12.それぞれとの一日②
【シエの場合】
「なあシエ、靴下ってどこ行った?」
「ヨナギ様のものでしたらそちらの引き出しにまとめてあります」
「分かった、ありがとう」
シエが来てからと言うもの、俺の生活環境は数段飛ばしに向上したと言っていい。
「なあシエ、箸ってこの辺に無かったか?」
「食器類はこちらの引き出しに整理しました。お皿などでしたら向かいの棚に」
「あった、ありがとう」
第一に飯がまともになっている。これまでは店で買ってきたものを適当に食っていたのだから劇的な進歩といえる。
何も言わずとも炊事洗濯諸々を進んでやってくれるんだから俺としてはありがたいとしか言いようがない。おかげで無駄に広いこの部屋の空気も澄んでいるような気がする。前は何というか……そう、もっと埃っぽかったし淀んでた。
「なあシエ、なんで起きたら目の前にお前がいるんだ?」
「い、いえっ。ヨナギ様の寝顔を見ていたらつい……」
「そうか……、ありが…じゃなくて———。どうして体半分が布団に入って来てる」
「………お布団を、せ、洗濯しようかと…」
「……そうか、助かるよ。じゃあ…頼む」
「ハイ……、お任せください」
「あっ、シエ! 戻ってこないと思ったら!」
「ち、違うのですアヤネ!? これにはヨナギ様の汗の匂いがするシーツを洗濯するというちゃんとした理由が!」
「はいはい、それじゃあお布団から出ようねー。もう、出る前に夜凪くんを起こしに来てよかったよ」
「ううぅ…」
まあ、偶に布団に入り込もうとしてきては皆方に注意されたりしてはいるが。
「くぁぁ……ぁ」
「おはようございますヨナギ様」
「ああ、おはよ……」
リビングへ向かうと、さっきまでの弱弱しく引きずられていた姿は消え、シエは一人キッチンに立っていた。
「朝食を用意いたしますので、歯を磨き、お顔を洗ってきていただければ。その間に準備させていただきます」
「ん…、分かった」
わざわざ反抗する理由も無い。
言われた通り、寝ぼけ眼をこすりながら身体を伸ばした後、洗面台へ向かう。
何時の間にか四本に増えた歯ブラシは、各々の所有者を明確にするため蛍光色を主張していた。
その中で最も地味な色のモノを取ると、特に何か行動を起こすわけでもなく淡々と歯を磨く。
(ガキの頃ならいざ知らず、シエもデカくなったんだから一緒に寝ようとするのが良く分からん…)
目覚めた瞬間のシエは確実に布団に潜り込もうとしていたが、そこまでしようとする理由が正直思い当たらない。
互いに信頼はある、嫌ってはいないし端から見ればシエには甘いといわれるほど。けれど理由がどうにも思い当たらない。
(懐いちゃいたし、確かに寝かしつけもしたけどな……。そこまで好かれるような行動取ってた覚えがない)
お世辞にも『纏界』における俺の態度は褒められたものじゃなかった。周囲の奴に対しては邪魔な奴らだとしか思っていなかったし、せいぜいがその中でリアに対してのみマシといえる程度。
それはシエに対しても大体は同じだったと思うし、他と比べても小指の先程度マシといったくらいだったと思う。
「……なのになんでだ?」
口をゆすぎ、歯磨き粉によってさわやかな風が吹く口内の感覚を覚える中リビングへ。そこにはさっきの言葉通り、今しがた出来たばかりであろう料理が湯気を立てていた。
「いただきます」
「いただきます」
エアコンの冷房が湯気を吹き流し、少しずつ熱も奪っていく。
いくら熱いとはいえ、冷めきっては本末転倒だ。朝飯があるのと無いのでは大分コンディションにも差が出てくるし、朝から美味いものが食えるのに越したことは無い。
真面な飯が食えることに感謝しなければ。
「っていうかシエ、お前もまだ食べてなかったのか?」
「はい、偶の機会ですので。せっかくですからヨナギ様とお二人でいただこうかと。…ダメ、でしたでしょうか?」
「そういう事じゃなくて、先に二人と一緒に食べてくれててもさ。…ん? そういや二人はどこ行った」
そういえば静かだと、今になって気が付いた。
皆方とリアがいない。いつもなら必要以上にワイワイと賑やかな朝食なのだが、今日はそれがない。どうにも4人でいる時の喧しさってものに体が慣れ切っていたらしい。
(前は大分静かだったのにな)
一人で生活している時には考えもしなったが、二人がいなくなるだけでここまで静かになるとは思わなかった。シエは基本無口だしな。
いや、今はそうじゃなかった。皆方はともかくリアはまだ寝てるのか?
