31.夏祭りと灰の雪③
「ん……、っ!? ここは——! ……ここ、は…」
「おはよう彩音、悪い夢を見たようだね」
「りあ、さん…?」
「うん、私だ。無事でよかったよ。状況が呑み込みきれないだろうが、まずは落ち着いて。ほらお水だ。一口飲むといい」
目覚めた時、私は襲ってきた人たちに囚われてはおらず、夜凪くんの家に寝かされていた。
「あ、あの襲ってきた人たちは!?」
「今頃眠ってるよ。危なかったね、ヨナもシエも別の場所で会敵したんだ。襲撃に現れる場所自体は予想してたから待ち構えてはいたんだけど、相手の方が上手だったみたいでね。別動部隊がいたんだ。そして二人は彩音のところにすぐ駆け付けられなかった」
「……っ」
私の慌てようとは正反対に落ち着き払ったリアさんの様子は、本来安心できるものなのかもしれないけど、なんだかそう思うことはできなくて。胸の内で不安が燻っている嫌な感覚だけは感じ取れた。
「じゃあ、私はリアさんが…?」
「うーん、そうだねぇ。たまには身体を動かさないとダメだしねぇ」
(なんだろう…、なんだか違和感が——)
「それで彩音、身体は大丈夫かい? 痛いところとかない? 運ぶ最中にぶつけてしまっていたら申し訳ないのだけれど…」
「あっ、い、いえ大丈夫です…っ。どこも痛くありません」
「そっか、それは良かった。彩音に怪我なんかさせたらヨナに怒られちゃうからね」
「……あの……、そういえば二人は…?」
もう外は暗くなっていて、あれからそこそこの時間が経ったのは分かる。なら二人は? まだ戻ってきていないの?
なんでだろう、心臓がバクバクと音を立ててなっている。一度命の危険にさらされたから? 確かにそうだけど、なんだかもっと別の、もっと恐ろしいことが起こっているような。
「ああそうだった、二人はまだ出てるんだ。彩音も眠りっぱなしだったし、今からお祭りに行くのは無理だろうからってね。せめて気分だけでも味わってもらおうと屋台に買い出しに行ってもらった」
「お祭りに、ですか…?」
「そうだよ。適当に買ってきて、とは言ったからすぐ戻ってくるんじゃないかな。彩音もつれていきたいけど、見えてないだけでどこか打ってるかもしれない。もう一度横になっておいた方が良い」
「で、でも——」
なんだろう、なんだろう。リアさんはいつも通りだ。
全部わかった上でからかうような笑顔も、その場には居なくても状況を把握してる不思議さも。何も違いはないのに。
「なにを、隠してるんですか…?」
「何のことかな?」
「だって、違う。違う気がするんです…。リアさんは何か隠してる…っ」
「おっと、ダメだよ彩音。さっきも言ったけどもし頭でもぶつけていたら危ないし、今は一旦休んでおいた方が良いよ。二人のことを心配してくれるのはワタシも嬉しいけれど、そのせいで彩音に怪我はしてほしくないな」
かけられていたシーツをどけ、立ち上がろうとしたところをリアさんに止められる。その動きは自然そのもの、間違いなく私を心配してくれているのも伝わってくる。
でも、違う、ちゃんと確かめないといけないことがある——。
「すいませんリアさん、でも…今は信じられません…っ」
「彩音……、うぅん…確かにワタシも普段の行いが悪いのかもしれないけれど、そこまで信用がないとは思わなかったなぁ…。ゴメンね、これからは気を付けるから———」
「違います、リアさんのことは信じてます。普段のことも気にしてません…」
「じゃあなにが——」
「ならどうして、いつもみたいに目を合わせて喋ってくれないんですか…?」
「………」
「いつもいつも、リアさんは誰と話すときでもこっちが照れちゃうくらいじっと見つめてくるのに、どうして…、どうして私の方を見てくれないんですか…?」
そうだ、拭いきれない違和感はこれなんだ。
リアさんはからかったり変なことを言ってきたりするけど、それでも嘘を言ってないって思えたのは、真っすぐこっちを見てくれていたからだ。
私にもシエにも夜凪くんにも。こっちが恥ずかしくなっちゃうくらい顔を近づけて、照れちゃうくらいに真っすぐに。
