タバスコスコスコ、ドドスコスコスコ
日曜日の昼。私はイタリア料理屋で食事をしていた。前菜に注文した「本日のカルパッチョ」はホタテで、オリーブオイルと塩とビネガーの加減が丁度良くて美味しかった。サラダは普通だった。
注文したアンチョビのピザとボンゴレビアンコが運ばれてきた。
「タバスコも貰って良いですか?」と彼が言うと、ウェイターはハッとしたような顔をして「畏まりました」と言った。
「新人さんかな?」と彼は私に笑いかけてきて、私は「どうだろう」と答えた。どうせ頼むなら、ボンゴレのアサリの貝を殻を入れる皿も一緒に頼んで欲しかった。
彼はピザとタバスコはセットなのだと思っているのかもしれない。私は、ピザになら、オリーブオイルに唐辛子を漬けて作ったぺぺロンオイルを使った方が美味しいと思う。
「普通、一緒に持って来るよ」
彼は自分の正しさを疑わない。「それもそうだね」と私は答えた。
間もなく運ばれてきたタバスコを私は見つめていた。
いつから、ピザの隣にタバスコがあることが『普通』になったのだろう。
いつから私の家の食卓にタバスコが置かれているのだろう。
食塩と醤油差し、その隣に堂々とタバスコが置いてある。桃太郎の話に当たり前に犬と猿と雉子が出てくるように、当たり前にタバスコが置かれるようになっていた。
タバスコという調味料は、使い方が難しいと私は思う。独特の酸味と辛味。下手に使ったら料理の味を壊してしまう。タバスコを掛け過ぎてしまったら、その料理はもう取り返しがつかない味となってしまう。
いつ、タバスコは、私の家の食卓に忍び込み、そしてそこに醤油差しの隣に居座るようになったのだろうか?
「何処に行くか、決めてくれた?」
ハワイ、モルディブ、バリ。この三択から私は一つを選ばねばならなかった。だけど、私は選べなかった。
「いい加減に考えているとか思われたくはないのだけれど……」と私は前置きした。彼は、私の言葉を促すように頷いていた。
「何処でも良い、というのが私の結論。あなたは何処に行きたい?」と私は答えた。
いつのまにか私が口に出す二人称は、二人称ではない別の意味へと変容していた。
いつから、二人称が特定の人物を示す言葉になったのだろう。
いつから私の家の食卓にタバスコが置かれているのだろう。
「モルディブかな。行きたくても、行けなくなってしまうかもしれないしね」
北風は恐くない。少しの間だけ耐えていれば終わる。寂しさや寒さは、一時的なものに過ぎない。クリスマス・イブでさえ、24時間という限られた時間なのだ。
本当に恐いのは太陽だ。愚直に、だが確実に南極の氷を溶かして、いつか本当にモルディブを海に沈めてしまうかもしれない。太陽は本当に恐ろしい。いつの間にか、母も、父も、私が彼と結婚するのだろうと思って、それを疑わなかった。マリッジ・ブルーだとみんな笑うのだけど、その青色はモルディブの海の色なのだろうか。
「モルディブなら、水上コテージがいいな」と私は言った。モルディブの海の碧さを深くこの目に焼き付けたくなった。
いつか沈むかもしれない島で蜜月を過ごす。いつか太陽に沈められる島で、私は、左手の薬指に嵌められた重石によって、水底にゆっくりと沈んでいくのだ。
モルディブは珊瑚礁の海だ。遠浅の海だろう。たとえ水底に私が沈んでも、太陽は海面に輝いているのが見えるのだ。私はもはや、太陽から永遠に逃げることなどできない。私は既に囚われてしまった。
見つかってしまった。
何に?
永遠に
海に溶け込む太陽に
「そう言うだろうと思った」と彼は笑っていた。
もしかしたら、彼のプロポーズに私が「はい」と答えるのだと、彼は『そう言うだろう』と思っていたのかもしれない。
モルディブは、一夜にして海に沈んだアトランティスと同じような、突発的な運命に翻弄されるのだろうか。幸い、私は思いも寄らない突発的な出来事で海に沈まなかった。けれど、「はい」と答えてから、愚直に、だが確実に私は沈み始めた。
テーブルに置かれたタバスコは、水平線に沈む夕陽の色をしていた。
「タバスコスコスコ、ドドスコスコスコ」と私は小声で口ずさんだ。
「ん? なに、それ?」と彼は首を傾げていた。
「モルディブの人達は、そう歌いながらダンスをして、私たちを迎えてくれそうかなって」
「ウェルカム・ドリンクがあるホテルだし、夜中に、海の上から花火を上げてくれるオプションもあるし、それは注文しよう。だけど、ウェルカム・ダンスのサービスやオプションは無いかもしれない。ハワイならフラダンスのサービスはあるかもしれないけれど。ツアーに無いホテルを当たってみようか?」と彼は答えた。
彼は誠実な人だ。スマートとで、真っ直ぐで、私だけを照らしてと言えば、愚直にそうしてくれる太陽だ。
だが、いつから私の東の空から、この太陽が昇るようになったのだろう。いつから、私の人生に彼が当たり前にいるようになり、いつのまに、これからの私の人生の半分を占める予定となったのだろう。そして、私の残りの半分は、今後授かるかもしれない子どものために空けておかなければならない。
「タバスコスコスコ、ドドスコスコスコ」
私の頭に祭囃子が響く。まだ、その音色は遠い。だが、愚直に、だが確かに近づいて来ている。モルディブに住んでいる原住民だろうか? そんな人達はいないかもしれない。
だが、きっと彼等はバケツを持っている。タバスコで満たされたバケツだ。彼等はそのバケツの中身を私に向かってぶちまける。そして、その酸味と辛味で、私という存在をいとも簡単に押しつぶすだろう。タバスコを掛け過ぎてしまったら、もう取り返しはつかない。それは料理も、人生も、そして私も同じだ。
「タバスコスコスコ、ドドスコスコスコ」
さようなら、昨日までの私。