リアさんはダメですよ。勉強会がいつも通りになっちゃうのが目に見えてるので」

「えぇ~だめぇ~? 何にもしないよ? 自習してる方とちょこっとだけお話しするだけだよ? 集中しっぱなしじゃ疲れちゃうからねー」

「その、ちょっとだけのお話がおっきくなるのがリアさんでしょ。知ってます、ええとっても知ってます。ですからダメです、夜凪くんはともかくシエが自習しなくなっちゃいますから」

「うっ…、ですがアヤネ? 私とて自身の研鑽から逃れようなどとは思っておらず…」

「体がついてこればいいけどな。シエの場合はそうもいかんだろ、大人しく皆方に従っとけ」

「……はい」

「じゃ、仕方ないね。ワタシは一人寂しく読書でもするとしよう。あ、寂しかったらいつでも会いに来ていいからね?」

「ない」

「ないです」

「はいもちろ——っ、……いえ、あ、はい…ない、らしいです。ハイ…」

 瞳を輝かせ、身を乗り出そうとするシエの肩を掴んで、椅子に座らせる。

 ダメだシエ、お前は逃がさん。俺一人で皆方と勉強を黙々となんてやってられるか。


「では、休憩を終了とし…。後半戦始めぇー! ほら、立って立って」

「頑張れー、ああ食器はワタシがやっておくよ。偶にはそういうのもわるくない。じゃあシエ、行ってらっしゃい」

「うぅぅ…」

 奴隷のように連れていかれるシエを横目に俺も立ち上がる。さっきシエがやってた問題の見直しが終われば、次は俺の個人授業だろうしな。何とか醜態をさらさないようにだけ気を付けないと。

「ちょっとちょっと」

「…なんだよ。皿の片づけくらいしておいてくれても罰は当たらんぞ」

「そうじゃなくって…ね?」

 

 声を掛けてくるのは当然リアだった。

 何の用だと振り向くと、珍しく何とも気まずそうな表情をしている。いや本当に珍しい、何か厄介なことでも感知したのかと少し身構えてしまう。

「どうした、なにかあったか?」

「う~~ん、そういうわけでもないんだけど…。やっぱりヨナはさ、彩音にヨナって呼ばれるの…イヤ?」

「……」

 ハッキリと口に出すのはためらわれた。

 それは皆方本人の耳に届くかもしれない危険を起こさないためだったのかもしれないし、俺自身答えを持ちえなかったからかもしれない。

 一つ言えることは、俺はすぐに返事をできなかったということだ。

「いいんだけどね、ヨナが赤点を取らなければ問題ないわけだし。でも、本当に辛いなら——」

「…いいさ。呼び名なんて大したことじゃない。アイツが俺を何と呼ぼうが、それは何の関係もないことだ。次があれば無かったことになる」

「その次でお終いにする予定なのに?」

「予定通りに進めばな。それに、終わるかどうかはお前次第なところも大きいぞ」

「それはそうだ。ま、ヨナにもシエにも頑張ってもらわないと。まずは勉強、だね」

「ああその通りだ。呼び方なんて、お前が気にする必要ないよ、リア。俺は大丈夫だ」

「ん」

 苦笑気味に微笑むリアはまだ気にしてるらしい。きっと、俺が何度気にしなくてもいいと言ったところでこれは続くんだろうから、もう口にする必要はない。

「行くよ、皆方を待たせると怒られそうだ」

「そうだね、ワタシも追い出されちゃった」

「ああ、何より正しい判断だ」

「ひどーい、なんて従者たちだ。怒るしかないねもう」

 言いながらもいつも通りの笑顔を取り戻すと、使い終わった食器を台所へ持っていく。ほとんどやったことも無かったせいで、その姿は危なっかしいが割ったら割ったでその時だ。


 水を張った洗い桶に食器を付ける音を背に、部屋に戻る。

 さて、俺も俺で学生の本分らしいことをしなければならなくなった。

(面倒な…)

 とはいえやらねばどうにもなりそうにもない。皆方もアレはアレで楽しんでいるようだし、俺が口を出すのもおかしな話か。

(とはいえ、俺もムキになりすぎたな)

 呼び方など何でもいいはずなのに、変にスイッチが入ってしまった。

 俺は俺で、ヨナという呼び方を気にしすぎているのか…?