なのに、なのに今はそうじゃない。リアさんの顔をちゃんと見ることができない。ちゃんと見てくれない。
「……」
だからきっと、嘘を吐いている。
「シエも夜凪くんも、きっとまだ戦ってるんでしょう? 私は手伝えないけど、教えてくれるくらいはしてほしいんですっ」
「……………」
「リアさんっ!」
うつむいた表情は前髪に隠れてよく見えない。
だけど、その反応が答えだった。
「……っ」
なりふり構わずベランダに出た途端、力の波動に押し返される。
倒れてしまわないようにこらえながら一番強く力を感じられる場所を見てみると、距離はあるけど見える。そこには月の光を反射する、煌めくガラスでできたナニカが作られていた。
遠くから見ても良く分かるくらいに繊細で綺麗なのに、感じ取れる波動は荒々しく恐ろしい。そしてアレはガラスなんかじゃない、夜凪くんたちが話してた、氷を使う。
「これ、あのユーリって人の——っ」
「はぁ…、バレちゃったら仕方ないか……」
「やっぱり来てるんですねっ、なんで言ってくれなかったんですか?!」
リアさんもばつが悪そうに眉をひそめながら立ち上がる。
そしてため息を一つつくと、ゆっくりと話し始めた。
「ヨナに頼まれてたんだ。『何かあれば嘘を吐いてでも実力行使ででも外には出すな』ってね。で、実際何かあったから、あとはワタシの判断」
「じゃあ、二人はあの場所にいるんですね…?」
「そう、相手はユーリ。こんなに早く再戦することになるとはね。予習はしていたはずだったのに、予定が狂いっぱなしだ」
「……でも、窓を開けるまでは何も感じなかった」
「足元」
「え…、これって、矢?」
ベランダと室内の境目には境界線のように矢が二本刺さっていた。
「それの内側にいる間は外の異変を隠せる。とはいっても一度異変を認識しちゃうと誤魔化せなくなるんだけど…」
「じゃあ、私が眠ってる間もずっと…」
「うん、最初はシエだけだったけど今はヨナも合流してる。まだ負けたりしていないよ、ちゃんと戦ってる。そしてワタシは彩音のお目付け役と護衛、かな?」
「……そんな」
自分に何かができるわけじゃない、けど何も知らされずにいたことは悲しかった。
「…騙そうとしたのは事実だ、謝るよ、ゴメンね。ただ、行かせるつもりは無い。これは絶対だ。これまでもこれからも、彩音を戦場に向かわせるつもりは無い。それだけはちゃんと分かっていてほしい」
「それは…っ、…分かって、います。けど……」
それはこの前、二人がユーリって人と戦った日から分かっていたはずのことで、私も納得していた事。
「それじゃあ、夜凪くんが夏祭りの誘いを受けてくれたのも、何か関係あるんですか…?」
「さて、ね。それはワタシには分からないな。ヨナが彩音を傷つけるようなことを率先してするわけもないし、タイミングが悪かっただけだよ。どちらにせよ、ワタシ達にできることは待つことだけ。彩音は二人が負けると思う?」
「…思いたくないです。戻ってきたらちゃんと…、怒ります」
「そっか」
手すりに体を預けて遠くで戦ってる二人の方を見つめ始めた。時折、波のように押し付けられる『界燐』によって長い髪は乱れ、暴れている。
「髪の毛、絡まっちゃいますよ」
「うん、いいよ。後でブラシかけるから」
「…氷のせいか…寒いですね、上着持ってきます」
「うん、私の分もお願いしようかな」
「もう、私一応けが人ですよ」
「でもほら、彩音もここで見てるでしょ? なら、看病しなきゃいけない私がここから離れるわけにはいかないさ」
「そーですか」
「そうなんだよ」
部屋の中に入って、押し入れの中から厚手の上着を物色。シエのことだからちゃんと分別されてると思って探してみると、やっぱりあった。
夜凪くんのものだろう、なんというか押し入れの匂いに混ざって彼の匂いがしたから。
「………」
二人分を適当に見繕ってベランダに戻ると、リアさんは静かに二人のいる場所を見つめていた。
「リアさん、持ってきましたよ」
「…………」
「リアさん、…リアさん?
