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 大正11年 夏


 1


 高等女学校の正門の前は本通りに続く長い下り坂がある。

 その坂道を一学期を終えた女学生達が帰って行く。

 明日から夏休みである。

「また新学期にお会いしましょう」

 しばらく会えない友にむけて、名残惜しむ声、喜びに溢れた声といろいろ入り交じった声が飛び交っていた。

 その集団の中に、センの姿もあった。センの隣には調子(ちょうこ)とキャサリンがいた。

「早いわねぇ、あっという間に一学期が終わってしまったわ」

 調子(ちょうこ)は感慨深げにため息をついた。

「疲れた」

 調子の横でセンはいかにも疲れたというように呟く。

「センはよくやってると思う」

 キャサリンが楽しげに鞄を振りながらセンを見た。

 三人は4月からこの女学校の同級生になっていた。

 調子は横浜の高等女学校を1年の途中で辞めていたので、(よろず)が渋る調子に女学校へ行くことを勧めた。

 センはイズミが楽しみにしていた女学校に行って、イズミが経験したかったことを自分が代わって経験してあげようと通うことにしたのだが、小学校の時のように自由がきかず、先生に叱られない日はない散々な一学期を過ごしていた。

 キャサリンは父ゴードンの転勤で横浜から引っ越してきて、センが女学校に行くと聞いて一緒に行くことにした。

「センは人気があるのよ」

 目をキラキラさせてキャサリンが言う。

「どこが・・・」

 センがうんざりした目でキャサリンを見る。

「センは学校中の憧れの的だわ」

「ふふふ、そうね、センは憧れの若様だわ」

 調子は矢羽根模様の着物に紺の女袴の女学生スタイル。キャサリンはワンピースの洋装、センは白い着物に紺色の男袴をはいていた。髪は短いままなので学校に行くときは付け毛を付けていた。

「『僕というのは止めなさい』『乱暴な言葉はいけません』『淑女たるもの・・・』先生は僕の顔を見るたびにそう言うんだよ」

「センが女の子と聞いたときは驚いたけど、今でも思えないんだけれど」

「女の子なんだけど男の子みたいな、その中性的な魅力にみんな憧れてるわ」

「ほんと!センは素敵だわ、その凜とした佇まい、聡明な綺麗な顔立ち、その大きな目は特に魅力的だわ。どこをとっても憧れの若様よ。ほら、まわりを見てご覧なさい。みんなセンに挨拶したがっているわ」

 まわりを見ると女学生達が遠巻きにセンを見てる。

 センが顔を向けると、

「きゃー」と黄色い歓声が上がった。

 センは笑顔を作ると、みんなに向かって手を振った。

「また新学期に会おう」

 女の子達がまた「キャー」と歓声を上げた。

「サービス精神がすごい!」

 キャサリンが驚いた。

「旅館の娘だからね、敵は作らない方がいいんだって。だから見られているときは笑顔で返してあげなさいって」

「へぇー感心する」

「いや、イズミの受け売り。小学校の時そうしろと言われた」

「小学校の頃からもてたんだ」

「もてたって、なにが?イズミも同じだったけど・・・」

「イズミちゃんも綺麗だったからねー、二人とももてたんだ・・・」

 キャサリンが一人で納得するのを不思議そうに見るセンを見て、調子はフフフと笑った。

 少し広い通りに出ると、学生達の姿もまばらになって来た。

 前方を見ていたセンはカイリが路地から出てくるのが見えた。

「あっ、カイリだ!」

 カイリはYMCAから出て来たところのようだ。

 カイリは新しく出来る中学に来年から通うらしく、今年はYMCAに行っていた。

 最近、カイリはセンに会うといつも、

「僕と結婚しない?」と挨拶代わりに聞くようになっていた。

 センは「お断りします!」と間髪入れずに返事をするが日課になっている。どこをとっても憧れの若様よ

 キャサリン曰く、カイリのお父さんがお母さんを口説いたときに使っていたそうだ。

「やあ、カイリ」

 センが声をかけた。

「セン!僕と結婚しよう」

 カイリが嬉しそうに言う。

「却下!断る!」

「つれないなあ、まあそこもいいんだけどね」

 笑いながら、調子にも挨拶をする。

「調子さん、今日もお綺麗ですね」

 歯が浮くような台詞を笑顔でさらりと言う。

 調子は笑いながら「こんにちは」と返した。

「明日から僕たちは夏休みだけど、カイリは?」

「僕も夏休みだよ。遊びにおいでよ」

「キャサリンのお母さんに英語とフランス語を教えてもらう予定にしているので、カイリの家には行くよ」

「僕の母さんだけど」

「同じだろう?」

「まあそうだけど」

「僕たちが勉強している間待つのも悪いから、伊助を誘って行くよ」

「明日はどうだ?」

「いや、明日は京兄達が帰ってくるから、明後日にしよう」

「OK、分った。じゃあそういうことで」

 センと調子は右手に、カイリとキャサリンは左手のそれぞれ家のある方向に別れた。

 カイリはセンの背中に向かって「いい返事を期待してるよ」とこれも最近では日課になっている。いつもの別れの挨拶だ。

 センは振り返りもせずに手で答えた。

「ねえ、センちゃん」

 調子がセンに声をかけた。

「なあに」

「毎回『結婚して下さい』って言われてるけど、どうなの?」

「どうなのって?」

「気持ちが傾いたりしないの?」

「特に何も思わない」

「すごいわねぇ」

「何が?」

「あれだけ毎回言われたら、好きになってしまいそうな気がする」

「そう?調子さんは、西園寺が好きだろう?違う人から好きですって言われたら、その人を好きになるのか?」

「わたし?分らないわ。蓮二郎君から直接言われたことないから」

「二人の時は楽しそうに話していたけど、西園寺は何も言わなかったのか?」

 春に萬が調子さんを置屋“小湊”から引き取り、家族として迎え入れたあと、蓮二郎は下宿を出て羽瀬川旅館に一週間ほど滞在していた。その間二人でいるのをよく見かけていたので、センは調子と蓮二郎はうまくいっていると思っていた。

「いろいろあると思うの・・・、一条さんの事もあるし」

 調子は言葉を濁すように言った。

「いろいろって西園寺から何か聞いているのか?」

「蓮二郎君は何も言わないわ」

「じゃあ、調子から言えば?私は蓮二郎君が好きだけど、どう思っていますかって」

「私から?聞けないわ」

「なぜ?」

「なぜって・・・」

「否定されるのが恐いのか?」

「そうじゃないけど・・・」

 調子はそう言って黙った。調子は蓮二郎が自分のことをどう思っているのかずっと不安に感じていた。蓮二郎は二人でいても黙っていることが多かった。センの言うように否定されるのが恐いのかも知れないと思った。

「センちゃんは幸せね」

「幸せ?そうかなぁ?僕は(けい)兄の宿題をずっと考えているけど・・・」

「宿題?」

「うん、僕自身についてちゃんと考えなさいと言われた」

「センちゃん自身?」

「そう僕自身。僕が何をしたいのか、それは本当に必要としていることか。感情に流されていないか。難しい問題なんだ。頭痛くなるよ。調子さんも一緒だよ。西園寺がどう考

 えているかも大切だけど、調子さん自身がどう考えているかも大切なんだと思う」

 センは“契約の儀式”のあと、京から言われたことを思い出していた。

『僕たちはいま“契約の儀式”をしたけれど、僕のセンを好きな気持ちは変わらない。だけどセンは、まだ結婚とか考えたことなかったのにいまはイズミとの約束だからと『イズミとの約束』という言葉に縛られてセンの本当の気持ちが何処かへ行っている気がする。感情のまま進めている感じがする。センは本当の自分をまだ見ていない。センが本当の自分に気がつくまでこの“契約の儀式”は一時中断しよう。センが自分で考えて結論を出したら、それがどんな結果でも僕はセンの考えを優先する。だから、目をそらさずに自分自身をきちんと見つけてほしい。本当の気持ちに気がついたら僕に教えてくれるかな。いまと違う答えが出てもきちんと教えてほしい。センの本当の気持ちを僕は聞きたい』

 センはずっと考えていた。センは京兄が好きだ。なぜ好きかと聞かれたら、兄だから、家族だから、自分の中の京兄の存在はそれ以上の何かが有るような気がするけれど、それが何かセンはまだ分らなかった。

 調子は3年前は蓮二郎を妹に譲っても良いと思っていた。でも、一人になってそれが間違いだったことに気がついた。蓮二郎は優しくて親切で、いつも調子のことを思ってくれていた。でも調子は一つ年上と言うことで、蓮二郎と婚約してることに躊躇していた。だから蓮二郎に対しても曖昧な態度を取っていた。でも別れてわかった、本当は蓮二郎が好きだったのだ。調子は蓮二郎に対する気持ちが何かわかっていた。わかっているからその気持ちを蓮二郎にぶつけて拒否されるのが恐かった。蓮二郎がこの思いを知らなくて、誰か他の人を好きになったら調子は蓮二郎から身を引こうと考えていた。

 二人はそれぞれの思いを抱えて家に帰った。


 翌日昼過ぎ、センは調子と伊助を誘って港へ行き船が着くのを待っていた。

 船が着いて出てきたのは、蓮二郎一人だった。

(けい)兄は?」

「出がけに薫子伯母さまから引き止められていたから、明日か明後日の船になると思う」

「薫子さまから引き止められた?」

「京は薫子伯母さまのお気に入りだからな、特別な用事があったんだろう」

「そうか、分った」

 しょんぼりするセンに、

「お前らしくないなぁ、明日帰ってくるかも知れないだろう」

 蓮二郎はセンの頭をポンと叩いた。

「頭を叩くな」

 センは蓮二郎を睨むとスタスタと帰り始めた。伊助がセンの後を追った。

「センちゃん、帰ってくるのを楽しみにしていたのよ」

 調子は蓮二郎を見上げた。

「仕方ないだろう、薫子伯母さまが帰るなと言ったんだから」

「帰るなと言われたの?」

「ああ、たぶん見合いでもさせるんじゃないかな」

「お見合い?」

「そんな感じだった」

「そうなの・・・」

「あのバカには言うなよ」

「分ってるわ」

「まったく!お貴族様の考えることは分らない」

「まあ、蓮二郎さんも貴族でしょう?」

「いや、僕はもう違うと思う」

「もう?」

「何でも無い。夏の間は羽瀬川旅館に居候すると京に言ってある。僕たちも帰ろうか」

 調子と蓮二郎はセン達の後を追った。


 2


 4月から東京の一条邸で暮らしている(けい)と蓮二郎は夏休みに入ったので、京の実家に帰省するために準備をしていた。

 昼過ぎに帰省の挨拶のため薫子の部屋を訪れた時、薫子は帰省を一日二日延ばして欲しいと言って京と蓮二郎を引き止めた。

 蓮二郎は薫子の申し出の内容を薄々気付いてるようで、薫子に断りをいれ先に家を出た。

 今日は百合子も出かけていないので、京は薫子の部屋で、百合子が戻ってくるまで一緒に過ごすことになった。

「京さん、引き止めてしまってごめんなさいね」

 薫子が申し訳なさそうに言った。

「いえ、夏休みは始まったばかりですから、少し遅くなっても大丈夫です」

「本当は蓮二郎さんにも残って欲しかったのだけど・・・」

「蓮二郎君は、春に起きた僕の家族の突然の不幸を一緒に悲しんでくれて、その後も悲しむ家族のためにいろいろ手伝ってくれました。僕も家族も蓮二郎君には感謝しています。僕の家族は夏休みに蓮二郎君を新しい家族の一員として迎えようと来るのを喜んでいます。僕が蓮二郎君に家族として待っていると伝えると、彼は喜んで僕より帰るのを楽しみにしていました」

