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四方総界縁起  作者: くろよ よのすけ
37/100

37.目覚める①

2章スタートです。よろしくお願いします。



 いつも彼を見ていた。この胸の内に抱き留めていた。


 もうどこへも行かぬよう、なにものをも傷つけてしまわぬように。


 けれど、その手を振り払って前へと進み続けるのだ。


 追うことはしない。追いかけるには私は遅く、彼は速すぎたから。


 だから、暗闇の中にいる彼に何度も呼びかけたのだ。


 孤独を埋めるように、寂しさを隠すように。


 振り返ることなく進む彼の歩み、進んだ先の背中は憎悪を強く背負っていた。


 それ以外の何をも持たぬから。


 大切な物一つ持ちえないから。


 止まるわけにも、止めるわけにもいかないから。


 だからまだ、終われない。始まってもいない。


 ここで足を止めれば、終焉以外何一つ得ることは無い。


 でもまだ少しだけ、始めるわけにはいかない。


 かならず、終わりを始める夢を打ち立てなければならないのだから。


「——もう…少し」


 廻る狭間の夢の中、灰色の世界に意識は沈んでいく。

 回帰の最中で見た懐古の記憶と共に。


  □ □ □


 昔から、夜は好きだ。

 “あの少女”をこの腕に抱き留め、手を離したあの時から。

 血に塗れ、名を持たないと言った少年を名付けたあの時から。

 何一つ変わることなく。


 世界の楔は消え去って、だからこそ世界が崩壊するのは当然の帰結だった。

 天も地も、何もかもが崩れ落ちる光景はまさに終焉。

血に塗れた少女の亡骸は光に溶け落ちて消えた。ここに残ったのはワタシと彼だけだ。

『………』

『大丈夫? 辛いなら話し相手になるよ』

『今更だ。…悪かった、汚れ役を買わせたみたいだ』

『そうでもないよ。ま、彼が来るとまでは思ってなかったし仕方ないかな。ただもう、ワタシは半ばリタイアかな。今のところ渡すべきもは渡せたし。…残りは次の内に完全に渡せたらいいんだけど』

『いい、必要な分は全部もらったようなもんだ。後はもう…お前は、いつも通り過ごしてればいい』

『そっか…、じゃあ、お言葉に甘えようかな……。あの子によろしく』

『……ああ…、次会う時は…いや、いい』

『なんだい、気になるな』

『………』

『きーにーなーるー』

 視界に映る全ての遠近が分からなくなるほど白く染め上げられた空間において、アチラとコチラを証明するのはワタシたち二人の存在だけ。

 そんな世界で息をつき、白い空を見上げた彼の背は酷く小さく、寂しげに見えた。

 だから彼の伝えたいことは分かっていたし、むしろワタシからすれば分からない理由がない。

彼は誰よりも大切な——。

『…俺を、—————』

『…うん、当たり前さ、例え世界が滅びようとも…、なんてね。ほら早く行ってあげないと。きっと寂しがってるよ』

 正直、言葉として耳に届きはしなかったけど何を言いたかったかくらいは分かってる。

『ああ…』

『ああそうだ、ヨナ』

『…ん?』

『——いってらっしゃい、またね』

『——、……ああ。行ってくる』

 ヨナが消えると同時、この空間も限界らしくて光に包まれて消え去っていく。

 それは無論ワタシも同様で、一人取り残されたとはいえ光に包まれた視界では自分の指先さえ見ることはできなかった。

 世界に溶け落ち、編み直される。この光景を、彼はどれほど見てきたのだろう。

「でも大丈夫、もうすぐだよ。もうすぐ終わらせられるから」

 一見幸福な悪夢を見続けてきたから、いい加減夢を見ることなく眠れる日が来てもいい筈だ。

疲れ切った戦士に与えられて当然の権利を、一度も受け取ったことがないのだから。

だからせめて目覚める時の夢は幸福でありますように。

 この場における願い事。神様なんてものをあてにしているわけではないけれど、祈るくらいは自由だろう。

 