「…えっ? あ、ああ彩音か。ありがと。まったく、ここまで冷気が伝わってくるなんて厄介極まりない。体調を崩してしまうよ。…そうだ、ユーリたちの侵入の時からしばらく経つけど、身体は大丈夫? レギオンの時のように熱は出していないかい?」
「はい、そういうのは全然、そもそも侵入されたことにすら気付けませんでしたから…」
「責めてるわけじゃないさ、これは心からの心配。彩音は結構繊細だから」
「結構は余計です。ほら、ちゃんと上着羽織ってください。髪の毛も収納してくださいね」
「はいはい」
叩きつけられる冷風は少しずつ激しさを増していてる。それはつまり、二人の危険度相も増してるということ。
「………」
生きていてほしい。祈ることしかできない自分に嫌気が差し始めてきたけど、それでも祈るしかないのならそうしよう。
神様仏様は本当にいるのか分からないから、何に祈ればいいんだろう。
「祈る対象なんて、何でもいいのさ」
「え?」
「そういうものは、自分が信じられるものなら何でもいい。結局のところ、結果に納得できるかどうかだからね。ちなみに私のおすすめとして、『精一杯祈っていたのによくも叶えてくれなかったな? 呪ってやる!』そう文句を言える相手なら気も楽になって一石二鳥だ」
「そんな身勝手な」
「ふふ、私はね。神様なんてものは基本的には信じていないのさ。良いことも悪いことも、起きてしまえば全部神様の思し召しで、辛いことがあっても今生の運命だから与えられたことを感謝しなさい、なんてさ。——そんなこと、私は認めるわけにはいかない」
「ずいぶん、お嫌いなんですね」
「嫌いじゃないよ、信じてないだけ。パーティーとかの理由になるから都合良い時くらいは崇めてあげてもいいかなー」
「…なんですかそれ。じゃあ、リアさんは何なら信じてるんですか?」
「ん?」
なんとなく、答えは分かり切っていたのについ聞いてしまう。
だってほら、私の方を見た顔は、テストで百点をとった子供が結果を聞かれる前から、言い出したくってたまらない。そんな表情をしていたから。
「それはね? もちろん——」
「ゃ——っ」
その時、戦場から一際大きな波動がやってきて、ちゃんと聞き取ることはできなかった。
「お、相手が本気を出してきたみたいだ。いやぁ、シエも随分気にいられたみたいだねぇ」
「……」
なのにリアさんときたらスポーツ観戦をするような気楽さでみているのだから、焦っていた私の方が毒気を抜かれてしまう。
「待って祈ってるだけ、なのに。私達がこんなんでいいんですか?」
「いいのいいの。あ、そうだ彩音。本格的に寒くなってきたし、あったかい飲みもの欲しいな。砂糖多めの」
「そういうのはご自分でお願いします」
「えぇ~、じゃあ彩音はいらないんだ」
「……一緒に行きましょう。お茶淹れるのでお菓子だしててください」
「はーい、ではヨナとシエの勝利を祈って——」
「乾杯するものは用意しないとないですよ、ほらほら急いで急いで」
「わわ、っと…。はいはい、彩音はせっかちだなぁ。でもその通りだ、味は二の次で急ごう」
「そうです、この状況でお茶だなんて言ってる方がおかしいんですからね。味まで頑張れませんよ」
最大火力でお湯を沸かし、カップを用意。
適当に棚から引っ張り出したティーパックを放り込むとキッチンから外の様子を窺う。
(あの場所で…、二人が命懸けで戦ってる)
正直、夜凪くんが戦ってるところを実際に見たことは無いからイメージはつかない。見たことあるのは素振りをしてるくらいで、私が練習をしてる時の指導はシエに任せていた。
(でも、何となくわかる。夜凪くんとシエの『界燐』の感じ)
人の気配、それがもっと具体的に分かるようになってきているのを自分でも感じる。場所は離れてて、冷たい領域がほとんどを占めている。
だけど、…その中で小さな星が瞬く様に存在を主張する二人の気配はハッキリと感じ取ることができた。
「うん…」
それならきっと大丈夫。
