すれ違う視線
「おっ、あそこにいるのB組のピンクじゃないか?」
四月も半ばになったころ、昼休みにたまたま噂のヒロインを目撃することになった。
何だかんだで遭遇しなかったので拍子抜けだったが、こうして校内で完全なる傍観者として彼女の姿をみると、ヒロイン云々である前に彼女が一人の女子高生、桃宮さんであると気づかされちくりとした罪悪感が湧く。
三階の廊下の窓からは中庭を見下ろすことができる。
夏になれば青々とした緑が茂るであろう自然にあふれる中庭は今、数本の桜が咲き花壇にはチューリップやスズランが咲いている。その中にある一つのベンチで彼女は友人と昼食をとっているようだった。
「あれ!本当だね、光にあたるとなおさら髪がきれいで羨ましい……。隣にいるのは広瀬ちゃんみたい」
「ヒロセチャン……て、隣のか、」
「黒海、指を指さないでください。気づかれないでしょうが、失礼ですよ」
桃宮の隣の栗色の髪をした少女をひょいと指差す黒海の手を叩く。はいはい、と適当な返事を聞き流し僕も栗色に目を向ける。
「んで、ヒロセチャンってのは日和の知り合いか?」
「うん!B組で私と同じ写真部の子で広瀬杏ちゃんっていうの。明るくてしっかりした子だよー」
そう言って締まりなくにへらっと笑う彼女を見ているとこちらまでなんとなくうれしくなるから不思議だ。その栗色の広瀬さんのことが本当に好きだというのが伝わってくる。
「ピンクのって名前なんて言ったっけ?」
「桃宮天音さんですよ。登場はなかなかでしたが、すでに人気者の一画です」
「さすが……人気者の一画がいうと、説得力が、違うな……」
くつくつとからかうように笑う黒海の黒い髪をワシャワシャとかき回して黙らせた。どうにも彼は最近まして一言多い。そしてふと思い出す。
「……日和、桃宮さんって何部に入ってるか知ってます?」
「ん?ええと、桃宮さんはたしかどこにも入ってない、帰宅部だったと思うよ。たまに生徒会の仕事も手伝ってるみたいだし。先生の手伝いとかもしてるから忙しいんじゃないかな?」
「なるほど……、」
「あの黄色いプライドの塊のとこかに入り浸ってんのか……、」
また蓮様の眉間にしわがよるが、僕の頭はそれどころではなかった。
ゲームに関するすべての知識を僕は持っているわけではない。あくまでも僕の友人が僕に話した内容までしか僕は知らないのだ。
そして黒海八雲に関する、というより隠れ攻略キャラクターである『黒』のルートに入るためには、四月の初めにヒロインは陸上部に入る、もしくは陸上部のマネージャーになる必要がある。だが日和によると彼女は陸上部には入っていないようだし、ゲーム通り、中学時代と同じように陸上部に所属している黒海があまり彼女のことについて知らないところを見ると、彼女に黒海を攻略するつもりはないらしい。
ひとまず僕の大切な友人の一人の安全が確保されたことに安堵の息をそっとついておく。
しかし一抹の不安がまた首をもたげる。
隠れルートに行くとその他のキャラクターを攻略することは不可能という設定がある。陸上部に入ってしまえば、生徒会に構っている暇もなく、他クラスの生徒や教師に構っている暇はなくなるからだ。
つまり隠れルートに行かないとなると、メインキャラクターを狙いに来ている可能性が非常に高い。もちろん、その中に白樺蓮が含まれる。
一人の友人の危機は回避された。だが大切な主が巻き込まれる確率は上がったという事実にげんなりとする。しかしまあ兎にも角にも、僕は蓮様のそばを離れないようにすること、それから女の子たちから彼女の動向をうかがうことしかしばらくの間できないだろう。
「……さぞ、忙しいのでしょうね」
「ま、そうだろうな。生徒会と絡んでる上に教師の手伝いもしてるとなると、次の会長とかになったりするんじゃねえの?」
「あははは、そうだろうね!誰かと違って天音ちゃんは何かと気が付く優しい子だし優秀、先生からも気に入られてる天使みたいな子だからね!一年生のうちに生徒会に入ってもおかしくないし、誰かと違って人気者だし。まあどこかの白い髪のウサギちゃんが嫉妬するのも仕方がないよね!」
「……出やがったなこのド畜生が!」
