決心
先日から、と言ってももっと前なようだが、蓮様が東雲道場に通うことになった。まあだからといって今までと何かが変わるわけではない。蓮様が行く時間帯は午後。一方僕の行く時間帯は午前、少なくとも冬休み中は被らない。
別に被らないように必死で画策することはないのだが、何となく一緒に、というより鍛練中は彼に見られたくないのだ。こだわり、というほどのものじゃないが僕は人の見ていないところで努力をしたい派です、はい。いや、まあね?一生懸命努力するのは素敵だとは思うよ?思うけども、僕としてはさらっとスマートに出来てるように見せたいのだ、何事も。朝人が起きる前に走り込みをするし、勉強も万が一にも失敗がないように予習復習実はガッツリやってるし。……でも、何となく必死感は出したくないんだな。正直蓮様相手だと既に意味がない気がするが、僅かに残ったプライドの問題だ。
まあそんないつも通りのある日の夜、父様より呼び出しがかかった。翡翠も同じく。大方何のためかは想像がつく。お側付きのことだろう。本来ならば年末に行われるはずであった勝負だが、僕が負傷し入院してしまっていたため延期という形になったのだ。今までその話が出てこなかったが、ついに今日話すらしい。
前回、と言っても七年前だが、あの時の勝負では僕は最初から勝利を確信して挑み、そして勝った。だが今回はどうだろう。早めにトレーニングを再開したとはいえ怪我をし動けなかった分のブランクがある。そして翡翠も、もう浅慮な子供ではないのだ。もし、今やりあえば僕は以前のような確信を持つことができない。負ける気はない、だが絶対に勝てるなどと豪語できるほどの力の差は僕たちの間にない。
父様の私室の襖に立ち、居住まいを正してから声をかけた。
「父様、涼です」
「ああ、入ってきてくれ」
「――失礼します」
返事を聞き、襖を音をたてないよう開ける。既に翡翠は来ていて、父様と向かい合うように座っていた。その横に置かれた座布団に、翡翠に倣い正座をし父様を見る。
「二人とも揃ったな。……想像はついていると思うが今日話しておきたいのは。お側付きのことだ」
やはり、と身体に緊張が走る。チラリと隣の翡翠を見たが意外にも平然としながら父様を見据えていた。ピンと張り詰めた空気の中、言葉を続ける。
「本来なら去年の12月にする予定だったが涼のこともあってこの事は一先ず延期ということになった」
「その節は申し訳ございませんでした」
「いや、それは良い。お前は間違ったことをした訳じゃない。……それでこの勝負、来週の日曜に行うことになった。場所は東雲道場、立会人は橘豪。尚白樺の方も見届けに来る。今回も同じように三本勝負だ」
以前と全く同じ条件。僕は絶対にこの勝負を負けられない。負けてはならない。
「全力を注げ。これはお前たちの一生を左右する試合だ。手を抜くことは許されない。持てる全ての力を持って、自分の覚悟と意思を見せろ。……いいな」
「「はい」」
いつになく真剣な表情の父様に神妙な返事を返した。いつかのように、翡翠に手加減をするつもりはないし、そして手加減できる余裕もきっとない。
話が終わり部屋の外に出ると、廊下は部屋よりも寒く、板敷きを通してヒヤリとした冷たさが足を伝う。一刻も早く冷気から逃げるため足早に部屋に戻ろうとした。
「涼、少し良いか」
歩きだした僕の腕を一緒に部屋を出た翡翠が掴む。少し痛いくらいの力が込められた手をそのままに、翡翠に向き直った。先程よりも緊張した面持ちの兄が真っ直ぐに赤い目で僕を射貫いた。
「……ええ、大丈夫です。どうかしましたか?」
「いや……ここじゃ話しにくいから場所を変えるぞ」
先程から伺うようで答えなど全くといっていいほど聞いていない。最初から抵抗する気があるわけではないが、ずんずんとどこかへ歩いていく翡翠の背中を追った。
庭に面した廊下で翡翠が足を止める。誰の部屋よりも遠く、側にある部屋はこの時間使用されることのない応接間。着物の袂から冷えきった風が入り込み身を震わせた。月の明るい夜で目の前の彼の表情ははっきりと見える。代わりに庭の影は色を濃くしていた。
「……」
「……」
ついてきたは良いものの、翡翠は一向に話しだそうとしない。否、話しだそうとはしているが迷うような躊躇するような様だ。いつもならいくらでも待っても良いのだが、ここは長居するには向かない。一際強く風が吹いたときふとくしゃみをした。
「っくしゅん……!」
「わ、悪い、大丈夫か?」
鼻の頭を指で擦り息をつく。おっさん臭いとかいう苦情は聞かない。
「いえ、大丈夫です。しかし、ここは長居するには向きません」
「すぐ済む話だ……」
「ではお願いします。……ここには僕ら以外誰もいません。遠慮する必要はありませんよ」
「……、」
わざわざ誰もいない場所を選び話すようなことだ。決してすぐ始末のつく話ではないだろう。強気で出たものの心のなかでは戦々恐々としている。
一体何なのだろう。状況的には勝負の前の宣戦布告、といったところのようだが、どうもそうではないらしい。だが彼のようすは僕の知るものではない。普段の挙動不審な躊躇いや空っぽの罵倒、焦りからの赤面。それらのどれでもない。翡翠のことで知っていることなどほんの僅かだという自覚はあるのでとても彼を語ることなどできない。だが彼がいつもと違う、それだけは確かに分かった。
再び躊躇いを見せるが覚悟を決めたように手を離し僕をじっと見つめた。父様の話を聞いていたときよりも真剣で身体は強張っているように見える。ゆっくりと、確かめるように口を開く。
「俺は……、今回の勝負を降りるつもりだ」
今回も短くてすいません(TT)
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まだまだですが、どうぞこれからもお付きあいお願い致します!




