42.幾度目かの日常②
準備を終えて帰ると、そこでは二人が机を境に対照的な反応を見せている。
「あ、ヨナおかえりー、く、フフフ…っ」
「おかえりなさいませヨナギさま、アヤネの安全に問題はありませんでした。…明日は予定通り勉強会と……なりそう、です」
先に帰っていたシエは絶望に染まったように落ち込み、その背後ではリアが愉快そうに笑っていた。
「はぁ、そんなに嫌なのか?」
「嫌というわけではないのですが…、図書を見ても目が滑ってしまうというのでしょうか。どうしても理解が進まず……」
「そういうヨナもあんまりじゃないか。今まで何回学生やってきたんだい?」
「どうせアイツの記憶からは消えるんだ、マトモにやってもな」
「またまたそんなこと言ってー、単にやりたくなかっただけでしょ。いい成績を取ってれば彩音からヨナの認識が更新されて高評価になってるはずなんだから」
「どうだろうな、高得点なんて取った記憶ないからそこまで反映されるのかなんて知らない」
「なーんだ、残念」
俺やシエのように余所からやってきた人間が受けたことも無いテストの成績をどう決められているか。
基本は皆方のイメージだろう。実際の学力を知る由もないシエなんかは的中しているのは偶然だろうが、俺で言うならばこれまで繰り返してきた学生生活の積み重ねが参照されているのかもしれない。
まぁ、勉強に努力する理由なんてこれっぽっちも無いからマトモに取り合ったことも無い筈だからアイツがどう思ってるのかなんて分からん。
「それに今回で言うと十年間離れ離れになってる扱いだからな。そんな相手の学力なんて分からないんじゃないか」
「なるほど、その辺は設定で変わるわけだ。けど今の問題はそっちじゃないかな」
「あぅうぅぅ…」
「とはいってもな、今できない以上は明日から出来るようになってもらうしかないぞ。とりあえずやってみない事には出来るかどうかなんてものも分からないだろ」
苦手意識は仕方ないが、一度ちゃんと教えてもらえば何か変わるかもしれない。
相手は皆方だし、加減無しとはいってもそう酷いことにはならないはずだしな。
「そういうことさシエ。…だから晩御飯作ってほしいなぁー、なんて思ってたり…」
「はっ、そうでした。す、すみませんリア様っ、今すぐご用意いたしますので…っ!」
パタパタ音を立てながらキッチンへ駆けていくシエ。
(そこまで嫌か…。ユーリの時もそうだけど、結構好き嫌いハッキリ分けるんだな)
嫌なものはどうしても嫌。なんだが素が真面目で素直過ぎるから流せないんだろうな。
基本真正面から受け止めて、その後どうするか決める。みたいな。
「ん? そういうヨナもなんだか機嫌が悪そうだ。何かあった?」
ひとしきり笑い終わったのか、呼吸を整えた矢先。俺の方をみたリアは下からのぞき込んでくるように見つめてくる。
「近いぞ、別になんでもない」
立ち話もなんだと椅子に座り、シエの料理を待つ間に今日の出来事を話す。
とはいえ、皆方とのことはシエから聞いているだろうし、イユラのことを話す必要もないと流そうとしたが——。
「ふーん…? それで?」
明らかに疑ったように、ジっとこっちを見てくるリアの視線に根負けする。このまま何もなかったと話したところでしつこく聞いてくるのは分かり切っている。
「……ただ、イユラと話した」
「ああそれで。また何かイジワルなこと言ってきたんだ。あの子も彩音以外には厳しいからね。もうちょっと柔らかくなればいいのに」
「本人に言ってやれ、お前の話なら少しは聞くんじゃないか」
「フフ、それは無理じゃないかな。ワタシも嫌われてるし」
「そうか」
「む、そこまで簡単に納得されるのもなんだか納得いかなーい」
「いや、自分から話し振っといてなんだけど、言われてみればそうとしか考えられないというか。確かにアイツがリアと仲良くできるはずないな。悪かった」
「そこで謝られるのも釈然としない。確かに目的に方向性の違いがあるから致し方なしとはいえ、ワタシたちラゥルトナーもあの子と笑顔で手を取り合うくらい容易い物さ」
「その自信はどこから来るんだよ。それに、アイツと心から手を取り合うのは、無理だ」
