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四方総界縁起  作者: くろよ よのすけ
18/100

18.家族会議②

 日当たりがいいというのも、少し考え物だと思う。この部屋を夜凪くんが使わなかった理由がわかるくらいに。

「——————、ん……? んー…」

 カーテンから洩れる朝日から逃げるようにベッドの上を転がる。

 布団をかぶって体を丸めて、この幸せなひと時を一瞬でも享受するのだ。

「———、——————」

「————。———、—————————」

「んー?」


 リビングの方から話し声が聞こえてくるなんて珍しいな。いつもはシエが一番で私が二番目。夜凪くんもリアさんもこっちが起こさないと、ずっと寝てるから私が起きる前に話声が聞こえてくるなんて珍しい。

(なにか、予定あったかな……?)

 寝ぼけた頭で考えてみる。

 リアさんともシエとも、お買い物には行ったし、夜凪くんと出かける予定はない。

「ぁ……?」

 ううん、そうだ、そういえばご飯を食べに行くんだった。

 それもホテルの豪華ランチ、昨日は楽しみで眠れなかったから、つい夜更かししちゃったんだ。

ああ、なんてこと。こんなんじゃ夜凪くんにからかわれちゃう、早く起きないと———

『———わたしは、いいの。———おねがいだから、二人を……シエと、リアさんを…助けに、いって———』

「———っ」


 不意の頭痛とともに何かを思い出す。

これは、なに? 

「御飯……、行って…、それで———」

思い出すまでも無い、何か大事なことが忘却される前に記憶を掴みとる。

『ほら……、行ってよ、お願い……。この前の…ジュースの時の借りに、しておいてあげる、からさ———』

 昨日私は、ホテルで襲われた。その時、シエやリアさんや、夜凪くんが———。

『借りは返す』

 そうだ、熱に浮かされて苦しい中で精一杯張った虚勢を覚えている。

戦いに送りだした彼の背を、見せてくれた覚悟を覚えている。

 ———なら、確かめないと。


「———っ!」

 縮こまっていた体で飛び起きるように布団をどけると、心臓が早鐘をうっていた。

 なんだかすごく嫌な予感だけがあって、声のするリビングに向かって駆け足になってしまう。

「———」

 広いとはいえマンションだ。ドアの前にはすぐについた。それなのに、ドアノブには手を掛けているのに、その手を動かせない。

 この先にいるみんなは、私の知るみんななんだろうか。

 これまでと同じ? それともこれまでが嘘だったんじゃないのだろうか?

