第2話
付き合いだしてから二週間。渋々といった様子でわたしの告白に頷いてくれた彼の態度は、恋人になってからもほとんど変わらなかった。
「なんでこんなブサイクが彼女なんだよ」
「あーあ、もっと可愛いコだったらなー」
「美人に告白されたらそっちに乗り換えるから。ストーカーとかすんなよ」
そんな言葉は日常茶飯事で、ときたまもしかして恋人になったというのはわたしの妄想だったんじゃないかと思ってしまうほど。
でも、メールを送ったら素っ気ないけど必ず返信をくれるし、休みの日はデートに誘ってくれもする。“友達にブスと付き合ってるって知られたくねえから”という理由でいつもちょっと遠出だけれど、彼の愛車だというバイクの後ろに乗せてもらえるのは嬉しかった。
「そういえば、このヘルメットって……」
投げるように渡されたヘルメットに視線を落とし、言葉を濁す。
“元カノの?”と尋ねる勇気が持てない。
「バイク好きなダチがいて……あー、そいつから譲ってもらった」
中古、ということだろうか。そのわりにはきれいで、まるで新品みたいだ。
何にせよ、安心した。思い返してみると、初めて誘われたときはヘルメットが一つしかなかったからバイクではなく電車を使ったし、心配していた“前の恋人用”ということはなさそうだ。
「おっせえな。さっさと乗れよ」
ホッとしてぬいぐるみよろしくヘルメットを抱き締めていると、苛立たしげに急かされる。
付き合う前からなんとなくわかっていたけど、彼は短気だ。これ以上待たせてしまったら、もっと不機嫌になって楽しい一日は過ごせないだろう。
わたしは慌ててヘルメットを装着し、彼の乗るバイクに跨った。
彼の言うことに従う、それが付き合うときにわたしが決めたルール。
付き合ってもらっているのに不快な思いをさせたくないし、容姿はどうしようもなくても一緒にいて少しは楽しいと思ってほしかった。
――付き合ってもらってる、付き合ってやってる……そんなんじゃ長続きしないよ。
ふと、彼のことを話したときの友人の言葉を思い出してツキリと胸が痛んだ。
――そんな男となんて早く別れちゃいなよ。
別れたくないと思っているのは、たぶんわたしだけ。別れ話を切り出して恋人があっさり了承するところまで想像して、絶対に自分から別れたいなんて言わないと心に決める。
「好きだよ、大鳥くん」
投げかけた言葉は、きっと届いていないだろう。
一方的な恋でも、好きなひとと恋人でいられるのだからわたしは幸せ者だ。
落ちないようにと彼の腰に回した手にぎゅっと力を込めて、この幸運を逃さないようにいつもより強く抱きしめた。
◇◇◇
土日明け、女子高生らしく恋話に花を咲かせながら友人たちとお弁当をつつく。
「あんた、まだそのヤンキー男と付き合ってんの?」
わたしの話に……昨日のデートの話に口を挟んだ杏子ちゃんはかなりの呆れ顔。
ヤンキー嫌いを公言する彼女からするとオニ高生の彼氏はあり得ないのだそうだ。その意見にはこの学校のほとんどの生徒が同意しそうだけど、オニ高のひとたちが“珠洲女のカノジョ”というものに憧れているらしいと大鳥くんから聞いている身としてはヤンキーな彼らが少しだけ可哀相になる。
「いいじゃん、ヤンキー。幸恵の彼氏くんに会ったこともないのに、杏子は否定しすぎ」
わたしの恋愛に関して唯一の味方といっていい百代ちゃんがすかさず口を挟んだ。
少女漫画好きの彼女にはわたしと大鳥くんの出会いがかなりドラマチックに思えたらしい。馴れ初めを聞かれて話したときに羨ましがられたのを覚えている。彼女が羨ましがったのは、ちょっとわたしが話を脚色したせいもあるだろうけど。
初対面のときの大鳥くんの態度と言葉を分厚いオブラートに包んで話したため、彼女のなかの“幸恵の彼氏くん”はちょっとツンデレな美形ヤンキーになってしまっていた。
わたしにとっては誰より格好いい恋人だが、客観的に美形とは言いにくいし、ヤンキー特有の尖った雰囲気が百代ちゃんの想像から悪い方に外れているだろうことは想像に難くない。
“ドラマとか漫画みたい!”と喜んで恋人の話を聞いてくれる彼女をがっかりさせたくなくて、いまだに大鳥くんの写真は見せられないでいる。決して彼の顔が悪いわけではないのだけれど……お嬢様学校と言われる珠洲女においても生粋のお嬢様・百代ちゃんはかなりの面食いなのだ。
「ヤンキーとか存在が危険じゃない。粗暴で野蛮で……一緒にいたら危ないに決まってる」