美しい金の髪に純白の輝きを反射させながら、目を閉じて静かに祈り続ける一人の女。

 その姿はきっと、何者よりも純真であり美しいと形容できる存在であった——。


 そうして、世界は巡る。

 始まりと終わりを繰り返しながら、誕生より今に至るまで揺れ続けるゆりかごで眠る存在を目覚めさせないために。



  □ □ □


 凍結した時間は世界の再構成とともに動き出し、手足に血が通った感覚で目が覚めた。


「んー……っ」

 ふとしたきっかけがあったみたいで、いつもは朝までぐっすりなのに目覚めたのは深夜も深夜。時計を見ると案の定短い針は3を指し示していた。

「ここは…、ああそっか」

 何となく部屋の中が見慣れないような気がしたけど、何度か瞬きをするうちにその違和感も消え去った。

「それにしてもずいぶん殺風景だなぁ、まあ…いっか、朝まで寝よぅっと」

 色の無い部屋はワタシの趣味じゃないけれど、ま、別にいっか。すぐになれるさー。


 “生まれてからこれまで、ずっとここで寝起きしてきたのだから”


「む…? おやいけないいけない、寝ぼけてるね。さて、ねよねよ」

 

 ゆっくり手足を伸ばして体をほぐしつつ、ベッドで横になる。

 気温は程よく涼しくて、シーツにくるまるだけで夢心地。あとは身体の力を抜きつつ、呼吸に意識を集中していればまたすぐに夢の中へ。

「………」

 夢の——…

「…………」

 なかに——……

「ん…だめだ、目が冴えちゃった。仕方ないな……」

 記憶には色濃く残っているものの慣れない風景に、心と記憶が齟齬を生じていてどうにも歯車がしっくりこない。

 とはいえ起きるつもり何てサラサラないので体を起こすことはせず、シーツを抱きしめつつゴロゴロしてみる。ワタシは眠れないからと言って他のことをするほど殊勝じゃないのさ。

 興味を引くものがあれば別だけど、“記憶”的にはあまり問題もなさそうだし。

 まあ一つ問題があるのなら——。

「んーー、眠れないのもそれはそれで……」

 眠るためにゴロゴロするというのは想像以上に退屈ということだった。




  □ □ □


『リア様へ

 おはようございます。

 きちんと挨拶をしておきたかったのですが、今日は早くから学校へ向かわねばならず、よくお眠りでしたため書置きで失礼します。

 ただ、お昼過ぎには戻りますので、お昼ご飯は御心配なさらず。

 朝ごはんは机の上に置いてありますのでお食べください。 シエ』

 

 気付いた時には深夜の二度寝は成功したのはいいけれど、目覚めたのは朝というより既に昼前。

 歯磨きとブラッシングだけはさっさと済ませてリビングに向かうと、机の上に置かれていた一つのメモを見つけた。少し歪ながらも可愛らしい文字で書かれていて、急いでいたのだろうということが分かった。