「………っ」

 そんな疑念が頭にとりついて、怖くなってしまう。

 さっきまで聞こえていた声も聞こえなくなってしまって、私の聞いた声ですら本当に聞こえたモノなのかどうか不安になってしまう。


 でも、怖がってちゃいけない。

「あれが夢だったとしても…、信じたんだから……」

 だから、まずは話を聞かなくちゃ。

 私の知っている、優しいみんなが嘘をついていたんだとしても、きっと、きっと理由があるはずで。

 根拠のないその言葉。私はみんなを信じているってことをこそ、私が信じられるように。幸福な日々をこれからも歩んで行けるように、ドアノブに掛けた手に力を籠めて———。

「———おはよう、みんな」

 その先にあるはずの、騒がしくも暖かい風景へと一歩踏み出した。


 そして、扉の先には——。

「や、おはよう彩音。今日はお寝坊さんだね、朝ごはんで来ているよ。顔を洗って歯を磨いておいで」

「………」

「うん? どうしたんだい、私の顔になにかついているかな?」

「あ、ええと…っ、その…。リアさん、私聞きたいことが——」

「ふむ、どうやら調子が良くなさそうだね。…嫌な夢でも見たのかな。それとも風邪でもひいた? どちらにせよ、体調が悪いというのなら休んだ方が良いよ」

「あ、あの、話を———」

「うんうん、時季外れと言っても病気は病気だ。しっかりと休んで心と身体を休ませないと危険だし。そうだ、落ち着けるように添い寝でも——」

「リアさんっ、質問があるんです…って」


 リアさんは話しを聞かず、私の腰に手を回して、いつもの流れで押し切られようとしてる。

 このままじゃ流れに乗せられて言い出せなくなっちゃう。なんとか切り出さないといけないのに、その全部を言い出す前にとめられてしまう。

「———あ、ぁの」

「ふふふ、照れなくてもいいよ。誰だって癒されたいという気持ちは——」

 でももう、リアさんのペースに入り込んでしまっていて、流されちゃう。なんとか、なんとかハッキリ言わないといけないのに。

 そのまま来た道を戻らされそうになった時、彼が声を上げた。


「もういいだろ…。今更だ」

「恐れ多くも、私からも提言します。アヤネはもう、知るべきなのではないでしょうか…。いえ、隠し通すことも出来ないかと思われます…」

「夜凪くん……、シエ……」

 いつもよりも機嫌の悪そうな彼の声で、あの記憶が現実のものだったんだってことがハッキリ分かって、何があったのか分からない事への恐怖と一緒に、みんなが生きていたことに安心する。

「ふぅむ、やっぱりそう思う?」

「当たり前だろ、いいから戻ってこい。……皆方は、先に着替えてこいよ。…話したいことが、あるんだ」

「……うん、お願い。じゃあ、ちょっと待っててね」

「…ああ」

 声は不機嫌そうで、目を合わしてはくれなかった。

 でも、やっぱり何かがあったことは本当で、それにはみんなが関係している。

(それに…私もきっと……)

 動けなくなるほどの急な体調の悪化。それに、襲ってきた女の人は私のことを『巫女』だと言っていた。

(私が…、『巫女』?)

 何が何だか分からないけど、みんなが命を懸けて守ってくれたのは分かってる。信じられる。だから、まずは顔を洗おう。

 寝ぼけたままじゃ、護ってくれた相手に失礼だ。

 シャキッとした顔と心でちゃんと向き合わなきゃいけない話だってこと。何も分かっていない私だけど、きっと私にとっても皆にとっても大事で見逃しちゃいけない事だって、そんな気がしたから。



