36.暗天の星空
空を見上げていると、泡のように考えが浮かんでは、弾けて消える。
そんなことを何度も繰り返しながら、瞳を閉じることもできずにただただ空を見上げていた。
「……覚悟、か…ぁ」
オレは、オレなりに覚悟を持って戦ってきたつもりだ。
あの子たちの為、ナイギのため、崩界のため。
まったくどうして、似合わない役目を押し付けられたものだとガキの頃から辟易としていたが、それなりに頑張ってはいた。態度はあれだったが。
「でも——、そんな程度じゃ足りないんだな……。気づいていれば、結果も変わってたのか?」
空に浮かぶ月へと手を伸ばす。
頭と口以外に唯一動いてくれる左手は月光を遮って、地に堕ちた。
「ああ———、なんだ…。ったく、………死ぬのかな、オレ」
動くのは頭と口だけになってしまって。
そのほかは機能停止で、頭の方ももうじきだというのは何故だか良く分かった。
打ち負けたのだ。ヨナギの……いいや、ヨナギとシエちゃんの力によって。
聖槍は氷剣を正面から砕き切り、オレの心臓を寸分違わず貫いた。完膚なきまでの敗北。結局、オレの覚悟というのは二人に及ばなかったということか。
そして現在、聖槍ではなく倶利伽羅を以って地面に縫い留められた身体。
これまでどんな傷を負ってもたちどころに治っていたのに、今回は流石にダメらしい。
「痛くもないが、…動かねえなぁ……」
これまで、このくらいの傷なら負ったことは何度もある。それこそシエちゃんにもやられたしな。でも、その時と比べると事情も変わってくる。
暖かでありながら不浄一切消し去ろうとする焔熱の輝きは、オレの肉体を内側から滅殺しようと今なお稼働している。
「ハハハ…ホント、シエちゃんには嫌われたもんだな……。次が…ある、なら……もう、少し……」
けど、痛みはない。母親が子を眠りにつかせるようにただ安らかに、穏やかな気持ちさえ湧いてくる。これも、きっとヨナギの優しさなんだろうさ。
「ゴメンね、謝ると、ヨナギに怒られるだろうが——」
そして、自身のせいで命を賭した少女へ言葉を。
「………」
——なんだか、眠いな。
死ぬってのは、こういう感じなのか? 痛みには慣れていたけど、なんだか実感が湧かない。
心残りは当然、屋敷に置いてきた女の子達のことだが、まあみんなはたくましいから、オレがいなくても何とかするだろ。
わざわざ伝えたりなんかしないで、ヌイちゃんも来ないように手を回しておいた。一応何人かには居なくなった時のことは伝えてあるし。ああ、大丈夫だ。
でも、もう一つ。
「…ヨナギ、お前はどこまで……進むんだ?」
従者の死体を連れて立ち去った一人の少年。
不浄灼き尽す剣と、不浄滅する聖槍をその手に持って。一体どこへ行こうというのか。
「——もっと、ちゃん、と……はな、しを——」
眠いね、どうにも。
生まれた瞬間から見守り、加護を与え、寄り添い続けてくれた月光に抱かれながら。
ユーリ・ナイギは、一人静かに眠りについた。
□ □ □
「ハァ……ハァ…っ、シエ、悪いな。ここで、待っててくれ…、すぐ迎えに来る」
「———」
物言わぬシエの身体を、元に戻った芝生の上に寝かせる。
一目見れば生きている時と全く遜色ない彼女の姿は、肢体を失ってなお一縷の期待さえ抱かせるほどに綺麗なままだった。
触れた肌からは冷たさしか感じ取ることはできないが、それでもなお穏やかな表情に見えるのは、決着に対して彼女なりに安心したのかもしれない。
「いや…まだだ」
手に握った聖槍、これはシエの魂を元に生み出した原型。なら、逆も可能のはず。
「——頼む…っ」
『四方界』を解除すると聖槍は光の粒子となり霧散する。そして、その中でひと際強く輝く灰の輝き、シエの魂は己の器へ吸い寄せられるように近づいて行って。
「…………っ、……ぁ」
「——っ! シエ、…良かった……ほんとう、に…良かった」
