21.特訓と空模様②
「で、なんであんなことになってたんだ」
「なんで、って。ねぇ?」
「いや、ねぇ? じゃなくって…、シエから一通りの説明は聞いてるんだよな?」
「うん、『四方界』を使うには『四方領域』が必要で、陣取りゲームみたいにしなきゃダメなんでしょ? で、その領域を作るのが『領域条件』。これは人それぞれ」
「ああその通りだよ。それでだ、俺が聞きたいところは分かるか?」
「……アヤネの『領域条件』、でしょうか」
ずっと黙っていたシエは、気まずそうにおずおずと手を上げる。シエなりに変な方向へつっ走ってたことは反省してるらしい。
「で、決まったのか? なんでもいいから決めとかないと使うものも使えないぞ」
「う…、そ、それはそうなんだけど……」
「思いつかない?」
「……はい、ごめんなさい」
こっちはこっちで、ガックリと肩を落とした皆方は自身を失っているのか難しそうな顔をしている。
「じゃ、仕方ない。それはあとにするか」
「えっ?」
「良いのですかヨナギ様。後にすると言っても可能であれば最初から条件を定め、より具体的な能力使用に向けて訓練を積むべきかと思うのですが…」
シエの言うことはその通り、何も分からない中で練習するよりも具体的な目標を定めて、効率的な訓練をすればより良い効果が期待できる。
「でもなぁ、イメージつかないって言うなら仕方ないだろ。そもそも『四方界』自体、発現する能力は個々人の精神性に左右されるしな。皆方自身が何をやりたいのか、それがハッキリしないと何ともならないだろ」
「そんな夜凪くん、私だってちゃんとみんなの役に立とうって思ってるんだよ。ちゃんと考えてますーっ!」
不本意そうに頬を膨らませて抗議してくるが、皆方の言ったそれではまだ足りない。
「だから必要なのはそっから先だよ。なぁ、皆方」
「う、うん?」
「お前は、なんで俺たちの役に立ちたいんだ?」
「なんで、役に立ちたいか? …それは」
力を欲する理由、その行く先。
なぜ戦い、何を手に入れるのか。
それが分かっていなければ辿り着く先も定まることなく、水上に揺蕩う木の葉と何も変わりはしない。自分の意志で行動しているつもりであったとしても、結局は運命という名の流れに身を任せているだけ。
その中でさえただ一つ、自分自身で決められることがあるのなら、それはまさしく行き先だけだ。そして、そこにたどり着くために必要なのは未来を切り開く意志だ。
「ただ俺たちの役に立ちたい、なんてことじゃない。なんで役に立ちたいのか、どうやって力になりたいのか、それが大事なんだ。
だから最初はそこからだよ皆方、『四方界』は強力な力だ。だからこそ、間違った方向に進まないための楔を心に打ち込むんだ。そうすれば例え道を外れたとしても戻って来れる。俺たちも助けられる」
「…どうやって、力になりたいのか」
噛み締めるように口にして、目を閉じながら考える様は深く集中しているように見える。皆方が軽い気持ちで戦うと口にしたわけじゃないのは分かっている。けど、これまで普通に過ごしてきた女の子なのも事実なんだ。
時間を掛けてはいられないけど、ここを無理に急ぐわけにはいかない。
(無理に進めた時は、失敗した時の反動が大きくなるからな…。まったく、身に覚えがあると変なこと思い出してダメだな)
かつての血に塗れた自分自身を思い出す。
嫌な思い出ばかりだが、それもきっと決意が定まっていたかどうかの表裏一体なんだ。
あの時の俺は精神的に死んでいた。
世界の総てに色はなく、あったのは武器と敵だけ。だが、それは力の使う先が間違っていたから。
自己決定の無い、暗澹とした意識の中でさえ間違っていると思っていたからこそ、俺はリアの手を取ったんじゃないか。
「………」
だから、あんな思いをさせるわけにはいかない。
積極的に手を血に染めるわけじゃあないが、結果としてそうなることはあるのかもしれない。
その時、皆方が立ち上がれるように、差し出した手を取れるように、決意の帰る場所は何よりの支えになるのだから。
「…よし、分かったよ」
しばらく考え込んでいた皆方の目が開かれる。
その顔に不安はない。彼女なりに進むべき先が見えていて、何をすべきなのかを理解しているようだった。
手を胸の前で重ね、自分の想いがちゃんと伝えられるようにゆっくりと、祈るように話し始める。
「私、皆の足を引っ張らないように、なんて考えてたけど…、そうじゃないの。私は戦い方も分からないし、殴り合いの喧嘩なんかもしたことない。だから無意識で自分には闘いなんて無理だって思い込んでた。でもね、そんなこと言ってたら何もできないでしょ?
