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不平等な恋  作者: 雨柚
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第5話

 教室から話し声が聞こえる。ドアは閉じられていて室内の様子はうかがえないけれど、3、4人の男子が話しているようだと声でわかった。


「返せっつってんだろ」


 大鳥くんの声だ。そう思うと同時に足が止まった。

 立ち聞きなんてよくないとわかっているのに、ドアを開けて中に入ることもこの場から離れることもできない。大鳥くんに会わずに帰るという選択肢がないのはもちろんだけど、ドア越しに聞こえる彼の剣呑な声に中に入ることを躊躇してしまった。


 隣に立つ光一くんの顔を見上げると、彼は入らないのかと視線で尋ねてくる。それに困った笑みで返すと、言いたいことが伝わったのか軽く頷いてくれた。


「いいじゃん、ちょっと放課後まで貸してくれって言ってんじゃん」

「もう放課後だろ」

「あ、そっか。えーと、じゃあ、もうちょっと」

「てめえ、ふざけんなよ」


 ゴンッと鈍い音がした。誰かが机か椅子でも蹴ったのだろうか。この場合、不機嫌そうな大鳥くんが容疑者だ。そんなに大きな音ではなかったからふざけて蹴っただけなのかもしれない。

 友人間でよくあるじゃれあいのようなものだと思うと、彼の学生生活が少しだけわかったような気になる。今、話しているのは友達なのだろう。


「あ、写真はっけーん!」

「マジ!? 見せて見せて!!」

「は? お前らなにやって……」

「うわ、マジかよ。あんま可愛くない」

「あー、シンヤの好みってこういう系かー」

「で、ホントに珠洲女なのかよ? ぜってえ嘘だろ?」

「いや、私服だしそこまでわかんな……」


 さっきよりももっと大きな音がして、その後すぐにがしゃんと何かが倒れる音がした。


「さっさと返さねえと殺すぞ、チビ太」


 物騒な台詞が聞こえる。大鳥くんの声は今まで聞いたことがないほど怒りに満ちていて、その場にいないわたしまで背筋がゾクッとした。


「チビ太って言うなよ!」

「おい、やめとけって勇太。今のシンヤ、わりとマジでキレてるから」


 わたしが内心密かに怯えていた大鳥くんの怒りを前にしても彼の友人たちはあっけらかんとしている。食ってかかる声とそれを宥めるような声が聞こえたが、どちらもたいして動じていないようだ。


「もとはといえば相良さんのせいじゃん! やれっていったくせにー」

「やれとは言ってない。面白そうじゃねっていっただけ」

「もう返しちまえよ。シンヤの彼女の顔もわかったし、もういいだろ?」

「えー、でもまだ……あ、そうだ! シンヤ、お前ってブス専なの?」

「お前の度胸には感心するわ」

「空気の読めなさにもな。入院しても見舞いには言ってやらねえぞ」

「歯ぁ食いしばれ、チビ太」

「待って待って、マジで待ってって!!」


 教室からは暴れるような物音がしていたけど、わたしの頭のなかはそれどころじゃなかった。

 きっと彼らの話の種はわたしのことで、誰が見てもやっぱりわたしはブサイクで、大鳥くんが友達に馬鹿にされてしまうような、そんな彼女だ。大鳥くんが友達に見られたくないと言っていたのが正しかった。会わせたいって言葉を真に受けて、こんなところまでのこのこ来てしまったのが悪かったのだ。

