紅茶屋トワイと太陽の滴
最寄駅から家までの帰り道。
そこには朝とは全く違った世界が広がっている。
あんなに眩しかった空は、嘘だったかのように静まり返っており、唸り声を漏らし道を行き来する車は、目をギラつかせ、街を徘徊するモンスターのようだ。
コカゲはそんなモンスターたちから目をそらし、淡々と並ぶ街路樹のうちの一本へと目をむけた。
あの木の後ろにはどんな世界が広がっているのだろう。
朝とは全く違くなってしまった世界。もしかしたら、あの木の影にも思わぬ世界が広がっているかもしれない。
例えば、そう、目に見えない何かがモンスターに怯え身を震わせているかもしれない。
コカゲはワクワクしながら、いつもそうしているように木の影を覗き込んだ。
「何これ?」
そこには真っ黒い大きな毛玉がポツリと置かれていた。
ふわふわとして、とても柔らかそうだ。
思わず手を伸ばすと、その毛玉は驚いたようにビクリと飛び上がり、木の上へ素早く移動してしまう。
コカゲははっとして、葉の生い茂った木の枝をじっと観察した。
「?・・・」
一瞬だけ、動物のシッポのようなものが見えた気がする。
ネコか何かだろうか。
しばらく観察していたが、何の動きもないのでコカゲはこの場から離れ歩き出した。
(久しぶりに学校行ったから疲れたな・・・明日は店でのんびりしよう)
次の日・・・
「コカゲちゃん、今日はつきあってくれてありがとう!」
「大丈夫大丈夫~どうせヒマだし」
のんびりとする予定だったが、コカゲはコヨミと一緒にアイカギ屋の近くにあるショッピングモールにきていた。
多くの人々や、天井から降り注ぐ明るすぎる照明や、各店舗から流れるBGMで、ここはいつも来ても華やかな雰囲気に満ちていた。
コヨミはコカゲの双子の妹で、時計屋さんでもある。首にいつもかかっている木製の懐中時計には、不思議な力があり・・・詳しいことはコカゲにも分からない。
コヨミはフワフワした長い銀髪と、裾にレースのついた茶色のワンピースをユラユラさせながら、楽しそうにコカゲの横を歩いていた。
手には今日買った服やお菓子が入った袋。それにはどれも、おしゃれな柄がプリントされている。
「ねぇねぇ、コカゲちゃんは何か買わないの?」
「わたしは別に・・欲しいものないし」
コカゲはそう言いつつ、苦笑する。
可愛らしい服やアクセサリーを見て、目を輝かせるコヨミの様子を見ているだけでコカゲは満足だった。
コカゲの言葉に、コヨミは不服そうに眉を寄せる。
「えー・・・」
「・・・」
「あ、そうだ!コカゲちゃん、あたしと色違いで服買おうよー!あの店にあった、紺色と赤色のワンピースとか、可愛かったよ~」
コヨミは嬉しそうにそう言って、コカゲの手を掴み来たみちを引き返した。
「ちょっとコヨミ、わたしはいいから」
「大丈夫っコカゲちゃんにも、似合うデザインだったよ~?」
コヨミのいうあの店といえばきっと、レースやリボンを基調とした服ばかりある店だ。
正直、コカゲの趣味ではないのだけれど。
「あまりヒラヒラしたの、わたしは着ないからね?」
「大丈夫~確か、あまりヒラヒラしてなかったから!」
「・・・はは」
コカゲは思わず苦笑する。
きっと、コヨミのヒラヒラしてない、はコカゲにとっては十分ヒラヒラしている、だ。
けれど、たまにはコヨミとお揃いというのも悪くないかもしれない、そう思った。
その時、コヨミは立ち止まる。
「あれ・・こんなお店あったっけ?」
コヨミの視線の先は、ショッピングモールの一角にあるお店。
その前にある立て看板には、t+e+a shop towai と書かれてある。
(お茶屋さん・・?)
コヨミに続いて、コカゲはその店の方へ歩みよった。
店内には、いろいろな種類の紅茶が、可愛らしい箱に入れられてズラリと並んでいた。
よくよくそのパッケージを見てみると、星の囁き、雪砂糖、午後の日なた、・・・などとかかれてある。
どれも見たこともないような紅茶ばかりだ。
一体、どんな味の紅茶なのだろう。想像つかない。
「ね、コカゲちゃん、今日まだ紅茶買ってなかったよね?買っていこーよー」
「そうだね」
コカゲがそう応えると、コヨミはワクワクとした様子で紅茶を選び始めた。
数分後、
「どれにしようかな~・・・やっぱりこれがいいかな」
コヨミはオレンジ色のパッケージの紅茶を手に取ると、隣に立つコカゲにそれを見せる。
淡いオレンジ色に桃色の花びらが散りばめられたパッケージ。
中央には、「午後の日なた」という文字が並んでいた。
「午後の日なたってぽかぽかして気持ち良くて、好きなんだーだから、これがいいなぁ」
「・・いいんじゃない。どんな味か気になるし」
コカゲの言葉にコヨミは頷くと、それをレジへと運ぶ。
コヨミが会計を済ませるのを待っていると、コカゲの耳にある言葉がとびこんできた。
「・・・やっと、選び終わったのか。さすがに待ちくたびれた」
「・・・は?」
思わず、コカゲの口からその言葉が漏れた。
どうやら、レジをしている店員がコヨミに対して言った言葉らしい。
すかさず見ると、大学生のアルバイトといったイメージの店員だった。明るい茶髪に、黒縁メガネ、そこに映るのはやる気のなさそうな力のない瞳。
「レジで待っているこっちの身にもなってくれよ」
コヨミはそんな店員にも、朗らかな様子で
「あ、ごめんね!このお店の紅茶、どれも美味しそうで迷っちゃって!それに、パッケージもすごく可愛いよね~」
コヨミの言葉にも、店員は得に反応する様子なく淡々とレジの作業を進めている。
「そ・・んなことはどうでもいい。会計は560円だ」
コカゲはそんな彼に一言言ってやりたくなり、コヨミの隣に立ち店員のことを睨みつける。
「ちょっと君、その言い方はないんじゃない?」
「大丈夫だよ、コカゲちゃん。・・・はい、560円!ちょうどあってよかった~」
コヨミは財布のなからから小銭をだすと、店員の前に差し出す。
「・・・」
店員は何も言わず、コヨミ、そしてコカゲを一瞥する。そして、コヨミから会計を受け取るとそれをレジの中にしまい、そそくさと裏の方へ姿を消してしまった。
コヨミは、店の紙袋に入った紅茶を手にとると、
「コカゲちゃん、よかったね。紅茶買えて。お菓子も買えたし、帰ったらお茶にしよう?」
「・・・うん、そうだね」
非常識な店員の態度を不服に思いながらも、コカゲは微笑む。
(・・・コヨミは気にしてないみたいだし・・今回はいいか・・)
しかし、コカゲは完全に気にならないわけではなかった。
誰にでも優しいふんわりとした性格のコヨミ。そんなコヨミは、どんな理不尽な状況も受け入れてしまいそうで、そのせいで本人が気づかないうちにボロボロになってしまいそうで怖かった。
だから、できる限り守ってあげないと。
そんなことを考えながら、店内からでようとした時、コカゲは後方から視線を感じる。振り返ってみると、先ほどの店員がレジに立ち、こちらを見ているのが分かった。
「・・・」
その表情は、今までとは全くと言っていいほど違う。
顏全体がにやけている。それは、嬉しさがおさえきれないといった感じだ。
コカゲと店員との目があうと、彼ははっとし、表情を引き締める。そして、ためらいがちに口を開いた。
「お、おい、美味しい紅茶の入れ方、知ってるか?知らないなら教えてやってもいい」
コヨミはその言葉を耳にした途端、嬉しそうにして振り返り、店員の方へ駆け寄った。
「やったー教えてー」
店員は駆け寄ってきたコヨミを見ると、