「お忘れですかヨナギ様。お二人でしたら今日は用事があるとのことでお出かけになられました。なんでもお買い物だとか」
「んー、あぁ。言われてみればそんなことを何日か前に話してたような気が…しなくもない、ような……。っていうかあの馬鹿一人で出てったのか? なんかあったらどうするつもりだ」
「も、もちろん私も恐れ多くも進言したのですが…。『彩音と行くのだから二人だ。なぁに何かあれば飛んできてくれるだろう? 信じているよ』とおっしゃられ、頭を撫でていただきました」
「いや、話の着地点がおかしい。……しっかし、買い物ね。あの二人で行くとか何がどうなるのか良く分からないし…、残された俺たちが変に気にしてても仕方ないか……。
街に張った結界は問題ないんだよな」
リアが来た日、シエが張った街を覆う感知用の結界。
アレが正常に稼働していさえすればナイギの侵入を見逃しはしないし、二人がどこにいるかは大体把握できる。それに、もし何かあったとしても駆け付けることはできる。
ただそれは非常時用に張ったのであって、自ら危険な状態に身を置きに行くリアの行動は褒められたもんじゃない。
どうせ無意味だろうが戻ったら文句言ってやる。
とはいえ、その結界も正常に稼働していなければ意味はない。細工があれば仕掛けた本人であるシエには伝わってるはずだし、それを見逃すほどドジでもない。
そのことは分かっているが一応確認しておくに越したことも無いわけで。
「はい、街を覆う結界は問題なく稼働しております。お二人の位置も分かりますがお調べしましょうか?」
そして返答は期待通りだった。そういうことなら問題ない。
それに、シエがいれば問題はないだろう。彼女は俺と違って『四方界』を制限されてはいない。そしてその実力も折り紙付き。
そこいらの侵入者では傷一つ付けられはしないだろうことは分かり切っている。
「いや、いい。…最初の襲撃以来何も起こってないのに、あんまりピリピリしてても仕方ないしな。すぐ出られるようにだけ意識しておくに越したことは無いけど」
皆方を狙ってはいるが、それは命を取るためでもない。向こうもいきなり殺しにかかりはしないことだけは違いない。
そして、それだけの時間があればどうとでもなる。
「まぁ、自称最強が一緒にいるしな。その時は……お手並み拝見とでもいえばいいのか?」
「い、いえいえいけませんヨナギ様。その様な事態にリア様を巻き込むなど、…リア様の従者として看過できるものではありませんっ」
「分かってる。お前はそういう奴だよ、シエ。ってかあの二人で出てったんだったらお前も誘われたんじゃないのか? 行って来ればよかったのに」
あの二人が出かけるとなった時、シエだけが誘われないってのは無いだろ。いや、リアが言えばシエは従うしかないんだろうが、落ち着いた様子からしてどうにもそうじゃなさそうだ。
「はい、下賤な私にも、優しいアヤネは声をかけてくれました。ですが、今回は私の方から辞退をさせていただいたのです」
「へぇ、珍しい」
「…そう、でしょうか。リア様にはどうしてか笑われてしまって、…理由は良く分からないのですが……」
笑われた、ってのは良く分からないけど。実際、誘いを断るというのはシエとしては珍しい。それがリアも一緒に向かったというなら猶更。
ほぼ間違いなく安全とは言え、主と護衛対象から離れるだなんて、以前のシエからすれば考えられなかった。
「じゃあ今日は二人で留守番か。とはいえやることも特にないけど……」
「学校からの課題はまだ終わっていないはずでは?」
「んー? あれは別に明日でも出来る。それに、皆方がいない内に進めると足並みそろわなくなるしな」
「な、なるほど?」
「そういう事だから。今日はなにもしない」
せっかく、皆方が出かけてるんだ。
『計画通りに進めなきゃだめですっ』なんてお小言を聞くために学生なんてものをやってるんじゃない。サボれるときにはサボっといた方が良い。
足並みそろえるとは言ったが、もしここに皆方がいれば『なら明日教えてあげればいいでしょ?』なんて言うに決まってる。結局逃れはしないわけだ。
「さて、と。ご馳走様、美味しかったよ、シエ」
「はいお粗末様です。そう言っていただけると私も励みになります。食器は片付けておきますのでヨナギ様はお休みになられてください」
「そうか、なら頼むよ」
「はい」
少し遅めの朝飯を済ませてソファに体を沈める。リアが来てからは日がな一日占領されているから、ここに座るのもなんだか久しぶりな気がする。
(自分ではそんな気がしてなかったけど。3人がいるって状況が当たり前なくらい、慣れてたんだな)
