第3話
占いって意外と当たるのかも。
そんなふうに思ったのは大鳥くんと初めて会った日以来のことで、悪い運勢ほど当たるなんて言葉が頭をよぎった。
今回は言い争いになったわけではなく、わたしが彼を怒らせてしまっただけだけど。人間関係で揉める、というのには十分当てはまっているだろう。
「嫌なら断れっつーの」
苛立たしげに吐き出された言葉に、胸が痛い。
「嫌だったわけじゃないよ。ただ、ちょっと寝不足で……」
「んなの顔見りゃわかる」
デート中、眠気と明日のテストのことで気もそぞろだったわたしに大鳥くんがキレたのはついさっきのことだ。うわの空だった自覚がある分、デートに乗り気じゃないと思われたのは悲しかった。
本当に楽しみにしていたのに、どうしてこうなったのだろう。大鳥くんに責められても上手い言い訳も思いつかない自分に呆れてしまう。今日のデートを台無しにしてしまったのはわたしだ。どうにかして失敗を取り戻したいのに。
「別に嫌々付き合ってもらわなくても他に誘うやつなんて山ほどいるし。むしろ、あんたみたいなブス連れて歩く方が嫌だね」
「………………」
あまりの言われ様に言葉も出ない。俯いて、気を抜いたらこぼれ落ちそうになる涙をこらえるだけで精一杯だった。
黙り込んだままのわたしに、彼が舌打ちする。そっと顔を上げると、不機嫌極まりない顔と目が合った。
「なんとか言えよ!」
わたしの態度がさらに彼を苛立たせているとわかるのに何も言えない。何もできない。
これ以上付き合いきれないと、別れを切り出されたらという怯えがわたしから言葉を奪う。
「……ひっでぇクマ」
睨むような視線から目を逸らす。化粧で少しは隠したつもりだったけれど、隠し切れてはいなかった。きっと今日会ったときから彼にはひどい顔だと、そう思われていたのだろう。
好きなひとにいつもよりひどい顔を晒していたことに、今になって泣きたくなる。
「で、なんで寝不足なんだよ」
怒っているのにわたしの事情を訊いてくれたのは彼にとって最大限の譲歩だ。
「明日からテストで……ちょっと夜遅くまで勉強してて……」
それなのに、わたしは答え方を間違えた。
「あっそ」
短い相槌がひどく冷たく聞こえる。さっきまでの怒りも消えて、興味もなくなったというように。
大鳥くんは短気でよく怒るけれど、静かに怒るタイプじゃない。凍えそうなほど冷たい眼に、愛想を尽かされたと感じた。
「じゃあ、もう帰ろうぜ。大事な大事なテストがあるんだろ?」
嘲笑交じりに言われる。
「さっすが、勉強第一のユートーセーだな。ヤンキーで馬鹿の俺には理解できないわ」
吐き捨てるような言葉が胸に刺さった。“ブス”と言われるより辛い。
せめて、勉強より大鳥くんの方が大事だと、そう思ったから今日も断らなかったのだと言いたかったけれど言えなかった。口を開いたら声を上げて泣いてしまいそうで、よく泣くうるさい女だと彼に思われるのは嫌だった。
「テスト終わるまで連絡しねえから、せいぜいおベンキョ頑張れよ」
別れ際に言われた言葉は励ましでも応援でもない。
それでも、心のなかで“もう連絡してくんな”と言われなかったと喜ぶわたしはきっと大馬鹿なのだろう。
――翌日からのテストはさんざんだった。
◇◇◇
やっと5日間の試験期間が終わった。
昨日までのテストのおかげで今日は土曜日だが課外授業もない。部活に入っていないわたしは部活動再開を喜ぶわけでもなく、テスト明けの解放感に浸るでもなく、鬱々と部屋に籠っている。
“テスト終わったし土日はパーッと遊ぼう!”と百代ちゃんと杏子ちゃんに誘われたが、遊びに出掛ける気分じゃなくて断ってしまった。試験期間中もずっとわたしの顔色が悪いことを心配してくれていた二人なので、テスト明け恒例の、というだけでなくきっとわたしを気遣ってくれたのだろう。
断ってしまって申し訳ないと思うと同時に、先週の出来事を思い出す。
「大鳥くん、まだ怒ってるかな……」
吐き捨てるように言われた言葉も、興味すら失くしたような冷たい眼もまだ記憶に新しい。
アプリを開いて、メッセージを打ち込んでは消すという作業を繰り返す。こんなとき、なんて送ればいいのだろうか。
ごめんなさい? やっとテストが終わったから遊びに行こう? ……どれも違う気がして、考えて考えてまた文章を打ち直す。
『まだ怒っていますか?』
それだけは打ってしまってからすぐに消した。
本当に訊きたいことは訊けない。訊くことが怖かった。
「仲直り、したいな」
呟いてしまってから気づく。
