暗雲
最近髪の毛が伸びてきて鬱陶しくなってきた。今も後ろで細く一つにまとめているのだが前髪がどうにも邪魔だ。
僕としては前髪を切るくらいなら美容師に切ってもらうまでもないので自分で切ってしまいたいのだが、ただ如何せん僕に髪を切らせたくない母様は僕からヘアカット用の鋏を渡そうとしないためこうして切れずにいる。目にかかるくらいの長さになってきたので本気で切りたいのだが……。
以前図画工作用の鋏で髪を切ったところ毛先が悲惨なことになったのでそれは避けたい。ただやはり母様に頼むのにも不安が残る。なんか可愛らしい前髪にされそう……こう、パッツンとか。いや可愛いけど、可愛いけど僕のイメージにはどう考えてもあわない!
ので、気の置けない関係であるさよさんに頼んで白樺家の縁側で切ってもらっている。たぶん誰に頼むより安心だろう。
「どのくらいまで切りますかー?」
「目にかからないくらいでお願いします」
板敷に新聞紙を敷き、手に持った小ぶりのコームで前髪をとかす。閉じた瞼に毛先があたり少しくすぐったい。
「にしても綺麗な髪ですね。羨ましいです」
「ありがとうございます。でもさよさんの黒い髪だってすごく綺麗じゃないですか」
「んー、そうですか?でも真っ黒だから重く見えちゃうんですよねー。……涼ちゃん別に切らなくてもいいんじゃないですか?このくらいの長さでもかっこいいですよ?」
「でも目に入るのは鬱陶しいですから……。それに武術をするときにはその所為で反応遅れちゃったりしますからね」
正直なところそこが一番大きい。
御側付になった今も欠かさず鍛錬をしている。今は流石に学校もあるので生け花や楽器の稽古はやめたが、剣術や空手は今も続けている。たまに他の道場の生徒とも手合わせをしているが無敗だ。ふはははは。自他ともに認める負けず嫌いなので相手が誰だろうと全力で潰しにかかるというスタンスは今も健在だ。まさかたかが髪の毛のせいで反応が遅れ負けるなんて言語道断。
切りますねー、という声とともに小気味良い音を立てて刃を入れられた。
「そういえば涼ちゃんは東雲道場でしたっけ?」
「はい、そうですよ」
「じゃあ橘豪さんってわかりますよね?」
「はい。長い間お世話になってます」
いつもニコニコしながら指南をしてもらっている豪さん。初めて会ってから変わらず年齢不詳だ。話を聞く限り、豪さんは父様の後輩らしい。少なくとも部下上司の関係ではないのでおそらくそれであっているだろう。たまに二人で話しているのを見るが、豪さんは決して父様には逆らわない、いや逆らえないらしい。……先輩後輩の関係だったとしてもこの力関係はいったい何なのだろうか。
「さよさんは豪さんと知り合いなんですか?」
「あれ?言ってませんでしたっけ?今年中に結婚する予定なんです」
「へぇ、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
瞼を閉じているため表情を見ることはできないが、はにかむように笑うさよさんの顔は想像に難くない。
……え?結婚?さよさんが?豪さんと?
「ええええええぇっ!!ちょ、まっ、えええええっ!?」
ザクッ
「あっ、涼ちゃん!いきなり動かないでくださいよ!ちょっとザックリやっちゃいました!」
「あ、すいません。じゃなくて!そもそも知り合いだったことすら知らなかったんですけど!」
「いえ、てっきり知ってるものだと思ってましたから……」
あまりの衝撃に髪を切ってもらっていることも忘れてがばりと立ち上がるとともに嫌な音を立てて髪が切られた、が、そんなことは今はどうでも良い!!
