酔いどれ
年末年始の忙しさの落ち着いたとある夜、料亭の個室で二人の男が差し向かい酒を酌み交わす。机の上には既に空けられた徳利が置かれている。
「で、最近涼の体調はどうだ?」
「ん、ああ、問題ないみたいだ。退院したその日からもうランニングを始めてるくらい……もう少し休んで欲しかったんだがなあ」
止めようとする光相手にいかに自分の筋力が落ちたか、いかに自分の不甲斐なさを思いしったかを力説していた涼を思いだし、ため息をつく。しかもその勢いに押されて許可してしまったのだ。
「心身共にタフだな。そういうところはお前にもよく似てる。……ただ少し予想外だったな」
「……何がだ?」
嘉人の言っていることを理解しつつも敢えて彼の言葉を待つ。そうすると嘉人は僅かに言いづらそうに言葉を重ねる。
「……いくらお側付きになったからといって、あれほどの怪我をあの年でするなんて思ってもなかっただろう。トラウマになってもおかしくない。少なくともお側付きを辞めてしまうものだと思っていた」
だが嘉人の予想に反して、涼は今もお側付きを続けることを望んでいる。
「一応、危険があるとは伝えてた。その上であの子はお側付きになりたいって言ったんだ。まさかあんなに危険だとは思わなかっただとか泣き言吐くような甲斐性なしじゃねぇさ」
軽くそう返し猪口を煽る光に少し眉を潜めた。
「だとしてもだ。大人数に囲まれて脅され、挙げ句拐われそうになってボロボロにされる経験なんて一生あっても普通遭遇しない」
その言葉に今度は光が眉を寄せることになる。
「……お前、前までは涼にお側付きになってもらいたいって抜かしてたじゃねぇか。だが今の話し方聞いてると涼に辞めて欲しそうに聞こえるぞ?」
「今更だがな、翡翠なら良いという訳ではないが女の子よりも男の子がなった方が良かったんじゃないかとな。そういう光はどうなんだ。お前は散々なって欲しくないと駄々をこねていただろう」
「駄々ってお前……、」
強ち間違ってはいないけれど、と苦笑いをしながら言葉を探す。
「そりゃ、な。出来れば安全な所にいてほしいってのが親心ってもんだろ。……お側付きに必要な覚悟は本人だけじゃねえ、家族や周りもだ。失う覚悟が否が応でも求められる。今まで俺達にそんな覚悟はなかったし、涼にもないと思ってた」
感慨深げにゆっくりと話す光をじっと見つめる嘉人だが、光にそれを気づいた様子はなく半ば自分に言い聞かせるように紡ぎ続ける。
「でもあいつの覚悟は俺達が気づいてなかっただけでずいぶん前からあったみたいでね。……男装してるのは単に俺達への反発みたいなもんだと思ってたが、どうやら違ったらしい」
蓮からその時の状況を聞いたとき、背筋が凍ると同時に全てが腑に落ちた。自分達は、娘の考えなんてこれっぽっちも理解していなかったのだと。
「……最初から身代わりになるためだった、と?」
「ああ、多分な。なんか一気に自分のことしか考えていなかったのが恥ずかしくなったね。涼は俺なんかよりずっと大人だった」
感心したように言うと共にどこか寂しげな様子に嘉人は小さく息をつく。並々に注がれた猪口をクイッと流し込んだ。
「……お前も大人になったな、やっと」
「30後半の男にいう言葉じゃねぇだろ、それ。ま、後はあの自己犠牲精神さえ無くしてくれれば一人前だな。もう一ついうなら手加減って所だ」
思っていたことを言ってスッキリしたのか、光は空気を振り払うようにからりと笑い、空になっていた猪口に酒を注いだ。そして光の言葉に嘉人は苦笑いをこぼす。
「言えてるな。涼が怪我したのは肩、足、腕が酷くて他の部分は軽傷。特に肩と足が酷かったか。で、相手取った男の方は、一人は鼻を骨折して頭蓋骨にヒビ。しかもぶつけたコンクリートの壁も欠けてた。もう一人は大したことなかったな、前歯と顎が壊れただけだ」
「な、頭蓋骨ににヒビってどう考えてもやり過ぎ。死んでないだけましだけど。その上この前やり過ぎだって伝えたらあれでもかなり手加減してたらしい。……正直なところ、娘の戦闘能力が怖すぎる。どこで覚えてきたんだ。豪か?豪の奴が教えたのか?」
項垂れながら豪への呪詛をぶつぶつと唱え始める光に嘉人が吹き出す。
「っはは、橘のやつじゃないだろう。あいつは温厚だ、そんな喧嘩術みたいなものは教えないだろう。大方本やテレビじゃないのか?」
「涼のメディアを規制したい……」
「にしても、自己犠牲の方はなんとかなるのか?」
その言葉によりいっそう項垂れる。