 □ □ □



「で、話してくれるんだろうな」

「本人が知ってしまったんだ、これはもう仕方ない。じゃあ何から話そうかな」

 いつもの朝ごはんのようにテーブルに集まるけど、和気藹々なんてとても言えない。リアさんはいつも通りだけど、夜凪くんとシエは重たい空気を発している。


「あ、あの……、昨日の事って、本当にあったこと…なんです、よね?」

「ああもちろん。彩音を狙った悪党がやって来て、そのせいで体調が悪化、気を失ってしまった。ま、追い返したからしばらくは来ないと思うけどね」

「じゃ、じゃああのホテルにいた他のお客さんたちは…!」

「問題ありません、アヤネ。心配せずとも大丈夫です」

「え…っ? でもレストランはあの女の人のせいでボロボロに…それに空も真っ黒で」

 そうだ、あんなにおかしなことばかり起きたのに騒ぎになってないはずない。巻き込まれて怪我した人たちだっていっぱいいたはず。なのにシエは大丈夫って……。


「テレビ、つけてみろ」

「え、う、うん」

 言われるがままにリモコンのスイッチを押すと、映ったのは朝のニュース。そこには昨日のホテルが映っていて———。

『昨日のガス爆破事故は規模の大きなものでしたが、幸い負傷者も無く、ホテル管理運営会社は、今後このようなことが無いよう徹底した指導を行うとの発表を———』


「ガス爆破事故……? で、でもそんなんじゃ説明できないはずだよっ、あの襲ってきた人とか、空が真っ黒だったの見てたはずでしょっ!?」

「いいから落ち着け。いいんだ、ココではそういうふうになってる。いや、なるんだ。先に話すぞ」

「ああ、任せる」

「そういうふうになるって、どういう、こと…?」

 手を上げて私の声を止めると、夜凪くんが話し始める。

「ここで起きた事件、主にナイギの連中が起こしたのは街の連中は認識できない。空一面が黒くなろうが、ホテルを襲う杭が大量に撃ち込まれてようが誰も気付けないんだ。

 だから、そのニュースみたいに、それなりに納得できる理由を使って別の内容に落とし込まれる。それで、そのことには誰も疑問を持たない」

「………」

「気づけるのは俺たちと、……お前だけだ」

「で、でもっ、今までこんなこと一度も——」

「ヨナが裏で頑張ってたってことさ。ま、ナイギがあそこまで攻勢に出たこと自体稀なんだけれど」


「そんな……」

 自分の身の回りで、あんなことが起きていた? それを何とかするために夜凪くんが頑張ってくれていて……、私は何も知らないままで……。

「なんで、ですか…? なんで私は気づけるんですか……?」

 非日常が足元で口を開け、宙ぶらりんになってしまったみたいに不安になって、身体が震えだしてしまう。ちゃんと聞こうと思って出した声も震えてて、みんなの方を見ることがだんだん怖くなってしまう。

「あの空も、襲ってきた人も、シエが槍を出したところも、忘れてない…。それにあの人、私のこと———」

 そう、私は知ってるはずなんだ。

 どうして、私が襲われたのか、その理由を。

「『巫女』って、なんなんですか…?」

 私は、『巫女』だから襲われた。でも、そんなものになった覚えはないし、知り合いにも巫女さんなんていない。

 だから、分からない。なんで、私が『巫女』で、夜凪くんは守ってくれていたのか…。


「………」

「教えてよ…、夜凪くん……」

「それは——」

「それは私から説明するよ」

「……ああ、そうだな」

 夜凪くんを制したリアさんは昨日の晩御飯を思い出すような気楽さで口元に指をあてている。

「彩音、キミが『巫女』であるということを説明する前に。…そうだね、その前に少し話しておかないといけないことがあるんだけど、いいかな?」

「…はい、何が起きてるのかを、知ることができるのなら……」

「うん、いい子だ。それじゃあまずは『纏界』と『崩界』、ラゥルトナーとナイギについて話さないといけなくなる。実際、この二つの家の争いなんだよ。彩音が巻き込まれているのはね」

「家…ですか? それに…『纏界』?」

「そう、私が当主のラゥルトナー家と、襲ってきたナイギ家。ああ纏界と崩界というのは名前は仰々しいが、そこまで気にすることは無ないよ。街一つ挟んで喧嘩してる地域、程度のものさ。それで、両家はそこの領主、みたいなね」

「…挟まれてる街がここだ。おかげでここが戦場になる」

「そういうこと。彼らがやって来られるのはこの街までで、フェンスを二つ越えて纏界には来られないんだ。それに、目的は私たちの命なんかじゃなくて——」

「……私」

「その通り、ここで『巫女』というものが意味を帯びてくる。『巫女』というのはいわば楔、緩衝地帯や、中立地域といってもいい」

「緩衝地帯? それは、街が挟まれてるって言ってたのと関係が?」

「もちろん、ナイギはラゥルトナーが嫌いだ。殺したくなるくらいにね。そして、それを実行しようとしている。そのためにはどうすればいいか。簡単だ、フェンスを二つ超えることができないなら、一つにすればいい」

「この街を侵略…しようとしてる、ってことですか…?」

「そう、掌握さえすれば纏界の隣街まで攻め込める。そうなれば常に私たちに攻撃を仕掛けられるところまでやってくるというわけさ。うん、困る」

「じゃあ、『巫女』っていうのは…」

「『巫女』とは、リア様がおっしゃったように、この街においての楔の役割を果たす存在です。存在していれば街は常在平穏であり、昨日のような事件が起きても何事もなく過ぎていきます。ですが、もしもアヤネが連れ去られた場合、……その………」


 説明をしてくれていたシエの言葉が詰まり、その先が出てこなくなる。映画でしか見たことのない突拍子の無さに頭が上手く追いつかないけど、それでも大変なことが起きるのは分かる。