「別に買ってもらったお礼がしたいだとか、そういうのじゃないからな。適当に淹れられてうちの紅茶の美味しさが半減しても困るからだ・・・」
店員の表情は相変わらず不機嫌そうだが、どうやら完全に悪い人ではない・・・らしい。
コヨミはワクワクした様子で口を開いた。
「うんそうだよねっ。この前読んだ本にはね、温めたティーポットに・・」
「ちがう!」
「?・・・」
「これだから人間はいやなんだ。大事なことが分かってない!」
コヨミは不思議そうに目を丸くする。
コカゲもより不審な目を店員に向けると、
「ってことは君・・・人間じゃないの?」
コカゲの言葉に、店員の表情は一瞬にして引きつった。
「何言っているんだ・・・しっぽも生えてないし、オレはどっからどう見ても、イマドキの人間だろう・・」
「・・・」
「・・・」
「あー・・やっぱりやめだ!さっさと帰ってくれ」
店員は微かに赤くそまった頬を、背ける。
そして、彼はこの場から逃げるように裏の方へ姿を消してしまう。
「コカゲちゃん、店員さん、どうしたんだろうね・・・?」
「うん、ホント」
コカゲは苦笑する。
(分かりやすいヒトだな・・・)
こんな街中のショッピングモールに、異世界人がいることもありえないことではない。
人間界にくる目的は、ヒトそれぞれ、のようだ。
「じゃぁ、洋服買って帰ろう~」
コヨミはコカゲの手を引き、歩き出す。
(忘れてなかったのか・・・)
「今、紅茶入れるねー!」
コヨミはそう言って戸棚から、いつも使っているティーポットとカップを取り出した。
ここはアイカギ屋の奥にある休憩スペース。
いつもここで、コヨミと雑談したり、お茶したりして、ゆったりとした時間を過ごす場所だ。
「ありがとーコヨミ」
コカゲは、コヨミがお茶の準備をしてくれている間、さっき買ったばかりのお菓子を袋から取り出しテーブルに並べていく。
クッキーやチョコレート、一番のメインはイチゴの乗ったショートケーキだ。それに使うフォークを戸棚から取り出し、テーブルに並べたところでコヨミが紅茶の準備を終えて戻ってきた。
コカゲはコヨミがテーブルにおいた「午後の日なた」という名の紅茶を覗き込んだ。
白色のティーカップに波打っているのは、まるでメロンソーダのような鮮やかな緑色。よくよくみると、その中にはキラキラとした黄色の粒が浮かんでいる。
「・・・何か、変わった色してるね」
向かい側の席に腰掛けたコヨミにコカゲがそう言うと、コヨミはニコニコとして
「でも、いい香りするよ?」
コヨミがそう言うので、コカゲはティーカップを手に取り鼻を近付ける。
新鮮な緑の香り・・・がした。
いい匂いなのかもしれないが、美味しそうかときかれたら、はっきりそうとは言えない。
正直に言うと、まずそう。
(でも、折角コヨミが選んで淹れてくれたしっ)
コカゲはそう思いつつ、紅茶をすすった。
「あ・・美味しいかも」
思った以上に味は普通、だった。
甘いが、酸味も少しあり飲みやすい。
「よかった~!あたしも飲んでみよー」
コヨミはコカゲに続いて、紅茶をすする。
コヨミも味に満足したらしく「おいしい!」と言って、幸せそうに微笑んだ。
・・・そして、いつものお茶の時間。
お菓子を食べたり、紅茶を飲んだりしつつ、コヨミと何気ない話で盛り上がる。
コヨミのお店にきたお客さんの話だとか、コヨミの好きな喫茶店の話。
それに、コヨミはよく、コカゲの行った異世界についての話を聞きたがるので、その話をすることも多かった。
心休まるこの時間がコカゲは大好きだ。
「あ、もう夕方」
コカゲがふと窓の外を見ると、外の景色はいつの間にか夜色に染まっていた。
片付けないと、と思い、コカゲは立ち上げる。
その時、突然手に力が入らなくなり、持っていたティーカップを床に落としてしまう。
「!?」
鈍い音と共に、ティーカップは割れ、その破片がコカゲの足元に散らばる。
「あー・・・ごめんコヨミ」
これはコヨミがお揃いで買ってくれた、ティーカップ。
悪いことをしてしまった。
「大丈夫だよー!それより、コカゲちゃん、けがしてない??」
「・・うん」
そんなやり取りをしているうちに、コカゲは大きな違和感に襲われる。
・・・足元がふらつき、立っていられない。
それに、まぶたが今までにないぐらい重くなる。
──とても、眠い。
(一体・・・どうして・・・)
コヨミがこちらに駆け寄ってきたことが分かったので、コカゲは何とか声を絞り出した。
「ごめん・・やっぱむりかも・・」
崩れるようにして、床に膝をつくのと同時に、コヨミに体を支えられたのが分かった。
「えっ!?どうしたのっ?」
「・・・」
そして、コカゲは意識を手放した。
コヨミは眠ってしまったコカゲを前にして、焦ることしかできなかった。
「コカゲちゃん!ねぇ起きて!」
コヨミは、必死にそう叫びコカゲの体を揺する・・・が、反応はなかった。
こんな急に眠ってしまうなんて、おかしい。
一体、どうしたのだというのだろう。
「っ──どうしよう」
その時、コヨミの首にかかっている懐中時計のフタがひとりでに開き、そこから掌のサイズぐらいの小さな男の子がでてきた。
彼─ピリオドは、コヨミの目線の高さまでフワリと浮き上がると
「騒がしいと思ってでてきたら・・・一体、どうしたんだよ!?」
不機嫌そうに表情を歪め、そう叫んだ。
「ピリオドくん・・」
彼は昔コヨミにこの懐中時計を託し、大切な約束をかわした。
だから、数年たった今でもこうして一緒にいてくれて、コヨミのことをいつも助けてくれる。
「あのね、コカゲちゃんが急に眠って起きなくなっちゃったの」
「はぁぁ?そんなことあるわけ・・・」
すると、ピリオドは目線を眠っているコカゲへ向け眉をよせた。
「・・・ちょっと待ってろ、今起こしてやっから!」
そして、ピリオドはコカゲの額の上に足をつき、前髪を引っ張ったり、まぶたを引っ張ったりした。
容赦ないその行為に、ハラハラしながらもコヨミはコカゲが起きることを願った。
「起きろーコカゲー!!」
「──・・・」
が、コカゲは全く起きる気配を示さない。
「んー・・・ここまでやって起きないとは」
ピリオドは、コヨミの肩の上に座り込むと腕を組み首をかしげた。
コヨミはピリオドがそうしている間に、考えを巡らせる。目線は、自然とテーブルの上においたままになっているティーカップへ向けられた。
「ピリオドくん・・・もしかして、さっき飲んだ紅茶が原因なのかな」
「ん?紅茶ならいつもお前ら、飲んでるじゃねーか」
コヨミはそれに、首を左右に振る。
「違うの、いつも飲んでいる紅茶じゃなくて、今日は違うお店の飲んだの」
「マジか!そういうことは早く言えっ」
ピリオドはコヨミの肩の上から、コヨミのティーカップとティーポットが置いてあるテーブルの上に移動する。そして、飲みかけをカップの中を覗きこんだ。
そして、渋い顏をする。
「なんっつーか、変な色だし、匂いも変だぞ?よくこんなの飲めたな!ほんとにこれ紅茶か?その前に、人間の飲む飲み物か??」
「でも、美味しかったよ?」
コヨミは微笑む。
「もう一回飲みたいぐらいっ」
「はぁぁ?・・ん?ってことはコヨミもこれ、飲んだんだな?」
「うん・・・でも、あたし、何ともないね?」
コヨミはそれだけが疑問だった。
もし、コカゲが眠ってしまった原因が、この紅茶にあるのならば、コヨミ自身にも被害がでているはずだ。
「でも、この飲み物、絶対あやしーぞ!コヨミ、なんともなくてよかったな!
