携帯
ひどく濃密な非日常が終わり、あっさりとした日常生活を謳歌している。
疲れた一日ではあったが収穫はあった。家族以外の大人の連絡先を手に入れ、黄色の攻略キャラクターと接触し、仲睦まじく翡翠と居眠りをし……あれ、振り返ってみると本当に濃密だな。すっごい濃い一日。
いろいろと一日に凝縮しすぎだろ。そして何より、蓮様の神楽様への苦手意識の消失。これが一番の収穫だ。恨みと羨望のこもったまなざしは純粋な敵意と警戒に変わった。……良いことだよね、一応。ただ僕の神楽様への苦手意識は半端じゃない。まあかかわりがないから良い、とか思ってたけどそうでもないらしい。
あれから家に帰り、月曜の夜に僕の携帯から瀬川さんに電話を掛け、口頭ではあるがお互いにアドレスを交換した。僕が電話で話をしたのは瀬川さんだ。断じて神楽様ではない。アドレスを教えたのも瀬川さんだけのはず。しかし水曜日に見知らぬアドレスからメールが入っていた。詐欺とかだったら嫌だな、と思いつつも開けてみると、
『アドレスを瀬川さんから聞いたよ。これ俺のアドレスだから登録しておいてね。 白樺神楽』
……情報漏洩のスピードが尋常じゃない。
そしてたぶん瀬川さんに教えてもらったわけではないだろう。盗み見たとか無理やり聞き出したとかそんなところだと思う。少なくとも瀬川さんはまともな神経をしてたからほいほい個人情報を流すことはないだろう。もっとも、ため息をつきながらも律儀に神楽様のアドレスを登録する僕も僕なのだろう。
持ち始めてもう一年にもなるが、未だいまいち使いこなせないスマホに四苦八苦しながら書かれていた番号をアドレス帳に登録する。たぶん張り付けコピーとかもできるのであろうが、分厚い取扱い説明書を読む気にはならなかった。
「涼?珍しいな、お前が携帯弄ってるなんて」
ヒョイと前から来た蓮様に覗き込まれる。噂によるとスマホを使っているときは普段の視野の20分の1になるらしい。扱いなれない僕の視界には、近づいてくる蓮様に気付くことができなかった。
あ、まずいと思った時には蓮様の形の良い眉が寄せられる。視線の先には『白樺神楽』の文字。
「……あいつとメアド交換してたのか?」
「いえ、瀬川さんと交換していたんですが、どうやらリークされてしまったらしく」
「ちょっと携帯貸してくれないか?」
「……先に言いますけど面倒ですから削除しないでくださいね」
「…………」
もしやと思ったがばつの悪そうに目を逸らす蓮様を見て苦笑する。
まあ正直そこまで連絡先が欲しいわけではないのだが、自分の連絡先を相手が知ってるのに自分は知らないというのは少々癪である。それに情報は何であれなくて困ることはあっても、あって困るものではない。
「消さねえから貸してくれ」
「はあ、どうぞ」
まあ見られて困るものはないので素直に了承する。少し手に余るほどの大きさのそれを手渡すと、僕よりも幾分か慣れた手つきで操作していく。確か蓮様と僕のスマホは機種が同じだった気がする。
「何してらっしゃるんですか?」
「ちょっと待ってろ……」
向かい合っているため手の中でどのようなことが行われているかが察することができない。ただ親指の動きを見る限り、なにかを見ているというより打ち込んでいるように思える。一抹の不安がよぎるも、滅多なことにはならないだろうとタカをくくりその様子を眺めていると、気が済んだのか少しだけ口角を上げて僕に返して寄こした。手元を除くと画面には『送信完了』の四文字。
「いやいやいや、完了って……」
慌ててメールの送信ボックスを確認する。十中八九神楽様に送ったのであろうが、内容が不安すぎる。
『土に還れ。』
……予想通り過ぎる。
「何で僕の携帯で送るんですか……。蓮様も携帯持ってるんですからそっちから送ってくださいよ」
「俺はあいつのメアド知らないからな」
文面からして僕からではなく蓮様からだということはわかるだろうが、あの御曹司様に僕名義で喧嘩を売るのは遠慮してくれるとうれしい。凶悪な兄弟喧嘩の火の粉をかぶるのは御免被りたい。以前のような地雷多めの関係でもないので僕はこれ以上介入する必要はないと思っているのに……。
「メール送りたいなら僕の方から神楽様のアドレスを送りましょうか?」
「いらん。あいつの名前を携帯に入れたら携帯が呪われそうだ」
「はあ、だからといって僕の携帯から喧嘩を売るのは……」
ピロリン
手元の携帯が軽快な音を立てて青いランプを点灯させる。メールが来たらしい。
「ピロリンって……。お前着信音とかって全部初期設定のままなのか?」
「えっ?これって変えられるんですか?」
ピロリン
また軽快な音を立てて軽く本体が震える。
ピロリン
また
ピロリン
「……なんか多いですね」
「迷惑メールとかじゃないか?」
受信ボックスを開こうとするとまた
ピロリン
ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン、ピロリン
「え、ちょっ、待っ、」
「怖っ!なんかヤバくないか?」
「え、うああ……ちょ、蓮様開いてみてください!」
「何で俺!?」
