第二話 ゲドとチビ
再び意識が戻ったとき、彼は荒野の中にいた。サバンナのような雑草が疎らに生えた、荒れ果てた大地。その中に彼を含めて、二人と一匹が、平野のかかしのようにポツンと立っている。
「えっ……何?」
何が起こったのか訳が分からない少年。さっきまで学校の校庭にいたのに、何故こんな所にいるのか、そして目の前にいるこいつらは何者なのか?
意識が覚醒した直後に、彼の視界にはある人物が、彼の目の前に立っていた。
それは十歳ぐらいの子供であった。黒目・黒髪・黄色肌と、日本人と同じ人種だと判る。身長は140センチまでいかないだろう。
薄めの青い生地の着物を着ており、足には襟三が履かれている。背中には日本刀が差されていた。サイズは標準だが、この子供の体格からすると大きいので、腰ではなく背中に差しているようだ。
中性的な容姿で、見た目では性別の判別がつかない。
これだけでも奇異な存在だが、どこかのコスプレした子供と解釈できなくもない。だがその隣には、常識では説明しきれない者がいる。
それは一頭の猪であった。しかもただの猪ではない。外見はニホンイノシシと全く変わらないが、サイズが違いすぎる。アフリカゾウと同格の大きさの、超大型猪であった。
少年の知識内では、猪の仲間に、これほど大型の種はいなかったはずである。
「ちょっ……何だこれ!? 怪物か!? おい、お前危ないぞ!」
彼は猪のすぐ近くにいる子供にそう問うが、子供は特に怖がったりする様子もなく、猪も襲いかかる様子はなかった。
「大丈夫だ。こいつは俺の僕で、チビってんだ。別に噛みついたりしねえよ」
「それのどこがチビだ!?」
子供が最初に発した言葉に、彼が最初に返したのはそういう突っ込みであった。この子供、口調が男っぽいが、もしかして少年だろうか?
「普段は小さいんだよ。今はお前を威圧するために、こうしてでかくさせてたんだ。ほれよ……」
子供が一言声をかけると、巨大猪に異変が起きた。何と猪の身体が縮み始めたのだ。
空気が抜けた風船のように、グングン身体が縮小し、やがて背中に白い縞模様が現れ、最後には小さなウリ坊となってしまった。常識ではあり得ない、超高速の逆成長である。
そしてその有り得ない現象を見た彼は、更にこの事態に混乱した。
「なんだよこれ? 何がどうなってる!? もしかして俺は死んだのか!? それじゃあここは地獄!? そしてこのガキは神様か!? いや地獄なら閻魔様!? 俺って何か悪いことしたか!? いや、冷静に……俺は夢を見てるのか? それじゃあこの光景も幻覚か? 最近雨宮のことばかり考えたから、脳味噌が壊れたか?」
「別に死んでねえし、俺は神様でも閻魔でもねえし、ここも幻覚じゃねえよ。ちったあ落ち着けよ……」
「じゃあ何だってんだ? お前が俺を誘拐したのか?」
「ああ、そうだ」
落ち着けと言われて、意外と早く落ち着いた彼と、あっさりと彼の問いに肯定する子供。この言葉に彼はこめかみが震えた。
「何だと……てめえ一体何だ? まともな人間じゃねえよな? こんな化け物連れて……」
「ああ、そうだぜ。それを判らせるために、先にこいつを巨大化させたんだ。そうしないと俺のことガキだと思って、舐めてかかってただろ?」
「うう……」
子供の言う通りである。もし目の前のウリ坊=チビの正体を知らなければ、こいつに殴りかかっていたのかも知れない。
チビは現在、子供の足下で、こちらを見ている。下手に手を出せば、あの巨体に踏みつぶされかねない。ここはあまり強気に出るべきではないだろう。
「俺の名前はゲドだ。こんななりと名前だが、一応肉体は女だよ。以後宜しくな」
「ああ、俺は……水原 和己だ」
相手が名乗ってきたので、一応こっちも名乗っておく。彼=和己は、とりあえずあまり大きな態度は取らずに、状況を子供=ゲドから聞き出すことにした。
「何でお前がここにいるのかっていうとな、俺が魔法でお前をここに召喚したのさ」
「召喚? じゃあここは異世界なのか?」
