最下位
サクサクと深めの雪の上をスニーカーで歩く。
初雪の日以来、毎週のごとく雪が降り雪かきに駆り出されている。それは初雪から一月経った今日も同じだった。歩く部分によっては足首のあたりまでスッポリと雪に覆われてしまい、寒さのせいで足先はしもやけになってしまった。
行く先の生垣では、真っ赤な椿がうっすらと所々白をかぶっていた。昔は椿と山茶花の見分けがつかなかったな、なんてぼうっと帰り道を歩きながら、隣にいる蓮様を見る。
「……何してるんですか?」
隣を見るといるはずの主人はおらず、数歩後ろへ目を向けると片足雪の中に突っ込んだ蓮様がいた。
「っ側溝に嵌まった!雪が上から積もってて気づかなかったんだよ!」
身動きが取れず不器用にもがく彼の隣に行き様子を眺める。足元を見ると蓮様の言う通り、そこは溝になっている。基本的に側溝には蓋がされているはずなのだが、運悪く丁度その蓋のないところに足を入れてしまったらしい。
そういえば今日の朝の星占いで蓮様のおうし座は確か最下位だった。もっとも僕のおとめ座も十一位だったけど。思ったよりもあの星座占いというものは当たるのかもしれない。
「涼っ!助けて!」
「すいません。どうにも寒くて眠くて何もする気になれません……」
「涼っ!」
寒いせいか、失態を晒したせいか顔を真っ赤にして僕を呼ぶ蓮様をしばらく見た後、どうにも本当に足が抜けないようだったので側にしゃがみこみ側溝の雪を手で掻き出すことにした。保温性に優れた僕の手袋は雪に触れることを想定して作られたものではないので仕方なく素手で雪の中に手を突っ込んだ。
「ううー抜けない……」
「抜けなかったらどうしましょうね?」
「えっ縁起でもないこというな!」
「……そういえば以前台風の日に溝に足が嵌まって抜けられなくなりそのまま、なんて事故を新聞で読んだような気がします」
うろ覚えな記事をうろ覚えで蓮様に語ると目に見えて焦りだした。そのまま、なんて意味深に言ってみたが、結局どうなったか僕が単に覚えていないだけだ。
「ええー……」
何も泣き出すということは流石にないが赤かった顔を真っ青に染め、縋るような目で僕を見る蓮様に気付き少しやりすぎたかな、と反省しさっきよりもスピードを上げて雪を掻き出した。
「や、やっと抜けた……」
「大事にならなくて良かったです」
ひとかけらも大事になる心配などしていなかったが一応言っておく。引き抜かれた蓮様の足はびしょびしょでとっとと着替えた方がいいな、と目を細めた。
「少し道を変えて、ちゃんと雪かきされた道を歩きましょうか」
「んん、おう」
別に雪かきされていない道だけではない。ただ今日は委員会があったせいで帰り道は僕ら二人だけとなったためもっとも家まで距離が短い道を選んだのだ。こんなことになるんだったら最初から雪が少ない道を選べばよかったと嘆息する。やはり今日は厄日なのだろう。
さっきとは道を変えるべく、サクサクと歩みを進める。
「あ、待て涼」
「どうかしましたか……?」
突然声を上げ僕の手を取る蓮様に首をかしげる。不思議そうな顔をする僕に蓮様がキュッと眉を寄せる。
「手ぇ真っ赤じゃん……」
「え?……ああ、さっき素手で雪を触ってたので」
冷たいでしょう、離してください。と言葉をつづけるとさっきよりも強く手を握られる。じんわりと蓮様の高めの体温が冷え切った僕の手のひらへ伝わってくる。軽く俯いているが、身長に差がある今では彼の顔を覗くことは容易であった。
「蓮様……?」
「ごめん……」
さっきよりの眉が寄せられ、くしゃりの表情が歪められる。その顔を崩したくて手を伸ばそうとしたが僕の両手は少しだけ大きい蓮様の手の中にあり、それは叶わなかった。
「俺、涼に迷惑かけてばっかだから。さっきも……」
また両手に力が加えられる。今では僕の手の温度は蓮様のそれと変わらないほどになっていた。
この、彼の助けてもらえて当然、と思わない相応な思いがどうにも僕は好きだ。いつだって僕が勝手にやってることなのに。
僕がしたくてしてることがほとんどなのに、それを彼は申し訳なく思っているのだろう。逆に僕が申し訳なくった。
「良いんですよ、これくらい。貴方が気に病むことではありませんから。それに僕は貴方の手助けをしたいんです」
貴方がいなくては、少しだけ眠っていた本心を乗せて呟いた。熱を共有する指を絡めて握り返す。
「だって僕は―――……、」
そこまで言ってハッと我に返る。
だって僕は……なんなんだ?僕は今何を言おうとしたのだろう。ジクリ、と頭が痛んだ。
「涼……?」
零れ落ちた言葉に悄然とする僕に蓮様が声をかける。
「……いえ、今僕はなんと言おうとしたのか分からなくなってしまって……」
正直に言ってしまうと蓮様は不思議そうな顔をしたのちに、心配そうな顔をした。
「若年性アルツハイマー……?」
「張っ倒しますよ?」
そういうと笑顔でヘラりと笑い握っていた僕の手を解放し、歩き始めた。
止まっていた時間が動き出すように、切り取られた日常から抜け出すように僕は少し前にある背中を追いかける。
少し手持無沙汰で、もう一度ポケットに突っ込んだ手はまだぬくもりを持っていた。深く差し込んだ指先に温度のない固いものが触れる。
理由もないのに僕はなんとなく、以前瀬川さんから受け取ったそれの存在を確かめた。