窓から中庭を覗いていた状態から一気に背後の人物へと罵倒とともに回し蹴りを仕掛ける蓮様。が、相手も慣れたもので当初は悉く喰らっていた蹴りを後ろに退いて避けた。ささっと退避して傍観を決め込む黒海もまた見慣れたものだった。
「ぷぷー!外してやんの、格好悪いなあ白兎!日和ちゃんこの前ケーキ屋に一緒に行けなくて残念だったよ、いつだったら空いてるかな?それに涼ちゃん!久しぶりだね。高校の制服もよく似合ってるよ!相変わらず凛としてて格好いいけど、小柄だからやっぱり腕の中に閉じ込めたくなるね!」
「お久しぶりです、青柳君。君は本当に相変わらずのようですね」
「まさか!涼ちゃんと会えなくて僕がどれだけ元気がなかったか……うおっ危なっ!!」
「っち、大人しく当たれよこのヘタレ狗が……」
蓮様の振り上げた足が青柳の耳元を掠め、よろけて尻餅をつく。最後まで避けきれないあたりが青柳だし、みっともなく尻餅を突くのも彼らしい。喧嘩が弱い割に、避けるという一点においては皮肉にも蓮様のおかげで特化され、他を凌駕している気がする。尻餅をついた青柳から手早く上靴を奪いそれを黒海に投げ渡す。……普段の行い抜きにしてここだけ場面を切り取るといじめにしか見えない。止めるべきかと思ったがさして問題はないだろうと思い直し放置することにする。
「ところで青柳君はあの桃宮さんと隣の席だって言ってたけど、あの子ってどんな子?」
「ああ日和ちゃん!僕のこと仁って名前で呼んでくれればいいのに!」
「で?」
「見た目に違わず性格も良いよ!声もすごく可愛いし、勉強もできるし。そこは流石外部生としか言えないけど、優しくて料理も上手!お弁当は毎日手作りだってさ。それに完璧じゃないところも可愛い!たまに忘れ物してるし、この前の体力測定でわかったけどスポーツは全般苦手みたいだね。それがまた庇護欲を誘うというか!?」
しかもなんかいい匂いする!と続けた青柳を黒海が「変態か……」の一言でばっさりと切り捨てた。
「いや!本当にいい匂いするんだって!お前も嗅いでみれば分かる!」
「……お前は俺を、変質者にでも、したいのか。お前が、勝手に嗅ぐのは、どうでもいいが……人を巻き込むな。雌犬のフェロモンに、誘われる発情期の、狗でも、あるまいし……、」
「黒海、言い過ぎです」
「涼ちゃん……!」
「その言い回しでは桃宮さんに失礼です」
「やっぱりそっちだった!想像はついたけど!でもそこが痺れる憧れる!」
だんだん収集が付かなくなりつつある廊下の一画。しかも青柳に桃宮の為人を聞いた肝心の日和は耳で聞くばかりで視線はずっと中庭で昼食をとる二人の少女に注がれている。
混沌とした空間は、黒海が持っていた青柳の上靴を中庭に落としたことで終わりを告げた。落としたのが黒海ということで、事故なのか故意なのかは判別できない。ただまあ彼は面白半分でやりかねない。
青柳は上靴の回収のため裸足で中庭へ泣く泣く向かうとき、なんでもないように僕に言った。
「そういえばだけど、天音ちゃんって翡翠とも知り合いみたいだよ。クラス違うけどどっかであったみたい」
「え……、」
「それじゃまたね!今度どっか遊びに行こうね!」
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「天音ちゃん、どうかした?」
「ううん、ただ……あそこの廊下騒がしいなって思って」
広瀬が振り向くと三階の窓から生徒が何人かいるのが見えた。するとそのうちの一人と目があい、軽く手を振る。
「杏ちゃん知り合いなの?」
「うん!あのこっち向いてる小さい子は私と同じ写真部の子よ。それで、後ろにいるのはたぶんD組の白樺君と黒海くん、赤霧くんね。あの四人はだいたいいつも一緒にいるわ。でも普段はそんなに騒がしくないのに……あ、青柳君がいるからか」
「赤霧くん……?ってあの不良っぽい人?」
「あれ、知り合いなの?そっちは赤霧翡翠君、でこっちは赤霧涼君。二人は双子よ。あんまり似てないって聞くけど」
私は兄の方はまだ見たことないわ、という広瀬の言葉を聞きながらも、桃宮の視線は窓に向けられたままだった。




