32.欠けた刃を証明に①
「はあぁ!!」
「随分、久しぶりだ。こうやって剣で打ち合うだなんて」
光刃を纏わせて斬りかかったが、それはユーリの創りだした氷の剣によって防がれた。刀身同士が降れている最中、幾重もの光刃が氷の表面を削り、砕こうとしながらもそれは叶わない。
あまりにも硬すぎるのか、それとも氷の密度が高すぎるせいで削れているのが目視出来ないほど少ないのか。
「そう難しく考えなくていい。壊された端から直してるだけだ。……お前は強いよ、ヨナギ。シエちゃんの力添えを受けてるとはいえオレに刃を振るえてるんだ。正直懐に入られたのも久しぶりで防御が遅れた」
「そのまま切られてくれてれば幾分か楽だったけどな」
「そうもいかない。どこから引っ張り出してきたのかは知らないが、その剣は流石にマズイ。ラゥルトナーも考えたもんだな。毒を制するには毒を以って、か」
「——っ!」
半歩、ユーリが踏み出した瞬間。地面から巨大な氷の棘が貫こうと弾丸のように飛び出した。貫かれれば当然、掠っただけだとしても触れた箇所から凍り始め、動きが制限される。
(全部の攻撃が事実上の一撃必殺に繋がるのが厄介だ)
「ヨナギ、なぜラゥルトナーの下に付いたのかは……まあいい。人それぞれの事情があるだろう」
「………」
「だが、オレはこれでもナイギの血を最も色濃く継いだ人間だ。次代の『崩界』を率いなければならない立場でもある」
もはや必要ないと剣を放り、地上に接触すると同時に“そのまま大地へと溶け込んでいく”。
「だからこそ、懸念事項は潰す。オレが救わなければならない人間を幸福にするために。日の光が届かない世界で生まれた弱者たちに、太陽の温もりを浴びせてやるために」
「———ッ?!」
剣が沈みきった刹那、何枚もの氷壁がこちらに向かって体当たりをしてくる。これまでの速度の比ではない。気を抜いていれば弾き飛ばされ、壁の一部として取り込まれていた。
「ぶっ壊れろ!!」
立ちふさがる壁に向かって『界燐』を籠めた剣を力任せに振るう。
剣の接触による粉砕、光刃による正面の蹂躙。周囲を巻き込みながらユーリへ向かって一直線に破壊の轍を刻む光刃はしかし、新たに何重にも生み出された氷壁によって堰き止められる。
(鳥籠の中であれば、高強度のものが高速で創り出せる代わり、一つ一つの規模は小さくなるのか? ……いやそれはない)
鳥籠の空間内は全てユーリの掌握圏内だ。
自分自身を『界燐』で守り、『四方領域』として定めている俺とシエが体内から凍らされるなどということは無いにせよ、わざわざユーリの周囲からしか攻撃が行われないのは不可思議だ。
鳥籠が氷を創り出すという『創界』と、空間に作用し閉じ込める『封界』の混成能力なのだとすれば、別に攻撃範囲が特定されるようには思えない。
領域条件によるもの? それともまだ様子見しているだけ?