2人して眠りこけられても困るしな!」
「・・・」
コヨミは、眠ったままのコカゲの顏を見下ろす。
・・・よかったなんて、そんなこと思わない。
もし、このままコカゲが一生目を覚まさなかったら・・そう考えただけでも恐ろしくて仕方なかった。
「ピリオドくん、もう一度、紅茶屋さんに会いに行ってもいい?」
コヨミが呟くような声でそう言うと、ピリオドはコヨミの目の前へフワリと降りてきた。
「そうだな、さすがにこのまま放置するわけにもいかねぇーし、会いに行って事情きくか!」
「──・・・でも、もうお店しまってる」
「あー・・」
「時間を巻き戻せば会えるね?」
コヨミがポツリとそう言葉をこぼすと、
「時間を巻き戻したとして・・・お前に何かできるか?
過去に行っても、自分自身に会うことはできねぇーし、お前の場合は、戻せる時間も限られるし、過去にとどまれる時間も限られるんだぞ?」
「うん、そうだよね・・・でも、あたしコカゲちゃんのことが心配なの。少しでも早く助けてあげたいの」
コヨミが必死にそう言うと、ピリオドはやれやれと言うふうにため息をつく。そして、パチンと指を鳴らす。
すると、ピリオドの前に彼の背の高さと同じぐらいの砂時計が姿を現した。
「タイムリミットは、この砂時計の砂が全部下に落ちるまでだ!全部砂が落ちたら、強制的に元の時間に戻されるからな。お前の場合、これぐらいしないといそがねーだろ?」
それは、青色と白の砂が入った、ガラス張りの砂時計だ。
「ありがとう!ピリオドくん」
分かりにくいが、ピリオドはいつもコヨミのことを心配してくれているし、応援してくれている。
とてもありがたかった。
コヨミは、コカゲのことを何とかソファに寝かせると、首にかかった懐中時計のフタをあける。そして、その針に指をおいて逆時計回りにそれを回していった。
カチ・・コチカチコチ・・・
時計の針が時を刻む音と共に、コヨミの周囲の景色も後ろへ後ろへと流れていく。
目が回ってしまいそうな景色だったので、コヨミは視線を落とし針を回すことに集中する。
「!」
と、時計の針が動かなくなった。
いくら指でおしても、これ以上進むことはしてくれない。
「ここまでみたいだな!」
コヨミの肩に乗ったピリオドが、そう呟く。
すると、周囲の景色は静まり返った。
早送りしたような景色は静止し、またコヨミは元の場所に立っている。
窓の外の景色は、先ほどまでとは違いとても明るいし、ソファで眠っているコカゲやテーブルの上のティーカップも消えていていた。
確かに過去にきたのだ、そう確信する。
一体どのぐらい時を巻き戻したのだろう。
「どのぐらい戻ったのかな?」
「んー・・・8時間前ってとこか」
ピリオドはそう言いつつ、持っている砂時計を空中へ放り投げる。
それは、コヨミの目の前でフワフワととどまりそして、ひっくり返った。
青と白の砂が、サラサラと下の空間に落ち始める。
「いいかコヨミ!この砂が・・」
「大丈夫だよ!あたし、頑張るね!!」
コヨミは駆け出そうとするが、その前にピリオドが叫んだ。
「おぃぃっ!これ持ってかねーと意味ねーだろ!」
「あ、そうだよね」
コヨミは空中に浮かんでいる砂時計をそっと手に取ると、バッグの中にしまい込んだ。
ピリオドはそれを見て、心配そうに
「無茶だけはするなよ?」
「うん、ありがとうっ」
ピリオドは、微笑むと、コヨミの首にかかっている懐中時計のフタをあけ中にもぐりこむ。そして、そのフタを閉め姿を消してしまった。
ピリオドは、何故だか自分以外とはあまり人と関わろうとしない(コカゲとは仲いいが)。
理由が気になったが・・・
(あ、でも、ピリオドくんの姿って他の人には見えないんだよね)
そう思い、納得した。
(みんな、ピリオドくんのこと見えたらいいのになぁ)
そうしたら、もっと楽しくなるのに。
学校の友人や先生を交えて、学校での休み時間を過ごすピリオドを想像する。そして、はっとした。
(時間ないんだった!早くいかないと・・)
コヨミはあの紅茶屋さんの入ったショッピングモールにきていた。人の間を縫うようにして早足で歩き、その場所を目指す。
「あ・・」
丁度、ショップから出てきたコカゲとコヨミの姿を見つけた。
コヨミはハラハラしながら、壁際に隠れ2人が立ち去るのを待つ。
「あーやめだ!さっさと帰ってくれ」
「コカゲちゃん、店員さん、どうしたんだろうね・・・?」
「うん、ホント」
その会話が聞こえたとき、コヨミは再び様子を窺がった。
過去のコカゲとコヨミはこちらに背を向け、立ち去っていっているところだった。この後、服を買ってアイカギ屋へ戻ったのでもうこちらにくることはないだろう。
コヨミはそっとその場から歩きだし、t+e+a shop towai へ足を踏み入れる。
レジには誰もいなかった。
「こんにちはー」
コヨミはそう言葉を投げてみるが、
「・・・」
反応はなかった。
(どうしたんだろう・・・いるはずなのに)
コヨミは申し訳ないと思いつつも、カウンターの向こう側へ歩みを進めた。カーテンで仕切られており、その隙間から中の様子を窺がう。
中には、簡単は休憩スペースになっており、テーブルとイス、戸棚などがあった。テーブルの上は、書類やお菓子の袋などで散らかっている。その下にも段ボールや書類などが散乱しておりあまり綺麗とは言えない部屋だった。
(いるかな?)