「んーっ、良く寝た。ちょっと寝すぎたかな…? まぁいっか、怒ってくる相手もいないしねー」

 テレビの電源を入れつつ、用意してくれていた朝ごはんを電子レンジへ。

 ふふんっ、あの子たちはワタシのことを御飯ひとつ温めることも出来ない、だなんて思ってるかもだけど、別に一人でもこれくらいは出来るのさ。

「流石のワタシもこれくらいできないわけないからね——、あれ?」

 電子レンジのスイッチを押しても反応がない。

 力加減か、角度のせいか。何かが悪くて温められない。

「むむ…、これじゃ冷たいごはん食べることになってしまう。肌寒いくらいなのにな…」 

 外からは空っ風が吹く音が小さく聞こえていて、家の中も煖房をつけようかどうか悩み始めるくらいの気温。上着では少し心許ない。

 庭の端には集められた落ち葉が山となっていて、秋の深まりを感じさせてくれた。


「うんうん」

何となく、何の気なしに情緒を感じていると、その奥から一人の少女の姿が現れた。

「うん?」

 目の前に建っている自分の家に戻るだけなのに、周囲をキョロキョロと見回す姿は不自然だ。まるで何かを捜しているみたい。

「おや…、なるほどなるほど。どうりで姿が見えないと思った」

 この家に彼がいた覚えがなかったことに疑問さえ覚えなかったが、一度認識すれば疑問を疑問として受け入れることもできる。

 そして、今回の疑問を自分の中で納得しつつ、いまだ何かを捜している彼女の元へと向かう。


「へくち…っ、んー……今日は一際寒いなぁ」

「やぁ彩音、学校の帰りかい? おや、冬服もよく似合ってるね。かわいいよ」

「わ…っ。あ、リアさん。ど、どうもこんにちは」

 そこに居たのは皆方彩音。俗にいう”お隣さん“の一人娘だった。


「はいこんにちは、寒いなら上がっていくといい。ちょうど一人で暇してたところだったし、あの子ももう少しで帰ってくると思うよ」

「そう、ですね。じゃあお言葉に甘えちゃおうかな。きっとリアさん困ってるでしょうし」

「む、そ、そんなことはないよ。彩音もワタシを甘く見すぎなんじゃないのかな。いくらワタシだって電子レンジくらい——」

「ああ、今日は電子レンジですか。この前はトースターだったから少し成長ですね」

「ふぅん……? あははー、そうだったかなー」

「そうですよー」

 ふふふー、と笑いながら靴を脱ぐ彩音は実に普通の女の子で、ワタシの知る一人の少女と何も変わらないように見えた。

(分かってはいたけどやっぱり、だね。…覚えられていても困るのだけど)