 その事実に打ちのめされる。


 わかっていたけど、知っていたけど、どうしようもなく泣きたくなった。

 もうここから逃げ出してしまいたい。


「おい、お前ら!」


 怒鳴り声とともにドアが開かれる。

 開けないでほしかった。心の準備なんて全然できてなくて、それに、面と向かって大鳥くんの友達にブスだとか言われたら彼に会わせる顔がない。


「陰口叩くなんざ、女の腐ったみてえな真似してんじゃねえ」

「え、陰口? ……ああ。違うって、光一くん。これは――って、え?」

「お、女? あれ、なんか見たことあるような……?」

「お、シンヤの彼女さんいらっしゃーい!」


 彼らのなかで一番背の低い男子がこちらへ駆けてくる。

 頬に殴られた痕があったが、痛くないのか気にしていないのか満面の笑みだ。


「いやー、さっきの話聞いちゃった? ごめんね、全然そんなつもりじゃなくて――」


 ドスッという音がして、ふいに言葉が途切れた。彼が前のめりに倒れたのをみて初めて、後ろから蹴られたのだと気づく。

 背の低い彼の後ろにいたのは大鳥くんだ。彼は無言でわたしに近づく。


「なんでここにいるんだ」


 怒りを押し殺したような声が至近距離で聞こえた。


「ここがどこだかわかってんのかよ。一人で来るなんて馬鹿じゃねえのか」


 あなたが呼んだのに。

 口を突いて出そうになった言葉を必死で呑み込んだ。今、それを言ったら責めるような口調になってしまう。

 悲しくて、腹立たしくて、全部思っていることをぶちまけてしまいたくて――でも、それ以上に彼に嫌われたくなかった。


 いつもわたしはこうだ。嫌われたくなくて何も言えなくなってしまう。

 わたしたちの関係は不平等で、恋人同士でも想いは一緒じゃない。


「おい、シンヤ。そんな言い方はねえだろう。可哀相じゃねえか」


 視界には大鳥くんしかいないが、声からして庇ってくれたのは光一くんだろう。


「あー、シンヤも彼女さんもごめん。呼んだのオレなんだわ」

「はあ? てめえ、今なんつった」


 大鳥くんが振り返ると、わたしには彼の背中しか見えない。

 状況は違うけれど、まるで初めて会ったときのようだ。相手は彼の友人たちなのに、どうしてか庇われているように感じてしまう。


「だーかーら、オレが彼女さんをここに呼んだの! シンヤの彼女とかめっちゃ気になるじゃん」

「どうやって……って、お前、クソチビ太っ! 俺の携帯いじったな?」

「悪かったってばー。怒っちゃいやん」

「死ね」

「キモい」

「果てしなくウザい」

「おい、タカシも相良さんも聞こえてんぞ!」


 話からすると、わたしに大鳥くんを装ってメッセージを送ったのは背の低い男の子らしい。周りからは勇太とかチビ太とか呼ばれているようだ。


 教室に入る前から――といっても、わたしはまだ入り口に立っているだけなのだけれど――大鳥くんが“返せ”としきりに言っていたのは携帯のことなのだろう。わたしの写真も勝手に見られたようだ。

 彼がわたしの写真を持っていたことは意外だったが、色々言われていたことを思い出して落ち込む。大鳥くんには後で謝ろう。


「やー、彼女さんもホントにごめんね。さっき言ってたこととか全然思ってないから! マジ気にしないで……って、シンヤ。謝ってるんだからどけよ。彼女さん見えないだろー」

「うっせえ。謝って済むと思ってんのか」

「もー、オレはシンヤじゃなくて彼女さんに謝ってるんだってば。謝るときは面と向かってごめんなさい、だぜシンヤ。それが男の礼儀ってもんだ」

「まず謝るようなことすんなよ」


 ぼそりと呟かれた突っ込みは誰のものか。たぶん、“相良さん”と呼ばれていた光一くんに負けず劣らず大柄なひとか、“タカシ”と呼ばれていた金髪のひとだろう。

 大鳥くんの様子だと、わたしが彼らに挨拶する機会はなさそうだ。呼び出しは大鳥くんの意思じゃなかったし、もともと彼は友達にわたしを見られたくないと言っていたのでこれから先も紹介されることはないだろう。


「なんとなく事情はわかった。ま、とりあえずシンヤはその子を送ってやれ。嫌なこともあっただろうし、ずっとここでうだうだ話してても仕方ないだろう。勇太は俺が締めといてやるから」

「……光一くんが言うなら」

「えー、オレさっきシンヤに蹴られたんだけど光一くんにも蹴られんの? やだー」


 光一くんの言葉に大鳥くんは渋々だが了承した。不満をもらしているのは勇太くんだけだ。その勇太くんも文句を言っているが、受け入れてはいる。

 光一くんはこのメンツのまとめ役というか、リーダー的存在なのかもしれない。


「行くぞ」


 手首を掴まれた。

 そのまま連行されるように廊下へと連れ出されそうになって、わたしは“ちょっとだけ待って”と大鳥くんに告げる。まだ怒っている彼に話しかけるのは実は少し怖かったのだけど、彼はさらに苛立つ様子もなく立ち止まってくれた。