肉体が凍り付いていたのが幸いだったか。体を動かせはしないが、失血も損傷も少ない。残り時間があるわけではないが、それでも可能性は生まれた。
穏やかに眠る、その表情にほんの少し気が抜けそうになるが、そんなことではいけない。まだ安心などしてはいられない。本来、相手の本命は巫女である皆方。
リアが傍に居る以上、最後の選択を誤ることは無いが、だからこそ時間がないことに変わりはない。すぐに向かわないとならない。
「……行ってくるよ。ゴメンな、少しの間だけ一人で待っててくれ。いったん、終わらせてくるから———」
最後に頭を撫でると痛みで軋む体を走らせる。
もうすぐ今日が、……夏が終わる。
□ □ □
「終わ…ったの?」
遠くから見ても良く分かるくらい大きな剣が街の片隅を破壊しつくす光景。
映画の世界でしか見ることがない筈の異常な世界。だけど、それきり次のシーンは流れない。フィルムが途切れてしまったように、もう何も起こらなくなってしまった。
そして、一番大事な結果。
そのことは、なぜか直感的に理解することができた。
「…夜凪くんが、勝った……」
「……うん、そうだね。ユーリを、倒したんだ」
「——————」
隠し切れない喜びをかみしめるように、小さくつぶやくリアさんは、今まで服の中に仕舞い込んでいた長い金髪を解放して、風に遊ばせる。
横顔は風に流れる髪のせいでちゃんと見ることはできないけど、機嫌がいいことはこっちにも伝わってきたから——。
「……や、った。やったやった、夜凪くんとシエ凄いっ! やりましたよリアさん!」
「うんうん、お祈りが通じたのかもしれないね。さすが私のヨナだ」
「私のって、ああいやいまは良いですそんなこと! それよりどうしましょうっ、迎えに行った方が良いですかねっ!?」
「いいや、ヨナは大丈夫だろうからここで待っていてあげ——」
「? どうしたんですかリアさん、やっぱり二人で迎えに行きますか?!」
突如、眉をひそめたリアさんはこれまで身体を預けていたベランダの手すりに背中を預ける。そして、今まで背を向けていた部屋に向かって声を投げかけた。
「やあ、貴方まで来るとは思わなかった。ううん違うな…、今回は最初から貴方以外が来たから外れてるのかと思ってた」
「……誰、ですか?」
停電のせいで部屋の中は暗闇、今の今まで気づくことの無かった人影はかろうじて見えなくもないけれど、その姿を月明かりだけでは明瞭に見ることはできない。
「……やはり貴様だったか」
男、老人だ。
けれど、その声はしわがれていながら、芯の通った威圧感を孕んでいた。
研いで研いで研ぎ澄まして、いらないものを切り捨ててきた鬼の声。
氷の力で寒さを感じるのとは違う。心臓に刃を当てられたような末恐ろしさを感じる。
「久しぶり。一度会っただけだけど、おぼえてくれてて嬉しいよ。レイガン」
「相も変わらずくだらないことをしているようだな、……リア」
「ひ……っ」
別に、剣を向けられたわけでも、私に向かって声を掛けられたわけでもないのに、恐ろしさで悲鳴を上げる。見た目はお爺さんなのに、放たれる気配は殺意そのものだった。
近づくものを全て切り捨てる。
立ち姿を見ただけで、きっと本当にそういう事が出来る人なのだと分かってしまう。
「そうでもないよ? そのくだらないことのおかげでユーリを倒せた」
「事象の観測が目的か。……やはりくだらん、貴様がこの場にいること自体が終わりを招くというのに。だがそれもどうでもいいことだ、知りたいことは知ることができた」
「貴方にしてはよくしゃべるね。久しぶりの再会に胸躍るというところかな? でもゴメンね、ワタシも暇じゃない。どうしてもというなら、相手になってもいいけど」
「興味はない、目的は『巫女』のみ。ここで貴様を殺したところで意味も無い」
「きゃ……っ」
なにか暗闇の中で光ったかと思ったら、ベランダの手すりが風に流されて落ちていく。まさか、いまの一瞬で私たちの後ろを切ったの……?
