宵の懸念
リーンリーン……
風格ある庭から秋の虫の声が響く。コトリ、と縁側に徳利を置く。
「それで、急に飲みたいなんて言い出された理由はなんですか?嘉人様。」
「ふっ、今は二人だ、敬語を使う必要はないぞ、光。」
月明かりの下一組の主従が酒を飲み交わす。
「ああ、それじゃ遠慮なく。……んで?まあある程度予想はつくけど。」
「……お前の子、涼のことだ。」
光はやっぱり、という顔をして酒を流し込んだ。
「あの娘は本当にお前の子か?」
「今は誰もいないからお前のこと殴っても良いよね?」
「冗談だ、だが本当に似ていない。顔は多少似ているが、お前の子供にしては落ち着きがありすぎるだろう。」
「ははっそれはこっちのセリフでもあるさ。蓮くんだってそうだよ。あの年で悟り開いてそうな態度、子供らしくない。」
二人は数日前に会ったばかりの互いの子を頭に浮かべていた。
二人とも三歳児には見えず、浮き世離れしていると感じた。
「涼に比べて翡翠は昔のお前にそっくりだ。落ち着きがなくて底抜けに明るい。」
「それならお前と蓮くんだってそうだよ。昔のお前もあんなにじゃないがすかしたガキだった。」
空になった嘉人の猪口に光が酒を注ぐ。
「お前から蓮くんの様子は聞いていたが、あんなに悲観的だとは思わなかったよ。……あの子の身体はそんなに悪いのかい?」
「悪い、というか弱いんだ、極端に。」
「というと?」
「特に病気を患ってる訳じゃないんだが、少し風に当たれば高熱を出して寝込む。せいぜい離れの中を歩くだけでも過呼吸になる…。正直何時まで生きられるか…。」
「まあ、七歳まで生きられればひとまず安心、てところだな。」
七歳までは子は神の子。昔は多くの子供が夭折していた。それを人は神が子を取り上げたと考えていた。だから七歳までは神のもの。つまり七歳を超えれば、身体が丈夫になり死ぬことが減るとされていた。
現代日本にはあまり馴染みがない。だが白樺の家系では違う。七歳まで、それが大きく別れるのだ。元来、身体の弱い一族である。故に白樺はどの時代でも『七歳までは神の子』と考えている。
「今あの子は三歳…後四年だ。」
「すぐに死ぬ、というあの子の考えは悲観視しすぎだと思うが絶対に大丈夫とはまだ言えないな。」
「……『大丈夫』、俺がそう言えないから蓮は生きられないと思ってしまうのだろうな。」
嘉人は濃い陰を顔に落とした。
「……。下手に希望持たせるよりマシじゃないか?」
「俺もそう思っていた。だが涼が言った言葉にあの子は過剰に反応した、それこそ年相応にな。…あんな蓮はいままで一度も見たことがない。」
そういって酷く遠い目をした。
「今まで生きることに興味が無いのだと思っていたが、蓮は希望を持つことを拒んだ……。あいつは確かに生きたいと思っていたのに俺は気づかなかった…。」
「隠そうとしてたんだろ?気づかなくても仕方ねぇって。」
ワザとらしく明るい声で返し、それ以上言うな、と言うようにまた酒を注いだ。
猪口の中を見つめ、くいっと飲み干す。だが彼は話すことを止めなかった。
「三歳の息子に騙されるなんて、白樺の当主が聞いてあきれる。…お前の子はすぐに気づいたというのに。」
次に苦い顔をするのは光の番だった。
「俺には涼の考えていることが分からん。そもそもあいつが演技を見抜いた上でああ言ったとは限らない。単に励ましてやろうっていう意味だったかもしれないし。」
「いや、涼はきっと見抜いていた。見抜かぬままあのような無責任な言葉を言う程、お前の子は愚かではない。」
「……もし見抜いた上だったとしたら余計質が悪い。あまりにも残酷だろ、蓮くんにも、お前にも。」
顔は庭に向け酒を呑みつつも横目で嘉人を伺う。
「ああ……だが涼が言ってくれなければ俺は気づけなかっただろう。あの子の言葉は、もしかしたら蓮だけじゃなく俺に対する言葉だったのかもな。」
脳裏に映るのは落ち着き払い淡々と蓮に語りかける赤髪の少女。嘉人にはただ息子に同情をかける少女には見えなかった。
「……考え過ぎだ。子供のいうこと、深い意味なんてないさ。それよりも俺の問題はどうやって涼に御側付を諦めさせるか、だ。」
話を変えるように膝を打つ。一瞬虫の声が止むが、再びどこからともなく鳴りだした。
「そんなに涼を御側付にしたくないのか?」
微妙な表情を浮かべ光を見やる。
「当然だ!!可愛い可愛い娘にそんな危険な事をさせる訳にはいかないだろ!?」
こんなことは赤霧に珍しい。赤霧は代々『やりたい事はやらせる』というスタンスなので基本的に子の意志も尊重する。無論何かあったときの始末は自身につけさせるのだが。
「だとしたら翡翠の方は良いのか?」
からかうように光に言うと光はうなだれていた。
「どうかしたか?」
「いや、さ、全く同じ事を涼にも言われてな…そういう意味じゃ無いんだよ。」
「はははっ、相変わらず面白い子だな。」
「あいつは頭が回りすぎて口じゃあもう適わない……。今、涼の修行を極端にきつくして、弱音を吐くのを待っているんだが……。」
「例えばなんだ?」
「走り込みは問題なさそうだから減らして、剣道で使う木刀を3キロから始めて少しずつ重くしていって、一日に剣道、柔道、空手を入れたり…最近だと千里が家事を手伝わせてるのと……」
指折り数え挙げていく光に吹き出す。
「ふはっそんなにやらせてるのか。涼も大変だな。」
「だが全く弱音を吐かないんだな、これが。持久戦になりそうだ…。つか涼の白魚のような手がボロボロになっていくのに耐えられない……!」
頭を抱え悶える光に若干引く。
「……俺は涼に御側付になってもらいたいんだがな。」
「はあっ!?娘はやらん!」
くわっと目を剥く友人にクツクツと笑う。
「まあそう言うな。」
「お前としては大事な蓮くんを男に任せた方が安心だろ!?」
「ふっ、だから涼は男になったんだろ?」
ぐうっ、と返答につまる。
「その辺の男よりもずっと潔く男らしいんじゃないか?」
「……もっと千里に似てくれれば良かったのに、そうすればまだ女の子に見えたのに……。」
「自分の強すぎる遺伝子を恨むんだな。……というか十分男に見えるってことか。一度見てみたいものだな。」
「ああもう涼は完全にイケメンくんだよっ俺に似て!!」
微妙に残念なイケメンの友人に哀れみの視線を送った。
「ところで涼の負担を増やしていると言ったが、」
「え、ああ。出来る限りバレないようにな。」
「バレてるだろうな。翡翠の方はどうしてるんだ?」
「ん?翡翠は全部並みの事をやらせてる。あいつは半分涼に引きずられるように御側付に目指してるから今はあまり覚悟はない。うっかり止められたらそれこそ困る。」
それがどうかしたか?と首を傾げる友人に笑う。
「ははっそうか。……今のお前のそれはいずれ大きな違いになり、自分で自分の首を絞めることになるぞ。」
「…それはどういう、」
嘉人は何も言わずただ酒を仰いだ。
いつの間にか雲は晴れ、月が顔を出し煌々と二人を照らしていた。
光が嘉人の言うことを理解するのは約二年後のこと。
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