第三十二話 帝国警察
広い農地は、まるで世界的アイドルのコンサートが開かれたかのように、実に盛大な人の波が出来上がっていた。
数万人もの住人達が、農地の各地にある食糧の山を掴み取り、口にしていく。農地で育てられていた作物は、踏み荒らされて見る影もないが、その程度のこと誰も気にしない。
「和己、お前大丈夫なのか? 何かとんでもない量を召喚したが……」
「ああ、大分疲れたけど、まだ大丈夫だよ。しかし俺も力もどうなっているんだか?」
大規模な召喚魔法を、立て続けに使った和己。額に汗を流し、息も少し荒くなっている彼を、カーミラが本気で心配するが、和己はそう答える。
この日、和己が召喚した食糧の総量は、初日にホタインの村での召喚の100倍以上もの量である。これだけの食糧を召喚したのだ。元の世界ではかなりの騒ぎになっているのではないだろうか?
まあ、日本の年間食糧廃棄量を考えれば、大した数ではないだろうが。
だが今和己が疑問に思っているのは、そういうことではなかった。
「やはり和己の力が、どんどん上がっているということか?」
「そうみたいだな。最初の召喚じゃ、数百人分で結構疲れたのに……今は数万人分召喚しても、まだ大丈夫だし」
もし最初にホタイン達に会ったときに、これほどの量を召喚しようとしても、まず無理であっただろう。恐らくあれの数十分の一までで、魔力と体力が尽き果てて、倒れていただろう。
だが今の和己には、それができる。それは和己の魔道士としての力が、以前より格段に上がっていると言うことにほかならない。
和己の能力は実戦で能力が簡単に判るものではなかったので、今まで気づかなかったが、ここにきて始めて、和己の力が進化していることが判明したのである。
「こらあっ! 貴様ら、何をしている!」
ここまで騒ぎが大きくなった辺りで、ようやくそういった怒声が聞こえてきた。
「ようやく現れたか……愚鈍な女帝の犬共めが……」
その声に、人々が驚き、怯える中、カーミラは楽しそうにそう口にする。
市街地から農地に、銃を持って駆け込んでくる集団。それらは帝国兵達とは、若干異なったデザインの制服を着た、帝国警察の部隊である。
ここまで騒ぎまくって、今更遅すぎるぐらいのタイミングでの登場であった。
「これは何の騒ぎだ! 反乱でも起こしたか!?」
百人ほどの警官達が、長銃を構えて、市民達に銃口を向ける。市民達は怯えて固まったり、逃げようとするものが現れる。
「逃げるな! 何かしようとしたら、即射殺するぞ!」
別に敵意を向けたわけでも、武器を持っているわけでもない市民達に、警官達が威圧的にそう言う。
ドン!
「ひぃっ!?」
一人の警官が、一発威嚇射撃すると、この場から脱出しようとした市民達も、一斉に立ち止まる。恐怖のおかげでパニックが起こらないのか、意外と市民達は静かである。
「おいおい……何してんだよ? これのどこが反乱に見えるんだよ?」
「なっ、何だお前は!?」
この様子に呆れながら、前に踏み出る和己とカーミラ。警官達は、見慣れない服を着ている上に、銃を向けられても、全く恐れる様子のない彼らに、逆に面食らっているようだ。
「俺は異世界から来た、召喚士の和己だ。ついさっき食べ物を召喚して、ここいらの奴らに、分け与えてた所だよ」
「召喚士だと? そこの娘ならともかく、お前は魔道士には見えないが?」
「見えなくても、実際そうなんだから、しょうがないだろ? じゃあ、証拠を見せてやるよ」
そう言って、和己は警官達の目の前で、召喚術を発動させる。警官達の目の前で、光と共にそこに、カレイ・サケ・サンマなどの、多種多様な種類の生魚が、ボトボトと次々と召喚されていく。
「こっ、これは? まさか魚か?」
「ああ、そうだよ。そういやこの国の奴らは、魚は本でしか知らないんだっけ?」
最初は疑っていた警官達も、目の前で実際に魔法を使われて、動揺している。
「おっ、お前達はまさか……北方の魔女か?」
「北方? ……いや知らねえよ。俺は異世界から来たんだ。この世界じゃ、異世界の事は知られてるんだろ? じゃあ別に変に警戒しなくてもいいじゃんか」
「うっ……まあ……それは」
警官達も、この問いかけに言い淀む。さっき和己が指摘した通り、この騒ぎはどう見たって反乱などではない。状況的にも、誰かを逮捕したりする理由もないのである。
「しばし待て……本部に指示を仰いでくる」
そう言って警官の指揮官らしき者達が、そそくさと街の方に戻っていく。街の入り口付近にはパトカーらしき機械車両があり、そこに入り、内部にあるらしい無線で、どこかと連絡をとっていた。