 振り向くと、教室には4人の男の子たち。男の子という表現が似合わないひとが大半だけど、彼らが大鳥くんの友達で、話している姿を見る限りではそんなに普通の男子と差がないことを知っている。ちょっと手や足が出るのが早いみたいだけど、一番喧嘩早いのはわたしの恋人のようだ。

 唯一、ちゃんと自己紹介をした相手と目が合う。


「光一くん、ここまで案内してくれてありがとう。言い忘れててごめんね。あと、皆さんも突然押しかけてすみませんでした」


 ぺこりと頭を下げると大鳥くんがわたしの手首を掴む力が強まった。それは痛いくらいの力で、また怒らせてしまったのかと不安になる。

 怒らせたくないのに、わたしはいつも彼を苛立たせてしまう。一緒にいても楽しくないのではないか。そんな後ろ向きな考えが頭をよぎった。


「礼なんていいって。むしろ、うちの馬鹿どもが悪かったな」


 光一くんがメンバーを代表するようにそう言って苦い笑みを浮かべる。

 彼は何も悪くないのだが、責任を感じているようだ。妹がいると言っていたし、お兄ちゃん気質なのかもしれない。


「さようなら」


 もう会うことはないかもしれないと、そう思った自然と口が動いた。

 これが最後になるかもしれない。彼らとも――大鳥くんとも。


 恋は盲目というけれど、もう別れた方がいいと自分でもわかっていた。

 そうすれば、大鳥くんは出来の悪い彼女に怒らなくてすむし、ブス専だのなんだのと友達からもからかわれない。うちの学校の先生から悪く言われることもない。


 わたしももう疲れてしまった。


 諦めるということは比較的簡単なことで、母や義父や先生の勧めに従うのは楽なことだと思っていた。でも、どうしてか今はそれが難しい。

 恋を諦めることがひどく苦しくて辛いことだと初めて知った。


 でも、今となってはこの恋そのものが辛い。諦めることと同じくらいこの恋を抱えていることが苦しかった。始めから叶う可能性なんてゼロに等しくて、付き合ってもらえたのは奇跡に近い。それなのにどんどん欲張りになっていく自分を止められないから、彼がわたしと同じ想いではないのが悲しくて腹立たしくて。でも嫌われたくなくて、いつまで経っても好きなままで。


 まだ諦めたくないと心のどこかで思っているようなわたしは自分で思っているよりずっとしつこい性格で、そんなわたしでももう諦めないといけないところまで来ているとわかっていた。

 “別れよう”と告げたら彼はどんな顔をするんだろう。喜ぶんだろうか、怒るんだろうか、わたしの自分勝手さに呆れるんだろうか。想像もできなかった。



   ◇◇◇



「話がある」


 そう言って彼に連れられて来たのは校舎裏で、休憩所のようなところなのか自動販売機とベンチがあった。空き缶が転がっているのがこの学校らしいけれど、高校に転がっていてはいけないアルコールの缶らしきものもあったのには目を逸らすことにする。