…私も戦いたい。夜凪くんやシエみたいに武器を振るうことはできないかもしれないけど、その手伝いが出来るなら、私もきっと頑張れる」
空を覆う雲が微かに割れたらしい、一筋の光が差し込んだ先には皆方。その姿は、舞台のスポットライトに照らされたヒロインのようだった。
顔を上げた時、開いた瞳はまっすぐで、やる気に満ちた表情からは自信が伝わってくる。ついさっきまで涙を流していた少女と同じとはとても思えない。
(これなら、大丈夫か…)
揺らぐことの無い瞳を見て、安心できた。この想いがあるならよっぽどの事があっても、足が止まった時にもう一度踏み出すことができるんじゃないかって、そう思えたから。
「それに、もうよさそうだ」
「はい、その通りですね」
「? 何がもうよさそうなの?」
思いがけない言葉だったのか、打って変わってきょとんとした表情に戻った皆方は言葉の意味を測りかねている。
けど、最初は誰だってそういうものだと思う。確か、シエの時も一番最初は偶然のようなものだった。
「アヤネ、何かいつもと違う感覚を覚えてはいませんか?」
シエもその当時のことを思い出しているのか、いつもと少し違う微笑みを浮かべながら皆方へと自覚を促す。
「いつもと違う…、うん、確かに…ほんの少しだけ…。なんだか胸の辺りがあったかいような…」
目を閉じ、その感覚をしっかりと感じ取る姿はまるで天に祈る『巫女』そのもの。
「それが皆方の『四方界』だ。細かい分類はあるけど今は良いか。にしても、最初の使い方が自分に光を当てることだなんて思わなかったが」
「ですがアヤネの魅力は十分引き出されたかと思います。やはり光の中でこそアヤネの溌剌さは輝くかと」
「んー…、夜凪くんの言い方は論外として、ありがとうねシエ。でも、ようやく分かった気がする」
そう言って、胸の前で組んでいた指をほどき、腕を下すと皆方に差していた光は厚い雲に閉ざされ、地上はまたしても影に覆われた。
「天候の操作でいいのか? ま、具体的な部分はこれからだな。雨も降りそうな空模様だし、今日は終わりにしよう」
「え、いいの? 雨が降りそうなら私が頑張ればなんとかなりそうじゃない?」
成功したのが嬉しいのか、試すようにもう一度胸の前で手を組む皆方。
「確かにアヤネの『四方界』が天候の操作であれば雨を止めることもできるかもしれません。ですが、感覚を掴んだとはいえ力の調整が出来るわけではありませんから」
「そうだそうだ、力加減間違えて雷でも落とされたらたまらねえよ。それに、今日は説明だらけで疲れただろ。頭も休ませないとな」
「ま、まあそうだけど…、でもそれについては皆が私の事おいて勝手に話進めてくのも悪いと思うのー」
そうだ、使い慣れてない力ほど何かあった時が怖い。ただでさえ『巫女』っていう存在の力の総量も良く分からないしな。
「ほら、帰るぞ。そろそろ帰っとかないとリアが小言を言ってくる」
「もうそんなお時間でしたか。たしかに、そろそろお夕飯の準備を始めなくてはなりませんね」
「あー…、もうっ、そんな適当でいいのー?」
手を軽く振りながら階段へ向かうと、後ろから納得いかなそうな皆方の声が追いかけてくる。
その声は階段を降り始める頃には隣にいて、俺への質問諸々を適当にあしらっていたら諦めたのか、その後はシエと夕飯についての話題に移っていた。
『いつも通り』からは外れてしまったが、これから先の戦いを乗り越えた先に在るはずの『いつも通り』を手に入れられるように。
「気合入れないとな——」
「うん? 夜凪くん何か言った?」
「言ってない、しいて言うなら説明忘れがあったから明日言っとかないとダメなことを思い出したくらいか」
「ぐ…、まだあるの?」
「あるね、そんな簡単なものじゃあないってことだ。気合入れろよ? 皆方」