うだうだと話している間もピロリン、ともはや軽快でもなんでもなくなってきた着信音が部屋にけたたましく鳴り響く。携帯の画面には消えることなく出続ける『メールを受信しました』の文字。震え続ける携帯。
「まあ開いてみろよ。案外なんでもないかもしれないぞ?」
「他人事だと思って!!」
ピロリン…………
突如として鳴りやむ着信音。二人で恐る恐る手元を覗いてみる。
『メールを47件受信しました。』
「よ、47件……」
「一応確認してみろ。もしかしたら47人からの着信かもしれない」
「僕のアドレス帳に47人も入ってませんよ……」
ホーム画面からメールボックスへ移動し、47の文字をタッチする、と
「……どうやら僕の携帯は呪われてしまったようです」
「ええ!?」
受信ボックスいっぱいに並ぶ名前。
『白樺神楽』
思わず蓮様も黙り込む。数分前とは打って変わって、部屋は静寂に支配される。
「これ、確実にあなた宛てですよね?チェックはお任せします」
「断る。こういうのは開いただけでもダメなんだよ」
「ワンクリック詐欺か何かのような扱いですね……」
なんとなくこの受信を受けてから携帯が物理的に重くなった気がした。ズシッとくる気がする。
このまま開かずに全部消去するのは流石に如何なものかと思うのでとりあえず、一番最初のメールだけでも開いてみる。
『蓮?』
「バレてますよ」
「別にバレて困ることじゃない」
好奇心に駆られ他のメールも開いてみる。
『蓮だよね?』
『涼ちゃんの側に蓮いるよね?』
『メールくれるなんて嬉しいよ』
『もしかして俺のメアドが欲しかった?』
『にしても蓮って罵詈雑言のボキャブラリー少ないね。前にも同じこと言ってたでしょ。』
『そんなんじゃ子守を任されてる涼ちゃんがかわいそうだよね。』
『これだから蓮はいつまでたっても身も心ももやしなんだよ。』
この辺で開くのをやめておくことにする。手が疲れてきたというのもあるが隣の主人が怖いのです。
「蓮様、無言で携帯を投げようとするのはおやめ下さい。それは僕の携帯です」
「大丈夫だ。すぐ終わる」
「どのあたりを見て大丈夫と判断を下せばいいのか僕にはわかりかねます」
庭に大きく振りかぶられそうになっている右手首を手加減しつつ掴む。目がよどんでいる。
神楽様も蓮様も僕の携帯越しで喧嘩をしないでほしい。自分の携帯でやれ。
硬直状態が30秒ほど続いたのち、蓮様の右手の中で携帯が能天気な電子音を響かせる。
ピロリロリン、ピロリロリン、ピロリロリン、ピロリロリン……
「電話ですね」
「電話だな」
「「……」」
ピロリロリン、ピロリロリン
蓮様の右手が下ろされ、画面を見る。
『着信一件 白樺神楽』
どこまでも予想通り。
未だ蓮様の右手の中にある携帯の身を案じる。果たして僕の携帯の画面は割られずに済むのだろうか?
ハラハラしながら見ていると、想定外に蓮様が応答ボタンをタッチした。
「で、出るんですか!?」
『あ、蓮ー?俺だよー……』ブツンッ、
ツー、ツー、ツー……
「出たうえで切るんですね……」
応答して神楽様の声が聞こえてくるが、蓮様はそれを耳に当てることも、何のためらいもなく終了ボタンをタッチした。いっそ清々しい。
しかももうこれ以上着信を受けないために電源を落とした。
真っ暗になったスマホを返される。
「ん」
「んって何で満足げなんですか」
蓮様はもはや携帯に目もくれず、嬉々として鳥の餌やりに向かっていった。
そんな後姿を見送りながら、僕は携帯の電源を入れる。
着信が増えないよう、神楽様にはもう蓮様が側にいないという旨のメールを一件だけ送っておくと、パタリと着信はなくなった。蓮様の携帯に神楽様のアドレスを入れると呪われるというのはあながち間違いでもないのかもしれない。もし入れたら絶対パンクする。
一応、と思いサイレントマナーに設定した。
改めて神楽様から送られてきたメールを一つ一つチェックしていく。
『ねえ、返信ないの?』
『お兄ちゃん泣いちゃうよ?』
『蓮と話したいんだけどー?』
エトセトラエトセトラ……。だが新しいメールになっていくと暴言や挑発するような内容はなくなる。
『蓮ー。』
『蓮、――――。』
47件目にはまた雑言だが、46件目のメールにため息を吐いたがなんとなく気持ちを理解してしまった自分自身にも呆れた。たぶん全部読まれることなんて考えてなくて、消されると思ったから書いたのだろう。読まれるとわかったらあの人はこんなことを書いたりしない。
きっと僕に読まれたことを知ったら屈辱に思うだろうから敢えてそれに触れる返信はしない。しかしそのメールをしっかり保存し、後の46件をすべて削除する僕は悪趣味なのだろう。
電源を落とそうとしたところでまた、青いランプがチカチカと点灯する。
『メールを受信しました。』
送り元を確認すると、
『瀬川竜士』
「――蓮様」
「なんだ?」
「来週の日曜日、外に出る用はありますか?」
「別にないが。どうしたんだ?」
不思議そうに僕を見る蓮様の頭には、秋になり増えてきた小鳥たちが数羽乗っかっていた。
「いえ、少し……」
あいまいに笑い、適当にはぐらかす。
瀬川さんに簡単な返信をし、電源ボタンを少し強めにギュッと押した。