最初はあれだけ反対だったが、ふたを開けてしまえばコレだ。
無駄に広い部屋に一人で住んでいた時よりも大分マシな生活を送っている。それは飯とか掃除だとかそういう事じゃなくて。
そう、人間として生きられている。なんて言えばいいのかな……、俺自身いつの間にか変わってるのかもしれない。いや、きっと変化自体はあるんだ。
ただ、そのことに気づけていなかっただけ。その変化を自覚できないくらいには色々あったということで。
「食後のお茶を淹れました。良ければお飲みください」
「ん…? ああ、ありがとう。貰うよ」
差し出された湯飲みには煎茶、薄らと湯気が立ち上り、覗き込んだ中身は綺麗な緑色。わざわざ熱いものを差し出すのも、この温度が一番おいしく飲めるとかだろう。
手の平に伝わる熱を感じ取りながら、火傷しないようにちびちびと口に運ぶ。
馬鹿みたいに暑い外で飲もうものなら汗が一気に噴き出すだろうが、幸いエアコンは絶賛稼働中。涼しい中で飲む分にはただただ美味しいだけのお茶だった。
「………くぁ…、ぅん……」
起きてすぐだっていうのに、腹を満たしたら眠気が再び襲ってきた。もう一回寝るつもりもないが、このまま何もしないでいたら寝てしまいそうなのも事実。
俺としては寝てしまいたい部分もあるけれど、それだと万が一の時に初動が遅れる。
そうなりでもしたら後悔してもしきれない。
「……ことは分かってるんだが……、なにしたもんかな」
ここ最近は何もするつもりがなくても、3人の内誰かには引っ張りまわされてばかりだった。おかげで毎日慌ただしく過ごしていたけど、不意の休息っていうのがくると、それまでどうやって時間を潰していたのかを忘れてしまっている。
「ふぅ……」
「おかわりは必要ですか?」
「ん? いや、もういいよ。ありがとう」
「はい」
どうにも気が抜けている。傍に居たシエの存在にも気が付いていなかったのは流石にどうだろうか。
なんて、自分に問いかけたところで緩んだ頭では正常な答えを導き出す前に霧散してしまう。
「………」
リアの香りが漂ってくるソファに寝転んでしまうともうダメだ。気持ちの部分で落ち着いてしまって、ゆっくりと瞼が落ちていくのが自分でも良く分かる。
ああもう、……このまま寝ちまってもいいかな。どうせリアも、現状とやらをマトモに話す気も無いんだ。
あれで危機管理能力は変なところでずば抜けてるし、今日もどうせ問題が起きることも無いし、起きた所で何とかするかなんとかなるだろ。
アイツの運の良さはどうかしてる時があるからな。
「……ん、————」
それならこのまま、明るいうちに眠り直すっていうのも……、悪く、ない———。
「————あの、ヨナギ様」
「———んん……っ、あ、ああどうした?」
眠りにつく寸前、いや今のは眠りについた瞬間だった。完全に眠りについた瞬間、肩に添えられた手の感覚を受けて意識が急速に覚醒する。
これまで眠りに付こうとしていた全身がそれ自体を忘れ去ったかのように、身体は軽く、意識は明瞭。
……得したような、損したような。
「………」
そして、その状態を引き起こした本人へと目を向けると、手を口元に当て、困ったように眉は下がっていた。
「ああ、掃除の邪魔だったか。悪い、今どくよ」
「いえ、そうでは……ないの、ですけれど……」
「じゃあ何か頼み事か? お使いくらいなら別に行ってくるけど」
「そ、そうでもなく……。ないわけでもないのですが……、ええと……」
何か言いだしたがってるみたいだけど、その何かを言い出すのを躊躇してるらしい。
遠慮してるのはシエらしいけど、言葉にしてくれなきゃ俺も分からん。
「そんなに言いにくいことなのか? ああ、サボるなとかそういう事か。シエは真面目だからな———」
「それでも、ないのです…っ」
「んん……、じゃあ悪い。俺には思い当たる所がない。言いにくいだろうけどさ、教えてくれないと何ともできない」
「は、はい……。で、では……。すぅー、はぁー……」
「そこまでか……」
深呼吸を大きく数回、服を押し上げる胸元がさらに強調される。幼い頃とは違うシエの成長に、見上げる形の俺としては目のやり場に困ってしまう。
それもようやく落ち着くと、シエもようやく決心が固まったようで意を決したかのように姿勢を正し、まっ直ぐな眼で俺を見つめた。
「……あの、ヨナギ様!」
「あー、は、はい…っ?」
「私と……、 私とお買い物に行っていただけないでしょうかっ!?」
「………は、はあ…?」
一体何事かと身構えていたが、シエの口にした内容は想像を軽く下回っていて、ちゃんとした反応が返せなかった。ってか、え? 買い物? 普通の?