「おや? 今の攻撃で始末すればよかったのに。そうしないのは優しさかな?」
「ふん、結界を仕込んでいるのなら可能性は潰しておくべきだ」
「あーそういう事なら仕方ない。じゃあ彩音、申し訳ないけどちょっと失礼?」
「……、え?」
怖くなっていて後ずさり、直前まで手すりにつかまっていたのがダメだったのかな。
全身が緊張していたからどういう風にリアさんが動いたのかは分からなかった。でも多分そう難しいことじゃない。
「じゃ、あの子によろしく」
何一つ、理解できないままに私はどうしようもないことを直感で理解した。
……私は、ベランダから突き落とされていたから。
「———ぁ」
全身を包むのは浮遊感なんかじゃなくて、重力という科学的に証明された見えない手。堕ちる場所が高ければ高いほど、地面にぶつかった時の衝撃は強くなる。
なら、ここから落ちた時はどれくらいの衝撃が襲ってくるんだろう。この状態で計算なんてできないけど、ただ一つ言えること。
——この高さから無防備に落ちて生きている人間は、いない。
「さて、久しぶりの再会にボトルでも開けたかったけど、貴方は遊びがないからなぁ」
「知っているなら口を閉ざすことだ」
たった二人になってしまったこのマンションで、眼前に立つのは武の最奥に至った剣鬼。一見離れたこの距離でも、彼からすれば間合いの内だ。刃の煌めきを目に映すことができるかさえ怪しい。
「いいの? 彩音追いかけなくって、お目当てはあの子でしょう?」
「この世界にいる限り巫女に逃げ場はない。そしてそれは、貴様もだ。私の間合いから逃れたというのなら近い方から斬り捨てればいいだけの事」
「そっか、あっ、じゃあ今は私だ。困ったなぁ……」
全身で困った困ったとポーズを決めてみるけど、レイガンの佇まいは揺らぐことは無い。表情も笑顔はあり得ないにしても、ふざけた態度だという怒りさえ浮かべはしない。
「仕方ない、あの子を出迎えたかったんだけどなぁ。……じゃ、やろうか」
「———」
刀の柄に手が添えられる。
隙でも見せたらその瞬間に首が飛ぶのだろう。でも、ま、そういう事もあるよね。
「はてさて、そう簡単に行くかな?」
前へと一歩、これまで明かりの灯っていた部屋は暗く冷たく殺意に満ちていた。
その温かさをもう一度味わってみたいけど、それは此処での頑張り次第ときている。ヨナもシエもすっごく頑張ってくれた。だからさ——。
「ラゥルトナー最強の私も、ちょっと頑張ってみちゃおうかな?」
「くだらん、どうでもいいことだ。観測者故に、貴様に次などない」
「それはどうでしょう」
さて、やろうかレイガン。
終わりに向かって一直線。でも、本当にそうかな?
じゃあ見せてあげようじゃないか。
この瞳の、何物とも代えること叶わない唯一の輝きを。
「ふふ——っ」
今日が終わって、夏が終わる。
振り返る前に最後、瞳に写した空に星はなく、煌々と輝く月明かりだけのとても寂しい白けた暗闇だった。
□ □ □
「—————」
——全身がバラバラになったように痛い。
ううん、違うな……コレ。本当にバラバラなんだ…。
ただ外見はまだ人のカタチをしてるみたいで、バラバラというなら中身の方。
手を動かそうとしたら今まで痛みを感じたことがないようなところが痛くてびっくりした。足は無くなっちゃったんじゃないかと思うくらい感覚がない。頭も動かせないからどうなってるか見えないし、見たいとも思えない。
息を吸って吐くだけのことが痛くて痛くてどうしようもなくって——。
「ぁ……、い、たっ、い……。た——すけ——…っ」
消えそうな声を上げることしかできないのに、それだけでも痛くて頭が割れそうで…。見えるのはアスファルトの地面に自分の血が広がっていく絶望的な光景だけで——。
「——ぁ、ぁ———や……だ」
なんで? どうしてこうなったの? 夜凪くんたちは戦いに勝ったんでしょう?
