京の街 その参
夕刻頃、慶四郎は寺町にある水福寺と言う寺に帰って来た。
小さな寺で、本堂と離れの屋敷の二棟でお世辞にも立派といえない寺であった。
寺門を潜り、本堂に行く石畳を二つほど歩いたところで
「若さま、京の街はいかがでしたか?今、夕食の準備をしておりますので、奥でお休みくださいませ」
歳は三十中ほどの和尚が腰を屈めて慶四郎を出迎えた。
「和尚さま・・・若さまは、止めていただけないか・・・」
やれやれと言った感じで慶四郎は呟いた。
「よいではありませんか、こうやって対面するのも三年振りですぞ!」
和尚は大層、嬉しそうである。
離れ屋敷の前に猫の額ほど小さな庭があり、そこに花々が供えられた小さな墓碑があった。
墓碑には 一心達成 十八志士 と書かれている。
慶四郎はその墓碑に両手を合わせ、丁寧に拝んだ。
3月の初旬である。
固く閉ざされた桜のつぼみが西側からの夕日で真っ赤に染まっている、それから、軒先の桶で足を洗い小さな屋敷に上がった。
やがて、離れの6畳ほどの板間に夕食の用意もできあがり、慶四郎は膳の前に座った。
「おい おい 和尚さま、魚とお酒があるではないですか?」
「今日は慶四郎さまと、再会できた特別な日でありますから」
「生臭坊主だなぁ」
「まぁまぁ、まずは一献」
和尚は御調子を持ち、慶四郎にお酒を進めた。
慶四郎は一気に飲み干し、お猪口を下に向けて2,3度振り、和尚に返杯した。
「京の街は浪人が多くて、治安が悪うなっているのを、実感できましたかな?」
和尚はお酒を飲みほし言った。
「なにやら、不逞の浪士が多いようですね。ああ、そういえば、芹沢さんを見ました、三条の両替屋で相変わらず、銭を強請ってました」
慶四郎は魚を箸で摘まみながら言った。
「あの精忠浪士組の芹沢ですか?我が藩の恥ですな」
和尚はホトホト困った様に言った。
「もう、芹沢さんは脱藩した方ですから、それにあの方は、あの方なりの考えがあるのでしょう」
「桜田門外の事件以来、我が藩の藩政も良くなり、私ももうすぐ、帰参できるというのに、あの様な者が京の街で横暴してると思うと虫唾が走りますわい」
和尚はもう怒りをあらわにした。
この頃の藩政というのは、幕府の政策によってコロコロ変わった。
水戸藩では黒船来航以来、名君徳川斉昭が尊王攘夷を唱えていた。
尊王攘夷 つまり、帝を尊び日本に入って来ようとする異国人を打ち払うという考え方である。
しかし安政5年井伊直弼が幕府の大老になり、日米修好通商条約を独断で調印してしまい、これに異を唱える徳川斉昭は水戸での永蟄居を命じられることになる、いわゆる安政の大獄である。
こののち水戸藩政は幕府のいいなりになるが、これより3年前の安政7年桜田門外の変により井伊直弼は暗殺された。
そして今 再び、藩政は尊王攘夷にもどりつつあった。
「それはそうと、若様も私といっしょに帰参するのでしょう?」
和尚は心配そうな顔である。
藩政は尊王攘夷派にもどりつつあったので、藩は井伊直弼を批判して脱藩して浪人になった藩史を呼び戻しているところだった。
「いや、私は、もう少し自由な身でいたいのでこのまま浪人でいますよ」
漂々と慶四郎は答えた。
その答えに和尚は驚愕した。
「なんと!!若様 いいですか!!今、身に着けている羽織、袴、名刀桜十文字、いったい誰から頂いた物ですか?!毎日の金子!誰から頂いているのですか?!!」
和尚はいっしょに慶四郎も帰参してくれると思ってたらしく、激しく慶四郎に詰め寄った。
「兄上です・・・」
慶四郎は箸を置き、崩した足を正座に座りなおして静かに答えた。
慶四郎は浪人ではあるが、金子等の必要な物は藩にいる兄から、仕送りされていたのである。
「だったら、なぜ、私といっしょに帰参して兄上の安島信義様の支えとなって藩を盛り上げていこうとはしないのですか?亡き若様の父上 安島帯刀様に申し訳がないとは思わないのですか?!」
和尚は腹立たしいのか、もう涙目になりながら大声で言った。
この時代の侍ならば、仕方ないのであろう、まずは藩が一番大事なのである。藩があっての自分なのである。まだ、日本人としての認識は皆無であっただろ。佐久間象山、勝海舟、坂本竜馬以外では。
「まぁまぁ、和尚様、いや海後磋磯之介さん・・・この事は兄上にも、伯父上の戸田忠則様もご承知されておる。ご安心を・・・」
慶四郎はこの事は他言したくはなかったが、和尚に問い詰められては仕方ないと思い、和尚を心から納得させる意味で、本名でつい話してしまった。
「え・・・と、いうことは・・・」
和尚はしばらく考え込み、
「なるほど、家老の戸田様までご承知とは・・・つまり、若様は密使の役を仰せつかったのですなぁ・・・」
和尚いや、海後は落ち着きを取り戻し、納得した表情で言った。
その通りであった、慶四郎は藩から全国の情勢等の情報収集を任される事になっていたのである。
現在で言うところのスパイ活動のようなものではなく、水戸藩のこれからの道を提言できるような情報収集である。暗躍している時代である、藩としても、世の中の情勢にすばやく対応したいのである。
藩に在籍して活動するよりも、浪人として活動した方が情報は得やすいと説き伏せ、慶四郎が兄と伯父の許しを得てこのまま浪人で活動する事になった。
「これは、私の早合点でした・・・まぁ ほぼ 今まで通りということですなぁ」
海後は落ち着きを取り戻していた。
「藩に戻るよりこのまま浪人の方がいろいろ都合がいいほうがありますので」
慶四郎はなだめるように言った。
海後の言った通りであった、慶四郎は脱藩してから今までも兄の安島信義に自分の入手した情報を手紙で送っていた。
その時、寺門の方からズリズリと複数の草履の足音がした。
「はて?どなた様が来たのであろうか?」
海後は障子を開け、足音のする石畳の方を見た。
薄暗くてよく見えない。
「おぉー!いや、やはり 偽坊主の海後の寺にいたのかー!?慶四郎は!」
足音の主はこちら側に向かって叫んでいる。
「どこかで、聞き覚えのある声だが・・・」
と海後はつぶやいた。
「あはは・・・それはそうでしょう、あれの声は芹沢さんですよ!」
と慶四郎は平然と笑いながら海後に言った。
「昼間から誰かに付けられてましたから・・・あはは」
「え??付けられてって・・・なんと・・・」
海後は嫌な顔をした。
やがて、庭の方から芹沢が屋敷に上がりこんで来た。