「あのさ、シエ……」
「ハイっ!」
「買い物、っていうと。例えば……、晩飯とかの?」
「そ、その通りですっ!」
呆れるほどに姿勢のいいシエの姿をみれば、世の軍属共が参考にしたがるくらいに見える。右手を額に当てればそれこそ一級品の敬礼になるだろう。
でも、今はそんなことに感心するより、どちらかというと呆れのようなものの方が大きくて、眠る寸前よりも気が抜けてしまった。
体感的にはさっきよりソファへと身体が沈み込んでる。
「そ、そのですね。私個人の都合にヨナギ様を巻き込んでしまううえ、大切なお一人の時間を奪うような行い。従者として落第点を与えられることは重々承知ですが———っ、……その、もしも、お時間に余裕があり…、お気持ちもよければ…と、思いまして……」
「———」
最初の決心は最後まで継続しきれなかった。
語尾へ向かうにつれて段々と小さくなっていく言葉は弱弱しく、さながら雨に打たれた子犬。
それなら可哀そうだとか思ったりもしたろうが、相手は成長した女の子で。その少女が身にそぐわぬ覚悟を以って放った言葉は『買い物に付き合ってほしい』だ。
それも特別なものじゃなくて、今日の晩飯の。
「ふ、っははは————」
見た目と発言のギャップに差がありすぎるだろ。
しっかりしているようで、当たり前に備わっている部分が抜けてしまっているんだ。それが可愛いと言えばその通りだろうけど、シエの場合は愛らしいって言えばいいのかな。
なんにせよ、シエの落ち込んだ姿は中々に面白いもので、頼み事そのものも愛らしいと言えるものだった。
「……その、ヨナギ様。何か、おかしなことを口にしてしまったでしょうか。いえっ、おかしなことを口にしたのは分かっておりますが、その……笑われると———」
「よし、行くか。今からでいいのか?」
「え? え、っと。それは———」
「なんだ、行かないのか? それなら俺一人で行ってくるけど」
「いえ…、いえっ、行きます。えと…その…ぉ、すぐ準備いたしますので少々お待ちくださいっ! わっ、———ふぎゅっ!?」
買い物に行く前にこなしておく作業がまだあるのか、持っていくものがあるのか。急いで準備をしてるみたいだけど、それもまだ少しかかりそうだ。
家事なら俺が手伝う方が時間も掛かってしまうし、着替えなら手伝うわけにもいかない。
つまり俺にやることは無いみたいで、もう一度ソファに体を預けて湯飲みを手に取る。
「っと、さっき飲みきったんだった。…水でいいか」
「先に掃除……、その前に洗濯機を回しておいて———、ああっ、先に外着に着替えてしまいました、汚れが———!」
ドタバタと、落ち着きのない音を響かせながら突貫作業を推し進める様子は見ていて飽きない。その姿にもつい笑みがこぼれてくるが、気付かれるとシエも気にするだろうから、俺は俺で大人しくしてるとしようか。
「ああっ!? 洗剤を入れ忘れてしまって———! も、もう一度……いえ、一度くらいなら……。ハッ…、私は一体、なんという……。従者としてあるまじき行為を———」
「はは……ったく、焦らなくてもいいのになぁ」
必要ないかとも思ってたけど、これは手伝った方が良いかもな。
とは思うんだけど———。
「あわ、あわわわわ———! 洗剤が箱ごと———っ!?」
「こりゃあ、見てる方が面白そうだ」
声だけでも随分おかしな状態になってるんだ。それにシエなら決定的な部分で失敗はしないだろうし、いつもと同じか、少しだけ時間が掛かるくらいだろ。
シエが家事に手間取る様子なんてもう見れないかもしれないからな。もう少しくらい見ていても罰は当たらない。
「さぁて、俺は俺で着替えるくらいは済ませておかないとな」
これで出かける寸前に俺がシエを待たせるのは忍びない。何時でも出られるようにだけはしておこうか。
「あれ、いつもの服は———」
「す、すみませんヨナギ様っ! まとめて洗濯機に入れてしまいました!」
「あー……、ははは。それならまあ、仕方ない。適当にクローゼット漁るから気にすんな。いつも通りやれば完璧なんだから落ち着けよ」
「ハ、ハイ! 不肖シエ、全力でいつも通り頑張らせていただきます!」
変な闘気のような揺らぎを放出しながら洗剤の泡が溢れそうになっている洗濯機へ向き直るシエ。あの状態からどうすれば何とかなるのかはよく分からないけど、全力で何とかするって言うなら何とかするんだろうな……多分。
「……そういうことじゃ、ないんだけどな」
「え? ヨナギ様、なにかおっしゃいましたか?」
「いんや、なんでも。こっちは気にしなくていいから。落ち着いてな」
「ハイ!」
「………」
なんだか不安が残るけど、まあ大丈夫だろ。きっと。