 京が笑顔で薫子に言った。

「家族・・・そうね蓮二郎さんはお父様を亡くされて一人だから家族ができるのは嬉しいでしょうね」

 ブッブー

 窓の外から自動車のクラクションを鳴らす音が聞こえた。

「あら、(せい)さんも出かけるのかしら?」

 京は窓の外を見た。

「そうみたいですね。今車に乗られるところです」

「毎月1・2回黙ってお出かけになるけれど・・・何をされているのかしら・・・きっと今夜はお帰りにならないわね」

「呼び止めましょうか?」

「いいえ、いいわ。私に任せると言うことなのね」

 冷めた口調で薫子が呟いた。

 車の出発する音がした。

「ねえ京さん、これは正さんからのお話なんだけど」

 あらたまった口調で薫子は京を見た。

「何でしょう?」

「あなたも12月に16歳になるでしょう。そろそろ将来の伴侶を決めてもいいのではないかと正さんが言っているのだけど」

「将来の伴侶ですか?」

「婚約者を選べと言うことみたい」

「婚約者ですか」

「あなたの評判はとてもいいのよ。正さんは最近、年頃のお嬢様のいらっしゃるお家の方からいろいろ聞かれるらしいのよ。私もご夫人達の集まりに出掛けた時にあなたのことを聞かれるわ。それで一度皆さんと顔合わせのようなことをしてはどうかと言われたの」

「そうですか。それはお断りしてもいいお話でしょうか。妹の一周忌もまだ終わっていませんし、そういうことは今は考えられませんので」

「そうでしたね。春に妹さんを亡くされたのでしたね」

「ええ・・・」

「そうですわね、妹さんの一周忌が終わってからでないと考えられないと正さんには伝えましょうね。それに最近の蓮二郎さんを見ていたら、あと一年も有れば一緒にできるかもしれませんしね」

「蓮二郎君ですか?」

「ええ、蓮二郎さんも落ち着いてきたみたいなので、京さんと一緒にと正さんが言っていました」

 一条正は大原調子が生きていることにまだ気付いていないのだろうかと京は考えた。蓮二郎は調子のことを一条正に秘密にしているようだ。でも一条正は本当に知らないのだろうか。京は薫子にそれとなく聞いてみることにした。

「蓮二郎君は婚約者がいると聞いていますが」

「ええ、大原調子さんと言う方と婚約していました。でも調子さんは3年前に失踪されてまだ見つかっていないと聞いています」

「失踪ですか?」

「ええ、いろいろあって・・・」

「いろいろあってとは?」

「そうね、京さんにはお話ししても大丈夫かしら」

「蓮二郎君が困ることであれば、僕は聞かない方がいいと思います」

「いいえ、蓮二郎さんの為にも京さんは知ってた方がいいわ。大原調子さんのお父様は横浜で大きな宝石店を営んでいらしたわ。私は大原さんと結婚前から親しかったから調子さんとは何度かお会いしたことがあるのよ。もの静かでおとなしいお嬢様だったわ。蓮二郎さんが生まれたときに父親同士が決めたのよ。子供の時に決められたとはいえ、蓮二郎さんと調子さんはお似合いだと思ったわ。私は二人が大きくなるのを楽しみにしていたのよ。だけど、ある日大変なことが起こったの。銀座に新しくお店を開くため、開店記念にとても大きな宝石の展示会を開くようになっていたの。展示会のために倉庫に多くの宝石を置いていたのよ。その宝石が狙われたのね。大原邸に強盗が入ったの。夜は警備が厳しいので、手薄な昼間を狙ったらしいけれど、たまたま不足の商品を搬入にいらした方が強盗に気付いて発見が早かったのよ。倉庫の宝石は無事だったけれど、出かけていた調子さん以外は、全員殺されてしまったのよ。強盗は宝石を盗む前に家の中の人を全員殺したみたいなの。調子さんは一人残されて、親戚の家に引き取られることになったそうだけど、不幸は重なるものね。今度はその親戚の方が交通事故でお亡くなりになられたらしいわ。そこで征一郎さんが、征一郎さんは蓮二郎さんのお父様なのよ。調子さんが蓮二郎さんの婚約者なのは周知のことなので、少し早いけれど西園寺家入ってもらうことにしたの。いろいろな手続きのことで正さんに相談に来てたわ。それなのにあんなことになって・・・」

「あんなこと?」

「征一郎さんは人が良すぎるのよ。だまされて保証人になって莫大な借金をかかえてしまったの。正さんに借金のことで相談をしたそうだけど、大原のお金を使えばいいと言われたそうよ。私も相談されたけれど、一条家のお金はすべて正さんが握っているので、正がダメと言ったら私は一円も出せない。私の実家も裕福ではないので、借りることも出来なくて、助けたくても助けてあげられなかった・・・」

「大原のお金とはなんですか?」

「大原調子さんが相続したお金よ。かなりの金額だったみたい。正さんはそれを使えといったのよ。でも、征一郎さんはそのお金は調子さんのものだから使えないと言って、正さんと口論になり、結局絶縁状態みたいになったの。正さんに頼れないので一人で何とかしようと思ったのね。でも相手が悪質な金貸しだったみたい。取り立てがひどくて追い詰められて自殺してしまったのよ。正さんは征一郎さんを見捨てたのよ。私は征一郎さんからいろいろ聞いていたけれど何もしてあげられなかった」

 その時のことを思い出したのか、薫子は目頭をハンカチで押さえて、肩を小刻みにふるわせた。

 京は涙する薫子の感情が落ち着くのを静かに待った。

 しばらくして、少し落ち着いた薫子は続きを話し出した。

「調子さんは征一郎さんが亡くなったことにショックを受けて、通夜の翌朝いなくなったそうよ。蓮二郎さんは父親を亡くした上に調子さんまでいなくなって、まるで抜け殻のようになったわ。とても見ていられなかった。正さんは征一郎さんに悪いことをしたと思ったのね。一人になった蓮二郎さんの後見人になったわ。私は家で引き取ることを主張したけれど、正さんは蓮二郎さんが落ち着くまで横浜から離れた方がいいと考えたのね。遠くの学校に行かせることにしたの」

「そうでしたか」

 京はイズミの通夜に聞いた蓮二郎の話を思い出していた。

「横浜を離れたことは良かったみたいね。最近やっと笑顔が見られるようになってホッとしているわ」

「大原さんのお金がその後どうなったかご存じですか?」

「わからないわ。征一郎さんが銀行とお話しして決めたらしいけど・・・。正さんが銀行に問い合わせたときは、手続きはすべて終わっていたらしいわ。大原調子さんが銀行の発行した書類を持って手続きをすれば引き出せるようになっていると言われたらしいわ」

「そうなんですね」

 京は、蓮二郎の父征一郎は自分の死後、不測の事態を考えて調子さん本人しかお金の引き出しが出来ないように工面したと考えた。蓮二郎の父は不正の出来ない実直な人だったのだろう。

「不思議だわ」

「え?」

「蓮二郎さんが行った学校でお友達になったのが京さんだったなんて。不思議な偶然ね」

「・・・」

 蓮二郎と薫子は知らなかっただろうが、京はそれが偶然ではないと思っていた。

「蓮二郎さんは、京さんと会って明るくなったわ」

「そうですか?」

「ええ、この春に帰ってきた時は別人かと思うくらい明るくなったわ」

「春からですか」

「そうよ、それまでは休みに帰ってきても部屋に籠もって暗い顔をしていたから。だから正さんもそろそろと考えたのね」

「そろそろとは?」

「さっきの婚約者選びの話よ」

「そうでした、すみません」

 京はすこし困った顔をした。蓮二郎と調子のことを薫子に話していいか迷っていた。

「まさかどなたか約束した方がいらっしゃるの」

 薫子が心配そうに京の顔を覗き込んだ。

「僕ですか?」

 薫子は頷いた。京は蓮二郎の話は今はしない方がいいと考えた。

「いろいろ考えて下さってありがとうございます。妹の一周忌が終わるまで何もしたくないこともありますが、僕には決めた人がいます。その人以外に結婚は考えていません」

「まあ、そんな方がいらっしゃるのね!」

 薫子は両手をパンと叩くと、急に生き生きと嬉しそうな顔をして京を見た。

「正さんには言わない方がいいわね。いいわ、私が何とかしましょう!」

「ありがとうございます」

「いいのよ、このお話はもともと乗り気じゃなかったから」

 薫子はフフフと笑った。

「どんな方なの?」

「父さんの妹の子供です」

「萬さんの妹?」

「はい」

「塔子さんの子供?」

 薫子の顔がパッと明るくなった。

「はい、塔子さんの娘です」

「まあ、塔子さんにお嬢さんがいたのね。ではその子は(ひろ)のお孫さんになるのね」

「尋?」

(よろず)さんのお母様よ。聞いていない?」

「名前は聞いていませんでした。ただ自分の母は陰の里の人だと言っていました」

「まあ、違うわ!萬さんは勘違いしていらっしゃる」

「どういうことでしょうか?」

「尋は陰の里で育ったけれど、ある藩の藩主と正室の間に生まれたお子様よ。百合と同じで双子だったの。女の子の双子だったので迷われたみたいだけれど、代々からの風習だからと言われて、いずれ連れ戻しにくるからと里に預けられたのよ。若くして亡くなられたけれど尋の双子のお姉様は前の天皇様の御側室に選ばれた方なのよ。尋は私の侍女でしたけれど身分は確かよ。陰の里の出だからと言って卑下することないわ。それに陰の里も世間でいわれるような隠密の里とかではないわ」

「そうなのですか?」

「萬さんは、尋から何も聞いていなかったのね」

「なにも知らないと思います。僕も初めて聞きました」

「京さん、少し長くなるけれど私と尋の話を聞いて頂けるかしら・・・」



 3


 年号が明治に変わって16年、世の中はまだ落ち着かず混沌としていた。

 明治になって公家や旧藩主や新政府の功労者が貴族となった。

 私の名前は北条薫子16歳。北条家の長女。兄と妹がいる。

 貴族とはいえ私の家は裕福では無かった。俗にいう貧乏貴族である。

 父は女の子を裕福な家に嫁がせようと早くから婚約者を選んでいた。

 まだ小学生だった私に婚約者として紹介されたのは、一条垓(いちじょうがい)、裕福な貴族一条家の次男。次男と言っても、一条家の当主は正妻を持たなかったので、母の違う先に生まれた男の子が長男で、垓は二番目に生まれたから次男らしかった。

 父は一条家の複雑な家族関係に不安を抱きながらも、亡くなった垓の母を幼少期から知っていたので、(がい)を私の婚約者と決めた。家のことなど知らない私は四歳年上の爽やかな少年に一目で恋をした。

 初めて会ってから8年、一条垓は20歳になった。陸軍の士官学校を出て今春から少尉に任命された。

 私たちは来月結婚式を挙げることが決まっていた。

 私といつも行動を共にしている神津尋(こうづひろ)は15歳。大きな目が印象的なとても綺麗な子。

 6年前に私の家に来た女の子。

 私は美人ではないから、一緒にいると私は尋の引き立て役みたいになってしまう。それでも私は尋が大好き!周りには私の侍女と言っているけれど、本当はとても仲のいいお友達。それに、父から『尋はあるお家の姫君で事情があって生まれたときから親元を離れて暮らしている。だからお父さんにもお母さんにも会ったことがない尋はかわいそうなんだよ、薫子が友達になって尋を守って欲しい』と言われた。だから私が尋を守ってあげるの。

 尋はいつも私と一緒に行動している。私が垓に会いに一条邸に行くときも付いて来る。初めは美しい尋に垓を取られてしまうのではないかと心配したけれど、垓はきちんと私を見てくれた。そして好きだと言ってくれた。私は垓の妻になれることに幸福を感じている。