「むぅ、ヨナも頭が固くってダメだなぁ。やーい似た者同士めー」
「それ、煽ってるつもりか?」
「まさか、ワタシが大好きなヨナのことを煽るだなんて、そんなはしたない真似はしないさ。ただちょっとからかっておくチャンスかと思っただけ」
「本音を隠そうとしろ」
「隠しっぱなしじゃ疲れちゃうもの。ヨナなんて今回は隠しっぱなしだろうし、肩凝っちゃうよ?」
「皆方とのことなら大丈夫だ。今度こそ…苦しませない」
「難しいと思うけどね。ま、ヨナがそうしたいって言うならワタシは手伝うけど」
「……リア」
「はい、湿っぽいのはイヤだな。ヨナには笑ってほしいんだ」
「無理いうな。元からこんなんだ」
「そっか、じゃあ追々の変化に期待しよう」
やれやれと、おどけるように肩をすくめたリアの視線はもう俺ではなく、もう一人の方へ向けられていた。
「リア様、ヨナギ様申し訳ありませんっ、遅まきながら晩御飯ご用意いたしましたっ」
「おやおや、そんなに慌てなくっても大丈夫だよ。ワタシはヨナとお話しできるし、シエはもっとおいしくご飯をつくれる」
「催促したのお前だろう。ほら、並べるの手伝うから慌てるな。おとして火傷なんてことさせられない」
「ありがとうございますヨナギ様、で、ではこちらを。他のものもすぐお持ちしますね」
落ち着きを取り戻したシエが盛りつけた料理を運んでくれる。
手伝うとは言っても俺のやることなんて持ってきた料理を三人分、並べるだけだ。
配膳はすぐに終わり、晩飯も出来上がってからはいつも通りに食べ終わるまでそう時間もかからなかった。
□ □ □
「ではお二人とも、おやすみなさいませ」
「あれ、シエったらもう寝ちゃうの? いつもならワタシ達がベッドに入るまで寝ようとしないのに」
食後、特に問題もなく静かな時間が流れて日付が変わるにはまだ少し早い時間。
リアの用意したパジャマに着替えたシエは大仰に頭を下げ、寝る前の挨拶をしてきた。
「俺が言ったんだ。飯の時もそうだったけど、明日の勉強会のこと考えすぎて頭の中が知っちゃかめっちゃかみたいだったからな。いつも通り寝ようとしたら一睡もできなかった、何て言われたらどうする」
「あははは、確かにシエならやりかねない。それならイヤなこと考えてても仕方ないし、眠れるまで関係ないこと考えるといいよ。直前まで本を読んでその世界に浸るなんてのもいい。そうすれば眠りたい放題だ」
「本、ですか。…そうですね、試してみます」
「うん、おすすめを教えようか?」
「はい、よろしければ」
「じゃあワタシの部屋の本棚、上から二段目の左から七冊目がおすすめかな。シエにも読みやすいと思うよ」
「ありがとうございます、ではお部屋に失礼させていただきますね。では改めて、おやすみなさいませお二人とも。また明日」
「おやすみー」
「ああ」
もう一度礼をして、シエは自分の部屋へ向かっていった。いやその前にリアの部屋か。
「リア、こっちでも本読んでたのか」
「む、なんだか馬鹿にされてない? ワタシはこれでも本の虫だよ」
「知ってる。というかそれしか娯楽がなかったようなもんだろ」
「それを言うならヨナなんてワタシが声をかけないと武器振ってるだけだったじゃないか。ん? ワタシが声かけても無視されてたような?」
「そうでもない、相手はしてやってた。…ああそうだ、あっちにいた時から聞こうと思ってたことを忘れてた」
「なんだい、ヨナ相手ならどんなことでも教えちゃうかもだ」
多くを忘却し続けてきた俺の内に残る『纏界』における褪せぬ記憶。その中にいるリアはいつも本を読んでいた。
聞こえるのはリアの呼吸音とページをめくる音が静かな部屋に響く。
飽きもせず、ただ同じ速度で頁をめくる音は中身を理解しているのか、本の内容に興味のない俺には理解できなかった。
『おやヨナ、いたのか。一緒に読まない?』
『興味ない、どうでもいい』
『ヒドイなぁ』
『くだらない、面白いと思ってるのか?』
『うん、もちろん』
やることも無く、リアが本を読んでいる姿を何の気なしに視界にいれていると、ふと話しかけてくることがあった。
ただそこに居ただけの俺としては話すようなことも無かったが、無視すれば更なる面倒事が増えるだけだ。ならば面倒でも会話はしなければならない。