「あ———ぇと……」

 でも、直に聞くのは怖くて、言葉は詰まって出てこない。喉は震えるばっかりで、自分が何を言おうとしてたのかも良く分からなくなる。

 このまま沈黙が続くんじゃないか、なんて思った時、彼が声を上げた。

「この街そのものが消える。リアは侵略だなんて言ったけど、それは違う。街ごと消えるんだ。あったはずの場所には何もない空間ができるけど、状況としては纏界と崩界が隣になることに変わりない。そうなったら負けだ」

「なにも…なくなる……?」

「ああ、街も人も、存在ごと全部が消える。…例外はない」


「———」

 ちゃんと、夜凪くんの声は聞こえていて、何を言っているのかもちゃんと分かってるのに、理解ができなかった。

 全部が消える? 家や学校や、そこに居る人たちみんなが?

「…そ、そんなのおかしいよ……っ」

「アヤネ……」

「だって、私に何ができるっていうの……? なにも出来ないんだよ? それが…急に『巫女』だなんて言われても訳分からないよ…っ」

「けれど、彩音がそういった特別な存在であることは変えられない。何をどうやったって、時間を巻き戻したとしてもどうしようもない。だからワタシは、いいやラゥルトナーという一族は『巫女』を守り続けてきた」

「………夜凪、くんも…」

「ああそうさ、私が寄越した。シエもね」

「なんで、私なんですか…? 『巫女』って、いったい……」

 なにがなんだか分からない。頭の中身はグチャグチャで、纏めたいのに纏まらない泥団子以下。いきなり『巫女』だなんて、ドラマみたいなこと言われても分かるわけない。

 夜凪くんや、シエが私を守る為に転校してきただなんて…、これまで友達だと…思ってたのは……。


「——私、だけだったの…?」

 視界が滲んで、溢れて零れた。

 声の震えは大きくなるばかりで、それも怖いからとかじゃない。

 悲しくて、今まで当たり前だった普通の幸せっていうものが目の前で壊れていってるみたいで…。何を、信じていいのか分からない。

「それは違いますアヤネっ、私達はアヤネのことを———」

「護衛対象でしょっ! ずっと傍に居られるから学校に来て仲良くなって、一緒に住むように言って…っ、一緒に……暮らして……っ」


 大きくなるばかりの心をどこにおいていいのか分からなくなって、大声になってしまう。でも…、でも本当に分からないの…。

 信じたいのに、二人のことも、リアさんのことも信じたいのに…。

「…だって……、分からないんだもん……。全部が全部、急すぎて……分からないよ…」

 襲ってきた人たち、守ってくれた人たち。

 信じられるのはもちろん守ってくれたみんなで…。でも、本当にそうなのかって、思っちゃったら、足場が崩れ落ちたみたいに不安になっちゃう。

 ここに居る人たちは、嘘を吐いてないのかって。つい思っちゃう。

「怖いんだろ、分かるよ。…俺も、そうだった」

「———ぇ?」


 涙で滲んだ視界の中、染み渡るように響いたのは彼の声。

 それはこれまで聞いたことの無いくらい落ち着いていて、優しい声だった。

「なに…、が…?」

「目の前全部が敵にしか見えなくなる。自分を信じてくれて、助けてくれていたはずの奴でさえ、疑って、武器を向けて、傷つけてしまいそうな自分に嫌気が差してる」

「……ヨナギ様…」

「別にそれでいいんだ。自分を騙してたやつらだ、疑ったり信じられないのは当たり前で、何処もおかしいことなんかじゃない。…お前は間違ってないよ、皆方」

「………」

 立ち上がって、私の前に立った彼は言葉の出ない私の手を取ると、落ち着いた声で話し続ける。

「だから、謝らせてくれ。隠し事をしていて、すまなかった。…必要なことだった、なんて言葉じゃ納得してくれないのは分かってる。お前の心を裏切ったことに変わりはないんだ。どうやったって、信じられるはずもない」