「はい…、ガンバリマス」
「私も応援しておりますよアヤネ、アヤネならきっとどんな困難も乗り越えることができます!」
「ありがとー、シエー。うれしいよぉ」
「わわわ、急に抱き着かれるとバランスが…」
いつもの賑やかさを横目に、部屋に到達。
さて、俺は飯まで暇人リアの相手でもしてるとするかな。
□ □ □
「へぇ、たった一日で感覚を掴むだなんてすごいね。中々の才能なんじゃないかな」
「えっへへぇ、そうですかー? やっぱりリアさんから見てもそう思っちゃうんですかー?」
「……あんまり手放しでほめるな、調子乗るだろ」
食事の準備も問題なく終わり、夕飯を食べ進める中、リアに今日の成果を話すとほんの少しの驚きと共に淀みない賞賛を送る。
とはいえこのまま調子に乗られても困る。ちゃんと釘は差しておかないと。
「むぅ、夜凪くんだってもう少し褒めてくれてもいいんじゃない?」
「アヤネ、ヨナギ様も喜んでいますが表に出すのが恥ずかしいのです。どうかご理解していただければ」
「シエ、お前な……。フォローしたいのか辱めたいのか分からんぞ」
「す、すみません…。ですが喜んでおられるのでしたらやはり伝えるべきかと思いまして…」
「いやぁ、シエはいい子だねぇ」
「うんうん、いい子いい子」
「……ったく、それはもういいだろ。明日は続きだからな、ちゃんと休んどけよ」
「はーい。あ、そうだリアさん、聞いてもいいですか?」
「うんいいよ、なにかな」
「お前がリアに質問する時って大体嫌な予感がするんだが気のせいか?」
「気のせい気のせい! それでですね、夜凪くんとシエが能力使えるようになった時のこととか聞いてみたいなーって」
「ああ、そういうことか。うーん、どうしようかなぁ?」
「にやにやした顔でこっち見るな」
「私は構いません。とはいえ私の場合はヨナギ様の後ろについて回るだけの毎日でしたが」
「へぇ、じゃあシエに教えたのも夜凪くん? それじゃあちっちゃい時から使えたんだ」
「…まぁな、面倒な家庭環境だったんだよ」
「そこで、このワタシがションボリヨナを拾ってラゥルトナーに迎え入れたのさ。今思い出しても不愛想な子だったなぁ」
「そ、そうなんだ。やっぱり初めからあって当然、みたいなところだと覚える年も早くなるんだね。じゃあリアさんに拾われた後にシエに教えたの?」
「ん? ああ、そうだな。もっとも、あの頃は教えるつもりも無かったし、マトモに相手もしてなかったからシエ的にもあんまりいい思い出でもないと思うんだが…。ま、『四方界』については本人の努力の賜物ってやつだな」
「いえヨナギ様っ、ヨナギ様に非はありませんっ。拒まれても離れようとしなかった私に問題があるのですっ」
「別に、拒んでたわけじゃないけどな…。まぁ、なんだ…、この話はあんまり深く突っ込まないでくれ。色々と説明が面倒なんだ」
「す、すみません。大きな声を上げてしまい…」
「分かった、なんだかゴメンね、言いにくいこと聞いちゃって」
「いいんだ。…これについてはまた機会があればだな。で?」
「で?」
「いやだから、他に聞くこととかないのか」
「あ、そ、そうだね…っ。えっとそれじゃあ、…こほんっ」
思いがけない空気に動揺する皆方だったが、一度咳ばらいをするとすぐに立て直す。なんというか、コイツも慣れてきてるな。
「じゃあシエの能力は夜凪くんが教えたんだったら、戦い方は誰に教わったの? あんなに大きな槍を綺麗に振り回すだなんて凄いよねっ。なんだか見惚れちゃうよ」
「私の槍捌きなど、そこまで褒めていただくほどのものでは……。そ、それにですね、あくまでヨナギ様の見様見真似ですので…。なんとも褒められるのはこそばゆいというか……」
「ああ、そういえば初めて会った時も武道は我流、みたいなこと言ってたもんねっ。……え、それも夜凪くん? ……えっ、その時って夜凪くんいくつ?!」