どんなに敵が大きな力を持っていたのだとしても、全てを覆いつくす存在なのだとしても。自分はここに居るのだと見せつけることができているのなら。それは立ち向かえているということに他ならないのだから。
なら、私は祈ろう。二人の無事を、二人の勝利を。
——“巫女”だからではない。それしかできないからではない。
シエが彼の為に努力する健気さに危機感を覚えつつ、友達として色々なことを分かち合いたいから。
夜凪くんがいつもみたいに疲れた表情から、気の抜けたような笑顔に移り変わる瞬間が見たいから。
なんてことの無い日々が大切だから、こうなればいい、ああなったら幸せだ。なんて、当たり前に思っていることを仰々しくしているだけなのだ。
だから、祈ろう。
まだ何も分かっていない私にできることなんて、自分の我儘を見たことの無い神様相手に押し通すくらいなのだから。
「彩音ー? お湯沸いてるよー。自分に浸るのはいいけどティーパックも浸しといてね」
「わ、分かってますーっ。そんなこと言うリアさんには、たっぷり濃い目のやつを淹れてあげますからねっ。砂糖なしで」
「それ渋いだけじゃないかっ! ゴメンって、謝るからさ。そんなことより早く早く、頑張ってる二人をせめて見てあげてないと」
お菓子を持ってパタパタとベランダに向かった後ろ姿は、会場にまで足を運んだスポーツ観戦客にしか見えなかった。
(けど、やっぱり心配なんだろうな…)
いつも綺麗に心掛けてるはずの、長くてきれいな金髪がぼさぼさなのに気にも留めていなかったから。
私の前で暗い姿を見せないように、辛い心は隠してくれている。気づかれないようにしているけれど、ちゃんと支えてくれている。
ずっと支えてもらいっぱなしだなんてよろしくない。だったらせめて私も、リアさんを支えられるよう頑張ってみよう。
辛い時でも、友達がいれば乗り越えられるはずだと信じたいから。
「——っ、……?」
その時、なんだか違和感。一瞬だけ頭の中がふわっとなったような…?
「彩音? どうかした?」
「い、いいえ。なんでもないですよっ、……ただちょっとリアさんのお茶にティーパック入れっぱなしだったのを思い出しただけです」
「あ、ひどい彩音ぇ。ワタシ渋いの苦手なのにー」
「あはは、すみません…。じゃ、交換しましょう。こっちはだいじょうぶです」
「ん、ならよろしい。二人の勝利を願って——」
「祈って——」
「「乾杯」」
「アチ」
なんとも締まらない乾杯だし、二人の状況を考えると不謹慎極まりないかもと思う。
…けど、二人が勝って戻ってくるのは信じてるから。何があっても夜凪くんは約束を守ってくれる人だって、信じてるから。
「…夏祭り、ちゃんと二人きりで行ってもらうんだからね——」
さぁ前を向いて。
——目に映すことは無くとも二人の居場所から背けることは許されない。
私の数ある我儘の一つを、いつか叶えてもらうために。
彼と彼女がいつか話してくれる我儘を、いつか叶えられるように。
「…ちゃんと、帰ってきてね。二人とも——」
言葉は白い吐息となって、風にさらわれ消えていった。けれど、この世界の内側でいつかは届くはずなのだと信じてるから。…きっと。
□ □ □
『殺しても死なぬ』
以前、シエが心臓を突き刺した状態で余裕あったのはそういう理由か。アイツからの情報なら間違いはないだろうが。
「ノーガードで刺されてるのは見せつけてんのか?」
「いやいや少年、愛する相手を抱きしめるためには両手を空けとかないとだろ?」
「ぬかせ、…よッ!」
「おっとシエちゃん肩を失礼」
「く…っ」
鳥籠に孔を空け、突っ込んだ奴の領域はまさに氷の世界だった。貯水池であるはずの水面は全てが凍り付き、生命を感じ取れないほどの静けさ。空気の粒子一つ一つが制止しきったかのような氷宮殿のようだった。
そして、その中で最初に目にした標的はすでにシエに心臓を貫かれていた。だが、両手を大きく広げているところを見るとわざとくらったらしい。