 首元をさすりながら彩音と共に電子レンジ前へ。件のこの子は今なおうんともすんとも言わず、沈黙を保っていた。


「やっぱり故障だったりするのかな。スイッチを押してもつかないんだ」

「これあれですよ、安全の問題で蓋をちゃんと閉め直さないとスイッチ押せなくなってるんです。ほら、ディスプレイが光ってないでしょう?」

「へぇー、そんな作りになってるんだね。流石彩音、博識」

「そ、そんなことないですって。なんだか照れちゃいますよ」

「いいんだよ、褒められて照れてる彩音も可愛いから。そんな姿ならもっと一杯見て見たいな」

「もうっ、いつもそんなこと言ってるんですか——あれ?」

「うん? どうしたんだい?」

「つかないですね、これ」

「…こしょう、かな」

「……故障かも、しれませんね」

「「………」」

 二人して電子レンジを睨みつけていてもうんともすんとも言ってはくれない。

「こう…叩いてみたら何とかなったりしますかね…?」

「なるほど、そういうのはテレビで見たことがあるよ。確か叩くときの角度がモノを言うはずだ」

「ああいうのって故障に手慣れてるお母さんとかが一発で決めちゃうんですよね。つまりは経験…、何度か試してみますか」

「よし…、順番に行ってみよう。なぁに、どうせ壊れているなら遠慮はいらないさ。ダメで元々、やってみてから諦めようじゃないか」

「そ、そうですね。じゃあやってみますね」

「よし行くんだ彩音。彩音なら一回で決められるさ」

「は、はい…っ」


 神妙な面持ちで電子レンジの天板にチョップを叩き込もうとする女が二人。その理由を知らずに見る者がいれば、きっと大変なことが起きたのだろうと唾を呑みこむほど。

 ただしかし、そんな大層な理由など欠片もないわけで。

「よぉし…、せーぇの——っ」


「リア様、ただいま戻りました。おや、アヤネが来られているのですか?」

 手刀が直撃する寸前、玄関ドアが開き一人の少女の声が響く。そうか、もうお昼過ぎだものね、予定通り帰ってきてくれたみたいだ。

「あ、シエ。ちょうどよかったぁ、シエなら角度分かったりしない?」

「角度…、ですか?」

 ゆっくりとリビングに戻ってきたシエの手を、反対にパタパタと駆けよっていった彩音が引っ張ってくる。

「ちょうどいいところに帰ってきてくれたよ、さすがはシエ。何時だってワタシの必要な時にやって来てくれるね。エライエライ」

「わわ…っ、そう髪をわしゃわしゃと——、ひゃぅ…」

両手でシエのふわふわとした髪の感触を楽しんでいたけど、本題を思い出して道を空ける。

「そうそう、電子レンジだ。どうにも調子が良くないみたいでね、シエなら何かわかるんじゃないかと思ったのだけれど」

「そうなのですか? 朝は問題なく扱えたかと思ったのですが…」

「へぇ、じゃあやっぱりリアさんが変な使い方しちゃったとかかな」

「おやぁ彩音、そんな言い方するような悪い子だったのかい? ワタシ、悲しい」

「はいはい、実はそんな子だったのです。だからリアさんが倒れても肩は貸せませんよ」

 よよよ、と泣き崩れてみるけど彼女も慣れてきているのか。あっさりと受け流されてしまった。うぅむ、残念。

「あ、やはりちゃんと点きますね。問題はなさそうです」

「え」

「あら?」

 シエの方を見ると確かに、駆動音を鳴らしながら中身を温め始めた電子レンジの姿。これはアレかな、シエじゃないと使えないような仕掛けが施されていたりするのかな?

「あれ、どうやったのシエ。さっきは何度やっても上手くいかなかったんだけど」

 中身を覗き込みながら訪ねる彩音は手を顎にやって首をかしげている。対するシエは全く心当たりがないのか、自身の行動を思い返すために首をかしげていた。

「どうやったと尋ねられても、電源を入れてスイッチを押しただけなのですが…」

「うぅん、そっかぁ。じゃあやっぱり蓋の締め方が甘かったのかなぁ」

「ですが問題なく使えはするようですし良かったです。そうだアヤネ、お昼はもう済ませましたか? 今から作りますので一緒にどうでしょう」

「えっ、いいの!? ヤタっ、シエの作る御飯は美味しいから是非お言葉に甘えちゃおうかなー。あ、もちろんちゃんと手伝うよ」 

「はい、ありがとうございます。ではエプロンを用意しますので——」


 仲良きことは美しきかな。

 ワタシはワタシで朝ごはんの分を食べなければならないけど、元々朝に食べる量は少ない。多めのお昼ごはんと思えば問題もなさそうかな。

「ふぅん……」

 こうなるともうご飯ができるまで動けない。いつも通りソファに横になると腕を上げて背中を伸ばす。

「それにしても——」

 なんで電子レンジがつかなかったのかなぁ。なんてのんびり考えてみると、ふとソレっぽ答えを思いつく。

(………電源、差してたっけ?)

 そういえば、差してた、かなぁ? 

 自信が持てない。それにシエもさっき『電源を入れて——』なんて言ってたし、考えられる理由はそれくらいで——。

「あははっ、やっぱり家電も丁寧に使ってくれる人じゃないと嫌だったりするのかな」

「どのような道具であれ、きちんと使えば成果を返してくれます。それにいつも使うものはやはりちゃんと扱うべきかと」

「その通りだねー、私はまだ懐かれてはないみたい」

「いえいえ、この電子レンジもすぐアヤネに使わせてくれますよ。大丈夫ですっ」

「そっか、そうだと嬉しいなー。ふふっ」


 楽しそうに話す二人の間に割って入るのは気が引けた。

その上、内容も『コンセント抜けてたと思う』だなんて恥ずかしい。

「………」

 ワタシは、何も気づかなかった。そういうことにしておこう。

 こんなだらけてばかりに見えるワタシにも、守るべき最後の威厳と言うものは在ったりするのだよ……。

「ふっ…」

 窓際まで行くと、窓枠に手を置いて一人笑う。

 そう、世の中には知らないままの方が幸せなことだっていくらでもあるのさ。

(また、皆の幸せを守ってしまった…。ワタシはなんて罪な女だろうか)