「……はいっ、終了! そこまで! 今日も上手い飯だったな! それじゃあシエ、結界仕掛け直しに行くぞ。ほらっ」
「あ、わっわっわ……っ、ですがヨナギ様、食器の片づけを済ましておかなければ…っ」
「んなもん後でいい、っていうかリアにでもやらせとけ。事態は一刻を争うからな、一個でも多く作っとくぞ!」
「わわ…っっ、すみませんアヤネ、食器、食器を——!」
「リアも変なこと吹き込むなよ!」
無理やりシエを引っ張って外へ出て行く。皆方も皆方でなんともデリケートな部分ばかり気になる奴だ。あのまま話してたらせっかく固まった話がややこしくなる。
「シエ、お前の素直で純真なところは間違いなく良いところだけどな、もうちょっと抑えてくれると助かる時もあるぞ」
「は…はい……。申し訳ありません……」
「いや、……悪い。むしろ、隠そうとしてる俺に問題があるのかもしれないな……。アイツなら、別に言ったところで気にはしないんだろうから。細かいところはリアに任せれば誤魔化してもくれるだろうし」
シエを連れだって街の外縁部に向かって歩みを進める。
夜の道を照らす街灯は音を立てることも無く、静かに世界を照らしていた。
「…………」
「……シエ?」
気が付くと脚を止めていたシエに振り向く。薄ら街灯の光を浴びた少女は俯いていて、まるで迷子のようだった。
「どうした。さっきのことを気にしてるなら別に怒ってるわけじゃないし、もしもお前を怒らせたんなら——」
「いえ……、違うのです、ヨナギ様」
「…じゃあ、どうしたんだ?」
うつむきながらも俺の方を見ようとして、それでも真っすぐに見つめられず逡巡する瞳をするシエを見たことは無い。
いつも愚直なまでに真っすぐな瞳を向けてくる少女の初めて見る姿に、俺もどうすればいいのか良く分からなくなってしまって、どうにも動けなくなる。
「…………そ、その……あの…」
「…………」
シエは何を言いたがっているんだろう。
正直、俺はその言葉の行く先を予想できなかった。
いつもいつも、ズレたことを馬鹿正直に口に出すのがシエだ。その彼女が口に出すことを躊躇するなんてこと思いもしなかったし、だから何を言おうとしているのかも予想できなかった。
「………」
だから、俺は視線の先に立つ灰色の少女が言葉を紡いでくれるのを待つしかなくなってしまった。ほんの少しの時間が、静寂のせいでより長く感じられる。
そしてようやく、シエも決心を固めたのか。おずおずとした口調ではあるものの言葉を紡ぎ始める。
「………ぇと…その……ヨナギ、様は…、ヨナギ様は……」
「…ああ」
彼女が、ここまで言い淀むことも無い。それほどまでに言いづらいことで、その理由があるなら俺を心配しての事だろう。
「…ヨナギ様は……、どうして——」
「……」
だから、邪魔はできなかった。
あの小さく、空っぽの心で虚ろに後ろをついてきていただけの少女が己の心を吐露しようとしている姿を見て、俺は止める機会を失ってしまった。
そして、問われる言葉は予想する必要も無いことなんて、俺自身が良く分かっている。
「……どうして、…アヤネに全てをお話ししようとされないのですか…?」
「………」
それは、いつか聞かれるはずだったことで、シエだからこそ聞かないでいてくれると思っていた一言でもあった———。
「ぅー……、またやっちゃった……」
「そんなに落ち込まなくても、ヨナもシエも怒ってはいないよ」
夜凪くんがシエを引っ張っていった。残された私というと半分無意識状態でお皿を洗ったあと、机に突っ伏していつも通りに猛省中。
私だって別に地雷を踏みに行きたいわけじゃないのに、どうしてこうなっちゃうのかなぁ…。