仲直りも何もない。あれは喧嘩ですらなかった。些細な言い争いというには根が深いということを、恋人に言いたいことも言えない自分を知っているぶん自覚していて、だからこそ彼に何を言えばいいのかわからなかった。
自分から連絡をとる勇気が持てないから、あの日からずっと来ないはずの連絡を待っている。
もう連絡が来ることはないかもしれないと頭の片隅では思っていた。日に日にその考えがわたしのなかで濃く大きくなっていくことをどうにか防ごうとして失敗ばかり。
大鳥くんとのことだけじゃなく、テストの結果も心配で。もう何も考えたくなくて、枕元に携帯を置いてベッドの上で丸くなる。
気づけば、また携帯に手を伸ばしている自分に呆れながら、鳴らない携帯を抱き締めるようにして握った。
◇◇◇
友人たちの気遣わしげな視線に下手くそな笑顔で応える。ごまかせていないだろうことは誰よりわかっていた。
「幸恵……本当に顔色悪いわよ? 大丈夫?」
「もしかして、まだ連絡来てないの?」
これ以上心配させないようにと事情を話したのがまずかったのか、二人はもっと心配そうだ。二人の気遣いにほんの少し心が軽くなる。優しい友人たちには感謝の気持ちしかない。
「うん、まだ……って言っても、ほんとはわたしから連絡するべきなんだけど」
その勇気が持てないと呆れまじりに言うと、百代ちゃんは困ったような顔をこちらに向ける。
「別にどっちが連絡しなきゃいけないとか決まってるわけじゃないから、そんなに気にする必要ないと思うけど。メッセージ送るだけなら電話するよりハードル低いし、間が空くほうがもっと連絡とりにくくなるから、自分が悪いと思うなら早めに謝っちゃいなよ」
正論だ。正論だけど、どうしても頷けない。そうしたいけどできないから。
彼女が真剣に言ってくれているのはわかっていたけれど、“そうだね”とも“無理”とも答えにくくて曖昧に笑う。
それを見た百代ちゃんの眉間にキュッとしわが寄った。
「笑ってごまかさないの。いいじゃん、連絡しちゃえば。彼氏くんだってどう連絡とろうか悩んでるかもしれないよ?」
「それはないと思うけど……」
「百代はちょっと楽観的だけど、幸恵は悲観的すぎ。あんた、もともとそんな後ろ向きなタイプじゃなかったでしょ? あんまり悩んでるの似合わないわよ」
「そうそう、ここ最近の幸恵はずーっと暗い顔してるもんね。わたし、仲山先生に“雛里さん、もしかして身内にご不幸でも……?”って訊かれちゃった」
仲山先生はうちのクラス担任だ。高校だから小学校や中学校ほど担任教師との関わりは濃くないけれど、親身に生徒の心配をしてくれるいい先生だと思う。まだ若い先生だからか、年の離れた姉や叔母のような雰囲気があった。
「一人でお通夜してたっていいことないし、ほらさっさと連絡する! 幸恵がやらないならわたしが勝手にやっちゃうからね!」
そう言って、百代ちゃんはわたしの携帯へと手を伸ばす。わたしは慌ててその手から逃れ、携帯を死守した。
「百代の言ってることも無茶だけど……まあ、わたしも早く連絡した方がいいと思うわよ」
「あれ、杏子はヤンキー彼氏撲滅委員会に入ってたんじゃなかったの?」
「何よその委員会、聞いたことないし入ってないわよ」
百代ちゃんの冗談に杏子ちゃんが呆れ顔で突っ込んだ。いつもの二人のやり取りに小さく笑ってしまう。
そういえば、こんなふうに自然に笑えたのは久しぶりかもしれない。それだけ暗い顔を二人に見せていたかと思うと申し訳なかった。
「別に幸恵の付き合いを応援する気はないけどさ」
「ないんだ。そして、ないって言っちゃうんだ」
「うるさい。茶々入れないで」
「はーい」
「わたしはヤンキーなんて嫌いだし、幸恵ならもっといい恋人ができると思ってる」
「えと……大鳥くんはいい恋人だよ?」
「そんな暗い顔で何言ってんの」
「信憑性がないよね」
小さな声で反論してみたが、二人に素気なく流される。
「……うう、そうかな。わたしが悪いだけで、大鳥くんは何も悪くないんだけど」
「そこ! それがダメなの!」
杏子ちゃんにびしっと指を差されて、ちょっとびっくりした。
「どっちが悪かったかなんて知らないけど、喧嘩両成敗よ。どっちも悪いの」
「杏子さん、おっとこまえ~」
「うっさい、百代。幸恵が彼氏と別れたいならこのままでいいかもしれないけど、そうじゃないなら行動しなさい。わたしは、ヤンキーなんかとはさっさと縁を切った方がいいと思うけどね!」
強く言い切る杏子ちゃんは、確かに百代ちゃんの言う通り男前だ。
このまま終わりたくないなら、わたしから行動するしかない。