「どうにも出来ないだろうな、言い聞かせて治るようなもんじゃねえし……。あんなんで大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないだろうな、涼も蓮も。お互い依存しすぎてるように見える。特に涼。蓮のためなら何でもする。万が一、なんて考えたくはないが、蓮に何かあったら間違いなく潰れてしまう」
昔に比べれば、二人とも心身共に成長している。だがそれもお互いがあってのこと。いくら成長したとしても、根本はきっと幼少のときと変わらない。不安定な物に強固なハリボテをつけ、さもそれが世界の全てだとでもいうようにしがみつく。
「精神的なものは強制できるものじゃない。そこは待つしかないんじゃないのか?」
「そう、そうだけど、さ……。いっそ蓮君が涼が必要ないくらい強くなれば問題ないんじゃ……?」
「はは、考えることは同じなんだな」
冗談半分で言ったつもりであった言葉にそう返されキョトンとする。
「え、誰とだ?涼がいらないくらいって最早無双だろ」
「ふ、確かにそうだな。……蓮だよ、強くなりたいんだってさ。せめて涼の足を引っ張らないくらいにはって。今回のことには思うことがあったみたいでな。色々頑張ってるみたいだ」
「へえ、色々、ねえ?」
どこか愉快そうに笑う嘉人に怪訝な顔をするがそれ以上はつこっまない。色々、というのは含みがありそうだが。
「そういえば、涼が入院してる間に翡翠が見舞いに行ったらしいな?」
「そうなんだよっっ!!」
「うるさい、近い、離れろ」
大人しく酒を飲んでいた光が突如として声を荒らげ身を乗り出すので反射的に光の顔を片手で押しやる。
予想はしていたもののそれを越える食いつき具合に嘉人が引くのも仕方がないことだろう。
「あ、悪い。それでだっ!あんなにお互いに避けてたのに涼が入院することを知って翡翠がすごいソワソワしてんだよ。そしたら三日連続で見舞いに行ってたらしい!心配してないとか口で言いつつもめちゃめちゃ心配してたみたいでさ。退院したら退院したで、お互いちょいちょい話しかけようとしてるんだよ。でもお互いものすごい間が悪いから結果的に全然話してないんだよな。ドアを閉めようとする瞬間とか走り出そうとする直前とか。そのすれ違いすら可愛い!話しかけても緊張してるみたいでぎこちなかったり噛み合ってなかったりとか、とにかく可愛い!」
スイッチが入りマシンガンのように話続ける光に嘉人は面倒臭そうな顔を隠しもしない。
「長い、親バカか。結局双子を自慢したいだけだろ」
「そうだ!というかこの感動を誰かと分かち合いたい!」
開き直る光にため息をついた後、グッと見据える。締められた空気に昂っていた光も自然と背筋を伸ばした。
「聞け、光」
「……何だ?」
一変した空気に戸惑いながらも、重々しく開かれるであろう嘉人の口に集中した。
「……蓮から話しかけてくるようになった」
「そろそろ帰るか」
「待て待て待てっ!」
何事かと思えばそんなことかと光はしれっと立ち上がり個室を出ようとするが、そうは問屋が卸さない。
「さっきお前だって散々語ってったろ!?俺聞いてやっただろ!?聞け、俺の話を聞け!!」
「紛らわしいんだよお前!なんで息子の自慢話?するのにそんな物々しい雰囲気醸し出すんだよ!浅井のことか何かかと思ったわ!」
服の端を掴み無理矢理席につかせた。まだ何も言っていないにも関わらず、光は既に辟易とした表情を浮かべている。
「浅井のことは始末終わったからもう良いんだよ。それより聞け光!蓮が話したいことがあるって言ってわざわざ、俺の、部屋まで、来た!」
「お前の喜びの沸点が低い!」
「で、辿々しくだけど今まで思ってたってことを伝えてきてさ、何か俺達の間で凄まじいってレベルの、勘違いに勘違いを重ねて勘違いで挟んで焼いてるくらいの認識のミスがあったらしい!いや、もうこれからは全力を尽くして構い倒して甘やかそうと思う!」
「何の宣言だ」
呆れながら酒を啜る光がふと思い出したように言う。
「ていうかこれからはって、来年から蓮くんは寮暮らしだろ、俺のとこの双子もだけど」
「あっ……!?」
今更気づいたような反応にやはりと独りごちる。せっかく和解したというのに三ヶ月も待たず家を出ていく。親として寂しい気持ちはわかる。だが、息子の進学先を本気で考え直そうかとぶつぶつ呟いているこいつは相当酔っているのだろう。これが長年仕えてきた主人の素だとは思いたくない。
残念な嘉人の姿を振り払うように、猪口に入っていた酒を飲み干した。
物寂しげに倒れていた空の徳利を光は何を考えるでもなく拾い上げ、他の徳利の側に置いた。




