子供と大人
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ひとまず立食会編終了です。
「まあ涼ちゃんも、気が向いたら俺のとこにおいでよ。蓮といるより楽しませる自信あるからさ」
とりあえず平和的話し合いで場が収まり、また煮ても焼いても食えない笑顔を浮かべ僕を誘う神楽様に渋い顔をする。蓮様の機嫌も超低空飛行で、嫌悪感を隠そうともしない。
「帰れ」
「じゃあ今日は実家の方に帰ろうかな?」
「土に、還れ」
さっきよりもかなり緩んだ雰囲気で言い合い、実際は一方的なのだが、をしているうちに突っ立っている瀬川さんの腕も引っ張り少し離れたところへ行く。
「嬢ちゃんさっきのは災難だったなぁ……。ご愁傷様」
「全くです。ヒヤヒヤしました。……神楽様と四六時中一緒にいないといけない瀬川さんは本当に大変ですね、本当に」
あ、胃薬いります?と勧めてみたがやんわりと断られる。効くのに……。
「いや、そんなことじゃなくて、聞きたいことがあるんです」
「ん?おじさんに答えられることなら答えるよ」
「……足止めで僕のところに来る前に神楽様に持たされたものや、普段と違うものを持ってたりしませんか?」
「神楽サンに……?」
少し悩んで胸ポケットにチラリと目を向けた。インディゴブルーのスーツのポケットにはペンと万年筆が一本ずつ入っていた。
「ああ、この万年筆を持っていくように言われたんだ。俺はあんまり万年筆使わないし、サインペンも持ち歩いてるから断ろうとしたんだが、いつものごとく押し切られたんだよ」
「……失礼します」
ひょい、と胸ポケットから万年筆を拝借する。すると万年筆にふさわしくない重量が手にかかる。明らかに普通の万年筆ではない。
「明らかに重いのですが、妙だとは思いませんでしたか?」
「あの御曹司サマに持てって言われたものに文句つけられると思う?」
「それは失礼いたしました」
異常に重い頭の部分をくるくると回し取り外すと、おおよそ文字を書くのに必要のない小型のマイクが出てきた。指先に収まるサイズのそれに苛立ちが募る。間違いない。瀬川さんとの廊下での会話はおそらくすべて聞かれていたのだろう。僕が返答に窮したところも、しっかりと。
「えっ?お嬢ちゃん、それ何?何が出てきたのそれ」
「……小型のマイクです。十中八九、僕と瀬川さんの会話は筒抜けでしょう」
「うわぁ……、あとでどんな嫌味を言われるか」
軽く頭を抱える瀬川さんを横目に指先に力を籠めるとミシリと音を立てていくつかの破片と化した。
あんなピンポイントで僕にあの質問をするのは妙だった。しかもかなり愉快そうに。あの神楽さんの質問は僕が困るのを予期した上の質問にしか思えなかった。だが、いくら僕らがドア越しにいたとしても内容が分かるほど声を聞き取れるはずがない。僕は蓮様と神楽様の会話を聞き取るために、ドアに背を預けていたがそれは人気のない廊下だからこそできたこと。ホールの中で、しかも神楽様がドアにもたれかかっているなどみっともないことをするはずがない。なおかつ、まさか僕らの会話を聞き取れるほど耳が良いとは思えない。少なくとも僕らは本当に静かに話していたし、件の質問の時はより声は小さかったのだ、内容が分かるわけがない。となるとやはり身内の瀬川さんに盗聴器を仕掛けたという線が濃厚になるのだ。
「気付かなくてゴメンね。聞かれちゃまずい話があった?」
「……いえ、そう危ないことはありませんでした。さっき問題なくなりましたから。それよりも、不味いのは瀬川さんのほうではありませんか?」
「ああ……うん……」
僕の手の中でスクラップとかしたマイクを見て口元をひきつらせていたが、思い出したようにまた肩を落とす。しれっと自分の部下に盗聴器を仕掛けるような人のそばにいないといけない彼が心底哀れに思った。こんなことじゃ気の休まる暇がない。
「まあ俺もだけど、赤霧のお嬢ちゃんもだよ。欲しい宣言されちゃったデショ……。捕まらないように頑張って。……にしてもどうして突然君のことを欲しいなんて言ったんだろうね?初対面デショ?」
「初対面だったのは瀬川さんの時と同じでしょう。……ただ僕はたぶんもう言われることもないと思いますし、強行されることもないと思いますよ」
「わかんないよ?あの悪魔の趣味は人の斜め上へいって裏切ることだからね」
「……それは辛いですね。でもたぶんあの人は本気で僕を欲しがっているわけではないと思いますので」
「へぇ……?」
不思議そうに首をかしげる。マイクを抜かれ無害な筆記用具となった万年筆を胸ポケットに差し込んでおいた。改めて見てみるとやはり大きさからしても普通の万年筆とは違うことが目に付いた。
「あ、そうそう。お嬢ちゃんって携帯もってる?」
「?ええ、持っていますよ。ただ今は持ってません。着てきた和服と一緒に置いてきてしまいましたので」
「ちょっと手の甲出してくれる?」
ちょいちょい、と手招きをされてわけもわからぬまま寄り、手を出すと左手で恭しく持たれ胸ポケットに入っていたペンで僕の手に数字を書き始めた。ペン先のフェルトがひどくむず痒い。
「ちょ、くすぐったいです……。何を書いてるんですか?」