 尋は垓の部下であり友人でもある東郷晴臣(はるおみ)様が好きみたい。

 東郷晴臣様は、細面の繊細な美しい顔立ちの青年だった。垓と同じ陸軍で、今年垓の班に配属されたと言っていた。垓が上官として面倒を見ている。

 尋は東郷様がいらっしゃると頬を染めて私の後ろからいつも彼を見つめていた。

 私は尋と東郷様がお付き合いできるようにお父様に相談した。そしたら問題は無いと思うが、尋の両親と相談してからと言われた。

「ねえ、垓様」

 ある日、私は垓に聞いた。

「尋が東郷晴臣様に好意を持っているみたいなの。今度東郷様のお気持ちを聞いて下さる?」

「ほんとうか?」

 垓は驚いた。

「じつは、俺も東郷から、尋さんが好きと聞いているんだ」

「まあ、素敵!相思相愛なのね!」

「東郷のやつ、喜ぶだろうな」

 自分のことのように垓は喜んだ。

「それでね、尋のご両親に東郷様とお付き合いしていいか父から聞いて貰っているの」

「尋の両親?」

「ここだけのお話だけど、尋のお父様はある藩の藩主様なの。お母さまも正室さまなのだけど、事情が有って離れて暮らしているの。でも、いずれ迎えに来ると聞いているわ」

「えっ!そうなんだ」

「東郷様は、薩摩藩の出身なのよね」

「ああ、そうだよ」

「お父様は、尋のご両親の藩名を教えて下さらないけど、ご両親に聞いてみると言われたから、その辺は大丈夫と思うの。それに二人がお互い好きなら言うことないじゃない!」

「そうだな。よし、俺たちで応援しよう」

 私と垓は小さくガッツポーズをして、二人を応援することにした。

 数日後、父から返事をもらった。

「先日、尋のご両親に会って東郷晴臣君と尋の話をした。東郷晴臣君だったらお付き合いしてもいいとお許しが出た。ただ、今は事情があって、表だって婚約の発表は出来ないので、内密に勧めてもらいたいと言われた。その足で東郷晴臣君のご両親に会って、尋の実家の話をしてきた。とても驚いていたが、尋が良ければ晴臣君の妻として迎えたいと言ってくださった」

 私は垓に連絡をとって、東郷様と尋の四人で会うことにした。

 私が東郷様と尋に父の話を伝えると、二人はとても驚いた。

 東郷様は驚きながらも、その場でまっすぐ尋を見てプロポーズをした。

「初めてあなたと会った時から好きでした。僕でよろしければ結婚して頂けませんか」

 尋は真っ赤になりながら小さく「はい」と答えた。

「おめでとう!」

 私は嬉しくて尋を抱きしめた。

 これで私が結婚しても、尋を守ってくれる人が出来たと、私はほんとうに嬉しかった。


 垓には二つ年上の兄がいる。一条正という。この兄は垓のお父様と同じように正妻を持っていなかった。いろいろな女性とお付き合いをしているらしく、良い噂は聞かなかった。たまに一条邸で見かけたが、いつも遠目から私たちを冷めた目で見ていた。

 結婚式が二週間後に迫ったある日、私はいつものように一条邸を訪れていた。

 尋は今後の打合せで東郷様の家に招かれて、今日は一緒ではなかった。

 尋や東郷様がいなかったので、垓の部屋で話をしていた。二人っきりで会うのは久しぶりだった。初めは東郷様と尋のことや、自分たちの結婚式の話で盛り上がっていたが、そのうち間が持てなくなった。あと二週間で結婚式という高揚感と安心感もあったのかも知れない。今日は二人っきりという雰囲気に自然とお互いを求め合った。

 私は垓の腕の中で目が覚めた。初めての経験に幸福感を感じていた。

 窓の外は夕闇が迫っていた。

 帰らなきゃと思いながら、まだそのまま垓の腕の中で幸福感を感じていたかった。

 そのまどろみを大きな声が遮った。

 垓のお父様が帰ってきたようだ。

「正はいるか!」

 とても怒った声で叫んでいた。

 正さんは出かけているみたいで、誰も返事をしなかった。

 私は慌てて着物を着た。垓も洋服を着ると、

「少し待ってて、送っていくから」と言って部屋を出て行った。

 垓が部屋を出ると、窓の外から、

「父さん、大きな声でどうされたんです。通りまで声が聞こえましたよ」

 正さんの声が聞こえた。

「正!おまえ絵里子に何をした!」

 絵里子とは一条の娘である。西園寺家に嫁いで七年くらいになる。五歳になる男の子が一人いる。絵里子と正は母が一緒だった。

「今頃気がついたのですか。お姉様が困っておいでだったので、僕が手助けしてあげたでだけですよ」

 何でも無いことのように正が答えた。

「お前はなんてことをしたんだ!勘当だ!この屋敷から出て行け!」

 垓のお父様の怒りは尋常ではなかった。

 聞き耳を立てていると垓が部屋に戻ってきて「またいつもの喧嘩だよ」といって、二人と会わないよう裏口から出て、私を家まで送ってくれた。

 次の日尋といつものように一条邸に行くと、東郷様も来ていて、垓はいつもと変わらないように見えた。私は昨日のことが垓の言うとおりいつもの喧嘩だと思った。

 私たちはお天気もいいので庭のベンチで話をしていた。

 東郷様と尋は、両家内々で年内に婚約を整えて、来年尋が16歳になったら結婚することに決まったと話した。

 遠くから一条正が私たちを見ていた。私の視線に気がついたのか、冷たい顔が笑ったように見えた。私が正さんを見ているのに気がついた垓が視線を向けると、正さんは後ろを向いて出掛けていった。

 しばらく黙っていた垓が、急に真剣な顔をして話し出した。

「昨日、父と兄が喧嘩をした。父は兄を一条家から追い出し、一条家は俺に継がせると言った。その時兄にすごい顔で睨まれた。俺は兄に殺されるかも知れないと恐怖を感じた」

 私達はまさかと思った。

「兄は恐い人だよ。俺は子供の頃、兄がとても大事にしていた犬を、ただ一回命令に従わなかっただけで、殺すところを見た」

「まあ!」

 私はその話しに背筋が凍った。

「もし俺が死んだら、薫子、君は一条と絶対関わってはいけないよ」

「死ぬなんて言わないで!あなたがいなくなるなんて考えられない!」

 私は泣き出した。

「ごめん、ごめん、脅かしてしまったね。大丈夫、俺は簡単には死なないよ」

 垓はそう言ってこの話しを終わらせたが、私たちは一抹の不安を感じていた。

 翌日、垓とお父様が外出先から戻る途中で強盗に襲われて亡くなった。金目の物は何も取られていなかった。この年は政治的にいろいろあったので、そのあおりを受けたのだろうと推測された。

 私は垓の死後泣いてばかりいた。

 泣いてばかりいたから気がつかなかった。私は妊娠していた。

 妊娠に気がついた父は、一条正に垓の子供だと認知してもらおうと言った。

 一条家は垓とお父様が亡くなって、正が相続していた。私は子供は一人で育てるから、一条には何も知らせないように父に頼んだ。

 尋は内々だけど、東郷様と無事婚約した。婚約後も東郷様の家には行かず私の側にいてくれた。

 お腹も目立ち始めたある日、一条正が父に私を妻にすると言ってきた。どこで聞いたのか、お腹の子のことも知っていた。私の妻になった方が世間的にもいいのではないかと言ったらしい。私は断ったけれど、父は子供のことを考えて、この話を受けることにした。

 私はいやいや正に嫁いだ。

 東郷様と尋は自分たちの結婚を少しずらして、尋を私の出産を助ける為に付けてくれた。

 正と結婚して二ヶ月後に百合子が生まれた。

 その一年後に京一郎が生まれた。京一郎は難産だった。垓を殺したかも知れない正の子を産むのが嫌だった。それで身体が生みたくないと思ったのかも知れない。京一郎を生んだ後、私は子供が産めない身体になった。

 尋は私が結婚してから、百合子の世話と京一郎の妊娠出産で、東郷様の元に戻れずにいた。私は尋に甘えていた。体力が戻るまで尋にいてもらった。

 京一郎が一歳になって、私はもう大丈夫と思った頃、正の尋を見る目がおかしいのに気がついた。このまま尋と一緒に居ると、尋は正に何をされるか分らないと感じた。

 東郷様とは垓の月命日ごとにお墓の前で会っていた。私は東郷様に最近正の尋を見る様子がおかしい、変なことを考えている気がする、ことが起こってからでは申し訳ないので、早く結婚するように言った。

 東郷様と尋はそれでは私が何をされるか分らないと言ったけれど、私は大丈夫だから、尋を早く一条家から遠ざけるようにお願いした。

 ちょうど私の妹華子の結婚式が一週間後に控えていた。結婚式の前に尋と子供達を連れて実家に戻ることは、二ヶ月前から決まっていた。私はその間に東郷さんと尋に内密に結婚するよう勧めた。

 尋は無事東郷様と結婚をした。

 私が実家に帰っている間、二人は短い新婚生活を送った。

 私はこのまま東郷様と一緒に居ることを勧めたけれど、尋はそれでは私の立場が悪くなるので、一度戻って正式にお暇を貰って出て行くと言った。

 私と尋は一条邸に戻った。

 戻った夜、疲れていたのだろうか、私はとても眠くて起きていられなかった。

 帰って早々、正が変な因縁をつけて尋に子供を産ませると言った。私に子供が出来なくなったから代わりに尋に生ませると言った。

「バカなことを言わないで!私が知らないとでも思っているの!あなたの周りには沢山女の人がいるじゃない。その人に生ませたらいいのよ」

「外の女は面倒だ、尋ならこの家から出ないから、誰の目にも映らない」

「尋は結婚が決まっているのよ!」

「そんなことは関係ない、この家では私が決めたことが絶対なんだ」

「とにかく止めてください!私の尋に手を出さないで!」

 正にそう叫んだ後、急に眠くなって起きていられなくなった。

 翌朝目が覚めて、慌てて尋の部屋に行った。いつも掛けているはずの部屋の鍵が開いていた。

 尋はベッドの上で泣いていた。私は尋に駆け寄リすべてを知った。ひどい出来事に二人で抱き合って泣いた。

 尋の部屋の鍵は、私たちが実家に帰っている間に付け替えられていたらしい。予想していたことが起きてショックだった。東郷様になんと言っていいかわからなかった。

 一ヶ月後尋が身ごもったことがわかった。

 東郷様は尋からすべてを聞いて、傷心を抱えて海外に行ってしまった。

 そして萬が生まれた。

 萬は正と私の子として届け出た。

 正とはあの一夜だけで、あの後、正が勝手に入れないよう、私は寝室を尋と同じ部屋にした。

 私は尋の人生を狂わせてしまった。そう思うと辛かった。

 萬は正にも尋にも東郷様にも似ていなかった。誰にも似てない萬を見て、正は自分の子でないかも知れないと疑い始めた。

 萬が2歳になった頃、妹の華子が妊娠したと相談に来た。

 双子かも知れないという医者の話を聞いた華子のご主人が「双子はダメだ、一人だけだ」と言ったと泣きながら話した。この話を聞いた尋は自分も双子で世間から消された存在だったから、絶対助けたいと言った。

 私たちは計画を立てた。里の手を借りて百合が生まれた。

 私は尋を一条の家から出すチャンスだと思った。

 尋に萬を連れて里に帰って百合を育てて欲しいとお願いした。尋も百合が心配だったので、里に帰ることに同意した。

 尋を里に帰した後、欧州留学から一時帰国していた東郷様に偶然垓の墓の前で会った。私は尋が里に帰っているので、もし良ければ会って欲しいとお願いした。

 東郷様から里に行って休暇の間尋と一緒に暮らしていたと聞いたときはほんとに嬉しかった。半年ほどでまた留学先に戻ったそうだけど、短い間だったけれど夫婦として暮らしていたと聞いた。

