兄弟
あの日以来、僕たちの間に神楽様の話題はあがらない。あれは流石に僕もやりすぎた反省している。そして僕は未だにアルバムの中にある神楽様の違和感の理由を分からないでいる。
蓮様の風邪が完治してから数日やっと雲雀様を捕まえられた。
「すいません、雲雀様。少しお時間頂けますか?」
「ええ、良いわ。どうしたの?」
いつかのように、母屋の縁側に通されそこに腰掛ける。
まだ寒さは残っているものの大分春らしくなり、日当たりの良いここの縁側はとても心地良い。
「少々お聞きしたいことがあるのです。蓮様のお兄様、神楽様とはどんな方なのですか?」
「神楽?どうしてまた、会ったことはないわよね?」
「はい、ただ先日、蓮様の部屋の本棚でアルバムを見つけたので、どんな方なのかと思って」
一番の理由である蓮様の神楽様への過剰な反応についてはふせておく。下手に言えば恐らく雲雀様も心配なさるだろうし、今は状況を引っかき回す原因にしかならないだろう。
何より、蓮様も言ってほしい訳ではないだろう。
「ああ、あのアルバムを見たのね。ええっと、そうね…。今中学一年生の13歳、学校の寮から通ってるわ。割と静かで大人しいけど贔屓目無しに頭の良い子よ。赤霧の子では神楽と近い年の子はいないから御側付はいないわ」
「へぇ……。今は寮、ということは去年まではこちらにいらっしゃったのですか?」
「ええ、小学校は屋敷から近いところに通っていたから。小学生の頃からバスケットが好きで、今も続けてるってこの前あの子から聞いたの」
「バスケット、ですか……。そんなハードな運動をしていて大丈夫だったのですか?」
バスケットの運動量はサッカーと並ぶほどであり、スポーツの中でもかなり運動量が多い種目。
小学校で部活が始まるのは基本四年生、つまり九歳からだ。いくら七歳を超えて体質体調が改善したとしても、たった二年でそれをできるまでの体力をつけられるだろうか?
「言ってなかったかしら?神楽は昔から風邪一つひいたこと無い子だったの」
「え?でも白樺の家系は皆身体が弱いのでは……?」
「ええ、皆そうだったみたいね。でも神楽は本当に小さなころから他の子と変わりなく走り回ることができたの。普通の子達のなかで普通の生活ができる…。今思うと本当に素晴らしいことだと思うわ」
「あ……」
やっとアルバムの中の違和感を見つけ出した。
沢山あった神楽様の写真と、比べて数の少ない蓮様の写真の違い。
蓮様の写真のほとんどが布団の上なのに対して、神楽様の写真は外で撮られていたものであったのだ。
そして改めて思い出す。
満面の笑みで写真に写る、快活な少年。
片や無表情で写真に写る、陰のある病弱な少年。
他意がなくとも、自ずと写真の枚数は変わってしまうだろう。
きっと嘉人様と雲雀様は戸惑っただろう。長男とは全く性格の違う二男にどう接すれば良いのか分からず自然とどこか他人行儀になってしまった。
子供の感性は大人の思っている以上に敏感だ。
そしておそらく彼は気づいた。両親の中に常にいて、比較される兄の姿を
ひしひしと感じる兄との差。
苦しかっただろう。
悲しかっただろう。
兄のように活発になろうとしても、身体は言うことを聞かない。
兄のように笑おうとしても、素直にうまく笑えない。
出来の良い兄。
両親の愛を一心に受ける兄。
劣等感を抱かない訳がない。
目指したところで兄のようにはなれない。
兄のようには愛されない。
蓮様にとってきっと神楽様は自身から何もかも奪っていくような相手に見えてるのかもしれない。
『涼も兄貴のところに行っちゃうんだろ!?』
それは多分、両親に言えなかった素直な言葉。
『行かないで』
『側にいて』
『僕を見て』
もしも、もしもその思いの一つでも嘉人様と雲雀様に伝わっていたら、彼の今は変わっていたのだろうか?
「そう、ですね。でもきっと蓮様も、普通に暮らせるようになれますよ」
脳内で溢れかえる思考と推測から、なんとか絞り出した言葉は月並みのもので、声は情けなく震えていた。
僕は蓮様の未来を知っている。高校生となったとき、彼は健常者と変わらなかった。
だから彼は大丈夫、いずれは皆と変わらない生活を送れる。
そう、思っていた。
でも僕は蓮様のことをわかってなんかいなかった。僕はただ知っていただけなんだ。だから今が見えていなかった。
僕と会う前の彼らの関係。その彼の心情を。
今は高校までの過程として見ていた。
未来が幸せなら、今も幸せ。
僕はどうして、そう思ったのだろう。
こうして一緒に過ごしていても、僕は彼をキャラクターにしか見えていなかったんだ。いくら側にいようとも、多分本当の意味で蓮様と向き合っていなかった。
彼、彼らが私の知っているキャラクターだとしても、彼らはこの世界で生きている。イレギュラーの僕がこの世界で生きているのと、同じ様に。
「本日はありがとうございました」
「良いのよ。いつも蓮がお世話になってるんだから。この前風邪をひいた時も大変だったでしょう?」
「いえ、そんなことありません。こちらこそいつもお世話になっています」
「これからもよろしくね」
微笑んだ雲雀様に既視感覚える。またいつかのように蓮様に引け目を感じているのだろう。
「はい、こちらこそ」
その表情に気づきながらも、今回はあえて何も言わなかった。いくら罪悪感を覚えていても、行動出来なければ意味がない。
早く雲雀様がそれに気付けば、そう願いつつ屋敷を後にした。
春の陽射しが障子の隙間から零れる。
蓮様の部屋に面した小さな庭の梅の木にウグイスが止まっている。それを蓮様はじっと息を殺して見ていた。飛んできたのは良いのだが一向に鳴いてくれないらしい。
「今日は諦めたらどうですか?」
「聴く、絶対あの声聴く。……っあ!」
蓮様が障子を開けて庭に出るとウグイスは既に飛び去ったあとだった。
「あー、もう…」
がっかりしながら縁側に腰掛ける。
「大丈夫ですよ、春になったんですからこれからも来るようになります。花見鳥や春告鳥と呼ばれるくらいですから」
「今聴きたかった」
「そう言わないでください。ウグイスにもきっと何か事情があったんですよ」
「……本当?」
「さぁ?僕はウグイスじゃないのでわかりません」
なんとなしに先程までウグイスのいた枝に目をやると梅の花が咲いていた。
「春ですねー……」
「ああ、春だな……」
ふと思いつく。
「写真でも撮りますか」
「……急にどうしたんだ?」
「いえ、何となく撮りたくなりました。春ってなんか浮き足立ちません?」
「分かるけど…」
気まずそうに目を逸らした。今蓮様が何を考えているかは手に取るように分かる。口には出さないが、先日見たアルバムのことを思い出しているのだろう。
「それじゃ、カメラ持ってきますね!」
「ちょ、おいっ!」
僕は彼の返事も聞かずに部屋から飛び出した。