コヨミはドギマギしながらも、部屋の中に歩みを進める。すると、あるものを発見した。
テーブルの上にあるのは、散らかった書類やお菓子の袋だけではなかった。
・・・メガネ。
(あの店員さんのかな)
確か彼はメガネをしていた・・気がする。
ということは、彼はやはりここにいるということだ。
コヨミは当たりを見渡し、改めて誰かいないか確認する。
とその時、後方から大きな衝撃が走る。
「!!」
コヨミはそのままの勢いで、床に倒れ込んだ。
見ると、そこには・・・真っ白の毛を持った犬のような動物が一匹。
ピンと立った大きな耳に、フワフワとした長いしっぽ、それに青みがかった瞳を持った綺麗な動物だ。
「勝手に入ってくるな、人間」
動物は、低い声でそう言うとコヨミを睨む。
「ご、ごめんね。あたし、ここの店員さんに用事があって!」
(どうしてワンちゃんがしゃべってるんだろう)
コヨミは、珍しい光景にただただ見入っていた。
動物と話す機会があるなんて、とても嬉しい。
「そういやお前・・・さっきの客だな」
「ワンちゃんは、店員さんのお友達?」
「・・な」
すると、白い動物は周囲を慌てた様子で周囲を見渡し、はっとすると、テーブルの方へ近づいた。そして、テーブルに前足をかけると器用にその足でメガネを床に落とし、これまた器用にメガネを顏にかけた。それは普通の動物では、考えられない動きだ。
それと同時に、動物の姿は見る見るうちに変化していく。
──ヒトの姿に。
その姿は、あの時の店員だ。
ただ違うのは、髪が真っ白だということとふさふさのシッポがはえているということ。
「あー・・・オレとしたことが。人間に元の姿を見られるなんて」
「店員さん、ワンちゃんだったの!?」
「──・・」
コヨミは目の前で起こった出来事に興奮を抑えきれなかった。
きっと彼は異世界人に違いない、そう思った。
異世界がある事実は、いろいろな場所にある異世界へのトビラを見たり、その世界によく行くコカゲの話をきいたりしているので知っていた。
「いいか?このことは誰にもいうな」
店員はコヨミのすぐ前にしゃがみこみ、青みがかった瞳でコヨミを睨みつける。その瞳は鋭くとがりまるで刃のようだった。
「それに、勘違いするな。オレはワンちゃんじゃない・・・その呼び方、本当に不快すぎる・・」
「じゃあ、何て呼べばいい?」
「オレは紅茶屋のトワイだ。ワンちゃんじゃない」
彼─トワイは、コヨミの呼び方がよほど気に入らなかったらしく、眉間のしわをより深くする。
「分かった!じゃぁ、トワイくんって呼ぶね~」
「──・・・」
コヨミは立ち上がると、にっこりと笑う。
トワイはそれに、特に表情を動かすことなく、小さくため息をついた。
「トワイくんは、異世界の人なの??あたし、普通の人だと思っていたからびっくりしちゃった!」
「──見れば分かるだろ。それで何なんだよ、用事ってのは」
「あのね・・」
そしてコヨミは、今まであったことをトワイに話してみた。
その話をきくトワイの表情は、淡々としており何を考えているのが分からなく少し怖かったが、コヨミは何とか最後まで話しきる。
「つまりそのコカゲってやつが眠ったのは、オレの店の紅茶が原因だと・・・?」
相変わらず彼は無表情だったが、コヨミはそのことは気にしないようにして、「うん!」と頷いた。
「──・・お前が持っていった「午後の日なた」の紅茶には飲ませた奴を眠らせる効果があるからな」
「そうだったんだっ・・」
「正確に言えば、その紅茶は休んでもらいたい相手に効き目を現す紅茶だ。例えば、頑張ってほしいけど、無理はしないでほしい、そんな相手に淹れてやればいい」
「うん。コカゲちゃん、いつも忙しそうにしてるから、あたしそう思ってた!」
「・・・なら、コカゲってやつが眠ったまま起きないのは、オレのせいではないな」
「え」
「きっとお前は紅茶を淹れるとき、その心を込めすぎた!そのせいだ!心の加減をちゃんと考えずにいれたお前が原因だ!!犯人はお前だ!断じてオレではない!」
トワイの額には汗が滲み、その表情も全くと言っていいほど余裕がないように見える。
先ほどまでの落ち着き払った雰囲気は何処にいってしまったのだろう。
「うん・・心の加減って難しいよね~」
コヨミがにこやかに言うと、トワイははっとし表情を引き締め「何言ってるんだ、オレ」と呟いたようだ。
コヨミは、そんな彼のことは気にせずに
「トワイくん、コカゲちゃんのことを起こしたいんだけど・・・どうしたらいいかなぁ」
「・・・目がさえる効果がある紅茶があるらしいから、それを飲ませればいいはずだ」
トワイは再び、落ち着き払った表情と声に戻る。
「え!」
「だが、その紅茶はこの店にはない」
低い声でそう言い切ったトワイに対し、コヨミは不安ばかりが浮かんできた。
「そうなんだ~どうしよう・・・」
「太陽の滴、があれば作れるんだが。まあ、それも太陽と契約を結ばない限り無理だな」
「──じゃぁ、契約しにいこうよ!太陽さんと!」
「・・・あいつと契約なんて、無理に決まっているだろう」
トワイは、コヨミから目をそらし、そして口を閉ざす。
「──・・・?」
どうしてそう思うのだろう。
太陽と彼の間に、何かあったのだろうか。
「あいつはオレのことを、とても嫌っているし、紅茶もそれほど好きではないからな」
トワイは、コヨミから目線をそらしたまま、そう呟いた。
その声は、何もかも諦めてしまっている、そんな声に聞こえた。
「どうして?トワイくんのお店の紅茶、とても美味しいのに」
「ほ・・本当か!?」
それにトワイの表情がぱっと明るくなる。
「うんっ」
「──・・・」
「・・・」
「ま、お前の気のせいだろう」
明るかったトワイの表情は、あっと言うまに元に戻ってしまった。
「だから、諦めてさっさと帰れ。コカゲってやつが起きなくても、オレのせいではないしな。お前のせいだからな。オレはもう知らない」
トワイは、コヨミの背中を押し、外に出るよう促す。
コヨミが焦っていると、懐中時計のフタがひらき、そこからピリオドが飛び出してきた。
「このヘタレが!!!いい加減にしろ!!」
ピリオドは大声で、そう叫びトワイの顔面に足蹴りを食らわせる。
その衝撃で、彼のメガネは吹っ飛び床に落ちた。
・・・見る見るうちに彼の体は、変化し、白い犬に似た動物に姿を変えた。
「ふん、そっちの姿の方がお前にはお似合いだよ!」
「──・・・誰だお前。ちっこいし、妖精か」
「オレは妖精じゃない!」
「ピリオドくんは、あたしの友だちなの」
コヨミが必死にそう言葉を並べると、トワイはより不審な目をコヨミに向けた。
「そんな小さい人間がいるか。おかしいだろう」
「そんなことはどうでもいいんだよ!つーかコヨミ、コカゲのことを助けたいんだったら、もっときつく言わないとダメだからな?こんなヘタレに、気使う必要ねぇ」
「──・・・」
「さっきから、聞いてればっ・・・ったく。起こす方法そこまで知ってんなら、最後まで責任はたせよ。もとはと言えば、お前の店の紅茶が原因なんだからな。言い訳無用だ!分かったか?」
ピリオドは、トワイの鼻さきに立ちそう声を張り上げる。
「──・・・」
トワイはそれでも、ただ表情のない瞳をピリオドに向けているだけだ。
そしてピリオドは、言いたいことを言えて満足したのか、「しっかりやれよ!」とコヨミに言葉を残して、懐中時計の中に帰って行った。
コヨミはそれを見届けると、トワイの目の前にしゃがみこみ微笑んだ。
「ごめんね。ピリオドくん、言い方きつくて。でもね、悪い子じゃないの」
「・・・」
「あたし、大切な人のことを救いたいの。だから、太陽さんの所に行ってみよう。あたしも一緒に行くからっ」
ゆっくりとそう言葉を並べる。
トワイは少しの沈黙を置いたあと、「仕方ないな」と小さく呟いただけだった。
(コカゲちゃんだったら、トワイくんの心が分かるのかな)
そんなことを思ったが、コヨミにはコカゲのような力は使えない。
けれど、別の特別な力は使える。
だから、ここまで来ることができたし、トワイともこうして話すことができた。
少しでもいいから、その固まったままの表情をとかしてあげることができたらいいのに。
動物の姿のトワイは、テーブルの下に移動する。