 世間体を考えたのか、正は萬を東京に連れ戻し小学校に通わせることにした。

 私は萬が寂しくないように、百合子や京一郎と同じように育てた。学校が長い休みになると、百合子や京一郎と一緒に萬を里に帰した。

 京一郎は里の空気が合っていたようで、里へ遊びに行くと健康になって帰ってきた。これには正も喜んで、休みに萬を里に帰すことに反対しなくなった。

 それから、京一郎は里で百合に恋をしたみたい。京一郎が中学生になった頃、里から帰ると時々ぼんやりしていることがあった。

「お母さま、僕はおかしいのでしょうか?百合はまだ小さな子供なのに、とても気になって目が離せないのです」

 京一郎からそんな質問を受けたときはビックリした。

「おかしくないわ。それは京一郎が百合に興味があるということよ」

「興味ですか」

「そう、好きになる前かな?」

「好きになる前?」

「そう、もう少ししたらわかるわ」

 京一郎は、生むのを嫌がったのが申し訳ないくらい素直に育っていた。


 京一郎が高校三年で、萬が高校一年の時、百合子が従軍看護婦になると言って、看護婦養成所に通うため家を出た。正は百合子のことをいつもいない存在のように扱っているのに、百合子に結婚の話しが持ち上がるとすべて潰したわ。そんなことが有って一人で生きていこうと思ったのね。百合子にはつらい思いをさせてしまった。

 百合子がいなくなったからではないけれど、私は体調を崩して寝込むことが多くなった。

 心配した尋が百合と塔子を連れて一条邸に戻ってきた。

 塔子は里で東郷様と暮らしている時に生まれた子と聞いていたが、会うのは初めてだった。萬とそっくりだったので驚いた。兄妹だから似ていてもおかしくないけれど、どちらの親とも似てないのに兄妹で似ていることに驚いた。尋が笑いながら「誰に似たんでしょうね」と言った。

 百合は小学校を卒業していたので、女学校に行きたければ行けるようにしましょうと言ったけれど、百合は尋と一緒に私の身の回りの世話をすることを選んだ。

 尋や百合の看護で私は徐々に体調を取り戻した。

 三年くらい何事も無く平穏に時は過ぎていった。

 秋も深まり暖炉に火が入ったある日の午後、正が出掛けていなかったので、私と尋は暖炉の前で雑談をしていた。

 京一郎が百合と一緒に私達のところに来て言った。

「母さん尋さん、僕は百合と結婚したいと思っています。許して頂けますか」

「まあ!」

 私と尋は突然の話しに驚きそして喜んだ。

「父さんに言ったら絶対反対されると思ったので、母さん達には許してもらおうと思って・・・」京一郎はそう言って俯いた。

「お父様には絶対言ってはダメよ」

 私は京一郎にそう念押しをした。

 正は身体の弱い京一郎の結婚には興味が無いらしく、京一郎が二十歳になっても結婚の話しさえしなかった。

 私と尋は二人の結婚を認め、正には内緒で式を挙げることにした。

 塔子には尋から伝えることにしたが、萬は隠し事が苦手なので内緒にした。

 初冬の暖かい日、私と尋と塔子を介添に二人は結婚式を挙げた。

 私たちは幸せだった。


 年が明けて二月のある日、正が尋を呼んで、呉服商“ふく屋”の手伝いに行くように言った。何でもご主人の奥様の出産が近いのに、おつきのばあやが転んで腰を痛めて寝込んでしまったので手を貸して欲しいと頼まれたそうだ。正にしては珍しい話しと思った。

「ひと月ほどで戻ります」

 最後に尋はそう言って出掛けて行った。

 尋が出掛けて二週間ほど経ったころ、正が、呉服商“ふく屋”に強盗が入って、家族も従業員もみんな殺されたと言った。まさかと思ったが、ほんとうのことだった。

 私は実家の父に連絡をして、萬と塔子を連れて尋の亡骸を警察に受け取りに行った。

 尋は綺麗な顔をしていた。尋の亡骸は父から東郷様に連絡を取ってもらい、東郷様の妻として東郷家の墓に入れて貰った。

 尋がいなくなると、正は百合と塔子に一条邸から出て行けと言った。

 塔子は、通訳になりたいから、女学校を途中で辞めたくない。だから父の所から学校に行くと言って出て行った。

 私は、百合は京一郎の妻としてこのままこの家で暮らして欲しかったので、どうすればいいか考えていた。

 京一郎は二月に入ってから風邪をこじらせて大学を休んでいた。京一郎の看病を口実に百合にいて貰っているが、実習を終えた百合子が帰ってくるので、それも長くは続けられないと思っていた。

 三月に入り珍しく冷える寒い夜更けに京一郎が部屋を訪ねてきた。そしてとんでもないことを言った。

「母さん、父さんが萬を殺すかも知れない」

「えっ!」

「父さんの様子がおかしいんだ。最近萬をすごく冷めた目で見ている」

「まさか!」

「塔子は自分の父の所に行くと言って出て行っただろう。萬と塔子はよく似ているので、父さんは萬を自分の子供ではないと思っているみたいなんだ」

「正さんの様子がおかしいのは私も感じていたけれど、まさか殺すなんて!」

「尋さんの事件もおかしいんだ。呉服商“ふく屋”は父さんの贔屓にしている呉服商と仲が悪かったらしい。そんなところに尋さんを手伝いに行かせることがあるだろうか。また、“ふく屋”の主が亡くなって店が潰れたら、その呉服商は客が増えたと喜んでいたと聞きました」

 京一郎には言えなかったけれど、私は正ならやるかも知れないと思った。

「僕に考えがあるんだ」

「どんな?」

「萬に本当のことは言えないから、百合が父さんから睨まれて危ないから一緒に逃げて欲しいと頼むんだ」

「まあ、そうしたらあなたはどうするの」

「母さん、僕は最近風邪が治らなくて、咳ばかりしているだろう。百合子姉さんに聞いたら、労咳かも知れないと言われた」

「労咳!」

「僕は長生きできそうもないから、僕の子供を萬に託そうと思う」

「子供?」

「百合のお腹には僕の子供がいる」

「まぁ!」

「父さんに知られる前に、百合もこの家から出したい」

 必死になってそう訴える京一郎に私も同調するしかなかった。正が恐ろしい人と知っていたから。

「わかったわ」

「じゃあ、後は僕に任せてくれる?」

「あなたがいいなら、それでお願い」

 私の了解を取り付けると、京一郎は寂しく笑って部屋を出て行った。

 翌朝、萬が正に、

「僕と百合の結婚を許して下さい。許して頂けなければ家を出ます」と言った。

「若造のお前に何が出来る。出て行ったら勘当だ!」

 正は冷たい目をして鼻で笑ってそう言った。

 萬は百合を連れてその日のうちに出て行った。



 4


 夕日が薫子の顔にあたっていた。

 京は窓辺に行きカーテンを閉めた。

「長い話しを聞いてくれて、ありがとう」

 薫子が感慨深げに言った。

「いえ、僕で良ければ、いつでもお聞きします」

「ふふふ、京さんは垓様に似てるわ」

「垓様、婚約者だった方ですね」

「そう、そして百合子の父だわ」

「百合子伯母さんのお父様ですか」

「百合子はかわいそうな子よ。百合子の為にと正と結婚したけれど、正は百合子に一条の姓を名乗らせてくれなかった」

「百合子伯母さんは、一条姓ではないのですか」

「そう、あの子は私の私生児のままなの。正が縁談の邪魔をしたことも原因だろうけれど、ある時、もう誰とも結婚しないと言って看護婦として生きることを選んだのよ」

「そうだったのですか」

「そうそう、京さんの好きな人は何色が似合う方?」

「色ですか?」

 京はセンのあの白い髪に青が似合うと思った。

「青が似合います」

「そう、青ね」

 薫子は脇の引き出しを開けて、小さな箱を二つ取り出した。

 一つは京さんに、もう一つはあなたの大事な人に」

「何でしょう?」

 薫子は一つを京の手に乗せた。箱を開けると懐中時計が入っていた。

「京一郎の形見よ」

「僕のお父さんの・・・」

「そう、蓋を開けてみて」

 懐中時計の蓋を開けると、裏に『京へ 京一郎&百合』と彫られていた。

「この時計はもう片方も開くのよ」

 薫子から言われて開くと、写真が入っていた。若く美しい男女が寄り添って幸せそうに笑って写っていた。

「京一郎と百合よ。結婚したとき写真館で撮って貰ったの」

 京は父と母の幸せな顔に、嬉しくて泣きそうになった。京は母のこんな幸せそうな顔を見たとこがなかった。写真から目が離せなかった。

「ありがとうございます。大切にします」

「喜んでくれて嬉しいわ。京一郎も喜んでいると思うわ」

 京は懐中時計を大事そうにポケットにしまった。

「それから、少し深い青だけれど、あなたの大事な人にこれをあげて」

 薫子はもう一つの蓋を開けた。中には銀色の金属とダイヤで飾られた中央に深い青のサファイアが輝くイヤリングが入っていた。

「こんな高価な物は戴けません」

「私が結婚式でつける予定だったイヤリングよ、垓様から頂いた物なの」

「そんな大事な物なら、ますます戴けません」

「いいのよ、私は尋に最後まで何もしてあげられなかった。せめて尋のお孫さんにつけてほしいの」

 薫子はそう言って、京の手に箱を握らせた。


 翌朝、京は帰省の挨拶に薫子の部屋を訪れた。

 薫子の横に百合子が微笑んで立っていた。

「行って参ります」

「気をつけて帰ってね」

「はい、ありがとうございます」

 京が部屋を出ると正が立っていた。

 夕べは戻ってこなかったので、朝帰りらしかった。

「おはようございます」

「帰るのか」

「はい、いま奥様にご挨拶をしたところです」

「そうか」

「では、行って参ります」

「・・・」

 京は正に挨拶をして階段を降りていった。

 正からほんの少し血の匂いがした。


 正は京と別れると、薫子の部屋に入った。

「あら、珍しい。何かご用ですか」

「あの話しはしたのか」

「あの話し?ええ、しました」

「なんと言っていた」

「春に妹を亡くしたばかりで、気持ちの整理ができていません。妹の一周忌が終わるまで待って戴けませんかと言われたわ」

「そうか」

「私は伝えましたからね」

「わかった、一年待つとしよう」

「では、それでお願い致します」

「ところで、あれは垓に似てるな」

「あら、あなたもそう思います」

 薫子が嬉しそうに言ったので、正は「フン」と鼻を鳴らして部屋を出て行った。


 京は横浜港から船に乗る予定にしていた。

 途中でお土産を買うために土産屋に入った。この土産屋は奥が「ムール」という喫茶店になっていて、喫茶店の裏を抜けると服部生馬の探偵事務所の入ったビルと繋がっていた。

「いらっしゃい」。

 店に入ると威勢のいい声がした。生馬が店番をしていた。

「こんにちは生馬さん」

「おや、萬の息子じゃないか」

 京は東京に来て何度かこの店を訪れていた。

「相変わらずハエがいるね。うちの事務所もハエが増えてねぇ」

 ハエとはいつも後を付いてくる見張りのことだ。生馬の事務所も見張られているらしい。

「そうですね。不衛生ですね」

「で、何の用だ」

 京は土産物を注文しながら、

「毎月1・2回正さんは出掛けて帰ってこない日があります。夕べもそうでした。今朝彼から血の匂いがしました。調べてもらえませんか。それと、古い話ですが、先代の一条氏と息子の垓さんの死について、それと」