「時間は…、まだありそうだな。……外は、暑いだろうなぁ」
分かり切っていることを口にしながら適当に服を見繕う。
その間もシエの愉快な声は耳に届いてきたが追加の掃除に昼までかかったみたいで、結局俺たちは昼飯を済ませてから家を出ることとなった。
晩飯の材料以外にもついでに何か買う物もあるだろう。
なんて理由で向かう先は近くのショッピングモール、徒歩で行ける距離だがいかんせん暑さが邪魔をする。
道沿いに植えられた木の影を歩きながら、雑談でも。そうは思ったけど、背後のシエはしょぼくれていた。
「お待たせしてしまった、申し訳ありません……」
「もういいから気にするなよ。そもそも時間的には昼に出るのでちょうどいいしな。飯も済ませたから混んでるとこに入ってく必要も無し」
「はい……、ありがとうございます」
きっかり三歩、俺の後ろに着いて歩くシエは案の定落ち込んでいて、トボトボと歩いている。
「ってかシエ、なんでわざわざ後ろ歩いてるんだ? 掃除とかの事なら気にしてないし、並んで歩いた方が話すのも楽だろ」
「ヨナギ様のお言葉はありがたいのですが、これは私のケジメのようなものですのでお気になさらないでください……。私のような者がヨナギ様の視界に入るというのも、失礼な、事ですから……」
「お前……」
灰色がかった髪を指先でいじりながら、気まずそうな表情を見せる。そうか、気にしてたのはそれか。
誰にだって、どうしようもない事はある。それは俺にとっても避けられない問題で、シエの抱えているものもそうだ。
彼女の悩みを完全に解決することは不可能だ。アレはもはや歴史を作り直しでもしないと無くなりはしない。
事態を動かすって意味の重さで言えばシエの悩みよりも上に位置すると思ってるし、間違ってはいない。
でも、そういう事じゃないってことも分かっている。
「なあシエ、俺が“その髪のこと”を気にしてると思ってるのか?」
「……ヨナギ様が、この髪色をお気になさらないお優しい方であることは理解しています。ですが…、私自身は……」
「ああ、見てれば分かる。とはいえ、俺がこっちに来てから結構経ってるのに、まだ気にしてたのは正直意外だった。ああいや、悪い……、お前にとっては大切なことだった」
「よいのです、事実ですから……。ですが、私のことを気にかけていただいているということはなにより代えがたい喜びです」
「……、大げさだよ。それを言うなら俺だってそうだ。ただ外見に出てないだけでさ、とはいっても、シエにとっちゃ気休めにもならな———」
「そのようなことはありません!」
「ん……?」
珍しく大きな声を出したシエはその場に佇み、見つめる先は足元。かすかに震える声は感情の高ぶりを伝えてくる。
「ヨナギ様の存在が、私にとってどれほどの救いになったか……。感謝してもしきれないのですっ、貴方がいてくれたからこそ、私は今ここに生きていられるのですっ」
「シエ……」
昔から何も変わることの無い忠心、信頼を置くことのできる数少ない相手。それは互いに思っていると考えていたし、疑ってはいなかった。
けれど、きっと彼女の想いは俺の持つものよりも、ずっと純粋で綺麗なものだ。
目を離した瞬間には死んでいても不思議じゃなかった。あの小さな子供が、ああなんて、本当に、本当に真っすぐ育ったものだ。
それも、こんなダメな野郎と、ダメな女をこれ以上ないほどに慕ってくれている。
「そうか……、やっぱり分かってなかったのは俺みたいだ。謝るよ、ゴメン」
適当な姿勢じゃない、ちゃんとした形で頭を下げる。
彼女の過去と信念を知ってなお、それを否定する言葉は許されなった。それが自分にとって素直に認められるものでなくても、彼女にとっての真であり信。
それだけは、穢すわけにはいかない。
「お、おやめくださいヨナギ様。私などに頭を下げるなど……っ」
駆け寄ってきたシエは恐る恐る俺の肩に手を当てると、身体を起こそうとする。ここで抵抗しても意味はないし、大人しく従うが、目の前のシエは本当に慌てていて、どうすればいいのか分からないと瞳をうるませていた。
「とはいってもさ、お前にそんな顔させたのは俺が悪いよ。それは間違いない。だから謝ったんだ」
「ですが、それでは立場が逆転してしまいます…。ヨナギ様、リア様でしたら私に対してはどれほどぞんざいな扱いであっても受け入れる覚悟も出来ております。……ですのでどうか私に謝るなど、おやめください……っ」
さっきまで頭を下げていた俺を起こしたはずのシエが頭を下げている。まるで、命を奪われまいと懇願するように、だ。
「……ったく、あのリアと二人で住んでたのに、どうしてそこまで堅物のままなんだお前は…」
「あぅっ?!」