「………」

「それに、皆方に知られてしまった以上もう止める、なんてわけにもいかない。俺たちにもその理由がある。…だから、頼むよ。話を、聞いてくれないか? その後、怒ってくれてもいい、もう会いたくないって言うならそうする。だから、お願いだ。話を、したいんだ」


「………」

 私は、どうすればいいんだろう。そんな思いばかりが頭を駆け巡っては去っていく。

 きっと、夜凪くんが心配してくれてるのは嘘じゃない。この優しい声色も、取られた手から伝わる仄かな暖かさも。そして———。

(震えてる……)

 手から伝わる微かな震えは、私のものともう一つ。それは彼のものでしかなくて、勇気を出しているのが分かってしまって。

(どうすれば、いいんだろう———)

 いつも周りのことに無関心な素振りの夜凪くんが怖がっていて、私と話すために勇気を出している。

 それは、何も知らないままの私だったら、きっと飛び上がるほどに嬉しいのに。ついつい笑っちゃって、変な顔をするなって注意されるのもなんだか嬉しい筈なのに…。


 ゴメンね、夜凪くん。……私に、そんな勇気はないんだよ———。



 □ □ □


『———、バカ…。何を、怖がってるのよ……』

「———ぁ」

 頭の中で、誰かが声を上げている。

 聞いたことのある声で、聞き覚えのある言葉。それは熱に浮かされたようにとても苦しそうで、今にも倒れてしまいそうなのに力強い。

 たった一人、命を狙われているのは分かっていて、今まで個性的な友達だと思ってたみんなが非日常にいると知って。安全な場所にいる今なんかよりもずっと不安だったはずなのに——。

 口をついたのはその言葉だった。

(なんだ———)

 きっかけなら、あの時から持っていた。不安に押しつぶされそうなのは今だけじゃなかったんだ。

 あれから先のことは覚えてない。今の今までずっと眠っていて、その間も守ってくれていた。夜凪くんもよく見ると、服の隙間から包帯がちらりと顔をのぞかせていて、怪我をしている。

 命を懸けて守ってくれていたのに。

 その上で私に自由を選ばせようとしてくれて。

 友達に嫌われることを怖がっている、普通の男の子なのに。


「そんなこと———」何もしていない私が、何もできない私が、何も知らずに、ただ信じられないだなんて言えるわけがないのに。

 それは、そんなのは最低だっていうことが、今の今まで分からなかっただなんて———。

「サイテイ……」

「………皆方、…分かった。俺たちはもう———、…皆方?」

 夜凪くんが離そうとした手を、どこにも行ってしまわないように強く握り直す。

「ダメ…、まだ、何も教えてもらってないのに。まだ、ちゃんとお礼も言えてないのに。……勝手にどこかに行ったりしないで……」

「……」

「怖かったの…、今まで友達だと思ってたみんなが別人に見えて、すごく怖かったの。…でも、そうじゃないんだよね。私が知らなかっただけ。守ってくれてたのを知らないで、のほほんとしてただけだった…」

「…別に、それでよかったんだ。本当なら、何も知らせるつもりは———」

「もう、ダメだよ…。きっとここで離れ離れになったら、すごく後悔する。私の知らない所で、見えないところで怪我してるんじゃないかって。もしかしたら死んじゃったんじゃないかって…。ずっとそんな風に考えて、何も楽しくなんてないよ」

「でも、もう俺たちもアイツらに顔を知られてる…。近くにいる方が危ないかもしれないんだぞ」

「それでも、いいの。…私にとっては、皆が元気でいてくれて普通のことで笑ってられる。普通の生活を送りたいだけなの。怪我したなら、私も手当くらいなら出来るから……っ。だから…っ」


