幕開け
この世界が『Ricordi di sei colori』だと気が付いてから、もう十年以上が経った。まだ始まらないと思っていた期間はもう終わりを告げ、僕らは皆、高校生となる。攻略キャラクターも一般生徒もイレギュラーも一緒くたにされ、平等にスタートが切られる。「待った」なんて誰も何も聞いてはくれない。誰のどのような意思にも構わず無情にも時は動き出す。
『Ricordi di sei colori』は『ヒロイン』のための世界だ。だが『この世界』はどうだろう。キャラクターはもはやキャラクターなどではない。一人一人が思考を持ち、意思を持つ。果たして『この世界』は『ヒロイン』の独壇場となることがあるだろうか。もちろん、『ヒロイン』は誰と恋愛してくれても一向に構わない。赤でも青でも黄でも緑でも、白でも。彼女が誠実に思いを傾けるというなら僕はそれを歓迎する。だがもしも、もしも彼女が僕の主人や友人を傷つけるようなことがあれば、僕は持てる知識、力、情報のすべてを以て彼女の邪魔をしよう。彼女が僕の大切な者たちを傷つける可能性は常識的に考えれば決して高くはない。だが、それはゼロではないのだ。この世界がゲームである限りは。現実的に考えれば、逆ハーレムエンドやオールバッドエンドを目指す人間など普通はいない。だが彼女が『プレイヤー』であったとしたなら話は別だ。あり得ない話ではない。
『プレイヤー』から見ればこの世界は『ゲーム』であり、『プレイヤー』の御誂え向きの舞台なのだから。
********
中学校のものよりも大きい体育館で行われる入学式。広い体育館を埋めるように、真新しくサイズの大きい慣れない制服に身を包む新入生がパイプ椅子に座っている。ほとんどがエスカレータ式に上がってきた生徒のため、皆落ち着き払い式は粛々と恙なく進んでいく。編入してきた生徒、いわゆる外部生も嬉々とした表情だが毅然とした態度を崩すことはない。まさに私立のエリート校らしい式。
その中で僕は一人、その時を待っていた。マイクを通して拡散される理事長の祝いの言葉。つらつらと並べられる言葉たちにノイズを入れるように体育館の後方の扉の外から小さな物音が耳に入った。一瞬だけ、息を詰める。全神経を扉の向こう側に集中させた。ややあって、ガシャンという金属音とともに重い扉が荒々しく開けられた。
「おっ、遅れてごめんなさい!!」
同時に鈴を転がすような声が体育館内にやたらとクリアに響き渡る。
その声は『この世界』の開演の合図。
さあ、一年後に笑うのは誰か。
厳粛な空気は一瞬にして瓦解し、皆が後方の扉の前で息を見出しオロオロとする桃宮天音に目を奪われていた。ざわつく空間の中で、壇上のわきに控えていた生徒会副会長、山岡鉄司が戸惑う彼女の元へ駆け寄り、目立たない端へと誘導する。おそらく場が収まるまで待機させておき、あとで名前を確認し本来のクラスの席へと促すのだろう。相変わらず有能、対処が早い、と感嘆の息を吐くが、ほかの生徒は違う意味で息を吐いていた。
観察するような目を桃宮天音に目を向ける。
彼女が身じろぐたびに軽やかに揺れるセミロングの髪。くりくりとした二重の瞳。恥ずかしさからかほんのりと色づく柔らかそうな頬。既定の長さより心なしか短いスカートから延びるカモシカのような足。まさに美少女。まさに主人公。どんな女の子もほしがるパーツのすべてを集めて作られた非の打ちどころのないような少女。誰だって思わずため息をつきたくなるだろう。
これでしかも性格まで完璧だ。誰にでも優しく親切で、いつだって笑顔を振りまく。成績も上位、先生からの覚えも良い優等生。少し天然だが明るく元気で人並みにおしゃれが好きで友達も多い。
「……気持ち悪いな」
ここまでいくと気持ち悪いというレベルだ。こんな聖人君子、存在してたまるか。
「涼……?体調悪いのか?」
「っ、いえ、大丈夫ですよ」