この部屋のテーブルの下には、床の色に同化して見えにくいが、地下へ行けるようなトビラがあった。動物の姿のトワイは口を使ってそれを開ける。
「ここからオレの住む世界へ行ける。ついてこい。あと、そこのメガネも持ってきてくれ」
そう言葉を投げると、その中に飛び込んだ。
「うんっ」
すぐに否定されると思っていたので、トワイが行動する気になってくれたことが意外だった。それに、嬉しかった。
コヨミは、床に落ちたままになっているトワイのメガネを拾いあげるとトビラの横に立つ。
(異世界行けるんだーやった~)
不安はあるが、今はその感情の方が大きいから不思議だ。
今度は、自分からコカゲに異世界の話をきかせてあげることができる。一体どんな世界がコヨミのことを待ってくれているのだろう。
コヨミはワクワクしながら、扉の中を覗き込む。・・・中は、真っ暗で何も見えなかった。
やはり、少しだけ怖かったが、コヨミは意を決し、中に飛び込んだ。
誰もいなくなった部屋。
が、すぐに誰か、が扉の代わりになっているカーテンを開け放ち入ってきた。
「こんなところにも、異世界へ続くトビラがあったのねぇ」
銀色の長い髪を持ち、ムラサキ色の服を身にまとったその人物はコヨミとコカゲの母親のセツナだ。
セツナは異世界へ続くトビラの横にしゃがみ込むと、口元を緩める。
手に持つのは、この店のパンフレット。
何気なく立ち寄ったショッピングモールにあったのは、どこかでみたことのある紅茶屋。
レジの横に並べてあったパンフレットを覗いてみると、ここは「t+e+a shop towai」ということが分かった。
昔、一度異世界で立ち寄ったことのある紅茶屋だ。
あの時は、変なお店だとしか思わなかったが、今では少し見方が違ってきた。
確かここはさまざまな効力のある紅茶を販売している店。
相手のことを眠らせることができたり、笑わせることが出来たり、泣かせることができたり・・・不幸にすることだってできたはずだ。そして、自分の思うように行動を操れるという種類もあったはず。
「──・・・」
(コカゲに飲ませることができれば・・)
コカゲの首にかかった、コカゲ自身の心のアイカギを手に入れる方法はあまりにも少ない。特別な魔法がかかっているらしく、手で触れることさえできない状態だ。
コカゲがあの言葉を口にすればその魔法を解くことができるが、もちろん彼女自ら口にすることはないだろう。
(無理やり言わせればいいのよ・・・)
ここの紅茶を使って。
「─・・・」
(でも、あの子の能力はやっかいね)
時間を思うように操る力。
でも、心配ないはず。だってあの子は優しすぎる。
(ねぇコヨミ。あなたは、母さんの邪魔なんてできないわよねぇ・・・)
+
一瞬だけ暗闇に包まれたかと思うと、コヨミは今までとは全く別の世界・・・異世界に立っていた。
コヨミの周囲を囲むのは、青々とした広い広い森。地面には雪が積もったような、真っ白の花々。
所々に日の光が差し込み、森の中はとても明るかった。
日の光で照らされている部分だけ花の色が変わっており、そこは桃色の小さな花が咲き乱れている。そこには、妖精なのか蝶なのか、小さな光が集まってきていた。
「何か、絵本にでてくる世界みたい!」
コヨミがそう言うと、トワイは
「正確に言うと、ここはオレの世界ではないけどな。紅茶屋はいろいろな世界をまわって、自然たちと一緒に茶葉を創ることが仕事だ。まぁ、相手と契約できれば一生茶葉に困ることはないが、それがなかなか難しい」
「そうなんだ~じゃあ、トワイくんは旅人さんなんだね」
「・・まぁ、そんなところだ」
トワイはコヨミの手に持つメガネを口で受け取ると、それを顏にかけた。すぐに姿が変化する。
真っ白の髪とフワフワなシッポを持った青年の姿なった。
「お前より背が低いなんて屈辱だからな。しばらくはこの姿でいるようにしよう」
「うん!あたしどっちの姿のトワイくんも好きだよ!」
「・・・」
「・・・?」
「き、気のせいだろう。別にそんなこと言われても嬉しくないからな・・調子込んでベラベラしゃべるな、人間」
トワイは顏を掌でかくし、何かボソボソと言っているようだ。
コヨミはそれを気にしないようにし、異世界の地面を丁寧に踏みしめるようにして歩いてみる。
歩くたびに、地面の花がフワリと舞いあがっていった。その光景は、本当に絵本の中に迷い込んだように錯覚してしまう。
ただ歩いているだけ、それなのにこんな幸せな気分になれるなんて、思いもしなかった。
どのぐらいの時間、そうしていたのか、ある時コヨミははっとする。
(そうだ・・時間っ)
慌てて、バッグの中の砂時計を確認すると、砂は3分の1ぐらい下に落ちている状態だった。
(危なかった・・早くしないと)
強制的に元の時間に戻されてしまう。
コヨミは立ち上がると、トワイのもとに駆け寄った。
「トワイくん、太陽さんはどこにいるの?」
「──本気で行くのかよ。正直、オレはあいつに嫌われているだろうから行く気になれないが」
トワイは目線を下に向ける。
連れて行ってくれるとばかり思っていたので、コヨミは少なからず動揺した。
やはり彼は、このことに対して積極的ではないらしい。
「・・・大丈夫、行こう!」
コヨミがそう言い切ると、トワイは表情に影を落とす。
「──何が大丈夫なんだよ。何もしらないのに、よく言えるな」
「分からないけど・・大丈夫な気がするの。だって、トワイくんはいいヒトだよね。だから、大丈夫な気がする」
「だから、適当なこと言うなよ」
「・・・適当じゃないよ」
トワイはコヨミが紅茶を買った時も、美味しい紅茶の入れ方を教えようとしてくれたし、勝手に店の裏部屋に入っても追い出すことはしなかったし、こうして異世界にまでつれてきてくれた。
口は悪いかもしれけど、少し考えれば気付ける。彼の心の中に灯る、温かいものに。
それに・・・
「嫌われているから行かないって、なかなか言えないよ」
「?」
「・・・あたしは、行きたいか行きたくないかでいいと思うんだ。だからね、本当に行きたくないときは、言って!その時は、あたし一人で行くからっ」
「一人で行くって・・お前、グレイの居場所知らないだろ」
「あ、太陽さんの名前、グレイさんって言うんだねっ。・・・あ、でも・・グレイくんかなぁ」
「・・・」
「──じゃぁ、オレは行かない。後は勝手にやれよ、人間」
トワイはコヨミに背を向け、動物に姿を変える。そして、軽快なスピードで走り去ってしまった。
+
(ちょっと言い過ぎたか・・)
トワイはコヨミにその言葉を投げつけてしまったことを、少しだけ後悔していた。
だが、自分が行きたいか行きたくないかで決めるなんてそんな意見には賛同できない。
人間には勝手な奴が多いときいていたが、本当にそうなのだとトワイは実感した。
トワイは振り返ると、コヨミという人間が追ってこないことを確認し、ほっと溜息をついた。
大分息が上がってしまったので、近くの木の根元に座り込み体を丸め休めた。
コヨミと一緒にいる時は人間の姿でいるようにしていたが、今はいないし元の姿のままでいいだろう。
やはり相手と同じような姿で話した方が、余計な気を使わせなくて済むとは思う。
だが、自分としてはこの姿が一番安心できた。自然と契約する者が、人間の姿なんてしているなんて不自然だ。
そんなことを思っていると、木の上で日光浴をしていたらしい花の妖精たちが数匹トワイの目の前に降りてくる。
「トワイ、もう人間界から帰ってきたの?いくじなしね」
「他の紅茶屋はもうとっくに別の世界に移動したわよ、トワイはまだなの?」
そんなことをグチグチと言って、ケラケラと笑った。
「──・・・」
妖精たちがこうしてペラペラと話しかけてくることは、よくあること。だから、その言葉を気にしないようにはしていたが、やはり今の心境では辛いものがある。
「ほっとけよ!!あっちいけ!!」
そう怒鳴ると、妖精たちはその表情を引きつらせ、あっと言う間にどこかに行ってしまった。
(あー・・・まただ)
時々、自分の感情ははじけ飛ぶ。
心にためておける感情の量はきっと決まっているのだ。だから、感情がはじけ飛んだその瞬間は容量オーバーだったということなのだろう。