頭を下げたままの、彼女の額にデコピンをかます。可愛らしい悲鳴を上げながら面を上げたシエの顔は今にも泣きそうになっていて、男の俺としては何とも困ってしまう。
こんなところをアイツらに見られようものなら何を言われたものか。なんてのは今はどうでもいい。そんなことよりもシエの今が大事だ。
「重く考えすぎなんだ。俺だってシエがいてくれて助かってる。家のこともそうだし、近くに居てくれてるってだけで心強いんだよ。俺だけじゃどうしようもできないことも、お前なら達成してくれるって、そのことが分かってるから。
だから、そんなに自分の価値を下げないでくれ。俺の知る限り、シエほど信頼できる奴はいない。どんな時でも、お前だけは信じられる」
「———、——————」
「……なんて、ちょっと大げさすぎたか……。自分で言ってて恥ずかしくなってき———。……シエ?」
直立不動で立ちっぱなしのシエの顔は真っ赤。それはさっきのデコピンだけのせいじゃないはずで、今にも泣きだしそうにうるんでいた瞳はポロポロと涙をこぼしていた。
「うおっ、どうしたシエ、やっぱり俺の言葉じゃだめか…?」
「いえ……いえ……。違うのです、違うのです……。あまりにも、ヨナギ様の言葉が嬉しくて……認められたことが言葉にならないくらいに喜ばしいのです……っ」
「シエ……、お前」
腕で涙を拭うシエは泣いているのに笑顔だった。
その顔は俺の語彙力では上手くカタチにすることはできない。でも、すごく嬉しそうで、欲しかったものを手に入れた子供のような純真さがあった。
「そうか、悪かった」
「ど、どうして謝るのですかっ。私の言葉に嘘はありません、この涙は本当に———」
「そんなに喜んでくれるなら、『纏界』にいた時からもっと褒めてやるべきだった。いや、それは無理だったか…」
「———、そ、それは……。その……、結構です」
「あん? どうして」
「そ、そのぉ……。毎日褒められてしまうとそれだけで舞い上がってしまって……。ミスをしてしまいそうで……」
褒められたいけど、褒められたくない。
涙を拭いきった指先をもじもじと絡ませながら、恥ずかしそうに明後日の方へ目を向ける姿はすごくどっちつかずで、なんともまあ愛らしいことこの上ない。
「ぷっ、ははは———、リアの言葉通りって訳じゃないが……シエ、ホントお前ってやつは可愛い奴だよ…」
「そ、その様なことは…、それにヨナギ様の口からリア様のようなことを言われたら……。……うぅ。これ以上はもうすみません、耐えきれそうにないのです……」
「ん? そうか、お前がそう言うならそうなんだろうな。まあ、なんだ。シエには期待してる。っていうと大げさだけどさ、信じてるのも、大切に思ってるのも本当だから、もっと自分を大事にしてくれ。頼むよ」
「………はい、それがヨナギ様のお気持ちならば、私はその想いに付き従うだけです」
言葉は固いが、その表情は花のように柔らかで朗らかだった。
「ああ、期待してる。ってな」
「ぅん……、ひゃ…っ、そ、その……頭を…撫でられると……えぇと………」
「む、ああ悪かった。昔の頃を思い出しちまって、これからは気を付け———」
「いえっ、…たまにで、いいので。またおねがいしましゅ……」
頭から湯気を出し始めたし、本当に限界そうだ。本人も降参したし、顔は真っ赤。これ以上は止めとこう。倒れられたら非常に困る。
「そっか、はは……、分かった。じゃあ、ちょっとその辺で休憩してから買い物行くか。別に材料は逃げないだろ」
「……ハイ…、アリガトウゴザイマス……」
「ん……? またなんで後ろを歩くんだお前は」
「で、ですので隣に並ぶなど私には———」
「ならこうだ」
「えっ? ひゃ———!?」
シエの手を握って無理やり隣に並ばせる。これでもう後ろには行けない。
「そら、行くぞ。キリキリ歩けってな」
「わわわ…っ」
「あはははっ」
慌てるシエの手を取って、少し先にある喫茶店にでも行こう。飲み物でも飲んで、のんびりすればもう大丈夫だ。
シエ自身の問題を解決しきるのは難しいけど、これからはもう少し、お礼の言葉を口にするとしよう。
「———がとう……ヨナ…様」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ……、ただ、お礼を———」
「……そうか」
何か、シエにとっていい変化を与えられたなら嬉しいけど。それはまだ分からない。ま、これからも付き合ってかなきゃならないんだからちゃんとやってくさ。
まずは休憩、心と身体の両方のな。
「そういえばさ、結局のところ、なんでわざわざ俺の後ろ歩いてたんだ?」
「はい…それでしたら、先ほど申し上げたものと、……その」
「その?」
「……リア様が、ですね?