思考を奔らせながらも距離を詰めようとユーリへ向かって駆けだす。
「だからこそ、オレはお前を倒さなければならない。すでにジンが敗北したというのならそれこそだ。アイツは頭が固い、オレの大切な女たちを獣呼ばわりする時もあるが、それでも頑なに『崩界』、ひいてはナイギの為に命を懸けていた男だ」
次は地面からの壁ではなく空中に創り上げられていく大量の槍。一つ一つが先ほどのように打ち砕けないならば、無理やりにでも隙間をかいくぐり奴の喉元へ喰らい付くしかない。
「その男の両眼を奪ったと、お前は言った。戦うことに使命を見出していた男の、意味を奪ったのだと。……ああ、その点は許せねえなヨナギ。オレはジンに嫌われていたし、オレも分かっていた上でアイツにちょっかいをかけてもいたが……」
「——ッっぅ!!」
氷槍が肩を掠めていく。触れていたのはその瞬間だけだというのに凍り付き始める肉体をうっとおしくさえ思いながら足を止めることは許されない。
止まろうものならその瞬間には死んでいる。
(なんて強度…ッ、その上数も多い)
月光を反射しながら迫る氷槍は津波を思わせるが、天さえ遮る高さであればもはや壁か。空を覆いつくすほどの数によって面制圧を仕掛けて生きている。何度も押し寄せる波状攻撃は一度凌いだとしても意味はない。
「ヨナギ様っ! 足を止めないでください!」
致命傷に当たる槍はシエが砕くか逸らしてくれている。だが超速修復の前では微々たる影響でしかない。砕いた槍はその場で復元し、逸らしたとしても他の槍と接触することによって軌道を無理やりに戻してくる。
地面に突き刺さった槍によって足場は悪くなる一方でユーリからすれば逃げ場を奪い、攻撃範囲を収束させることが可能。
「分かってる! 止まるものかよ!!」
ゆえに、突き進まねばならない。俺の身体を貫こうとする槍だけを防いでこれなのだ。襲い掛かる槍の雨が激しさを増すこととなればそれだけで窮地に陥る。
剣をとりもどし、本来の実力を取り戻しつつあるとはいえ、それでなお苦戦することが当然の相手。
それこそがユーリ・ナイギ、この場で倒さなければならない相手だった。
「守ってくれる相手が居るっていうのは羨ましいなヨナギ。……なら、これでどうだ?」
降りしきる槍の雨に加え、地面が隆起し突き刺そうと迫ってくる。やはり鳥籠の範囲内は全て奴の領域。氷の操作であれば思うがまま。
「く……ッ、ッッ———ハアアああア!!」
だが、足を止めはしない。常に死を間近にしながらも、シエの言葉は俺の背を押してくれている。
閉じられた空と死に絶えた大地が敵となったこの状況。心を止めれば死が待ち受けている。ゆえにこそ、対応すべきは正面突破のみ。
「四方展開——、破封混成領域『焔刃』…ッ」
重なり合った光刃が超高速で軋みあい擦れ合う。まるで金属が削り合うかのような高音を放ちながら火花を散らす。
結果、生み出されるは局所的焔熱——、総てを灼き斬る明王の剣。
そう、この手に在る白銀の剣の真の銘こそ、『倶利伽羅』
——眼前に立ち塞がる不浄を灼くがための剣に他ならない。
「氷っていうなら溶かせばいいだけだろう——ッ!!」
迫りくる針の筵を正面から両断した瞬間、蒸発する音とともに斬り飛ばされる。
『四方界』によって生み出された氷とはいえ、熱を与えれば溶けるのは変わりなし。このまま間合いの内側にさえ入り込んで、そのまま斬り捨ててやる——!