だからと言って、常日頃から感情を垂れ流すことなんてしたくなかった。
きっとそれは、周りの人を傷つける。
あの時のように、大切な人を傷つけてしまう。
コヨミのためだと思い、この世界に戻ってきたが、これで本当によかったのだろうか。本当はコヨミのためではなくて、自分のためだったのかもしれない。
きっと自分は、まだグレイに会いたい、好かれたいと思っている。
──なんて、あきらめが悪くてずうずうしい奴だ。
「──・・・」
(心がなければいいのに・・・)
時々、そう思った。
そうすれば、大切な人のことを感情という刃で傷つけなくてすむ。
「私があなたの望み、叶えてあげましょうか?」
突然、その声が降ってきた。
見ると、長い銀色の髪とムラサキ色の服を身にまとった女性が立っている。
彼女は、トワイと目があうとその瞳を細め、微笑んだ。
「誰だよ、お前」
「私はあなたの客さんよ」
女性はトワイの目の前にしゃがみ込むと、
「ツタの虚無感、という紅茶がほしいの。今すぐにね」
「!・・その種類は、販売中止になった。もう売ることはできない」
女性がいうツタの虚無感という種類は、ヒトを一定時間自由に操れるという効力をもった紅茶だ。
一時的販売はしていたが、ある大きな事件をきっかけにもう世の中に出回ることはなくなった。
「あら、そうなのね。まぁどちらにしろ、売ってもらうわ。販売中止だとしても、あなたはその紅茶の茶葉を創ることができる、そうでしょう?」
「──・・・」
この女性は、一体どこまでこっちのことを知っているのだろう。
まるで、心の中を全て見透かされているみたいだ。
「創ってくれたら、そうねぇ・・・あなたの望み叶えてあげてもいいわよ?」
女性は今の状況を楽しんでいるかのように、口元をつり上げる。
「──・・・」
(望みをかなえる・・?うさんくさいな)
「失礼ね、うさんくさいだなんて」
「!」
「トワイ、あなたの望みは心をなくすことよね」
「!!」
女性の言葉は、間違ってはいなかった。
いや、むしろ的を射ている。
どうして、分かる、のだろう。
正直、ぞっとした。
「変わったこと思うのねぇ。まぁあたしも悪いことではないと思うわ」
女性はどこか憐れむような目でトワイを見た。
「誰かを傷つける心なんていらない・・・そうよね?」
「──・・・」
女性はトワイの手の上に、自分の手を重ねる。
振り払おうと思ったが、出来なかった。
この女性はどこか異様だ。振り払ってしまったら、もっと怖いことが起こる、そう思えてしまうほどに。
「!・・」
その女性の手の中に、バラのデザインがほどこされたカギが握られていることにトワイは、気付いた。
「可哀そうに。私が今から解放してあげる」
女性はそう呟くと、そのカギをトワイの手の中に握らせる。
そのカギは不思議なことに、掌の中に溶けるように消えてしまった。
それと同時に、トワイに意識は遠のいていく。
そして、思った。
どうしてあの時、女性の手を振りほどくことができなかったのだろう。
「あー・・・吐き気がするわ」
意識を失ったトワイのことを見下ろし、セツナはそう呟いた。
(誰も傷つけたくない?本当に笑わせてくれるわねぇ)
本当の意味で人を傷つけたこともない奴に、その深い苦しみが分かるはずもない。
傷つきたくないのはあなた。
あなたはただただ弱虫なだけ。そのことにも気づいていないなんて。
本当に吐き気がするほど、醜くて哀れ。
セツナは姿を現したトワイの心のトビラの前に立つと、その取手に手をかけた。
自分の創る心のアイカギは、誰の心のトビラでも開けることができる。そして、その中に入れば、相手の心を思うように操ることもできる。
(まずは、ツタの虚無感の茶葉を創らせましょうか)
そして、約束通りあなたの望みも叶えてあげる。
心をなくすということは、生き物らしい感情を何も感じなくなること。つまり、私の操り人形になっても何も文句は言えないってこと。
セツナの口元には、自然と笑みが浮かんでくる。
(この際だから、楽しませてもらうわー)
そして、トワイの心のトビラの中に足を踏み入れた。
+
(トワイくんのこと、怒らせちゃった・・)
コヨミはそのことで落ち込みつつ、森の中を取りあえず歩いていた。
けれど、トワイが行きたくないなら、一人で行くと言ったのは自分だ。だから、トワイがいなくても一人でどうにかするべきだと思った。
(トワイくん、大丈夫かな・・)
仮に、一人で太陽のところに行けたとしても、トワイのことが気になって仕方なかった。
コヨミはバッグの中の砂時計を確認する。
──時間は確実になくなっていっている。急がないといけない。
どうして、トワイは太陽のグレイに会うことをあんなに拒否するのだろう。
それはコヨミが知ってもいいことなのだろうか。
いいか悪いかなんて分からないけれど・・・トワイのことを少しでもいいから助けてあげたかった。
(太陽さんに会えば、少しは分かるかな・・)
「あなた、人間の女の子ね。大丈夫、迷ったの?」
「!」
その声にはっとして見上げると、木の枝の上には妖精、がいた。
フワフワの長い金髪に、真っ白な肌。それに、まるで天使のような大きな翼が背中にはえている。
背の高さは掌を広げたぐらいで、ピリオドと同じぐらいの大きさだ。
「かわいい~あなたは、妖精さん?」
コヨミが目を輝かせると、彼女はフワリとコヨミの目の前に降りてくる。よくよく見ると、彼女の瞳は燃えるようなオレンジ色だ。
「違う違うー。わたしは、そうね・・・太陽、の仕事をしている者よ」
「!」
コヨミは、彼女の太陽という言葉にはっとする。
「もしかして・・あなたって、グレイさん?」
トワイが言っていた、太陽の名前は確か、グレイ、だったはずだ。
「あら、何で知ってるの??」
彼女─グレイは、驚いたように目を丸くした。
期待通りの応えが返ってきたことに、ほっとしつつコヨミは必死に言葉を続ける。
「あのね、トワイくんからきいたの!グレイさんのこと」
その言葉に、グレイは羽を大きく羽ばたかせ、コヨミに詰め寄る。その表情は新しいオモチャを見つけた子どものように、キラキラと輝いていた。
「トワイが?わたしのこと何て言ってたの??」
「えっとね、コカゲちゃんがトワイくんのお店の紅茶を飲んで、起きなくなっちゃったの。それで、起こすにはグレイさんと契約して作った茶葉が必要だって・・・でも・・」
「でも?」
グレイはよりコヨミに詰め寄る。
グレイのオレンジ色の瞳は、コヨミのまつ毛にくっついてしまいそうだ。
「でも・・・トワイくん、グレイさんに会うの何か躊躇っているみたいでっ」
「・・・そう、やっぱり」
すると、グレイは、すっとコヨミから離れ近くの木の枝に腰掛けた。その表情は、先ほどまでとは打って変わり、とても寂しげだ。
「最近、あのヒト何考えているか分からないのよねー。ほんと困ったわ。怒鳴り散らしてくれた方がよっぽど楽。一体何が気に食わないのかしら」
「・・・」
「あら、ごめんね!そんなこと言われても、困っちゃうわよね。え・・・と、確か、起こしたい子がいるのよね」
グレイは、微笑えむ。
コヨミは即座に頷いた。
「トワイさえ来てくれれば、すぐにでも契約してその茶葉をつくってもらえるのだけど」
「!・・・トワイくんは、グレイさんが契約してくれるはずないって・・」
「どうしてわたしがそう思うわけ?」
「──・・・?」
グレイは不思議そうに首をかしげる。
コヨミもよく意味が分からなくなってきた。
もしかして、グレイとトワイの間で、大きな勘違いがあるのだろうか。だとしたら、この事実を早くトワイに伝えないといけない。
「トワイさん、グレイくんのところに・・・」
その時、後方から誰かが近づいてくる足音が聞こえた。
はっとして振り返ると、そこには人間の姿のトワイがいる。
「あ、トワイくんっ・・」
再び会えたことにほっとしたのもつかの間、コヨミはあることに気付いた。
トワイは、瞳をギラつかせ、歯をむき出し、今までとはまるで別人のような雰囲気を放っている。
(どうしたんだろう・・)
もしかして、まだコヨミに対しての怒りがおさまらないのだろうか。
その時、トワイの背後に誰かが立っていることに気付く。その誰かの正体が分かった時、コヨミはぞっとした。
(母さん・・!?)