 タバコの吸い殻が落ちているように見えるのは目の錯覚だろう。


「………………」

「………………」


 わたしたちの間を沈黙が下りる。

 話があると言った大鳥くんだが、彼から話を切り出す気配はない。


「あの……」

「なんで来たんだよ」


 何か言おうと口を開いたわたしにかぶせるようにして、彼は怒ったようにそう言った。いや、怒ったようにではなく、実際怒っているのだろう。

 そっとうかがい見た顔は不機嫌そうで、視線はわたしから外れている。顔も見たくないということかもしれない。


「大鳥くんからメッセージが来て……あ、今は違うってわかってるんだけど。えっと勇太くん、だっけ? 彼の悪戯なんだよね?」


 途中で、話を聞いてそう推察しただけで本当は違うかもしれないということに気づき、大鳥くんに確認をとる。

 こちらを向いた彼と目が合った。なぜか彼の視線が鋭さを増している。


「そういうことじゃない。つか、勇太くんってなんだ」

「え、たしかそう呼んで……」


 そこで口を噤んだ。苛立たしげな彼の様子がわたしから言葉を奪う。最後まで言わせてはくれないらしい。


「だいたい、なんで光一くんといたんだよ」

「光一くんとはたまたま校門で会ったの。大鳥くんに会いに来たって言ったらわざわざ案内してくれて――」

「……んで名前で呼んでんだよ。ふざけんな」


 前半の言葉はよく聞こえなかった。


「え?」

「お前は……っ」


 視界の端で大鳥くんが拳を握りしめたのが見えて、思わず身体が震える。

 殴られる、と思った。今まで彼がわたしに手をあげたことはなかったのに、そんなの関係なく殴られると思ってしまった。

 目を瞑って身を縮める。大きな舌打ちが聞こえた。


「クソッ!!」


 近くでドゴォッとすごい音がして、その後そこから少し離れたところでガシャンと何かが大きな音を立てる。

 驚いて目を開けると、自動販売機の傍にあったはずのゴミ箱がずいぶん離れたところに転がっていた。それなりに中にゴミが入っていたらしく、空き缶やペットボトルが辺りにぶちまけられている。


 大鳥くんが蹴り飛ばしたのだろう。

 さっきまで彼はわたしを殴ろうとしていた。それは間違いない。でも、彼はそうしなかった。わたしを殴るのではなく、咄嗟に近くのゴミ箱に当たったのだ。


 無抵抗の人間をなんの躊躇いもなく殴れるひとがいる。でも、大鳥くんはそんなひとじゃない。わたしが好きになったひとはわたしを殴るようなひとじゃなかった。それが嬉しい。

 苛立って手が出そうになって、でも最後は堪えてくれる。そんなところも好きだった。


「大鳥くん、わたし……」

「今、話しかけんな」


 鋭い声がわたしを制す。


「お前……いや、今あんたを送ってくのは無理だ。誰か適当に他のやつ呼ぶから待っとけ」


 “お前”と呼ぶのが彼の素で、“あんた”と呼ぶのは少しは口調を和らげようとしているのだろう。“あんた”というのも結構乱暴な言い方だが。光一くんもわたしにはそう言っていたし、彼の周りでは普通なのかもしれない。


「いいよ。一人で帰れる」


 可愛くない言い方だと自分でも思った。取り消したかったけれど、口から出てしまった言葉は取り消せない。


「……そうかよ」


 それだけ言って、彼はわたしに背を向ける。その声からは少し怒りの色が消えている気がした。


 あの日、近くでわたしを庇ってくれた背が今はこんなにも遠い。

 “待って”と、今の彼に何か言えることがあるわけでもないのにそんな言葉が出そうになって唇を噛みしめる。去っていく彼には振り返る気配すらない。そのまま、遠ざかっていく背中を見送った。


 大鳥くんの背が完全に見えなくなってから、ようやくわたしはのろのろと動き始める。

 倒れているゴミ箱を自動販売機の傍まで運んで、散らばってしまったゴミを拾い集めた。ついでに、周囲に落ちていた空き缶も拾って捨てておく。


 黙々と作業を進めると思ったよりすぐに片付いた。

 最後の一つを拾い上げ、少し遠くにあるゴミ箱に向かって投げる。かこんといい音がして空き缶がゴミ箱の外に転がった。外れてしまったようだ。勢いをつけすぎていたのだろう。力が入りすぎていたのかもしれない。


「上手くいかないなあ……」


 “入ったら諦めなくていい”なんて花占いより当たりそうにない。

 “入らなかったら諦める”とは考えないわたしは結構ずるいのだろう。





《 登場人物紹介④ 》


勇太 (ゆうた)

 あだ名はチビ太だが、そう呼ぶと怒る。実はアイドル顔。パシリっぽいのが悩みの種。


敬之 (たかゆき)

 あだ名はタカシ。なぜそのあだ名になったのか本人も覚えてない。本名を忘れられている疑惑がある。


相良 (さがら)

 バイクで事故って留年しているため皆より一年先輩。周りからは“さん”付けで呼ばれる。


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