「別に、火をぶつければ溶けるっていうほどちゃちな氷じゃないんだが……。使用範囲は剣の周囲のみ、その剣が無ければ満足に能力は使えない代わりに『四方界』の出力は格別で応用も効く、か。頼まれたからとはいえジンを当てたのは可哀そうなことをしたな」
防御の姿勢さえとらないユーリは目の前、この距離であれば回避は許さない。不死性があるゆえに防御を行わないというのなら解法は一つ。
「回復が追い付けないように斬り続ければ済む話だ!」
周囲の『界燐』を剣へと集束。軋みを上げる刃はより振動を高め、喰らい付いた獲物をバラバラにしようと解放の時を待っている。
「——ッ、ハアアッッ!」
ギチギチと暴れ出す寸前の刃を力任せに抑え込み、抑え込んだままにユーリの肉体へ向けて薙ぎ払う。
「これはなかなか、これくらいか——?」
そして、この瞬間を以ってようやくユーリも行動を開始する。剣と自分の間に、まるで透き通る結晶のような氷壁が瞬時に創り上げられる。
籠められた『界燐』、精製速度。どちらをとっても、これまでの攻撃に使われてきたものとは一線を画す強度であることは一目でわかる。
「馬鹿が——!」
だが、それがどうしたという。
「この剣が、その程度の壁でとめられるか!」
だが、渾身の力を籠めて振るった『焔刃』は強化氷壁に刀身が半ばまで入り込むがそれから先には進まない。
透明な壁のせいで分かりにくいが、手ごたえからして多層構造なのだろう。
「そら、その剣は返して貰うぞ。そうなれば詰みだ」
攻撃を耐えるのではなく、受け止める為の構造。そして、一度動きを捕えてしまえばユーリは掌握に入る。
「……っ」
壁に埋まった剣を取り込むように氷が捕食を開始する。
猛り振動する光刃によって抵抗はしているが、このまま放置すれば剣は無事でも俺の方が先に氷漬けとなってしまう。
「……ッ」
「……」
透明な隔たりを境に交わされる視線。膠着する時を推し進めるのはユーリ。
「ああそうだ、お前の言うことは間違ってはいない。肉体の不死性なんて大したもんじゃない。精々怪我の治りが馬鹿みたいに早いだけだ。別に強化されているわけじゃないし、これまでできなかったことが急にできるようになるわけでもない。だからこそ、こういう手合いには拘束が良く効く。方法は封印か、物理的に身動きをとれなくされるかなんでもいいが」
「なんだ、シエの頼みじゃないのに随分簡単に教えてくれるんだな。出来ないって思ってるわけか」
「少なくとも今のヨナギじゃあな。…全力を出せと言ったはずだぜ。それがこの程度の壁一枚で止められるなんて、…買い被りか? そうじゃないだろう、がっかりさせるな。お前が戦う理由までは知らないが、この程度の相手をいたぶる趣味もないぞ」
「ああ、まさかそんなこともないさ——」
コイツ、この期に及んで様子見だのとしゃれこんでいる。
俺の全力を見せてみろと渇望している。
「もう、お前は俺の剣を止めることはできない…ッ。もう二度と…っ、振るうことをためらったりはしない——ッ!!」
刀身に焔ではない輝きが溢れ出す。
それは極限まで薄く圧縮し、超振動を起こしていた光刃。無理やり刀身に縛り付け、押さえつけていた獰猛な獣の牙に他ならない。
それを受け止める? 馬鹿なことを抜かすなよ。
——そんなもの……、内側から食いちぎってやる。
「…『滅、刃ィンッ!!』」
「……っ」
止まることはしない、握り直した剣をユーリへと向かって力を籠めながら、同時に術式を組み替える。
氷を灼き斬り、純粋な斬撃の強化として展開していた『焔刃』。その発動の為に圧縮し、超振動を起こしていた光刃を一気に解き放つ。
一の物質を百にまで解放、展開。
氷壁を内輪から食い破り、光刃による濁流が、溢れんばかりの無数の斬撃としてユーリへと襲い掛かる。
「言っただろう! この程度で、俺の剣が止められるかァアアア!!」
踏み込まれる足。振り切られ、肉体を両断する白銀の刃。そして、白銀の軌跡を追うように溢れ迫る、数えきれない光の刃。
一つ一つが人体など容易く切り捨てることができる刃であるというのに、個としての形状を認識できぬ濁流として解き放つ。
防ぐことはもはや敵わない。
一振りの刃であったはずの剣は元型を失いながら、内側からかみ砕かれた氷壁ごとユーリへと襲い掛かる。
「ギ———ィッッ!」