「んー、微妙」

 何となく黄昏てみたけど、何とも言えない虚しさが残ったから止めておこう。逆に傷口を広げかねない。

 そうしているとワタシを呼ぶ声がキッチンから。


「リアさーん、食器出してもらったりできますかー?」

「い、いえアヤネ。リア様にそのようなことはさせられません。構いませんよリア様、シエにお任せくださいっ」

「ダメダメ、ちゃんと働かないと。きっとついさっきまで寝てたようなものだろうし」

「い、いえいえですがリア様にそのような雑務をさせるのは大変申し訳がないと言いますか…っ」

「ふふっ、構わないよ。どれを持っていけばいいのかな?」

 あたふたするシエを愛しく思いながら、皿に盛りつけられた炒め物に手を伸ばす。

「ワタシもお腹が空いてしまってね。手伝えば早く食べられるし、二人と一緒にご飯を食べられるならこれくらいどうってことないさ」

 それに、今日はなんだか気分がいい。

 きっともっといいことが起こるって予感がするんだ。

 その幸福を受け止める為にも、お腹を空かせたままなんてもったいないし。なんてね。


 簡単な配膳もすぐ終わり、三人そろって席に着く。

「じゃあ、二人が作ってくれた御飯だ。感謝していただこう」

「どうぞどうぞ」

「では——」

「「「いただきます」」」

 明るい声を身に受けると、やっぱり今日は良いことが起きるような気がする。

(そろそろ、帰ってきてくれてもいいくらいだからね。元気だと良いのだけれど)


「あ、あのそういえばリアさん」

「どうしたのかな彩音、聞きたいことがあれば何でも聞いてくれていいよ。あ、このイワシ、焼き加減が絶品だ」

「ありがとうございますリア様、喜んでいただけて良かったです。ただ、その魚はアジとなります…」

「そっかー、アジかぁ…ー」

「ももも申し訳ありません、わざわざ訂正する必要もないことを…っ。出過ぎた真似をしてしまいました……」

「ううんいいのさシエ。例え魚の種類が何であれ、シエが美味しく作ってくれた食事に何の文句もありはしないからね」

「リア様…っ、そのようなお褒めの言葉をいただけるだなんて、とても嬉しいです…」

「ふふっ、このくらいの言葉でシエを喜ばせることができるならいくらでも喜んでもらえるね。ただ、シエにはこの程度で満足できるほど安い女にはなってほしくないな。もっと素敵なレディとして——」

「あの…リアさん、もういいでしょうか……?」

 おずおずと手と声を上げる彩音は呆れ気味にこっちを見ていた。うん、やっぱり彩音は彩音だね。

“再配置”によって少し変わったようにも見えたけど、本質的には何も変わっていないと今のやり取りだけで良く分かった。


「ああ、それで質問、だったね。ゴメンゴメン、シエがあんまりにも可愛いものだから」

「もうっ、リアさんったら本当にシエのこと大好きですね。いえ可愛いのは私も思いますけど」

「かわいいなどと…そ、そのように褒められるのはなんだか、そのう……」

「うん、そういうところだね」

「裏のないところが良いですね」

「分かる」

「も、もうおよしください……」

 ワタシたちを静止しながら、チビチビとご飯を口に運ぶ姿は照れ隠しにもなっていない。なんたって雪のように白い肌が赤く染まっている。

「あはは、ごめんねシエ。ほどほどにしておきますっ。それでリアさん、…えぇと、そのぉ…? たしかもうそろそろ、ですよね?」


 “もうそろそろ” 