「んー?おじさんの連絡先。なんか困ったことがあったら連絡してくれる?俺にできることなら協力してあげるよ。それか対悪魔のことで気付いたことがあれば教えて?」
ヘラりと笑いながらそう言う瀬川さんはヘタレのはずなのにいやに頼もしく見えた。
まだ乾かないインクが擦れないようにそっと手を解放される。
「わかりました。頼りにしてますね。……どうしてこんなに良くしてくれるんですか?」
神楽様もだが、瀬川さんと僕は初対面だ。最低限の関わりならともかく、わざわざ連絡先を教えるというのはどういうつもりなのだろうか。
「それはまあ、お互い子供のお守りを任されてる立場だし、御曹司サマに虐げられそうなシンパシー感じちゃってるからかな?それにほら、おじさん紳士だからさ。困ってる可愛いお嬢ちゃんを放っておけないの」
そう言って頭をポンポンと撫でられる。今回は防がずに大人しく撫でられておいた。
「少なくとも紳士なら女性の手に直接ペンで連絡先を書いたりしないと思いますよ?」
「ははっ、違いないネー。でもそれが油性じゃないのが優しさだよ」
言い争う二人を後目に和やかに談笑していると、二人の元にいつの間に来たのか嘉人様が合流して何やら話をしていた。それを見て瀬川さんは左手のブロンズの腕時計の針を確認する。
「そろそろお開きの時間だね。大方嘉人さんは二人にアドバイスかなにかをしてるのかな?」
「……アドバイスとかそれ以前の問題で挑発しない、罵倒しないってことを教えてあげて欲しいです。切実に」
「それは全くだね……会うたびにあんなピリピリされちゃあ身がもたないよ」
離れたところで三人を眺めていると、嘉人様は神楽様と蓮様から目を離しこちらに視線を移し来るように指示される。同時に神楽様は瀬川さんを回収すべく、こちらへ歩き出した。
「それでは、今日はお話しできて良かったです。電話番号、登録しておきますね」
「ん、俺も楽しかったよ。まさか小学生に愚痴を聞いてもらうことになるとは思わなかったけどね。お嬢ちゃんはしっかりしてるけど、まだ小学生なんだからもっと俺ら、大人に頼っても良いと思うよ」
大きな手で軽く頭を撫で、神楽様の方へ一歩踏み出すのを合図に僕も蓮様と嘉人様のもとへ向かった。
温かいようなくすぐったい様なその言葉を大切に心に留めて。
あの後僕の手の甲に書いてある電話番号に蓮様が目をつけ質問攻めにあい、父様を除く大人組が微笑ましげに生ぬるい視線を送ってきた。ここに来た当初物珍しげに観察して回っていた翡翠は疲れ切っているようで始終ぐったりとしていた。僕は途中で抜けたためあまり人とかかわっていないが、父様に連れられていた翡翠はそうもいかなかったのだろう。ここのところ鋭い目つきをしていたが今は眠そうに細められている。
頭に着けていた真っ白いウィッグを外し、慣れないワンピースを脱ぐと解放感にため息を吐いた。無論、それらを脱ぐ前に母様には何枚も写真を撮られた。愛想を振りまく必要がなくなり完璧な無表情を張り付けてる僕なんて面白くも何でもないだろうに。もはや僕に作り笑いを浮かべる余力すら残されていなかった。
着てきた着物に着替え、ふと鏡を見る。さっきまでいたアルビノ風の少女はもういない。いつも通りの赤霧涼がいた。やっぱり僕はこっちの方が性に合っている。ふいに神楽様の言った「もしも」の話が頭によぎったが、それは一瞬のことだった。引き締めるように、ギュッと藍色の帯を結んだ。
行きと同じように車の後部座席に翡翠と並び乗り込む。朝は隣の翡翠を意識しまくっていたがもうそんな気力もない。
何を話すでもなくぼけっとしながら窓の外をなんとなしに眺める。ガラス張りのビルが朱色の空を痛いほど反射させている。思った以上に僕は疲れていたらしく、背中を柔らかい座席に預けると瞼が重くなってきた。だが眠るほどでもないので、ぎりぎりで意識をつなぎとめながら流れていく赤い風景を視界に入れていると、ふいに右肩に重みを感じた。
「翡翠……?」
「…………」
呼びかけてみても返事がない。右肩に翡翠の頭が乗せられているため、何を思ってこんな状況にあるのかが分からない。全く。普段の翡翠ならこんなに近づくわけがない。そして意外と重い。
「ふふふ、翡翠くんも疲れてたみたいね。起こさないようにそっとしてあげててくれる?」
助手席から顔をのぞかせ、眠ってしまった翡翠を気遣ってか声を低めて僕に言った。ついっとミラーを見ると父様と目が合い、小さくふっと笑っているのが見えた。
すうすう、と小さな寝息が耳元で聞こえる。少しだけ首を伸ばし翡翠の顔を盗み見る。僕の顔のすぐそばには、敵意も悪意もすべてしまわれた無垢で無害な寝顔があった。最後にこんな無防備な顔を見たのはいったいいつだっただろうか。
すぐ手の届く距離で聞こえる寝息に誘われるように、一度去った睡魔が襲う。さらりとした赤い髪に頬を寄せると僕と同じ匂いがした。起こさないように、そっと身を寄せ重たくなった瞼に逆らうことなく赤い景色を閉ざす。もしかしたら今の僕らは理想的な双子のように見えるのかもしれないな、なんて客観的に心の中で呟いて微かに残っていた意識を手放した。
きっと翡翠は起きたら速攻で僕を突き飛ばすんだろうな。