「まだあるのか」

「これも古い事件ですが、一五年程前の呉服商“ふく屋”の強盗事件について」

「古い事件は資料が少ないから、結果は期待するなよ」

「わかっています。すみませんお願いします」

「わかった」

 京は土産を買うと店を後にした。


 5


 夏休み一日目、センは伊助とカイリの家を訪ねた。

 調子も一緒に来る予定だったが、蓮二郎が一人になるので、今日は蓮二郎と過ごすことにしたと言って、セン達とは別行動を選んだ。

 センの家とは駅を挟んで反対側の閑静な住宅地にカイリの家はある。隣の家からはピアノの音が聞こえてくる。

「こんにちは-」

「あら、いらっしゃい」

 カイリの母イライザが迎えに出てきた。その後ろからキャサリンとカイリが続く。

「セン!結婚しよう!」

 相変わらずの挨拶である。

「却下!」

 センの速攻の却下にもめげず、カイリはニコニコしている。

 伊助はムッとした顔をした。

「セン、待ってたわ」

 キャサリンもニコニコしている。

「今日から宜しくお願いします」

 センはイライザに頭を下げた。

 センは夏休みの間、イライザからフランス語と英語を教えてもらうことにしていた。

 外国語の授業に興味を持ったセンは、キャサリンに夏休みの特別授業をお願いした。それをキャサリンから聞いたイライザが教師役をかってくれたのだ。

 センが勉強をしている間、伊助はカイリと剣道の稽古をすることになっていた。

 二人は早速庭に出て素振りを始めた。


 一時間ほど勉強をして、休憩を取ることになった。

 伊助とカイリは素振りを終えた後、何処かへ行って庭にはいなかった。

 イライザがクッキーを焼きましょうと言ったので、テーブルを片づけて、粉やバター、砂糖、卵と並べた。

「粉から作るの?」

 興味深そうにセンが聞いた。

「そうよ」

 キャサリンがイライザを手伝いながら答えた。

「へぇ、僕初めて見る」

 興味津々のセンに、キャサリンが粉を渡して、

「一緒に作りましょう」と言った。

「蕎麦をこねているのは見たことあるけど」

「蕎麦?」

「うん、蕎麦」

「蕎麦とはちがうわよ」

 笑いながらイライザが丸い器の中に、バターや砂糖、卵とゆっくり混ぜ合わせながら順番に入れていく、最後に粉を入れて生地を作ると、しばらくねかせるといって冷蔵器に入れた。

 ねかせてる間、キャサリンはセンに聞いた。

「センはなぜ外国語に興味有るの」

「家は旅館だろう、たまに海外の人も来るし、話せた方が面白いと思ったからかな。それに・・・」

「それに?」

「京兄から外国語は勉強してた方がいいと言われたから」

「あっ、出た!センのお兄様贔屓」

「そんなんじゃないよ」

「あら、センにはお兄様がいるの?」

 イライザが話しに加わった。

「うん、ほんとうの兄妹ではないけどね」

「お兄様はカイリのライバルなのよ」

「そうなの」

「そうよ、センはお兄様がいるから、カイリが一生懸命『結婚しょう』と言っても振り向かないのよ」

「センはそのお兄様が大好きなのね」

「大好きだけど、ずっと一緒にいたいと思うけど、わからない」

 イライザの問いかけにセンはそう答えた。

「好きって気持ちがわからないの?」

「うん、とても尊敬しているし、大好きなんだけど、家族とも違う、友達でもない好きって何だろう」

 イライザが、あらまあ!と驚いた顔をした。

 キャサリンはセン言っている“好き”が何か知っていた。

「そろそろいいかも」

 イライザは冷蔵器から生地を出すと、粉をふるいながら麺棒で生地をのばした。

「さあ、型抜きをしてちょうだい」

 キャサリンがコップで丸く型を抜くのを見てセンもまねる。

「さっきの“好き”の話しだけれど」

 イライザがオーブンに火を入れながら言った。

「先日友人からアルプスの麓にある小さな国の話しを聞いたのを思い出したわ。センが知りたい“好き”をとても大切にしている国があるの」

「国?」

「国の名前は“サエモンナール王国”というのよ」

 センは思わず「ぶっ!」と吹き出した。

「あら、知っているの?」

「いえ、爺様の名前に似てたから、つい笑ってしまいました」

「おじいさま?」

「ええ、左衛門と言うんです」

「まあ、面白いわね」

 イライザは笑った。

「お母さま、続きを話して」

 キャサリンが先を促した。

 イライザは丸く型抜きされた生地を、バターを引いたトレイに移し、それをオーブンに入れながら続きを話した。

「私が日本に来るときに、その国の王子様と船が一緒だったの」

「王子様!ステキ!」夢見るようにキャサリンが言った。

「ええ、とてもステキな方だったわ。独身で背が高くてハンサムで、声も落ち着いていて、聡明なかただったわ」

「まるでセンみたいね」

「僕?」

「そうよ、センは我が校の若様ですもの」

「王子様って、若様なのか?」

「そうよ、お母さま、その方とお会いしたの?」

「その時王子様はお忍びだったのよ。たまたま父が王子様を知っていたから紹介して戴いたの」

「それで?」

「同じ船に乗っていた女の子はみんな王子様に憧れたわ。パーティのときはすごかったのよ」

「パーティがあったの!」

「長い船旅なので、時々パーティが開かれたわ。パーティの時はみんな王子様目当てで集まったわ」

 キャサリンは、目を輝かせて聞いていたが、センはサエモンナールが気になっていた。

「それが僕の“好き”とどう関係してくるの」

「あら、センはパーティとか興味ないのね」

 イライザは笑いながら続きを話した。

「王子様は、日本に伯父様を探しに行くと言ってたわ」

「伯父様?」

「そう前国王様。サエモンナール王国では古くから続くしきたりがあって、一度夫婦になると生涯その相手以外と一緒になってはいけないのよ」

「別れたりできないってこと?」

 キャサリンが聞いた。

「そう、別れるのは死ぬときだけと聞いたわ。でもね、どちらかが亡くなっても再婚してはいけないのよ」

「前国王はどうして国王を辞めたの」

「王妃様が若くして亡くなったの。それで子供のいなかった王は弟に王位を譲り旅に出られたと聞いたわ。王族は特にこのしきたりを守らなければいけなかったの」

「そうなんだ」

「伯父様は旅に出てしばらくして、連絡が取れなくなくなったそうよ。いろいろ探しても手がかりが掴めなかったけれど、日本にいるらしいという噂を聞いたらしいの。それで噂でもいいから捜そうと王子様が日本に行くことになったらしいわ」

「それで前国王様は見つかったの?」

 センが聞いた。

「それがね、見つからなかったの。でも王子様は日本で運命の出会いをしたらしいの」

「運命の出会い?」

「ここからは、友人の話なんだけど。私の古い友人がサエモンナールの出身なのよ。日本で王子様はある女性に恋をしたらしいの。一目惚れらしいわ。生馬が私と会った時のように、今のカイリも一緒ね。会うたびに結婚を申し込んだらしいわ。女の人も王子様の気持ちが伝わったのね。王子様の滞在予定が十日余りになった頃プロポーズを受け入れたの」

「結婚したの?」

 キャサリンが目をキラキラさせている。

「その友達が王室の人から聞いた話では、“契約の儀式”とか言うのをしたらしい」

「契約の儀式?それはなに」

 キャサリンが興味深そうにイライザに聞いている横でセンは固まっていた。

「それは永遠の愛を誓う儀式と聞いているわ。儀式を行うと、王子様はその女の人を生涯の妻として迎え、他の人とは結婚できなくなるの」

「ただ一人を愛するなんてすてきね、その女の人は王妃様になったの」

「いいえ、“契約の儀式”の翌日にいなくなったらしいわ」

「いなくなったの?」

「そう、王子様は女の人に何かあったのかも知れないと探したけれど、女の人は見つからなかったの。帰国の時が来て出航の時間まで待っても現れなかったの。王子様は傷心のまま国に帰られたそうよ」

「王子様、かわいそう」キャサリンが涙ぐんだ。

「国に帰った王子様は、そのことを国王様に伝えたの。国王様はたとえ異国とは言え“契約の儀式”をしたのであれば、今後妻を娶ることは許されないと言われたそうよ」

「いまの王様はその王子様なの?」

「そうよ、いまは王様になっているわ」

「妻がいないってことは、国はどうなるの?」

 キャサリンが心配そうに聞いた。

「王子様が戻って三年くらい経った頃、日本から手紙が来たそうよ」

「日本から?」

 センが驚いた。

「前王様からの手紙で、日本の男の子を後継者にしたと書いてあったらしいわ」

「日本の男の子?」

「その子が16歳になったら、日本に迎えに来て欲しいと書いてあったそうよ」

「16歳・・・」

「そういえばつい最近その友人が言ってたわ。前国王様の執事セバスチャンが国を出て日本に向かったとか・・・」

「セバスチャン・・・」

 センはその男の子が京だと思った。センは胸の奥に感じたことのない痛みを覚えた。

 クッキーのいい匂いが部屋の中に漂っていた。

「話しがそれちゃったけど、センの知りたい“好き”は“恋”だと思うわ。特定の相手に親でもない友達でもない“好き”を感じる気持ち、センは初めて“恋”を感じているのかも知れない。それはとても大切なことなのよ」

「その“好き”は胸が痛くなるのか」

「そうね、その人のことを思うと胸の奥がキュッと痛くなったりザワついたりするの。名前を聞いただけでドキドキしたりするのよ」

「そうなのか」

 バタンと扉が開き、カイリと伊助が部屋の中に飛び込んできたので、イライザの話しはそこで終わった。

「おいしそうな匂いがする!」

「クッキーを焼いたのよ」

「わぉ!伊助クッキーだって」

「私とセンも手伝ったのよ」

 キャサリンがテーブルにお皿とコップを置きながら言った。

「センが!」

 伊助が驚いたようにセンを見た。

「何だ!」

「いや、何でもない」

「何でもないとは、何だ」

 センは伊助をジロリと睨んだが、すぐに笑顔になって椅子を勧めた。

 イライザがクッキーをオーブンから出してお皿に盛り、キャサリンがジュースをコップに入れた。

「さあいただきましょう」

 みんな一斉にクッキーを頬張った。



 6


 寝苦しい暑い夜だった。

 センは昼間にイライザから聞いた話を考えていた。

 “セバスチャンが京兄を迎えに来る”

 センはいままでサエモンナールは爺様と母様の作り話と思っていた。でも、サエモンナールという国がほんとうにあって“契約の儀式”も実在した。京兄は爺様に騎士にして貰ったと言っていた。もし爺様がほんとうにサエモンナール王国の前王様なら、セバスチャンが京兄迎えに来る。京兄が遠くの国に行ってしまう。

 センは京兄が遠くに行ってしまうと思ったら涙が出てきた。

 京兄が東京の学校に行くときは何も思わなかったのに、遠くの国に行くと思ったら離れたくないと思う。胸が苦しい。イズミが旅立った時も胸が苦しかった。でもイズミの時とは少し違う気がする。僕はイズミに付いていきたいと思わなかった。でも京兄にはどこまでも付いていきたい、離れるのは嫌だ。胸が苦しい。イライザさんは恋をすると胸が痛くなったりドキドキしたりすると言っていたけれど、これは恋なのだろうか。恋って何なのだろう。

 考えながらセンは泣いていた。泣きながら何があっても譲れないものに気がついた。

 センは萬の部屋を訪ねた。

「父様、起きてる?」

 萬はまだ起きていた。

 萬は泣いて赤く腫れたセンの目を見て驚いた。

 萬はセンを部屋の中に入れて座らせた。

「セン!どうした、何があった!」

「父様、僕は京兄が好きです。だから京兄が何処か遠くに行かなければならなくなったら、僕も京兄に付いていっていいですか?」

 センが出した結論は、京兄が遠くに行くなら自分も付いていくと言うことだった。

「セン、わかるように話しなさい」

「イズミが死ぬ前に、イズミと約束したんです。京兄に二人で告白しようって」

「イズミと告白?」

「東京に行ったら、西園寺みたいに婚約者を決められるかも知れない。それだったら二人で京兄に告白してどちらか選んで貰おうって。イズミは告白する前に死んでしまったので、僕は約束を守って京兄に告白しました。京兄も僕を好きだと言ってくれました。でもその後で『いまはイズミとの約束という言葉に縛られてセンの本当の気持ちが何処かへ行っている気がする。本当の気持ちに気がついたら僕に教えてくれるかな。いまと違う答えが出てもきちんと教えてほしい。センの本当の気持ちを僕は聞きたい』と言われました。僕はずっと考えていました。今日カイリのお母さんから、『センの“好き”は“恋”かも知れない』と言われました。恋をすると胸が痛くなったりドキドキしたりするそうです。イズミが死んだときも胸が痛かったのを思い出して、京兄がいなくなったらと考えたら、恐くなりました。胸が痛くて涙が止まらなくなりました。京兄にどこまでも付いて行きたい、離れたくないと思いました。だから、もし京兄が何処か遠くに行かなければならなくなったら、僕も連れて行って欲しい。だから京兄に付いて行ってもいいですか?」

