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胡蝶の夢  作者: 秋澤 えで
中学生
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図書室

一級フラグ建築士に押し付けられた山積みの本を腕に深いため息をつく。


何なんだあの人。フラグを建てるだけ建てといて他人に回収させようとするとか迷惑極まりない。藤本教諭はフラグに興味無いだろうが僕だって興味ないし全力で回避したい。まあ尤も、僕の願いも虚しく大量の本を抱えて行きたくもない図書室に向かってしまっているわけなのだが。


毎度毎度藤本教諭に使われているがあの人の『お願い』のレベルはどう考えてもおかしい。いつかは大量のプリントワーク類の運搬。いつかは他の先生への書類の提出、またいつかは生徒の召喚……。


声を大にして言いたい。


自分でやれ。


実際に言ってみたのだが、見事に笑い飛ばされた上にさらに仕事を押し付けられた。

……あの人の攻略方法が分からない。


以前シカトしてみたのだが、むしろ普段より楽しそうに絡んできてこれでもかというほど構われた。何をされても僕をからかうのが楽しいらしい。解せぬ。




心の中で悪態をついていると否が応でもエンカウントスポットに到着してしまった。


ああ本来なら喜ばしい筈の図書室から何らかのオーラが出ている気がする。気がするだけだが。



重く分厚い硝子の扉を引き中に一歩踏み入れると、どこか懐かしさを感じさせる紙とインクの匂いが鼻を掠めた。先程まで感じていた憂鬱さは吹き飛び浮き足立つ。


元来本好きであり、以前は本を読み漁り本気で菅原孝標女に共感していた私にとってやはりここは歓喜す場所なのだと妙な気に駆られた。



しかしその中でふと不思議な匂いが鼻についた。いや、それが本当に鼻についたかはわからなかった。微かにスッとするような、柑橘類ともハーブとも言い難い匂い。快い訳でも不快な訳でもない。余り好きにはなれそうもないのだが私の中のどこかで、それが慣れ親しんだような又は当然であるような心地がした。


ほんの一瞬でその匂いは古い紙の匂いに飲まれ掻き消されていき、今では何事もなかったように埃臭さを含んだ暖かい空間に戻っていた。



「…………?」



辺りを見回すも、その不思議な匂いはもう感じられない。

後ろ髪引かれつつ、僕はパシリを遂行すべく書架の間に身を滑らせた。





ヒョイとカウンターを覗いてみたが司書の先生は不在のようで、仕方なく勝手ながらコンピューターを弄らせてもらい返却の手続きを済ませた。しかしその途中でひくりと頬がひきつった。


この図書館では基本的に貸し出し返却の手続きのみ司書教諭に行ってもらい、その本をもとの場所に自分で返す、という規則がある。図書室は広い上に蔵書の数も凄まじい。確かにもとの位置に本を戻すのは司書教諭や図書委員の生徒がやるよりも借りた張本人が返した方が効率的だ。


だがしかし、それは借りた人間と返却に来た人間が同じであることが大前提だ。


藤本教諭から受け取った図書は国語辞典、古語辞典、超訳古典、純文学……この辺りならまだ授業で使ったのかと溜飲も下がるのだが、それに平然と小説や雑誌の類いが混じっているので青筋をたてざるを得ない。腹立たしいことに十冊を超える図書たちのジャンルがバラバラなためもとの位置に戻すのはそれなりの時間がかかると思われ、さっきとは違う意味で肩を落とした。こんなことなら蓮様たちも巻き込めば良かったと、お側付きにあるまじきことを口の中で呟き嘆息した。


しかしいつまでも心の中で愚痴っても仕様がない。この本たちをもとの場所に返さない限りは帰れないのだ。……知らん顔して帰っても別に良いが、流石にそれは良心が痛むので苦言を持て余しつつも、背表紙に貼られた番号通りに本をもとの位置に戻した。


約数分で辞書類や古典の類いを戻し終え、それらを抱えていた腕にも余裕ができてきた。残るは何故わざわざ生徒の僕が、先生が私事で借りた本を返しに来なければならないのかと、全く釈然としない思いを燻らせる小説や雑誌だけだ。


雑誌の本棚へ行きしゃがみ込んでバックナンバーを確認しながら置いていく。


その時僕のすぐ側を通り過ぎる足が見えた。グレーのズボンはまだサイズが合わないらしく裾が若干余っていたため、おそらく僕らと同じ学年だろう。特に気にすることもなく手元に残っていた雑誌を片づけていく。