——億劫だ、あまりにくだらなくてどうでもいい。
話す内容に意味は無く、興味もない。
だというのにここに居るのは俺たちだけで、いまこの場を離れたところで遠からず戻って来ねばならない以上、相手をした方が結果的にはまだマシだ。
だが、面倒であることに変わりはない。だから唯一興味があったことでさえ口にすることは無かったし、今の今まで忘れていた。
本当に、どうでもよかったことなのだ。
そして、今になって思い出すことになるとは思わなかったし、聞こうと思うなんて自分でも驚きだ。けれど、きっと今聞かなかったら二度と聞くことも無い。リアの考えなど理解しきれたことは無いし、わざわざ考えるまでもなかった。
けれど、アイツが本を読んでいる姿は、あまりにもつまらなさそうに見えていたから——。
「リア、本読むのは…面白いか?」
言われた側のリアはきょとんとした顔を見せると、すぐにいつも通りの笑みを取り戻す。
「………ふぅむ」
だがそれも長く続かず、困ったように顎に手を当てて考え込む。想像していたのとは違う反応、珍しい光景に少し驚くがリアはリアで答えあぐねているようだった。
「もう、ヨナったら。ご主人様を困らせるようなこと聞くなんて従者の自覚が足りないんじゃないの?」
「それならおまえは主らしく答える義務はない、って言うべきだ。なら俺もそれ以上は聞けなくなる」
「ヨナがせっかくワタシに興味持ってくれたのに、応えないって答えはつまらないじゃないか。でもそうだなぁ、昔っからそう思ってた?」
「当然だ、おまえが本を読んでる時、表情が動いたところは一度も見たことがない。ピクリとすら動かなかった」
「そっかー、自覚なかったなぁ。でもほら、単に集中してたから表情にまで感情が追い付かなかっただけかもよ?」
「なら、そう答えればいい。それでこのしょうもない疑問は解消だ」
「でもヨナのモヤモヤまでは解消できないからね、それはちょっとヤかな。うーーん、そうだなぁ」
ゴロンと寝転がり、頭だけを動かしてこちらを見るリアは困り顔だ。上下逆さまの顔には苦笑を浮かべ、重力に従った長髪は床にだらしなく垂れ落ちている。
その後もうーんだの、むむむだの、ひとしきり困ったアピールをすると意を決したのかガバっと勢いよく身を起こす。
振り返ったリアの髪の毛はぼさぼさで、浮かべた笑みから苦笑は抜け切ってはいなかったがさっきよりはずっとマシになってはいた。
「正直言うと、面白いかどうかは良く分かってないんだ」
ソファに乗せられていた足を床へ降ろし、改めて座り直すと話し始める。
「つまらない、ってわけじゃないよ。もしもそうだったら今の今まで読み続けることもしてないはずだから」
自分の言葉を自分で疑問に思いながら話す姿は何とも奇妙だ。
気持ちの整理をしているわけではなく、かといって既に定まっているわけでもない。優柔不断に浮ついた思考は風船よりも軽い。
「んー、言ってしまえば暇つぶし、が一番近いかな。動かなくていいし、一冊あればそれなりに時間も潰れる。読んでる間は誰も話しかけてこないし…、ってこれは意味ないか。昔のヨナなんて何があっても話しかけてくれないのに」
「本も数だけはあったしな」
「そうそう、誰があんなに溜め込んだんだろうね。新しいのもあったから何代も前の当主からコツコツと、かな。書斎というよりも図書館だった」
かつて、リアとシエと共に暮らしていたラゥルトナーの館。
さすがは守護者の一族とでもいえばいいのか馬鹿みたいにデカかった。移動するだけで無駄に体力を使わされるのは良い思い出とは言えない。
「そっか…、そうだね。きっと暇つぶしだったんだ。改めて考えないと良く分からないものだね。こちらに来てからは惰性で読んでたわけだ。習慣づけとは恐ろしい、なんでその行動をとってるのかすら分からなくなっているなんて。ンフフっ」
自分なりに納得したのか、ケラケラ笑い始める。
そして、本人が納得したのなら俺の疑問も解消したと言えるのだろう。答えは暇つぶしだったというわけだ。
「あ、でもでも、今は今でそれなりに楽しんでないわけじゃないんだよ? 少なくとも内容は理解してるつもりだし」