思わず零れた悪態を蓮様に聞かれ慌てて取り繕う。……だめだ、あんな良い子に対してこんなことを思うなんて、と自分の性格の悪さ、穿った考えにうんざりとする。だがあれだけ見た目が良く、性格も素晴らしいという前知識があると、粗探ししたくなるのが人の常ではないだろうか。外面が良すぎると腹の底を疑いたくなる、と思ったところで、それが自分だということに気が付いて思わずうなだれた。
顔を上げると、視界の端で主人公の証であるピンクブラウンの髪がちらついた。瞳の色も揃いである。
「……カラフルな入学式ですよね」
「そうだな。……遅れて入ってきたやつもピンク色だし。あとそこに立ってる教師、」
顎で指された先を見ると、教員席に派手な紫色が立っていた。明るい紫色の髪は肩につくかつかないかくらいの長さで双眸もまた紫。あの教員も黒海と同じく隠れキャラクターもしくはサブの攻略キャラクターだったはずだ。……ただ紫のキャラクターについては名前も覚えていない。確か友人からの話に何度か出てきたことはあったが、生徒と教師という犯罪臭のするカップリングのインパクトが大きすぎて名前が印象に残っていないのだ。ざっと改めて周りの頭を見渡す。ざわざわとした混沌の空間の中でも、派手な頭は目立つ。赤、白、黄、緑、青、紫、そして桃色。メインの色は出揃った。
そしてたった今第一のヒロインのイベントが終わった。
入学式の日、ヒロインは理由は忘れたが遅刻をする。そして体育館の入り口を見つけて慌てて飛び込み全生徒が彼女のことを知ることとなる
確かに、いい意味でも悪い意味でも、生徒の印象に残ることができる。ひとまず新入生の有名人としてた学年にも知られる。こうして全キャラクターを含んだ全生徒に知られることにより、スムーズに『出会い』イベントをこなすことができるのだ。ただ、実際にそんな派手な登場ができるとは、
「……肝が据わっていることで」
「ん?ああ、ピンクか。遅刻してきたうえにわざわざ目立つような入り方だからな。おまけに叫びながら……」
クツクツと喉で笑う蓮様を見て何とも言えない気分になった。これが元でうっかり攻略されてしまわないだろうか……と不安になる。少なくとも彼女が選択肢を間違えない限り、みんな彼女を嫌う理由がないのだ。そこまで考えていやいやいや、と考えを消す。別に蓮様が彼女に好意を持ってもさして問題はないはずだ。逆ハーレムとかをヒロインが目指さない限りは。むしろあまり人に対して好意を持たない蓮様が誰かを好きになるのは悪いことではないはず……?心の中で終わりの見えない問答に頭を抱える。
「蓮様はああいう、可愛くて女の子らしい女の子が好みですか……?」
「は、あ、えはああああ?!い、いきなり何言い出すんだよ!?だいたい一目見ただけでそんなのわかるわけないだろっ!」
「そうですか?でも随分可愛いでしょう?」
何となしに零れた質問にひどくうろたえながら答える。耳が真っ赤……、否定しているけど照れ隠しの可能性も……。
「……お、俺はああいう、その、いかにも女子っぽいような奴よりも……その、涼の方がずっと好きだ……」
耳どころか顔や首まで真っ赤にしてぼそぼそとしどろもどろに言った蓮様に抱き付きたくなる。ヒロインとか一瞬にしてどうでもよくなった。この子かわいすぎる。相変わらずかわいすぎる。天使だ……!ヒロインの何倍も蓮様の方が可愛い……!
「蓮様はずっとそのままでいてくださいね……!」
ふわふわとした頭を撫でながら思わずにやけかける口元を隠した。この年くらいになるといい加減頭を撫でられるのは嫌がるかと思ったが、抵抗されないのでそれをいいことにわしゃわしゃと撫で続けた。
「僕も蓮様のことが大好きですよ」
「っ!!あ、う、ありがとう……、」
思い出したように付け加えると、気持ちよさそうに伏せられていた目がぱっと僕の方に向き、またすぐに逸らして蚊の鳴くような声で礼をいう。だが表情は嬉しそうでありながらも微妙な顔をしていたので、何がいけなかったのか、徐々に静かになりつつある体育館で独り言ちた。