彼女の言葉に背中を押された気がして、携帯をじっと見つめる。
あの日、大鳥くんはなんと言っていただろうか。
――テスト終わるまで連絡しねえから。
テストが終わるまで。あの時点では関係を断つ気はなかったのかもしれない。わたしの希望的観測でしかないけれど、彼はきっと別れるつもりならちゃんとそう言ってくれるはず。
少しだけ、希望が見えてきた気がする。
「今から連絡してみるから、二人とも見ててくれる?」
目が覚めたような気持ちで励ましてくれた友人たちに笑いかけた。
◇◇◇
放課後になって届いた返事は“そうか”の一言で、返信が来てよかった気持ち半分、それだけかという落胆半分という感じだ。既読がついているのにしばらく返信がなくて内心びくびくしていたから、結局は安堵の方が強いけれど。
肩の荷が下りた気でやっと帰り支度を始めたら、クラスメイトに声をかけられた。
「仲山先生が呼んでたよ。3階の空き教室に来てって」
一緒に帰る約束をしていた杏子ちゃんにひとこと断ってから、3階へ向かう。
杏子ちゃんはあっさり了承してくれたが、一緒に帰れなくて残念だ。心配させたお詫びと背中を押してくれたお礼に、帰りに何か奢ろうと思っていたのだけれど。百代ちゃんは部活があるのでまた今度にしようと考えていたが、三人で帰れるときか遊びに行くときにでも二人にお礼をしよう。何かプレゼントしてもいいかもしれない。杏子ちゃんに贈るなら最近ハマっているらしいジャム系だろうか。駅前にジャムの品揃えが豊富な店があったからそこで買おうか。ただ、百代ちゃんはどこかに遊びに行こうと誘った方が喜んでくれそうだから、見たいと言っていた映画にでも――。
「あ、先生」
つらつらと考え事をしている間に目的地に着いていた。空き教室のドアの前で仲山先生と鉢合わせる。先生も今来たところのようだ。
「ごめんなさいね、急に。もしかして何か予定あったかしら?」
「いえ、大丈夫です。えっと……すみません、今日はなんのお話ですか?」
予想はしているけれど、こんなに急に呼び出されるものだろうかという疑問があって尋ねてみた。
先生はちょっと困った顔でわたしを見て、ドアを開ける。
「立ち話もなんだから中で話しましょう」
先生の話、というのは手短には終わりそうにないものらしい。空き教室を指定された時点で薄々気づいてはいたけれど今日の帰宅は遅くなりそうだ。
あまり遅くなるようなら先生に断って家に連絡させてもらおう。ここ最近のわたしを心配しつつも静かに見守ってくれていた両親にこれ以上心労をかけたくない。
「それで、えっと……お話と言うのは……?」
「雛里さんはどんな話だと思う?」
逆にそう訊かれて困ってしまう。仲山先生のことはいい先生だと思っているが、先生のこういうところは好きになれなかった。
「成績のことかな、と。今回の試験の結果がよくなかったので」
「うん、そうね。いつもの雛里さんらしくない点数だったわね」
我が意を得たりとばかりに大きく頷いた先生に、やっぱりと内心溜め息を吐く。
意地でも平均点以下はとらなかったけれど、それでも前回よりもがっくりと下がった点数をさすがに見逃すわけにはいかなかったようだ。担任なのだから当たり前か。
「自分で理由はわかってるの?」
「はい。少し人間関係で悩んでることがあってテストに集中できなかったんです。それに、二年になってから結構経ちますし、自分自身だれてきたところもあるかもしれません」
すらすらと答えてみせると、先生はうんうんと同意するように頷いてくれた。
「雛里さんはしっかりしてるから、私としてはあんまり心配してないのだけど……他の先生からもお話を聞いて少し心配になったものだから」
おっとりと話す先生の表情になんだか嫌な予感がする。なぜか話の続きを聞きたくないと思ってしまった。
何を言われるか予想もつかないけれど、わたしにとってあまりいい話でないことは確かだろう。
「単刀直入に訊くけれど、雛里さん、鬼嶋高校の生徒と付き合いがあるの?」
先生の口から飛び出てきたのは思ってもみない言葉だった。
「え……えっと……」
咄嗟のことに口ごもる。
なんと答えようか。さすがに担任の先生を相手に“恋人がオニ高生なんです”とは言えないし、わざわざ本当のことを伝える必要性も感じない。そもそも、先生の言う“付き合い”は恋人関係を想定してのことなのか、それとも友人関係だと思っているのか。
しかし、わたしがオニ高生と知り合いだなんて先生はどこで聞いたんだろう。