『女は男の3歩後ろを歩くもの。それこそ親愛を表し、互いの信頼を高めることに繋がるのだよ』とおっしゃっておりましたので、その……実践をと」
「あー、アイツか……」
また何かおかしなことを吹き込まれたらしいが、実際関係性が良くなってるから何とも言えない。問題起こす癖にこれだからしかるに叱れないんだ。ったく。
「考えるのもあほらしくなってきた。結構長居しちまったしそろそろ主目的に——」
「あの———」
「ん、どうした?」
「ヨナギ様は———、その……、リア様に……。いえ…、お気に、なさらないでください。私が口をはさむようなことではありませんでした……」
「……ああ、そうだな。その内にちゃんと聞くよ、心配させて悪い……。言ってくれて、…ありがとな」
「はい、もしもお力になれたのでしたら、大変喜ばしいことです」
「うん……。じゃ、遅くならないようにだけ注意して出るか。戻るのがアイツらよりも遅いと何言われるか分かったもんじゃない」
「ふふっ、そうですね。あっそうでした、ヨナギ様は今日の晩御飯、何かリクエストはありますか? 朝のふがいなさを払しょくするためにも最高のモノを目指します!」
「はっ、そりゃいい。ただ……俺の食いたいもの、か……。シエの作ったモノならなんでもいいんだけどな」
「い、いえっ。いけません。より良いものを作るためにも目標は明確であった方が時間も有効に使えます」
「っつてもなあ。ぅぅん……、なんかあったかな?」
「ヨナギ様ぁ……」
「変な声出すなよ、俺だって考えて———」
「そうか、なら私はロールキャベツがいいかな」
「じゃあ私はハンバーグで」
「……なんで、ここにいる……」
「なんでって、なぁ?」
「なんでって、ねぇ?」
奴らの声が耳に届いた時にはすでに遅い。肩に置かれた手に力が込められているわけじゃないが、面白そうだ逃しはしないといった不純な動機だけは十全に籠められていた。
「ショッピングの休憩だよ。アヤネが良いところがあるといったからお言葉に甘えて、という奴だ。うん…なるほど、確かに悪くない」
「そうそう、モールから少し離れてるのもあって、来るまでの暑いのさえ我慢すれば混雑してないんですよねー」
「それに装飾の趣味もいい。おっと、私とあろうものがついつい褒めてしまった」
「そうなんですよ! この掛けられた絵なんて———」
「よし、シエ、俺は帰る。メニューはこいつらが決めるはずだ———!」
「おっと」
「待って」
「お待ちを」
「ぐ———っ!? ……シエ、お前もか」
金だけおいて逃げ出そうとしたら襟を掴まれて息が詰まる。
二人が止めようとするのは分かっていたから、そうならないようなルート取りをしたはずだったのに、背後に伏兵。
唯一問題視していなかったシエに裏切られた形。いやそもそも、俺の望んだ晩飯を作るという、一度決めたことを投げ出す奴じゃなかった。
(変なところで真面目過ぎる……)
「えっ、シエ今から材料買いに行くの? じゃあ私も行くよ、リアさんもどうですか?」
「無論だとも。折角集まったのだから行かない理由も無い。ねぇ、ヨナ?」
「………」
「え? 夜凪くん、行かないの? 行くよね?」
「お任せください、必ず満足する料理をお出しして見せますっ」
「くぅ———っ」
そういう事じゃない、そういう事じゃないんだよシエ。
お前が大真面目すぎるくらいに料理に対する情熱を燃やしすぎているのは分かってる。分かってるし、その想いに俺も応えたい。けどな、後ろの二人はダメだ。動機の時点でズレてんだよ。
「さてヨナ、そうと決まればティータイムといこう。折角だしここにシエと来た経緯も聞きたいところでもある。ねぇ、彩音?」
「そうですねぇリアさん、私もすっごく気になっちゃいます」
「やっぱりかお前ら。……別に大したことじゃない。シエが買い物に行くっていうから着いてきただけで———」