なんかもう、いろいろとキャパシティーオーバーだ……。さよさんと豪さんが実は知り合いで、しかも今年中に結婚する……?あれ?なんかわかるようで分かんない。そんな二人想像もつかな、……いやつくか。たぶん二人でニコニコしてるんだろうな、そうだろうな。
少々パニックに陥ったが、一周回って逆に冷静になった。
「あー、おめでとうございます。改めて」
顔についた切られた髪を首を振って払い、もう一度座りなおした。
「ありがとうございます。ザックリやっちゃいましたけどなんとかしてみますねー」
「すいません、ありがとうございます」
再び刃の合わさる小さな音が響く。瞼を閉じているためか、いつもよりいろいろな音が聞こえてきた。
「馴れ初め聞いてもいいですか?」
「えー、なんか恥ずかしいですね」
まあなんとなく聞いてみただけなので、無理に言う必要はないと口に出す前に説明してくれた。
「高校が一緒だったんですよ、それでばってなってキュンってなってフワァってなって今に至るんです」
「……そうですか」
もはや突っ込む気力もない。だがある意味想定内だともいえる。というよりこれはわざとなのだろうか?そんなに言いたくないのだろうか?
「はい、終わりです。お疲れ様です、」
「いえ、ありがとうございます」
鏡を出され見てみる、ざっくりやっちゃったと聞いたが別に気になる程じゃない。さよさんに頼んで良かったと一人ごちる。
新聞紙の上に散る赤い髪を片づけ終わり、さよさんと一息ついていると後ろから声を掛けられる。
「涼、ちょっと話したいことがあるんだが良いか?」
「ええ、もちろんです」
我らが当主様の嘉人様がそこには立っていた。
嘉人様の後を歩き、彼の自室へと促され座らされた。こうして改まったように部屋に通されることはあまりないので自然、居住まいを正す。普段蓮様の話をするとき顔は強張っているものの、わざわざ部屋に入って話したことはない。何か大切な話なのかと思い、正座をして背筋を伸ばした。
無言で嘉人様と向かい合う。だが嘉人様は一向に話し出さない。いや、話し出さないというのは少し語弊がある。話し出そうと試みてはいるようだがいまだに目をやたら泳がせていた。
「その、だ……。こうして話をしたいと思っていることはだな……」
言いづらそうに口を動かす。早く言え、と心のなかで呟く、流石に本人に言う無駄な勇気は生憎持ち合わせていない。ので目で訴えてみる、まあ視線を彷徨わせている当主様には伝わらないだろう。
「はい、なんでしょうか?」
そう話を促すと意を決したように正面から視線がかち合った。
「実はだ、来週の日曜日にちょっとした会があるんだ」
「会、ですか。それはどのような?」
「そうだな……夜会、というほど大層なものじゃない。黄師原グループに関わりのある会社や系列が集まって立食会をするといったところだ。一応建前としては親交を深めより良い関係に……。といった主旨だが、正直なところただの腹の探りあいだ。この会で人脈を広げようとする者もいれば弱みを握ろうと躍起になる者もいる。何にせよそれぞれの会社との関わり方を決める大切な会なんだ」
嘉人様の言葉の端々から辟易としているのが感じられる。
黄師原、という名前はいろいろなところで聞いたことがある。精密機器から観光事業、輸出入業まで手広く扱っている大手のグループだ。つい最近も某食品メーカーを買収したというニュースを耳にしたばかりだ。確かにそんな大手グループが主催する立食会に会社や企業が飛び付かない訳がない。ただの立食会に済まず、顔色の伺いあいになるのは当然だろう。
ただなんとなく引っ掛かりを感じた。黄師原グループはよく聞く会社なのだが、何か違和感がある……。だが嘉人様が再び口を開いたため、思考は四散し再び考えることはなかった。
「この立食会なんだが、今回は基本的に家族を連れてくることになってるんだ。親交を深めるのを建前に、次期社長や社員になりそうな人材の様子が見たいっていう話だ。子供を連れてくるって言っても小学生から成人してる子供までだからな。そして無論、赤霧も出席することになっているんだが、涼にはできれば赤霧の者であることを隠して蓮のそばにいてほしい」
「……赤霧として翡翠がいるので問題はありませんが、なぜ僕が名前を隠すのですか?」
赤霧を継ぐのは翡翠なので別に僕がいなくてもなんら支障はないのだが、わざわざ名を隠して蓮様のそばにいる理由が分からない。赤霧であることがばれると不味いことでもあるのだろうか?