もちろん、わたしが付き合いのあるオニ高生は大鳥くんしかいないわけだけど、そのことは杏子ちゃんと百代ちゃんにしか言っていないし、彼女たちが先生に話すわけがない。
大鳥くんはヤンキー仲間と夜も遊び歩いているみたいだけど、意外にもといっていいのか、彼はわたしを夜遊びに誘ったことはなくデートの場所も健全そのもの。素行不良の生徒を補導しようと待ち構える先生たちに見つかったということはまずないだろう。
「あの、それ、どこで聞いたんですか?」
言ってしまってから“鬼嶋高校の生徒と付き合いがある”と認めてしまったようなものだと気づく。でも、それ以上に話の出所が気になった。
「少し前から先生方の間で噂になっていたのよ。うちの生徒とあの学校の生徒が一緒にいるところを見たって先生がいて……そのうちの生徒が雛里さんだとは思わなかったけど」
仲山先生はオニ高に思うところがあるらしく、言葉の端々に小さな嫌悪感が見え隠れする。オニ高は立派なヤンキー校だ。素行の悪い生徒を目の敵にするところがある珠洲女の教師が嫌うのは無理もない。
オニ高に通う生徒と付き合いがあるというだけで、たとえ相手がヤンキーでなくても――大鳥くんは見たままヤンキーだが――真実なんて関係なく、うちの先生たちから不良生徒の烙印を押されるだろうことは容易に想像できる。
「年頃だし、相手は恋人かしら? それとも、何かあって……無理やり連れ回されてるの?」
「………………」
「雛里さん、このところずっと暗い顔してたでしょ? 相手との付き合いのことで悩んでたんじゃない?」
このひとは、何が言いたいのだろう。
“脅されて付き合わされてるんです”とか“ちょっとした火遊びのつもりだったけど後悔してる”とか、そんな言葉を期待しているのか。
“優等生のわたし”を信じてくれているらしい先生は優しげな表情を崩さない。こちらを気遣っているのか、柔らかな口調で言い募る。
「鬼嶋高校って言ったら、ほら……アレでしょう? ああいう学校の生徒と付き合いがあるのは雛里さんにとっても良くないと思うの」
なおも沈黙で答えるわたしに先生は根気強く、物わかりの悪い生徒に言い聞かせるように語りかけた。
「成績が落ちたのはその子のせいじゃないの?」
「っ、ちが……」
「思春期だし色々考えちゃうのはわかるけど……先生、自分を下げるような付き合いはよくないと思うわ」
気づけば、自宅の前だった。
最終的に先生との話がどうなったか、その後どうやって家に帰ったのか、どちらもわたしは覚えていない。
ただ、好きなひとを、彼のことを知りもしない相手に悪く言われて、どんな付き合いをしているか尋ねもしないで否定されて――それでもわたしが反論すらできなかったことは覚えている。
先生が言った“自分を下げるような付き合い”という言葉が胸に刺さったまま抜けない。
でも、きっと先生の言葉と事実は逆だ。わたしが、わたしこそが大鳥くんを下げている。わたしが彼に一目惚れして付き合ってもらって、だから彼が馬鹿にされた。
ひどいことを言うし怒りっぽいけれど、彼は決してわたしに手をあげたりしない。夜遊びにだって誘わないし、彼が友人たちとよく行くような場所にはわたしを連れて行かない。それが友達に見られたくないという理由であっても、本当はそうじゃなくても、大鳥くんはわたしに彼と同じになることを求めなかった。自分から告白したくせにヤンキーとの付き合いにちょっと怯えていたわたしが一番そのことをよくわかっている。
テストのことだって、結局はわたしが決めてやったことだ。点数が低かったのは誰のせいでもなく自分のせいで、間違っても大鳥くんのせいじゃない。
そう言えれば良かったのに。
大鳥くんのことを知りもしないでヤンキー校の生徒というだけで害のある他校生と言うレッテルを貼る先生に、そう言ってやれたらどれほどすっきりするだろう。
でも現実には、何ひとつ言い返すことなく先生との話は終わってしまって、それがずっとわたしのなかに抜けない棘のように引っかかっている。
あのとき、何も恥じることはないと、大鳥くんのせいじゃないんだと胸を張って恋人を擁護できなかったわたしにまだ彼と恋人でいる資格はあるのだろうか。
彼から届いたメッセージを読みながら、ずっとそんなことを考えていた。
《 登場人物紹介② 》
桜城杏子 (さくらぎ きょうこ)
幸恵の友達。兄が元ヤンで中学時代に色々あったためヤンキー嫌い。ツッコミ担当。
藤堂百代 (とうどう ももよ)
幸恵の友達。ちょっと夢見がちなお嬢様。少女漫画のような恋に憧れている。ボケ担当。