斬りかかるとシエの肩を軽く押し、自信を貫いた槍ごと離れることで回避された。槍は胸に突き刺さったままだというのに、余裕そうな笑みを浮かべる姿は確かに不死を連想させる。
「……随分とタフなんだな。どんだけ切り刻めば完全に死ぬんだ?」
「内緒、オレはそれなりに秘密主義でね。ああそうだ、これは返しとこう」
深々と貫かれている槍の痛みを感じていないかのように引き抜くと、シエの傍へと放り投げる。
「は、はぁ………ふぅ——」
氷の上で甲高い音を鳴らしながら戻ってきた槍を震える手でつかみ取るシエの指先は青白く染まり、呼吸も浅い。
「ご無事…でしたか、ヨナギ様」
「そりゃあこっちのセリフだろ、待たせて悪かった。よく耐えたな」
「——はい…っ」
俺が来るまでのあいだ、ユーリの領域内に閉じ込められていた。絶対零度の世界では発動したユーリ以外にとって死の世界であることに他ならない。
加えて奴の不死性を前に長期戦に持ち込まれれば、此方の消耗が上回るのは必然。
(時間はかけてられないか…)
死なない理由は知ったことじゃないが、人間である以上は殺しきれない訳じゃあないだろう。殺して死なないというのなら手足を奪えばいい。再生するというのならそれ以上の速度で切り刻み続けるのみ。
「結局、やり方は単純な方が良い。衰弱死狙いするようなのはダメだな」
「おいおいおい、それってオレのこと言ってんのか? 傷つくねぇ、オレがシエちゃんにそんなことするわけないだろ。…いやまぁ、出来ればケガさせたくないからさ。そうなるとこの方法が一番かなー、とは思ったけど?」
ふさがった傷口を確かめるように指先で触りながら軽口を叩くユーリの口調からは気まずそうな空気が醸し出されている。
そして、ユーリの言葉に反応したのは俺ではなくもう一人——。
「私の名を、その口で呼ばないでもらえますか…っ、不愉快です…!」
「ぁー……、辛いなぁ…」
シエの言葉の方が、槍で貫かれていた時よりも激しいダメージを受けたらしい。膝から崩れ落ち、凍り付いた水面を見つめている。
「…大丈夫かシエ、今は少しでも休んでろ」
「その様なこと、なりません。ヨナギ様が戦うというのであれば、私は支え、勝利を献上することこそ使命です。…絶対にお傍を離れはしません」
「…分かった。そういう約束だったな」
「はい…っ、必ず共に帰りましょう。リア様もアヤネも、ヨナギ様のお帰りを待っています」
「ああそうだな。ただ、待ってるのは俺だけじゃない。お前もだ、シエ。二人で、必ず帰るんだ」
「はい——っ!」
「というわけでだ、ユーリ。とっとと諦めて帰れ、お前がいるだけで迷惑なんだよ。でなけりゃここで殺されてけ」
剣の切っ先を向けて言い放つ。
「………はぁ」
言われた方はやる気なさげにゆっくりと立ち上がると、ため息を吐いていた。
「なぁ少年…、一応聞くけどジンはどうした?」
「無力化した」
「なんだ、殺さなかったのか?」
「目は潰した」
「あー……、なるほどね。やっぱそれくらいの実力はあるわけだ。やる気がどんどん失せてくね。オレはシエちゃんを救いに来ただけだったんだが…」
「なんだ、怒らないのか。お前との取引で攻めてきたって言ってたぞ」
「ああそうだよ。急いで侵攻したがってたからな、鬼の子扱いでとっといた『楔』を引っ張り出す代わりに分断させた。ま、アイツは失敗だったみたいだが。だから言ったろ? 今回のオレの目的は従者ちゃんだ。このままラゥルトナーの傍に置いとくわけにはいかないだろう」
「そのようなことを言われる筋合いはありませんっ。私は私の意思で主の元にいるのです。それを救うなどと……、恥を知りなさい!」
とことん嫌いなのか、ユーリに対して異常なまでに拒絶反応を示すシエ。さっきまで冷え切っていた体が怒りによって熱を持っているかのようだった。
「——だが、『墜天子』である以上そうもいっていられない。その灰がかった白髪は隠しようのない特徴だ。