「別に彩音が悪いわけじゃあないさ。ヨナは隠し事が下手な癖に量は多いからね、そこに正直者のシエを添えればどうしてもああなるよ」
「…何を隠してるのか、ってリアさんに聞いてもおしえてくれないですよね…」
「もちろん、ワタシ程に口の堅い人間はいないと自負しているよ。それに——」
「そういうのは自分で聞くべき、ですよね。はい…分かってます、すみません……」
「自分で分かっているならそれでいいじゃないか。それなのに何をそんなに落ち込んでいるんだい?」
「むぅ…」
いつもながらに優雅な仕草で髪をかき分けるリアさんの姿は実に、こう、大人の女性としてキマッている。
「? ふふっ」
「……ぅ」
私の視線に気づくと不敵に笑う姿はまさに蠱惑的、っていうのかな。綺麗な蒼い瞳に囚われるような気がしてくる。
「リアさんは、夜凪くんが何を隠してるのか知ってはいるんですよね」
「うん、伊達に長い付き合いでもないよ。初めて会ったのはヨナが十歳くらい…? の時かな。本当、不愛想な子だった」
「なんだか想像できないなぁ。普段の夜凪くんって別に不愛想ってわけじゃないし」
「そうだねぇ、ワタシも久しぶりに会って内心驚いた部分あったりなかったり」
「え、そうなんですか? 転校してきた時からあんな感じでしたけど」
「んー、そっか。おっと、もうこんな時間だ、そろそろお風呂に入ろうかな。彩音が先に入るかい? 今日は曇ってたとはいえ外で練習していたんだ、汗をかいたんじゃないかな」
リアさんの目線を追った先の時計は九時を指していて、確かにそろそろお風呂に入り始めないと最後の人が遅くなっちゃう。
リアさんに言わせれば『みんなで入ればいいじゃないか』なんだけど、それはたまにあればいいので今は却下で。
「んー…、いえ。先にリアさんが入ってください。入ってる最中でも後でも、二人が帰ってくる前に先に休んじゃってるのはなんだか申し訳ないので…」
「そっか。じゃ、お先にいただこうかな。もしヨナたちが帰ってきたんだったらいつも通りに出迎えてあげるといい。強がってるけど、あれで大分無理をしてるようだからね」
「え? ちょ、無理って——」
「それじゃ後はよろしく、ふんふーん」
「あ——、行っちゃった……」
お風呂は目の前なんだから追いかければすぐなんだけど…。
「ふぅ…」
なんだかそんな気分になれなくってまた机の上に戻ってしまう。
テレビもつけないで二人が帰ってこないかと外の音に耳を澄ませても、聞こえてくるのは時計の音とリアさんのお風呂の音だけ。
なにげない生活音が耳に届く中、皆の秘密について考える。
「……なーんて言っても、私に分かるわけもないんだけどね」
自嘲気味になってる自分に苦笑い。やっぱり“みんなの側”に足を出しちゃった以上、完全に今まで通りなんて無理だよね。
『~~~♪』
「それにしても……」
小さく聞こえてくるのはリアさんの鼻唄。
さっきも意味深なことを言ってたし、二人のことを誰よりも知ってる人だ。ただ…。
「リアさんもあんまり隠し事は上手くないよね。うん」
最近になって分かってきたんだけど、いつも話すときはこっちの目を見てくれるんだけど、誤魔化したりするときは目を逸らしてるような気がする。
「あれもわざとだったりして。……んー、それはない、かな?」
なんというかリアさんって冗談は言うけど、嘘はあんまり言ってないと思う。多分。
「——それにしても、遅いなぁ……ふぁ…」
いけないいけない、あくびが出ちゃった。
「むんっ、ダメダメ、私が悪いんだからせめて二人をちゃんと出迎えるくらいしないと」
顔をパシパシ叩きつつ、眠気覚ましにインスタントコーヒーを淹れる。普段よりちょっと濃いめにしておこうかな。苦いの得意じゃないけど。
「はぁ…、大丈夫かな二人とも。早く帰ってこないかなぁ」
時計を見つつお湯を注いだばかりのコーヒーを口に運ぶ。