手加減などしていられない、一振りによる数千の斬撃を以ってその肉体をすり潰す。肉体へと宿る僅かな『界燐』を過剰な速度で流し込み、斬撃の到達をコンマ一秒でも速く、短縮させる。
「これでェ、どうだああああ!!」
目の前に氾濫する光刃の濁流。
限界まで薄く、圧縮された光刃はこの身に到達してなお留まることは無いだろう。溢れ、ひしめき合う輝きは極大の爆発に等しい。
触れる者全てを引きずり込みながらも、触れた端から噛み潰す悪魔に他ならない。
なんとおぞましい光景か。
美しい焔光に包まれてはいるが、実際の所何も見えちゃいない。瞳は白く塗り潰され、聞こえてくるものはギチギチという刃同士のこすれ合う音のみ。
「——————」
刹那の刻、オレへと迫る光の壁は刃が軋みあう中で生み出される怨嗟の大合唱を浴びせられる。
——不浄を許しはしない。悪であるお前は殺さねばらならない。
意味を与えるならばそれだ。極高温の火焔のように真白く、純粋なそれは怒りか哀しみか。
「ああ———」
そしてオレは、世界を埋め尽くす満天の輝きではない、世界に在る個として極限である一閃。真逆の輝きを、かつてこの目に映した。
「———」
大きく開いた瞳を閉じはしない。
伸ばした手の指先がまるで砂になったかのように消え去っていく。いや違うな、やすりに腕を突っ込んだように、触れた端から削られているだけだ。
痛みはない。
この刹那、痛みを感じるまでもなくオレの身体は塵となって消え去るだろう。
(お前は正しいよ、ヨナギ)
どのような傷を負ってもたちまち治る。
吸血鬼なんかで例えるのなら日の光も銀十字も心臓を潰されてなお、オレには意味がない。伝説にあるような毒を持ってきてなお耐えきるだろう。
そも、そんな格式高い怪物なんかじゃない。不死であろうとも肉片一つ、血痕一つ残さなければ復活はできない可能性は高いと踏むのは何も間違っちゃいない。
(だが、…だがな——)
ここで死ぬつもりは毛頭ない。
何をせずとも死なないからではない。オレが、オレ自身の意思が、死ぬわけにはいかないと叫んでいるからこそ——ッ!
「—————ォぉォォオぉおお!」
先の見ることのできない死の光の奥、コチラの命にとどめを刺す為の一撃を放つ少年の叫びが聞こえる。
通り過ぎた後には何一つ残らない邪悪滅ぼす火焔を、重なり合う光刃そのものがぶつかり合い、削り合いながら生み出している。
なんという力技か。穢れを払うために、穢れに汚染された物質ごと取り除くようなもの。穢れの根源、罪障そのものを排除しきるためならば手段を選んじゃあいない。
「——ぐ……ッ、ッゥゥゥァアア——ッ」
ああ、なればこそ。この身は間違いなく耐えきるだろう。
なぜならばこのオレが悪であるはずがない。
愛する者達の為に腕を振るい、命を懸け、幸福へ導くために全霊を懸けるこのオレがッ!
「欠片さえもッ、悪であるはずがないだろう———!!」
前を見据え、心ごと叫んだ瞬間、時は正常に動き出す。
「ヨナギィッ、……来ぉぉぉおおい——ッ!」
「——ッ、ッォぉらぁぁァアアアああア!!」
不浄の火焔と化した光刃の濁流から、その先から振り下ろされるはずの白銀の剣から。
ヨナギから——、瞳を逸らすことはしない。
刹那、交差する互いの意志。
まだ生きている怨敵を、不浄の焔光で灼き斬り捨てるがため。
「これ、で——ェ!!」
原型をとどめているかさえ判断の付かぬこの肉体で、在るかもわからぬ腕を伸ばす。
「——で——まる—かッ!」
光の濁流を超えた先、男達は己の意志を体現するかのように一切容赦なく止まることはしなかった——。
不浄の焔光を受け切ってなお原型をとどめていたユーリの肉体を塵一つ残さず滅しきるため全力を籠めた一撃を見舞う。
「コイ…ツ……ゥ——!」
そして同時に驚愕する。
手ごたえはあった。だが、その手ごたえは断ち切ったモノではない。
衝撃が手を伝う。全力を籠めたはずの剣先が停止している。理由はあまりに単純で、防がれる可能性を考慮しても、この方法はあり得ないだろうと無意識に控除していた。
「どんな頭してやがるッ!?」
「——ァ、ァ…?」
伸ばされた左腕、焼け焦げ、肉は削ぎ落されている。骨だけで腕を支えているような異常事態において、この男。
「『四方界』無しなのは——、ふざけてやがる!」
振るわれた刀身を腕一本で掴んで止めやがった……っ!