 萬はセンの話しを黙って聞いていた。

「センは自分の気持ちに気がついたんだね」

「本当は恋がなんなのかまだよくわからない。でも京兄が好き。京兄と一緒にいたい離れたくない。離れるくらいなら死んでしまいたいと思う」

「そうか、センもそういう年頃になったんだな」

「そういう年頃?」

「父さんもそんなことがあったな」

「え、母様と」

「いや違う、母様は京一郎兄さんにいまのセンが感じている思いを持っていた」

「母様は父様を好きではなかったのですか?」

「好きだったよ。家族としてね」

「母様は父様を家族として好きだったのですか?」

「百合にとって私は大事な家族として好きだったんだ。私もそれでいいと思っていた。百合は別れても京一郎兄さんにっずっと恋をしていた」

「恋とは何ですか?」

「恋は突然に現れるんだ。前の日まで何も思ってなかった相手が急に気になって、その人のことを考えると胸の奥がムズムズして、ドキドキして」

「ムズムズして、ドキドキするのですか」

「私の時はそうだったな。でも好きになってはいけない人だった」

「父様も恋をしたのですか?」

「私だって恋はするさ」

「好きになってはいけない人って誰ですか?」

「初恋だった。彼女は僕より年上でステキな人だった。控えめでそれでいて強くて・・・。自分の気持ちを抑えるのに苦労したよ。胸が痛くて切なくて泣いた事もある」

「告白しなかったの?」

「しなかった」

「なぜ?」

「それは愛していたから」

「愛?」

「私は、好きのもっと深い気持ちが愛だと思う。相手を思いやる気持ちかな」

「相手を思いやる気持ち?」

「そう、自分の気持ちだけ押しつけるのは、相手のことを思っているのではなくて自己満足のため。相手のことを思っていたら、引くことも大事なんだ」

「父さんは相手のことを思って告白しなかったの?」

「いま考えると、答えがわかっていたから、返事を聞くのが恐かったんだろうね」

「いまでもその人のこと好きなの」

「昔の話しだ」

「でも、忘れられないんだよね」

「初恋はそういうものだよ」

「そうなんだ」

「センが京と一緒にいたいなら、父さんは反対しないよ」

「いいの?」

「ああ、いいよ」

「ありがとう」

「少しは落ち着いたかな」

「うん、京兄と話してみる」

「そうだね」

「父さん、ありがとう。僕もう寝るね」

 センは部屋を出て行った。



 7


 翌朝、センが下に降りていくと、萬、伊助家族に雑じって蓮二郎が調子の横でご飯を食べていた。

「おはようございます」

 センはみんなに挨拶をして萬の横に座った。

「夕べはよく眠れたか?」

 萬が聞いたので、

「暑くて寝苦しかったけど、わりと早く寝たよ」

 センはそう答えた。

「ほんとに昨日は暑かったわね」

 調子も寝苦しかったのか、センの言葉に頷いた。

「センの部屋には窓がないから、暑い夜は寝づらいよね」

 伊助が同情するように言った。

「京兄が帰ってきたら、京兄の部屋で寝るからいいよ」

 京の部屋は窓があって、毎年夏になると、センとイズミは京の部屋で寝ていたので、特に考えることもなく言った

「ぶっ!」

 蓮二郎が吹き出した。

「どうした、西園寺?」

 相変わらず呼び捨てである。

「お前、女の自覚有るのか?」

「何だ、それ?」

 センが不思議そうに聞くので、蓮二郎は呆れたようにセンを見た。

「ハハハハ、蓮二郎君は我が家の夏は初めてだから変に聞こえるだろうが、センとイズミは夏になると窓のある京の部屋で寝るのが習慣になっているから、特に変わったことではないんだ」

 萬が笑いながらそう言ったので、蓮二郎はそれ以上何も言わなかった。

 窓を開けると海風が入って涼しい。でも窓を開けて寝るのは不用心なので、京が一緒ならいいと萬は思っていた。萬の部屋は京部屋の隣にある。泥棒が入った時は萬と京が対応できると考えていた。

「そうだ、調子さん、調子さんの部屋も窓がなかったから暑かったんだ。西園寺の部屋に行くといいよ。西園寺の部屋には窓があるだろう?」

「お前、なんてことを言うんだ!」「まあ!」

 二人は真っ赤になった。蓮二郎はセンに抗議をし、調子は下を向いてしまった。

「婚約者なんだろう?一緒の部屋は嫌なのか?」

「子供にはわからないんだ」

 蓮二郎はそう言って、黙ってしまった。

 萬は苦笑しつつ「この話はここまでにして、ご飯を食べよう」と言ってその場を納めた。


 夏の風が汐の匂いを運んでくる。

 センと伊助、蓮二郎と調子の四人は八幡様の境内に来ていた。

 境内では、拝殿前の小さな鳥居に輪を取り付ける作業をしていた。

「あれは何をしているの?」

 調子が聞いた。

「明日の夏越まつりで通る輪を作っているんだ」と伊助が答えた。

「夏越まつり?」

「そう無病息災を願って“輪くぐり“をするんだよ」

「輪を三度回るんだ」

 センと伊助が調子に説明した。

 四人は境内の日陰に入り、輪の骨組みが作られていくのを見ていた。

「夏祭りか・・・。父さんがまた行きたいと言っていたな」

 ポツリと蓮二郎が呟いた。

「西園寺の父様は祭りが好きだったのか?」

「僕は行ったことがないけれど、父さんは若いときに大原の伯父さんとそのお兄さんに連れて行ってもらったらしい」

「まあ、私のお父様と・・・」

「僕の父と大原の伯父さんは小学校から友達で、よく大原の家に遊びに行っていたそうだよ。大原の伯父さんには年の離れたお兄さんがいて、そのお兄さんがいろいろなところに連れて行ってくれたと言っていた」

「敬伯父様ね」

「そのお兄さんは若いときに絵の勉強でパリに行っていて、帰国したら日本中を回っていたそうだ。父さん達はそのお兄さんの旅の話を聞くのが好きだったと言っていた」

 蓮二郎は昔を懐かしむように空をみあげた。

「学生時代は夏休みに、卒業してからは年に一度、父さんと大原の伯父さんはお兄さんと旅をしたそうだ。ある年の夏、いつものように三人で旅行しているとき、偶然パリで知り合った人に会ったと言っていた。それが夏祭りの日で神社の境内にあった輪の中で出会ったと言っていた。とてもいい人でその日は彼の働いている旅籠に泊めて貰ったそうだ。お兄さんはその後度々その人の所へ行ってたらしい」

「へえー、案外家の旅館だったりして」

 とセンが言った。

「まさか、輪をくぐる祭りは他でもあるだろう」

 まさかという顔で蓮二郎が言った。

「この先にある神社でもやっているよ。明日はそこにも行ってみる?」

 伊助は蓮二郎と調子を見て言った。

「私はお父様からそんなお話聞いたこと無かったわ」

 調子は少し寂しそうに続けた。

「家では敬伯父様の話は全然しなかった。私はあのお人形を貰うまで敬伯父さんのことを知らなかった」

「父親ってそんなもんだよ。僕だって父様と話すことなんてほとんどないもの」

 センは夕べ萬の初恋の話しを聞いたが、萬から萬自身の話しを聞くのは春に聞いたのと夕べの話ししか無かった。

「そう?」

「そうだよ。用事のあるときしか話さない。西園寺がお父さんと仲が良すぎるんだよ」

「母が早くに亡くなって、父一人、子一人の家だったからな。父さんは何でも話してくれた。自殺すること以外は・・・」

「遺書とか無かったのか?」

「何も無かった。突然死んだ」

「ごめん、西園寺。嫌なことを思い出させてしまったな」

 センが蓮二郎に謝った。

 キャサリンとカイリが階段を上ってくるのが見えた。

「キャサリン!」

 センは手を振った。

「セン、僕との結婚考えてくれた?」

 会う早々カイリが手を差し出した。その手をセンは軽く叩いて、

「毎度のことですが、却下します」と言った。

 次にカイリは調子の手を取って、

「調子さん今日もお綺麗ですね」と言った。

 調子は手を引きながら、「まあ」と頬を染めた。

 それを見た蓮二郎がカイリの手を叩いた。

「おまえ、こいつに結婚を申し込みながら、調子さんにもちょっかいを出しているのか」

「ちょっかいなんかじゃ有りませんよ。僕はセンが好きですが、調子さんも好きです。もしセンに完全に振られたときは調子さんに結婚を申し込むつもりです。その時のために好印象を持って貰いたいと思うのは当然でしょう」