「……その会なんだが、神楽も出ることになっているんだ。神楽にお側付がいないのは知っているな?長男にはお側付いなく、次男にはお側付がいることをほかの者が知ればいらぬ勘違いをするだろう」
嘉人様の苦い表情を見て合点がいった。
口にすることはないが十中八九、次期当主は神楽様にするつもりなのであろう。ただ長男ではなく次男にお側付を宛がっていることが分かれば次期当主が次男である蓮様だと勘違いするものもいるのだろう。
「僕はそれで全く構いませんが、蓮様を連れて行く必要はあるのでしょうか?ご長男である神楽様がいれば十分ではないでしょうか」
「いや、悪いが今回は蓮も必要なんだ。私に子供が二人いることはおそらく知られている。だが今まで公の場に次男である蓮は一度も連れてきたことがない。蓮の体調が落ち着くまでは公の場に連れてくるわけには行かなかった」
言い訳のように重ねられた言葉に思わずため息が出そうになる。たぶん蓮様に言う勇気がなかったんだろうな……。流石に蓮様が神楽様のことを苦手に思っていることくらいは知っているだろうし。
「これまではなんとか適当に誤魔化してきたが、いい加減限界だ。蓮が出てこないことに妙な勘繰りをする者や勘違いした挙句ゆすりをかけてこようとする馬、……不届き者まで現れ始めたんだ。今は蓮の体調が良い、これを機にやかましい輩を一掃しようと思ってな」
これが上流階級特有の悩みというものなのだろうか。確かに大手企業ともなると、粗探しというものもあるのだろう。わずかな解れすらつついてくる奴らがいるというのは煩いものだ。
そうは思うものの、そのあたりは僕らではなく大人の領分だ。まあ結局僕の心配事は蓮様にある。今のように学校に行くようになってかなり社交性は改善したといえるが、コミュニケーション能力が高いとはまだまだ言えない。そもそもいまだ家族関係が大変微妙なのに、家族で集まって立食会兼腹の探り合いなど……。しかも今の状態プラス神楽様……あ、なんかもう既に胃が痛い。
黙り込んだ僕を伺うように嘉人様は続けた。
「蓮もこういった公の場というのは初めてだ。慣れないだろうし不安だろう。だがこれ以上誤魔化すこともできない。そこで涼には蓮のフォローを頼みたいんだ」
「僕も公の場は初めてなんですが……?」
「はっはっは、まあお前なら大丈夫だろ。その辺の大人なんかよりずっと肝が据わっている。心配することはないだろう」
笑い飛ばされてしまった。この方は僕をなんだと思っているのだろう。自分でしっかりしていると見られるように過ごしてはいるが全幅の信頼は地味に辛い。肝が据わってるっていっても単に表情筋が仕事しないだけですよ?心の中で大パニックですよ?