『纏界』の親によって、『崩界』で生まれたキミは、オレ達までとはいかなくとも、『崩界』以外では世界からの修正を絶えず受けている。——ラゥルトナーの傍に居るだけで寿命を削るような真似を、見過ごすわけにはいかない」
「………」
そうだ、ユーリの言う通りに間違いはない。
シエは『墜天子』と呼ばれる少女であり、『纏界』で生まれた人間が『崩界』において産み落とした子供。
堕落した人間から生まれた罪の子供を知らしめるかのような白髪を持ち、純然たる『崩界』の住人でないにもかかわらず、世界の修正を首輪として嵌められた忌子だった。
「オレはな、不幸な女が嫌いだ。許せない。不条理な暴挙をこそ撃ち落とすことが、オレの命を懸けるに値する使命だと思っている。だからこそだ少年、彼女を渡せ。『纏界』の主たるラゥルトナーの元に生きている限り、ただそれだけで痛みを受け続けることになる。長くは生きられない。ヨナギ、お前もそんな悲劇を、決して望んでいるわけじゃあないだろう」
「それは——」
「すみませんヨナギ様。少し、耳をふさいではいただけませんか」
「シエ? いや、けどな——」
「お願いします。これ以上は耐えきれません、ですがヨナギ様にお聞きしてほしくもありません」
「……分かった」
数歩後ろに下がり、耳をふさぐとユーリの正面をシエに譲る。
前へと進んだシエの背からは彼女の心がどちらに揺れているのか、俺の希望的観測では決めつけ——。
「黙りなさいッ!! この軟派者めッ!!」
「………ん?」
「………え」
「ヨナギ様の前だからと黙って聞いていれば…、私を救う? このままでは不幸になる!? なぜアナタの様なダメ男にそのようなことを決めつけられねばならないのですか! 心から非常に不快ですし、気色悪いです。なぜマトモに話したことも無い相手のことを知ったふうな口を利けるのですか。どうしてそう常に上から目線で他者と触れ合えるのですか。私の知る男性の持つ優しさというのから乖離していて理解ができません、同じ人間と思えません。第一、敵であるナイギのアナタになびくなどありえません。自分のことを容姿端麗頭脳明晰な男性だと認識しているのかもしれませんが違います。嫌です嫌いですお断りです生理的に無理です。本当になんなのですかアナタは、私は今の生活を心の底から充足感を得ているというのに、端から不幸だと決めつけて、他者を思いやる自分は誰よりも優しいと思っているのかもしれませんがそんな勘違いを押し付けられても迷惑です大っ迷惑ですッ!! アナタのようなダメ男、ヨナギ様の足元にも及びませーーーんッ!!」
「…………」
「…………」
その瞬間、示し合ったわけではない。敵である相手の動向を窺おうとしたわけじゃない。互いにその様な不意打ちは対処可能だと分かっていたし、この状況では戦いにもならない。
そんな、そんな中でちらりと、空に向かって叫ぶ彼女に気づかれないように視線を交わした男が二人。
勢力の垣根を超えた、男としての共通認識。それだけは敵味方など関係のない、通じ合えるものだったから——。
「…ふっ」
「……」
((えぇぇぇぇ……、マジかぁ……))
効いてないふりと聞いてないふりをする二人、だが形は違えどダメージは確実に受けている。
つまるところ、考えたことはまさしく同様であった。
(あの流れで褒められても複雑なんだよなぁ……)
耳をふさいでいて尚聞き取れる大音量。しかも内容はシエが口にしたことの無いような他人に対する明確な悪口で、あんなに長々と話すだなんて…。
(……そんなにユーリのこと嫌いだったのか)
「はぁ…はぁ…はぁ…ふぅ……。あ、ヨナギ様、もう大丈夫です。…ヨナギ様?」
「え!? あ、はい! そっか、もう大丈夫か、なるほど、よしならいいぞ。うん」
なにがいいのか自分でも分かってないが、なんというか、敵のはずで、殺し合いに来たはずなのにユーリが不憫に思ってしまって、思考がちょっと落ち着かない。
「はいっ、…ですがやはり様子が……。はっ、まさか今の間に不意打ちを! …ユーリ・ナイギ、貴様!!」