 その言葉の意味するところは分かる。不思議と分かってしまう。そして、選ぶべき言葉の正確性も何一つ間違えることは無い。

 決まり切った運命と呼べる流れそのもの、その予定調和にちょっとだけ反抗してみる。

「はて、何のことだったかな? 何か特別なイベントがあったろうか」

「リアさん…絶対とぼけてるでしょ」

「えー? まさか彩音に対してそんなことしないさ。ああでもそれって——」

「はい?」

「さっきこの家の前でキョロキョロと何かを探してたのと関係があったりするのかな?」

「げほっっっ!!」

「ああっ、アヤネ! いま拭くものを!」

「だ、大丈夫、ダイジョブだよシエ。ティッシュで十分だから…」

「は、はいっ。ではすぐに…あぁっ! ちょうど箱が空に! すぐ控えをお持ちしますから少々お待ちを——!」


 慌ただしく物置に向かっていくシエを見送ると、彩音が唇を突き出しながらむすっとしていた。

「リーアーさーんーっ!」

「ふふふ、ゴメンね。まさかそこまで慌てるだなんて思わなくって。でも、そんなに楽しみにしてるだなんて。あの子もきっと喜んでくれるんじゃないかな」

「そ、そうですかね…? 直に会うの久しぶりなので、その…、ちゃんと覚えててくれるかなぁ…、なんて思ってたりしたりしなかったり…」

「大丈夫。あの子はそんなに薄情な子じゃないよ。一度会いさえすれば昔のこともすぐに思い出せるさ。なんたって——」

「? どうかしたんですか?」

 不自然に途切れた言葉に心配してくれたのか、覗き込むようにしている表情は少し眉を寄せていた。

「いいや、何でもないさ。ただ…そう、言葉が出てこなくって。だから心配しなくっても大丈夫。ワタシのことだけじゃなくって、あの子…ヨナのことも。

なんたって二人は——、“幼馴染”なんだから」


「です、よね…っ。流石の夜凪くんも、隣に住んでる幼馴染の事、そんなあっさり忘れちゃったりだなんてしないですよねっ」

「うん、もちろんさ。もし本当に忘れちゃってたら、頭を叩いてでも治してあげないと」

「電子レンジみたいに、ですか?」

「ハハ、さっきのは未遂に終わったけどね。でもそうだね、ヨナの頭が電子レンジより単純そうなら、そういうのもいいかもしれないね」

「あははは、確かにそれもそうですね。レンジよりも複雑…、だといいんですけど」

「複雑なら複雑で叩いた衝撃でダメになっちゃうかもだ。うーん、力加減が難しい」


「アヤネ、ティッシュお持ちしました。どうぞ使ってください!」

「ありがとーシエー。やっぱりシエみたいないい子が各家庭に一人いてくれれば世界も平和になりますよ。家事だとか以前に癒されます」

「おや、スカウトかい? ダメダメ、シエはあげないよ。あ、でもどうしてもって言うならヨナの方を諦めてもらうなら交渉の席につくくらいなら——」

「り、リア様っ!? 私…、何かご無礼を働きましたでしょうか……っ!?」

 ティッシュ箱を持った手をワナワナと震わせ、心無しか顔から血の気が引いたシエの姿は子犬をいじめているような罪悪感を覚える。

「あはは…、でもやっぱり本人の方がダメみたいですね。リアさんの傍を離れたら何も手につかなくなっちゃいそう」

「いやいや、シエを甘く見てもらってはいけないね。…ワタシだけじゃなくヨナが相手でも一緒さ」

「それ、訂正できてませんよ」

「そのつもりが無いからね。さ、御飯が冷めちゃうから一番おいしいうちに食べてしまおう。ヨナも、もうすぐ戻ってくるだろうから、その時はまた一緒にご飯にしよう」

「はいっ」

 嬉しそうにはにかむ彩音の姿は、心からヨナに恋してるのだと分かる。その気持ちを応援してあげたいのも山々だけど——。

 

(これから先、どうなるものかな)