杏子ちゃんが嫌悪を露わに言い募る。
彼女のお兄さんは一時期とても荒れていたそうで、そのせいで杏子ちゃんはヤンキー全般が嫌いだった。
「危険な男……危険な恋……いい響きじゃない。すっごく素敵」
百代ちゃんは夢見るような眼でうっとりと天井を見つめている。いつものことだが、彼女の精神はまたどこかにトリップしてしまったらしい。この2-Sの教室ではわりと見慣れた光景だ。
何を言っても耳に入ってなさそうな百代ちゃんとこれ以上押し問答をする気はないようで、杏子ちゃんはこちらに向き直る。やれやれとでも言いたげだ。
「!」
膝に置いていた携帯が小さく震えた。
きっと彼からだと、ロックを解除して確認すると予想通り画面には“新着メッセージ”の文字が。お昼休みになってすぐに送ったメッセージへの返信だろう。アプリを開くと今日のお弁当の写真と“今日はわたしが作りました”という文章の下に新しいメッセージが増えていた。
『まずくはなさそうだな』
そんな短い返信が嬉しい。彼も今頃お昼だろうか。ヤンキーだからやっぱり屋上で食べるんだろうかと訊いて、“漫画かよ”と呆れられたことを思い出す。
恋人からの返信に小さな幸せを感じていると、また携帯が震えた。
送られてきたのは、机に置かれた惣菜パンとコーヒー牛乳の写真。大鳥くんも教室で食べているようだ。
惣菜パンは購買のものだろうか。わたしなら二つも食べられないどころか一つですら食べきれるか怪しいが、男子のお昼ごはんらしくボリュームたっぷりのようだ。飲み物の紙パックにカフェオレではなく“コーヒー牛乳”と書かれているのがなんとなく可愛く映る。
「あっ、彼氏くんから? にやけちゃって、まあ」
いつの間にか現実に戻ってきていた百代ちゃんにからかわれて、ちょっと恥ずかしくなった。我ながら浮かれすぎかもしれない。
「見せてー」
「いいよ。大鳥くんも今お昼みたい」
「お互い学生なんだし、普通でしょ。相手、ヤンキーだから普通でいいのかわかんないけど」
「ヤンキーって学校行くのね。サボってるんだと思ってた」
「友達に会いに行くんだって。授業は寝てるらしいよ」
「……それ、学校行く意味あるの?」
他愛もない話をしながら、二人はわたしの携帯を覗き込む。百代ちゃんの“なんかお昼が可愛いんですけどー。量は可愛くないのに”という言葉には激しく同意したい。
「――幸恵の彼氏くんさ」
そう言って、百代ちゃんはいったん言葉を切る。彼女はもう一度、わたしの携帯を覗き込んでうんうんと頷いた。
「実は結構マメだよね」
視線の先には、例の写真。
わたしの恋人をよく思ってないらしい杏子ちゃんもそれは否定しなかった。
◇◇◇
6時間目の終わりを知らせるチャイムが鳴る。
授業はチャイムの直前には終わっていたから、日直の号令で席から立ち上がって礼をすれば今日の最後の授業はもうおしまい。現代文の先生の口癖は時間厳守で、生徒に注意するだけでなく自分もしっかり時間を守るタイプだ。もうすぐ定年のおじいちゃん先生はいつもチャイムの鳴る直前に授業を終わらせるため、受け持ちの生徒たちから“人間タイマー”と呼ばれている。
「ねえ、帰りにどこか寄って行かない?」
もう帰り支度を済ませたらしい百代ちゃんが声を弾ませて誘ってきた。
「わたしはいいけど……杏子ちゃんは?」
「どうしようかな。百代と行くとお付きのひとが来るし」
すぐに頷いたわたしとは違い、杏子ちゃんは考え込むような様子を見せる。しかし、浮かべている悪戯っぽい笑みからすると本気で悩んでいるわけではないようだ。百代ちゃんにもそれはわかっているらしく、彼女はもったいぶる友人に不満げに口を尖らせた。
「いいじゃない、別に……って言いたいところだけど、そんなに嫌なら坂井は置いて行こうかな」
「やめたげなさい。可哀相でしょ」
坂井さんは百代ちゃんのお父さんから彼女の送迎を任されている男性だ。お嬢様に振り回される彼を哀れに思った杏子ちゃんの呆れたような眼差しを百代ちゃんは笑って受け止めた。
「はいはい、今日の放課後は百代お嬢様にお付き合いしますよ」
杏子ちゃんが根負けして言うと、百代ちゃんはお嬢様らしからぬ力強いガッツポーズを決める。勝った、と心の中で勝利宣言しているかのようだ。いつも言い負かされてしまうから悔しいのだろう。
そんな友人に溜め息を一つ漏らして、杏子ちゃんが尋ねる。
「で、どこに行くの? 来週はテストなんだし、軽く勉強会でもする?」