「あー、あー、違う、違うからいったん落ち着け。ちょっと寒かっただけだから、な?」
「そ、そうだったのですか? それはまた早とちりをしてしまい…っ、申し訳ありませんっ」
「あー、うん。…次からは、気を付けような……」
「はいっ!」
嬉しそうな笑顔で返事をしてくれたシエ。いつもならこっちまで微笑んでしまう笑顔も今だけは素直に受け取れない。
「は、はハハハ……」
「——っ」
乾いた笑い声、氷の世界において乾燥した風にさらわれ響くその声は一抹の絶望を宿しながらも楽しそうでもあった。
「ハハハ——、そっかぁ…。そんなに嫌われてるとはなぁ、いやはや…誇張抜きでこれまでの人生で一番のダメージかもしれねえ、いや間違いない」
「ならば、このまま始末を付けましょう。例え不死であろうとも、完全な存在はないでしょう。もはや寒さも意味はありません。…戦いはこれからですっ!」
さっきの怒りが原動力となったのか、青白かった指先には熱がともり、最高の状態にまで引き上げられている姿。肢体の表面を迸る『界燐』は槍を伝わって真っすぐすぎる破壊力を体現している。
「ああ確かに。少年も来たしな、戦いはこれからさ。そして、シエちゃん。オレからも宣言しよう。嫌われてるとかは一切関係ない。オレはキミを救う。例えキミの愛するモノ全てをこの手でぶち壊すことになるのだとしても。上から目線の傲慢でオレはキミを救う…ッ」
ユーリの意思は、凍り付いた海に引きずり込まれるかのような冷気と化す。
ただ一人、敵であるはずの女を救うため。
「ゆえにこそ、お前は邪魔だヨナギ。彼女には悪いが今日この場で始末させてもらう。安心しろ、お前の死によってどれほどの心の傷を負おうとも、必ずオレがこの手で救い出す。だから安心しろ、ヨナギ。彼女の幸福を望むのならば、此処で死ぬことこそ最大の贈り物と思え!」
「……」
幸福とするため不幸を起こす。
歪んだ意思ではあるが、ユーリ自身の想いに偽り一つないことは真っすぐ伝わってくる。ならば、俺は逃げることなく相対し、打ち破らねばならぬだろう。
「ユーリ、それは不可能だ。…なぜなら、シエを一番幸せにできるのは俺だからな。お前じゃ何一つ至ることはない。——何があろうが、シエは渡さない」
「ヨナギ様…っ」
氷雨振る夏夜の下で、共に在ると約束した時の腕の温もりを覚えている。
あの時の温もりを、長く離れ離れになりながらも俺を想い続けてくれた忠義の焔をお前の勝手で消えさせてなるものか。
「——その程度できないで何が主だ! シエは俺の従者だ! 決してッ、お前の女なんかじゃあない!」
忠義に報い、シエが忠義を捧げるに足る存在であること。
それこそが俺自身に定められた使命であり、この戦いで、人生において示さねばならない最低条件。
「その権利は俺だけのものだ、お前が得られるものじゃあないッ。シエの命の行方はシエ自身が決めることだ。俺と共に居続けることが苦しめるだけなのだとしても、共に在りたいというのなら止めはしない。俺はシエを信じている。——やろうかユーリ、今日ここでお前に勝利する」
「……そうだな、今改めて理解した。ラゥルトナーの守護者、ヨナギ。お前は間違っている。何もしなければ朽ち果てる者への救済を阻むならば、殺すほかない———」
「やってみろ、前回のようにはいかないぞ」
「ああ、分かっているさ。十全のお前と彼女がいるんだ。簡単に済むなどとは思っていない。だが、それはオレも同じこと。
見せよう、オレの全力、ナイギの力を。———やろうかヨナギ、今日この場で彼女を救済する」
一歩踏み出しただけの余波が氷の表面を伝い、離れた場所から氷塊が隆起する。本格的に『四方界』を用いていないにもかかわらずこれほどの規模の干渉を起こすとは、恐るべき潜在能力。
だが、恐れることがどこに在ろうか——。
「振り返ることなく、前へお進みください、ヨナギ様。この身に何があろうとも、背中はお守りいたします」
「ああ、信じてる」
「はい…、何があろうとも。私も信じております——」