 また、涙が込み上がってきて、その顔を見られるのが恥ずかしくて俯きそうになる。

 でも、今はダメ。ここでみんなから顔を逸らしたまま言った言葉なんて、それこそ信じてもらえない。

 私が信じるっていうのなら、私を信じてもらうというんだったら。どんなに恥ずかしい顔をしていたとしても、ちゃんと前を向いて、みんなの顔を見て言わないといけないから。

「…別に、今無理して言う必要はないんだ。落ち着いてからでも、呼んでさえくれればすぐに——」

「今じゃないと、ダメなの…っ。ぐす…っ、今じゃないと、ずっと気にし続けるとおもう、から…。だから……、おねがい。

 今までどおり、一緒にいてほしいの…。きっと、いままでどおりには、いかないけどっ。何もかも、変わっちゃうのかも、しれないけど。……それでも、みんなと離れ離れになるのはイヤなのっ」


 言葉にしてみてようやく分かった。

そうだ結局、私のお願いなんてそれくらいなんだ。

 何か大変なことが私を中心に起こってて、それはまるで漫画やアニメみたいな何でもありみたいなことで。何も知らなかった私にはどうしようもできないこと。

 これから先の事も予想すらできなくて心配だし不安で怖くて仕方ないけど、実際の所良く分かっていないのも本当の事なのに。

 何も知らないからって、最悪の事ばかり予想して一人で暴走して……。結局いつも通りだった。

 だから、この弱くって仕方ない心に正直になろう。大したことないことを大声で言ってやる。だって、ここにいる三人はそれくらいしないとちゃんと話を聞いてくれないんだもの。


「———っ」

 今も涙でぐしゃぐしゃの顔を逸らしてしまいたいけど。ちゃんと言えるかどうか分からないけど。まず最初に言わないといけないことから始めよう。

 新しい一歩を踏み出すために、また今まで見たいに笑えるように。何もできない私でも出来ることを、言葉にしよう———。

「夜凪、くん。……シエ、リァ…さんっ。ひぐ、ぐす…っ。

私、が…、知らない内からずっと、守ってくれてて……ありがとうっ、ございました…っ」

「———」

「アヤネ……」

「ふむ」

 止まらない涙のせいで、みんながどんな顔をしてるのかが分からない。ちゃんと言えたかな。ちゃんと聞こえるように喋れたかな。

 ぐずぐずの声と顔じゃあ、伝わったか分からなくて、また不安になってきちゃう。


 握った手から伝わる震えは収まっていない。これは私のなのか、夜凪くんのものなのかは分からない。

 誰も声を上げることはなくって、握る力も変わらなくて、時間が止まっちゃったんじゃないかって気分になってしまう。

でも、私から言えることはあれで全部で———

「皆方」

「は、はい…っ」

「ありがとう」

「……、———」

 言葉は、それだけだった。握っていた手をゆっくりとほどくと、私の顔に手を添えて涙を拭う。

「まさか、礼を言われるだなんて思わなかったんだ。お前の為にしてたつもりとはいえ、ずっと騙してたのに、隠し事ばっかりだったのに。だから、泣かないでくれ。何一つ悪くない皆方が泣く必要なんてないんだ」

「でも…っ、でもぉ…」

「ほら、鼻水も出てるぞ」

「ぅん……。ぐず…っ」


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を優しく拭ってくれる夜凪くんの顔は本当に優し気で、少し寂しそうだった。

「でも、本当にいいのか? 俺たちを許すってことは、もう逃げられないんだぞ。危ない目にばかりあうことになるかもしれない。いや……」

「ううん、いいの。…だって、私の知らない所で怪我なんかしてたら、心配、だもん。どうせ怪我するなら、目の前でしてほしい。それで、ちゃんと無事だって言ってほしいの…」