きっと、本当に夜凪くんは怒ってないとは思う。
こう思う理由もあまり褒められたようなことじゃないけど、夜凪くんに対して何度も迷惑をかけ続けてきた私の目をして、あの時の態度は怒っている時のものじゃないと反応を示しているのです。
「……そういえば夜凪くんに本気で怒られたことってあったっけ?」
彼自身の姿を怒ってない理由にするなら、証拠は私の記憶の中にしかない。でも、彼に叱られた記憶は何度もあるけど、怒りをぶつけられたようなことは無かったような……。
「あーいいお湯だった。あれ、二人はまだ帰ってきてない?」
「あ、リアさん。やっぱり…捜しに行った方が良いですかね……って、リアさん、ちゃんと服を着てくださいっ」
「えー、ダメかなぁ? いつも怒るヨナもいないし、いいかなって思ったんだけど」
金の髪をタオルで拭きながら現れたリアさんの姿は、髪の水分を拭うタオルのみ。スタイル抜群の裸体を恥ずかしげもなく晒していた。
それにしても、本当に見惚れちゃうくらい綺麗だなぁ。……じゃなくって!
「ダメですっ! リアさんのいたとこ…てん界? じゃあ普通だったのかもしれないですけどここ日本ですし、夜凪くんが帰ってきたら目の毒になっちゃいます!」
「んー? むしろ喜んでくれないかな。ヨナも男の子だし」
「だ、め、で、すー!」
「あははは、ゴメンゴメン、シエがいないのを忘れていて着替えを持っていくのを忘れてたんだ」
「はぁ…そういうことですか。リアさんなら当たり前にやっちゃいそうだからビックリしちゃいましたよ、もぅ」
「はは、そうだね。確かに昔ヨナの前でやった時は白い目で見られてお終いだったし、今も同じかもだしね」
「そうですそうです、夜凪くんだって年頃の男の子とはいっても家族同然ならリアさんの裸だって———、え?」
「じゃあ風邪でもひかない内に着替えてくるよ。えーっと、ワタシの服はどこにしまってあるのかな」
「あ、ちょっリアさ……」
声を掛けようとしたけど、何て声を掛ければいいのか分からなかったから止めておく。それに止めたとしても丸め込まれちゃうのは分かり切ってるのが決定打だ。
「あ、なるほど…」
夜凪くんがリアさんと話すときの苦労というか、なんというか。
それがなんとなく理解できたから、うん、これからはもうちょっと優しくしてあげよう。疲れてそうな時にお茶を淹れるくらいなら、…うん。
「ただいま帰りました」
「あっ——」
耳を澄ませて待っていた時には帰ってこないけど、ふとした時に待ち人はやってくる。
思いがけない来訪に落ち着きも無くパタパタと、音を立てながら玄関まで急いでいく。
「お、おかえりなさい! さっきはごめんなさい二人とも! 私ったら触れられたくない事ばっかり——」
「…アヤネ、良いのです。それに…二人では、ありませんから」
「え?」
勢いよく下げて、言いたかったことをぶつけてみたけど、シエの言葉に促されて頭を上げた先。
「申し訳ありませんアヤネ。私が、ヨナギ様を……怒らせてしまいました」
「………」
そういうシエは今にも泣きそうな顔で。だけど、原因を作った自分が泣くなど許されないって思ってるから、涙を流すことができない。
グラグラと揺れ続ける天秤の中央でなお、己の心を崩しはしない。だけど天秤は揺れ続けていて止まることも止めることもできないでいる。
「———」
そんな、あんまりにも見ていて痛々しい彼女を放っておけなくて——。
「…っ、アヤネ? どうしたの、ですか?」
「ううん…、ゴメンねシエ。やっぱり、私が酷いことしちゃったんだね…」
気が付いた時には抱きしめていた。
他ならないシエ自身がどうして抱きしめられているのか分かっていない。こんなにも泣き出す寸前で、身体は悲しみから震えているのに、それでもどうして悲しいのか分かっていない彼女の姿。