母親─セツナは、コヨミに視線を投げ口元に笑みを浮かべる。
セツナは確かに、コヨミの存在に気付き、こちらを見ていた。
(どうして母さんが・・・)
セツナの関心はいつだって、コカゲの方。
だからこうして、二人だけで対面する機会なんて、滅多にない。
セツナはコヨミから視線を外すと、しゃがみ込み、トワイの耳元で何かを囁く。そして、空気の中に溶けるようにその姿を消してしまった。
・・・セツナの手には、トワイの店の紙袋がぶら下がっているのが見えた。
──悪い予感しか、しなかった。
そんなことを思っている間にも、トワイは恐ろしい表情のままこちらに歩みよってくる。トワイの視線の先にいるのは、グレイ。
「っ・・・」
コヨミはとっさに、トワイの前に飛びだした。
自分に何かができるとは思えない。けれど、悪い予感がするのに、何もしないでいることもできなかった。
「トワイくんっ・・」
「邪魔だ!どけ!!」
今までにないぐらいの大声に、コヨミの体はビクリと震えたが、そこを動こうとは思えなかった。
セツナに心を支配されてしまった人は、今までの自分を保てなくなってしまう。そのことは、十分すぎるほど分かっていた。
「どけって言ってるのが聞こえないのか」
「──・・・」
とその時、グレイがコヨミの後方からフワリと飛んでくる。
グレイは、何の躊躇いもない様子でトワイの目の前まで降りてくると、
「一体今までどこにいたの!?心配したじゃない!」
突然、そう叫んだ。
「─・・・」
それにトワイの表情は一瞬、静まり黙り込んだように見えた。
グレイはそんなことはお構いなしに言葉を続ける。
「またそうやって黙って!本当に・・」
その時、トワイは、鋭く尖った爪先をグレイに向けて振り上げた。
「!」
グレイはそれを素早く交わし、上空にフワリと舞いあがる。その表情は、驚いているように見えたが、口元には何故か微笑みが浮かんでいた。
「あなた、今、本気、だった?」
「あぁ。もちろん!もう、お前の機嫌をうかがうのにはうんざりなんだよ!!」
「言ってくれるじゃない!!」
グレイは両方の掌を上空に向けて伸ばす。するとそこに、オレンジ色に輝く光が集まりだした。その光は、グレイの体より大きく膨らみ、そして、メラメラとした炎が表面を覆い始める。
「いけっ」
グレイはそう叫んで、炎の塊をトワイに向けて放った。
それは勢いよく、地面に立つトワイに向かう。
「!!」
トワイはそれをギリギリで避けると
「何してんだ!?危ないだろ!!」
「トワイが本気できたから、わたしも本気をだしただけよ」
グレイはそう言っている間にも、手の中で炎の塊を創りだし次々とトワイに向けて放っていく。
コヨミはその光景をただ、茫然と眺めることしかできなかった。
(大変なことになっちゃった・・・)
けれど、何故だろう。
トワイは、最初に会った時より、とてもイキイキしているように見えるし、どこか楽しそうにも見える。
「ほんと、おかしいわね。ちょっと前まであなた、表情しんでたじゃない!今度は一体どうしたの??」
「誰のせいでしんでたと思ってんだよ!」
「あら、だあれ?」
「お前のせいだろ!ちょっとしたことで、不満そうにするし、そうかと思えばいつの間にかご機嫌だし、この間だって新しい髪型、似合わないって言ったぐらいで不機嫌な顏するしさ!!」
そんな言い争いをしながら、グレイは炎を飛ばす。一方、トワイは地面を力強く蹴りグレイの方まで飛び上がると、その爪を彼女へ向けて行った。
周囲の木々や花たちは、その争いでいつの間にかボロボロになってしまっている。
「・・・」
しかし、コヨミは、二人のことをとめなくても大丈夫、そう思ってしまう。
「・・・・トワイくん、楽しそう」
コヨミは思わずそう言葉をこぼした。
その言葉に、トワイの動きはピタリととまり・・グレイも、それを見て動きをとめた。
トワイは、コヨミを見ると眉間にしわを寄せる。
「これのどこが・・・──」
トワイは口ごもる。
そして、彼の目から涙がこぼれた。
それをきっかけに、涙は次々とトワイの目からあふれでてくる。まるで、ずっと前から目の奥にため込んでいたような涙だった。
「トワイくんっ大丈夫?」
コヨミが駆け寄ると、
「オレはなんてことをしてしまったんだ・・・自分で自分が分からない・・」
「?・・・」
「っ──・・・グレイに、攻撃するなんて・・・それに、あんな言葉・・」
「・・・」
「・・でも、何故だろうな。とても嬉しかったんだ・・・」
こんなこと、今までになかった、トワイはそう思う。
自分がグレイに投げつけた言葉は残酷なはずなのに、不思議だ。
今まで言葉を選んでは、それを丁寧に扱ってきた。
それでもグレイを傷つけてしまうことは何度もあって。
その度に後悔した。
あの時、どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。
そんなことを繰り返していくうち、感情を言葉にするのがとても怖くなった。だから、言葉にするのを止めた。
──けれど、今は後悔していない。むしろ、ほっとしている自分がここにいる。
すると、グレイが、トワイとコヨミの間にフワリと降りてきた。
謝らなくては、トワイはとっさにそう思い、言った。
「ごめんな・・グレイ」
「一体、何が?」
グレイは、不思議そうにトワイを見る。
「・・・」
的外れなグレイのこたえに、トワイはただ唖然とした。
するとグレイは、クスリと笑う。
「・・・もしかして、さっきのケンカ、のこと?」
「・・あぁ」
トワイのこたえに、グレイは「あはは」と笑った。
「言っとくけど、わたし、トワイが思うほどやわじゃないわよ!あんなぐらいじゃ、傷ついたうちに入らないわ」
「・・・」
「それより、少しまえの何考えているか分からないあなたの方がよっぽど嫌。本当にあと少しで嫌いになりそうだったわよ?」
「そ、そうだったのか・・・悪かった」
トワイが真剣に謝っているにも関わらず、グレイは笑顔の表情を崩そうとはしない。
思わずトワイも笑顔になる。
傷つけたくない、そう思って感情を殺したはずなのに、いつの間にか自分はグレイのことを傷つけていたらしい。そんなこと、思いもしなかった。
(もしかして・・・)
傷つけたくないと思っていたのは、グレイだけではなかったのかもしれない。自分もその中に入っていたのだ。
本当の感情を吐き出しても、それをまっすぐ受け止めてくれるグレイのことを、どうして信じてあげることが出来なかったのだろう。
どうして裏切られるなんて思ってしまったのだろう。
グレイなら大丈夫、そう思えればよかったのに。こんな簡単なことに自分は気付けなかったなんて。
笑いあっている2人を見て、コヨミもやっと安心することができた。
「あの時、コヨミが言ったことも間違ってはなかったってことだな」
トワイの言葉に、コヨミは首をかしげる。
(あたし、何か言ったっけ・・?)