「そうなのか? いや確かに本棚の位置も完璧に覚えてたみたいだが」
「そうそう、『纏界』にいる間は間違いなく暇つぶしだったけど、こっちに来てからは趣味? といえるかもしれない」
「疑問はつくんだな」
「まぁ、ヨナが聞いてくるまで気にしたことも無かったし。みんなと話してる方が楽しいから本は二の次になっちゃってたから」
なるほど、どうりでこっちに来てからリアが本を読む姿を見たことが無かったはずだ。
リアは他に誰かがいればその空間に居たい。
俺はリアの部屋に自分から足をいれることはそうそう無いしな。
「なら読むときは寝る前か、俺たちが学校でいない時か」
「そうだよぉ、テレビも常に流れてるわけじゃないからさぁ。結局本を読むか寝るしかないのさ。ヨナぁ、やっぱり家にいてよー、たいくつー」
「馬鹿言うな。皆方をシエに任せるたって、それならそれで毎日結界張ってるだろうさ」
「ええー、働きすぎだよ。いや、別のことに体力を使うべきだ。ご主人様にご奉仕するとか」
「……、そういうのは奉仕される人間性を見せてから言え」
「ひーどーいー、いちゃいちゃ構ってくれればそれだけでいいのにー」
手をぶんぶん、髪はバサバサ。
表面積を増やしたリアの姿は質の悪い駄々っ子だ。つまるところ、意見が通るまでは続ける類の。
「ヨナー、いいじゃないかぁ。ぎゅーってしてくれればいいんだよー。こう力強くさぁ」
何もない場所に手を伸ばして空気を抱きしめている姿は不審者、というより痛いヤツだ。二人きりになるとタガが外れるのか子供っぽくなるのは直らないものか。
「ヨナー、ソファの隣あいてるぞぉ。なんと今なら美人のご主人様が抱きしめてくれるサービスまでついてるんだよー。乗り遅れるわけにはいかないね。あ、要望さえあればそっちから抱きしめるサービスも認めちゃったり。キャー、ヨナのえっちー」
「………」
一人で盛り上がって一人頬を染めるリアは完全に楽しんでいる。
この前話した後、さっさと姿を消すべきだったかもしれない。そんな後悔がふつふつと湧き上がってくるのは恐らく人として正しい感情だ。
「……はぁ」
「ちょっと、そこまで深いため息つくことないんじゃない?」
「つきたくもなる。変な女の、それも自称ご主人様に絡まれた俺の気持ちも考えてくれ。話をしただけなのに体力が持ってかれるんだ」
「ヨナから聞いてきてくれたんでしょ。つまりもう遅いのさ」
「時間の巻き戻しを要求する」
「きゃっかー、流石のワタシでも時間は戻せない。あ、それとももしかして…アヤネに危害を加えることで無理やり——?」
「怒るぞ」
「ゴメンなさい。えー、でも本当に隣来てくれないの? 甘やかしたげるのに。ヨナのしてほしいのは膝枕? それとも添い寝?」
「どれも結構だ、何故なら俺は今から寝る。一人でな」
「ぶーぶー」
文句を言ってきているが知らん、二階に上がる体力くらいはあるだろうに。
「ほら、おまえもさっさと寝ろ。今日は運んでやらないぞ」
「やーだー、ヨナにおぶってほーしーいー」
「……やってて恥ずかしくならないのか。マジで」
「ふっ、女にもやらねばならない時があるのさ…。ということでホントに運んでくれない?」
「………」
「………」
きっと、今の俺の顔は中々酷いことになっていることだろう。なぜならリアの表情が生き生きしている。さっきまでの困り顔などもうどこにも見当たらない。滅茶苦茶良い笑顔だ。
それは勝利を確信した笑顔であり、俺のことを知る女が勝利を確信しているということは、つまり…そういうことだった。
「わーい、あったかいなぁ…身体じゃなくって心が、さっ」
「暴れるな、落とすぞ。不慮の事故で」
「ヨナはそんなことしないもーん」
「…くそ」
見透かされているというか、把握され切っているというか。カマかけたところで意味がないから諦めるしかない。
けど、どうせ部屋までだ。さっさと運んでそれで俺も寝られる。
「もっとこの時間を楽しもうとか思わない?」
「世界に二人きりにでもなったら考えてやる」
「えぇー、嬉しいけど嬉しくない状況だなぁ」
そうは言いながらもどことなく嬉しそうな声色なのはコイツなりの乙女心なのか?