「………、いや今気にしても仕方ないな…。はぁ、やるか。…遅くなった、リアに捕ま——」

 ドアを開いた先の光景に絶句する。

おかしいだろう。二人が部屋に戻ってから数分だ。十分も経ってないことは間違いない。

「う、ぅぅ……」

「———」

だというのに、だというのになぜこの二人は床に倒れ伏している…。


「一応聞くが…何があった」

「ぐ…う、うぅ…。ああ、夜凪くん……。ふふっ、あのね? シエ、さっきまでやってたことが全部頭から抜け落ちちゃっててね? ふ、ふふひへ…げほ、がはっ!」

「お、おい皆方っ、大丈夫か?」

「ふぅー…、ぜぇ、ゼェ…」

 身を起こさせ、背をさする。これは、想像以上のダメージを負ったらしい。…この次に俺のせいでこうなるかと思うと悪い気持ちがないことも無いが。

「で、シエ。お前はお前でなんで倒れてる?」

「……よなぎ、様…」

 ゾンビのようなたどたどしさで身を起こしたシエはというと、何やら絶望しきった表情でこっちを見てくる。その顔は真っ青で、暗がりなら本当にゾンビに見えそうだ。


「私は、私の能力を買いかぶっていたようです…、よもやこれほど勉強に不得手だとは…。そして自覚が無かったことに恥じ入るばかりで…、ぐひゅっ」

「……」

 変な断末魔と共にシエがぐったりしている。口から魂が抜けだしているように見えるが、アレを放っておくと聖槍に戻ったりするんだろうか。

(どうしたもんかな…)