「それにフォローといっても、できるだけお前たちに他の者が訪ねる前にこちらである程度捌く。関わらせるのは最低限にするつもりだ。……あの子は、蓮はお前が側にいるだけで安心できるだろう。私たちといるよりかはな」
声低く付け足された言葉にため息が出そうになるのを寸でのところで飲み込む。
いつもそう。この方はいったい僕になんと言ってほしいのだろうか?蓮様の代わりに詰れば良いのか。それともそんなことはないと言えばいいのか。もっとも生憎、そんなことをするほど僕は優しくも偽善的でもない。
貴方たちといて安心できていないってことを理解してるなら、もう少し自分から歩み寄る努力をすれば良いのに。僕といる方が安心できるといったのが決して嫌味ではなく、蓮様を思っての言葉であるからなおどうしようもない。
「……わかりました。ご期待に沿えるよう、勤めさせていただきます」
「そうか、それは良かった」
僕の言葉に相好を崩す嘉人様。割と張りつめていた空気も霧散した。柔らかくなった空気に肩の力も抜ける。
「ところで、その話はすでに蓮様はご存じで?」
「そこなんだよなぁ……」
「まだお伝えになっていないのですか?」
肩を落とし両手を畳につきうなだれる嘉人様。まあそうだろうとは思っていたが……。
「何て言えばいいだろうか……?」
「今僕にいったように言えば良いんじゃないですか?」
「嫌がられたらどうしよう……」
……本当に嘉人様は蓮様に対しての考えはぶれない。いや、キャラはぶれぶれだが。
「……嫌がられたなら、連れて行かなければいいんですよ」
ぼそりとそう呟くとパッと不思議そうに僕を眺めた。
「……どうかなされましたか?」
「あ、いや……。涼はこういうことには蓮にも厳しいかと思っていたから、てっきり何かしら言いくるめて連れて行くものかと……」
思わず目がスッと細くなる。
「言いくるめるとはまた、人聞きが悪いですね。そんなことを僕がしたことがありましたか?」
「さよから話を聞いてるとな……」
……さよさんは普段僕らのことをどういう風に伝えているのだろうか?
「それに、今回のことについて僕は蓮様の意思を尊重させていただきます」
「今回のこと、というのはなぜだ?」
再び変わる空気になんとなく手を握りしめた。
「まだ、早いと思いました。もちろん以前より蓮様はずっと心身ともに成長していらっしゃいます。それでも、」
「涼が心配しているのは、神楽がいることか?」
「っ……」
先回りされた言葉に言葉が詰まる。そしてその所為でなんとなく力んでいた身体から力が抜けてしまった。それでもせめて言っておきたい。何かが変わるわけではなくとも。一度息を小さく吐きグッと嘉人様を見据える。
「ここ数年、蓮様は神楽様にお会いしていませんよね?小さかったころと比べて、神楽様の名前に過剰に反応することもなく、客観的に自身を見ることができています。しかし、久しぶりに会って取り乱さずにいられるかはわかりません。しかもその場が公というのはあまり好ましいとは言い難いです」
そこまで言い切ると、なお嘉人様は釈然としないという顔をした。
「じゃあどうしてさっきは同行すると決めたんだ?お前がそう思い、ここで断ったうえで、蓮にそれを伝えれば蓮はきっと行こうとはしないだろう」
フッ、と息を短く吐き自分の言いたいことが崩れないように頭の中でまとめる。
ちゃんと伝えたいから、
「蓮様が行くと決めたのなら、僕はそれに従います。蓮様が行かないというなら、僕もそれに賛同します。……僕が言う言わないに関わらず、蓮様が決めたことが全てです。自身のことを自身で決めたならきっとそれだけのけじめが付けられているということでしょう。覚悟があるのなら僕はそれを支えます。未だ会う覚悟がないというならその時まで待ちます」
自らの意思がないのなら何の意味も成さない。
そして暗に宣言しておく。赤霧涼は白樺家に従うのではなく、あくまでも白樺蓮に従う、と。
そこまで言うと、嘉人様は笑った。どこまで意味を読み取ったかは分からないが、きっとすべて伝わっているのだろう。その笑顔は呆れているとも、寂しそうにも、嬉しそうにも見えた。
「涼……」
「はい」
「お前が、蓮のお側付で本当によかった」
このことは私が蓮に頑張って伝えておこう、そう言って立ち上がるのに合わせて僕も座布団から腰を上げた。
部屋から出ると、すぐに嘉人様は離れに向かった。その広い背中を見送りながら喉で止まってしたため息をすべて吐き出す。
「はあぁぁぁ……」
もう嫌な予感しかしない。
見上げた空は澄んだ青から重そうな灰色に色を変えていた。
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