「ほら、ついたぞ。寝ろ」
「あーあ、短いバカンスだった。はーいはい、仕方ないから寝ようかな」
「ああ、そうして——」
「? どうしたのヨナ。動き止めて……。ああなるほど——ふふっ」
リアの部屋のドア、開いた先にはしゃがみ込んだシエがいた。
……しかも泣いてる。
「ぐすっ…、ぅあ、リア様、ヨナギ様…っ」
「…どうした? 泣いたりなんかして…」
その手に握られた本からして、既に理由は分かり切ったようなものだが一応本人の口から聞いておこう。ちゃんとした確認は大事だ。
「すみません…っ、ずずっ…。リア様にお勧めされた本を見つけ、中身の確認の為に開いてみたところ。くすん…、非常に心打たれる物語だったので……っ」
どうやら、別れてから言われた通りに本を見つけたあと、ずっとリアの部屋で読んでいたらしい。
よっぽどシエの好みの話だったのだろう、一度読みだしたら止まらないというやつか。
早く寝られるように気持ちを落ち着かせるためにお勧めしていたはずだが、ベッドに入ることも無く座り込んで読んでしまっていたのだから元の目的とは何だったのか。
「ふっふっふ、いいだろうそのお話。ワタシもなかなかのお気に入りだ。とはいえそこまでシエに気に入ってもらえるとは思わなかったけど」
「はい、とても素敵な物語でした。元来文字の羅列でしかないはずの文章だけで、ここまで人の心を打ち震わせることができるのですね。私自身、本を読むことは少なかったので恥じ入る気持ちでいっぱいです」
「シエも読書の楽しみを分かってくれそうで嬉しいよ。ヨナったら興味ないみたいだから」
「で、でしたらヨナギ様もどうでしょうかっ、気に居られるかは分かりませんが、非常にお勧めできる一冊かと! あ、で、ですがもう少々お待ちください。明日中には読んでしまいますので」
「そりゃ良かったな、なんにせよ気がまぎれたのならいいことだ。その本読むのは…まあ考えとく」
「はいっ」
別れた時の落ち込みようは何処へやら。尻尾があれば音を鳴らして振っていそうなくらいに嬉しそうな姿からは、見ているこっちの頬がつい緩んでしまう。
「なら、今日はもう寝たらどうだ。一日で読みきるのはもったいないし、時間も遅い。下手に夜更かしして続きを読み始めたら眠気が襲ってくる、なんてもったいないだろ」
「そう、ですね。…名残惜しいですが今日はここまで…、いえあと少しで章の区切りなのでそこまでは…」
「あ、その本上下巻の上巻だからまだ半分いってないよ」
「そうなのですか? それでいてここまでの面白さ…。ぅぅ、ですがそれならやはり本日は一度止めておいた方がいいですね。この先に目を通してしまえば夜が明けるまで読んでしまいそうです…」
名残惜しそうにパタンと音を立てて本を閉じると、胸に抱き留めながら立ち上がる。
ここまで一冊の本に夢中になれるというのは、本好きの素質があったということなんだろう。俺にはどこまでいってもシエのようにはなれそうにないという感覚が漠然として胸を覆っている。
「それじゃあシエ、名残惜しいかもだけど続きはまた明日だね。それにそこまで楽しんでもらってるとワタシも嬉しいよ」
「はい、この本はとても面白いです。それに…、そう感じることと共にリア様が私の好きな物語を把握していただいていたのが、とても嬉しくて…。本当にありがとうございます、思い上がりかもしれませんが、リア様が私のことを想っていてくれたのが伝わったようで…。本当に嬉しいのです」
「~~、見てヨナっシエが可愛い! ああもうシエは可愛いなぁ! 頭撫でてあげるっ!」
「ぐっ…、暴れんな、落ちるぞ」
「えー仕方ないじゃないか。だってシエがこんなにもかわいいんだよ? なら可愛がってあげるしかないと思うだろう?」
「そういうのは後でやれ、俺は俺でもう寝るんだよ」
「…はっ!?」
手足をバタバタ動かすリアを落とさないようにバランスを取っていると、シエが何か驚いたような表情に変化した。
「ん、どうした? 変な顔して」
「おや、もしかして撫でられるの嫌だったりする? シエも反抗期にはいっちゃった?」
「いえ、そういうことは無いのですが…」
何とも言いづらそうにもじもじしている。何かおかしなところでも——
「あのなぜヨナギ様はリア様をおぶっているのでしょうか」