突拍子もない発言だが、結構冷静に和己は話しを受け入れていた。先程のチビの変化を見たせいか、何となくこういう超常的な話について行けていた。
もしかしたら事前にチビを巨大化させたのは、こういうのも意図していたのかも知れない。
「異世界? ……まあそうだ。それで何故お前をここに召喚したのかというと、ちょっと俺のすることに協力して欲しいからだ」
「協力だぁ? それは俺にとって、やる義理や義務があるようなことか?」
こういう異世界召喚物ではよくある、何の対価も無しに、勝手に召喚されて、勝手に指名を押しつけられて命を張る戦いをさせられる。昔からこの手の作品には、こういう身勝手さに突っ込みがあるのものである。
「いや、ねえな。だが十分な見返りはくれてやるぞ」
「ほう?」
軽く笑いながら余裕に喋るゲドと、それを胡散臭げに見る和己。一方的な召喚=誘拐された身としては、早々に信用などできるはずもない。
「まず一つ目は、お前に虹光人としての凄い力をくれてやる」
「虹光人?」
「ああ、そうだ。こいつは凄いぞ。何でも召喚できる力がある。頭の中に、呼び出したい物を指定して、魔法を唱えれば……魔法は何となく感覚で分かるはずだから、練習の必要ないぜ。それで指定した物を、色んな世界から好きなだけ召喚できるのさ。生き物でも武器でもな。まあ、人間は別世界からは呼び出せないがな」
「別にいらねえ。元の世界に返せ」
ゲドがくれるといっていた力を、和己は迷いなく即効で断る。彼にはそんなものよりも、欲しいものがあるのだ。
「最後まで話を聞けよ……。俺の頼みを全部聞いて、叶えてくれたら、お前の願いを何だって叶えてやるぜ。勿論元の世界に返してやる。それでどうだ?」
頼みとは何なのか、それに説明がないのに、頷けるわけがない。そもそもこの少女の言葉を、果たして信用していいものかどうか。だが和己の頭に、ふとあることが思い浮かんだ。
「じゃあ……雨宮さんと結婚させてくれるか?」
「ああ、いいぞ」
「よし、やる!」
即効で彼は了承してしまった。
お前は何者で、何が目的で、何故自分を選んだのか?など、本来最初に追及すべき事をすっ飛ばして、ほぼ本能的に了承の言葉を、和己は口にしてしまった。
そして言ってしまってから、しまった!と後悔するがもう遅い。
「よし、やってくれるんだな! よかったよ、お前にやった力は、もう取り返しがつかねえからな」
「え? その力ってのは、もうやっちまったのか?」
目を覚ましてから、すぐ凄いのを見せつけられたので、自分の体調に関して、特に考える時間は無かった。そして今自分の身体の感覚を意識しても、特におかしいと感じるところはない。
「まあ、断られたら、力ずくで言うこときかせる気だったけどな。それで俺からの最初の依頼だが……」
「待て、依頼を言う前に、まずお前は何者だ?」
「実はこの土地には住人がいるんだが、この過酷な環境で、皆飢えている。そいつらを救ってやって欲しい」
途中で挟まった和己の質問を無視して、ゲドは己の依頼を淡々と口にする。
「どういうやり方で救うかは、お前に任せる。何を召喚しても自由だが、一つ忠告しておくぜ。一度召喚したものは、二度と元の場所には戻せねえ。だから何でもかんでも、考え無しに召喚するのはやめておけ。下手すりゃお前、異界を跨ぐ大泥棒になっちまうしな」
「ううん? じゃあどうすりゃいいんだよ?」
「召喚するときに“誰の持ち物でもない。勝手に持ち出しても構わない物”と指定して念じてみな。そうすりゃ、その指定通りの物が届くぜ」
「そんなことまで指定できんのか? それで結局お前は何も……あっ!?」
最後まで質問を口にすることは出来なかった。途中でゲドの姿が、あっというまに消えてしまった。
魔法によるものなのか。ゲドとチビの姿、白い光に包まれて、その光と共に一瞬で消えてしまった。
こちらの質問には一切答えず、一方的な要求をして、さっさと行ってしまったのだ。後には呆然とする和己一人が、この広大な荒野に取り残されていた。