「アヤネ、これでは動けませんよ…。本当に、どうしたのですか…アヤネ? 私は、大丈夫ですから……」
「うん…、ゴメンね。そうだよね、シエはすっごく強いのにこんなふうにされたら困っちゃうよね。…でももうちょっと、もうちょっとだけでいいからこのままでいさせて…? そのあと、もしもよければ何があったのか、教えてほしいな」
「……っ、はい…はい……っ。ありがとう、アヤネ……」
それっきり黙ってしまったけど、時折、音もなく肩口に触れる暖かな雨粒と、腕から伝わる体温だけが、しばらくの間私達を繋いでいた。
□ □ □
『お前には関係ないことだろう! 俺の問題に一々口を挟むんじゃない、ただ黙って見てることがどうしてできないッ!!』
『———もうしわけ、ありませんでした……、っ…』
ベンチに座り、曇りがかった夜空を見上げる。
「………なら、どうすればいいっていうんだ…」
怒っていたわけじゃない。
シエの良かれと思っての発言で困らされるのは昔からのことだし、別に不快に思っているわけでもない。
だが、それでも。
「———」
「…何の用だよ。俺の問題だ、お前には関係ない」
いつの間にか背後に立っていた存在。
ここまで近づかれなければ気づくことすらできなかったとは情けない話だが、世界と同化し、透過しているかのような状態である以上、分かっていたとしても意味はなかったろう。
「俺はきっと間違ってる。そんなことは分かってるさ。だが、それでも、総てを伝えることに意味があるのかどうかが、ずっと、ずっと分からないでいる。それこそ——」
「——————」
「……ああ、アンタの言う通りだよ。だが、どうすればいい。俺とアイツだけなら何とでもなったのかもしれない。けどリアとシエが来ちまった。この先、どうなるかは分からない。第一、俺自身いつまで先延ばしにできるのかどうかも」
「———。……———」
訥々と紡がれる声の主は、木々のざわめきにかき消されては色濃くなる闇に呑み込まれていく。
「…もう時間か。早い…、いや、さっきから見られてたのか。あんまり無理するなよ。いざって時に役立ってもらえないと意味がない。そういう契約だろう」
「…————、——」
「悪い…。ただもう少しだけ、一人で風にあたっていたいんだ。そう怒らなくてもアイツにはちゃんと謝る」
「………」
気配は沈黙と共に薄ら怒気を残して、闇に融けこむように消えて行った。
納得したわけじゃないだろう。こんな体たらく、見ていて気持ちのいいものでもないし文句を言いたくて仕方ないという気配だけはハッキリと感じ取れた。
「はぁ…」
空に月はなく、瞬く星さえも雲の隙間から覗きもしない。
まるで世界自体が眠りについたかのように静かに過ぎて、さっきまであんなに強く吹いていた風さえもぱったりと止んでしまった。
聞こえるのは嫌らしい耳鳴りだけで思考に没頭したいのにそれさえうまくいかない。
「理由は、分かり切っちゃいるが…」
思い起こすのは目を見開いたシエの姿。
立ち去る寸前、彼女の目に見えたのは涙、だったろうか——。
「クソ———っ」
自分の情けなさに嫌気が差す。
日が昇るまでには戻るつもりだが、それさえも踏ん切りがつくかどうかわからない。
なんと無様な姿を晒すのか。かつての俺が見ればその瞬間切り捨てられても文句は言えまい。
「———、考えてても仕方ないか…」
戻らないという選択肢がない以上、俺にできることはちゃんと謝った上でシエともう一度話すことだ。
その話し合いの末、意見がぶつかったときは俺自身の考えを伝えきったうえで理解してもらうしかない。
(けど——、一体どうしたいんだろうな、俺は——)
皆方に対しての隠し事は多い。そして、その中でも最も、伝えるべきかどうかの時点で危ういカードが一枚。