「なんだそういうことか、ふっふっふ、羨ましいかもしれないがこれが主であるワタシの特別権限さ。ヨナも素直におぶってくれたよ」
「お前が背負わないとソファから動かないとかアホみたいなこと言いだしたからだろうが。あー……シエ、気にすんな。そこに降ろせば終了だ。いい加減俺も寝たいしな」
「えぇー、もうちょっとこうしてたいなぁ。あったかいし、ヨナも私を感じられて嬉しいでしょ?」
「お前の何を感じ取れっていうんだよ。いいから降ろすぞ。それで寝ろ」
「はぁ、仕方ないなぁ。それじゃあまた今度もよろしくね」
やけに満足そうなリアをベッドに降ろすと、少し乱暴に布団をかぶせる。
やれやれ仕方ないなぁ、だなんて言いながら布団の中でもぞもぞ動いているリアはちょうどいいポジションを見つけたのか、気持ちよさそうに眼を細めている。
「次はない」
「お、悪役っぽい台詞だ」
「ホントにないからな。ほらシエ、俺たちも寝よう。明日も学校だし、無かったとしても皆方の護衛はしないとだからな」
「………の——」
「…? どうした? 明日の勉強会のことでもまだ気にしてるのか?」
「え、と。…たし、も……」
「わるい、なんだって? よく聞き取れなかっ——」
「わたしも、おぶってほしい…と。で、でもダメ、ですよねっ。部屋までなんて一分さえかからない距離ですし……」
「———」
「お、シエったら大胆。こんなふうに自分の意見を言うだなんて、成長してくれて嬉しい」
思いがけない要望に一瞬固まる。シエがそんなことを言うだなんて思わなかった。
自分の意見を言うようにはなってきていたが、まさか数メートル先までおぶってほしいと言ってこようとは。
「すみませんヨナギ様っ、では私たちも行きましょう。…この本はお借りしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん、ワタシはもう読み終わっているから好きな時に返してくれればいいよ」
「ありがとうございます。それではリア様、おやすみなさいませ。ヨナギ様も——。ヨナギ様? どうかされたのですか?」
「いや、どうかされたも何も。乗るんだろ? 乗らないってなら別にいいけど」
しゃがみ込んで、シエに背を向ける。いわゆるおんぶのための体勢。後はシエがもたれかかって来れば背負い上げるだけ。
「ヨナー、ワタシの時もそれくらい優しくってもいいんじゃないのー?」
「天邪鬼な奴にはあれでも優しいくらいだ。素直に対応してほしかったらもっと素直に頼んでみろ」
「ぶー」
「ほらシエ、乗らないのか?」
「は、はわわ…っ。まさか本当にしていただけるとは思わなかったので心の準備が…っ」
「じゃあ今日は無しだな。また次の機会にしよう」
シエが無理ならしかたない。さっさと立ち上がろうとした時——
「わわわわ…っ、とぅりゃ!」
「うぉっとと…」
勢い任せに飛び乗ってきたシエを背中に受け止め、バランスを崩しそうにはなったが問題なし。気持ちに踏ん切りをつけされられないかと思っての言動だったが上手くいったらしい。
「す、すみませんヨナギ様…。重たかったでしょうか……?」
「いや、軽いくらいだ」
「ワタシの時にもそういう言葉かけてよー」
「寝てろってば。ほら、電気消すぞ」
「はーい、おやすみー」
「ああ、また明日な」
「お、おやすみなさいませリア様…っ。あわわ、思ったよりも揺れるものなのですね——」
「そりゃあ腕を体に回してないからな。ちゃんと掴まってろ——」
リアに挨拶をして部屋を出ると、気恥ずかしいのか借りてきた猫のようにシエは静かになってしまった。熱くなった額を右肩に感じながら、シエの部屋まで僅か数メートル。
ただそれだけの距離のために自分の意見を放ったシエの変化を感じながら、一分にも満たない移動は終わりを告げる。
ベッドに降ろし、互いにおやすみと告げる。
それ以上に特別なことは無いし、望んだわけでもない。
ただ、シエは本を読み進めるかどうか、誘惑に駆られていたようだが何とか押し殺したらしい。けれどやはり不安はあるようで、俺に預かっていてほしいと渡された。
一人になった自室、渡された本を見てみる。
タイトルは『ワタシの好きになった人』