「……ぁ、は……は——はハ——」
光の波濤の先、目の前に現れたユーリの肉体は原形をとどめていたとはいえ、それでも刃に肉体を切り刻まれ、灼き切られていた。
伝播した焔熱によって全身は焼け焦げ、血煙を上げる姿はまるで灰になる寸前。まるで炭のような、一目では人体であることなど理解できないほどの損傷だったというのに——。
「は、ハハハ———、為せば成るもんだなァオイ!」
「テメェ…、本当にしぶといぞッ!」
灼き潰され、通常なら機能しないはずの喉が大きく震える。
オレはまだ生きているのだと知らしめるかのように、ハイになったユーリは痛みさえ感じることを忘れて笑っている。
「なんだヨナギ、お前はお前でオレを甘く見すぎだぜッ。オレはオレの宝たちを——、女達を幸せにするッ。そのためにお前が邪魔をするなら、限界なんていくらでも超えてやるのが男としての務めだろうがよォ!」
「チィ!」
言葉を発する度に傷ついたユーリの姿が修復されていく。驚異的な速度による治癒はユーリ自身想定外なのか、半ば呆れたような表情を見せつつも二度と放すまいと握った剣をより強く握り込みながら、空いている右手で拳をつくる。
「ああ何度でも言ってやる、お前は強いよヨナギ。だがそれほどの力だ、領域条件さえ半ば無視するのは他に条件を付けてるからだ。…これまでの様子だと普通の領域条件の他に二つ。
『剣を持っていなければ満足に『四方界』を扱えない』
『一度発動した後、その剣を手放せば強制終了』ってとこか?」
「知った口を…利くなッ!」
剣を掴まれ、コチラの動きを止めようというのなら乗ってやる。
一旦退くのではなく、このまま押し切る為に前へと強く踏み込む。死に損なったというのなら、今度はお前の内側から喰らいつくしてやればいい。
「知ってるさ。そんなことお前だって気付いてるだろう。あっちで身を守ってるシエちゃんと一緒さ」
「……っ」
俺たちの邪魔をさせないためか、シエの方向へ目をやると、そちらには俺に向けていた槍や大地の隆起によって確実にシエの行動を封殺するための攻撃が行われていた。
「ああそうさ、シエちゃんと同じことだ。例え外見に現れる情報が少なかったとしても、生まれっていうのは何処までも足を引っ張る。…過去は何処まで言っても追いついてくるものさ。素性を隠しきるのは案外難しい。——なぁ、『□□□』?」
「——ッ!!」
その忌み名、耳に届く前には思考が蒸発していた。必要以上の『界燐』を練り上げ、掴んだままの腕ごと両断せしめんと、『焔刃』によって再び光刃が圧縮され焔を熾す。
「ここで——っ、死に晒せェ!!」
「ハ——っ」
クイズの答えを的中させたユーリは満足そうに笑うと、火焔ごと凍結せんと周囲に急激な温度低下を引き起こす。立っているだけで皮膚の表面が凍り付き、ひび割れ始める。
だが、ここで引きはしない。この男はココで殺さねばならない。
「ァ、ァァッァァァアアアーーー!!」
「——悪いなヨナギ、ここはオレの領域内だ。準備さえ整えれば、どうあがこうがこちらの方が速い」
「——ッ!?」
ユーリが手をかざすと共に風が死ぬ。空気が静止し、氷の中に閉じ込められたかのような錯覚に陥る。
そして、次の瞬間目に映った刀身は、熾った不浄の焔ごと氷結を始め、俺自身の腕へと侵食する寸前の光景だった——。
「く…ぅっ」
「逃がさないぜ、ここで退場だ。まったく、こうも立て続けに氷漬けとは縁があるな」
「なに、を…っ」
更なる冷気、ひび割れた皮膚から血が噴き出すことなく凍り付く。