シエが伝えるべきではないかと言ったのはコレだ。そして、だからこそ俺は否定した。それこそアイツの意思を踏みにじってしまうかのように。
「そういえばアイツ、昔はよく泣いてたんだった……」
小さい頃のシエはよく泣いていた。
それがどうしてだったのかは覚えていない。今からでも想像することはできるが真実は本人にしか分かりはしない。
だが、存在の否定をされることは地雷だった。シエは自分に自信がない、それは出自に由来するもので、アイツの心の中でしか解決しない事。
心の奥底、内側に在るからこそ簡単に取り払うことはできず、そしてどれほど小さな傷だったとしてもシエにとっては断崖に匹敵する傷となってしまう。
「今も……泣いてるんだろうな」
走り去ったシエはまっすぐ帰ったろうか、そうだったなら一番いい。皆方ならシエの心に寄り添ってくれるはずだから。
俺なんかよりもずっと、シエに必要な存在となれる。それが、ずっと続いたのならそれはどれほどに幸福な——。
「…………」
そんなもしもを想像しようとして、ヤメた。
幸福な夢を見るには、あまりに罪を重ねすぎたから。俺の様な存在が都合のいい夢を見るなど許されることじゃあないから。
「帰って、話そう……」
時計は無いから正確な時間は分からないが、それなりに立ち止まってしまっていた。いい加減帰らなければ日が昇り始めるかもしれない。
どうすればいいのか、その決意が固まったわけじゃないが前に踏み出さない限りは何一つ進展はしない。だからこそ、小さな一歩を踏み出そうとした矢先、それは起こった。
「…っ、なんだ…?」
街灯が不規則に瞬いたかと思うと、夜道を照らしていた明かりが消失する。
同時、不気味なほどに静まり返り、周囲は肌寒ささえ覚える冷気に包まれた。
「——よお、昨日ぶりだな少年」
「…お前、は——」
風の音も、街の機能でさえ凍結し始めた世界において、唯一自由であり続けたのは空の理。まるで操られたかのように雲の割れ目から月の光が差し込んだ先に、一人の人影が立っていた。
「なんだなんだ、随分と元気が無さそうじゃないか。そういう時は愛する女に癒してもらうことだぜ。愛を与えれば帰ってくるのもまた愛だ」
「……お前らと話すことなんて何もない。失せろ、それかここで死ね」
そこに立っていたのはまさに人影だった。
レギオンとの戦いの後、俺に話しかけてきた実体を持たぬ影でしかこの世界に干渉できないほどの力を持つ男。
「ははっ、どうにも虫の居所が悪いところに来ちまったらしいなぁ。聞きたいことが出来たから顔を見せただけなんだがよ。だが悪いな、男の機嫌を取るのは面倒くさい。
少年が抵抗するっていうのなら、オレはオレでそう動くってところだ」
ナイギの次期当主、ユーリ。
影でしかない状態でさえ、笑う表情が見えるほどの明るい声を放つ男は右腕を高く掲げて指を鳴らす。
音は空気を波打たたせるように広がると周囲は厳かな闇が広がり始め、俺と奴の周囲を囲うように壁となり、牢獄となった。
「……これは——」
「ああ、ヌイちゃんと同じさ。とはいえ他人には気付かれたくないんで規模は小さめだが」
朧に月光差し込む闇の中、実体を持たなかったはずの影が色付き、輪郭が描かれた姿は世界に晒されていく。
「一応念のためだが、自己紹介は大事だからな。ユーリ・ナイギだ。さて、短い時間だが…遊ぼうぜ? 少年」
顕れたるは不敵に笑う一人の男。
そして、遠くない未来に打倒しなければならない障害の一つであった。
誰しも他人には触れられたくない部分というものがあると思いますが、今回はシエが夜凪の地雷を踏んでしまった形です。
夜凪も自身の内面を割り切れない部分が多いキャラなので、今後掘り下げもあるかと思います。
動き出したユーリの行先は夜凪の前でした。彼も重要な立ち位置のキャラとなります。