 そう易々と進んで行けるほど、相手も優しくない。だから、そう——。

「とりあえず頑張ってみよう」

「頑張る、って、なにをです?」

「ん? そうだね、…告白、とか?」

「げっほっっっ!?」

「アヤネ!?」

「アハハハ」

 久しぶりだけど久しぶりじゃない、レディ三人での食事はやっぱり楽しいものだ。

 今のワタシでは状況を把握できない部分も多くなってしまっているけれど、それでもこの瞬間の幸福は間違いないものだと、胸を張って言えることだった——。


 けれど、三人ではやはり足りない。あの子が、ヨナがいないとどうにも寂しいから。

 あの子との再会は遠くないとは分かっていたけれど、居場所も分からず待ちぼうけというのは中々気が急いてしまうものだということを実感させられた。


 戻ってきたら抱きしめてあげて、その後ゆっくり話をしよう。

 あの子はきっとそんな場合じゃない。だなんて無愛想に答えるだろうけど、その時間はきっと何よりかけがえのないもののはずだから。



  □ □ □


 狭間の白を抜けた先、月の光がない夜闇の中。ただ一人、少年が剣を振るっていた。


「ぐぁっ!」

 短い断末魔は名も知らぬ男のものだったが、その正体は知っている。姿からして隠す気もないのだから容赦もいらず、俺にとっての世界の始まりはいつもここからだ。


 剣を振るう度に耳に届く断末魔も数え切れないくらい聞いてきた。

 だが、連中は何処から湧いてくるのか。何度切り伏せようが新たに現れてくる。

「………」

 いい加減に飽き飽きしてきた。

 徒労も徒労、生え続ける雑草の根本が処理できないのだからどれだけ処理しようとも増えるのは道理か。

「ぎぃゃ!?」

「……」

 闇に紛れた、背後からの不意打ちを見ることなく処理したのを最後に襲撃者の気配は消え去り、闇の中にただ一人残された。


「……嫌になる」

「それはナイギの雑兵にか? それとも己の役割を果たそうとしない自分自身にか?」

「……、見てたなら手伝ったらどうだ。じゃないなら皆方の方へ行っていればいい」

「彼奴らを始末するのはお主の役割であろうよ」

 酷く落ち着いた、ともすれば人形の様な冷たさと高貴さを内包した声色。それは興味なさげに掛けられ、発生源は俺の死角からだった。

 存在の欠片さえ気取ることができないほどの気配遮断。

 『四方界』さえ満足に使用しなかったナイギの雑兵との戦い。とはいえ戦闘である以上、意識は全方位へ向けられていたというのにだ。


「今ならわれが見ておらずとも問題あるまいよ。それよりもだヨナギ、いい加減主と従者の元へ向かったらどうだ? 今回、目覚めてからと言うもののナイギ狩りしか行っておらんだろう」

「俺はいつもここからなんだよ。それに侵攻してきてる以上、対処しておかないと後が面倒だ。外来種であろうが疫病であろうが、初動をしくじれば結果は目に見えてる。街に俺がやってたような方陣組まれでもしたらどうする」

「そうなったらそうなったときに対処するのがお主の役目よ。吾の管轄ではないな」

「…そうかよ」


 倶利伽羅の具象を解くと、右腕に『界燐』として取り込む。ジン、ユーリとの戦闘を経て剣での戦闘感覚も戻った。

 槍の方はシエの魂を必要とする以上、どうしようもない状態でない限り扱うことも無いが、シエの魂を扱う以上使うつもりはもとよりない。

 それでも倶利伽羅を十全に扱えることができれば、それなりに戦うことも造作ない。


「じゃあな、ついてくるつもりならやめろよ」

「吾の話は終わっておらぬ、どこへ行くつもりか」

「…お前の言う通り家に行くんだよ。ナイギ共を処理してたのは夢見が悪くて早く目が覚めたからだ」

「なるほどの。リアの目論見はひとまず成功というところか。そういうことなら構わんが、あの子とはどうするつもりだ? これまでのように知らぬ振りも上手くはできんだろう。完全に記憶があるというのも困りものよな」

「やかましい、お前だって似たようなものだろ。…皆方とのことは、上手くやるさ。どうするにせよ、ナイギの侵攻もこれまでより増えてる。俺が目覚める前より以前にこの世界に出てくることは今まで一度も無かったんだ。あっちもあっちで本腰を入れてきたらしい」

「もしくは、世界の境界が歪み始めているか」

「……」

 重大なことであるはずのことを、何ともないように口走る女。死角に立たれている以上、姿を見ることはできないが、声色のとおりに何の興味も無さげに空でも見上げているんだろう。


「なら両方、いやアイツが勘づいたからこそ早まって来てるんだろうさ」

「アイツ…、ああレイガン殿か。なるほどな、前回は自らはせ参じられたか。聡きお方ゆえな、これまでの諍いを元に疑念のあった要素を潰しにきたということか。…で?」

「なんだ、聞きたいことがあるならハッキリ言え」

「“前回”、その刃は届いたのか? そろそろいい加減、腕一本を落とすくらいの戦果を聞いてみたいものだ」

「前回の事なら出会ってすらない、戦い以前の問題だ。第一、ユーリに手一杯だった。どうあがいても勝負にすらならん」

「嘆かわしい」

「言ってろ。そもそも、お前の方は覚えていると言っても完全じゃないだろう。前々回のことだって覚えてるのかも怪しい。何度かそういう事もあったかもしれないが、お互い忘れてるんだ。そんな奴が戦果を聞きたいって言ってもな」