生命の生存を一切許さない地獄、表出させた男は穏やかな笑みを俺へと向けている。
「こっちの話。安心しろ痛みはない。ただ静かに、その怒りさえも永久凍土の下で眠りにつけばいい」
「ユー、リ……」
食いしばった歯同士が凍りはじめ、舌も満足に回らなくなっている。
目を動かすこともままならず、アイツの顔から目が離せない。
(俺は、この、まま———。あ、……ね——)
俺の放った光とは性質の違う白氷に世界が覆われる。
抵抗そのものを封じられた以上、このままではどうしよう、も——。
「——いけませんっ、ヨナギ様!!」
「が——っ?!」
シエの声が聞こえたかと思った瞬間、死角から思い切り突き飛ばされた。
凍りかけていた半身では満足に受け身をとることもできない。突き飛ばされるまま、無様に地面を転がり終えると、何とか起き上がる。
「——っとと、…できれば、そんな風に無理はしてほしくなかったな…」
「黙りなさい。貴方の言葉を聞くつもりはありません」
目線を上げると、ユーリと俺の間で立ち塞がるように立つシエの姿。しかしその背から見て分かるほどに血を流している。
「シエ…」
「よいのですヨナギ様。私の傷など大したものではありません、誓ってかすり傷のみです。さぁ、お立ち下さい。一人ではとどめを刺しきれないのでしたらここからは私も攻撃へ」
「ぁ、あ…、そう…だな、それがいい。ふぅ…」
「手を——」
「…、ああ」
差し伸べられた手を取って立ち上がる。
ユーリから離れた影響か、先ほどまでのように肉体が凍り続けるということもない。シエがいなかったらマズかったな。
「はぁ、ったく。そういう献身的なところが魅力的だが、自分から怪我しに行ってほしいわけじゃないんだぜ、オレは。だからああしてギリギリ防ぎきれる攻撃に抑えてたのに」
「つまり馬鹿にしているというわけですね。構いません、その愚かさは今日正します」
「…んー、そういうわけじゃないんだが……。なぁヨナギ、お前からも言ってくれよ。男同士なんだし分かってくれるだろ?」
「さっきまで凍らせようとしてた相手に救援求めるとかどういう神経してやがる。知ったことかよ、嫌われてんだから諦めろ」
剣を握っていた右手、凍傷とほとんど凍っていた箇所がひび割れを負っている。この戦闘では、もう満足には動かないだろう。だがまだだ、まだやれる。
「はあ…、怪我させたくなかったし救いたいとは思うが、そう簡単に天秤の両側は取れないわけだ。世界っていうのは難儀だな。しかも制限時間もありと来てる」
「天秤? 貴方の元へ連れていかれるくらいならば迷わず自害を選びます。最初から破綻しているものを押し付けないでください」
お前に私を救うことはどうあがいても不可能だと、シエは完全な拒絶を続けている。きっとこのまま一生はこうなのだろう。
だが、ユーリは軽く首を振り、こちらを見つめる。
シエではなく、俺に対して——。
「違うさシエちゃん、きちんと天秤は釣り合っているよ。今になって分かったが、オレはヨナギも救いたい」
「——なっ、なにを!」
「……」
「つまりだ、天秤の両端に乗っているのはシエちゃんとヨナギ。二人を救えば天秤の均衡は保たれる。だろ? だからこそ、オレは決めたよ」
言葉が途切れる。これまで生み出され、砕かれたままになっていた氷の武具たちが次々に砕け、元の氷へと回帰する。
「加減なんてしてられる相手じゃないのはお互い様だったのにな。……無礼だった、詫びよう」
「謝ることじゃない。……お前は強いよユーリ」