そうだ、来週から定期考査だった。
初カレだデートだと浮かれていて、すっかり忘れてしまっていた。思い出させてくれた杏子ちゃんには感謝しないと。
「じゃあ、図書館か駅の北口のカフェだね」
「えー、やだー。もうすぐテストなんだし、今のうちに遊びに行きたい!」
わたしがよく行っている勉強会開催地を口にすると、乗り気でない百代ちゃんが猛烈に首を横に振った。駄々っ子みたいだ。
「あんたが一番勉強が必要でしょ!」
杏子ちゃんの厳しい一言。
「……はーい。でも、でも! 図書館は嫌。そうだ、カラオケで勉強しよ?」
「ダメ。どうせマイクもって歌い出すに決まってるもの」
「えー」
親子のような二人のやり取りにちょっと笑ってしまう。
もちろん、母親が杏子ちゃんで娘が百代ちゃんだ。
「いいじゃない、カラオケでも。集中が切れたら休憩がてらちょっと歌うくらいは許してあげようよ」
「まあ、幸恵がそう言うなら」
「やった!」
わたしが出した助け舟に渋々といった様子で杏子ちゃんが頷き、百代ちゃんは嬉しそうに破顔した。さっきまで拗ねた顔をしていたのが嘘のようだ。
やれやれ、と溜め息を吐く杏子ちゃんが本当に百代ちゃんのお母さんみたいに見えて思わず声に出して笑ってしまった。
「なに、どうしたの?」
「ふふ、なんでもないよ。さ、行こうか」
最近、土日は大鳥くんと出掛けることが多かったし、放課後とはいえ二人と出掛けるのは久しぶりだ。遊びに行くわけではないのが残念だけど、この二人とだったら一緒に勉強するのも楽しい。
恋人ができて今までより付き合いが悪くなってしまっても、変わらず誘ってくれる優しい友人たちに感謝しながら、わたしたちが話している間にほとんど人がいなくなった教室を後にした。
◇◇◇
明後日から定期考査が始まる。
普段から予習復習は意識してしっかりやっているし、わたしはテストの前日や前々日に詰め込むタイプではないのでいつもなら試験日が差し迫っていてもそう焦ったりもしないのだけど、今日は別だった。
「……どうしよう」
自分でも弱り切っているとわかる声が、わたしの他には誰もいない部屋にぽつりと響く。
母親が再婚して今の家に引っ越してから与えられた一人部屋は結構広い。そんな部屋の広さに見合うちょっと大きめのベッドで、わたしは自分の携帯を前にうんうんと唸っていた。
『明日、行きたいところがあったら言え』
画面に出ているのは現在わたしを悩ませている一つのメッセージ。いわゆるデートのお誘いというやつだが、明日出掛けるのは決定事項なのが大鳥くんらしい。
いつもは彼が決めた場所に連れて行ってもらうだけなので――もちろん、それも嬉しいのだが、こうして行きたい場所を訊いてもらえるのは滅多にないことだから、この誘いを簡単にふいにしてしまいたくなかった。
「でも、さすがにテスト勉強が……ああぁぁ」
テストの前日に恋人とデート、というのはさすがにどうなのだろう。
それに、ここ最近は彼氏ができて浮かれっぱなしで学生の本分たる勉強が少し疎かになっていた自覚はある。普段通りにしっかり勉強できていたら、テストの前日の一日くらい投げてしまっても良かったのだけど。手抜き気味だったここ数か月の自分を責めたい。
成績が下がるのは困る。とっても困る。
これでも特待生なのだ。家が経済的に困窮しているわけではないが、血の繋がらない娘でも可愛がってくれる義父にあまり金銭的な負担を掛けたくない。
志望する大学に入るため。将来の夢を叶えるため。それに何より、母と義父の自慢の娘であるために成績は下げられないのが現実で。
『ごめんなさい。明後日からテストだから、また今度誘ってくれたら嬉しいです』
そう打ち込んで、送信ボタンを――押せなかった。
『大鳥くんが連れて行ってくれるならどこでも嬉しい。楽しみにしてるね』
さっきとは正反対の文章を打ち込んで、送信の文字をタップする。
わたしからの返信はエラーを起こすこともなく向こうに届いたらしく、ほどなく既読の文字がついた。
返事を待っていてくれたのかな、なんて考えて心が浮き立つ。たまたまだろうとはわかっていたけど、想像して喜ぶのは自由だ。実際、全然そんなことなかったらちょっと虚しいけど。
小さな喜びには蓋をして、少し真面目に考える。
返事をしてしまってから考えても意味がないかもしれないが、本当に断らなくて良かったのだろうか。そう、自問自答した。
「……断れないよ」