「!・・そうだ」
コヨミは重要なことを思いだした。
いち早く、コカゲを起こすための紅茶を創ってもらわないといけない。
「トワイくん、コカゲちゃんのことを起こす紅茶を・・・」
「──・・そうだったな」
すると、トワイはグレイの方へ目をやる。
「グレイ、コヨミがそう言ってるが」
グレイはそれに、面白がっているような笑みを浮かべる。
「なあに?何て言ってるの?」
「─・・・だから!オレと契約してくれってことだよ」
そう言う、トワイの顏は微かに赤く染まっている。
「もちろんよ!トワイ」
そして、グレイはトワイの鼻先に抱きついた。大きな羽をバタつかせ、とても嬉しそうだ。
──あとから知ったが、紅茶屋の契約をきめるというのは、旅を一生共にするパートナーを決めるということらしい。
そして、契約相手と一緒につくる紅茶の味をより極め、よりよいものにしていくのだそうだ。
トワイが掌を目の高さに持ってくると、その中に木の葉が一枚現れた。
するとグレイが、トワイの手の中に立ちその葉を胸に抱える。
コヨミは何をするのだろうとその様子をじっと観察した。
すると、グレイのオレンジ色の瞳から涙が一滴こぼれおちた。その涙は、グレイの頬を伝い、葉の上にしたたりおちる。そして、葉の中にゆっくりと染み込み、消えて行った。
それとほぼ同時に、葉の色はゆっくりと変化していく。下の方から色づきはじめ、見る見るうちに葉はまるで紅葉しているようなオレンジ色になった。
「きれいに色づいたな。さすがグレイだ」
トワイはそう呟くと、その葉をコヨミに手渡す。
「この葉を細かくちぎって、いつもと同じように紅茶を淹れてくれ。心をこめて、な」
「うん、ありがとう!トワイくん、グレイさん」
この紅茶は、一体どんな香りがしてどんな味がするのだろう。
・・・考えただけで、わくわくした。
その時、首にかかっている懐中時計からでてきたピリオドが、コヨミの肩に乗る。
「よかったな!コヨミ!」
コヨミはそれに大きく頷く。
「!・・」
(そうだっ・・・砂時計)
コヨミは重大なことを思いだし、バッグの中の砂時計を取り出す。
「あ・・・」
丁度、最後の砂が下に落ちるところだった。
砂が下に落ちた瞬間、コヨミの足元が大きくふらついた。
「ギリギリセーフだったな!元の時間にもどるぞ!!」
「・・・うん」
トワイやグレイともう少し話をしていたかったが、どうやらそれは無理らしい。
仕方ないことだとは思いつつも、残念で仕方なかった。
そして、世界は、あっと言う間にぼやけていき、何も見えなくなってしまった。
少しだけ時間はさかのぼり・・・
セツナは、コカゲのいるアイカギ屋に向かっていた。
手にはトワイにつくらせた、ツタの虚無感、という紅茶が入った紙袋を持っている。
(コヨミの相手は、あの紅茶屋にしてもらっているから、邪魔されることなんてないわねぇ)
アイカギ屋に到着すると、セツナは窓から中の様子を窺がう。
店のカウンターにはコカゲはいない。おそらく、異世界に遊びにでも行っているのだろう。
好都合な展開だ。
あらかじめ用意しておいたメモ用紙を、セツナは取り出した。
その用紙には
・・・・・・・・・・・
コカゲちゃんへ
よかったら飲んでね(^^)
コヨミより
・・・・・・・・・・・
とかかれてある。
ティーポットに作り置きしておき、その用紙をその近くに添えておけば、コカゲは喜んで飲んでくれるだろう。
セツナはアイカギ屋のドアを開け、中へ歩みを進める。
「!・・・」
(この声・・コヨミかしら)
奥の部屋からコヨミの話声が聞こえてくることにセツナは気付いた。
(あの子は今・・異世界にいるはずよね?)
不審に思いつつも、セツナはドアをそっと開け、その部屋の中の様子を窺がった。
確かにそこに、コヨミがいる。
「・・・お前の場合、これぐらいしないといそがねーだろ?」
「うん、ありがとう、ピリオドくん!」
一人でいると思ったが、どうやら時計の精霊のピリオドも一緒のようだ。
そしてコヨミは、眠っているらしいコカゲのことをソファに寝かせると、懐中時計のフタをひらき・・・その姿をかき消してしまった。
「!」
(私が会ったのは、未来からきたコヨミだったのねー)
セツナはその事実に関心しつつ、部屋に足を踏み入れた。
けれど、そんなことは大した問題ではない。
大事なのは、この紅茶をコカゲに飲ませることができるかどうか、だ。
「・・・ふふ」
セツナは久しぶりに見る、コカゲの寝顔を見下ろし微笑んだ。
こんなにおおきくなってしまったが、どうやら寝顔をいうのはあの頃のまま何も変わらないようだ。
セツナはテーブルに置いたままになっているティーポットを手に取ると、適当に洗いそして、ツタの虚無感、の茶葉で紅茶を淹れた。
綺麗なすみれ色をしたその紅茶を、セツナはコカゲの眠っている方のテーブルへ運ぶ。
(・・・眠っているし、丁度いいわね)
セツナはそう思い、ティーポットからティーカップへ紅茶を注いでいく。
静かに波打つ、すみれ色の水面。
コカゲの頭を掌で支えるように持つと、セツナはティーカップをコカゲの口もとに近付ける。
──その時、部屋のドアが勢いよく開いた。
「母さん!やめて!!」
コヨミはそう叫ぶのと同時に、懐中時計の針に指を置く。
一瞬空気が揺れたかと思うと、周囲の音が消え失せる。
そして、全てのものが停止した。
セツナは、驚いたような表情でコヨミの方を向いたまま、固まり、その手に持つ紅茶の水面も凍りついたように固まっている。
「ったく、この母親は!一体何の紅茶を娘に飲ませよーとしてたんだ?危ないったらありゃーしねー!」
ピリオドは、ふわりと飛んでいくと、セツナが手に持つティーカップをそこから抜き取る。
「うん・・よかった、間に合って・・」
やはり、トワイと一緒にいたセツナはよくないことを企んでいたらしい。
どんな種類の紅茶かは分からないが、きっとそれをコカゲが飲んでいたら大変なことになっていたはずだ、そう思った。
コヨミは、ティーポットのフタを開け、中を覗き込んだ。
中にはたっぷりとした量の紅茶が入っている。
「コヨミ!そろそろ時間が動き出すぞ!」
「!」
コヨミはこの紅茶をどう処分するか、考えを巡らせる。
カチ・・コチ・・カチコチカチ
もう時間が動き出してしまう。
コヨミはとっさにティーポットを逆さまにした。
それと同時に、時間が動き出す。
「!!」
逆さまにしたティーポットから、早大に紅茶がとびたし、それは周囲の床を水浸しにした。
(ちょっと勿体なかったかな・・)
「あつっ・・・一体何なのよ!?」
叫び声に振り返ると、髪から水滴をしたたり落としているセツナがいた。その頭上には、空になったティーカップを逆さまに持ったピリオドの姿。
「ざまーみやがれ!」
ピリオドはケラケラと笑いながら、セツナの目の前にフワリと降りる。
「っ──・・・」
「お前な、こんなことばっかりしてねーで、たまにはこいつらに母親らしいことやってやったらどうだ?」
セツナはそんなピリオドのことを睨むと、彼のことを掌で振り払おうする・・が、ピリオドはそれを軽く避けコヨミの肩の上に足をついた。
「母さん、もうこういうことは・・・」
コヨミが必死にそう言っている間に、セツナはこちらに背を向け「またくるわね、コヨミ」と呟いた。
「二度とくるなーっ!」
ピリオドはそう叫び、一方セツナはトビラを現しその中に足を踏み入れる。
そして、その姿は完全に消えうせた。
+
次の日・・・
「・・・ってことがあったんだよー」
「そうなんだ、にしても本当に災難だったね、コヨミ」
「ううん、大丈夫!けっこう楽しかったしね?」
「はは・・なら、いいけど」
コヨミはコカゲとそんな会話をしながら、ショッピングモールへ続く道を歩いていた。
昨日、トワイから預かった紅茶を淹れて眠っているコカゲの口へ注いだら、コカゲはすぐに目を開けてくれた。だから、こうして再びトワイの店へ向かうことができる。
「あ・・」
店に到着したと思ったが、そこには何もなかった。ただ、そこの真っ白な壁に「閉店」の文字がかかれた張り紙がしてあるだけだ。
(そうか・・トワイくんはグレイさんと旅にでたんだよね、きっと)
「あれ、昨日まではあったのに。残念だね」
コヨミはコカゲの言葉に、小さく頭を左右にふる。
今すぐに会えないのは、少し寂しいが、きっとこれでよかったのかもしれない。
だって、次会えたときが、もっと嬉しくなる。
──その時は、きっと、より美味しい紅茶を飲むことができるだろう。
end