「ああそうか、そう言ってくれると心が楽になる。だが、オレは働いた無礼をそのままにするような男じゃあない。ちゃんと返さないといけないからな」
「それが、ヨナギ様と私を救うことだというつもりですか——っ!」
「ああその通りだ、オレは君たち二人を救う。ラゥルトナーの元から引き離し、本来あるべき場所へ連れて行く。ま、ヨナギの方は嫌がるだろうが安心しろよ、面倒はみてやる」
両手を合わせ、印を結ぶ。鳥籠の中、周囲に充満していた奴の『界燐』が収束していき、これまでとは比べ物にならない力場を形成し始める。
「ゆえにこそ、オレの全身全霊を示す。何があろうともこの勝負、必ず勝利する。他者の幸福を奪い去ってでも、この世界から救い出す」
世界が軋み、在るはずの地面がより下方へ墜ち続けるような気持ち悪さを四方へ押し付けながら、ユーリの持つ真の力によって世界を塗りつぶさんとする。
これより先、地獄が体現されることは想像に難くない。
だが、何処に恐ろしいものがあろうか。
「ふんっ、事情も知らねえ奴こそ真っ先に口を出す」
言葉を一蹴し、共に戦ってくれるシエの隣に並び立つ。
「その口閉じて黙っていやがれ。俺もシエも、それぞれの意志でここに立っているんだ。お前が声を上げてること自体が見当違いも甚だしい!」
「その通りです。私もまた、己の意志でここに立っています。だからこそ、この意志を否定するというのならば——」
「「力づくで来いっ!!」」
「無論だ、とうにそうするつもりだよ。……ゆえにこそ、真髄を見せるという。ヨナギ、シエ。オレを、ナイギを打倒するというのならば、命を燃やして挑んで来い。これから先、手加減自体できはしない。オレの意思は関係ない。あるのは地獄の体現だ」
既に準備は済んでいるのだろう。奔流する『界燐』は荒れ狂いながら敵対者全てを拒み、不用意に近づこうとすればそれだけで死に至るほどのもの。
止めることができない合言葉、澄んだ空気を切り裂きながら男の口から放たれる。
「頞部陀より摩訶鉢特摩、——此処に呼び起こすは八大地獄。墜ちろ我が身、我が地獄。悪性の誕生と共に起こりし極氷の心象領域——」
収束する冷気、俺たち以外の生命全てから熱を奪い去り物言わぬ彫像へと変貌させている。限定的ではあるが、生きることさえ許容することの無い世界の創造。そして、今から行われるのはこれまでの比ではない。
「四万由旬、落ちて過ぎ去るは無間地獄。獄熱取り囲むは氷獄の牢櫃界」
生存限界を押し付けるが如き命の管理、それはあまりに機能的すぎて奴自身にも加減はできない世界規律そのものの創世に他ならない。
「創世せよ氷獄牢、乱れ咲くは紅蓮の華よ。
……四方展開——ッ、三界混成『胎蔵領域 彼岸華・大紅蓮地獄!!』」
そして上書きされた一つの世界。
そこには氷の大地でありながら、朱き華が咲き乱れる異界と化していた——。
『胎蔵領域』
崩界で生まれた人間の中でも極少数、天才の中でも更に天才と呼ばれる人間が到達できる四方界における一つの極致です。
破界、創界、封界領域に分かれている三系統の能力の内、ほとんどの人間は二つまで扱うのが限界ですが、その三系統を同時に発動します。
地獄に準ずる異能が発現し、使用者にもよりますが基本的には自身を中心とした広大な領域を展開、内部の人間に強制で発現した地獄に基づく攻撃が加えられます。
これは地獄の性質を呼び起こすことによる強大な力でありますが、その分コントロールすることは困難です。
現在、ナイギで使用できるのはユーリのみです。




