第八話 追いかけっこの始まり
「これがその装置なのですか? 私達でも使えるのでしょうか?」
それを見たルシアが、不安げにそう聞いてくる。それは機械的なデザインの台座のような物に、大きな丸い宝石が取り付けられたもの。一つは赤く、もう一つは青い宝石である。
大きさはかなりあり、高さだけでも、和己の身長よりある。それを召喚した瞬間、和己の頭の中に、ジャックの時と同様に、それに関する様々な情報が流れ込んでくる。
「成功……したみたいだな。しかし、また凄いの出てきたな」
『判るのか?』
「ああ……でもこれ使うには、魔法がそれなりに出来る奴でないと駄目みたいだな」
『ふむ……マジックアイテム系の転水装置なのか、これは?』
「そうみたいだな。この村に、魔法を使える奴はいるのか?」
それを聞いたとき、メガ達を初めとした、村人全員が、一斉に和己を指差す。どうやらいないと言うことらしい。
「俺たちはホタイン族はな、身体は純人より頑丈だが、魔法の才能はほとんどねえんだ。だから魔道具なんてもらっても、全然使えねえよ」
メガの説明に、和己が少し困る。自分は依頼を果たしたら、すぐに元の世界に帰る予定なのだ。そうなると、この転水装置を使える者はいなくなってしまう。
「まあ……魔法使いはまた後で召喚して調達するか……。とりあえず、片っぽを海まで送らないとな。それでこの辺りに海ってあるか?」
そもそもこの世界に海はあるのか?という疑問はあるが、それはルシアが話してくれた。
「私が若い頃に本で読んだのですが……何でもここから西方に、歩いて二十日程進んだところに、海があると書かれていた気がします。私は見たことはないのですが……」
徒歩で二十日。恐らく距離は数百キロはあるものだろう。結構遠い距離だ。
『結構しんどそうだなおい。これ持って、そこまで行けるか?』
「ちょっと難しそうだな……」
和己はその装置を、押したりしてみる。和己が感じた限りでは、この装置は百キロはありそうである。かなり重い。
いくら今の和己が、以前より身体能力が上がったとはいえ、これを持って数百キロの道のりはきついだろう。
『じゃあ、そこまで持って行ける、乗り物を召喚したらどうだ? お前の召喚術なら簡単だろ?』
「そうだな……でも何にするか? やっぱ空を飛ぶ物、ヘリコプターとか?」
『お前、ヘリの操縦とかできんのか?』
「いや無理だ。まあ、やっぱり魔法があるようなファンタジーの世界に来たんだし……やっぱりあれだな!」
何か良い案が浮かんだようで、和己は早速、その乗り物を召喚した。
「「おおっ!?」」
驚きの声が、多重に重なって発せられた。
それによって召喚された者は、今までになく巨大であった。まずそれは機械の乗り物ではなく、生き物であった。
人間など一飲みにできそうな、大型の肉食獣。それは全身に魚のような鱗と、ヒレが生えている、一匹のドラゴンであった。
「りゅっ、竜が出たぞ!?」
「すごいっ! 私初めて見ます!」
「てか……あれ大丈夫なのか?」
村人達の驚きの声には、やや興奮気味なものもある。召喚士と名乗っていた和己だったが、今ここで初めて召喚獣らしいものを呼び出したのである。
「ようし、お前! 早速俺とこの転水装置を持って、海の方まで飛べ! ……おや?」
ノリノリで命令する和己だったが、ここでまたおかしな物を感じた。今までは、扱いの判らない物を召喚したときは、自動で頭の中に情報が流れ込んできた。だが今回は、そういったことが起こらない。
しかも和己が命令したにもかかわらず、この魚竜は言われた通りに動かない。それどころか、目の前の和己を、涎を垂らしながら、ご馳走を見るような目で見下ろしている。
(な~~んかやな予感……)
「グギャァアアアアアアッ!」
危機的なものを感じ始めたとき、魚竜が知性の欠片もない雄叫びを上げた。耳が破裂しそうな凄まじい鳴き声。
その直後に、和己は実に素早く、的確な判断を下した。
「総員退避~~!」
魚竜に負けない大声を上げて、和己はその場から逃げ出した。それに反応して、他の村人達も、悲鳴を上げて、脱兎のごとく駆け出し、蜘蛛の子を散らすように、あちこちの方向に逃げ出した。
獲物が逃げたのを見て、魚竜もそれを追いかける。魚竜が追う先は、自分が召喚した和己が逃げた方角だ。
『な~~に、やってんだあいつらは?』
人が一斉に逃げ出し、大騒ぎからあっという間に静かになった村。その村に、唯一自分で歩けない木の精霊だけが取り残されていた。
かくして話しは冒頭に戻ることになる。
「ちくしょう~~! あいつ、何で俺だけ!?」
『知るかよ……。ていうかお前、召喚するとき、ちゃんと危険がないものって指定したのか?』
「してなかった! ああ、ちくしょう、どうしよう!?」
後ろから追いかける魚竜から、凄まじい速さで逃げる和己。そしてお節介にそれに付き合ってくれているジャック。
両者の追いかけっこは、もう二十分以上続いているが、未だに終わる様子がない。
『とりあえずよ……何か逃げられるようなものを呼び出せないのかよ? お前、何でも召喚できるんだろ?』
「はっ!? そうだった! よし……」
そうして春明が召喚したのはお札だった。走りながらも、召喚の光はご丁寧に一緒に移動してくれていて、しかも自動で和己の手元に渡ってくれる。
その白い紙の札は、長辺三十センチぐらいの、何やら書道の崩れ漢字のような、妙な文字が書かれている。和己はそれを受け取った途端に、例の自動情報で、それの使用法を理解する。
「隠身の札!? そうかこれなら……」
『隠身?』
「透明人間になれる、魔法の札だ!」
和己は自分の腹を、ジャージの上から、そのお札を貼り付けた。別に糊やテープを貼ったわけでもないのに、そのお札はぴったりと、吸着する。
「グゥ!?」
するとどういうわけか魚竜が、急に足を止めた。それと同時に和己も止まる。
(おい……間違っても声を出すなよ)
(判ってるよ)
魚竜が不思議そうに当たりを見回っている中、和己達はそろりそろりと、足音を立てないよう、ゆったりとした足取りで、その場から移動する。
今の魚竜には、和己達の姿が見えていない。姿だけでなく、臭いや気配や音も、全てが感知できなくなっている。よほど大きな音を立てたり、物を動かしたり壊したりしなければ、彼らの存在は気づかれない。
あの札は、使った者の同行者にも影響を及ぼすもので、ジャックもまた、和己の側から離れなければ気づかれないだろう。
和己達は気づかれない様にその場から離れ、魚竜もまた新たな獲物を探して、どこかへと去って行った。ズンズンと、鈍い足音を立てながら、魚竜の巨体が遠くへ行って小さくなっていく。
とりあえずこの場の難は去ったようだ。