シンプルだし、それだけで恋愛ものだということは分かった。そうなるとますます俺は興味のないジャンルだ。他人の、それも物語の中の架空人物。そいつらの恋愛模様など気にしていられない。
「シエも女の子ってこと、か?」
パラパラと適当にめくってみると、歯の浮くようなセリフともったいぶった描写が目を引く。静かな部屋に呼吸音と頁をめくる音だけが耳に届く。
「………」
ペラリペラリと、淡々と読み進める。
喜怒哀楽が呼び起こされるわけでもなく、淡々と物語が進む様は端から見ればつまらない光景だろう。この本を気に入っているシエの前では見せられない姿だ。
(…別につまらないわけじゃないんだけどな)
登場人物の内面や、それを踏まえての行動は理にかなっていて、それでもなお各人物の精神性が反映された非効率的な行動は人間臭い。
そういった部分が共感を呼ぶのだろうし、感情移入できるからこそ人に愛される物語なんだろう。
——けれど、やっぱり俺に読書は向いてないらしい。
「時間がある時の暇つぶしが関の山だな…」
本を閉じて机の上に置くと、電気を消して布団をかぶる。
目を閉じるとすぐ眠気が襲い、俺は抵抗することも無く受け入れた。意識が暗闇に落ちる寸前に一つ理解した。
(そうか、リアの言ってた暇つぶしってのは、こういうことだったのかもな——)
一人静かに、黙々と本を読み続けていた少女は、今も一人で本を読んでいる。俺たちと話すときはずいぶんと楽しそうにしているのも、普段寂しがっていたりするのだろうか。
(それなら、そう言ってくれれば俺ももう少し——)
俺は最後に何と思っていたのか。朝になった時には思い出せなかったがまあいい。どうせ俺もアイツも素直じゃないんだ。なら、素直じゃないなりに付き合ってくだけだ。
「あ、おはようヨナ。今日も寝ぐせが可愛いね」
「……」
「おや、まだおねむかな? ほうらおいで、学校休んで二人でのんびりするのもいいかもだ」
「アホ言ってろ、暇なら本でも読んでればいい」
「…むぅ、ヨナったら素直じゃないなぁ。折角甘やかしてあげようかと思ったのに」
「また今度にしてくれ…。暇つぶしに読む本が無くなったって言うなら考えてやるから」
「……ふむ、そっか。うん、ならその時にお願いしようかな。ふふっ」
「そうだな、その時になるようなことがあったらな」
「朝食の用意が出来ました。お二人とも席におつきください」
心なしか嬉しそうなリアを横目に席に着くと、シエお手製の朝食を運んでくれた。
朝、寒さを感じつつも穏やかな時間はゆっくりと流れていき、ここ最近食べた朝飯の中では、ちゃんと美味しいと感じることができた。
「さて、今日は勉強会だ。二人の頑張りを期待しよう。もちろん教える側のアヤネにもね」
「……ハイ、ガンバリマス…」
「ああ、まあそれなりに」
現実からは逃げられない。
シエはどこか遠くを見つめながら自分の用意した朝食を淡々と口に運ぶ。
その姿は機械的であったものの、よく考えると食事の時はいつもあんな感じだった気がする。その証拠に俺たちより量が多かったのに既になくなりかけている。
「べつに暴飲暴食、じゃないのが凄いところだな」
「年頃の子は一杯食べないと。ほらヨナも量が少ないんじゃないの? 私のを上げよう」
「普通だろ、そういうお前は押し付けようとするな」
「……勉強、頑張らなければ…っ、はい……。ぅぅ…」
朝食はいつもより賑やかに進んで行った。ただ心の持ちようを比較するなら高低差は非常に高かったが。
「…悪くない」
家を出る時、玄関で思わず口をついた言葉はきっと誰にも聞かれることは無かったろう。
けれど、そう感じることができる心を与えてくれた彼女は此処には居ない。これまで手を伸ばし続けても届かなかった結末を、次こそ手中に収めるために。
「——よし」
閉じた瞳と扉を開く。その先で待っていたのは一人の少女であり、俺たちが護らねばならない相手だった。
・シエの読んだ小説
どこにでもあるような王道、身分差のある男女が駆け落ちして幸せになるという内容。
シエ自身は従者として一線ひいている部分があるので、心を打たれてしまったのかもしれません。
・リアの絡み
基本的に夜凪へのメンタルケア目的が4割、構ってほしいのが6割です。




