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胡蝶の夢  作者: 秋澤 えで
番外編
156/157

花紅柳緑の英雄、交差する鏡像 5

 もう後悔はしたくない。

 そう決めたはずの僕はすでに後悔していた。



 「お久しぶりですね、ええと、今のお名前は?」



 そう聞いた彼女にしどろもどろでなんとか答え、僕らは街中の小さな公園のベンチで座っていた。

 どうか待ってほしい。


 一つ、僕はあの赤い目を、間違いなく幻影で見続けた赤い少年だと確信した。たとえその髪の色が白だったとしても、あの目の赤は変わらない、と。


 二つ、何とか掴んだその手は小柄な僕よりも小さく細い。病弱そうな女子だった。けれどその目や表情は、赤い彼のものだ。自信にあふれ、他者を等しく遠く扱う鷹揚さ。気位高く、迷いのない仕草や言葉。


 三つ。これが問題だ。はっきり言って僕は不審者だ。

 僕は決して緑橋優汰ではない。ただ緑橋優汰の幻影を長年にわたり見ていただけの他人だ。僕と緑橋優汰はただの隣人であり、僕と赤い彼はまさしく赤の他人。

 けれど赤い彼、いや彼女は僕のことを既知の仲であるように話し出した。しかも話を聞く限り、どうも彼女は僕のことを緑橋優汰そのものだと思っているらしい。嫌な汗が留まるところを知らない。更に手に負えないことに、僕が長年見続けた幻影とこの一週間やりこみまくったゲームのおかげで話のつじつまが合ってしまう。そのせいで彼女は僕に対する違和感を抱けないでいるのだ。

 頼む、誰か間違いを指摘してくれ。


 四つ。僕の膝の上に大きな猫がいる。巨猫。白い巨猫だ。しかも見覚えがある。ユキさんだ。高校に住み着いていたのにどうしてここに。曰く、彼女がこの公園で段ボールに収まったこの猫を見つけたのだという。僕の知る限りユキさんは飼い猫じゃないから捨てられることはないし、何ならその辺の段ボールに勝手に収まっていたのではないだろう。


 五つ。つい赤を追いかけてしまったが、僕が呼んだはずの花房を置き去りにしてきてしまったこと。これが一番現実的にまずい。申し訳ない。なんと言い訳すればいいのだろうか。


 春だというのに汗をだらだら流す僕、穏やかな笑みを浮かべ僕にわかるようなわからないような話をする彼女、我が物顔で膝の上でくつろぐユキさん。

 頼む、誰か乱入してこの空気をぶち壊してほしい。



 「弥緑くん、元気そうでよかったです。前髪、短い方がよく似合ってますよ」

 「あ、ありがとうございます……?」



 謎に敬語になる。挙動不信を隠し切れない。穴があったら入りたいし、ないならないで穴を掘って飛び込みたい。


 白鷺涼。それが彼女の名前なのだと。

 口調や表情からは自信が溢れている。けれどこう言っては何だが、力強さはない。静謐、淡々としている。抑揚はあるが、統制された感情表現のように感じられる。

 それでも、ある種のカリスマ性は健在だった。声が大きいわけじゃない。けれどその言葉はどれもクリアに僕の耳へと届く、雑踏も、喧騒も意に介さない。


 あの夏の日とは違う。湧き出た水で満たされた水瓶のような涼やかさ。



 「蓮さんや日和たちももう会ってますよ。ああ、それに黄師原会長にもついこの間お会いしました」



 特に会長は性格が全く違って面白かったです、とにこにこ話す彼女に対して僕は必死に記憶をつなぎ合わせる。


 蓮さん、は白樺蓮、だ。白い髪に赤い目のキャラクター。日和、はわからない。ゲームに登場しないモブのことかもしれない。突っ込まないのが吉だ。黄師原会長、は生徒会長黄師原煌太郎だろう。傲岸不遜な俺様キャラ。どうも今は俺様ではないようだが。