「……ああ、そうか。確かに、皆方ならそういうんだよな……」

 ほんの少しうつむいた夜凪くんは此処にはないものを思い出すように目を細めて、もう一度私に向き直る。

「これまで何も知らせなかったことは謝る、すまない。

…その上で、俺たちや、アイツらの事。皆方の事についても、話を聞いてくれないか」


 これが、私にとっての最後の分岐点なんだと思う。

 人生は選択の連続だ、なんて言葉はよく聞くけれど、まさか自分に対してここまでハッキリと突き付けられるだなんて思いもしなかった。

 問いかける夜凪くんの顔は不安げで、後ろのシエもそう。リアさんはいつも通り微笑んでいて、何を考えているかまでは分からない。

 でも、もう選んだの。

 ううん、あのビルで夜凪くんを送り出した時から、もう決めていたのかもしれないって思う。だから、不安そうな彼を安心させてあげよう。また、変なことして困らせちゃうかもしれないけど。

 私は、彼の笑顔が好きなんだから———。

「うん…、もちろんだよ」

 だから、選ぶ道なんてこっちしかありえない。

 頬に添えてくれた手をもう一度とると、離してしまわないよう両手で包み込む。

「……だから、教えて? 私の知らないみんなの事や、私自身の事。もう、逃げたりしないから」

「———ああ」


「ならまずは、一度シャワーでも浴びてくるといい。こんな空気じゃ少し話しづらいからね、気持ちを切り替えよう。ささ、行こうか彩音。ほらシエ、手伝って」

「は、はいっ、すぐに!」

「え? え…? あれれ? ちょ、ちょっとシエ!? アレレレ!?」

 ようやく気持ちが良いところにまで持って行けたのに、なんで私はお風呂に連れていかれようとしてるのー!?

「はは……、そう言うことらしい皆方。話はもうちょっとだけあとらしい」

「ちょ、夜凪くんっ。いつもみたいに止めてくれても———あわわ」

 助けを求めた夜凪くんの方はというと力の抜けたように笑っていて、助けてくれそうにない。


「そういえば三人で入るのは初めてだね」

「そ、そのとおりですっ。こちらに来て、朝から入浴するというのも初めてになります」

 ペースの崩れないリアさんと、なんだか状況に流されて慌ただしいシエ。呆れて取り残された夜凪くんの姿は、これまでと何一つ変わらなかった。

(ああ、そっか。結局、私が考えすぎてただけなんだ)

 みんなは何も変わってなんていないのに。一つのフィルターを通したせいでひどい目にあった。それに、皆にもひどいことをしそうだった。

(馬鹿だなぁ、私。これじゃまた夜凪くんに怒られちゃうよ……)

 反省反省、この失敗を次に生かさないと。なんて考えていると、椅子に座り直した夜凪くんから声が掛かった。

「ああ、そうだ。一回だけ、言っておきたかったんだ」

「ふぇ?」

 自分でも分かるくらいに間の抜けた返事をしちゃったけど、彼の方は全く気にしないで、一言だけ。

「……ありがとう、——あやね」

「———!!!」


「あ、アヤネッ!? 頭から湯気が!?」

「アハハハ! うんうん、良いね素敵だね。彩音、ヨナはもう一度言ってはくれないだろうから、忘れないようにしておくんだよ」

「ふぁ、ふぁい……」

 なんて心の軽い女だろう。

 彼が名前を呼んでくれたなんて、ただそれだけで飛び上がりそうになった心は、お風呂に入る前から頭を茹で上がらせた。

 ああ、なんて、なんてハチャメチャな一日だろう。

 この後に聞く話次第ではまた落ち込んでしまうかもしれないけど、きっともう大丈夫。心が折れたりなんかしない。

 だって、私を守ってくれていたみんなが、これからも傍に居てくれる。

(うん、大丈夫。ちゃんと信じられるから———)

 それに何よりも———

「うん? おおシエ、また大きくなってるね。その内抜かされるかもしれないなぁ」

「ひゃぅっ!? り、リア様、お戯れはおよしくだしゃ!?」

「アハハハ———」


 なんてことの無い会話が、こんなにも楽しいってことに気が付けた。もう二度と、この幸せを手放したりしないように、私は頑張れる。

 そう、心から思えたの。


皆方が一歩踏み出す話となります。ラゥルトナー組は隠し事ばかりでしたが、今後に向けて双方が歩み寄る切っ掛けの話でもあります。

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