「おいおい……どうなるんだよ?」
「別に罪になるわけないわよね? ただ食べ物を貰っただけだし……」
「いや油断しない方がいいぞ。あの女帝陛下のことだ……今度はどんな言い掛かりを思いついてくるか……」
市民達も食べ物を取る手を止めて、ヒソヒソ会話しながら、状況を見守っている。中にはこの静寂を利用して、食べ物を両手にいっぱいに抱えて、逃げ去る者もいた。
やがて向こうで無線での会話が終わったのか、警官の指揮官がこちらに戻ってくる。そして皆を見下すような、邪悪な笑みを浮かべ、盛大に言い放った。
「たった今、女帝陛下直々の命令が下った! そこの魔道士二人は、この帝国を惑わした罪で逮捕だ! そしてこの地区全体の、食力配給の完全停止が決定した!」
警官の楽しそうな声で発せられた言葉に、その場にいた市民達が、絶望的な声を上げ始めた。
「ちょっと待てよ! 何でそれで配給がなくなるんだ!? 意味が分からないぞ!」
「ただ食べ物を貰っただけじゃない! それなのに何なの、その罰は!」
「ふざけてんじゃねえぞ! 口減らしをしたいなら、もっとまともな理屈を付けろ!」
市民達が一斉に叫び出す。悲しみで悲鳴を上げるもの、怒りで罵声を上げる者、様々な反応を持つ者達が、一斉に騒ぎ出す。
「黙れぇえええっ! 陛下と帝国以外の者から施しを受けるなど、それは完全に帝国への裏切りだと、女帝陛下は大変お怒りだ! 帝国の臣民の名に泥を塗った貴様らに、生きる価値など無い! このまま無様に飢えて、苦しんで死ね! 陛下も、それを実に強く望んでおられる! だがそれだけでは懲罰が足りぬな……ここで見せしめに幾らか処刑することにしよう。己の罪深さをここで深く悔いるがいい! 撃てぇ!」
指揮官が手を上げて、部下に射撃命令を出す。その場で銃を構えていた警官達が、罪悪感で顔を引き攣らせながら、一斉に長銃の引き金を引いた。
ドン! カン! ドン! カン! ドン! カン!
一斉に放たれる単発式の長銃の射撃。だがそれらが、市民達に届くことはなかった。
あの時のホタイン時の町の時と同じく、結界がそれらを弾く。市民達と警官隊との境界に、城壁のように張られた結界は、今までは透明で見えなかったが、弾が当たった瞬間に、一瞬だけその壁が光と共に見える。
「なっ、何だ? 何が起こった?」
その声は誰が発したものかは判らない。銃を向けられて絶叫を上げる間際の市民達も、銃を発砲した警官達も、その現象に唖然としている。
「残念だけど、お前らの貧弱な攻撃は、こちらは一切届かぬわ。私が魔法で結界を張ったからな」
唖然としていた警官の指揮官も、カーミラの言葉を聞いて、再度怒りを露わにした。
「おのれぇ、魔女め! こいつを撃て!」
さっきは市民に向かって、無差別に放たれた銃弾が、今度はカーミラに集中して放たれる。
だが何百という銃弾を、次々浴びても、カーミラの結界はびくともしない。当然彼女に、傷を負わせることなど、全く不可能であった。
「ふん、脆弱に程がある。私の魔力と比べれば、豆鉄砲のようだな」
「なっ、舐めおって~~! 貴様なんぞ、女帝陛下と比べれば、児戯も同然なんだぞ!」
指揮官が精一杯の虚勢を口にするが、自分たちの攻撃が通じない相手を前に、明らかに恐怖で震えていた。
「児戯だと? 何故それが判る? 女帝陛下というのは、もう百年近く、王宮から出ず、誰も姿を知らないんだろう? その力の強さを、お前が見たことがあるとでも?」
「うっ、うるさい! 陛下は偉大なお方なのだ! 偉大だから誰に負けん! お前なんかな……」
ヒステリックに罵声を浴び続ける指揮官。攻撃が通じないなら、言葉攻撃に転じたようだが、生憎それはカーミラに通じない。
彼女は指揮官を、心底見下した目を向けて、笑っていた。市民達や他の警官達も、自分たちの上司を、やや呆れた顔で傍観してた。
「もういい……お前の汚い言葉をこれ以上聞かされても、不愉快なだけだ。死ねぇ!」
「!? まっ……」
カーミラが掌を指揮官に向ける。その掌に魔力の炎が発生したとき、和己がすぐに止めようとするが、もはや遅すぎた。
ボン!
カーミラが放った火球が、結界を通り抜けて、未だに何か言っている指揮官の頭部に命中した。その一瞬で、今までうるさかった声が、急に静かになる。
高熱の光を放ち、それが収まった後には……指揮官の上半身が消えていた。ブスブスと黒い煙を放ち、断面が真っ黒に焦げた彼の身体が、後ろからバタリと倒れる。
診察の必要など全くない、完全な即死である。
あまりに一瞬で起きた出来事に、その場が一時沈黙した。