 話を聞く限り、彼らはゲームの中の記憶を何らかの形で持っているらしい。そうして今、怒涛の再会を話しているとのことだ。


 赤霧涼、それがかつての名前だったらしい。

 その名はゲームの中には出てこない。けれどあの日見たあの赤い彼はそんな名前だったのか、と胸に落ちた。赤霧涼。僕が決して知りえなかった名前。


 彼女はキャラクター、赤霧翡翠の双子の妹だった。けれどゲームと違い、白樺蓮の護衛として選ばれたのはキャラクターである翡翠ではなく、名前も出てこない双子の妹だった。


 僕の知る物語との乖離が、そこにはあった。 

 バクバクと心臓が音を立てる。

 僕の知らない物語が、そこにある。


 僕は知らない。ただただ幻影だけを見続けて物語を把握することもほとんどできなかった。新しく手に入れたゲームでは、僕の見た幻影が辿った、複数の道を見た。

 僕が知らない、僕の見た幻影の物語を、彼女は知っている。



 「…………」



 一人唾を飲み込んだ。

 今僕は、ゲームの中から飛び出してきたキャラクターと話をしているのだ。

 現実と物語が交差する。僕はまさに今、その地点に立っているのだ。

 それも、キャラクターと誤認されながら。

 こんなワクワクすること他にない。

 緑色の頼りない少年の憧れを、羨望を一身に受けた赤い少年。



 「あ、あなたは、」

 「ええ」

 「どうして、」



 いろんなことを聞きたかった。聞いてみたかった。けれどいざ穏やかに笑う彼女を見ると何を聞けばいいのかもわからなくなった。


 どうして、緑橋優汰の傍にいてくれなかったのか。それが一番の想いだった。けれど彼女はキャラクターじゃない。現実を生きる人間だ。それなのにそんな風に詰るのはどう考えても間違っている。彼女は彼を助けるためのキャラクターではないのだ。


 彼女は彼女の目的を持って生きていた。きっと。



 「白鷺さんは、これを、このゲームを知ってる……?」



 きっと共通の話題、と僕はポケットからスマホの画面を見せた。

 しかし予想に反して、彼女はなんとも表現しがたい顔をした。

 怒ってはいない。悲しんでいるわけでもない。寄せられた眉は微かな戸惑いと気まずさを表していた。



 「……ええ、知ってますよ。と言っても、そちらのスマートホン版はやってませんね。携帯ゲーム機で一度、プレイしたことがあります。もう、だいぶ前ですが」

 「そう、なんだね。……同級生から聞いたけど、たぶんそっちとスマホ版でストーリーとかは変わってないみたい」



 一つ一つ言葉を選ぶような彼女が何を気にしているかわからなかった。

 確かにこのRicordi di sei coloriに、赤霧涼は登場しない。ある種、蚊帳の外のような疎外感を感じているのかもしれない。けれど僕にとってはこちらのゲームではなく、赤霧涼のいる世界線こと正史のように思っていた。



 「でも不思議だね、ゲームの方には赤霧涼くんはいない。なんでゲームからは消されちゃったんだろう」

 「それは主人公が桃宮天音だからですよ。ゲームの中に、赤霧涼を入れる必要はない。それどころか兄である赤霧翡翠を押しのけてまで赤霧涼を登場させる必要はないでしょう」



 どこか雲行きがおかしい。けれど僕は彼女の表情にくぎ付けになっていた。

 僕は、赤い少年は、こんな顔をするはずがないと思っていた。

 自身に溢れ、威風堂々として、何者の邪魔も許さない、どんな困難も蹴倒し、吹き飛ばす。そんなヒーローだと思っていた。そういうキャラクターとして、僕は描いてきた。

 でも違う。赤い少年は、それだけじゃない。普通の人と同じよう悩むことがある。後ろめたさに口ごもることもある。相手の感情の受け取り方を伺う。そんな一面もあるのだ。

 ただのヒーローという役を持っていただけの赤い少年が、みるみる人間としての厚みも増して活き活きとしてくる。かのヒーローの解像度が上がっていくことに一人興奮していた。