さんざん悩んだけれど、そもそも彼の誘いをわたしが断れるはずがない。
「――だって、嫌われたくないもん」
彼と付き合っているのではなく、彼に付き合ってもらっているのだということを、誰よりもよく知っているのはわたしなのだから。
◇◇◇
恋人とのデートの当日であり、テストの前日でもある一日はけたたましいアラーム音で始まった。
今日のデートを楽しめるようにと昨夜遅くまで勉強していたせいでまだまだ眠いが、ちゃんと起きられてよかった。あれだけ悩んで決めたのに寝坊なんてことになったら目も当てられない。携帯のアラームの音量をいつもより大きく設定していて正解だったとこっそり自分を褒めておく。
「うわあ、ぶっさいく」
大鳥くんの台詞ではない。自室の鏡を覗き込んだわたしの言葉である。
「寝不足でデートとか、女子としてどうなの……」
鏡の中の自分にがっくりくる。丸顔なのも鼻が大きくてブタ鼻っぽいのも生まれつきだが、今日は目の下の隈の主張が強くてそれどころじゃない。
寝不足の理由が“デートが楽しみで”とかなら乙女チックで可愛いのに、この丸顔ときたら“明日のテストが心配で”である。もう女子としてどうなの。学生としては、たぶんデートを選んだ時点で間違っている。
「なんか心なしか顔がむくんでるような」
頬をさすってみるが、大きめの顔はビクともしない。
昔から他人より大きめの丸顔がコンプレックスだったけれど、ここ最近でよりいっそう自分の顔が嫌いになってしまった。誰も好き好んで恋人から“ブス”と言われたくはない。慣れてしまっても傷つかないわけじゃないということを彼との付き合いで学んだ。
わたしは元から太りやすい体質で、とくに顔に肉がつきやすい。だから食事や運動など気をつけてはいるのだけれど、このにっくき丸顔は肉がつきやすいのに肉が落ちにくいという特別製だった。きっと母のお腹の中にいるときに特注したのだろう。そこは力を入れるところじゃない、と今さら言っても仕方のないことを考える。
注文をつけられるなら、美人でスタイル抜群の杏子ちゃんみたいにいくら食べても太らない体質が良かった。
「ま、いいか。どうせブスなのは変わらないし」
お気に入りのワンピースに買ったばかりのカーディガンを羽織れば、準備完了。
なんだかんだ言いつつめかしこんでいるから、恋人ができたと言っていない母も最近娘が浮かれて出掛けているのがデートだと気づいているだろう。
『今日の天気は――』
部屋を出るとテレビの音が聞こえる。リビングで母か義父がニュースでも見ているのだろう。
天気予報の次は占いコーナーのはず。デートの前にちらっと確認しておいてもいいかもしれない。
『今日の最下位は天秤座!』
いつかと同じ運勢にがっかりした。信じているわけではないけれど、最下位と言われるのは何か悪いことが起こりそうで嫌だ。
そうだ、忘れ物がないかだけチェックしておこう。
『人間関係で揉めるかもしれません。友達や恋人と些細なことで言い争わないように注意しましょう』
デートの前に言わなくてもいいのに、といつも笑顔が素敵な占いのお姉さんを恨めしく思った。
《 登場人物紹介① 》
雛里幸恵 (ひなざと ゆきえ)
主人公。名門女子校に通う高校2年生。
容姿は控えめに言って、美人じゃない。丸顔でブタ鼻っぽいのがコンプレックスのぽっちゃりさん。体重より太って見えるタイプ。
通っている女子校は偏差値の高さと美人の多さで有名な私立高校。母親の再婚で小金持ちな血の繋がらない父親ができたけど、あまり金銭的な負担をかけたくないので頑張って特待生になった。現在の両親との関係は良好。高校は父親が勧めてくれたところだったりする。新しい父親に気に入られたいけれど遠慮が抜けない。
大鳥信也 (おおとり しんや)
主人公のお相手。悪い意味で有名なヤンキー校に通う高校2年生。
容姿は頑張って雰囲気イケメンになれるかどうか、くらい。素はそこまで悪くないが、漂うヤンキー臭がすべてを台無しにしている。身長はあまり高くないが、チビというほどでもない。真っ赤に染めた髪がトレードマーク。髪を立てているのでちょっと鶏のとさかっぽい。ちなみにそれを言うと怒る。耳と鼻にピアスを開けていて、ヤンキーらしく尖った雰囲気を発している。
喧嘩は好きだが、不利な喧嘩は滅多にしない。分が悪くなると逃げる。しかし、一方的に相手を痛めつけたり一人を大勢で囲んだりするのは“ダサい”のでしないちょっとこだわり派のヤンキー。