「んん……、」



残った小説を抱え立ち上がり伸びをすると腰がばきばきと音をたてた。……年かな、精神年齢的にはもうなかなかだと思うけど。


さて、さっさと片付けて教室に戻ろうとしたところでふと視線を感じた。さっき身体鳴らしたのを聞かれたせいだと思うと顔が少し熱くなりそそくさと小説の置いてある本棚へと向かおうとしてそちらへ目を向けると、非常に運悪く視線の主と目が合ってしまった。



 「「あ……、」」



長い緑の髪の間から、真ん丸にされた目がこちらを見つめていた。


ああ、ここは彼の……。



「あ、あのっ!!」


「や、人違いです、失礼します」


「え、いや違っ、ま、待って涼くんっ!」



何か話し出そうとしていた緑橋の声をぶった切って一礼だけし脱兎のごとく出入り口へ向かう。


覚えてた。超覚えてた。名前までガッツリ覚えてるとかどんな記憶能力してるんだあの子っ!こんなことなら藤本教諭なんて放っておいておくべきだった。いや、むしろ情報収集のためとはいえ教室から出るんじゃなかった。小説をまだ返していない?知ったことか。



「まっ、待ってって涼く、うわっ!!」



短い悲鳴のあと本が床に落ちる音、ずざぁっと転ぶ音、そして慌てて立ち上がる音、それついでガラスらしきものが壊れる嫌な音がした。


背後の凄惨な光景を予想し、さすがに足を止めた。振り向きたくないしぜひとも放っておきたいところだが、その一因が自分だと思うとこのままにしておくのは気が引け、仕方なく振り向くと想像以上の光景。



「あ、あれ……僕の眼鏡は……!?」



緑橋を中心にぶちまけられた十冊を超えるハードカバー、その後ろに転がる緑橋のモノらしき上履き、そして座り込みぺたぺたと床に手を這わせていた。



「……大丈夫ですか?」

「え、あ、うん!?涼君!?」



おろおろとしつつ眼鏡と僕を探す緑橋が居たたまれなくなり、散らばった本を拾い集め彼の目の前に積み上げた。彼のトレードマークの一つである眼鏡を探すと、彼の足もとに悲惨な状態で落ちていた。



「あー……えと、すいません緑橋くん。眼鏡は、壊れてしまったようで……、」

「え……迷惑かけてゴメンね、涼君」



肩を落とし申し訳なさそうに図書館案内板に謝る緑橋に憐みの視線を送る。どんだけ視力低いんだこの子。



「あの、立てますか?」

「うん、なんとか……」



ふらふらと危なげに立ち上がる。だが立ち上がるとともに僕が積み上げた本の山を倒し、慌てて拾い上げた。



「ご、ごめん、本当にごめん!」

「はあ……そんなに謝らないでください。いきなり走り出した僕が悪いんですから」



拾うはしから取りこぼしていく本を緑橋から取り上げると、情けない声を上げるのでまたため息が出た。



「ご、ごめんなさい……」

「だから謝らないでください、罪悪感がとてつもないので。……ところで、眼鏡なしで午後の授業に出られますか?」



僅か一メートルもない距離にいる僕の存在すら認識できるか危ういのだ。この分ならもういっそ今日は保健室にいるか寮に帰った方が賢明だろう。返事を聞く前から保健室の場所を頭の中で確認する。



「だ、大丈夫。教室に戻ればスペアの眼鏡があるんだ」



中学に上がってから眼鏡壊すのも六回目なんだけどね、と自嘲気味に言う彼にもはやため息すら出ない。



「……わかりました。じゃあ教室まで行きましょうか」

「え……?でも涼君も図書館に用があったんじゃ…?」

「……いえ、先生からのお使いですし、問題ありませんよ」


「問題あるでしょ!?」

「藤本教諭なので問題ありません」



返却作業は済んでいるしどうせ藤本教諭の私事なのだ、構わない。カウンターに残っていた小説類を放置し、緑橋の手を引いた。



「え?え?え……?」

「……どうしたんですか?行きますよ」



片手で緑橋の持っていた本を抱え、片手で彼の手を握り図書館の出口へと足を進める。半歩後ろから未だおろおろしながらもどうしようもなくなって半ば引きずられるようについてきた。視界の隅で緑色の髪が揺れる。僕よりも低い位置にある頭になんとなく口元が緩んだ。


蓮様とは違う感じ。弟がいたらきっとこんな感じなのだろう。




しかしふと思う。

僕、何してんだろう……?

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