 カイリはそう言って、西園寺の目を見た。

「なっ!」

「あなたこそ調子さんの何ですか?」

「僕は・・・」

 蓮二郎が言葉に詰まった。

「カイリ、止めろよ」

 センがカイリを止めた。そしてカイリを少し離れたところに連れて行った。

「カイリ、西園寺を追い詰めるな。あいつはいま一条正に縛られている。調子さんは婚約者なんだけど、表だって言えないんだ」

「ちっ!あの爺さんも困ったものだな」

「そうだ!カイリ、生馬さんに西園寺のお父さんの自殺の真相を調べて貰うよう頼めるか」

「良いけど、何かあるのか?」

「なんか引っかかるんだ」

「勘って奴?オッケー頼んでみる」

「ありがとう」

 センは依頼を済ませるとカイリとみんなのところに戻った。

「もしかしたら京兄が帰ってくるかも知れないので、僕は港まで行こうと思っているけど、みんなどうする?」

「僕は行くよ」

 カイリが手を挙げた。

「敵を知るには、まず敵に近づくこと」

「カイリ、京兄は敵じゃないよ」

「恋敵なんだろう。僕も行くよ」

 蓮二郎がカイリを睨みながら言った。

 伊助はもちろん行くと言ったので、結局みんなで行くことになった、


 港はいろいろなところから船が来ている。国内だけでなく海外にも航路は繋がっていた。

 横浜からの船が接岸した。タラップが下ろされて中から乗客が降りてくる。

 京が降りてくるのが見えた。

「京兄!」

 センは京に手を振った。

 京は驚いたようセンにセンを見た。

「セン!迎えに来てくれたのか」

「うん、みんなで迎えに来た」

 京はセンの横にいた伊助を見た。

「伊助も迎えに来てくれてありがとう」

「京さん久しぶりです」

「元気そうだな」

「はい、毎日センのお守りで大変です」

「ハハハ、そうか」

 伊助の返事に京が声を上げて笑った。

「調子さんもお元気そうで何よりです」

 京は蓮二郎の横にいる調子に向かって声をかけた。

 調子は笑顔で頭を下げた。

「僕は?」

 カイリが京の前に飛び出した。

「カイリ!久しぶり。少し背が伸びたか?」

「わかるのか。3センチ伸びた。そのうち京さんに追いつくから」

「ハハハ、楽しみにしてるよ。ところで隣のお嬢さんは、カイリのガールフレンド?」

 カイリの隣で赤い顔をして京を見つめるキャサリンを見た。

「ちがうよ、同い年だけど姉貴だ」

「はじめまして、キャサリン・ゴードンと申します。カイリの姉です」

 キャサリンはスカートの両端をつまんで少し膝を折って挨拶をした。

「初めまして、センの兄の京と申します。いつもセンがお世話になっています」

 京は胸に手をあてて西洋風にお辞儀をした。キャサリンの顔が真っ赤になった。

 カイリは面白くなさそうにそれを見ていた。

「京は相変わらずもてますね」

 蓮二郎がキャサリンを見ながら言った。

「蓮二郎、もてるって?」

 京が不思議そうに問いかけたので、蓮二郎は呆れた顔をした。

「いや、お前達兄妹はいろいろ自覚が無いなと感心していたんだよ」

「?」

「京兄帰ろう!いろいろ話したいことがあるんだ」

 センは京の手を引いて歩き出した。

 カイリは帰りかけたセンに向かって言った。

「セン!僕らももう帰るよ」

「いろいろありがとう、カイリ」

「じゃあセン、良い返事を待っているからな」

 そう言って帰るカイリの背中にセンは声をかけた。

「待っても無駄だからな!」

 キャサリンが振り向いて手を振った。

「何を待っているんだ」

 京が聞いたので、

「求婚の返事」

「球根?」

「プロポーズの返事だよ。あいつセンに毎日求婚してるそうだ」

 蓮二郎が京に説明した。

「そうなのか?」

 京が驚いたようにセンに聞いた。

「カイリの父親が、母親を口説くときに使った手だって言ってた」

 センは気にする風もなく言った。

「カイリもそろそろ飽きてきたんじゃないかな。今度は調子さんを口説くようなことを言ってたし」

「京さん気にすることはないですよ」

 伊助が横から言った。

「カイリは別に思う人がいるみたいですよ。センにプロポーズをしてその人の気を引きたいだけです」

「伊助、それってキャサリンのこと?」

「センは近くにいてわかりませんでした?」

「うん」

「僕の勘違いかもしれませんけど、最近のカイリを見てると、そうかな・・・と感じることがあるんです」

「ふーん」

「伊助はよく見てるね」

 京が感心したように言った。

「この春から旅館の手伝いをしているでしょう。父さんが人の内面を見なさいと言うので、よく見るようにしているんです」

「伊助はすごいな」

「そんなことないですよ」

「伊助がいれば羽瀬川旅館は安泰だね」

 京と自分が出て行っても伊助がいてくれると思うとセンは嬉しかった。


 夜になると、センは自分の布団を京の部屋に持ち込んだ。

 京は蚊帳を吊りながらセンが布団を敷くのを見ていた。

 センに話したいことはいろいろ有ったが、今夜は隣の部屋の萬の気配が気になっていた。何故か萬が聞いている気がして、詳しく話せないと思った。それはセンも同じだった。

 寝床の用意ができて、布団の上に座っているセンに小声で聞いた。

「父さんに見張られているような気がするけど、なにかあった?」

「ううん、特にないよ」

 センは何も思いつかなかった。

「そうか」と言って、京は旅行鞄から箱を取り出して見せた。

「セン、薫子さんからプレゼントを貰ったんだ」

「プレゼント?」

「ああ、これなんだけど」

 京は箱を開けて懐中時計を出した。

「懐中時計?」

 センは時計を受け取り、蓋を開けた。

 “京へ”“京一郎&百合”の文字が見えた。

「京兄!これ!」

「ああ、父様の形見だ。裏も開くんだよ」

 裏の蓋を開けると写真があった。

「母様と・・・」

「僕の本当の父様」

「母様幸せそう」

「とっても幸せそうに写ってるだろう」

 部屋の外から「コホン」と咳が聞こえた。

「京、入っても良いか」

 萬が聞いた。

「いいですよ」

 京は立って襖を開けた。

「すまんな」

 そう言って萬は部屋に入ってきた。

「父様、どうしたの」

 センがちょっと驚いた顔をした。

「いや、何でもないが・・・」

「父さん、センに薫子さんから頂いたプレゼントを見せていたんだ」

 京はセンから懐中時計を受け取り、萬に見せた。

「これは京一郎兄さんの時計・・・」

「知ってるの?」

「家を出る前に兄さんが持っているのを見たことがある」

「蓋を開けてみて」

 センは萬を促した。

 文字を見て感慨深げに

「ああ、兄さんらしいな」と言った。

「裏も見て」

 萬は裏の蓋を開けた。

「京一郎兄さんと百合だ。幸せな顔をして・・・」

 萬の目から涙が出た。

「父様・・・?」

「京、大切にしなさい」

 萬は京に時計を返すと部屋から出て行った。

「どうしたんだろう」

 京が心配そうに呟いた。

「父様は、嬉しいんだと思う」

「嬉しい?」

「うん、京一郎さんと母様が幸せだったと知って嬉しかったんだと思う」

「父さんは、母さんを好きだったのに?」

「好きはいろいろあるんだって、父さんが言っていた。母様は家族として好きだったって、初恋は別の人だって言っていた」

「父さんの初恋?」

「うん、年上の人で好きになってはいけない人だって」

「年上の好きになってはいけない人?」

「心当たり有る?」

「もしかして・・・まさかね」

「だれ?」

「百合子伯母さん」

「百合子伯母さんは、父様が一緒の兄妹でしょう」

「父さんもそう思っているかも知れないけれど、違うんだ」

「違うの?」

「百合子伯母さんは一条正の子供じゃないんだ。センには詳しく話せないけど、この話は僕から父さんに話すよ」

「うん、わかった」

「もう遅いし、そろそろ寝よう」

「父様、泣いてたね」

「下に降りたみたいだね」

「うん、父様幸せになって欲しいな」

「そうだね。おやすみ」

「うん、おやすみなさい」

 しばらくするとセンの寝息が聞こえてきた。

 京はそっと部屋を抜け出し下に降りた。

 萬は一人酒を飲んでいた。

「父さん、ちょっといい?」

「なんだ、センを一人にして良いのか?」

「僕と父さんに話しをさせたくて寝たふりをしてる」

「寝たふり?」

「さっき父さんが母さんと京一郎さんの写真を見て涙を流してたでしょう」

「ああ」

「センが言ったんだ『父様は嬉しくて泣いている』って」

「センがそんなことを」

「そして、父さんの初恋の話しを教えてくれた」

「私の初恋の・・・」

「年上の許されない相手だって」

「そうか」

「父さん、その年上の許されない相手って教えてもらえるかな」

「いや、もう終わった話だ」

「まだ終わってないかも知れない」

「もう終わってる。昔の話しだよ」

「父さん、もしその人が百合子伯母さんだったら、百合子伯母さんを幸せにして欲しいんだ」

「どうしてそうなるんだ」

「百合子伯母さんも母様と同じように幸せな顔をして欲しいんだ」

「百合子姉さんは私の実の姉さんだ。それに幸せだと思う」

「僕は百合子伯母さんが幸せとは思わない。これは薫子さんから聞いた話だけど、薫子さんは正さんと結婚する前は、正さんの弟の垓さんの婚約者だったそうです。垓さんは結婚式の二週間前に『正に殺されるかもしれない』と言って亡くなったそうです。その時薫子さんのお腹には垓さんの子供がいたそうです。正が生まれてくる子供のためと言って薫子さんと結婚して百合子伯母さんが生まれたそうです。でも百合子伯母さんは一条姓を名乗らせてもらえず、薫子さんの私生児として育てられたそうです。百合子伯母さんの結婚話はすべて正さんに潰され、百合子伯母さんは一人で生きていくために看護婦の道を選んだそうです」

「まさか・・・」

 萬は驚いた。

「姉さんは何も言わなかった。正から疎ましく思われている僕に優しくしてくれた」

「詳しい話しは、薫子さんに聞いて下さい。父さんの初恋の相手が百合子伯母さんで、まだその気持ちが残っているのなら、百合子伯母さんを幸せにする方法を考えて下さい。薫子さんは百合子伯母さんが幸せになるのを望んでいます」

 萬は京の話しをにわかに受け入れられないでいた。

 京は萬を残して部屋に戻った。

 部屋ではセンが京の帰りを待っていた。やはり狸寝入りだったようだ。

「どうだった?」

「信じられないという顔をしていたよ」

「そうか、みんな幸せになると良いね」

「そうだ、薫子さんからセンに渡して欲しいと預かった物が有る」

「なに?」

 京は旅行鞄からまた一つ小さな箱を取り出した。

「これなんだけど」

 センが箱を開けると、銀色の金具の小豆くらいの大きさの深い青い色の石をキラキラした石が囲っている物が二つ入っていた。

「これはなあに?」

「イヤリングと言うものだよ。時々お洒落な外国の人が耳に付けているだろう」

「そうなんだ」

 センは女の人の装飾品とかに興味が無かったので、イヤリングを知らなかった。

「センにはまだ早かったね」

「どうして僕に?」

「薫子さんがとても大切な人から貰った物だそうだよ。僕の好きな人に渡してと言って下さったんだ」

「京兄の好きな人?」

「そうだよ」

 センは急に胸がドキドキするのを感じた。イヤリングを見つめたまま顔が赤くなるのがわかった。

「そろそろ寝ようか」

 京が言ったので、センは言わなければいけないことを思い出した。

「父様が上がってこないうちに話しておきたいことがあるんだ」

「なに?」

「昨日カイリの家で恐い話しを聞いたんだ」

「恐い話し?」

「うん」

「どんな話し?」

「ねえ京兄、サエモンナールと言う国が本当にあると知っていた?」

「いや知らない」

「ヨーロッパのアルプスの麓に本当にある国なんだって」

「ヨーロッパ・・・」

「その国では“契約の儀式”というのがあって、それは永遠の愛を誓う儀式なんだって。カイリのお母さんが日本に来るとき、その国の王子様と船が同じで、王子様は日本にいる伯父様を捜しに行くと言っていたって。その伯父様は前王様で長いこと行方不明になっていたけど、日本にいると言う噂を聞いて捜しに行くと言っていたんだって。王子様は日本にいる間に出会った女性と“契約の儀式”をしたけれど、その人は突然いなくなり、伯父様も見つけられずに国に帰ったそうだけど、三年くらいして日本にいる伯父様から手紙が来て日本の男の子を自分の後継者とを決めたので、その子が16歳になったら迎えに来て欲しいと書いてあったって。最近その国の執事のセバスチャンと言う人が日本に向けて国を出たらしいと聞いたとカイリのお母さんが言っていた。僕はその男の子が京兄かも知れないと思ったんだ。みんなの前では平気なふりをしていたけど、一人になると急に恐くなって、京兄と離れたくないという気持ちがどんどん強くなって、胸が苦しくなって、涙が止まらなくなったんだ。だから父さんに『京兄が遠くに行ったら離れたくないから、京兄について行ってもいい?』と聞いたんだ。父さんはいいと言ったけれど、僕はセバスチャンが京兄を連れに来ると思うと恐くて恐くて眠れないんだ」