「ハイストップ! 夜凪くんはストップ! ねぇねぇシエっ、夜凪くんに変なことされてない? 大丈夫?」
「誰が変な———むぐ……」
「ヨナは一回休みだ。そら、さっき買ったタピオカ…ミルクティー? だ、流行りらしいよ?」
「容器を顔に押し付けておいて…どうやって飲めっていうつもり……冷たいんだよっ!」
「それでシエ、ヨナの恥ずかしい事があれば聞きたいな。盛りのついた年の男が従順な少女とようやく二人きりになれたんだ。何かあっても不思議じゃあない」
「えっ? えぇっっと……」
リアも参入した尋問にシエはタジタジ。よし良いぞ、何が何やら分かってないし、アイツでも自分が泣いちまったことは言わないだろ。
「ヨナギ様のことで……なにか……? ええと……」
このまま適当に…、穏便に…。
「あっ!」
「おっ」
「なにっ」
「おい待———むぐ」
静止の声はクッキーを突っ込まれて止まった。くそ、皆方め、なんでこっちを見もせずにねじ込めるんだお前。
「己のふがいなさに涙してしまったところ、ヨナギ様に頭を撫でていただけました」
「ほう」
「む」
「……もう知らん」
「ヨナ、そこまで誑かしたならそのままホテルにでも———」
「ダメ、ッです! ソレハダメ!」
「うん? 彩音は家でする方が好みかな?」
「そういう事じゃなくて!!」
「これからもヨナギ様のお力になれればと、……ええと、アヤネ??」
「……甘すぎないかコレ、どんだけ砂糖入ってんだ?」
「そこ! 無関係を装わない!」
「そうだぞヨナ、男の甲斐性を見せる時だ。何、二人も三人も変わらないよ」
「だからリアさんはちょっと静かにしててくださいっ!」
「おー、顔を真っ赤にして可愛いね彩音は。ふふっ、そうだねぇ。こういった話は灯りを消した室内で月明かりに照らされながら——」
「んもぉーーー」
なぜか皆方が自滅した形となったが、これが落ち着いたら次は俺だ。
災難が降りかかるまで後どの程度か。今はただ馬鹿みたいに甘い茶色の液体を飲んで英気を養うしか手は無かった。
(……ヨナギ様)
(ん? なんだよ……)
(これからも、よろしくお願いいたしますね。きっとお役に立って見せます)
(……ああ、頼りにしてる)
わーぎゃー喧しい二人、というか皆方の影で、小さな声で伝えられた彼女の想い。
俺も、見捨てられないように頑張らないとな。……とはいえ、この後精神的にボロボロになるんだろうけどさ。
「はぁ……やんなるな。まったく———」
「ふふっ、応援しております。ヨナギ様」
「はいはい、せめて引き金引くのをもうちょっと抑えてくれればもっといいんだけどな」
「?」
「はっ、何でもない。シエは今のままでいいさ」
「———はいっ!」
夏に開いた花びらのような華やかさを湛えた笑顔を見せられたら怒る気にもならない。これから先、これが見られるならもうちょっと頑張ってみてもいいかな。なんて思うくらいには。
「あーっ、夜凪くんがまた誑かしてるー!」
「おや本当だ。いけないなヨナ、達が目を離したらすぐに手を出すとは」
「言ってろアホ共」
ただ、その前に目の前の暴走特急とその車掌を何とかせねば俺の未来は拓けさそうだ。勝ち目はないがやるしかない。せいぜい致命傷は避けてやるさ。
だからそのためにまずすべきこと———
「シエ、ちょっと静かにしてろよ? 変なこと言うなよ?」
「変なことというと、リア様のソファで幼子のように眠りに付こうと——」
「そういうのだ馬鹿っ!?」
俺はまだこの従者との付き合い方が下手らしい。
でもいいさ、これからはもう少しうまくやっていけそうな気がするんだ。だから今回の天然くらいは水に流そう。
さて、これからが正念場だ。
何とか晩飯にたどり着くために頑張るとしよう。
シエ回です。
本作は三章立てで書いたのですが、一章にあたる現在は”一応”シエルートにあたります。
そのため本章ではシエの出番が比較的多くなりますので、彼女を好きになっていただければ私も非常に嬉しいです。