 皆方を支えながら考える。

「全く、無理そうなら他に教える奴でもいればいいんだがな。…まあそんな奴いれば初めから誘ってるだろうが」

 この時の俺は、随分と浅慮な発言をしてしまったと、口にした言葉を後悔することになるのはもう少し後の話だ。


 とりあえず今日はシエも皆方も完全に戦意喪失、意気消沈。お開きとなるのは自明の理だった。

 隣の家まで肩を貸さねば帰ることもできない状態の皆方を連れて帰り、シエはベッドに寝かせて頭に冷やしタオルを当てておく。

「まさかの知恵熱なんてな。確か子供の頃にかかるやつだろ。…大した症状じゃないし明日には治ってるだろ」

「すみません…、頭がくらくらしてしまって…」

「みたいだな。なんだか目の方もグルグルしてる」

 額に手を当ててみると熱い、症状はこれだけなのだから本当の意味で知恵熱みたいなものだろう。何ともはや、心身ともに素直すぎるやつだ。

「っておい、立ち上がらなくていい。いいから寝てろ」

「ですが晩御飯の支度がまだ…」

「偶にはレトルトでもいいし、シエがこんな状況でリアだって我儘は言わないさ。今日は休んでいい」

「…すみません、本来ちゃんとした食事を提供するのも私の役目なのに…」

「いいって。ほら、一旦寝ろ。目が覚める頃には熱も引いてる」

「ですが…」

「寝るんだ。皆方は素直に寝てくれたぞ」

「…はい、ではあの…お願いが…」

「どうした? 出来ることなら聞いてやる」

「その…私が眠るまで傍に、居ていただけないでしょう…か」

 掛け布団で赤くなった顔を目元まで隠し、申し訳なさそうに小声で願いを口にする。

 その姿は本当に子供のようにしか見えない。『纏界』にいた時のことを思い起こさせる光景にふと陰を落としたような気分になったが、顔に出すほどマヌケでもない。

 ワシワシと頭を撫で、その後はゆっくりと撫で続けてやる。

「ほら、これでいいか? 続けてほしいからって寝ないようにはするなよ」

「ふぁい…」

 頭を残して完全に布団の中に潜り込んだシエの顔は見えないが、嫌がってる様子もないししばらくは続けてやるか。


「…よし」

 その後、シエが眠るまでの十分足らず。

 撫で続けた頭は俺のせいで髪が跳ねてしまっていたが、直そうとして起こしたりするのも悪い。俺はさっさと退散して、晩飯のために湯でも沸かそう。


「シエはちゃんと寝た?」

「ぐっすりだ。そして今日の晩飯はレトルトかカップ麺だ。何がいい?」

「じゃ、ヨナの選んだのとは味が違うの」

「分かった」

 非常食としていくつか買っておいたカップ麺の内、味の違う二つ取り出して湯を沸かす。

 沸かしている間は冷蔵庫に背を預け、特に何をするでもなく時間が経つのを待っている。するとそれまで寝転びながら本を読んでいたリアが台所へとやってきた。

「なんだか疲れてるね」

「そうでもないけどな。慣れないことをする羽目にはなったけど別に苦痛ってほどじゃない。変な名前で呼ばれない程度に気張るさ」

「そ、ならいいんだけどね。じゃあお茶飲みたいからちょっとどいてくれたまえ」

「ん? ああ悪い」

 もたれかかっていた冷蔵庫から背を離し、リアが通れるようズレる。

 その時にやかんを見てみるが、こっちはまだ時間が掛かりそうだ。温まっている気配もなく、まだ水と呼べる温度だろう。

「よっと」

「……一応聞くが、なにがよっとなんだ?」

「え? 掛け声だからそこまで考えてないよ? んー、ヨナの背中あったかーい。私の身体も暖かい?」

「人並みにはな。で、お茶を取ろうとしてたんじゃないのか?」

 背後から抱き着いてきたリアは俺の身体に腕を回していて、その手にはグラスもお茶も何も持っていない。図られたな、これは。

「はぁ…」

「む、ため息なんてひどいなぁ。冷静になって考えてみるといい、これ程の美人に慕われているというのに、どうしてそこまで嫌がるんだい? 逆に襲っても不思議じゃないしむしろ道理だと思うのだけれど」

「相手がお前じゃ無ければもう少し感じ入る所もあるだろうよ。なんせ相手がリアだ」

「それはどういうことかなぁ、ヨナー。ここまで来て女に見えないなんて言われたら泣いちゃうよワタシ」

「その時は俺に見えないところで泣いてくれ。俺も追求しないよう心掛けるから」

「そんな心遣いはいらないかな。もぅ、こーんなに想ってる相手をないがしろにするなんて、悪い男だねぇ。うりうり」

「頭を押し付けてくんな、火使ってるんだぞ」

「はぁい、じゃあ静かにしてるからもうちょっとギュっとしてるね?」

「どういう理屈だよそれ」

「んーー」

「聞いてねえな」


 一人で満足そうに喉を鳴らしている以上、もう俺の言葉は届くまい。湯が沸くまではこうしてるつもりだろうし、俺もそれまではやることも無い。仕方ないからしたいようにさせてやるか。