「覚えていないのは興味がない故よ。“記録”はとっておるし、吾にとって重要なことは欠片も失わず覚えておる」

「記録を取ってるならもう少し活用したらどうなんだ。紙に書いてるだけじゃ何の意味もない」

「ふぅむ、まあそれもそうか。確かにそれは否定せんよヨナギ、吾が比較的明瞭に覚えていられるのは“現在”と“前回”だからな。それ以前であれば記録を漁らねば霧に覆われていて断片的にしか思い出せぬ。それも一枚絵を見ているようなものだ。そこまでの過程や結果までは何一つ、だ」

 だからどうした、とでもいうようなおどけた声を上げた女は聞きたいことは聞けたのか、消し去っていた気配を朧気ながらに表出させ、木の枝から飛び降り着地する音が聞こえてきた。

「ではなヨナギ。レイガン殿が動き出したというのなら、遠くない内に会うことになるであろうよ。その時手を貸すかどうかまではその時次第であるが。巫女を泣かせるでないぞ。その時は射殺す」

「ふん」


 言いたいことを言うと、木の葉を踏みしめる音が遠ざかっていく。だが、コチラとしても話がないわけじゃない。

「あのボンクラはどうしてる。ユーリはともかくあの馬鹿はまだここに居るはずだろ」

「おや、気になるのか? 教えてほしければ——、いや別に隠すほどの事でも無し。ああ生きておるよ、その内にお披露目してやろう」

「手を焼いてるかと思ったが」

「ふむ、頑固な所などは実にレイガン殿に似ておる。躾け甲斐があるというものよ」

「そうかよ。分かった、俺から聞くことももう無い。行くなら行け」

「ではそうさせてもらおう。しかしヨナギ、最後に一つ聞いておこう」

「ああ」

 薄い殺意、それも気配を殺しているからこそのものだ。抑えているものが漏れ出している以上、多少のという言葉では済まない。

「“此度”の皆方彩音、どうするつもりだ?」

「それなら現状リアに任せてある。俺が何かするってことは今のところ無い」

 薄らと、背に漂う殺気。それは何より大切な宝石を穢されようとすることを予感しての事か。

「そうか、リアに、か。……いいであろう。しかし忘れるな——」

「問題ない。皆方は守る」

「………」

「行けよ、お前にはお前の役割があるだろう。用が出来たらまた来ればいい」

「……、ふん———」

 最後は悪態をつくことも無く、風に漂う殺意のみを残して姿を消した。ともすれば気配を殺し、背後へとついているのかもしれないがわざわざそうする理由もない。

 彼女は事実、皆方が無事で幸福であればいいのだから。その前提を粉々に破壊されることが無ければひとまずの問題はない。

「さて、行くか。家の場所が変わってるのは…、まあ仕方ないな」


 足元に転がる死体に微塵の感情を抱くことなく、少年は己の家に向かって歩き始める。

 戦いが激化するであろう暗い未来に向けての始まりだが、何もかもを諦めるつもりは無い。出来ることはあるはずで、そのための準備と仕込みは続けている。

今回で終わらせることが出来るのならば、この身がどれほど朽ち果てようとも構わない。そんな、数え切れないほどに積み上げられた想いが、カミサマにでも届けば叶うのだろうか。

バカげたことを考えながら、帰るべき場所へと歩を進めていく。


前回のバッドエンド的な幕引きから、何事も無かったかのようなスタートとなりますが、ここから今までそれっぽい台詞で済ませていた世界のルールに触れていくことになります。


特に死亡したはずの皆方については『巫女』とは何か、という部分にもつながるのでようやく触れることができます。相も変わらず説明が遅いですね、すいません。


ちなみに、ここからのヨナギのテンションが素の性格に近いです。



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