 「うーんどうだろ。でもストーリーとしては双子のキャラクターとか割とあるから両方出しても展開としては悪くないかも。プレイヤーにも双子キャラの需要は見込めるし」

 「…………ああ」

 「どうしたの?」

 「……いえ、その発想はなかったなあ、って」



 そう笑う彼女は少しだけ晴れやかで、でもどこか泣きそうにも見えた。

 今の会話のどこにそんな顔をする要素があるのかと慌てて思い返すけど、ゲームの情報だけで彼女と話を成り立たせようとする自分のみっともなさが浮き彫りになるだけだった。



 「弥緑くん、君は、あの頃の記憶をどのように覚えてるんです?」

 「えっ!?」



 今日一大きな声が出た。膝の上のユキさんが迷惑そうに僕を見上げる。

 僕の嘘、いや誤魔化しを直球で暴きに来られたことに動揺を隠せない。案外ここまで自分なりに話ができていると思っていたが、彼女にとってはそうじゃなかったらしい。いや、むしろ完全無敵な赤江くんのモデルたる赤霧涼ならそんなのあった瞬間に看破していたのではないだろうか。



 「え、ええと、白鷺さんは、どんな風に覚えてるの? 赤霧涼としての日々を」



 苦し紛れに質問に質問を返す。せめて彼女が何か言ってくれれば、僕はいくらでもそこから誤魔化せる。

 しかしそこまで考えて、ここまで来て正直に自分のことを話すのではなく、誤魔化してでも彼女との関係を続けていたいと思う自分の浅ましさに死にたくなる。



 「……蓮さんは7歳になった日に、白樺蓮としての記憶を高校1年の終わりまで、すべて思い出したそうです。翡翠は2年ほど前に、一晩ですべてを思い出しました。黄之崎煌太郎さんは幼いころから、夢の中で黄師原煌太郎のことを見続けていたと言っていました。神楽さんは2年前に一気にすべて思い出したそうです」



 彼女の話したことは少し想像と違っていた。

 僕の勝手なイメージだと、それはまるで前世か何かのように、幼いころから知覚して、人生二週目のように過ごしているのだと思っていた。しかし普通に暮らしていて、突然身に覚えが降ってわくという気持ちは、いったいどういうものなのだろうか。そして僕は勝手に、黄師原会長と自分は近いんじゃないかと思い始めていた。



 「私は、2年ほど前に生死を彷徨う手術をしました」

 「えっ、それは、大丈夫なの!?」

 「ははは、大丈夫になったから、ここにいるんです」



 突然ヘビーな事情を明かされ、リアクションに困る。けれど彼女にとってはそんな事はどうでも良いようで、あっさりと言葉を切る。



 「……しばらくの間意識がない状態が続いていました。その間、私は長い夢を見ていたんです」

 「夢って……」

 「私が、ゲームの中に入って、新しいキャラクターとして生きる夢です」

 「……ああ」



 衝撃的だ。衝撃的な事実、けれどそれはあっさりと僕の胸の中に落ちた。



 「そっか、赤霧涼は、攻略キャラクターじゃない」

 「ええ、」

 「君は、プレイヤーとしてそこにいたんだね」

 「……ええ、そうだったかもしれません」



 彼女だけ順番が違うのだ。きっと他のメンバーは、Ricordi di sei coloriを見たとしたら僕と同じような感じで「自分たちのことがゲームになっている」と認識する。けれど彼女は違うのだ。「自分がゲームの中に入っている」と認識しているのだ。


 彼女だけが、先にゲームを知っていた。

 だから一般のゲームの中に赤霧涼はいない。


 赤霧涼は、白鷺涼がゲームを主人公としてプレイするためのアバターなのだ。


 改めて彼女を見る。

 雪のように透き通る白い髪、バラを閉じ込めたような赤い目、か細く折れてしまいそうな手足、薄い身体、若くして生死を彷徨うような大病を患う白鷺涼。

 強く、気高く、健やか。自由で生命力にあふれ、自分の望むままに歩き出していける、手を取れる赤霧涼。


 あのアバターは、彼女の喉から手が出るほど憧れた姿だったのだろうか。


 緑橋優汰が、手を伸ばすことすらできず憧れ続けたのと、同じように。

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― 新着の感想 ―
[一言] こうして見ると、幼少期からと2年前とでくっきり分かれてる。
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