 話しながら、センはポロポロと涙を流して泣き出した。京はセンの肩をそっと抱いて、安心させるようにトントンと背中を軽く叩いた。

「大丈夫だよ、僕はどこも行かない。ずっとセンの側にいるよ」

「でも、セバスチャンが迎えに来たら?」

「それでも、センと一緒にいるよ」

「ほんとう?」

「ああ、僕はずっとセンと一緒だよ。だから涙を拭きなさい」

「良かった」

 センは安心したのか京にもたれたまま寝てしまった。

 ずっと不安で眠れなかったのだろうと京は思った。

 京はセンの話しから、左衛門爺様とセンの関係が推測できた。そして爺様が京に託した思いを理解した。

 京はたとえ何があってもセンを守らなければならないと改めて決意した。



 8


 夏越まつりの朝は晴れだった。蝉がせわしく鳴き、山の上には入道雲がわいていた。

 センがスッキリした顔で朝を迎えたのに対し、萬と京は寝不足気味の顔をしていた。

 蓮二郎が気の毒そうな顔で京を見た。

「京、あいつの寝相が悪くて夜中に蹴飛ばされたんじゃないか」

「西園寺、僕の寝相は悪くないぞ」

 センは抗議した。

「蓮二郎、センの寝相がどうかしたのか?」

 京は蓮二郎がセンの寝相を気にする意味がわからなかった。

「いや、夕べ一緒の部屋だったんだろう」

「そうだけど、センの寝相がいくら悪くても僕の布団までは転がってこないよ」

「京兄!僕の寝相は悪くない」

「はいはい、センの寝相は悪くないよ」

「おやまあ、朝から元気ですね」

 八重が笑いながら、食卓に焼き魚の皿を並べた。調子が八重を手伝っていた。

「あれ、伊助は?」

「今日は成治について市場に行ってます」

「そうか、少しずつ仕事を覚えているんだね」

「そうですよ。来年中学が出来たら行かせようと思っていますが、今年は旅館の手伝いをして貰っています」

「じゃあ僕達は伊助をあまり誘っちゃあいけないね」

「大丈夫ですよ。センちゃんと一緒で夏休みをあげてます。今日はお祭りなのでちょっと手伝って貰ってます」

 伊助の母八重は、おおらかな性格なのでみんなから好かれていた。

 センの寝相話は朝食が始まると終わりになった。

「お祭りに行くのは夕方からとして、それまでセンはどうするの?」

 食事が終わると京がセンに聞いた。

「僕は、午前中はキャサリンのところでイライザさんに勉強を見て貰う予定にしてるけど、調子さんはどうする?」

「私もセンちゃんと一緒に行こうかな」

 調子はチラッと蓮二郎を見た。

「僕は京といるから行ってきたら」

 蓮二郎が調子にそう言ったので、調子はセンと一緒に行くことになった。

「じゃあ、僕らは二人をキャサリンの家まで送くって行って、昼頃に迎えに行くからそれでいい?」

「その間はどうするの?」

「蓮二郎と街をブラブラしてるよ。ね」

 京が蓮二郎に問いかけると、蓮二郎はそれでいいと言った。

 京と蓮二郎は二人をキャサリンの家まで送っていった後、近くの海の見える公園のベンチに腰を下ろした。

「蓮二郎、君は調子さんの事を正さんに言わなかったんだね」

 京がそう聞くと、蓮二郎は驚いた顔で言った。

「言ったのか?」

「いや、言ってないよ」

「じゃあなぜ・・・」

「何故知っているか、ってこと?」

「ああ」

 蓮二郎は頷いた。

「君は薫子さんが何の話しで僕を呼び止めたか知っていただろう」

「ああ、お見合いの話しだろう」

「だから残らなかった」

「そうだよ」

「僕は薫子さんにイズミの一周忌まで待って欲しいと言った」

「それで」

「正さんにそのように伝えると言ってくれたよ。その時にお前も一緒のようなこと言っていたから、正さんも薫子さんも調子さんの事は知らないと思った。だから僕も何も言わなかった」

「・・・」

「君が調子さんのことを正さんに知られたくないなら、ここで二人だけでいるところを見られるのは良くないと思う」

「なぜ?」

「蓮二郎、気がついているか?」

「何を?」

「君も僕も見張られているんだ」

「!?」

「ついでに旅館も見張られている」

「なぜ?」

「一条正が僕の父を嫌っているから」

「なぜ、萬さんを」

「過去の因縁らしい」

「過去の因縁・・・」

「イズミが死んだのも、もしかしたら一条正が絡んでいるかも知れないと僕らは思っている。だから君も気をつけた方が良い」

「僕が調子さんと仲良くしなければ良いと・・・」

「そうじゃないよ。家の中では良いけれど、外では二人だけで行動しないようにして欲しいと思っている。今のところ調子さんはマークされていない。ただの知り合い以上に親しい関係だとわかると調べられるかも知れない。一条正は別の目的でも調子さんを狙っているかも知れない」

「別の目的?」

「調子さんの財産」

「財産?」

「蓮二郎、君のお父さんは調子さんの財産を守ったんだ」

「どういうことだ」

「君のお父さんが借金で苦労していたとき、一条正は調子さんの財産を使えと言ったらしい」

「!」

「でも、君のお父さんは調子さんのお金には手をつけなかったんだ。調子さん本人しか引き出せないようにしていたそうだ」

「その話しはどこから」

「薫子さんから聞いた」

「薫子伯母さんから・・・」

「君が調子さんを好きなら、一条正から彼女を守らないといけない」

「どうやって守る?」

「いま君が調子さんと結婚したら調子さんは殺されるかも知れない。いや生きているとわかったら結婚しなくても殺されるかも知れない」

「なぜ?」

「本物を殺したら、偽物を用意すれば良い。一条正に取ってはそっちの方が好都合と思う」

「どうして?」

「君と調子さんは婚約していた。行方不明の調子さんが戻ってきたと君を結婚させる。結婚したら調子さんの財産は君の物にもなるだろう。調子さんが死んで財産が君の物になれば、極端な話し、一条正は君を養子にして、今度は君を殺すかも知れない」

「まさか・・・そんな・・・」

「あの人はそのくらい恐いってことさ」

「僕は一条の伯父さんを尊敬していたけれど、何処か馴染めないところがあった」

「君にとっては恩人になるのかな」

「そう思っていた。でも京の話しを聞いたら、僕はあの人の道具の一つでしかないような気がする」

「蓮二郎、僕たちと一緒に戦わないか?」

「戦う?」

「僕たちは一条正と戦おうと思っている」

「そうか、すこし考えさせてくれ」

「すまない、東京では話せなかったが、君は現実を知らなければ先に進めないと思ったから話した。あまりゆっくりも出来ないけれど考えてくれ」

 二人は迎えの時間までそこで過ごすと、キャサリンの家に向かった。


 キャサリンの家では、イライザがワッフルを焼いたので食べていってと引き止められた。

「京さん、始めまして、カイリの母のイライザです」

「初めまして、羽瀬川京です。こちらは、僕の友人の西園寺蓮二郎です」

「初めまして、西園寺蓮二郎です」

「まあ、初めまして、どちらもステキな方ね」

 イライザは、二人が気に入ったらしかった。

「カイリの恋敵は手強そうね」と言って笑った。

 しばらく雑談をして、五時に八幡様で待ち合わせる約束をして、キャサリンの家を後にした。


 浴衣姿の四人は八幡様の下で、カイリとキャサリンが来るのを待っていた。

 カイリとキャサリンは浴衣を着て現れた。

「キャサリン!かわいい!似合ってる!」

 キャサリンは嬉しそうに、クルリと回って見せた。

「そう?お母さんが用意してくれたの」

「カイリはお子様みたいだな」

 カイリを見ながらセンが笑った。

「センも変わらないじゃないか。変な格好して」

 センは紺地に牡丹の柄が入った浴衣を着ていたが、何故か下にいつもの袴を着けていた。

「僕はこれでいいんだ」

「フフフ、カイリさんはいつもの挨拶がないのね」

 調子が笑いながら言った。

「今日は良いんだ」

 カイリは京を見た。

「恋敵の前ではやらないのか?」

 蓮二郎が冷やかした。

「朝言ったから良いんだ。一日一回だ」

 カイリはそう言うと階段を上り始めた。

 センもカイリの後に続いたので、他の四人も階段を上った。

 境内の鳥居に茅に巻かれた輪が出来ていた。

 四人は他の参拝客に雑じり、輪を三回まわって拝殿にお参りした。

 八幡様の参拝が終わると、他の神社にも行ってみようと言う話しになり、海沿いの道を次の神社に向けて歩いて行った。

 その神社は海の側の小さな拝殿のある神社だった。

 セン達は神社の鳥居の輪を回って参拝した。

 参拝の後、海を見ながら少し休憩を取ることにした。

 太陽が西に傾き空が少し赤く染まってきたので帰ることにした。

 歩き始めた時、キャサリンが足を引きずっているのにセンが気付いた。足を見ると下駄の鼻緒が擦れて皮膚が赤くなっていた。いつもは靴で下駄に慣れていないうえに、素足に履いて長い時間歩いたから鼻緒が擦れて足の皮がむけてしまっていた。

「これは痛いだろう」

 京が手水の水をタオルに湿らせて持ってきたので、調子がそれを受け取りキャサリンの足に当てた。

「僕が負ぶってあげよう」

 京がそう言って背中を向けたが、キャサリンは背負われたら浴衣の裾が開けてしまうので恥ずかしいと断った。

「僕の袴を貸そうか?」

 センが袴の紐に手をかけた。

「こんな人のいるところでダメだよ」

 京が今にも袴を脱ぎかねないセンを止めた。

 その時京は視線を感じた。その方向を見ると車夫の佐の助と目が合った。

「ちょっと待ってて」

 京は佐の助のところに行った。

「車は空いている?」

「空いてるよ」

「センの友達が足を痛めて歩けそうもない。家まで送って欲しいんだけど」

「良いですよ」

「良かった」京は少し声を小さくして「佐の助はセバスチャンを知ってる?」と聞いた。

「爺さんの執事だろう。合ったことはないけど。来るのか?」

「らしい」

「確かか?そうか」

 京と佐の助の話しはそこで終わり、京はみんなの元に戻った。

「そこに佐の助がいたので交渉してきた」

「空いてるって?」センが聞いた。

「家まで送るようにお願いした」

 京はキャサリンとカイリに人力車で家まで送るよう手配したことを伝えた。そして、キャサリンをお姫様抱っこで横抱きに抱えると、佐の助の所まで連れて行った。

 キャサリンは真っ赤になり、カイリは不服そうな顔をした。

 センと蓮二郎と調子も人力車の近くに来た。

 京がキャサリンを車の座席に乗せると、佐の助が寄ってきて京に囁いた。

「京さん、お姫様が不満顔で見てますよ」

「お姫様?」

 センが京の隣に来た。

「じゃあ、気をつけてね」

 センはカイリとキャサリンに笑って手を振っていたが、片方の手は京の着物の袖をギュッと握って離さなかった。

 佐の助は京に片目をつむると、車を引いて走って行った。

「センどうした?」

「何でもない」

「何でもないことないだろう」

 京はセンの態度の意味がわからなかった。

「フフフ、センちゃんはキャサリンに焼き餅を焼いているのよ。キャサリンをお姫様抱っこで車に乗せたでしょう」

 調子が笑いながら言った。

「そうなの?」

 京はセンに聞いた。

「京兄があんなことするのは嫌だと思っただけだ」

「どうして?」

「だって京兄は、僕の京兄だから・・・」

 小さな声でセンが呟いた。センは自分でもどうして嫌なのかわからなかった。とにかく嫌だと思った。

 京は優しく笑うとセンの耳元に口を近づけて囁いた。

「僕はセンだけのものだよ」

 驚いた顔で京を見つめるセンの顔は、夕日よりも赤くなっていた。

 蓮二郎は目をそらし、調子はクスクス笑っていた。



 9


「セバスチャン、伯父様の後継者に会いに日本に行くのだな」

「はい、国王様。ハリス・サエモンナール公爵様のお手紙によりますと、公爵様の後継者の名前はケイ・ハセガワ、両親の家柄は日本の貴族だそうです。そのお方が16歳になられたら迎えに来るようにと書かれています。そのお方は今年の12月で16歳になられると伺っています。わが国では16歳になると成人とみなされ、そのお立場上次期国王の資格が与えられます」

「そうだな、あの女の国というのが気にくわないが、その者が次期国王に相応しいかしっかり見てきてくれ」

「はい、国王様」

「それと、別件を頼めるか」

「何でしょう」

「我をだましたあの女の消息を調べて欲しい」

「お名前は?」

「わからぬ」

「は?」

「当時外務省にいた通訳の女だ。みんなティティと呼んでいた」

「ティティですか?」

「俗称だったらしい。探したがどこにもいなかった」

「わかりました、探してみます」

「よし、では気をつけて行ってこい」

「はい、国王様。しばらく留守にさせて戴きます」

 セバスチャンは国王に挨拶をして出て行った。



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