 ただ、その間に確かめておきたいことはある。


「なあリア、一つ聞いておきたいことがあるんだが」

「んー?」

「“残り”はあとどれくらいだ」

「んー…そうだねぇ…。ヨナの方なら『今回』が終わるころ、ワタシの方ならあとちょっと、くらいかな。大丈夫、間に合うよ」

「分かった。任せる」

「はーい、んん…すー、ふぁ…」

 一人満喫してる様子のリアの体温を感じながら、やかんから湯気が立ち上り始めた様をのんびり眺めている。

 こんな時間が、ずっと——。


「…沸いたな。ほらリアどけ、危ないぞ」

「ええ、もう沸いたの? でもま、そういうことならしょうがない」

 一瞬湧きあがったくだらない考えを捨て、適当に見繕ったカップ麺に湯を注ぎ淹れる。

「ほら、どっちか好きな方取れ。俺は余った方でいい」

「じゃ、半分こにしよう。それなら飽きも来ないし味の感想も言い合える」

「味の感想ったって、別に大差ないだろ」

 選んだのは味噌味としょうゆ味だ。どっちもどっちだと思うんだが。

「いいの、同じような味なら味でその感想を言い合うんだから。ほら行こう、此処で立ち食い? するのもいいけど、やっぱりワタシは座って食べたい」

「そうだな、熱いから気を付けろ。落とすなよ」

「それくらい大丈夫だよ。もう、ヨナは心配しょ——!?」

「な——っ」

 口に出した途端、カップ麺を落とすのではなくカップ麺ごと足を滑らせる。

 次の展開は想像するまでも無かったが、実際に起こすわけにはいかない——。


「あーはは、ゴメン、…ありがと」

 コケる最中のリアを抱き留め、宙を浮いたカップ麺をキャッチ。汁は少し零れたが大事なし。いや、手にかかった部分が熱い。

「まったく…、いった傍からコレだ。やっぱりシエに居てもらわないとダメだな」

「本当、そうみたい。一刻も早い快復を望むところだね」

「ああ、じゃなきゃこの家はゴミ屋敷一直線だ」

 話しながら立ち上がらせ、今度こそ机に到着。向かい合うと日頃の二割五分にしか満たない、簡素な晩飯を食べ始める。


 結局、半分ほど食ったところで交換したが、やっぱり俺には味の違いは良く分からなかった。

 そのことを伝えると、リアは自信満々に『実はワタシもだ』などと宣うものだから、なぜだか呆れて、おかしくて、つい笑ってしまった。

 そんな俺をリアはからかうこともせず、同じように微笑んで一緒に食べ終わる。

 茶を飲んで、ごみを片付けて。どちらが言うでもなくソファに座る。

 確認の一つもとらず、俺の膝を枕にしたリアは落ち着いた声でぼそりと呟いた。

「ヨナは、変わらないね」


「今さら、なんだ」

 感慨深そうに、懐かしむように放たれた言葉はじんわりと俺の耳にも届く。

「ずっとね、思ってたんだ。いい方向に成長したし、口数も笑顔も増えて、中身も変わったかと思ってた。んだけど」

「人の中身なんてそう変わらない。まして根本の部分なら猶更だろ」

「そうだね。ワタシも分かってたつもりなんだけど、ヨナには笑ってほしいなって、ずっと思ってたから。だからあの子には感謝しかしてない」

「ならそれでいいだろ。変化なんてあったところで自分では気づけないさ。俺だって二人がこっちに来るまで忘れかけてたくらいだ」

「えー、ほんと? 大分変わったよ? 昔は『くだらない』か、『どうでもいい』ばっかりだったのに。シエを拾ってからはほんの少し丸くなったけど…、それでもそう変わらなかった」

「…まぁ、な。数え切れないくらいの時間は経ったんだ。変化がない方がどうかしてる。お前だったそうだろ、であった頃から今の今まで、あの頃のままデカくなったようなもんだ」

「へぇー? 具体的にどこがかなぁ?」

 言いながら、わざわざ仰向けになるのは一体何をアピールしたいのか。分かりはするが指摘するのはあほらしい。

「ニヤニヤするな。そのままの意味だよ」

 膝の上から見上げてくるリアの両目を手で覆い隠す。

「ちょっとヨナ、これじゃ何も見えないんだけど。どうせなら頭を撫でるくらいしてくれてもいいんだよ?」

「それはさっきシエにやったから今日は打ち止めだ。遅かったな」

「えぇー、シエずるーい」

「お前もさっさと寝ちまえ、俺は結界の様子でも見てくる。」

「彩音を一人にするつもり?」

「シエは戦えないわけじゃないし、イユラもいるんだ。分かってて言ってるなお前?」

「アハハ、バレた。じゃあ、うん、そういう事なら仕方ない。名残惜しいけどどかなきゃね、よいしょっと。とと…」

「ったく、腹筋も全然だな。よくもまあ日常生活がおくれてるもんだ」

 起き上がろうとして、自分の身体を起こす力もない彼女の姿に苦笑する。

 手を貸して起こしてやると、寝転んだことでぼさぼさになった髪を軽く撫でて整える。最初は驚いていたリアもすぐ大人しくなって、目を閉じてされるがままになる。

「よし、あと気になる所は自分でやれ。俺は行く」

「んーっ、行ってらっしゃい。シエと彩音のことはまかせて」

「別に重病ってわけじゃないけどな。起きてきた時にはもう復活してるさ」


 あと数時間もせずに起きてくるだろう。

 俺はそれまでの間に街を見て回る。ナイギを見つければ斬る。

 リアから渡された魔眼の機能が完全ならば、世界が創り直される際にも死者の復活は許さないが、今ではそれが無理だということは分かっている。

 だから時間が必要だった。そしてそれももうすぐ終わる——。


「あと、少し…。もう少しだ…。——あやね」

 夜空の下、自分に言い聞かせるよう口にする。

 ようやく、ようやく積み重ねてきたものが形を成そうとしている。

 立ち塞がる壁はあまりに強固で、強大だが、やらねばならない。成し遂げなければならない。でなければ今ここに生きている意味はない。

 殺さねばならない相手がいて、護らねばならない相手がいる。

 ならば、この手で成し遂げねば。

 何度世界が廻ろうと、原初の誓いと約束は決して失われはしなかった。

 終わらせよう、なんとしてでも。

 たとえ、全てを敵に回すことになったのだとしても。

 たとえ、護り抜いた末に怒りをぶつけられるのだとしても。


 一人の少年が歩む速度と同じようにゆっくりと夜が更けていく。

 月は無く、風もない。

 冷たい空気を肩で切りながら進む夜の世界は静寂が覆い、まるで彼女の寂しさが具現化したかのようだった。


・勉強へのスタンス

皆方:基礎がしっかりしているので普通に解ける。

夜凪:とりあえず目は通すものの理解はしていない。脳内では「なぜ点Pは動いているのか」などのしょうもないツッコミをしている。

シエ:固まる。

リア:立場的に勉強しなくていいもの、と逃亡する。ただやらせればそれなりに解けるので文句を言えない。

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