なのにどうして、リアさんは私を落としたりなんか……。
「—な———たっ」
「………ぅ」
「きこ——みな、かた」
「————よな、ぎ…くん?」
「聞こえるか? 皆方…」
「…う、ん……きこ、え——あっぅ…!?」
「喋るな、痛いだろ。もう大丈夫だから…」
痛いことしか分からない自分では良く分からないけど、視界が変わっていくから夜凪くんが抱き上げてくれてるんだ。
そうかからないで私を心配そうに見つめる夜凪くんの姿が目に入った。
「悪かった、もっと俺が強かったらこうなることは無いのに」
「———」
夜凪くんはすごく悲しそうで、自分を責めてるみたいだった。
違うんだよ、そうじゃないの。夜凪くんはいつも頑張ってくれてるからそんなこと気にしたりなんかしてないの。
でも今はリアさんがね——。
「すまない……すまない、……あ…ね。俺、は——」
「……?」
夜凪くんが何を言ってるのか良く分からないと思ったら、そっか。耳が聞こえなくなってきてるんだ。気のせいか痛みも無くなってるような気がする。血が、足りてないんだ。
(そっか、私、死んじゃうんだ……)
ゴメンね夜凪くん、こうならないように私を守ってくれていたのに。ゴメンね…。私のせいで他の世界もダメになっちゃうんだよね…。
「——————」
目の前が真っ暗なのは夜だからじゃない。
もう、何も見えないし聞こえないし、全身寒くて仕方ない。
けど、完全に真っ暗になる寸前、胸の中心が一瞬暖かくなった。
「……すまない、あやね」
最後に聞こえた声は彼の声。
私の、大切な想い人。
後悔があるなら——、そうだ。今日は確か。
(…夏祭り、行きたかったな——)
死ぬとき、好きな人に抱きしめられているのは、きっと幸せなこと。
でも、そっか、死ぬのって…すっごく寂しいんだな。
今日が終わって、冬のように寒い夏が終わる。
その中で何もできなかった私は、暖かい思い出にすがりながら静かに死を迎えた——。
□ □ □
「いかないで…、ここに居てくれるだけでいい、それだけで十分だから……っ」
誰かが、自分を抱き留めている。
もうどこへも行かさぬように、なにものからも傷つかぬように
「…ぅ…ぐ、あ…、——っ。ぁぁ…、——ダメ、だ、まだ…終わっていない」
だが、その手を振り切り血反吐を吐きながら前へと進む
「ダメっお願い行かないでっ、お願いだから、もういいから——!」
追っては来ない。追ってくることはできない。
だが、暗闇の中から呼び止める声が聞こえる。
追いすがるように、泣き叫ぶように。
「———っ」
振り返ることなく歩を進め、進む度に悲しみは強く引き留めようとする。
大切なものを捨てたから。
大切なものを捨てられなかったから。
止まるわけにはいかないから。
だからまだだ、まだ終われない。
ここで足を止めてしまったら何もかもを失ってしまう。
まだ、まだ……、終わらせるわけにはいかない。
かならず、終わりを報せる現を打ち破らなければならないのだから。
そうしてまた、始まりを告げる夢に沈んでいく——。
「待ってろ…、絶対に、俺は……っ!」
次こそはと、見果てぬ幻をその手に掴むために。
たとえこの手を血に染めようとも、やらねばならないことがあるのだから。
「だから……っ、待ってろ。絶対に、お前を救ってみせるから…っ。だからあと少し、もう少しだけ、待っててくれ……。あやね——」
そして彼は、蒼穹の如き蒼き瞳で前を見据え、一歩、また一歩と踏み出していく。
数え切れないほど繰り返した、灰に染まった夜の中へもう一度。次こそは何も失いはしないと、怒りの覚悟を燃やしながら。
『一章:朱き彼岸の雪月花』
ここで一区切りです。
この稚拙な作品に、ここまでお付き合いいただいた方には感謝させてほしいです。本当にありがとうございます。次回から二章に入りますが、引き続きお付き合いいただければ幸いです。
これまで触れてこなかった部分の、世界や人物の背景をそろそろと出し始めています。
お世辞にもテンポがいいとは言えない文章だと思うので、読んでいただいている皆様には苦労をおかけしているかと思い、大変申し訳ないです。
今後もゆっくりではありますが描写していきますので、気長にお待ちいただければ助かります。




