厄日
雪の少ない道まで出るが、やはり全くないというわけではなくうっすらと雪が道を覆っていた。
「そういえばだけどさ」
「はい」
「あの……もうすぐアレなんだってな」
「アレ……?」
歯切れ悪い言葉のアレなるものの正体を考えるも思い浮かばず、逡巡していると喘ぐように言った。
「……お側付を、決める日」
「ああ、あれですか」
苦しそうな顔に合点がいく。お側付きを決めるのは五歳の時の一回だけではない。普通は一回決めたらもうずっと変わることがないのだが、お側付になりえる者が複数人いるならばそれも変わってくるらしい。最初は僕をお側付にしたくない両親の言い訳かとも思ったが調べてみてそれが事実であることが分かった。
基本的には勝負で決めるのだが、もし、片方がお側付になることを断れば必然的に片方がその任に就くことになる。おそらく蓮様が僕に先ほどのように謝罪したのもこのことがあってのことだろう。自惚れているわけではないが、僕が離れていくことを危惧する主人に愛おしさがこみ上げる。
「何も変わりませんよ、今と」
決して僕が負けることはない、とだけ伝えておく。
正直言うと翡翠がお側付になりたいと思っているのか、僕には分からないのだ。ただ、勝負を降りることは決してないことは豪さんから聞いた彼の様子で分かった。でも僕にはもはや彼が勝負する理由がお側付になることから僕に勝つことにすり替わっているような気がしてならない。自意識過剰なのかもしれないと言ってしまえばそれで終わりなのではあるが、彼に蓮様を任せるなど不安しか残らない。
僕は決して負けるわけにはいかないのだ。たとえシナリオを歪めるとしても。
「何も心配することなんてありませんから」
軽く笑い、蓮様を見る。きっと彼は心配なんてしてない、って顔を赤くしながら言うんだろうな、と予期していたがそれは大きく覆された。
「負けるなよ、絶対」
真剣な顔で正面から僕を見据えるその眼に息を詰まらせた。しかしゆるりと強張りかけた顔を解く。
「勝ちますよ、絶対」
さっきとは変わり、僕ははっきりと彼に宣言した。
端から負ける気など微塵もなかったけどいよいよ負けられない、と笑う。
すると今更になって恥ずかしくなったのか顔を少しだけ赤に染めたのを横目で見てクツクツと喉で笑った。
人通りの少ない道を一台のバンが通り過ぎた。
白い雪を少しだけ夕日が赤く染めるが、空を覆い始めた灰色の雲せいでそれは中途半端であった。
なんとなく嫌な感じがしたのは、きっと占いの所為だけではないのだと思う。
ポケットの中で、爪がカツリとそれにぶつかった。
「あ……雪降り始めたな」
「本当ですね……早く帰りましょうか。火鉢用の炭ってまだありましたっけ……?」
露出した頬や手首に雪が触れ、ジワリと溶けた。やっぱり今日は運が悪い。
道を曲がるとさっきよりも閑散とし、右手にはブロック塀が威圧的に肩を並べていた。左手には雪が積もった椿の生垣が並ぶ。生垣は手入れがされていないらしく、上にも横にも伸び放題だった。その先では椿が途切れ、放置されたらしい廃材がいくつか居場所なさげに落ちている。
なぜかやたら目に付く周りの様子。何故であろうか。細く長い道の半ばほどで、僕らの横をバンが通り過ぎた。
先ほどと同じバンが。
スッと後ろに目をやればそちらには黒い軽自動車。軽にもバンにもシールドが貼られ、くすんだ窓からは中の様子はうかがい知れない。なお両方ともナンバープレートにもカバーがかけられている。
まだ確定したわけではない。それでも万が一のことも考え、隣を歩く蓮様の腕をグイッと引き耳に口を寄せた。
「涼、どうした?」
「良いですか、今から何が起きても騒がないでください」
声を低め、早口に伝えたいことだけを言いながらも顔だけは前を向けておき、前方で停車したバンを見つめ、小さく舌打ちをした。
「っ……何かあるのか?」
「まだわかりません。ただ最悪の場合を想定して、です」
後ろからは自動車のドアを開閉する音と雪の上を歩く複数……三つの足音。足音からして成人男性であろう。バンから人が出てこないことに一縷の望みをかけて歩き続ける。
「今から言うことを守ってください。お願いします」
「……ああ」
「絶対に僕の名前を呼ばないこと、貴方が名乗らないこと。決して慌てないこと、怒らないこと。何があっても応戦しようと思わず逃げること。僕の言うことに合わせて話すこと。……お願いします」
歩みを止めないため前方のバンとみるみる距離が埋まっていく。あと十メートルほどのところでバンのナンバープレートが透けて見え、小さな声で読み上げる。
「――今僕が言ったナンバーは覚えておけるならで結構です。とにかく名前を呼ばない、応戦しない、話を合わせること。徹底してください」
「……ああ、わかった」
おそらく今になって蓮様は状況がまずいことに気付いた。表情がこわばる。
願いもむなしく、前方のバンの扉は無情にも開けられ、四人の男が降りてきた。
冷たい嫌な汗が背中を伝う。
ああ、やはり今日は厄日だ。