「行くぞシエ、俺たち二人でアイツを倒す!」
「ハイッ!!」
力強い声に背中を押される。元気づけようと思いもしたが、それは逆だった。俺がシエに力を貰っている。
ならば俺も返礼しなければならない。その方法は握られた剣によって果たすのみ——。
「——なら、お互いにおふざけはやめにしようか」
鳥籠の主は周囲を凍てつかせながら、迎え入れるように両腕を広げた。迎え入れ、その上から叩き潰すのだと言わんとするかのように。
「———ッ!」
白銀の剣を突き立てるべく駆けるは、夜の名を与えられた少年。
この瞬間、世界の命運ではない。従者たる彼女を奪われぬため、少年の真なる力が解放されようとしている。
「さあ、始めようか。もはや手を抜くつもりもない。開戦の号砲を響かせて、仇敵を打ち滅ぼす初撃とする。何もせず終わりたくなければ全身全霊、死地を駆けろ。——四方展開、破創混合領域『氷華山』」
能力が発動されるとともに世界が炸裂する。
ユーリの背後、地面であったはずの場所が急速に盛り上がり、火山のように氷塊が吹き上がると、空より飛来する破壊そのものと化した。
「シエ、頼めるか」
「もちろんです、どのような危機からもお守りします。ヨナギ様はただ前へとお進みください」
勢いよく打ち上げられた氷塊は巨大な雪の結晶のようにも見える。
一つ一つが人間大もある質量の塊だ。能力により強化した肉体であろうとも、無防備に直撃すれば重症は免れない。
「バカ、二人で進むんだろう。俺もちゃんと振り返るから、置いてかれそうなら声出せよ。必ず手を取る、一人にはしない」
「——ハイ…っ」
剣を向けるのは空に向けてではない。
狙うべきはただ一人、倒すべき相手は奴のみだ。
「——四方展開、破創混成領域『滅刃』」
「…へぇ、そいつを使えるのか」
刃に光がともる。
刀身より光刃が重なり、ただ一振りの斬撃は数多の嵐刃へと性質を変化させた。その一振り一振り全てが、氷の壁であろうとも切り裂き破砕する威力。
だが、威力を重視するあまり、刀身の周囲の身にしか展開されない以上は降り注ぐ氷塊を撃ち落とすことはできない。
ゆえに、彼は彼女に背中を預けたのだ——。
「——四方展開、封創混成領域『神籬』」
氷の水面に刻まれる真円。
ユーリの支配する領域内に置いて物理的な干渉によって強制的に獲得した『四方領域』。
「フ——ッ!」
舞うように振るわれる槍と、穂先の延長線上に置いて砕け散り、上空の風に流されていく氷塊であったもの。
(ありがとう、シエ——)
背を預けられる。そのことがこれほどまでに安心できるものであったことに、心の中で感謝を。知らぬうち、彼女の存在はあまりにも大きくなっていた。
「ユーリ、お前の悪ふざけも終わらせてやる。——剣の、錆に…なれぇえええ!」
「そうだそれでいい。後悔しないよう、一部たりとも手を抜かずかかってこい。でなければ戦いにさえならないのだから。——冥途の土産だ、氷獄の極地、みせてやる」
打ちあがっては砕かれて、空を舞う礫は月光に煌めき夜空を彩る。
それはまるで、空に揺蕩う虹雲のようでさえあった。
ユーリ戦その2であり、一章のボスです。
『墜天子』
シエを差す言葉ですが、崩界もしくは纏界で身ごもった母体が何らかの理由でもう片方の世界へ移動してしまった後に生まれた子供のことです。目に見える特徴として灰色の髪を持ちます。
ナイギが『崩界』以外で弱体化を受けるのと同様に母体には負担がかかるため、出生、成長すること自体が困難です。非常に身体が弱く、順調に成長することはあまりありません。
そのため、シエのように生き残っている墜天子は非常に稀です。
しかし成長することができれば強力な肉体を得る者が多く、エネルギーを消費しやすいのか食事の量も多い傾向にあります。
シエの場合は母親が『崩界』で身ごもり、移動したのち『纏界』で生まれました。それからしばらくし、母親が死んだ後に彷徨っていたところをリアに拾われ今に至ります。




